宗教文学作品『きみも、心に神を感じるか』を論ずる
上橋 泉
作品のあらすじ
「出版相談会」
主人公の「私」は自主出版の援助を手がける出版会社のベテラン社員である。その会社が主催する出版相談会に、三柴謙作という民間企業の建築技術者から『自由と神』と題する小説が持ち込まれた。
「私」は三柴の小説家としての能力に疑問を抱きながらも、自由の本質と神の意思の関係について深く切り込んだ三柴の筆致に、通常自己満足に終わることの多い自主出版には見られない作者の気迫を感じた。「私」は三柴に「神と関わり合うようになった体験談を聞かせてほしい」と言った。ひょっとするとその体験談の方に、小説としておもしろい素材があるかもしれないと感じたからである。
数日後、三柴は初婚の妻を失ったときの哀しい心情を当時の友人宛に書き綴った長文の手紙の写しを「私」に送ってきた。この手紙こそ「私」が予感したとおり、文学としての魅力を充分に備えたものであった。
「手紙その1」
三柴謙作の初婚の妻は、彼の中学校の同級生で千鶴子と言った。彼女は快活で聡明な女性であったが、口唇裂の痕跡をかすかに上唇に残していた。彼女は都内にある途上国大使館の大使秘書の仕事をしていたことに加え、口唇裂の遺伝の懸念からであろうか、子供を産むことを避けているように謙作には思えた。しかし、やがて千鶴子は謙作が子供もつことを強く欲しているのを感じて、勤めを辞め家事に専念することになる。
三柴謙作が千鶴子と家庭をもったのは東京オリンピックを間近にひかえた頃で、東京都内は建築ラッシュに沸いていた。謙作が働くゼネコンは丹下健三が設計した渋谷のオリンピック競技施設の一つを請負い、彼はその工事現場に配属され、鉄骨工事の担当となった。当時の最先端の技術を駆使した電気溶接と加工技術を視察する為、三柴謙作の現場に訪問客が相次いだ。建築技術者として駆け出しの謙作は、これを誇らしく思っていた。その一方で、彼は千鶴子の複雑な心の内がいつも心にひかかっていた。千鶴子のようなけなげな女性に神は何故このようなむごいことをするのか、気持ちが晴れない日々であった。
ある日、完成したオリンピック競技施設を満足げに見つめていた謙作の心をつぎのような思いが襲う。
「人間はこんなにも万全な仕事ができるのだよ。これが人間の英知というものなのだ。もしも神がミスをしたというなら人間が代わって直してやればよいのだ。その力が人間にはあるからだ。千鶴子の顔はあれは単なる神のミスに違いない。ミスならば人間の英知が救うべきものなのだ。そうだ。千鶴子の場合も、医療技術に任せたらよいのだ」
その日の晩、謙作は千鶴子に「赤ちゃんを産む前に、一度医師に相談しないかな。この頃は手術のレベルがずいぶんと上がっているそうだから」と口をすべらしてしまう。しばらくの沈黙のあと、彼女は激しい嗚咽に沈んだ。謙作は取り返しのつかない過ちを犯したことに苦しむ。
その数日後、千鶴子は手術のため家を留守にすると言って家を出た。2,3日して彼女は帰宅した。上唇は以前と比べて滑らかになっているようには思えたが、それまで自然であった顔の傷跡がかえって人工的ないやらしさを感じさせた。「ああ、人間のできることはせいぜいこの程度のことだったのか。わずか、こんなことのために、私は千鶴子とのあの絶対の信頼を失ってしまったのだ」との後悔の念が謙作の心に深く沈んでいった。
やがて千鶴子は懐妊した。彼女は日記に、生まれてくる赤ちゃんの名前の候補を列記して謙作に見せた。夫婦が最も幸せだった日々であった。しかしその幸せは束の間のものであった。千鶴子は男子を出産すると同時に、分娩子癇で短い生涯を終えてしまったのである。
「第2出版相談会」
「私」は三柴謙作が千鶴子を看取った直後にしたためた長文の手紙の写しを読んで、彼が神と向き合うようになった経緯を知った。「私」も姉の子供に知的障害があり、姉の苦しむ姿を見て神の創造の不条理さに心を痛めていた。謙作と千鶴子の遺児も長じて総合失調症となったこと、彼の兄と姉がガンで亡くなっていることを聞かされると、「私」はますます神を疑うようになった。
