空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '12.3月〜6月


第8回吉田一穂研究会
第80回北海道音楽大行進
春萌え朗詩と語らいの宴
北西の丘展望公園
第8回ヒアラタ朗読ライブ
測量山・地球岬
北海道詩人協会総会
門別競馬場
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第27回山猫座朗読らいぶ
第7回吉田一穂研究会
饗宴春の詩話会
500M美術館オープニング記念展
第26回山猫座朗読らいぶ
小樽詩話会札幌例会
3.11に捧げる朗読と映像
第7回ヒアラタ朗読ライブ




第8回吉田一穂研究会 道立文学館 講堂
6月に開催された吉田一穂研究会では、「吉田一穂の詩観と詩学」と題し、この研究会の発起人のひとりである、高橋秀明氏が講師を勤めた。
吉田一穂の著作から彼の詩観へと迫るアプローチである。


講師 高橋秀明氏

「白秋論」では、日本の詩歌が音律的にはメロディしか持たないこと、証明や定義性に適さない感性語であること。であれば単純な、人間的弱性である叙情性を否定しない限り、高次へと移れない。分析、構成、抽象からなる幾何学精神の重要性を説く。
「意識の暗室」でも、地方的な国民性と歳時記的な背景に頼ることのない、時間・空間・意志という三次構造の原理を展開する。 「火をめぐる歌」では、一穂が日本語をどのように捉えていたかが伺える。それは、海洋に閉ざされた湿潤の地であり、季節の星、潮の道引きなど、陰暦の心音をオノマトペに捕らえる感性が幅を利かせる。
詩は国語で書くものである。そうでありながら一穂は、例えば作品「魚歌」のように、一見漢詩かと思うと、全く違いイメージとして漢字を使用している。つまり漢語という異国語を、母国語である日本語として使ってみるなど、独特の手法によって次元をあげて、国際語へと向かって行ったのではないかという。


「魚歌」 ・書 / 石井眞弓




第80回北海道音楽大行進 旭川市メーンストリート
毎年6月に旭川市で夏の訪れを告げる音楽大行進を聴いてきた。小学校の鼓笛隊から自衛隊の吹奏楽まで、噂によると国内最大・世界有数規模の祭りであるらしい。大行進は今年で80回目、その区切りもあるのか、石川県からは小松工業高が、道内でも駒大苫小牧高、遠軽高校などが参加し延べ109隊、概ね4000人の規模であったとの報道だ。







進行コースは、リベライン旭川から日新の森公園で解散、と事前に調べはしたが、土地勘のない私は、旭川の友人に誘われて、駅前の西武の裏側で15時過ぎくらいから聴いていた。



やはり人目を引くのは、うま過ぎる消防とか自衛隊だ。しかし高校ともなると”よさこいソーラン”を組み込んだり、バトンチームが先導したり音以外にも目を引く要素を取り入れていく。なかでも旭川商業高校は毎年一番人気であるそうだ。







行進終了後には、そのなかでも人気の高い20隊ほどのグループが平和通買物公園などの会場で、アフターコンサートを行う。どこまでも元気はつらつの学生達の行進曲、力で押す軍隊の音。そして社会人のゆるいというか、ほわ〜んとする感じ。ポップスに至るまで多種多彩な演奏会であった。






第5回春萌え朗詩と語らいの宴 まちづくり交流Cafe・くつした 6.2.
司会である国府田稔氏が、序詞「春萌え朗詩と語らいの宴に寄せて」。登る太陽と歩みの六月のときめきを、重ねるようにユニークな名前の”くつした”での朗詩という文化の幕開けを高々と謳いあげ、口火とする。


