白い花・谷間に揺れて (続き)  戻る

29.ひと月後。助佐衛門の部屋。
  閉めきった障子に晩夏の日差しがほの白く映えている。向かい合った助佐衛門とお咲。
助佐衛門「急がしくて、いままで気づかずにおったが、最近、好美の様子がおかしいと思わぬか?」
お咲「おかしいって。好美が、ですか?」
助佐衛門「な、何か、おなかの辺りが次第にふくれてきているように感じるんだが……」
お咲「そうおっしゃいますと、そんな気がしないでもないですね」
助佐衛門「うん。まさかとは思うが、ややを宿していないかと気掛かりでな」
お咲「それはございませんでしょう。第一、屋敷からほとんど外に出たことがない子ですから」
助佐衛門「それはそうだが、あの子も年頃だし、万が一ということもある。一度、医者に見せたがよかろう」
  煙草に火をつける助佐衛門。
助佐衛門「ところで佐吉の行方じゃが、その後、ご番所からはなんの連絡もなし。どうやら、国にも帰っていないようだ」
お咲「ほんとに、どうしたんでしょう」
助佐衛門「わしもまた、妙なやつを雇ったもんだ」

30.好美の部屋
お咲「いま、おとうさまに呼ばれたのですが、あなたのおなかのこと、うっすらお気づきになってらっしゃるようで、心配なさってました」
好美「それで、なんておっしゃってました?」
お咲「ややを身篭ってないか。一度、医者に診せておいた方がよかろう。そうおっしゃってました」
  お咲、膝行し、好美に近づく。
お咲「そこで、町はずれの玄庵に診てもらってはいかがでしょう。金子次第でどうにでも動く男ですから」
好美「妙案だと思います。で、具体的にどのように……」
お咲「病ということで、しばらく静養が必要である旨、玄庵からおとうさまに話してもらうのです。静養地でだれにも気づかれずに出産するのです」
好美「静養地って、どこですの?」
お咲「多摩川の上流にある寂光寺を考えております。寂光院さまとは長年のおつき合い。寂光寺ならだれにも気兼ねする必要はありません。話しの内容次第では、快く引き受けてくださるはずです」

31.夕刻。軒を並べる長屋の細い路地を歩いていく親子。縁台で夕涼みする長屋住人。
 その奥に玄庵の家。
お咲「昨日お約束しましたとおり処方の件、よろしゅうお願いします」
 玄庵、紙と筆をとる。
玄庵「それじゃ後日、ご主人にお会いして直接お話しすればよろしいんですな」
お咲「それじゃ、これは昨日お約束した分です(金子の入った包みを玄庵に渡す)」
中を覗いて不満気な玄庵。お咲、別に用意した包みを玄庵に渡す。今度は満足な様子。
お咲、別の部屋に待たせていた好美を呼び、玄庵の家を出る。

32. 助佐衛門の部屋。床柱を背に行燈の下で処方に目を通している助佐衛門。そばにお咲と好美。犬の遠吠え。
助佐衛門「ふむ……、一年の静養が必要とな」
お咲「なお、詳しいことは後日、説明にあがりたい。心配は無用だと、そう申しておりました」
助佐衛門「で、静養となると、どこか心当たりでもあるか?」
お咲「奥多摩にある、寂光寺はいかがでしょうか」
助佐衛門「ああ、寂光寺な。好美、おまえどうだ?」
好美「はい。静かで良い場所だと、おかあさまにも聞いております」
助佐衛門「じゃあ、すぐに手紙を送って、尋ねてみよう」
お咲「それは私におまかせくださいませ。寂光院さまにはお世話になるばかりで、他にも書きたいことがありますので」
助佐衛門「わかった。じゃ、おまえに任せる。
  ところで、申し訳ないが、寂光寺までは見舞いに行けないかもしれん。一年は長くてつらいと思うが、体がなによりだ。辛抱するんだぞ」
好美「はい」