ところが、三柴謙作は「私」に対し、彼がもてる全ての科学知識を動員して神の創造の無謬性を論証しようとして来る。「私」は一介の建築技術者がキリスト教神学者のように神の存在の実証に全エネルギーを傾けてくることに不思議を感じ、謙作に先の手紙の続編を求めた。数日後、メールで謙作から第二の手紙が届いた。そこには謙作が神と向き合うことになったある決定的な出来事が記されていた。
「手紙その2」
三柴は千鶴子の死後、彼女が残した日記を通読する。その記述から彼女がベートーベンの第九合唱を愛聴していたことを知った。彼女が残したレコードをかけてみると、第九の歌詞であるシラーの詩の一句が耳に飛び込んできた。
「大いなる天の贈り物を受けた者たちよ、歓びの歌をともに歌おう。そして歓びの満ちたこの世界の創り主を心に感じ合おうよ」
そのとき千鶴子が日記に子供の名前のリストを書いた頁の余白に、「幸せとは、その裏側にあるものを知って、初めて本当の値打ちが分かるものだ」と書き込んでいた文字が目に入ってきた。彼女が彼にどうしても読んでほしいと訴えているように思えた。
その瞬間、謙作の全身に電光のようなものが走った。彼は、彼女が口唇裂という女性にとっては過酷な運命と戦いながら、それでも世界を創った神を信じていたことに気付いた。プロポーズ後の最初のデートのとき、彼女が英和対訳の聖書を謙作にプレゼントしてくれたのは、彼に神を感じてほしいと願っていたからに違いないと謙作は初めて気付いたのである。
「対話編」(三柴謙作と「私」の神の創造をめぐる対話)
「私」は、三柴謙作がこのとき心に神を強く感じながらも神は人間になぜ過酷な運命を与えることがあるのか、この問いの解決に全力を注いできたことを知る。亡き千鶴子の謙作に対する思いに応えてやらねばならないとの悔悟の念が謙作を突き動かしているようであった。
こうして、神の創造の完全無欠性と現実世界の不条理の矛盾を克服する論理を、「私」がソクラテスのいう産婆役を務めながら、三柴謙作は展開してゆく。
最終的に三柴謙作がたどりついた創造主観は、神は宇宙の基本設計のみを行い、創造以降の世界の展開は人間の自由に任せ、神は人間のすることを黙って見守っているとする宇宙観だった。神は人間に無限に広がる力を与えると同時に、人間の活動が指数関数的に拡大する性格を与えた。
しかし、神が世界の展開を人間の自由に任せたとは言え、神は人間が自由を神の期待に沿わない形で行使する可能性も懸念していた。即ち、嘗て恐竜が弱肉強食の時代を出現させたように、人間も自由の名の下に弱肉強食の世界を再現させるのではないかという懸念である。
人間を除く世界は、成長の限界をあたかも承知しているかのように、成長拡大は自ずから逓減収束して行く。ところが、人間は成長の限界を無視し、弱者の犠牲に上に成長拡大を続けようとする。
競争することのできない障害者、競争から脱落するガン患者を筆頭とする難病患者は、ややもすると弱肉強食へ走らんとする人類に対する神からの警告であると三柴謙作はとらえていた。障害者や難病患者は、神が人類に対する警告の必要に応じて、その都度神が創るのではない。両者は神の基本設計の段階で、遺伝子の異常現象として、天才ないしは精強な体躯の持ち主の生まれる可能性の反面として、確率的に発生する仕組みがインプットされていると謙作は主張する。天才が人類進化の歴史の開拓者である反面で、障害者は人類進化のために過酷な運命に耐え忍んでいる。社会は、一部の人たちの犠牲のお蔭で他の人たちは障害を免れていることを理解すべきであると謙作は考える。
一方、人間の創作活動は神が人間に与えた自由意思の本旨に沿う行為であり、神の創造と人間の創作はあわさり合って美しい世界が築かれてゆく。三柴謙作は、建築技術者として自らが建設にたずさわってきた建築物工作物は、まさに神の御心に沿うものとして、自らの生涯に誇りを感じていた。
