TOPエッセイ<お母さんたちの安らぎの拠点として 〜助産院開業6年目の思い〜


お母さんたちの安らぎの拠点として 〜助産院開業6年目の思い〜


 助産院を開業して今年6月で6年目を迎えます。開業助産婦として、地域のなかで果たすべく役割を考えながらの6年間でした。
 開業場所は、宮城県多賀城市です。昔は東北の都でしたが、現在は人口約5万9,000人の静かな町です。両隣には仙台市と塩釜市が控えています。とくに仙台市は核家族が多く、人口流出入も激しい町です。
 昔と違って、開業助産婦の姿を町の中であまり見かけなくなったいま、開業することには多少の不安がありました。昭和30年代まで大勢いた助産婦は、地域のなかで立派に役割を果たしていたにもかかわらず、いまは必要とされなくなってしまったのだろうかと、以前から祖俗な疑問を持っていました。しかし、昔からあった職業はなくならないという信念のもとに、お母さんたちが求める助産院にしたいと、開業への道を歩むことにしました。

                   
自宅敷地内で助産院を開業

 開業するためにはもっと乳房のことを学ばなければと思い、大阪で開業している桶谷そとみ先生のもとに見学にいきました。幸いにも研修の機会を与えられ、1987年4月から桶谷式乳房治療手技を学ぶことになりました。桶谷先生は母子の幸せを願い、痛くない乳房のマッサージを考案しました。乳房ひとすじに情熱を傾けた先生の生き方には深く感銘しました。私も一生涯、開業助産婦として生きていこうと思いました。
 桶谷先生に出会ったことが、開業への道を開かせてくれる機会となりました。この研修期間中、多くのお母さんと接しました。そのお母さんたちを通して、開業助産婦は確かに求められているのだということを知ったのです。開業助産婦として地域のなかで果たすべき役割があることを改めて考える機会でもありました。
 勇気を出して地域のなかに飛び込み、開業助産婦の存在を知ってもらうことが、私の課題となりました。活動することによって、もう一度お母さんたちに開業助産婦の役割と意義を理解してもらうことが必要なのだと思いました。
 私の母も開業助産婦でした。母の働く後ろ姿こそが私の看護の原点だったと思うのです。母の仕事を通して開業助産婦の魅力をしることができました。
 私は以前から、母乳育児相談と産褥入院ができる助産院にしたいと思っていました。
 1988年6月、自宅敷地内に平屋の助産院を建てました。助産院の名称は「ナーシング助産院」と決めました。「ナーシング」とは、「母乳育児をする」「看護する」という2つの意味を持っていますので、私の気持ちにぴったりでした。
 多賀城市では、ここ30年来新たに開業した助産婦はいません。保健所からもらった開業届の書類も、ガリ版で刷ったと思われる黄ばんだ用紙でした。それを見てそれを見て、開業する助産婦がいないことを実感しました。
 スタートは母乳育児と産褥入院でした。そのうちお産を扱ってほしいというお母さんが現れました。その方の熱意と情熱に揺り動かされ、また私の心の奥底にやってみたいという気持ちもあり、考えた末にお産を扱うことにしました。
 お産を扱う件数が少しずつ増えてきて、それまでの助産院では手狭となりました。お産をもっと扱ってみようと思い1991年3月平屋だった助産院を改築し、2階部分を建て増すことにしました。

