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仏像・仏画         
*仏像・仏画の見方
仏像や仏画、掛け軸などは宗教的な意味でお祀りして、信仰心を養ったり、何かを祈願したりすることが一般的で
す。
ですが、芸術的な観点から鑑賞することもできます。
いや、芸術うんぬんを考える必要もなく、ただ好きな仏像・仏画を飾って見るだけでも、心を安定させ、心を成長させ
ることができます。
そして、それが心の支えとなり、自然に仏教への興味や宗教心を持つことにもつながります。

仏像を自由な目で鑑賞することは、若い人の間でもブームになっています。
難しい仏教の教義の勉強や、各宗派の細かい決まりごと、お仏壇独自の飾り方などとは別に、自由に仏像・仏画
などを飾って鑑賞するのもいいのではないでしょうか。
仏教には様々な仏、菩薩様などがいらっしゃってとても複雑です。
このコーナーでは、簡単に仏教の様々な仏様(尊格)についてご紹介します。
それぞれの尊格はそれぞれの性質、法力を持っていて、ご利益をいただけます。
それぞれの尊格を鑑賞し、お祀りすることは、自然に自分の心の中に眠っているその力を触発し、成長させること
になります。

旧来、日本に伝わった仏教の尊格は、インドの仏教で言えば、8世紀頃までの尊格です。
仏教はその後500年に渡って発展し、多くの尊格が生まれましたが、それらはチベットやネパール、中国には部分
的に伝わっていたものの、日本では現代になってから徐々に知られるようになっているだけです。
ですから、このコーナーでは、日本に伝わった尊格を中心にしながらも、伝わらなかった尊格も視野に入れて紹介
しています。
*仏教の尊格
仏教の尊格、つまり崇拝の対象となる神仏などの特別な存在には様々な種類・位が存在します。
まず、最初のその種類・位を見てみましょう。

仏・如来・仏頂・仏母

「仏」のことは、「仏陀」とも、「如来」とも呼びます。
「仏」は、もちろん、死んだ人のことではなくて、悟りを得て解脱した存在です。
「如来」とは「あるがままの真理に到達した者」、インドの原語では「あるがままの真理を悟った者」という意味です。

部派仏教(小乗仏教)では、基本的に仏教の開祖である歴史的人物であるお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)以外の仏を認めません。
ですが、大乗仏教では、 お釈迦様以外にも、過去にも未来にも、また他の世界にもたくさんの仏がいらっしゃると考えます。
阿弥陀如来、薬師如来などなどです。

また、個々の如来や人間として現れる如来とは別に、真理そのもの、宇宙の原理そのものである如来を考えるようになりました。
如来の、この形を越えた真理そのものである部分を「法身」と呼びます。
『法華経』の久遠実成の本仏、密教の大日如来はこの真理の本体を表したものです。

如来が持つ空の智慧などを尊格化したのが「仏母」です。
智慧が仏を生むから「仏母」と呼ぶのですが、 「智慧・般若(プラジュニャー)」、「波羅蜜(パーラミター)」、「空(シューニャ)」はすべてインドでは女性名詞なので、これらを女性の尊格とすることは自然なことなのです。
「仏母」はほぼ仏・如来と同格の女性の尊格です。
般若仏母が最初に考えられた「仏母」です。
後期の密教では、「仏母」は物質の根源的な元素や気のエネルギーを象徴するようになって、「荼吉尼」や「母天」と呼ばれる女性尊が「仏母」と等しい存在と考えられるようになりました。

また、如来の頭頂の盛り上がった部分が仏の智慧の象徴とされ、その力、その呪文の尊格化されたのが「仏頂」です。
「仏頂」には仏頂尊勝のような女性の尊格もいます。

日本では広がりませんでした、お釈迦様のお母さんである摩耶夫人も各地で崇拝されています。
キリスト教の聖母マリアに当たる存在です。
「摩耶(マーヤー)」は神の精妙な創造力の意味です。ただ、「幻」、つまり「無知・無明」をも創造しますので、この意味では、智慧の尊格としての「仏母」とは反対の意味になりますが、この反対のものが仏の目から見れば一致するというのが仏教の考え方です。