「私」は、三柴が千鶴子の生命と引き換えに心に強く感じることとなった神と、その創造の意思を余すことなく理論的に究明し続ける彼の姿勢に脱帽し、嘗て三柴が手がけた渋谷のオリンピック競技場が夜の帳の降りた神宮の森に浮かび上がる界隈を二人でいっしょに彷徨しながら、ついに「私」も第九合唱の「星空のかなたに、主をさがし求めよう。星たちの上に主は住み給うのだ」の歌詞を三柴謙作といっしょに口ずさむところとなった。
作品に対する批評
神が創造の際に未完の部分を多く残し、その未完の部分を完成させる役割を人類にゆだねたという三柴謙作の思想は、キリスト教に由来するものというよりはゲルマン民族的発想ではないかと思う(ヘーゲルやマルクスのゲルマン的進歩史観はキリストの説いた最後の審判から生まれたという説が日本では盛んであるが、前者と後者では人類の向上可能性についてのとらえ方が正反対であるところから、両者は全然関係のないものと見るのが正しい)。
キリスト自身は一方で「神の国は汝らの内にあり」と述べ、神の完成された世界は人間の心の中という目に見えないところに実在していることを示した。プラトンも肉眼で見えないところに真善美の完成されたイデアの世界があると説いている。
ゲルマン民族の発展的世界観・歴史観は近代西洋の活力の源泉となっており、彼らの文明が近代において世界を制覇するのに大きく貢献した。本作品の著者が、本著作の巻頭に引用するヘーゲルの「世界史とは、自由の意識が進展する軌跡以外のなにものでもない」という言葉はゲルマン文明の勝利宣言と言える。
キリスト教もプロテスタント誕生の頃からゲルマンの発展思想に大きく影響を受ける。国家の歴史も個人の生涯も悪との戦いの連続であり、その戦いを厭わない強い意志の持ち主が神の国に到ることができるという価値観が生まれた。それはピューリタン文学の傑作といわれるジョン・バニアンの『天路歴程』によく現れている。
しかし近代の西洋の思想の中にも、神の創造の発展思想と一線を画する思想家は少なくない。
スピノザは我々の周りに展開する世界は神の慈愛の現れであるとした。カントは、全ての人の内面に天賦の道徳律がそなわっており、人間は欲望と道徳律との選択に迫られたとき道徳律に従う義務があると説いたが、人間が道徳律に従うことにより世界の未完の部分が完成に向かうというようなことは説かなかった。カントの宇宙観はあくまで静的である。
使徒の時代のキリスト教徒は宇宙をどう見ていたのだろうか?まだキリスト教神学などなかった時代なので、神の創造の完成度は何%くらいか、いつ歴史が完成されるのかというような論争はされていなかったと思う。せいぜいエデンの楽園追放により神の創造には狂いが生じた程度の議論しかしていなかったのだろう。そもそもユダヤ教自体が、創世記を人間がそこから教訓をくみ取るべき寓話ととらえている(ユダヤ教は旧約聖書のアブラハム以前の記述は歴史的事実ではないことを認めている。キリスト教の方がユダヤ教よりもっと原理主義的なのだ)ところから、当時のキリスト教徒も神の宇宙創造についてそれほど深い議論はしていなかったのだと思う。初期のキリスト教徒は、神をエルサレムで比較的最近に死から復活したキリストという青年を通じて感じていたのである。つまり神を理性ではなく人間の情として感じていたのである。
一方、本著作の三柴のように創造論によって神の存在を自らも確信し、第三者にも確信させるという方法はキリスト教神学の成立によって始まった。キリスト教神学はあらゆる情報と最新の科学知識も動員して神の存在を実証しようとした。何故キリスト教神学が神の理論的証明にこだわったかというと、スコラ哲学の中に神は人間の想念の産物ではないかという懐疑論が、キリスト教神学がどんなに努力をしてみても払拭されずに残ったからだと言われている。