                
育児不安の母親を支える


 しかし、この工事期間中に、私の心の中で大きな変化が起こりました。開業した当初の形態をもう一度見直して、これから進むべき道を考えたのです。それは地域のなかで「母児の駆け込み寺」的な存在になりたいという思いでした。
 お産を扱うエネルギーをそちらの方向に向けたいと思いました。産褥期間中の入院にこだわらず、子育て中のお母さんたちがちょっと疲れたら、立ち寄ってホッと一息つける場をつくろう、と。地域の中でこんな場を提供できるのも開業助産婦なればこそです。お母さんたちひとりひとりのニーズに応えるためには、小回りのきく開業助産婦が適役なのです。日常の育児疲れやストレスをちょっとだけでも解消できるような援助をしたいと思いました。
 いま入院しているあるお母さんは、上の子ども(3歳)と生後5か月の子どもを抱えて来院しました。母親自身がインフルエンザにかかり、高熱のためふらふらになり、食欲もなく病院で点滴を受けていました。自宅に戻っても看病する人がいないので、友人の紹介で本院を知り来院されました。ここ数日間、食事らしい食事もできなかった様子でした。
 その友人も、以前同じような理由で3日間泊まったことがありました。同じ社宅に住んでいて自分より大変そうなので声をかけてみた、ということでした。
 核家族で遠い実家を当てにすることができない人や、夫が仕事で忙しく育児や家事を手伝ってもらえない人はとても大変です。体調が悪いことと重なれば、育児ノイローゼにもなりかねません。
 出産して自宅に帰ったけれど、夫と二人の子どもが次々とインフルエンザにかかり、母親の感染を避けるために来院された方もいました。
 出産後1ヶ月を過ぎて、赤ちゃんがよく泣くので、とにかくゆっくりやすみたいという理由で来院された方もいます。甲高い声で本当によく泣く赤ちゃんでした。お母さんは「赤ちゃんはかわいいものだと思ったけれど、生まれてみると悪魔のようだ」とつぶやいていました。
 7日間の入院中に、不思議と眉間のしわがなくなり、穏やかな表情になってきました。イライラしていたお母さんも食欲が出てきました。
 よく泣くのは母乳が足りないからだと思い込み、ミルクを追加し、飲ませ過ぎていたのです。
 産後の手伝いは実母を当てにしていたのでしたが、不幸にも実家の父親が亡くなったため、母親が手伝いにこられなかったということです。
 母親は母乳の与え方も上手になり、次第に笑顔が出てきました。「こんな助産院があって本当によかった」と喜んで帰っていきました。
 少しずつですが、母児の駆け込み寺的な役割を果たしているのではないかと思います。困ったことがあったならそこに行ってみようと思うだけでも、お母さんたちに安心感を与えているようです。

             
母乳育児を実施して

 私が行っている保健指導の一つに母乳育児相談があります。母乳分泌不足や偏平・陥没乳頭のため上手に授乳ができない、乳頭や乳房が痛い、母乳が出過ぎてこまっている、断乳時の乳房の手当て、その他さまざまな育児相談でお母さんたちが来院されます。
 病院入院中の短い日数だけでは、じゅにゅうも満足にできないお母さんが多いのです。赤ちゃんの扱いに不慣れなせいもありますが、なかにはとても不器用なお母さんもいます。
 病院入院期間中に、自宅に戻った時大変ではないかと思われるお母さんを見かけたときには、地域で開業している助産婦がいることを、ちょっと一声、情報として与えていただければと思います。
 出産後、病院を退院してから1ヵ月健診までが、援助が途切れる空白の期間なのです。この空白期間を埋めるのも開業助産婦の役割なのです。
 しかし残念ながら、現在、地域のなかでその役割を果たすべき開業助産婦がいなくなりました。お母さんたちは開業助産婦の存在を求めています。もっと多くの助産婦が、地域に目を向けてもらいたいものです。

                
母親の「駆け込み寺」に

 いま、高齢化社会を迎え、お年寄りにひあ手厚い援助がなされつつありますが、同じように母児にも質の高い看護を与えられる時代になってほしいと思います。
 開業を希望する助産婦を援助することに、行政はもっと力を入れてもらいたいと願っています。開業助産婦の仕事には大きな夢があります。開業の形態を変えながらの6年間でしたが、今後も「駆け込み寺」的な存在でありつづけたいと思っています。開業して本当によかったと思う毎日です。


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