中2 国語  (三省堂 現在の国語から)          戻る

目次
 短歌の世界/短歌10首 p52

 枕草子・徒然草 p96

 平家物語 p108

走れメロス


 小さな手袋上(音読) http://kuge.town-web.net/201313Nihongo/130218.mp3

 小さな手袋下(音読)  http://kuge.town-web.net/201313Nihongo/130225.mp3

  小さな手袋 内海隆一郎作

わたしの家から歩いて十五分ほどの所に、武蔵野のおもかげを残した雑木林がある。
小学校のグラウンドを三つ合わせたぐらいの面積に、くぬぎ、とち、ならしい、といった木々が繁茂している。
畑や新興住宅地の背後に望む樹林の外観は、いかにもうっそうとして、人を寄せっけないように見える。
しかし、近寄ってみると、木立は意外にまばらなことがわかる。
木々の間をぬって、子供が二人並んで歩けるほどの小道が林の奧へっながっている。
そこだけが、雑草にむしばまれることもなく、土肌を見せている。
林の中に入って行くと、周りの木々は思いがけなく優美で、
太い幹でも子供の腕でひと抱えほど、細いものは子供の手首ほどしかない。
それぞれが、天へ向かってまっすぐに伸び上がったり、放射状に伸び分かれたり、
くねくねとはじらうような曲線を見せたりしている。
辺り一面に、木の葉や雑草のにおいが立ちこめている。そのにおいは、季節によって微妙に変化するようだ。
六年前の秋、この雑木林で、わたしの次女が年老いた妖精に出会った。その時、シホは小学三年生だった。
「ほんとよ。ぜったい、いたんだからあ。」
十月半ばの午後、近所の友達が飼い犬の運動に行くのにつきあって、シホは林へ行ったのだそうだ。
林の中で鎖を放したら、犬は深く積んだ落ち葉をけ散らして突っ走って行ったきり戻って来ない。
友達と二手に分かれて、犬の名を呼びながら、林の中を探し回った。
すると、いきなりシホの眼前に、その妖精が現れたのだそうだ。
一本の木が地面のすぐ上から曲がって、地をはうように伸びている
ーーその幹に、小柄なおばあさんが、ちょこんと腰掛けていた。
焦げ茶色の大きなショールに包まれて、ひざの上には太い編み棒と毛系の入った手提げかごがあった。
髪は真っ白、小さな顔も真っ白で、子供のようなくりくりした黒いひとみがじっと娘を見つめていた。
その体があまりに小さいので、長めのスカートからのぞいている黒靴のつま先が地面から高く離れていたそうだ。
シホは立ちすくんだ。意外な所におばあさんがいたのだから、それだけでも驚くのはあたりまえである。
ところが、おばあさんの様子を観察しているうちに、シホは震え上がってしまった。
つい最近読んだ童話の本を思い出したからであるその本には、
魔法を使って人間を石や木に変えてしまう意地わるな妖精が出て来たのだ。
それが、目の前のおばあさんとそっくりだった。
ーーいけない。このおばあさんは、きっと妖精だわ。目を見合わせていると、魔法をかけられちゃう。
とっさに、シホは伏し目になり、足下だけを見るようにして、そろそろと後ずさった。
「それは、よかった。実に適切な判断だった。非常に沈着な行動だったぞ。」
と、わたしは娘に言った。
「おばあさんが妖精だったら、おまえは雑木林のくぬぎの木されていたかもしれないんだからな。」
小学三年生の娘は、父親のまじめな反応に大いに満足したようだった。
しかし、そばにいた妻は、笑いを含んだ目っきで、娘とわたしを見比べていた。
娘の話を聞いていた夕食前のテーブルで、
その日もわたしは少し早めの晩酌を、すでに定量以上に過ごしていたからである。