後期の密教では、宇宙の初めから存在する最も根源的な如来として「本初仏」を考えるようになりました。
金剛さったなどが「本初仏」と考えられました。

如来が描かれる時は、それぞれの如来ごとに決まった印相(手の姿形)があるので、これによってどの如来ではるかを見分けることができます。(印相の決まりは菩薩や祖師にもあります。)
もともと、如来は修行僧の姿で描かれまていましたが、後期の密教になると、菩薩のような着飾った姿や、たくさんの顔・腕を持った姿、怒りを現した姿、女性の尊格と交わった姿など、様々な姿で描かれるようになりました。

菩薩

お釈迦様は、過去に何度も生まれ変わって修行をされてきた結果、とうとう悟られて仏になったのだと考えられています。
「菩薩(菩提さった)」とは「悟りを求める者」という意味で、本来はこのお釈迦様が仏になる前の修行中の姿を指して呼びました。

大乗仏教は、従来の部派仏教(小乗仏教)の僧侶が、世俗を避けて自分の悟りのための修行ばかりしていて、お釈迦様のように他人を救うことをしないことを批判しました。
そして、大乗仏教では、自分の修行を最優先せず、また悟りを得ても世俗を捨てて解脱してしまうことなく、他人を救うことを重視して活動する存在を、「菩薩」と呼ぶようになりました。

そして、様々な菩薩が考えられるようになりました。
観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩などです。
准胝観音、白衣観音、多羅菩薩など、女性の菩薩もいます。

密教では、菩薩は人々を救うために様々な姿、沢山の顔や腕を持つ姿などで現れると考えるようになりました。
千手観音のように、特別な姿で現れた観音を「変化観音」と呼びます。
また、如来が人々を救うために仮に菩薩の姿をとって現れることもあると考えられるようになりました。

後期の密教では、男性の菩薩は感覚器官と、女性の菩薩は感覚の対象と関係づけられるようになりました。
そして、女性の菩薩は、「供養菩薩」とか「金剛女」と呼ばれました。

明王・明妃・守護尊

象徴的・連想的に経典の真理を伝える呪文的な文言を「真言(マントラ)」とか「陀羅尼(ダラニ)」と呼びます。
「真言」は比較的短いもの、「陀羅尼」は比較的長いものが多いようです。
また、「真言」は男性名詞なので男性の尊格、「陀羅尼」は女性名詞なので女性の尊格と関係が深いようです。
真言・陀羅尼は唱えることで、その真理の内容を心の中に呼び起こすことができます。とは言っても、あらかじめ教義の内容を理解していなければ無理です。
真言・陀羅尼は密教で重視されますが、初期の仏教の頃から存在し、日本でも浄土真宗以外は唱えます。

やがて、真言・陀羅尼の言葉の力そのものが神格化されるようになりました。
「明」とは真言・陀羅尼の智慧のことで、それを身につけている人を「持明者」と呼びます。
「明王」は「持明者」の王、あるいは最高の「明」という意味です。
「明王」は真言・陀羅尼の力そのもので、密教で重視される尊格です。

「明王」は「仏」や「菩薩」が仮の姿で現れたものだと考えれるようにもなりました。
「菩薩」は慈悲を持って人を救う姿、「明王」は力をもって人を救う姿というわけです。
「明王」は「菩薩」とほぼ同格の尊格でしたが、後期の密教では「明王」の方が重視されるようになりました。
特に後期密教の経典の主尊は、チベットでは「守護尊」と呼ばれ、如来の特別な現れと考えられ、如来と同格の存在として大変重視されました。
「守護尊」には時輪仏などがいて、金剛亥母など女性の尊格もいます。

多くの「明王」は、怒りを現した表情に、髑髏の飾りをつけたり、動物の生皮を着たりと恐ろしい姿をしています。多くの顔や手を持つこともあります。
これは仏教の敵を倒し、人間の心の中の煩悩を打ち砕き、救いがたい人間を救うための姿です。
ですから、明王には息災や降伏を祈願することが多いようです。
「明王」には、不動明王、降三世明王、大威徳明王などがいます。
馬頭観音や大黒天も本来は「明王」です。
孔雀明王はインドでは女性なので、正しくは「明妃」と呼ぶべき尊格です。