司会 国府田稔氏

ステージに登壇したのは、岩井利海氏。作品「蘭舞」はすずらんの”蘭”、そして乙女たちの永遠の”舞”のこと。作品「涙の詩」は東日本大震災の子どもたちの涙から、会いたいという思い。嘆きの空。
森美佳氏は「麗しの恵み野」で、好きな人が住んでいるという麗しさ、を。藤森芳郎氏の作品「春の歌」。新しい衣装を纏う、爛漫の時期の喜び。それは蝶の羽ばたき、出発の知らせ、夢への喜びが木霊するときのこと。
また、渡邊三好氏はサトウハチロー作「おかあさん」より作品を紹介。小山忠弘氏はポルトガルの「手紙」(原作者不詳)。近藤哲夫氏、与謝蕪村作の「北寿老仙」を。吉原恭子氏は釘本久春作品集から「あの花この花」などをそれぞれ声に出していった。
朗読の最後は半澤孝平氏。作品「栄養」というのは、どこから吸い取り、取り込むものか。自然という大きな赤い林檎が読んでいる。作品「くせ」において、止められない癖がある。言葉にしてしまうメロディに乗せてしまうのだ、と。他に「妖怪」一篇を朗読。


朗読 半澤孝平氏

村田譲は、自作詩「つながり」「尋の森」の二作品を朗読した。
全員の朗読の後に、高知の山本衛氏が自作詩「俺らン言語について」をテープに吹き込み送ってくださったものを、全員で拝聴した。高知の方言(幡多弁)なのだが、タイトルからして「俺ら=おんだら」「言語=ちゃちゃくり」。耳だけで聞くと全く意味不明だ、今回の催し物の主催者恵庭市民文藝の村上利雄会長から、ルビ付きの原稿を頂き、ようやくなんとかだった。B面には山本氏の高知弁の解説があり、大変面白かった。


銘酒・春萌

また、祝杯には「銘酒・春萌」のラベルの吟醸酒が用意されていたのである。



北西の丘展望公園 美瑛町
美瑛町は、丘のまちとして有名であろう。JR美瑛駅は美瑛軟石で建てられた駅舎で、レトロさが売りとのことだ。


JR美瑛駅

駅横の歩道橋のある建物を裏手に進む。廃屋と化したホテルなのか工場なのかを横目に、廃車が三台ほど転がっていたが、293Mの石山の山道を登っていくが、途中からはアスファルトの路面もなくなり、本当に石ころばかり。そこを鉄骨を積んだトラックが下ってくる。でありながら、森が残っている。蝉の声、鳥たちのさえずり、木々のざわめきのなかを歩くのは心地よい。
北西の丘展望公園は、不可思議なピラミッド状の建物で、三階に登ると辺りを一望できる。しかし美瑛は歩く町である。丘をひとつ超える度に、違う風景が繰り返すのだ。そのことが一番楽しいのだ。ただ車での移動を中心に考えているようで、歩道なども未整備なので、気をつけること。


北西の丘展望公園より旭岳方面を望む




北西の丘展望公園より美瑛岳方面を

市街地に戻ると、実に道は平坦で、どれほど起伏を削り町を作ったのかと、実感する。町役場に併設された四季の塔という32.4Mの塔は無料だが、屋根と遠景の比較というのは如何なものか。
駅舎の近くには、道の駅「丘のくら」があり、石積みの倉庫である。ちょっとしたお土産があって、そこのアイスクリームが美味しかった。



第8回ヒアラタ朗読ライブ ヒアラタ アート スタジオ 5.19
5月のテーマは「恋」である。
トップは、朗読スペースイルベント主催の宮野入恵美子氏。俵万智訳の「伊勢物語」である。いくつかの場面が用意されている。少年の仮初めの恋、乱れる私の心。思い続ける男が一年前の愛の巣に戻ろうとも、一切は失われ、ただ自分の思う心ばかりが残っている。東国に下り、しかし思うものは京に残した恋心。在原業平のプレイボーイたる一面などなど。
次いで工藤ひろ子氏は、ミモザの会に所属し、井上二美作「牙さんとスズラン」。カラフトと朝鮮という国が日本の戦場であった時代。そこには憎しみもあったであろうが、ポケットに飾るスズラン一輪分の儚い恋もあったのだ。そのことを過去という言葉だけで忘れ去ってしまわないように、庭の隅に咲くスズランが語る。
苫小牧の十月桜氏は、佐藤真由美作「恋する四字熟語」を紹介。二律背反とか、シャネルとか、恋愛は近代社会の最後の不条理、などとか刺激的な言葉が並ぶ。しかし私はその直後の朗読なので、なかなか聞き取れないのが残念である。
その村田譲は、テーマに苦労しつつ「晩夏」「ステージ」「星屑の濤声」「つながり」「千尋の森へ」の五作品を朗読。


