TOPナーシング体験談<母乳育児を知り、乗り越えられた経験


「母乳育児を知り、乗り越えられた経験」

出産してすぐは、授乳がこんなに辛いなんて夢にも思いませんでした。

出産準備品は早い時期から全て揃えていました。もちろん哺乳瓶数本に粉ミルクや消毒用品。

私は妊娠中期から母乳が少し出ていましたが、何もお手入れすることをしませんでした。全く母乳に対して無知だったのです。

母乳より哺乳瓶でミルクをあげる友人を多く見てきたので、自分もミルクなんだろうと漠然と考えていました。間違った考えですが、母乳は出産したら自然と身体から出るもの。ミルクはお金をかけて栄養のあるものを与えるもの。私は完璧に間違った考えのまま出産を迎えたのです。

出産してすぐカンガルーケアをしましたが、産まれてすぐの子でも何も教えていないのにおっぱいを捜し、小さい口に乳首を含み、初乳を飲んだ姿は一生忘れる事はないと思います。本能って凄いものだと痛感し、まずそこで母乳の素晴らしさを初めて実感しました。

おっぱいの出はとても良く、搾乳して保管する余裕もあり、病院でも冷蔵庫にいちばん多く保管するほどでした。しかし産後2日目辺りから、おっぱいも乳首もカチカチに張り始め、直接授乳する事が出来なくなってしまいました。

私よりも若い看護師さん達が入れ替わりに毎日マッサージをしてくれるのですが、どの看護師さん達のマッサージも我慢できない痛みでした。腕を上げるのも痛くて洗髪も思うように出来ませんでした。出産の疲れとおっぱいの痛みで、当時は母子同室の良さは、私には理解できませんでした。
なぜこんなにおっぱいが痛いのか看護師さんに聞いてもはっきりした答えは返ってきませんでした。「母乳を推奨しているので頑張って母乳をあげましょうね」としか言われません。
退院した足で搾乳機をレンタルして帰りました。

家へ帰ると、義母が粉ミルクを用意してくれました。私は、作り方や飲ませ方も知りませんでしたが、「ミルクはなんて楽なんだろう。あんな痛い思いをしておっぱいをあげなくて済む」と、2〜3時間おきに搾乳もしつつ、粉ミルクも飲ませていました。冷蔵庫は搾乳した母乳でいっぱいです・・・。

産後も身体を休める事無く、退院して2日目から家事や買い物をしていました。
勿論おっぱいの痛みも半端でなく、買い物袋を持つのも痛かった事を思い出します。

実母は亡くなっているので育児を聞いたり頼る人もいなく、泣いている息子を抱っこして、昼夜ネットで育児情報を入手する日々でした。ネットで知ったのは「泣いたら授乳するという事」です。
そこでやっと搾乳を止め、数週間ぶりに激痛が走る乳首を含ませ授乳を再開させました。本当に痛くて痛くて息をのむ痛みでしたが、我慢して授乳しました。
母は私を完全母乳で育てたと聞いていました。母が生きていたら色々な事を聞けたのに、本当に残念です。

慣れない育児は精神的にもかなりきつかったです。2週間健診が病院であるので、雪の降る日に説明書を見ながら息子をチャイルドシートに乗せて、大荷物を持ち一人で病院に行った時がありました。
看護師さんから「車に乗せて一人で来たなんて・・・」と言われた時には、孤独感が押し迫り涙が出そうになりました。当時は、おっぱいの痛みもさる事ながら、めまいや足腰の冷えなど身体的にも限界でした。

1ヶ月健診が過ぎ、まだ混合での授乳でした。針を刺すような乳首の激痛はまだ続きましたが、その後、ネットの口コミを見て「ナーシング助産院」を知り予約を入れました。

痛みも無く丁寧なマッサージに感動したのは今でも覚えています。
マッサージの最中も的確なアドバイスを頂き、足腰の冷えや肩こり・むくみの原因もおっぱいだったと気付かせてもらいました。
息子の足型を取ってもらったり、受診のたびに息子の身長・体重を量ってもらい、母乳が足りているかを見ていただきました。
私にとって育児の不安を解消できるのはここだと思いました。特にトラブルが無くても、メンテナンスという事で通わせていただきました。通う事で精神的に安心が得られるからです。
女性にとってアフターケアの大切さも知ることが出来ました。今思うと、もっと早くここへ来ていたら・・・と後悔しています。
桶谷式と聞くと厳しい食事制限が思い浮かびますが、「ナーシング助産院」は全くそんな事はありません。

私の場合母乳はいっぱい出るのに産後2ヶ月でやっと完母になれました。
母乳育児の大切さを全く知らなかったツケは大きいです。
同じ時期に出産した友人は、母乳育児の大切さを知っていたので、粉ミルクの準備はしなかったと後になって聞きました。私も妊娠中に勉強してケアもちゃんとしていたら良かったと今更ながら思います。

私自身のおっぱいトラブルは息子が11ヶ月まで続きました。
度々しこりや高熱の出る乳腺炎も繰り返しましたが、そのたびにナーシング助産院の笠松おっぱい先生にお世話になりました。乳腺炎は本当に恐ろしいです。おっぱいが詰まった際の処置法も主人と一緒に教えていただきました。

息子は1歳4ヶ月で突然自ら卒乳してしまいました。
卒乳する数ヶ月前から授乳時間になると、産後すぐから使用している授乳クッションを隣の部屋から抱えてきて、私の身体に押し付け、「マンマ」とおっぱいをねだってきました。
笠松おっぱい先生から、「授乳している姿を写真で残しておきなさい」と言われていたので、今では授乳風景の写真を見て懐かしんでいます。
もう少しおっぱいをあげたかったのですが、息子がこの時期を選んだので仕方ないとあきらめています。

母乳育児が見直されている今日ですが、まだまだ無知な人が沢山いると思います。医療関係者から9ヶ月の息子に向かって「まだおっぱい飲んでいるの?」と言われたり、「おっぱいに執着すると大変だから1歳前には断乳を進める」と
産婦人科の年配看護師さんに直接言われたのには本当に驚きました。

生後2ヶ月の頃からアフターケアまでお世話になりましたが、仙台市泉区→大崎市古川→福島県福島市 と引越しが続いても多賀城市のナーシング助産院に通いました。

もっともっと母乳育児の大切さを大勢の人達にわかってもらいたいと思います。
体調の悪いママなどは別として、楽だからとか親や祖父母に預ける事が出来るからとの理由で混合授乳のママがいますが、赤ちゃんは絶対ママの温もりを感じる母乳が一番だと思います。

大きくなった息子に授乳していた写真を見せるが楽しみです。
おっぱいいっぱい飲んでくれてありがとう!
母乳育児は私の人生の中でも本当にいい経験でした。
ナーシング助産院の笠松おっぱい先生、本当にありがとうございました。
これからもっともっと母乳の大切さが知られる事を祈っています。
母乳育児バンザイ!
                                                        
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