33.一週間後。寂光寺の居間。
  遠く、居間からは連綿とよこたわる山々が望める。夏の終りを告げるように、つくつく法師の鳴き声が森閑とした辺りに響いている。
  寂光院とお咲。
寂光院「昨日、お手紙拝見いたしました。好美さまがご無事にご出産できますよう、私たちもできる限りのことはやらせていただきたいと思っております」
お咲「どうぞ、よろしゅうお願いいたします」
寂光院「ところで、お嬢さまのご出産について、ご主人さまの助佐衛門さまには内緒ということですが、こうした大切なことはお知らせした方が良ろしいんじゃありませんか?」
お咲「たしかに寂光院さまのおっしゃるとおりです。ただ、まことに申しにくいことなんですけど……。
  実を申しますと、生まれてくる子の父親というのが無宿人で、娘はその男に襲われ、犯されたのです」

34.山門をくぐり、寂光寺の境内に入っていくお咲と好美。

35.寂光院の居間。
寂光院「はるばる遠くから、さぞお疲れになられたことでしょう」
 好美、生気のない顔をもたげ、深々と頭を下げる。
寂光院「ひとますごゆっくりお休みくださいませ」

36.翌朝、同・寂光院の居間。
 わずかに開いた障子。外は朝もやに包まれ、白くけぶっている。
お咲「(外に視線をやりながら)いつもこんなにひどいんですか?」
寂光院「ええ。でも今朝は特にひどいようですね」

37.寂光寺の本堂。
  寂光院が格子戸を開くと、高窓から射す光に阿弥陀如来や十一面観音がぼんやり光っている。
 数人の比丘尼が経をあげている。

38.庭を掃いたり、眼下の山あいに点在する民家をながめて過ごす好美。

39.もやが立ち込める朝、廊下を雑巾がけをするお咲。

40.比丘尼たちに混じって経を唱える二人。

41.寂光寺内。お咲親子の部屋。
  木故しが吹きつける静かな夜、突然、産声があがる。
尼「おめでとうございます。女の赤ちゃんです。ほら玉のような」
 赤子をとりだした比丘尼の弾けるような声に寂光院とお咲、身を乗り出す。
 桶の中で力いっぱい産声をあげる赤子。横になった好美の顔に安らかな笑顔。
寂光院「まあ!、なんてかわいい赤ちゃんでしょう(赤子をあやす)」

42.同・お咲親子の部屋。
 お咲と好美の二人、そばには赤子が眠っている。
お咲「突然ですが、おまえ、今後のこと、どうしたらいいと考えています?」
好美「できるなら出家して、この子といっしょに寺に残りたいと考えています」
お咲「できることなら私もあなたたち親子にそうさせたいのですが、はっきり言ってそうしたことはできないでしょう」
好美「寂光院さまにお世話をかけるからですか?」
お咲「ええ。それよりも、おまえたちがこのまま寺に残れば、そのうち必らず、おとうさまが寺にやってくるでしょう」
好美「では、どうしたら……」
お咲「残酷なことを申すようですが、この子はこれ以上、私たちといっしょに暮らすことはできません」
好美「で、この子は、どうするというんです?」
お咲「この村の上流に吉沢村という小さな集落があり、その村はずれに喜八郎という年とった百姓が住んでいます。以前、店に奉公していて、真面目な人間ゆえ、その男に頼んでみましょう」
好美「そんな辺鄙な地に、この子を!。この子に会えないじゃありませんか」
お咲「そうするより、仕方ありません。辛抱しなければなりません」
好美、畳に伏して泣く。