真言・陀羅尼を尊格化した女性の尊格を「明妃」だと考えることができます。
後期の密教では、如来などが女性尊達と交わった姿で描かれることがあって、 これらの女性尊を「明妃」と呼ぶこともあります。
いずれの場合も、「仏母」も含めて「明妃」と表現されます。
女性尊の位については、「仏母」か、女性の「菩薩」か、真言・陀羅尼の尊格化としての「明妃」か、はっきりしないことが多いようです。
ですから、チベットでは「女性尊」という分類を設けています。

天部・護法尊・八部衆

仏教では、神様も悟っていなければただの神様でしかありません。
人間と同じようにやがては死んで輪廻する存在で、もちろん、仏よりも低い存在です。
主にインド(バラモン教やヒンドゥー教)の神々を「天」を呼びます。「天」は「デーヴァ」の漢訳です。
インドでは善神達を「デーヴァ」、悪神達を「阿修羅(アスラ)」と呼びます。
ただ本来は、「阿修羅」は「デーヴァ」の親の世代に当たる、至高の神々でした。

仏教では、インドの神々が仏教に帰依して、仏教を守る「護法神(護法尊)」となったと考えて、これらの神々を信仰する人たちに布教しました。
仏教では「護法神」となった神々を「天(天部)」と呼びます。
仏教は、中央アジア、チベット、中国、韓国、そして日本と、各地でそれぞれの神々を取りれてきました。
天部には福徳や財宝など現世利益に関する尊格も多くいます。
こういったお願いは、なかなか仏や菩薩にはできないので、天部にお願いすることが多いようです。

「天部」には帝釈天、梵天、毘沙門天、大黒天、聖天などがいます。
また、女性の「天部」には弁才天、吉祥天、荼吉尼天などがいます。

密教では、神々は仏や菩薩が仮の姿をとって現れたものだと考えられこともあり、日本では「権現」、「明神」と呼ばれるようになりました。

厳密に言えば、「天」には属さない下級の神々、精霊、悪鬼達に中にも重要な尊格がいます。
ただし、「天」に属する神々かどうかははっきりと決まっているわけではなく、尊格の位は時代によって大きく変化します。
例えば、お釈迦様の警護役だった執金剛(仁王)は下級の存在でしたが、後期の密教では「本初仏」にまで登り詰めます。
荼吉尼も最初は下級の悪鬼の類だったのが、後期の密教では「仏母」まで含めて指すようになります。
毘沙門天、飛天なども本来は下級の神・精霊です。

「八部衆」としてまとめられている尊の内の「天」以外の7つは、このような下級神の種族名です。それらは、悪神の「阿修羅(アスラ)」、天の神に仕える半神的な飛天である「乾闥婆(ガンダルヴァ)」、樹木の精霊・悪鬼の類である「夜叉(ヤクシャ)」、コブラの神である「龍(ナーガ)」、 ニシキヘビの神である「摩目侯羅迦(マホーラガ)」、蛇を食べる霊鳥である「迦楼羅(ガルダ)」、半獣半人の「緊那羅(キンナラ)」です。
鬼子母神、十二神将などもこれら下級神に属する神です。

本来、天部は王族階級、阿修羅はバラモン僧と関係が深く、夜叉などは農民や原住民の豊穣神だったという見方もあります。

仏弟子・羅漢・祖師

部派仏教(小乗仏教)で悟りを得た聖者を「阿羅漢(羅漢)」と呼びます。
一方、大乗仏教では、菩薩の一歩手前の聖者を「阿羅漢」と呼びます。
お釈迦様の高弟達である「仏弟子」や、「阿羅漢」、そして、各宗派の「祖師」達も崇拝の対象として、像や画の素材になります。

