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   国語3 | 広がる学び・深まる学び (m-manabi.jp)



■挨拶(石垣りん)  挨拶朗読 2学期中間テスト
■漢文
■奥の細道(芭蕉)

■俳句

  俳句は変わりゆく四季折々の光景や、人の心の繊細な動きを5,7,5の17文字で表現していきます。
 
〇どの子にも 涼しく風の 吹く日かな
 この句の季語:「涼し」季節:「夏」 歳時記 
かなは切れ字
 夏
の暑い時だからこそ、木陰、風、水の流れなどから得られる涼しさをより格別に感じることができます。
 意味 どの子にも、涼しい風が吹いてくる、そんな優しい夏の日であることだ
    
切れ字とは、感動や詠嘆を表す言葉のことで「かな」「や」「けり」が代表的なものになります。

〇たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり

   季語:たんぽぽ 季節:春  切れ字「けり」、句切れなし

 意味 たんぽぽの綿毛が、ぽぽとした様子で立ち上がっていることだ。
   「ぽぽと」というのは、綿毛が一本一本立ち上がっている様子を表した擬態語(ぎたいご)


〇分け入っても分け入っても青い山  山頭火
  5・7・5の17音での構成にこだわらない“自由律俳句”
   道なき道を分け入って、どんどん進んでも青い山ははてしなく続いている
   道なき道というのは山道のことを指しており、山頭火が旅を進めるために山越えをしていたことがわかります。

〇赤い椿 白い椿と 落ちにけり 高瀬舟 ・安楽死 ・足るを知るは 満足
  季語:椿  季節:

   「赤い花を咲かせる椿の木が赤い花を、白い花を咲かせる椿の木が白い花を落としている」
   
花びらが一枚一枚散り落ちるのではなく、花ごとぽとりと落ちるのも特徴

  評 正岡子規はこの句について、言葉で表されているものは白い花と赤い花のみであり、
    椿の木の生い茂る様子やその椿の木がどこに生えているのかといったことが触れられていなくとも、
    その情景を眼前に思い描くことのできる優れた句であると評価しています。

〇いくたびも 雪の深さを 尋ねけり 正岡子規
   庭に積もった雪がはたしてどれくらいの深さになっているものか、何度も家人に尋ねてしまったなあ
   
窓から庭に降り積む雪を自らの目で確かめることもできなかったため、家人に何度も雪の深さを尋ねたのです

〇飛び込みの もう真っ白な 泡の中

   水中に飛び込むと あっという間に真っ白な泡の中だったよ
     
水中に飛び込む前に心の中で感じている「恐怖感」を表現しています。
     そして、勇気を出して飛び込んでみると、あっという間に水の中にいたという事を伝えているのです。
     「もう」という言い回しには、このような時間の経過の早さが組み込まれています。
     水の中は、真っ白な泡がブクブクと浮き立ち、別世界であるとも私達に教えている作品です。
     「真っ白な」の部分から、飛び込み台に立った時の怖さが、飛び込んでしまった後は恐怖感から開放されて、
      爽快感すら感じられます。


〇咳をしても一人
  尾崎放哉(ほうさい)
 「咳をしてもひとり」は自由律俳句の代表としても取り上げられる句で季語はない

  あえて選ぶのであれば、季語は「咳」で季節は「冬」といったところでしょうか
  
咳をしたが、部屋には私たった一人だ。誰が心配してくれるでもなく孤独な様子を句に込めています。

 この句を詠んだ頃の放哉は晩年で、破天荒な人生を送ってきた放哉は酒癖が悪く、
 金の無心をするなど周囲からの評判も良くない孤立した状態だったのです。
  この頃の彼は、庵の場所を提供した住職が食べ物を与えるほど貧しく、
 一人で嫌われ者として住んでいるという孤独感があります。
  どれほど孤独を感じているかを純粋に表現したのがこの句になります。
 「孤独死」など、現在社会に通じるものがあります。

〇万緑の中や吾子の歯生え初むる

  季語:万緑 季節:夏
   野山は夏らしく草木に覆いつくされて一面の緑の景色だ。
   そんな中、大切なわが子に初めての白い歯が生えはじめてきたことだ
 
 表現技法・・・
   「万緑の中や」での切れ字「や」と、中間切れ
  対比(緑と白 万緑と一つの歯)
   句切れとは、一句の中で、リズムや意味の上で大きく切れる箇所のことを言います。
   この句切れの際には、切れ字「かな」「や」「けり」を用いて句を切ることが多い。


・桐一葉 日当たりながら 落ちにけり
 高浜虚子
  季語:桐一葉 季節:秋
  桐の葉が一枚、日の光に照らされながらゆったりと落ちていったなあ
  
  
「桐一葉」とは、「桐の葉が一枚落ちるのをみて、秋の訪れを実感する」や
  「小さな動きから衰亡の前兆をとらえる」といった意味で使われる言葉です。

「落ちにけり」の「けり」が切れ字となっており、詠嘆の意味があります。
(※句の最後に切れ字が来るので「句切れなし」となります)

 

   

歌舞伎に豊臣家の忠臣片桐「桐一葉落ちて天下の秋を知る」があります。
これは、表面的には桐の葉が一枚落ちて、世間はすっかり秋であると実感する
という意味にとれますが、豊臣家の家紋が桐の意匠であったことから、
豊臣家の滅亡を悟り、嘆く言葉とされます。

 切れ字とは、俳句の感動の中心を表す言葉のことです。
「や」、「かな」、「けり」などが代表的な切れ字で、「~であることよ」「~だなあ」
というように訳されます。
つまり、切れ字がどのように使われているかで、作者が最も感動している箇所を読み解くことができます。