数日後、シホは妖精のおばあさんから毛系で作った親指大の人形をもらってきた。
「いやだあ、妖精なんかじゃ、なかったょ。結木林のそばの病院にいるおばあちゃんだった。
どうもおかしいと思ったんだ、あたし。」
小学三年生の幼い頭でも、童話に出てくる妖精が近所の雑木林にいるわけはない、と気づいたわけだ。
シホは、真偽を確かめに、一人で林へ出かけたのである。
妖精のおばあさんは、いっかと同じ木の幹に腰掛けて、たくさんの小さな毛系人形をこしらえていたそうである。
「その人形は、あの林に入りこんだ子供たちかもしれないぞ。
魔法で毛系人形にされたんだぞ、きっと。ゆだんするな。」
わたしが言うと、娘は、けらけらと笑った。彼女の頭からは、
すでに意地わるな妖精のイメージは消えていたようである。

その病院というのは、キリスト教会が経営している小さな病院である。
建物は木造の平屋が三棟。一棟が診療所で、二棟は入院病棟となっている。
看板に〔内科・小児科・小外科〕とある。外科に〔小〕がっいているのは、
大けがの手当てや手術はいたしません、ということなのだろう。
そして、〔脳卒中リハビリテーション専門〕と末尾に記されている。
入院患者のほとんどはリハビリテーション専門の老人たちである。
お年寄りの共同住宅といった趣を見せている入院病棟は、雑木林に隣接している。
というよりは、建物が雑木林の中に入りこんでいる、といったほうがよい。
シホの出会った妖精のおばあさんは、この病棟の入院患者だった。
しかも、すでに一年以上も滞留しているらしい。
脳率中のために、右手と右足が不自由になっているという。
いつも編んでいる毛糸人形は、リハビリテーションの一種なのだろうか。
とにかく、一個完成するまでには、普通の五倍も時間がかかるのだそうだ。
ーーといった話を、シホは毎日のようにわたしに報告した。
シホは、おばあさんに会いに、雑木林へ日参するようになっていたのである。
帰宅したシホの髪の毛から、雑木林の枯れ葉の甘いにおいが標っていた。

十一月に入って、空気が冷たくなっても、シホは雑木林へ行くのをやめなかった。
学校から帰るとすぐに自転車を駆って出かけた。
「だってえ、あたしが行かないと、おばあちゃんは泣きたくなるんだそうだもの。
いっも、あしたも来てね、ってゲンマンするんだよ。」
「こんなに肌寒くなっても、おばあさんは雑木林に来てるのかい。体によくないはずなんだがなあ。」
「ううん。雑木林の中は暖かいんだよ。
それに、あたしがおばあちやんのショールの中にいっしょに入ってると、とっても暖かいんだって。
ショールの中でお話をしながら、おばあちゃんは人形を編んでいるんだよ。」
「どんなお話をするんだい。」」
「そう、ねえ。あたしが学校で習ったこと。
……それから.大連っていう遠い町のこと。ずうっと前、おばあちゃんは、そこに住んでいたんだって。
……それからねえ、二人でおやっを食べるの。」
紙に包んだ二人分のおやっを、時おり妻が持たせてやっていた。
お菓子の本や家庭医学の本と首っびきで、
高血圧の人に影響のなさそうな菓子を、妻は真剣になって作った。
実は、そのころ、妻の父も脳卒中で倒れていたのである。
東北に住む病父が、まもなく訪れる厳寒の冬を無事に乗り切れるかどうか、大いに危ぶまれていた。
「おばあちゃんがねえ、こんなにおいしいお菓子を作ってくれるお母さんに、ぜひお会いしたいねえって。
足が治ったら、きっとお礼にうかがいますって……。」
「そうねえ。そのうちお母さんがごあいさつに行かなくちやね。
シホちやんがとてもかわいがっていただいてるんだしねえ。」
と、妻は遠くを見る目をして言った。
十一月中旬妻の父力二度目の、成卒中の発作を起こした
妻は、とりあえず単身、父親の病床へ駆けっけた。
わたしと娘は、妻からの知らせを待つことになった。
いっでも、すぐに駆けつけることができるように準備していた。
その間、シホは遠慮がちに雑木林へ出かけた。そして、短い時間で帰って来た。
おばあさんからも「おだいじに。」という伝言をもらってきた。
やがて、わたしたちが列車に乗らなければならない日がやってきた。
シホにとっては、初めて体験する身内の不幸であった。
幼い時から親しんだ祖父との別れは、小さな胸にも深い傷を刻んだようだ。
いっもは活発な笑い声を立てている子が、大人のような暗い顔をしているのは痛々しかった。
別れのための儀式がとり行われている間じゅう、娘はうつむき続けた。
娘の中で、何かが変化したのを、わたしは目撃したように思った。
実は祖父の死というものが、これほどの衝撃を九歳の子供にあたえるとは、
わたしは予想もしなかったのである。
シホの変化は、そのまま雑木林のおばあさんとの交際にもっながった。
東北から帰って来てから、シホはまるでおばあさんのことを忘れたように雑木林から遠のいた。
それがきわめて自然だったので、わたしも妻も顔を見合わせただけでひと言もふれなかった。
おばあさんがシホを心待ちにしているだろうことは察せられた。
しかし、わたしたちにはその時の娘の心に立ち入ることはどうしてもできなかった。
もしかしたら、シホは.おばあさんのことをほんとうに忘れてしまったのかもしれない。
そのような自然さだった。


