名前について
この名字は全国的には珍しいようで,郵便や電子メールでは"小幡"と間違われることが多いです。(名刺を渡している場合でも)また、電話で名前をいうと「"くわた"さんですね。」とよく言われます。読み方では"きはた","こばた"と読む方が多いようです。
相馬地域では"木幡"という名字は珍しいわけではなく、学校でもクラスに数人は必ずいますので学生時代は鈴木・佐藤と同様に全国的にポピュラーな名前なのだと思っていました。最近はやっと"FEP(MS-IME,ATOK)"でも標準変換されるようになったのはアプリケーションのユーザ登録、MSNやJustNetに加入したからなのかな。同じ漢字で"こわた"の他に"こはた","きばた"と読むお宅があります。ですから私の名刺は"ふりがな"入りなのです。まぁおかげで覚えてもらい易いということもありますから悪いことばかりじゃ無いですね。(^_^;
そう言えばフジテレビに"こばた"という女性アナウンサーがいましたね。出身はこの辺なのでしょうか。 |
生年月日について
Niagara-MLのメンバーである徳永さんと生年月日が一緒というのはナイアガラ流にいくと"なにか"あるのでしょうね。他にNiagara-MLの音羽さん、伊能さんという強力なナイアガラー達が同級生です。中学校の時に出会った"元祖ロンバケ"「A LONG VACATION」がきっかけであるという共通点があるようで、これ以降すっかり滝壺にはまり"ナイアガラ道"を歩み続けなければならない運命を授かった年代なのです。(;_;)
参考までに有名人ではユーミン(松任谷由美)が同じ誕生日です。 |
資格について
趣味とも関係しているのですが、電気回路が好きなので手に職をつけようかと思い10代後半にいくつかの資格を取りました。家庭用電子機器修理技術者は文字通り冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の比較的電子回路が無いものを除いた電気製品の修理をするための技術認定試験です。この資格は他の資格と違い5年毎に更新の為の試験があり新しい技術、製品の資料が送られてきますのでTV,Audio,Video関係の情報を得ることができます。前記した電気製品は家庭用電気機器修理技術者という資格で対応となっています。昔はテレビ修理技術者という資格が発展、分離したようです。時間がとれたら受験してみたいと思っていますが、現在メーカーでさえ修理するより交換(買い換え)を薦める時代ですから実際にはあまり役に立たない資格だと思います。それより電話関係の工事ができるデジタル工事担当者、アナログ工事担当者の資格の方が実用性があるでしょう。
アマチュア無線はあくまでも趣味の通信なのですが低周波−高周波回路、アナログーデジタル回路と電気回路として全て網羅されるような気がしたので取得しました。「だったら1級取れ!」と言われるでしょうが、和文のモールスが覚えられなかったのです。(;_;)
2級だと欧文モールス45文字/分ですが、1級だと欧文モールス60文字/分に加えて和文モールス50文字/分なんですよ。試しに1分間にどれぐらいの文字が書けるか試してみてください。わかるでしょ!自衛隊経験者に聞いた話では通信班は朝の朝礼もモールスだとか...しまいにゃ"夢もモールス"になるとか。そんな生活耐えれません!ま、高校2年の時に電話級(今の4級)を取得していましたので高校時代はアマチュア無線部に所属し、国内、国外の知らない方々との通信(QSOという)をしたり、学校から帰ると友達とバカな話を夜中までするという毎日でした。(あっ、そうそう、不要な電波は出しちゃいけないって電波法にあったな。郵政省の方ゴメンなさい。)
高校が県立小高工業高等学校:電子科(同校出身者の方のメールも歓迎いたします)だったので授業の一環として受験したものもで電気工事士というものもありました。これは最近、後輩の電気工事店から材料を購入して自分の部屋の配線工事をすることが出来たので役立ちました。線材を1ランク上にしたり、引き回しをイモズル式で無く、ポイントtoポイントの配線にしたり電気工事業者に頼んでもいい顔しないようなことでも自分でやれば安く上がりますからね。電気が無いと何も出来ない時代ですからこの辺の基礎的なところがしっかりしていないと"良い音"も出せなくなってしまいます。でもボイラーや溶接の資格は未だに役立ったことないな〜
2004年いっぱいで退職し実家に戻りましたので2005年の4月にリハビリを兼ねて1級アマチュア無線技士を取得しました。いつの間にか和文モールスが無くなっていましたが60文字/分は書くのが大変、学科の勉強よりアルファベットの書取練習が殆どだったような...