 この切れ字から、桐の葉が落ちていくその動きにこの句の作者は心を動かされていることが分かります。

この句は、桐の葉が落葉するさまを写生するように描写しながら、
秋の訪れ変化の予感をその向こうにうかがわせています。

・日と月のごとく二輪の寒牡丹
  季語は「寒牡丹」、季節は「冬」 「句切れなし」 体言止め
   咲いている二輪の寒牡丹はまるで日と月のようだ

  寒牡丹の花は冬に咲く花の中でも貴重であり、その寒牡丹が咲いていることから
 冬牡丹以上に花の存在が際立ちます。
 そんな寒牡丹が艶やかに咲いており、しかも二輪咲いており、それが日と月のようです。
 ここからわかるように、この二輪は色が違うことがわかります。
 日のような花は「赤」、月のような花は「白」。つまり、紅白でお互いを引き立たせながら咲いているのです。

   写真 Bing.com


直喩(比喩)

暗喩とは、比喩、たとえの表現の一種です。
「~のような」「~のごとし」などのような、比喩であることがはっきりわかるような書き方ではなく、
たとえるものを直接結びつけ、言い切るように表現した比喩です。
たとえば、「彼女は彼にとって太陽のような存在だ」と、「ような」を使って例える表現は直喩・明喩といい、
「彼女は彼の太陽だ」と「ような」を使わずに直接言い切るたとえ方を暗喩といいます。明喩よりも暗喩の方が強い印象を与えます。
 この句では「日と月のごとく」で使用されており、「日と月のようだ」と訳され、読み手の想像力を強く刺激しています。


問1 A~Jの中から、「春」を詠んだものをすべて選び、記号で答えな   さい。
問2 A~Jの中から、体言止めが使われているものをすべて選び、記号   で答えなさい。
問3 次の1~4の鑑賞に当てはまる俳句をA~Jの中から1つずつ選び、記号で答えなさい。
    1. 鮮やかな色彩の対象の美しさを、カメラのように
     切り取って印象的に詠んでいる。
    2.文字を省略し、究極に短くした表現が、作者の孤独感を
     よりいっそう際立させている。
    3.一瞬の動きを詠んだ作品で、直接その姿を表現しないこと
     で、かえってその鮮やかさが際立っているようである。
    4.小さな植物を予想外に大きなものに例えながら、
     色彩感のはっきりした印象を与える句である。

問4 Cの俳句と同じ形式の俳句をA~Jの中から1つ選び、
   記号で答えなさい。

問5 Dの俳句の「赤い椿」の定型の音数よりも多い。
   このような表現方法を何といいますか。3字で答えなさい。

問6 Eの俳句の作者を漢字で書きなさい。

問7 Hの俳句を①読むとおりにひらがなで書きなさい。
   また②区切れを答えなさい。

問8 Iの俳句の季語と季節を答えなさい。

問9 B,D,E,Iの俳句に使われている「けり」と同じ役目をしている
   言葉を俳句中より2つ抜き出しなさい。

問10 DとIの「落ちにけり」の情景として、適当なものを、
   次から選び、それぞれ記号で答えなさい。
     ① ものすごい速さで落ちてしまった。
     ② 風に拭かれて落ちていった。
     ③ ゆっくりと静かに落ちていった。
     ④ 小刻みにふるえながら落ちていった。
     ⑤ ぽとりとまっすぐに落ちていった。

A どの子にも 涼しく風の 吹く日かな

B たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり


C 分け入っても分け入っても青い山
                   山頭火

D 赤い椿白い椿と落ちにけり

E いくたびも雪の深さを尋ねけり

F 飛び込みのもう真っ白な泡の中


G 咳をしても一人

H 万緑の中や吾子の歯生え初むる


I 桐一葉日当たりながら落ちにけり
 
高浜虚子


J 日と月のごとく二輪の寒牡丹


【解答】
問1 A~Jの中から、「春」を詠んだものをすべて選び、記号で答えなさい。
    B、D…答

問2 A~Jの中から、体言止めが使われているものをすべて選び、記号で答えなさい。    C、F、G、I
問3 次の1~4の鑑賞に当てはまる俳句をA~Jの中から1つずつ選び、記号で答えなさい。
    1. 鮮やかな色彩の対象の美しさを、カメラのように
     切り取って印象的に詠んでいる。 D
    2.文字を省略し、究極に短くした表現が、作者の孤独感を
     よりいっそう際立させている。 G
    3.一瞬の動きを詠んだ作品で、直接その姿を表現しないこと
     で、かえってその鮮やかさが際立っているようである。 F
    4.小さな植物を予想外に大きなものに例えながら、
     色彩感のはっきりした印象を与える句である。J

問4 Cの俳句と同じ形式の俳句をA~Jの中から1つ選び、
   記号で答えなさい。 G

問5 Dの俳句の「赤い椿」の定型の音数よりも多い。
   このような表現方法を何といいますか。3字で答えなさい。 字余り

問6 Eの俳句の作者を漢字で書きなさい。正岡子規

問7 Hの俳句を①読むとおりにひらがなで書きなさい。
    ばんりょくのなか
あこのははえそむる
   また②区切れを答えなさい。
中間切れ

問8 Iの俳句の季語と季節を答えなさい。
    桐一葉  秋
問9 B,D,E,Iの俳句に使われている「けり」と同じ役目をしている
   言葉を俳句中より2つ抜き出しなさい。
     
かな  や
問10 DとIの「落ちにけり」の情景として、適当なものを、
   次から選び、それぞれ記号で答えなさい。
     ① ものすごい速さで落ちてしまった。
     ② 風に拭かれて落ちていった。
     ③ ゆっくりと静かに落ちていった。
     ④ 小刻みにふるえながら落ちていった。
     ⑤ ぽとりとまっすぐに落ちていった。
        D:⑤   I:③
A どの子にも 涼しく風の 吹く日かな

B たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり


C 分け入っても分け入っても青い山
                   山頭火
D 赤い椿 白い椿と 落ちにけり

E いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

F 飛び込みのもう真っ白な泡の中


G 咳をしても一人

H 万緑の中や吾子の歯生え初むる


I 桐一葉日当たりながら落ちにけり
 
             高浜虚子

J 日と月のごとく二輪の寒牡丹


A どの子にも 涼しく風の 吹く日かな

B たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり


C 分け入っても分け入っても青い山
                   山頭火
D 赤い椿 白い椿と 落ちにけり

E いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

F 飛び込みのもう真っ白な泡の中


G 咳をしても一人

H 万緑の中や吾子の歯生え初むる


I 桐一葉日当たりながら落ちにけり
 
             高浜虚子

J 日と月のごとく二輪の寒牡丹



以下、余裕があったらチャレンジしてみてください。

《設問》
1 俳句の定型は五七五であるが、B・Eのような定型のくずれを何というか。
2 また、M・Nのような定型を無視し季語も特に定めない俳句を何というか。
3 C・Gの俳句は「季重ね」の句であるが、季語は何か。
4 Hの季語を書け。(言い切りの形にするのが適切) 
5 A・B・G・Mの「切れ字」を書き抜け。
6 A・B・G・Mの句切れを答えよ。
7 Fの句切れを答えよ。
8 J・M・Nの作者名を漢字で書け。
9 D・G・Kに共通して用いられている表現技法を答えよ。
10 F・G・L(I・M)に共通して用いられている表現技法を答えよ。
11 Cのつつじはどこに写っているのか。
12 Eの作者は誰の面影にうなづいたのか。またその人物の著作を一つ挙げよ。
13 「四方」の読みと意味を答えよ。
14 Lの句は何をしている情景を描いたものか。
15 Aの句から擬態語を書き抜け。
16 季節ごとの風物や季語をまとめた本を何というか。漢字で書け。
A ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな
B 赤い椿白い椿と落ちにけり
C 映りたるつつじに緋鯉現われし

D 山清水ささやくままに聞き入りぬ
E 諸手さし入れ泉にうなづき水握る
F 噴水のしぶけり四方に風の街

G 啄木鳥や落ち葉を急ぐ牧の木々
H 燕早帰りて山河音もなし
I 小鳥来て何やら楽しいもの忘れ

J いくたびも雪の深さを尋ねけり
K 風雪にたわむアンテナの声を聴く
L 靴紐を結ぶ間も来る雪つぶて

M 夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ
N こんなよい月を一人で見て寝る


【解答例と解説】

1字余り(破調)
 字余りと字足らずを破調という。定型を意識して作られたが字数が合わないのが破調。
 定型を全く意識していないのが自由律俳句。だから、自由律俳句を破調(字余り・字足らず)とは言わない。


2自由律俳句(無季自由律)
 自由律俳句は字数(音数)が自由であるというだけでなく、季語もあえて
入れない。季節感を感じさせる言葉があっても季語として指摘するのは誤り。

3Cつつじ G啄木鳥(きつつき)
 俳句に季語と受け取れそうな言葉が重なって使われているとき、「季重ね・季重なり」という。
どちらをその句の季語とするかは、切れ字がつく方を感動の中心とするか、
もしくは、句意からとらえるしかない。
この設問の場合、Cつつじ(春)緋鯉(夏)/G啄木鳥(秋)落ち葉(冬)となっているが、
教科書の配列が春夏秋冬の順になっていることも考え合わせて、Cはつつじ G啄木鳥とする。
なお、「啄」という字はワープロでは点がついてないが、答案には旧字につく点をつけ忘れないこと。
「季重ね」を教えてくれない学校も相当数あるので、学校の先生の説明を良く聞いておこう。


4燕帰る(言い切りの形にするのが適切) 
 「燕早帰りて」は×。残念ながら季語の指摘は学校の先生の指導がまちまちで、
抜き出して正解とする学校もあれば、きちんと言い切りにしたものを正解とする学校もある。
「燕」だけでは春の季語。「燕帰る」で秋の季語。燕は渡り鳥でしたね。


5Aかな Bけり Gや Mや
 俳句に使われる切れ字の代表は「や・かな・けり」の三つ。
句切れは感動の中心を表す働きと句切れを作って句のリズムを生み出す働きがある。
切れ字をあえて訳せば、「~ダナァ」という感動を表す。


6A句切れなし B句切れなし G初句切れ M初句切れ
 「や・かな・けり」などの切れ字の直後で句切れが起きる。
途中に句切れのないものを「句切れなし」という。


7F中間切れ
 二句目の途中で句切れがあるので中間切れという。中間切れの句は高校入試でも次の句が使われることがある。
万緑の中や/吾子の歯生え初むる  中村草田男
ばんりょくの なかや/あこのは はえそむる
  季語 万緑 (夏) 中間切れ

8J正岡子規 M種田山頭火 N尾崎放哉
 正岡子規は夏目漱石の友人でもあり、肺結核の病床にありながら創作活動を続けた。
彼は江戸時代から俳諧と呼ばれた五七五の文芸形式を「俳句」と名づけた名づけ親である。
著書に『寒山落木』『歌詠みに与ふる書』があるので覚えておこう。

種田山頭火は放浪の俳人。尾崎放哉とともに自由律俳句を作った代表として記憶しよう。

9D・G・K(共通) 擬人法
10F・G・L(I・M)(共通)体言止め

Iものわすれ・Mずぶぬれ を学校で体言止めと習わなかった場合はF・G・Lを正解とする。
これも学校の先生の指導によってズレがある問題。


11(池の)水面
 つつじが水面に映っているところへ水中に緋鯉が現われた、その鮮やかな色彩の重なりを感じて欲しい。

12松尾芭蕉 奥の細道など。
 Eの俳句はかなり補足説明が必要である。江戸時代に、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終え、
琵琶湖のほとりの「幻住庵(げんじゅうあん)」という小さな庵(いおり)にしばらく住んだことがあった。
その庵の近くには泉が湧いていて、芭蕉が使った泉は今でも残っているそうだ。
その場所を訪れた作者の中村草田男が、俳句の大先輩である芭蕉の面影が、
その泉に映っているように思われて思わず両手を泉の水に差し入れたというお話。


13読み(よも)意味(あちこち・いろいろな方向)

14雪合戦

15ゆさゆさと  
 擬態語は様子を表す言葉。擬声語・擬音語が音や鳴き声を表す言葉。
16歳時記(さいじき)