およそ二年半後の春
ーー六年生になったばかリのシホが雑木林のおばあさんのことを思い出したのは、
ほんのちょっとしたきっかけからだった。
その日は祝祭日だった。どころが、せっかくのお休みなのに、
シホは前夜から風邪で発熱していた。行きっけの病院もお休みである。
そこで、わたしはシホを自転車の荷台に乗せて雑木林のそばの病院へ行くことにした。
それまでは一度も通院したことはない。
ただ、こうした日にもちやんと診療してくれると聞いていたのである。
看護婦さんは、すべて修道女であった。
優しい笑顔を浮かべて、てきばきと注射を打ち、ルゴールを塗ってくれた。
薬の出るのを待っていると、シホが、そうだ、と言った。
「やっばり聞いてみようっと。」
シホは、べンチから立ち上がって、気軽そうに受付の小窓をのぞきこんだ。
「あのう。ここに入院していた患者さんで、いつも毛糸人形を編んでいたおばあちゃんですけど、
今どうしているかご存じありませんか。白い髪の小さなおばあちゃんですけど。」
受付の若い修道女は、小窓の向こうから娘とわたしの顔を見比べてから、しばらく視線を宙に泳がせた。
「今は、そのようなかたはいませんねえ。いつごろ入院していらしたんですか。」
「二年半ぐらい前ですけど……。」
「それじゃあ、わたしがここに来る前です'ね。ちょっと待ってください。」
若い修道女は、受付の部屋から出て来て、すぐに隣の薬剤室へ入って行った。
すると、ほとんど間髪を入れず、という感じで、その薬剤室から中年の修道女が飛び出して来た。
右手にシホのものらしいカルテを持っている。
「あなたがシホちやんなのね。やっぱりいたのね。ほんとだったのね。」
修道女は、低い声で、興奮をおさえるようにして、言った。
「探したのよ。宮下さんに頼まれてねえ。」
修道女の話によると、シホが会いに来なくなってから一か月ほど、
おばあさんは毎日のように雑木林に行って待っていたのだそうだ。
そのうちに十二月の半ばが過ぎて、寒気が厳しくなったので、
病院では外出を許さないようにした。
今にきっと、シホちやんは病院のほうに来てくれるわよ、と
修道女たちはおばあさんをなだめるばかりだった、という。
クリスマスの近づいたある日。おばあさんは修道女に泣いて頼んだそうだ。
ーーシホちやんに渡したいものがあるから、どうしても探してほしい。
これを渡すだけでいいのだから、見っけて連れて来てください。
「宮下さんは、よほどシホちやんが好きだったのね。
わたしたちは手分けして、この辺り一帯を探しました。
でも、このカルテのご住所を見ると、探した範囲からはだいぶ離れているようねえ。」
修道女はため息をついて、小さく笑った。そして、ちょっと待ってね、と言いおいて薬剤室へ入って行った。
しばらくしてから、彼女は茶色の袋を持って現れた。
「これ、その時の宮下さんからシホちやんへのクリスマスプレセントなのよ。
あのあと、わたしが預かっていました。」
二年以上も、とつぶやきながら、シホは袋を開けてみた。
手袋だった。赤と緑の毛系で編んだミトンのかわいい手袋だった。
「それはね、宮下さんがシホちゃんにないしょで、毎晩少しずつ編んだものなのよ。
あの不自由な手で、一か月半もかかって……。」
手袋は、それほど長い日数をかけたにしては、あまりに小さかった。
普通の五倍も時間がかかるという苦しい思いをして、ようやく編み上げた手袋だった。
シホは、小さな手袋を両手に包み、顔を強く押しっけた。かすかなおえつがもれ出た。
「それで、」とわたしが代わりに聞いた。「宮下さんは、今どうなさっていますか。」
「はい、お元気ですよ。まだ、この病院に入院していらっしゃいます。」
シホが顔を上げた。涙でぬれた目が輝いた。
「会いたい。会ってもいいですか。」
シホは、すぐさま走り出そうというけはいを見せた。それを修道が静かに押しとどめた。
「会ってもしかたありません。もうシホちゃんがだれなのか、わからないんですよ。
この一年ほどで、急にぼけが激しくなりまして.ね。……しきりに大連のことばかり話しています。
周りの人を、みんな大連に住んでいた時の近所の人だと思いこんでね。
ご本人は大連にいるんだって思っているんでしょうね。」
「大連に……。」 . 「そう。宮下さんは、もう大連へ帰ってしまったんですよ。昔の大連にね。」
病院を辞去したあと、自転車の荷台からシホが、雑木林へ寄って行きたい、と言った。
熱のあるのが心配だったが、わたしはうなずいて、自転車を雑木林の入り口のほうへ向けた。