7月にIT関係の会社に再就職したので10月に初級アドミニストレータを取得しました。合格発表があってからすぐにこの会社は辞めましたケド。 |
趣味について
前途したように高校時代はHAMがメインだったのですが、最近は時間があると音楽鑑賞をしていることが多いです。当然"ナイアガラ関係"が多いのは当然なのですが、発展系としてPHIL SPECTOR関連の作品を集め始めました。60'sアメリカンPOP'Sの中でも音楽的、音響的に優れた作品を次々と発表していったということは未だに彼のファンが多いという理由だと思います。私の家頁が日本語のみなのにもかかわらず"外国の方"から問い合わせのメールが届くこともその証拠でしょう。ただし、私の住んでいる田舎ではマイナーレーベルからの発売作品の入手が非常に困難であるということが残念なところです。話を戻しますが、ナイアガラ関連のレコード,CD等を収集しているのですが、現在既に廃盤になっているものが殆どであるということと、中古レコード業界では"ナイアガラ"というジャンルがあるぐらいなので大変高価に取り引きされています。(;_;)
私もプロモ盤を何枚か入手しましたが、安月給のサラリーマンには大変高額なものでした。数年前から貴重な音源にレアな作品がボーナストラックとして入って\1,500(税別)という超お買い得なCDが発売されています。シリア・ポール嬢の「夢で逢えたら」なんかナイアガラーにとって"涙もの"だったのです。(^_^)v
ナイアガラーの中では禁句となっていますが、あえて言わせてください「大滝さん、出してください!」、レアな音源や貴重なライナー・ノーツ付きの再発も楽しみに待ってます! (^_^;
Audioの環境は自慢できるほどの機器は無いのですが、「A面で恋をして」のエンドレスVer.再生のためマニュアル・アナログプレーヤ(Technics SL-1200Ltd)を購入しました。詳細はここを参照してください。MDR-CD900STというCBSソニー信濃町仕様のヘッドフォンを購入しました。これで素人には十分な環境が整いました。結構な出費となりましたがこれでそれなりの音が出せる環境が出来ました。後は耳を鍛えればいいんですがね。(^_^;;(1999.02.04追記)
パソコンは初めて購入したのがSHARP MZ-2000(Z80 4MHz,RAM 64Kbyte)というものでした。これでもその当時は高級機種で8bitのメモリ空間をフルに利用出来たのです。現在キャッシュメモリ512Kbyteがふつうの時代なんて想像もつかなかったですね。これよりちょっと前にTK-80というボードコンピュータがありまして、これは表示は7セグメントLED,キーボードは16進キー位しかないものでした。当然マシン語しか使えません。そんな時代からNECからPC-8001,富士通からFM8,SHARPからMZ-80と現在と同じ様なPCが発売されたのでした(記憶は定かではない)。富士通、SHARPは一部機種を除きDOS/V路線へNECですらDOS/Vへの移行のチャンスを狙っているのですから10年一昔と言いますが激動の時代でしたね。Appleはどうかって?AppleUは高値の花でしたね。だからという訳でもないのですがMACはパソコン店でマウスいじったことあるぐらいです。という時代背景でMZ-2000というパソコン(その当時マイコンと呼ばれていた)を購入したのが高校1年だったので、家にいるときは寝る間も惜しんでプログラミング(BASIC)やってました。今と違って専門誌にプログラムLISTが載ってましたんで打ち込みやらオリジナルプログラムやらホント勉強する暇なんて無かったな〜