【解答例と解説】

1字余り(破調)
 字余りと字足らずを破調という。定型を意識して作られたが字数が合わないのが破調。
定型を全く意識していないのが自由律俳句。だから、自由律俳句を破調(字余り・字足らず)とは言わない。


2自由律俳句(無季自由律)
 自由律俳句は字数(音数)が自由であるというだけでなく、季語もあえて
入れない。季節感を感じさせる言葉があっても季語として指摘するのは誤り。

3Cつつじ G啄木鳥(きつつき)
 俳句に季語と受け取れそうな言葉が重なって使われているとき、「季重ね・季重なり」という。
どちらをその句の季語とするかは、切れ字がつく方を感動の中心とするか、もしくは、句意からとらえるしかない。
この設問の場合、Cつつじ(春)緋鯉(夏)/G啄木鳥(秋)落ち葉(冬)となっているが、
教科書の配列が春夏秋冬の順になっていることも考え合わせて、Cはつつじ G啄木鳥とする。
なお、「啄」という字はワープロでは点がついてないが、答案には旧字につく点をつけ忘れないこと。
「季重ね」を教えてくれない学校も相当数あるので、学校の先生の説明を良く聞いておこう。


4燕帰る(言い切りの形にするのが適切) 
 「燕早帰りて」は×。残念ながら季語の指摘は学校の先生の指導がまちま
ちで、抜き出して正解とする学校もあれば、きちんと言い切りにしたものを正解とする学校もある。
「燕」だけでは春の季語。「燕帰る」で秋の季語。燕は渡り鳥でしたね。


5Aかな Bけり Gや Mや
 俳句に使われる切れ字の代表は「や・かな・けり」の三つ。
句切れは感動の中心を表す働きと句切れを作って句のリズムを生み出す働きがある。
切れ字をあえて訳せば、「~ダナァ」という感動を表す。


6A句切れなし B句切れなし G初句切れ M初句切れ
 「や・かな・けり」などの切れ字の直後で句切れが起きる。途中に句切れのないものを「句切れなし」という。

7F中間切れ
 二句目の途中で句切れがあるので中間切れという。中間切れの句は高校入試でも次の句が使われることがある。
万緑の中や/吾子の歯生え初むる  中村草田男
ばんりょくの なかや/あこのは はえそむる
  季語 万緑 (夏) 中間切れ

8J正岡子規 M種田山頭火 N尾崎放哉
 正岡子規は夏目漱石の友人でもあり、肺結核の病床にありながら創作活動を続けた。彼は江戸時代から俳諧と呼ばれた五七五の文芸形式を「俳句」と名づけた名づけ親である。著書に『寒山落木』『歌詠みに与ふる書』があるので覚えておこう。
種田山頭火は放浪の俳人。尾崎放哉とともに自由律俳句を作った代表として記憶しよう。

9D・G・K(共通) 擬人法
10F・G・L(I・M)(共通)体言止め

Iものわすれ・Mずぶぬれ を学校で体言止めと習わなかった場合はF・G・Lを正解とする。これも学校の先生の指導によってズレがある問題。

11(池の)水面
 つつじが水面に映っているところへ水中に緋鯉が現われた、その鮮やかな色彩の重なりを感じて欲しい。

12松尾芭蕉 奥の細道など。
 Eの俳句はかなり補足説明が必要である。江戸時代に、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終え、琵琶湖のほとりの「幻住庵(げんじゅうあん)」という小さな庵(いおり)にしばらく住んだことがあった。その庵の近くには泉が湧いていて、芭蕉が使った泉は今でも残っているそうだ。その場所を訪れた作者の中村草田男が、俳句の大先輩である芭蕉の面影が、その泉に映っているように思われて思わず両手を泉の水に差し入れたというお話。

13読み(よも)意味(あちこち・いろいろな方向)

14雪合戦

15ゆさゆさと  
 擬態語は様子を表す言葉。擬声語・擬音語が音や鳴き声を表す言葉。
16歳時記(さいじき)

徒然草
 仁和寺という寺にいた法師が、歳を取るまで岩清水八幡宮を拝みに行ったことがなかったので、
残念に思っていましたが、ある日思い立って、一人で徒歩でお参りに行きました。
極楽寺や高良などを拝んで、これでいいだろうと思って帰ってきました。
 さて、友達(仲間)にあって「ずっと心にとめていたことを果たしてきました。
耳にしていた以上に尊かったです。そういえば、参拝している人たちは山に登っていましたが、
何かあったのでしょうか。
気になりはしましたが、神に参拝するのが本来の目的だと思って、山までは登りませんでした」と言いました。





高瀬舟 教科書あらすじ&解説&漢字←テスト対策・課題作成に!〈森鷗外 著〉 - YouTube
   
「高瀬舟」瀧川直樹【講義‼️】その1 - YouTube

「高瀬舟の定期テスト対策予想問題」 (mylearnlab.link)


   足るを知る者は富み…
    「満足す
ることを知っている人は、たとえ貧しくても心が豊かであること」という意味

 

 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いとまごひをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。
 當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、
獰惡だうあくな人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬとがを犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
 さう云ふ罪人を載せて、
入相いりあひの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族けんぞくの悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲しらすで、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書くちがきを讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。
 同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。