 短歌十首

  くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる(正岡子規) 

   春雨にけぶる庭の様子をとても写生的に詠んだ歌です。
   「やはらかに」と言う言葉は、ばらのまだ若いトゲにも、そぼ降る春雨にかかる言葉です。

      http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/s_D1_05.html


  
  その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子)

   その娘はいま、まさに二十歳。髪を櫛で梳かせば流れるように揺らぐ艶やかな黒髪、誇りに満ちた青春の、なんと美しいことでしょう

   「その子」とは作者自身だろうといわれています。


  みちのくの 母のいのちをひと目見ん ひと目見んとぞ ただにいそげる(斎藤茂吉)
   「東北にいる母のいのちのあるうちに、一目でも会いたい、一目でも会いたいという一心で、ただひたすら、故郷へ急いでいる。
   山形県で生まれた斎藤茂吉は、東京の医師の家に養子として入り、医業のかたわら短歌も詠んだ人です。

  
草わかば 色鉛筆の 赤き()の ちるがいとしく 寝て削るなり(北原白秋)

   もえぎ色の草わかばの上に、色鉛筆の赤い粉が散っていく。その様がいとおしく感傷的になり、
   草原に
寝転がって削っていく。
   若草のみずみずしい緑と色鉛筆の鮮やかな赤の配色が対照的です。

 白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあ()にも 染まずただよ() (若山牧水)

   白鳥は哀しくないのでしょうか。 空の青い色にも海の青い色にも染まらず漂っている。
   白鳥の白と青の対照が鮮烈なうたです。

 不来方(こずかた)の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心 (石川啄木)
   不来方城:盛岡城(岩手県)
   盛岡城の草の上に寝ころび、心が空に吸い込まれそうに思った15の心よ。
   初恋の人を空に浮かべた15歳のころのことを、懐かしんでいるのでしょうか。

 列車にて 遠く見ている 向日葵は 少年のふる 帽子のごとし (寺山修司)

   電車の中から、遠く離れたところに咲いている向日葵が風に揺れているのを見ると、少年がふる帽子のようだ。

 メモ  先生は、遠く見ているのは、「向日葵」だと考えます。これは、『列車にて』で二つに切れると考えます。
    話者が列車に乗っていた。すると少年が帽子を自分に振ってくれているように見えた。
    しかし、それは、遠くを見ながら揺れる向日葵だったんだよという歌だと考えます。

    Bさんが言ったように、もし遠くを見ているのが、話者だったなら、「遠くに見える向日葵」と書くはずだと考えたからです。
     では、向日葵が遠くを見ていた先には何があると思いますか。・・・・・・そうです。太陽です。
    向日葵は、太陽の方を見ていたと思います。
     この歌の作者は寺山修司という人で、劇を書いたり小説を書いたり、短歌を作ったりしています。
   この歌が発表されるちょっと前まで、ネフローゼという重い病気にかかって入院していました。
   夏に退院し、一度生まれ故郷の青森まで帰っています。その頃の歌だと考えられます。
 −国語科学習指導案よりー