朗読 佐藤孝氏

佐藤孝氏は、追いかけると花びらは落ちて、落ちたと思うとまた花びらは飛ぶ。古びた記憶の網膜に面影が残るのだ、と自作詩「飛蚊症」を披露し、それが町全体に広がっていく様を。その後は、軽妙な会話で”この話を聞いていかないと損するよ〜”と、聴衆を煙に巻いていったのである。
スタジオ背景の制作は、一谷誠子氏。



測量山・地球岬 室蘭
測量山は、明治5年に、当時の陸地測量道路建築長のアメリカ人ワーフィールドが、この山から道路の計画の見当をつけ「見当山」と呼ばれ後に「測量山」と変えたもの。標高199mで高い気はしないのだが、まず道が半端なく急である。山頂にそびえるのは7基のテレビ電波中継塔。頂上の見晴らし公園までは階段が続くが、展望は360度で見事。昭和6年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が訪れたが、あいにくの霧。そのときの歌が以下のものだ。

  我立てる 即涼山の頂の 草のみ青き 霧の上かな / 鉄幹
  灯台の 霧笛ひびきて 淋しけれ 即涼山の 木の下の路 / 晶子



測量山展望台より白鳥大橋と室蘭岳

地球岬展望台であるが、地球岬というのは(勝手に)水平線が丸く見えるからだと思っていたが、それは後付の話のようだ。語源はアイヌ語の「ポロ・チケップ」で意味は”親である断崖”というもの。それがチケウエから、チキウに転訛して、当て字として地球が使われたものである。 ところで現地では、たぶんチキュウミサキ音頭とでもいうべきものが大音響で御出迎えだが、まず五月蝿い。さらに地名が母恋であり、母の日が近いとかでカーネーションの造花をプランターに差し込み、道の左右に並べていた。とにかく俗悪である。


地球岬灯台を眼下に

JR室蘭駅から5分に位置する旧室蘭駅舎は、北海道鉄道準記念物である。鉄道の地上施設で歴史的な価値とまでは認められない、やや残念なものの、将来その価値が認められるかもしれないというビミョウなものである。室蘭観光協会が入っている。やたらとガランドウなスペースだ。


旧室蘭駅舎




北海道詩人協会総会 札幌アスペンホテル 5.13
総会において理事の承認、事業報告などがあり、新事務局長に坂本孝一氏が選任された。
その後、詩人祭が開催された。自作詩朗読の時間に、まず登壇したのは嘉藤師穂子氏である。話しかけるような口調で、8月6日、9日、15日に遊ぶ子どもたちへと、爺さん婆さんたちの「鐘の音を」告げる。次いで大貫喜也氏は、葉がシシャモに変化するという、アイヌ語の言葉ともども、はっきりとした大きな声で、川端の柳の木になるのだ。
加藤茶津美氏の「かえる」は、ミオとタケオの声。奥底の、洞窟の、発信し続ける二人の帰るところへと思いを馳せていく。橋本征子は「ザクロ」の赤い色、ルビーの羅列、内戦の続くアフリカの巻き込まれる子どもたちの感情へと。


朗読 鷲谷みどり氏

四国の高松からの参加は、鷲谷みどり氏。「紙の魚」で、紙魚(しみ)という本に巣食う虫の、自分という内側の、書くということの白さ・の。第三回北の詩賞優秀賞受賞作を披露した。
1分間スピーチでは、東延江氏から旭川詩人クラブでは今年の12月8日に朗読会を開催する旨の発表があった。北海道詩人協会の新事務局長の坂本孝一氏は、最近思っている事、冷たくなるもの熱くなるものどものことを。瀬戸正昭氏は、詩誌『饗宴』同人であった新妻博の葬儀のときの話。
その後、自作詩朗読の第二部が始まったのである。