43.喜八郎の家。狭い土間に窮屈そうな部屋がふたつ。ふすまや畳など、いたるところ朽ちおちている。
喜八郎夫婦とお咲、向かい合って座っている。
お咲「これから話すことは決して口外してはなりません」
喜八郎「(大きな瞳を白黒させ)へ、へい」
お咲「実は娘に赤子が生まれたのです」
喜八郎「お嬢さまが……。もう、そんなお年になられましたか」
お咲「そこで頼みですが、その赤子を自分の子供として育てて欲しいのです。生まれてまもない赤子をここへ連れて来るからには、それなりの事情があってのこと。
先方は御武家さまのご嫡男、互いに愛し合っている仲とはいえ、あまりにも身分の違いが」
喜八郎「……」
お咲「じゃあ、よろしいですね」
喜八郎「このわしらがお嬢さまに代わって!」
お咲「はい、赤子を育てるための費用、それに皆が十分食べていけるだけのお札はいたします」
お咲、白布にくるんだ小判を喜八郎夫婦の前に置く。
喜八郎「(鼻の下をこすりながら)へ、へい」
お咲「今日はこれで帰ります。それでは四、五日のちにまた……」
お咲が帰るのを喜八郎夫婦見送る。外は雪。

44.吉沢村・路傍の小さな祠のまえ。
 桜の花が咲き、その下で七、八人の村人か何事か話している。
与助「なんでも、喜八っさんとこに、ややができたそうな」
市松「んだ、んだ、あの年でな。ややのつくり方、ワシらも習わんといかんな」
皆、大声で笑う。
助六「おら、この目でその子を見ただ」
与助「ほう?」
助六「ちょうど野良仕事に行く途中で、それとなく喜八っさんの家の方を見ただ。
と、驚いたことに、トミさんが土間でややを洗ってるじゃねえか」

45.(回想シーン)喜八郎の家の前。
  助六、喜八郎の家の前を通りかかる。喜八郎の家の方を見やり、驚いた様子。木陰に隠れ中の様子を窺っている。
  土間に置かれた桶の中にはトミに抱かれた赤子が体を洗ってもらっている。
  助六、意地悪そうに瞳の奥を光らせ、その場を離れる。

46.同・祠の前
助六「それがじゃ、湯桶からあがったややを見て、びっくりこいたじゃ」
亀吉「ほう。ややがどうかしたか?」
助六「したもしねえも、ありゃ人間の姿恰好じゃねえ」
亀吉「人間の姿じゃねえ。だったら、どんな姿じゃ?」
助六「百聞は一見にとか、なんとかって言うだろ。いまから喜八っさんとこへ行ったらどうだ?」
亀吉「皆、どうするだ?。一度に押しかけたら、喜八っさんにすまないしのう」
助六「ええんじゃないの。このごろ喜八っさん、村の寄り合いにも出てこないし、皆、心配してるだよ」
市松「そうそう。反対に喜八っさん、喜ぶぞ」
村人たち「んだ、行こう、行こう」

47.喜八郎の家の軒先。
助六「喜八っさん、喜八っさん、おるかあ」
しばらくして喜八郎、家の外へ出てくる。
喜八郎「こりゃお揃いで、なにごとじゃ」
助六「このごろ喜八っさん、皆のまえに顔ださんから、心配して来ただ」
村人たち、家の中を覗き込む。トミに抱かれた赤子が上がりかまちの向こうに見える。
 赤子、突然泣きだす。
助六「あれえ!。喜八っさんとこ、ややがいたっけ?」
喜八郎「(頭を掻きながら)それがこの年になって……」
助六「なにも恥ずかしかるこたあなかべ。それより皆に知らせてくれりゃ、祝うてやるがな。喜八っさんらしゅうもない」
市松「せっかくだ。ややこを見せてくれんか?」
喜八郎「ああ、ええとも。中に入って見てくれ」
村人たち、上かりかまちに手をつき、身を乗り出す。
市松「何か月になるだ?」
喜八郎「半年だ」
市松「ほう、もうそんなになるか。ほれっ、笑うたぞ」
寅次郎「で、名前は?」
喜八郎「お峰じゃ。皆、かわいがってくんろ」
寅次郎「いい名前じゃ。年取ってからの子じゃから、喜八さんも可愛うて、可愛うてならんじゃろ」
喜八郎「長男は生まれてすぐに死んだし、そりゃあ。
 ところで寅さんとこのややも、さぞ大きゅうなったべ?」
寅次郎「ちょうどふたつだ。これが悪さ坊主で垂れた糞は食うは、縁から落ちて瘤はつくるはで、片時も目が離せねえ」
喜八郎「それぐらいの悪さは、むしろ頼もしい。うちの長男みたいにすぐに死なれたら、それこそ……」
寅次郎「それもそうじゃの」
 ♪カラスが鳴くからかーえろ
遠くから子供たちの歌声。西に傾いた日が辺りをオレンジ色に染めている。
市松「日も暮れるで、喜八っさん、また来るわ」