 シャボンまみれの 猫が逃げだす (ひる)下がり 永遠なんて どこにも無いさ(穂村弘)

 細胞のなかに 奇妙な構造の あらわれにけり 夜の顕微鏡


枕草子・徒然草

 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。
雨など降るも、をかし。

秋は夕暮れ。
夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。
まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[現代語訳]

春はなんといってもほのぼのと夜が明けるとき。
だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子。

だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い。

夏は夜。
月が出ていればもちろん、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。
また、ほんの一つ二つ、ほのかに光っていくのも良い。
雨の降るのもまた良い。

秋は夕暮れ。
夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐらへ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。
まして、カリなどで列を連ねて渡っていくのが遥か遠くに小さく見えるのは面白い。
すっかり日が落ちてしまって、風の音、虫の音などが様々に奏でるのは、もう言葉に尽くせない。

冬は早朝。
雪が降り積もっているのはもちろん、霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、はりつめたように寒い朝、火などを大急ぎでおこして炭火を部屋から部屋へ運んでまわるのも、いかにも冬の朝らしい。
昼になってだんだん寒さが緩むと火鉢の炭火も白く灰をかぶってしまって間の抜けた感じだ。

 うつくしきもの。
瓜に書きたる児の顏。雀の子の、鼠なきするに、をどりくる。
二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。
頭は尼そぎなる児の、目に髮のおほへるを、かきはやらで、うち傾きて、物など見たるも、うつくし。


 かわいらしいもの。
 ウリに描いた子どもの顔。スズメの子がチュッチュッというと跳ねて来る。
 二つか三つの幼児が、急いで這ってくる途中に、ほんの小さなごみがあったのをめざとく見つけて、ふっくらと小さな指でつまんで、大人などに見せているしぐさ。

 おかっぱ頭の子どもが、目に前髪がかかるのをかき上げないで、ちょっと頭をかしげてものを見たりしているしぐさ。

徒然草
 

 つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。  (序段)

  やることもないままに、一日中硯(すずり)に向かって、心に浮かんでくるいろいろなことを、ただ(とりとめもなく)書いていると、妙に気分が高ぶってくる。
このように、兼好はつれづれなるままに、恋愛、人生、友人、仏教、自然などについて、ユーモアや皮肉を交えながら綴っています。

 仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石清水(いはしみづ)を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひたちて、ただ一人、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺(ごくらくじ)・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、@かたへの人にあひて、年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、A尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ずとぞ言ひける。
少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしきことなり。

 問
(1)下線部@かたへの人にあひて、を現代かなづかいに直しなさい。
(2)下線部A尊くこそおはしけれ は、「こそ」があることによって文末の語の「けり」が「けれ」と変化している。このように、上にくる助詞によって文末の語の活用形が変化することを何というか。(3)仁和寺の法師の言った言葉はどこからどこまでか。最初と最後のそれぞれ三字を抜き出して答えよ。
(4)この作品に含まれているおもしろさは、仁和寺の法師のどのような言動によって表されているか。最も適当なものを、次のア〜エの中から一つ選び、記号で答えよ。
  ア 石清水へ案内者と出かけたので、無事に拝めて満足そうに語っていること。
  イ 石清水参拝の念願がかなったものと思い込み、得意そうに話していること。
  ウ 極楽寺と高良などを拝んだだけと分かって、懸命に言い訳をしていること。
  エ 石清水までが遠かったため、一人、徒歩で出かけたのを悔やんでいること。




(1)かたえの人にあいて  「へ」→「え」、「ひ」→「い」。
(2)係り結び  「こそ」には已然形の「けれ」で結ぶ。
(3)年ごろ〜は見ず  終りは「とぞいいひける」に着眼。
(4)  本来拝むべき「石清水八幡宮」は、「極楽寺・高良社」の上にある

 ある人、弓射ることを習ふに、もろ矢をたばさみて的に向かふ。
師の言はく、
「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度(*)ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。
この戒め、万事にわたるべし。


