おかげさまで、昨年断乳後の手当も一通り完了し、おっぱいとの付き合いも終わることになりました。
子供を産んだばかりの頃は、おっぱいのトラブルで頭がいっぱいで、一生この辛いのが続くような気がしていました。
母乳育児を最後まで通せるなんて想像すらしていませんでした。
妊娠中、自分なりに乳首のマッサージをして、少し乳汁が出るのを見て、自分の母乳育児は楽勝だと思っていました。
ところがいざ産んでみると、乳を飲ませるタイミングも分からない、抱き方すらも容量を得ない。同室の経産婦の方々に
聞きながらの悪戦苦闘の授乳でした。
それでもお乳を上手く吸わせられず、体重も増えず、黄疸も出て退院は2日ほど伸びました。
それだけでもショックだったのに、子どもが退院してもなお授乳はうまくいかず、母乳100%でやりたいし、出来ると信じ
ていた私は、精神的にも肉体的にも辛い数日間でした。
育児本に書いてある平均のことではなく、私個人と私の子どものことについて詳しく教えて欲しいのだと、心から思いました。
そんなとき、病室で同室だった、Yさんに教えられたナーシング助産院のことを思い出しました。
とにかく困っていることのひとつ、お乳のでさえ良くなれば、他は何とかなるんじゃないかと、我慢しようと考えました。
そして、私の乳頭を見ての先生の第一声が、「これじゃーおっぱいの時痛いよね。早く傷を治さなければね。」でした。
この一言で、すっと心が軽くなって、気持ちが晴れていくように感じました。
だれも私に言ってくれなかった言葉、でも、私が一番聞きたかった言葉だったのです。
「乳切れは、みんな出来る。出来てあたりまえ、でも、それでもがんばって授乳している。」とみんなから言われ、乳頭が痛くて授乳が辛いのは、母親の自覚が足りないのかと落ち込んでいたのです。(悪循環の原因なのでしょうか?)
その日は、手技をしていただき、乳頭に薬を塗ってもらって、痛いときは短時間で授乳をするよう指導され、赤ちゃんの
抱き方、お乳の飲ませ方もマンツーマンで直接教えていただきました。
そしてミルクの補充の仕方も。でも、いつかは母乳100%にすることが出来ると教えていただきホッとしたのを覚えています。
私と子どもを見て、アドバイスを頂くという安心感。まさに、駆け込み寺でした。
その後、なかなか母乳に分泌量は増えず、離乳後期の10ヶ月頃になってやっとミルクをやめることが出来ました。
ミルクのあとは離乳食に助けられての母乳育児でした。
どんな人でも、10ヶ月になれば離乳食と母乳が半分ずつなんだからと先生に慰められ、これからが一番楽しい時期だ
からと励まされ、良くここまでがんばったとおだてられ、気を取り直し、断乳までもう一踏ん張りしてみようと思いました。
結果は・・・本当に、楽しい日々でした。
おっぱいを見ればかけより、吸い付いてくる子ども。私が寝ていれば胸によじ登り、起きていれば服に潜り込んでお乳を飲み始める。
こんなに喜んでくれるなんて、娘がとても愛おしく見えました。
あの日ナーシング助産院に行っていなければ、こんな気持ちになれなかったかもしれないし、もしかすると、とっくに母
乳育児をやめていたかもしれない。本当にこんな日が来るなんて、想像すらつかなかったのです。
眠るときも、ぐずったときも、おっぱいを口に含ませるだけで解決するというおっぱいの威力に、あらためて驚かされました。
おっぱいをバイバイしたのちも、おっぱいを好きなようで、嬉しそうに胸に顔を埋めたり頬ずりしたり、チューしたり、触ったりして喜んでいます。
一生に一回だけ、娘のために私の身体が作る母乳。それを与えることが出来きる貴重な時間をもつことが出来て本当に良かったです。
これも先生におだてられ、のせられつつ導いていただいたおかげで、たどり着けたのだと感謝しております。
娘のこと、離乳食のことなどを聞いて頂いたりとても楽しいものでした。