48.夕暮れの小道。
 辺りいちめんに畑が広がっている。寅次郎と助六のふたり。
助六「夕方はかなり冷えこむわい(身を縮める)」
寅次郎「おまえ、喜八っさんとこのやや、人間の格好しとらんとか言うとったが、どうもないじゃないか」
助六「赤うへちむくれて、しわだらけ。あれじゃまるで雀の子。そう思わないけ?」
寅次郎「馬鹿こくでねえ。ややは皆、あんな顔してるんじゃ。早う嫁もらうこったな」

49.七年後。すみれが風に揺れている。
 喜八郎、お蜂を荷車に乗せ、畑へ向かう途中。与助と助六に会う。
与助「いい日よりですの」
喜八郎「変わりはないか?」
与助「(お蜂に視線を移し)ああ、お蜂ちゃん、大きゅうなったの」
 お峰、頭を下げながら微笑む。
与助「お峰ちゃん、またなあ(手を振る)」

50.同、農道。
 喜八郎親子と別れた与助と助六、道を歩きながら、お峰について噂している。
助六「お峰のことじゃが、愛想はええし、人並みはずれた器量しとるが、それにしてもあの年なって、いまだに歩けんってことは、どういうことじゃろうな」
与助「う、うん。な、なんじゃ?」
助六「何、ぼんやり考えとるんじゃ。おかしいのう」
与助「お峰のことじゃ。九つになったというのに満足に座ることもできん。それに足はややこのように小さいし」
与助「そうじゃ。前から思っておったが、おとなしゅうて気立てもええ。なんの因果かのう」
助六「こう言っちゃ何だが、もしかして、喜八っさんの昔の悪業がお峰に祟ったのかもしんねえ」
与助「えっ、悪業……!。そりゃ、初耳だ。よかったら聞かせてくれ」
助六「鎮守さまが祭ってある社近くにお糸さんという、五十がらみの豚みてえに太ったひとりモンがいるべ」
与助「ああ、あの少しめでたい……」
助六「んだ。昔、そのお糸さんを喜八郎かだまして、はらましたことかあるそうな」
与助「ほ、本当か。それが本当なら人は見かけによらんのう。もっとも、おまえがやったっていうんなら、はなしも分かるが」
助六「与助さん、いくらなんでも、そりゃひでえ」

51.祠のまえ。数人の村人。
市松「もしかして、あの娘、喜八っさんの子供と違うんじゃねえのか」
村人「どういう意味だ?」
市松「節句の二日まえだったかの。長兵衛さんとこで酒をよばれて家に帰る途中、喜八っさんの家の前まで来たときだった……」

52.(回想シーン)喜八郎の家の前。
 喜八郎の家には薄明かりが点り、市松、木陰から喜八郎の家のほうを窺っている。
市松の声「一頭の馬が喜八っさんの家のまえの楠につながれてある。
  変に思って近づいてみると、馬の腹になにか大きな荷がくくりつけてあって、数人の商人風の男がその荷を喜八っさんの家に運びこもうとしているだ」
市松、喜八郎の家に近づき、障子の破れ目から中を覗く。
市松「んで、大きな荷物って、なんだったと思うかえ。驚いたことに、雛人形じゃ。
 それに、その雛人形が見たこともない立派なもので……。
  わしゃ、夢を見てねえかと思うて、頬をつねってみた」