「祖師」達は菩薩や仏であるとか、菩薩や仏の化身と考えらるようになることもありました。
特に密教では、師を目の前にいる如来であるとして、如来以上に重視します。


*次の2つのページでは個々の尊格について説明しています。
*仏・如来・仏母・仏頂
釈迦如来(シャーキャ・ムニ)
実在の人物で、仏教の開祖に当たる方です。釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが悟りを得て釈迦如来になりました。初期の仏教ではお釈迦様の姿は描かれることなく、樹木や塔、法輪、足裏で表されていました。ですが、紀元1世紀からその姿が描かれるようになりました 。
ガンダーラで作られた初期の釈迦像は、左右に梵天と帝釈天を従えた3尊形式で、梵天勧請と呼ばれる、梵天がお釈迦様に人々に教えを説くように進める場面を表しています。これは、やがて左右の尊格が弥勒菩薩と観音菩薩、あるいは文殊菩薩と普賢菩薩後に置き換えられるようになりました。 ですが、インドで釈迦像として代表的なのは、両足を交差させて座り、大地に手を触れて悟りを得たことを表した成道時の姿です。他にも、童子形の誕生釈迦像や、苦行像、降魔像、仏滅時の涅槃像、瞑想をしている姿の定印釈迦像、説法釈迦像などで表されます。
禅宗の曹洞宗、臨済宗、黄檗宗のご本尊です。日蓮宗でもご本尊と考えることがあります。

薬師如来(バイシャジャグル)
東方浄瑠璃世界の教主で、名前の通り諸病、特に眼病を除き延命を願う如来です。左手に薬壺を持って描かれます。インドでは仏像の作例が見つかっていませんが、朝鮮や日本では人気のある如来です。

阿弥陀如来(アミターバ、アミターユス)
無量光如来(アミターバ)と無量寿如来(アミターユス)、という2つの仏が合わさって生まれた如来だと言われています。また、別に無量如来(アミタ)という仏がいたという説もあります。その名の通り、「無限の光を放ち、時間を越えた」という意味の如来です。「阿弥陀」は音訳した表現です。
阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主で、この如来を念ずる人を極楽浄土に往生させてくれます。(日本では南無阿弥陀仏と唱えると悪人でも往生すると説きますが、インドの経典では阿弥陀仏の姿をイメージすると極悪人以外なら往生すると説きます。)また、延命や敬愛の如来とも考えられています。天台宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗のご本尊です。時宗は「南無阿弥陀仏」という名号をご本尊とします。
大乗仏教はペルシャ系の王朝であるクシャーナ朝の時代にペルシャ文化の影響の強い西北インドや中央アジアで発展し、中央アジアを経由して伝わりましたので、大乗仏教はペルシャの宗教の影響を大きく受けたと推測されます。無量寿如来・無量光如来も、ペルシャの主神である光の神のアフラマズダやミスラ、無限時間の神ズルワンと関係が深いと考えられています。

大日如来・毘盧遮那如来(ヴァイローチャナ、マハーヴァイローチャナ)
「毘盧遮那如来(盧舎那如来・ヴァイローチャナ)」は「光をあまねく照らす(遍照)」という意味の如来です。十方の諸仏を包括する『華厳経』や『梵網経』の主尊で、奈良の東大寺の大仏で有名です。『華厳経』ではお釈迦様が悟りを得られた後の仏としての本質の姿を「毘盧遮那如来」として捉えています。「毘盧遮那如来」を形を越えた法身、「盧舎那如来」を霊的な体、お釈迦様を肉体を持った姿として区別することもあります。
「ヴァイローチャナ」は密教では太陽との比喩から「大日如来」と訳されました。密教ではお釈迦様に代わって「大日如来」自身が説法をされます。また、「摩訶・大(マハー)」を頭につけて「大日如来・摩訶毘盧遮那如来(マハーヴァイローチャナ)」と呼び、宇宙の根源としての真理を表す如来としました。『金剛頂経』では、すべての如来の総体でもあるとして、「金剛界大日如来(ヴァジュラダートゥ・ヴァイローチャナ)」と呼びます。「大日如来」は日本密教(インドの中期密教)の中心となる如来で、真言宗のご本尊です。
密教の「大日如来」は長髪の髪を結い上げた、あるいは着飾った菩薩のような姿で表され、『大日経』では定印、『金剛頂経』では智拳印という印相を結んでいます。日本では法身の「大日如来」を描きますが、チベットでは「マハーヴァイローチャナ」は法身であって形を越えているので、姿を持って表されるのは「ヴァイローチャナ」だけです。
前のページで少し紹介したように、インドで悪神とされている阿修羅(アスラ)の神々は、本来は天部(デーヴァ)の神々より高い位に当たるより根源的な光の神々でした。 インドの神々には、阿修羅の王とされる「ヴィローチャナ」やその息子「バリ」がいます。「ヴァイローチャナ」はこれらの阿修羅の光の神をモデルにしていると考えられています。ペルシャの主神は阿修羅に相当する神々ですので、阿弥陀如来や大日如来は、ペルシャの光の神の影響で、阿修羅系の神々が仏教的に解釈されて復活した姿だと考えることができます。