道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。
なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。


平家物語

作者:不明 語り継いだ人:琵琶法師 成立:鎌倉時代 ジャンル:軍記物語

祇園精舎(ぎ(お)んしやう(よう)じや)の鐘の声、

諸行無常(しよぎやう(よう)むじやう(よう)の響きあり。


沙羅双樹(しやらさう(そう)じゆ)の花の色、

盛者必衰(じやう(よう)しやひつすい)の理(ことわり)をあら(わ)す。

おごれる人も久しからず、

ただ春の夜(よ)の夢のごとし。

たけき者もつ(い)には滅び(ほろび)ぬ、

ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。

一の谷の戦いで源氏に敗れた平氏は、船にのって海へと逃げていきます。そんな中、この章の主人公である
熊谷次郎直実
(くまがえのじろうなおざね)は、平家の中でも身分の高い人たちが逃げる船を求めて海岸であわてているのを見て、
「平氏の身分の高い武将でも討ち取って手柄をあげたいなぁ」と考えていました。
直実が馬を走らせていると、立派な馬にのって、いかにも武将らしいかっこうをした人が、沖の船を目指して馬を泳がせているのを見つけました。

 直実:「あなた様は立派な武将とお見受けします。敵に背中を向けてまで逃げるのはみっともなくはないでしょうか?
引き返してきてください。」と直実が声をかけると、その武者は正々堂々とこれに応えて引き返してきました。
陸にあがった瞬間に、直実はその武者をとりおさえ、首を切ろうとしましたが、よく見るとまだ16,17歳ぐらいの若者でした。
薄く化粧をして、お歯黒をしてい
ます。直実は、自分の息子と同い年ぐらいであろう、この大変顔立ちのよい若者を見て、
どこに刀を刺せばよいのか戸惑ってしまいました。直実はつい
「あなた様はどのような身分のお方ですか?お名のりください。お助けします。」 と言ってしまいました。
これを聞いていた若武者は「お前は何者だ!?」とものすごい上から目線で聞き返してきました。

直実:「名乗るほどの者ではございませんが、武蔵の国の熊谷次郎直実にございます。」

と直実は答えます。

若武者:「それではお前には私の名をなのるまい。ただ、討ち取るにはいい相手だ。私の首をとって人に尋ねてみるがよい。みな知っているだろうから。」

と若武者は言います。直実は心の中で、

 直実:(この人は見事な大将軍だ。この人を一人討ち取ったところで負け戦が勝ち戦になるわけでもないし、ましてや勝ち戦が負け戦になるようなこともないだろう。息子の小次郎がちょっとけがをしただけでも私の心は苦しいのに、この若者が討たれたと聞いたら、この子の父親はどれだけ嘆き悲しむことだろうか。助けてさしあげたい。)

と思って後ろを振り返ったところ、土肥実平や梶原景時ら見方の軍勢が、50騎ほどつめよってきています。直実は涙をこらえて言いました。


直実:「お助けしたい気持ちはありますが、味方の軍勢が加勢にきてますので、私があなた様をここで逃がしたとしても、きっとあなた様は逃げ切ることはできないでしょう。他の者に討ち取られるぐらいなら、この直実が討ち取って後の供養をさせていただきます。」と。

若武者は
「さっさと討ち取れ!」と気丈に言い放ちます。
直実はあまりにもかわいそうに思い、どこに刀を刺すばよいのかもわからず、前後ろもわからないぐらい気が動転していましたが、そうとも言っていられないので、泣く泣くこの若武者の首を切りました。
直実は、「弓矢を見につけて戦う者の定めほど、悔やまれるものはない。武士の家に生まれなければ、このような思いをせずにすんだものを。」と嘆き、そでに顔をあてて泣き続けました。
ふと直実は、若武者が身に着けていた袋の中から、一本の笛を見つけました。戦いの中でも笛を見につけているという若武者の気品の高さに、戦いの最中にいた武士たちは心を打たれました。
 のちに、この若武者が、平清盛の弟である平経盛の息子、平敦盛(17歳)であったことを知った直実は、さらに出家して彼の供養をしてあげたいという気持ちが強まるのでした。

走れメロス  【朗読】走れメロス(太宰治)
 



   


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