朗読 石川啓氏

二部のトップは、フェーン現象で28度そしていきなり10cmの積雪にみまわれた北見から、石川啓氏である。作品「ユニコーン」で、少女の想い、未来に擦り寄る姿を声にしていくのである。綾部清隆氏は作品「かくれんぼ」で、探す鬼の疲れを露わにする。あなたを見つけることまでの遠さ。
笹原実穂子氏は「まぼろし」において、花びらとの語らいの素顔、放射能という奇妙な形を宿す文明のいづれ。三村美代子氏「五月の形」では、異国に連れて行かれた少女の、赤い靴のつま先の向いている方向を見据えていく。原子修氏は、ご自身の身内が七会忌にあたることから「母におくる詩」を、作詩し、この場において朗読する。
その他に、東峰和子、番場早苗、石井真弓、佐藤孝、若宮明彦、中村喜代子、渡辺宗子、森れい、渡会やよひ、熊谷ユリヤ、櫻井良子の各氏が朗読やスピーチを披露したのである。また、村田譲は自作詩「尋の森」で朗読に参加した。



門別競馬場 
全然、競馬に興味がないのに、門別競馬場の競馬観戦に行くことになった。門別競馬場は地方競馬の中でも最大規模を誇っているとのこと。またレースは全てナイターでの開催らしい。
当日はあいにくの雨模様ではあったが、ライトを浴びて馬場を駆ける姿も、それなりに面白い。三年前に、メインスタンドに併設する形で「ポラリスドーム」が完成。半屋外で雨を防ぎ、風を感じられるのはいいかもしれない。



この二棟、繋がってはいないが、表にはテント屋台が並び、予約するならジンギスカンコーナーも使えるとのこと。半身サイズのトリの唐揚とか、それなりに食べるものも豊富だが、当然のように競馬ファンが多く、席にチラシとか置いていくものだから、結局立ち食いしている人が多かった。
しろっぷ・という芸人が、ホッカイドウ競馬応援大使とかで、嫁が喜んでいた。






第27回山猫座朗読らいぶ ソクラテスのカフェ
第27回の春、テーマは「時代小説」でした。
最初の朗読者は、島田直樹氏で中島敦作「山月記」。あまりに有名でもあるが、結構内容を忘れていたりする。才人である李微(りちょう)は筆で身を立てようとするものの、売れもしなかった。そのため再度官職に就くものの下級であり、同輩に対しての悔しさのあまり発狂し行方不明となる。その後、傲慢なる自尊心により虎の姿となり、怨嗟の雄叫びを上げるという、かなり我侭な話だ。であって李微の目指していたものが詩作であると改めて知り、ううむと思ったりする。しかし島田氏は明るい格調のある声だ。
次いで山内紀子氏が藤澤周平作の「飛鳥山」を朗読された。子どもを産めないから別れなくてはならない女の気持ちというものは、男にどこまで分かるか、なかなかに難しい。花見客でごったがえすなか2〜3才の幼女がいる。それは産むことのなかった自分の子ども。その子が「おかあちゃん」と呼ぶから手を引いて帰るのだ。さてどこまで分かっていいものか、とは思うが。


第27回 司会と出演者

今村日出男氏の朗読作品は吉橋通夫作の「筆」。幕末の京都での職人の徒弟の話だ。捨て子で、拾われた家に実子ができると邪険にされて奉公に出される。その間に育った家も町も消えてなくなるわけだが、力あるものがこれからは生きるのだという、その意味では時代の言葉。ちなみに今村氏は「恵庭男声読み聞かせ隊 with Ms」に所属。最近その朗読への貢献により、子どもの読書活動優秀実践団体として文部科学大臣表彰を受けた。
最後を締めくくったのは宮野入恵美子氏で、作品は森鴎外「じいさんばあさん」。こちらは江戸時代の夫婦の話。それなりの年齢になってから二人は結婚するのだが、わりとすぐに夫は癇癪もちの性格のため、侮辱に耐えられず金を借りた相手を切り殺す。罪に問われ預かりの身となり、妻と分かれることとなる。そして31年の後、夫は70間近で妻は少しだけ若いが、また一緒に生活するという他愛無いがいい話。そして声も実にいい。