「五智如来・五仏」
中期密教の『金剛頂教』は、すべての尊格やすべての存在を5つに分けて、その5つの根源を5人の如来であると考えました。こうして初めて密教の教義や曼荼羅が体系化されました。
中心に宇宙の根源である大日如来(ヴァイローチャナ)、東方には障害を打ち砕く阿しゅく如来(アクショーブヤ)、南方には富を司る宝生如来(ラトナサンバヴァ)、西方には阿弥陀如来、北方には願いをかなえる不空成就如来(アモーガシッディ)がいます。 そして、それぞれの仏は5つの智慧、法界体性智(最高の智慧)、大円鏡智(鏡のように世界をそのまま見る智慧)、平等性智(すべて差別なく見る智慧)、妙観察智(人をよく観察する智慧)、成所作智(人を救う智慧)を表しています。
後期密教では、五仏は五蘊という認識作用と結び付けられるようになり、また、大日如来に代わって阿しゅく如来が中心の如来に昇格しました。その後、金剛さった(ヴァジュラサットヴァ)が加わって六仏としてまとめられるようになりました。

「仏母」
仏の悟りの根源である空の智慧などを尊格化したのが「仏母」達です。空の智慧が尊格化された般若仏母(仏母般若・プラジュニャーパーラミター)は、日本では般若菩薩を呼ばれることが多いですが、仏母と考えてよいでしょう。仏眼仏母(ローチャナー)は如来の眼力を現した尊格で、息災・延命・降伏の祈願がなされます。子宝祈願の准胝観音(チュンディー)、多羅菩薩(ターラー)、白衣観音(パーンダラー)などは日本ではたいてい菩薩と考えられていますが、仏母と考えられることがあります。「輪廻の海を渡るのを助ける女性」を意味する多羅は、日本ではほとんど知られていませんが、インド、チベット、ネパールでは重要な尊格で、中国では救度仏母と呼ばれます。

「仏頂」
仏の頭頂の盛り上がった部分を仏の智慧の象徴と考え、その陀羅尼を尊格にしたのが「仏頂」です。息災・敬愛などの祈願に使われる一字金輪仏頂の修法は、真言宗の最奥義です。一方、除災・招福の祈願に使われる熾盛光仏頂の修法は、天台密教の最奥義です。また、仏頂尊勝(ウシュニーシャヴィジャヤー)は女性の仏頂で、最強の陀羅尼を持っていると考えられ、蒙古襲来の時に蒙古降伏に使われました。

「本初仏」
後期の密教で、五仏よりもさらに根源的な仏として考え出されたのが「本初仏」です。チベットでは金剛さった(ヴァジュラサットヴァ)、法身普賢(ダルマカーヤ・サマンタバドラ)、持金剛(金剛執・ヴァジュラダラ)などが本初仏と考えられています。また、同時に「本初仏母」や、「本初守護尊」、「本初守護女性尊」とでも呼ぶべき存在も考えられました。金剛自在母、マハーシュリーヘールカ、忿怒自在母(クローデシュヴァリー)などがそれに当たります。

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