53.四年後。お峰、十三歳の春。
 村長の長兵衛、炉辺に座って遠く山を見やりながら、茶を飲んでいる。
庄太「(走り寄ってきて)て、てえへんだっ」
長兵衛「血相変えて、どうした?」
庄太「喜八っさんとこのトミさんが亡くなっただ」
長兵衛「トミさんが……!」
庄太「へえ」
長兵衛「二、三日まえまで元気だったんだが、いったいどうして?」
庄太「分からん。ただ、村長に伝えるよう言われただけで……」
長兵衛「分かった。すぐに行く。
(屋敷の奥に向かって)こ、これ、お涼、トミさんが亡くなったそうだ」
お涼「まあ、トミさんが……」
長兵衛「着替えを持ってきてくれ」
お涼、部屋の奥へ去る。

54.喜八郎の家。
  数十人の村人たちが念仏をあげている。すすり泣きの声。
  長兵衛、線香をあげ、喜八郎に黙札したあと、人形のように柱にもたれているお峰のところへ行き、静かに手を握りしめる。
長兵衛「つらかろうが、元気を出すんじゃよ」
お峰、悲嘆にくれた顔に笑みを浮かべる。
55.喜八郎の家の裏山。数人の村人が墓穴を掘っている。
 村人たちの読経のうちにトミの亡骸、土葬される。
 手押し車の中で必死に悲しさを堪えているお峰。
お峰「お、おかあ、どうして死んだんだ。おとうとお峰を残して、どうして死んだんだよう」
55.(回想シーン)
 ・泣きじゃくるお峰を必死にあやしているトミ。
 ・お峰に歯がはえたので、大喜びでそれを喜八郎に見せているトミ。
 ・泣きじゃくるお峰を寝かせつけているトミ。
 ・あぜ道の草取りをしていて誤って溝に落ち、喜八郎に助けられたあと、お峰を力いっぱい抱きしめているトミ。
 ・お峰の七歳の節句を親子で祝っている。嬉しそうにはしゃぐお峰の着物姿に目を細めるトミ。
56.同・裏山。
老婆「つらかったのう」
喜八郎「さ、家に戻ろう」
喜八郎、お峰の乗った手押し車を押し、山を降りる。
 涙をぬぐうお峰。春の日が木々を透かしてまばゆい。
57.春の木洩れ日が夏の強い日差しへ、やがて秋から弱い冬の光に変わり、いちめん 銀白色の世界。
  蓑をまとった喜八郎、猟銃を片手に山から戻ってくる。しょんぼりした様子。
 お峰、這って上がりかまちまで喜八郎を迎える。
お峰「おとう、寒かっただろな。早よ暖まってけろ」
喜八郎「(ため息をつき)今日もだめじゃった」
喜八郎、蓑を柱に掛け炉辺に座る。
喜八郎「(湯飲みに酒をつぎながら)かなり山奥まで入ったが兎一匹、見つからん。冷害には見舞われるし、こんな年も珍しいわ。いったいどうなってんだ……」
 お峰、自在鉤に掛かった鍋から芋粥をすくって、喜八郎に渡す。
喜八郎「わしゃええから、おまえ食え」
お峰「おとう、帰りが遅かったから、先に食ったよ」
喜八郎「んにゃ、食っちゃいねえ。おまえが嘘ついても、わしにはちゃんと分かる」
お峰、ためらっている様子。
喜八郎「わしのことは心配せんでええから、食え」
  お峰がついだ芋粥をお峰の方へ押し返し、ひと息に酒を飲みほす喜八郎。お峰、心配そうに見つめている。
58.春爛漫と咲き誇る桜。抜けるような青空。鍬や鎌を手にした村人が道ですれ違う。
村人「今年の冬は、ほんに大変じゃったの」
村人「ああ、一人の死人もなく、皆、よう堪えたな」
59.喜八郎の家。
  土間に敷いたむしろの上で縄をなっている喜八郎。井炉裏の火が、酔った喜八郎の横顔を赤く照らしている。
喜八郎「(湯呑みについだ酒を一気に飲み干し、酒樽の方を見ながら)もう一杯いいだろ」
お蜂「おとう、お酒もらって、まだひと月もならないというのに、もう底つこうとしてるだよ」
喜八郎「ええから」