(^_^; 次に購入したのがPC-98互換機のEPSON PC-286(i80286 10MHz,640Kbyte)この当時はまだHDDが高価なもので20MBで数十万円もしました。アプリケーションも軽く一太郎でさえFDDだけで動いていたんですヨ。このマシンでやっとMS-DOSと巡り会ったりHDDやEMSメモリを自分で追加したりしてしばらく使っていたのですがWindows3.0,Windows3.1とOS、アプリ共に重くなる一方なのでついに自作DOS/Vマシンを購入しました。自作DOS/Vマシンはパーツ毎にグレードアップすることが出来ますのでハードが好きな人にはお薦めです。インターネットへのアクセスはFlet'sADSL24Mbpsで地元プロバイダへ接続しています。実際には下り4Mbps,上り1Mbpsとなっています。早く光回線に移行したいものです。自宅にもLinuxマシンを立ち上げて"お宅LAN"構築しています。
田舎じゃ電車で通勤してる人なんて皆無ですから会社行くのも車です。私の場合片道約15Km、時間にして20分程度ですのでCDやテープを聴きながらのドライブです。休日も気軽に海岸線を渋滞無しで快適ドライブ。これは田舎に住んでいてよかったと思います。現在の車は AE92 LEVIN 走行距離は10万Kmを軽く越えてしまいましたが、調子は上々まだまだ走りますョ。そう言えば初期型HONDA NSR-250Rは最近乗ってないですね。発売と同時に購入したのでガソリンスタンドに行けばよく話しかけられたものでした。(^_^)v しかし、もうレプリカ(レーサー)って年でも無いだろうね。
見るからにスポーツ音痴の私は昔から殆どスポーツは得意では無かったのですが、マラドーナにあこがれて(?)中学時代にサッカーを少しカジリました。そして寒い冬はコタツで丸くなっていればいいのに、更に寒いところへ出かけてスキーなどするわけです。東北だと言うと小さい頃からスキーをしていると思われるでしょうが、太平洋に面した温暖な気候のため殆ど雪が積もらないところなので、始めたのが21の時でした。「私をスキーに連れてって」に影響された単なるミーハーかな。最近は年のせいか出かける数も減り、泊まりがけの場合は、それなりに滑れますので初心者の相手をしながら流すというのが多くなりスキーは"宴会"の為の"ウォーミングアップ"になってしまいました。夜はすっかり料理長に変身です!
誰か「私をスキーに連れてって」(;_;)
最後にアウトドアですが、最近は道具を揃えるのがメインかな。なにせ住んでいるところが"自然がいっぱい"なのですから、わざわざ出かける必要がないのです。海が近いので中学時代は道具を持って毎週釣りに出かけていました。日の出をみながら食べる"インスタントラーメン"の味は格別ですヨ。と思いながらもなかなか外へ出なくなってしまいました。年取ったのかな〜 |
住所について
私が住んでいる福島県は東北の一番南に位置する県です。福島県は面積が広いので天気予報等では会津地方、中通り地方、浜通り地方の3つに分けられています。私は太平洋に面した浜通り地方の北部にある相馬郡(JCG#07010)の小高町に住んでいます。夏は比較的涼しく冬は雪が積もりにくいと気候的には恵まれたところです。
その他、仕事の関係で東京都武蔵野市に約2年(21〜22歳)、福島県岩瀬郡鏡石町に約3年(23〜26歳)、東京都東村山市に約半年(28歳)といった所に住んでいたことがあります。住めば都、それぞれいいところでした。
2002年8月1日付けで武蔵野市(東京都)に転勤したため西東京市(旧保谷市)に引っ越しました。駅から歩いて20分位なのであまり交通の便はよくないし買い物に行くにも遠いのであまり気に入ってないのですが、それほど長居はしない予定なので我慢我慢。会社までは自転車通勤なので少しは運動不足が解消されるカモ。(2003/01/01追記)
2003年12月27日に実家に帰ってきました。(2004/01/07追記)
平成の大合併ブームに乗り遅れた感もありますが2006年1月1日より原町市、相馬郡小高町、鹿島町が一緒になって南相馬市になりました。住所が短くなるかと期待していたのですが南相馬市小高区、以下変わらずと逆に1文字増えてしまいました。
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