     ――――――――――――――――

 いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が
政柄せいへいを執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院ちおんゐんの櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
 それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。
 護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この
痩肉やせじしの、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。
 庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。
 其日は暮方から風が
んで、空一面を蔽つた薄い雲が、月の輪廓をかすませ、やうやう近寄つて來る夏の温さが、兩岸の土からも、川床の土からも、靄になつて立ち昇るかと思はれる夜であつた。下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只へさきに割かれる水のささやきを聞くのみである。
 夜舟で寢ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横にならうともせず、雲の濃淡に從つて、光の増したり減じたりする月を仰いで、默つてゐる。其額は晴やかで目には微かなかがやきがある。
 庄兵衞はまともには見てゐぬが、始終喜助の顏から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。それは喜助の顏が縱から見ても、横から見ても、いかにも樂しさうで、若し役人に對する氣兼がなかつたなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌ひ出すとかしさうに思はれたからである。
 庄兵衞は心の内に思つた。これまで此高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつも殆ど同じやうに、目も當てられぬ氣の毒な樣子をしてゐた。それに此男はどうしたのだらう。遊山船にでも乘つたやうな顏をしてゐる。罪は弟を殺したのださうだが、よしや其弟が惡い奴で、それをどんな行掛りになつて殺したにせよ、人の情として好い心持はせぬ筈である。この色の蒼い痩男が、その人の情と云ふものが全く缺けてゐる程の、世にも稀な惡人であらうか。どうもさうは思はれない。ひよつと氣でも狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合はぬ言語や擧動がない。此男はどうしたのだらう。庄兵衞がためには喜助の態度が考へれば考へる程わからなくなるのである。

 暫くして、庄兵衞はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」
「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと氣遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衞の氣色を伺つた。
 庄兵衞は自分が突然問を發した動機を明して、役目を離れた應對を求める
分疏いひわけをしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。實はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは隨分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに來て、一しよに舟に乘る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の樣子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一體お前はどう思つてゐるのだい。」
 喜助はにつこり笑つた。「御親切に仰やつて下すつて、難有うございます。なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出來ます。しかしそれは世間で樂をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして參つたやうな苦みは、どこへ參つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の
む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい體ではございますが、つひぞ病氣をいたしたことがございませんから、島へ往つてから、どんなつらい爲事をしたつて、體を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目てうもくを戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を當てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、當時の掟であつた。
 喜助は語を續いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。どこかで
爲事しごとに取り附きたいと思つて、爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。それがお牢に這入つてからは、爲事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、お上に對して濟まない事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお牢を出る時に、此二百文を戴きましたのでございます。かうして相變らずお上の物を食べてゐて見ますれば、此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出來ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。島へ往つて見ますまでは、どんな爲事が出來るかわかりませんが、わたくしは此二百文を島でする爲事の本手にしようと樂しんでをります。」かう云つて、喜助は口を噤んだ。
 庄兵衞は「うん、さうかい」とは云つたが、聞く事毎に餘り意表に出たので、これも暫く何も云ふことが出來ずに、考へ込んで默つてゐた。
 庄兵衞は彼此初老に手の屆く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、儉約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寢卷しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が滿足する程手元を引き締めて暮して行くことが出來ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内證で里から金を持つて來て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふものを毛蟲のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衞は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つては、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を
めて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。
 庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ
扶持米ふちまいを、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤そろばんの桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。
 さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。
 喜助は世間で爲事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出來るだけで滿足した。そこで牢に入つてからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ滿足を覺えたのである。
 庄兵衞はいかに桁を違へて考へて見ても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知つた。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折々足らぬことがあるにしても、大抵出納が合つてゐる。手一ぱいの生活である。然るにそこに滿足を覺えたことは殆ど無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過してゐる。しかし心の奧には、かうして暮してゐて、ふいとお役が御免になつたらどうしよう、大病にでもなつたらどうしようと云ふ
疑懼ぎくが潜んでゐて、折々妻が里方から金を取り出して來て穴填をしたことなどがわかると、此疑懼が意識の閾の上に頭を擡げて來るのである。
 一體此懸隔はどうして生じて來るだらう。只上邊だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こつちにはあるからだと云つてしまへばそれまでである。
しかしそれはである。よしや自分が一人者であつたとしても、どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない。この根柢はもつと深い處にあるやうだと、庄兵衞は思つた。
 庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた。
 庄兵衞は今さらのやうに驚異の目を見
つて喜助を見た。此時庄兵衞は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光がうくわうがさすやうに思つた。

