大きな屋根の小さな山荘 ~ブナの森の物語~
その出会いから、すでに14年近くの歳月が流れている。しかし、今でもこの山荘の仕事は、全く色褪せることなく、人と人の温かい心の交流の物語として、私の中に脈々と生き続けている。
Fさん夫婦から、田沢湖高原に建てるための山荘の設計依頼を受けたのは、96年の7月。私と女房の知人を介して、おふたりははじめて私の事務所を訪ねて来られた。私は、おふたりの柔らかな視線に、呑み込まれていくように感じたのを、今でも鮮明におぼえている。それはおふたりの純粋さであり、何とも心地のよい「間合い」とでも言うべきものであった。
私は、私の建築に対する思いを伝え、クライアントとしてのTさんの要望を聞いた。要望は、ほとんどなかったように記憶している。ただ、110坪の敷地に、大きなミズナラの木を含めた大樹が3本、大きく枝を張っていて、これをできるだけ伐らないでほしいと言われただけだった。住宅設計においては、通常、クライアントから何十という要望事項を受け、それをひとつひとつデザインしていかねばならない。しかしこの山荘においては、そうした制約は皆無であった。これは、もっとも自由でありながら、ある意味、もっとも自制心を要するものでもある。
この山荘の誕生に至るまでには、確かに様々な難局が想定された。コスト、施工者の選定、事務所から往復160kmを超える距離での監理の方法。11月に入れば田沢湖には雪が降る。そんな中、クリスマス前までにこの山荘を完成させねばならない。
その様な状況下で数々の難局を乗り越え、この山荘は96年12月21日、予定どおり、厳寒の田沢湖高原に産声を上げた。敷地のゆるやかな勾配を利用した、一本足で棟持注を受けるキャンティレヴァーのアウトリビングは、この建物のフレキシビリティを象徴している。今でも私はこの心地よいデザイン性の高さを自負している。この小さな山荘の大きな屋根は、南北にそれぞれ2.7mもせり出しており、直径300mm、全長6mの杉丸太が持ち上げている。この意表をつく形態は、この建物の大きな魅力のひとつとなっている。
この山荘は、益々その輝きを増している。建築を介して人々がつながり、さらに言えばそれを通して建築が育て上げられていくという関係性、そんなおおらかな建築空間、人と人がともにその中で向かい合い、対話することで、無限の将来が開けていくような場所性、未来の清冽な香りさえ感じとらせてくれるような、建築が本来的にもっている機能であり、目的でもあるものが、この山荘にはそなわっているからではないだろうか。
たとえばこの山荘へは、今でも年に数回、お互いの時間の許す時に、Tさんとふたりで出かけていき、酒を酌み交しながら、様々な事を語り合う場所である。
新年の、雪深い極寒の田沢湖高原で、酒を呑みながら過ごす至福の時は、またこの一年を、生き抜いてみようという新たな力を与えてくれる。
山荘は、維持していくのが難しい。何十年と、風雪に耐え続けていくのは大変なことではある。しかし、それを守り続けていくことが、建築から限りない恩恵を被りながら生きていく、生かされていく、我々というこの存在を確かにしていくことであるのは、言うまでもないことであろう。
(伊嶋洋文地域環境建築設計室 代表)