第7回吉田一穂研究会 北海道立文学館
今回の吉田一穂研究会のテーマは「吉田一穂の地的世界〜一穂と地学、地質学者井尻正二との関わり等〜」、講師は若宮明彦氏であった。
一穂は、白鳥古丹を時空に存在しないふるさとと呼ぶ。このもととなった場所は、幼少時代を過ごしたフレ・ビラ(アイヌ語で、赤い岩)当て字で古平の位置する、積丹半島であり幻想の地図が開かれるのだ。
そして一穂を、自然科学者以上の捕らえ方をする孤高の天才詩人として、また自身の三師匠の一人として、尊敬してやまなかったのが、地質学者井尻正二である。井尻正二も「起承転開の法則」(結ではなく開)を主張するポジティブな思考の持ち主だ。つまり終わるのではなく、アウフヘーベンして、さらなる開をもたらすのだという、発想の人との関わり。
また、一穂の作品には多くの地質学的な言葉が散見されるという。”羊歯の化石””泥炭層””アンモナイト””巨象”(=この場合はマンモスの意味となる)など、北海道に特有の地質や歴史的な動植物が登場するのだ。これらを地質図や年代図を用いての説明であった。


講師 若宮明彦氏

成る程、私も北海道に住み続けながら、たいしてその土地というものを理解しないことが多い。全くのサラリーマンであって、農民とか漁師という常に自然と共存する感性の人々との差異を思ってしまう。



饗宴春の詩話会 札幌すみれホテル 4.21
今回も詩誌「饗宴」63号の合評を行った。司会は嘉藤師穂子氏である。
詩作品の掲載順に、まずは森永裕爾作品「Night and Dark」から。順次、尾形俊雄、木村淳子、嘉藤師穂子、瀬戸正昭、村田譲の各作品へと続く。
形容詞の使い方、擬人法による表し方、方言の書かれ方と朗読と、感覚の問題、詩に使われる単語等々。
まあ意見は様々であるからと思っても、単に好きか嫌いかという問題であるなら仕方がない。だが、どうしても悪口の言い合いではもっと仕方のないことになるから、褒める方向に進むが、合評の方法論が不鮮明であるのも確かなのだ。
その一方で、一人で書いて終了して、自己満足に浸るよりは数十倍いいことだ・という意見もある。未だ、すでに、二回目ではあるが。


花束と「饗宴」43(特集・新妻博の世界)を囲んで / 中央右 主宰・瀬戸正昭氏

その後「新妻博を偲んで」の黙祷。モダニストであったということ、シャイであったこと。詩誌「核」の時代のことや、仕事で旭川に単身赴任していたときにホテル住まいであったこと等々。懇親会では、新妻博愛飲の酒「玉の光」が数種類用意されていた。
他に参加者は、荒巻義雄、萩原貢、渡会やよひ、今本千衣子の各氏であった。



500M美術館オープニング記念展 札幌大通地下ギャラリー
札幌市地下鉄大通駅とバスセンター駅をつなぐ地下通路を、常設の美術空間とすることを記念しての、後期展である。
杉田光江作品「Seeds」。卵のケースのなかに割れた卵の殻。殻の中に詰まっている何かがある。それがタンポポの綿毛とは思わなかった。正面から見るとパソコンの点滅画像の様でもある。


作品「Seeds」

川上りえ作品「Expanding」。通路の感じが二次元での遠近法による三次元の入り口に見える。割りとシンプルであるが、この空間に似合っている。
酒井広司作品「余市・駅前国道5号昭和51年」「余市・駅前国道5号平成24年」。余市駅前の国道を36年の月日を隔てて並べてみる。それは同じもの、同じ場所であるのに、時間が隔てていったものとは何か。しかし時間が矢であるというのは、人間の勝手な思い込みであり、現代物理学の成果では、時間は逆行することもありうるのだ。ふははははははは。