 庄兵衞は喜助の顏をまもりつつ又、「喜助さん」と呼び掛けた。今度は「さん」と云つたが、これは十分の意識を以て稱呼を改めたわけではない。其聲が我口から出て我耳に入るや否や、庄兵衞は此稱呼の不穩當なのに氣が附いたが、今さら既に出た詞を取り返すことも出來なかつた。
「はい」と答へた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ふらしく、おそる/\庄兵衞の氣色を覗つた。
 庄兵衞は少し間の惡いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。」
 喜助はひどく恐れ入つた樣子で、「かしこまりました」と云つて、小聲で話し出した。「どうも飛んだ
心得違こゝろえちがひで、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げやうがございませぬ。跡で思つて見ますと、どうしてあんな事が出來たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫じえきで亡くなりまして、弟と二人跡に殘りました。初は丁度軒下に生れたいぬの子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお惠下さいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を搜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、一しよにゐて、助け合つて働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しよに、西陣の織場に這入りまして、空引そらびきと云ふことをいたすことになりました。そのうち弟が病氣で働けなくなつたのでございます。其頃わたくし共は北山の掘立小屋同樣の所に寢起をいたして、紙屋川の橋を渡つて織場へ通つてをりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買つて歸ると、弟は待ち受けてゐて、わたくしを一人で稼がせては濟まない/\と申してをりました。或る日いつものやうに何心なく歸つて見ますと、弟は布團の上に突つ伏してゐまして、周圍は血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、手に持つてゐた竹の皮包や何かを、そこへおつぽり出して、傍へ往つて『どうした/\』と申しました。すると弟は眞蒼な顏の、兩方の頬から腮へ掛けて血に染つたのを擧げて、わたくしを見ましたが、物を言ふことが出來ませぬ。息をいたす度に、創口でひゆう/\と云ふ音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも樣子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と云つて、傍へ寄らうといたすと、弟は右の手を床に衝いて、少し體を起しました。左の手はしつかり腮の下の所を押へてゐますが、其指の間から黒血の固まりがはみ出してゐます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるやうにして口を利きました。やう/\物が言へるやうになつたのでございます。『濟まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない病氣だから、早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思つたのだ。笛を切つたら、すぐ死ねるだらうと思つたが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く/\と思つて、力一ぱい押し込むと、横へすべつてしまつた。刃はこぼれはしなかつたやうだ。これを旨く拔いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して拔いてくれ』と云ふのでございます。弟が左の手を弛めるとそこから又息が漏ります。わたくしはなんと云はうにも、聲が出ませんので、默つて弟の咽の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持つて、横に笛を切つたが、それでは死に切れなかつたので、其儘剃刀を、刳るやうに深く突つ込んだものと見えます。柄がやつと二寸ばかり創口から出てゐます。わたくしはそれだけの事を見て、どうしようと云ふ思案も附かずに、弟の顏を見ました。弟はぢつとわたくしを見詰めてゐます。わたくしはやつとの事で、『待つてゐてくれ、お醫者を呼んで來るから』と申しました。弟は怨めしさうな目附をいたしましたが、又左の手で喉をしつかり押へて、『醫者がなんになる、あゝ苦しい、早く拔いてくれ、頼む』と云ふのでございます。わたくしは途方に暮れたやうな心持になつて、只弟の顏ばかり見てをります。こんな時は、不思議なもので、目が物を言ひます。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と云つて、さも怨めしさうにわたくしを見てゐます。わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐるぐる廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促をめません。それに其目の怨めしさうなのが段々險しくなつて來て、とうとう敵の顏をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとうとう、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝をくやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。此時わたくしの内から締めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆あさんが這入つて來ました。留守の間、弟に藥を飮ませたり何かしてくれるやうに、わたくしの頼んで置いた婆あさんなのでございます。もう大ぶ内のなかが暗くなつてゐましたから、わたくしには婆あさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆あさんはあつと云つた切、表口をあけ放しにして置いて驅け出してしまひました。わたくしは剃刀を拔く時、手早く拔かう、眞直に拔かうと云ふだけの用心はいたしましたが、どうも拔いた時の手ごたえは、今まで切れてゐなかつた所を切つたやうに思はれました。刃が外の方へ向ひてゐましたから、外の方が切れたのでございませう。わたくしは剃刀を握つた儘、婆あさんの這入つて來て又驅け出して行つたのを、ぼんやりして見てをりました。婆あさんが行つてしまつてから、氣が附いて弟を見ますと、弟はもう息が切れてをりました。創口からは大そうな血が出てをりました。それから年寄衆としよりしゆうがお出になつて、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいた儘死んでゐる弟の顏を見詰めてゐたのでございます。」
 少し俯向き加減になつて庄兵衞の顏を下から見上げて話してゐた喜助は、かう云つてしまつて視線を膝の上に落した。
 喜助の話は好く條理が立つてゐる。殆ど條理が立ち過ぎてゐると云つても好い位である。これは半年程の間、當時の事を幾度も思ひ浮べて見たのと、役場で問はれ、町奉行所で調べられる其度毎に、注意に注意を加へて浚つて見させられたのとのためである。
 庄兵衞は其場の樣子を目のあたり見るやうな思ひをして聞いてゐたが、これが果して弟殺しと云ふものだらうか、人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、話を半分聞いた時から起つて來て、聞いてしまつても、其疑を解くことが出來なかつた。弟は剃刀を拔いてくれたら死なれるだらうから、拔いてくれと云つた。それを拔いて遣つて死なせたのだ、殺したのだとは云はれる。しかし其儘にして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であつたらしい。それが早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。
 庄兵衞の心の中には、いろ/\に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。
 次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。

(大正五年一月「中央公論」第三十一年第一號)





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 【枕詞】 よく知れた和歌を取りあげました。人によってとらえ方も違うし、うたを楽しみましょう。
      わたしも学生時代、古典が大嫌いでしたが、最近、興味を持つようになりました。

  ■足引きの→山、峰 など

    あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと 我(あれ)立ち濡れぬ 山のしづくに
                                                         大津皇子
    待てど待てども、あなたは来ない。我は山の木々のしずくに、すっかり濡れてしまいました。
     
※大津皇子が愛する石川郎女を待ち焦がれ、来なかったことを嘆いています。

      
    我を待つと きみが濡れけむ あしひきの 山のしづくにならましものを   石川郎女
       山の木々のしずくになれたら、お会いできましたのに…  返歌  石川郎女から
 
   ※この2つの短歌には隠された男女関係があるようです。
      興味のある人は高1の短歌をクリックしてください

あしひきの 山どりの尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む                                         柿本人麻呂  

  山鳥の長く垂れ下がっている尾のように 秋の長い夜をただひとり、  寝るのだろうか
 

                                                          画像転載元:国立国会図書館デジタルコレクション
  ■青丹よし(あをによし)→奈良  ※「あお」でなく、「あを」

    青丹よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり   小野老 
      ※大宰府にいて、奈良の都を懐かしんでいる様子が伝わってきます。
        現在のように汽車も車もなかった時代ですから。
       「にほふがごとく」は美しく色づくといった意味


  ■岩走る(いはばしる)→垂水(たるみ)、滝

    石(いは)ばしる 垂水の上の さわらびの もえいづる春に なりにけるかも  志貴皇子
       水しぶきをあげて岩の上を激しく流れる滝のほとりでは、
       芽が出たばかりのわらびが芽を出す春にようになったなあ
 ※長い冬のあとの春

  ■唐衣(からころも)→着る、裁つ、袖、裾

    唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ    在原業平
       着なれた唐衣のように慣れ親しんだ妻は都にいて、
       はるばる遠くまで来てしまった旅をしみじみ思う

    韓衣(からころむ) 裾(すそ)に取りつき 泣く子らを
                           置きてそ来ぬや 母(をも)なしにして      防人歌
       衣のすそにすがりつい泣く子どもを置いてきてしまった。母親も亡くしていないのに。
          ※防人(飛鳥から平安時代)は北九州一帯につき、朝鮮半島からの警護を行うもので
           租庸調(そようちょう)以外の兵役。
           日本最初の山城である大野城や水城はそのころ作られたものです。
           日本史でもよく取り上げられます


