建築を創るということ
昭和52年4月。私が東京で建築を学び始めた年である。 高校を卒業して上京した私の目に映ったものは、秋田とは全く異なる都市空間であった。 そびえ立つ高層ビル群、人間の多さに圧倒されながらその巨大都市で私は建築という学問の奥の深さに、そして芸術的な側面に強く深く引き込まれていった。 いつの間にか建築は私にとって工学性を超えた創造の神々しさを自己の中に強く感じさせてくれる唯一の文学的色彩の色濃い学問へと変貌していった。 昭和50年代の東京での生活の中で建築は今の時代よりはるかに実直で人間性を多分に内包していた様な気がする。 ある意味でミステリアスであり、人間への高く優しい精神性を内包していたと思う。 これこそが自分の学ぶべき学問とまだ若かった私は、建築の美しさとその建築を生み出した一建築家の精神性を探ろうと10代後半から20代前半へと建築にのめり込んで行った。 今の時代とは建築空間の重層性と陰影が比較にならない程建築には内在していた様に思う。 その建築の光と影が私達建築を学ぶ学生を深く魅了していった。 一建築家の手に汗滲むその握る鉛筆一本から試行錯誤の末生み出されるその『真実のかたち』に私は引き込まれて行った。いつか自分もこの建築家たちのように深い精神性を内包した空間を創りたいと強く思い続けて建築を学んでいた。 秋田に戻り27才で建築設計事務所を開設した。 あれから25年目の春を迎えられた事に深く感謝している。 建築という学問に。そしてこの仕事を通して出会った人々に。 しかし、いまこの日本の建築界の様相は私が建築を学び始めた30年以上前とは、全く異なり、私達人間の心を強く優しく惹きつける建築を探し出す事は、難しい。 建築のかたちからその建築を生み出す人々(施主、設計者も含めて)の温かな精神性を感じとれなくなってきている。 私はこの日本の建築界の現状に強い危機感を抱いている。 私達日本人にとって谷崎潤一郎の陰影礼讃の中での日本人の高い精神性がそして民族的特質が薄らいできている。 現代の合理性至上主義と、私がいつも話しているプロセスの重層なき建築の表層化の中で、人間の心はいつしかその温かい精神性を失ってきているのだ。 たとえば季節の移ろいを感じとれる建築空間。 または外部環境と住空間の間にある人間を育む『気配感』など私達現代人は、建築の高気密高断熱の商業主義的なる虚無性の中でその閉塞空間をあたりまえと思って暮らしている。 これからの日本建築に求められる事は建築をもっと自由におおらかに捉える事だと思う。建築はこの不完全なる人間が創る以上完璧性を求めることはできない。 その不完全性の中にこそ多くの豊饒さと私達人間を育む光と影がある事に私達は早く気付くべきである。 現代の建築生産の無個性の中に埋没してしまわないように…。 合掌
(伊嶋洋文地域環境建築設計室 代表)
平成22年3月2日
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