お峰「でも、体をこわしたら……」
喜八郎「じゃ、あと一杯だけ」
お峰「ほんとに、一杯だけたよ」
喜八郎「(酒樽の栓をひねりながら)おまえも亡くなったおかあに似て、ようブツブツ文句言うのう」
お峰「おとうの体を心配してるからだよ」
喜八郎「(急に声をうわずらせ)なあ、お、お峰」
 喜八郎、お峰の白い手を両手で抱き込むように握りしめる。あっけにとられたお蜂。
喜八郎「い、いい子だの」
お峰「まあ、おとうったら。急に……(照れくさそうに笑う)」
喜八郎「かあさんが亡くなってからというもの、毎日が寂しゅうての」
お蜂「どうしただ!。おかしなおとう」
 表情をゆがめ、お峰を食い入るように見つめる喜八郎。お峰、一瞬顔色を変え、体を背後に反らす。
  お峰ににじり寄る喜八郎。
喜八郎「お峰。寂しいだ。た、頼む」
 お蜂、土間の上に転がり落ちる。
喜八郎「す、すまん。ちょっとでええから抱かしてくれ。
 さ、寂しい、寂しいだ
土間に下りた喜八郎、お蜂を抱こうとする。
必死に抵抗するお峰。喜八郎、お峰から離れる。
喜八郎「(息を切らせながら)い、いままで黙っておったが…」
「……」
喜八郎「お、おまえな、わしらの子じゃねえ。
 本当はなっ、人に頼まれて、おまえを育ててきたんじゃ」
お蜂「う、うそ……」
喜八郎「わしの言うことが信じられねえのなら、信じなくてもええ。
 (思い出したように)そうじゃ。うちに雛祭りの人形があるの知ってるじゃろ。おまえのためにおっかあが、大切に飾ってやっていたあの……。
  あんな立派なものを、わしら水呑み百姓が買えると思うか?」
お蜂「……」
喜八郎「おまえの本当のおとうはなっ。御武家さんじゃ。それにおっかあは、江戸でも名の知れた穀物問屋の娘さんでな。
  二人はまだ結婚してなかった。それに御武家さんの嫡男と商人の娘、いくら大きな商いをしても、身分が違う。
  んで、生まれてきた子の処理に困ったあげく、おまえのばっさまが泣いてわしらに頼んできたんじゃ。
  それはな、雪の舞う寒い日じゃった」
60.(回想シーン)喜八郎の家の前。
 北風が吹きつけ、雪が舞いあがる。
 お咲、それにお蜂を抱いた好美が寒さに身を縮めながら軒先に立っている。
  喜八郎、表戸を開く。
喜八郎の声「おかあは生まれたばかりのおまえを抱いての。すっかりやつれて、泣いてばかりおった。おまえと離れて暮らすのがよほどつらかったんじゃの」
61.同・喜八郎の家。
 土間にうつ伏せになったままのお峰。
 お峰のそばに座り、じっとお峰を見つめている喜八郎。
 炉の焼けつような炎が障子を赤く染めている。
 苦しげなお峰の声。真っ赤なバラが墨汁に染まっていく。
62.翌朝。
 お峰、布団から這い出る。まだ寝息をたてている喜八郎。
 お峰、表戸を引く。外はまだ暗い。その中をただひたすら這い進む。
 やがて東の空が白み、柱状節理の断崖が目のまえにあらわれる。
お峰「おっ、おっかあー」
お峰、崖下に消えていく。
63.寂光寺の本堂。
 薄暗い堂内。出家した好美、一心に般若心経を誦している。彼女の頬にひとすじの涙。

64. (ときは現在)汗をぬぐいながら登山する親子。
 目のまえに岩山。岩山の陰に隠れるように咲いた一本の白い花。
「お、おとうさん!。み、見て」
「ほう、きれいな花だ」
「ユリに似てるけど……」
「透明に白くすきとおっている。なんて花なんだろね」

65. トミの胸に抱かれながら幸せいっぱいなお峰。

       
(完)

      

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