  ■草枕(くさまくら)→旅、ゆふ、仮、露、結ぶ

    家にあれば けに盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 草の葉に盛る     有馬皇子 

  ■白妙の(しろたへの)→衣(ころも)、袖、袂、雪、雲

    春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天(あめ)の香具山    持統天皇

  ■垂乳根の(たらちねの)→母、親

    たらちねの 母が釣りたる 青蚊帳(あをがや)を
                             すがしといねつ たるみたれども   長塚節


  ■久方の(ひさかたの)→天(あめ、あま)、雨、月、雲、空、光 など

    久方の光のどけき春の日にしづごころなく花の散るらむ         紀友則




    ・空蝉の(うつせみの)→命、世、人、身 など

    ・新玉の(あらたまの)→年、月、日 など


    ・天離る(あまざかる)→日、鄙(ひな)、向かふ

    ・千早振る(ちはやふる)→神、氏(うぢ)、宇治

    ・射干玉の(ぬばたまの)→黒、髪、夜、夕べ、月、妹 など


■漢文          TOP

「少年老い易く学成り難し」(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
   若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、
何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味の
ことわざである。同じ出典による「一寸の光陰軽んずべからず」もことわざとして用いられる。
類似したことわざには「光陰矢の如し」

1<問題> ※(  )は適当な言葉を入れて答えてください。

(1)「論語」は、中国古代の思想家の( ① )やその( ② )たちの
   言行(げんこう)を後世に残そうと整理・編集したものである。

(2)孔子は( ③ )や人格を高めることで、世を治めることを理想として、
  その思想は日本の学問や思想にも多大な影響を与えた。

(3)次の語句の意味を答えなさい。

  ① 子  ② 曰はく  ③ また~ずや  ④ 如かず


(4)子曰く、「学びて時にこれを習ふ、また
よろこばしからずや。

とも遠方より来たる有り、また楽しからずや
   人知らずして
うらみず、また君子ならずや。」と。

  ① 子は先生という意味ですが、この場合、誰を指しているか

  ② 「また説ばしからずや」はどんな意味か。

  ③ どんなことを「説ばし」と言っているか。

  ④ 「また君子ならずや。」の「君子」とはどのような人のことをいうか

  ⑤ 「学びて時にこれを習ふ」(書き下し文)を参考に右上の白文に、
    返り点と送り仮名をつけなさい

  ⑥「朋遠方より来たる有り」(書き下し文)を参考に、
    右下の白文に返り点をつけなさい。

 




<解答>
 1) ① 孔子  弟子     (2)③道徳

 
3) ①  ・・・ 先生 孔子   曰はく・・・ おっしゃるには
    
 また~ずや ・・・ なんと ~ ではないか     如かず ・・・ 及ばない。かなわない。

 4)  孔子   なんとうれしいではないか。 ③ 学んで機会があるごとに復習して体得すること。
    
④ 世の中が認めてくれなくても、不平や不満を抱かない人。


     

問 子曰はく、「ふるきを温めて新しきを知れば、もつて師たるべし。」と。

孔子先生がおっしゃるには、「過去の事柄や学説などを重ねて研究して
新しい知識を発見できれば、人の先生になれるだろう。


<語句>
子・・・孔子、先生
曰はく・・・おっしゃるには
而・・・置き字の1つ。(読まない)

「~て」(順接)や「~だけれども」(逆説)と文脈によって訳す。
矣・・・置き字の1つ。文末に置いて、その文を強調する。


 ①「故きを温めて」とはどうすることですか。
 ② この漢詩から生まれた故事成語を漢字四字で答えなさい。
 ③ 次の訓読文を書き下し文に直しなさい。

 
2次の書き下し文を参考に返り点と送り仮名を付けなさい。また置き字を一字抜き出しなさい。


3)子曰はく、「学びて思はざればすなはくらし。思ひて学ばざれば則ちあやふし。」
   ①「罔し」の意味は?  
②「殆し」の意味は?   この文では「子」のどんな教えが語られていますか。
4)子曰はく、「これを知る者は、これを好む者に如()かず。
   これを好む者は、これを楽しむ者に如()かず。」と。
     ① 知る者、好む者、楽しむ者の中で、最も秀でているのは誰か。
      この文と関わりのあることわざはなにか。

<解答>

1)  ① 古い事柄や学説など重ねて研究すること   ② 温故知新
    ③ 


(2)
        置き字・・・而
3
  ①「罔し」・・・物事の道理を明確につかむことができない
  ②「殆し」・・・独断に陥って危険である
   学問には、「学ぶこと」と「考えること」の両方が重要で、一方に偏ってはならないこと。

4  楽しむ者      好きこそものの上手なれ





漢文は基本は上から読みます。
左下に返り点がついている場合は、その効果に合わせた読み方をします。

問 例①~③を参考に、レ点や数字を用いて1→2→3→4→5の順番に読めるようにしなさい。

  



 



「五言絶句」や「五言律詩」
  一行の文字数が五文字なら「五言」,七文字なら「七言」です。
  また, 全部で四行なら「絶句」,八行なら「律詩」です。


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☆おくのほそ道①序文〈月日は・旅立ち・夏草〉←教科書の古文解説 - YouTube

おくのほそ道①《序文 その一》  - YouTube

おくのほそ道②《序文 その二》 - YouTube

おくのほそ道③《序文 その三》 - YouTube

(1)月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。
古人も多く旅に死せるあり。
(2)予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへて、
去年の秋、江上の破屋にくもの古巣を払ひて、
やや年も暮れ、春立てるかすみの空に、白河の関越えむと、
そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きに会ひて、取るもの手につかず。
もも引きの破れをつづり、かさの緒付け替へて、三里に灸据ゆるより、松島の月まづ心にかかりて、
(3)住めるかたは人に譲りて、杉風が別墅に移るに、

草の戸も 住み替はる代ぞ ひなの家

面八句を庵の柱に懸け置く。(『おくのほそ道』序文より)