問題は今日、我々が神を感ずるのに或は確信するのに、創造理論が必要かどうかということである。キリストは弟子から「律法の中で大切な戒めはどれですか?」と問われたとき、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして汝の神である主を愛せよ」と言った。キリストは「汝の神」と言った。他の誰の神でもなく、貴方一人のための神である。キリストはその「汝の神」を「父」と呼ぶように指導した。乃ち、貴方にとっての神は、貴方の慈父のように貴方個人を愛して下さる存在であると説いたのである。
親子の間に理屈がないように、キリストの説く在天の父と地上の貴方の間には創造理論のかけらもない。これがキリストの説く父なる神なのである。
親鸞が歎異抄の中でおもしろいことを言っている。
「弥陀の五却思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」
阿弥陀仏による普遍的にして絶対的な救済を説いた親鸞ではあるが、普遍の救い主は同時に個別の救い主(熱心に救いを求めるものに対し絶対者が個別に応える)でもあるということである。キリストも親鸞も絶対者の愛をこのようにとらえた。
神は、自然法則の支配者、善悪の絶対基準、人間の行為の善悪により果報ないしは不幸がもたらされるという因果律(キリストは不幸を因果律の結果と見るべきではなく、「神のみわざが現われるためである」と説いている)の支配者であるにとどまらず、人間一人一人を救わんと日々心を砕いておられる生ける人格なのである。
神がガン細胞を創ったのも障害者を作ったのも、病気や障害に無関係な幸せな人たちへの「軌道を外れるな」という警告のためではない。難病も障害もそれを背負う人自身およびその家族の魂にとって積極的な意味があるのである。神は決して他人への警告のために、ある人物に不幸を背負わせることはしないのである。親にとっては、どの子も同じように可愛く、特定の子供のために他の子を犠牲にすることがないのと同じである。
ある人物に対する神の愛の形は、他人との比較で決められるのではない。一人一人の魂に応じて神の愛の形は決められる。本著作で三柴謙作がいみじくも述べているように、「神は試練に耐え得る者を選んで試練を課している」のである(障害者を抱える三柴は、ある障害者のいる家庭で壁に貼られたこの言葉に心を打たれる)。
千鶴子が言うように、不幸を背負った人でなければ幸せの意味はわからない。我々が通常願う幸せは魂の幸せではない。涙の奥に神を見出したときの喜びが本当の喜びである。障害という形も難病という形も、その不幸を背負う人本人並びに彼らの家族の魂がその試練に耐え得るほど純化された魂であることを見抜かれた神が、肉体を超えたところに本当の貴方を見出せと発せられるメッセージなのである。人生の艱難を怖れてはならない。艱難こそは貴方に「神の御業が現われんがため」ではないか。
本題に戻ると、三柴が千鶴子の日記を手にしたとき、彼はここに神のメッセージを感じた。これは神から三柴謙作に対する呼びかけであった。神は虚空から人間に呼びかけることはしない。神は我々の身の回りの人物を通じて我々に語りかける。この神の呼びかけに全てを投げ捨てて(地位、名声、富に頼る心を捨てて)神の愛に身をゆだねるところに救いの花が開く。しかし、人間が最初に神を感じでから、彼の心に神の絶対愛が打ち立てられるまでには長い歳月がかかるものである。この間、人間は神を求めて放浪する。この放浪がなければ人は神と出会うことはできない。謙作が神の存在を論証しようとして、生理学、インテリジェント・デザイン理論(生物進化の背後に神の意思が働いていたとする説)、数学、世界史学を渉猟したことは、賞嘆すべき求道であったと思う。
三柴謙作もいつの日か、自分が神から生命をいただいたその昔から、神が彼の内にいましたことに気付くであろう。 (了)
平成22年10月9日記
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