《日本初の山岳鉄道》
鉱山専用鉄道として、ドイツ・グラウス社より購入した蒸気機関車です。別子銅山記念館に保存されています。
夏目漱石が乗った 坊ちゃん列車と同型のものです。
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《別子銅山概要》== あかがね文化の歴史!
人跡未踏の銅山峰南斜面で、元禄3年(1690年)露頭が発見され、翌年住友により採掘が開始されたのが始まりです。
海抜1.145mの地帯から斜めに深く、長く掘られた大斜坑は非常に珍しく銅鉱脈は世界でも類のない大鉱床でした。 元禄時代幕府の長崎貿易の代金支払いが銀から銅に代わり、銅が最大の輸出品になると、幕府は銅山開発に力を注ぎ始めた。
別子銅山も開抗からわずか8年の元禄11年に年間産銅量1.500トン以上を記録するなど、当時世界最高の産銅量を誇る銅山でした。
その後、明治26年には日本初の山岳鉄道を導入、産銅量は一挙に5.000トンに達し、別子の山中には12.000人もの鉱山関係者が住んだと言われています。
坑道の総延長約700km、採鉱場所が海面下1.000mに達し、浸透水と地圧による坑道崩壊の危険などにより、昭和48年最後の筏津坑の閉鎖により栄光の歴史に幕を閉じました。
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