おくのほそ道②平泉〈夏草・三代の栄耀一睡のうちに〉←教科書の古文解説 - YouTube

おくのほそ道④《平泉 その一》 - YouTube

おくのほそ道⑤《平泉 その二》- YouTube


三代の栄耀一睡のうちにして
大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
まづ高館にのぼれば、
北上川南部より流るる大河なり。
衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。
泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。  さても義臣 すぐつてこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。

 国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

 夏草や兵どもが夢の跡

卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良(芭蕉の弟子)

おくのほそ道⑥《平泉 その三》- YouTube

かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨をしのぎ、しばらく千歳の記念とはなれり。


五月雨の降り残してや光堂


 三代にわたって栄えた藤原氏の栄華も一睡の夢のように消え、大門のあとは一里ほどこちらにある。秀衡が住んでいた場所は田んぼになっていて、金鶏山ばかりが昔の形をのこしている。

まずは高館に登ると、(眼下には)南部から流れてくる北上川という大河が見える。衣川(という川)は、和泉の城をまわって流れ、高館のところで大河(北上川)に合流をしている。(秀衡の息子の)泰衡が住んでいた所は、衣が関を隔てたところにあり、南部から平泉に入ってくる道を固めており、蝦夷の侵入を防いでいたと見える。それにしても、家臣たちを選りすぐりこの高館の城に立てこもり、この場所は一時の高名をたてたけれど、今は草むらとなっている。『都が戦に敗れても山河は残っており、都に春の季節がやってきて草や木が生い茂っている』と杜甫が詠んだ句を胸に、笠をおいて、しばらくの間、涙を流したのであった。

昔、武士たちが栄誉を求めて戦ったこの場所には今、夏草が生い茂っており、昔のことは夢のようにはかなく消え去ってしまったことだよ

真っ白い卯の花を見ていると、あの兼房の白髪が思いうかぶことだよ 曾良

  
中尊寺金色堂覆堂(国宝の金色堂は覆堂内にある)Wikipedia

かねてからその評判を聞いていた二堂が開かれていた。経堂には三人(藤原清衡、基衡、秀衡)の像が残っており、光堂にはその三人の棺が納められ、そして阿弥陀三尊像が置かれている。光堂をかざっていた宝はなくなり、珠宝で飾られた扉は風雨でいたみ、金の柱は霜・雪によって朽ち果て、もう少しで廃墟と化してしまうはずだったところを、(後世の人たちが)四方を新しく囲んで、屋根をつけて雨風を防ぐようにしてある。(新しい壁と屋根が朽ちるまで)またしばらくの間は、昔を思う記念となっているのである。

あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いている。あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように。

 


Q&A

Q1:「三代の栄耀」とは、何氏の栄耀のことを指すか。
A:
平安時代に栄えた、奥州藤原氏

Q2:「栄耀」の読み仮名を歴史的仮名遣いで答えよ。
A:
「ええう」

Q3:「一睡の中にして」とはどのような意味か答えよ。
A:
夢のようにはかない

Q4:「大河」とは何を指すか、本文中より抜き出せ。 A:北上川

Q5:「功名」とは、誰の功名か。 A:源義経
平泉は、源平合戦で名をあげた源義経が源頼朝に追われて逃げてきた土地であることを覚えておこう。

Q6:「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」とは、誰の何という詩を意識しているか。
A:中国の詩人「杜甫」の「春望」という詩

Q7:「かねて耳驚かしたる」とはどういう意味か。
A:
かねてより、その評判の高さを耳にしていた

Q8:「卯の花に兼房見ゆる白髪かな」を現代語訳せよ。
A:真っ白い卯の花を見ていると、あの兼房の白髪を思い出す




初 恋 島崎藤村
  まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへ(え)しは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ(い)初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に
おのづ(ず)からなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひ(い)たまふ(う)こそこひ(い)しけれ
まだあげたばかりの きみの前髪が
林檎の木の下に見えたとき
前髪にさした花櫛の花のように
きみのことが本当に美しいと思った。

きみは、やさしく白い手をのばし
ぼくに林檎をくれた。
それは、薄紅の秋の実のりんご。
ぼくは、初めて恋心を抱きました。

ぼくの思わずもらしたため息で
きみの髪の毛が揺れたとき
ぼくは恋の盃をきみと酌み交わしていると
思えました。

林檎畑の樹の下にあるのは
ぼくたちがここに通って歩き踏み固めた細い道。
「いったい誰が、道ができるほど踏み固めたのでしょうね」と尋ねるあなたの、そんなところがまた愛しくてなりません。

 古今著聞集より <原文>

 博雅三位の家に、盗人入りたりけり。三位、板敷きの下に逃げかくれにけり。盗人帰り、さて後、はひ出でて家中を見るに、残りたる物なく、みなとりてけり。

ひちりき一つを、置物厨子に残したりけるを、三位とりて吹かれたりけるを、出でて去りぬ盗人はるかにこれを聞きて、感情おさへがたくして、帰りたりていふやう、ただ今の御ひちりきの音をうけたまはるに、あはれに尊くさうらひて、悪心みな改まりぬ。とるところの物どもことごとくに返したてまつるべしといひて、みな置きて出でにけり。昔の盗人は、また、かく優なる心もありけり。

 

博雅三位の家に、泥棒が入った(ことがあった。)

三位は、板の間の下に逃げ(込んで)隠れていた。

泥棒が帰り、その後、(床下から)はい出て家の中を見ると、残っているものはなく、(泥棒が)みな取ってしまっていた。

ひちりき一つだけを置物用の棚に残してあったのを、(博雅三位が手に)とって吹いていらっしゃると、出て行ってしまった泥棒が、遠くでこれ(=博雅三位が吹いているひちりきの音)を聞いて、感情が抑えられなくなって、(博雅三位の家まで)もどってきて言うには、

「ただ今の(あなたがお吹きになった)御ひちりきの音をお聞きすると、しみじみと(した気持ちになり、)尊く感じて、(私の)悪心がきれいさっぱりなくなりました。盗んだ品物はみんなお返し申しましよう。」

と言って、みな(盗んだものを)置いて出ていった。

昔の泥棒は、また、このように優美な心もあったのである.  


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