作品「余市・駅前国道5号昭和51年」「余市・駅前国道5号平成24年」

針作品「日々のてつ学」他。少女というモチーフは、男性にとって、本当にどうにも処理しかねるものだ。それだけでたぶん許してしまう。哲学!って、漢字で書けよと思うのだが、仕方ないかなぁ〜と思えるヤワヤワとしたラインは、なんなんだ!
ワビサビ作品「D'ou venons-nous? Que sommes-nous? Ou allons-nous?」(uの上に’が付くものもある)。かなり読みづらい書体であるが、フランスの画家ゴーギャンのタイトル「我々はどこからきたのか? 我々は何者か? 我々はどこに行くのか?」。

500M美術館 (後期展は5月6日迄)



第26回山猫座朗読らいぶ ソクラテスのカフェ 3.24
今回のテーマは「東日本大震災」。口火を切ったのは、久住書房朗読教室の澤井貴良子氏、中山壽子氏、佐々木律子氏によるもので、それぞれが自身の震災を口にした。まず福島の飯舘村の二人の小学生の声で「二十歳の自分へ」というもの。放射能という見えない問題に振り回されている大人として、考え、そして行動することを思う。詩として和合亮一作品が紹介されたが、二時間しか帰宅できない現実に何をしているのかという、ほぼニュースの役割に近い感触。ツイッターなどを駆使した現場の声を特徴とするようだ。最後に、学生による百人一首が紹介された。



ドラマチックリーディンググループさ・く・ら所属の松下光子、林たのしの両氏による朗読は、宮沢賢治作「よだかの星」。擬音のつくりに皆が圧倒されていたようである。しかし自分の朗読の直前は、さすがに気も耳も回らない。
続いて村田譲が自作詩を朗読、自分の譲の名の由来を調べて(白川静・著)ちょっと驚く。作品としては「3月12日の約束」他、ソネット三篇。「帰り道のそっぽ」。最後に進藤恭子氏の助力を得て、「二本の傘のためのソネット」を披露した。
ミモザの会の工藤ひろ子氏は、小泉八雲作「稲むらの火」で、1854年和歌山の安政南海地震津波の故事を作品化したものである。庄屋の五兵衛は、地震後に退いていく海水を見て、津波の来襲を察するのだが、村人たちは祭りの準備に忙しい。そこで高台に住んでいた五兵衛は、自分の田に積み重ねた稲の束に火を付ける。犠牲的精神とは何であるか、津波の脅威と早期非難という、驚きの内容であった。



小樽詩話会札幌例会 札幌八軒会館 3.20
48周年記念号の合評会としては最終の3回目となる。最初に俎上に乗ったのは、佐藤由佳子作品「木槿咲く」。木槿(むくげ)は韓国の国家であるのだが、花と女性との生き方を掛け合わせたものとの評価であった。
仁木寿作品「時計」。第一語が誰に向かって発せられているものなのかで、雰囲気は大きく変わる。全体に抽象性が高い場合、具象性に欠けていくことになるわけで、抽象詩の宿命ともいえる。主語の位置が問題。
続いては、笹原実穂子作品「泳ぐ」。昨年の3月11日がテーマであるが、TVを見ていたというだけの話。テーマ自体が問題提起にはなるのだが、それが本人の作品の合評には結びつかない。何を書くのかということに関しての議論へと。
吉川みさ子作品「林檎」。どのように皮を剥くかで、女性としての方向性の題材ということになった。


世話人 下田修一氏(中央) / 司会 おのさとし氏(中央右)

竹内俊一作品「未完」。タイトルの付け方の難しさ。落ちがある程度読めるわけで、まして蜜柑が登場するなら、コトバ遊びということでよいのではないか。一方で、文中、部屋が回り始めるのであるから、酩酊しての女の話ではないのか、との話も。
小野寺薫作品「秋明菊」。痛い・イタイ・いたいのフレーズのリフレイン。勢いは出来るが、ばらばら感は否めまい。
村田譲作品「3月12日の約束」。曜日を挟んでの短編小説のような作りではないか。しかし、謎解きに時間を掛けすぎて本論に入りがたいとの話もあった。年に1回の札幌例会は、その後二次会で大いに盛り上がったのである。



3.11に捧げる朗読と映像 北海道立文学館 3.11
2011.3.11.の被災地への想いを込めて、その震災前の映像を背景としての朗読会が開催された。
K.hirahara氏演奏のギターの調べに、まず声を上げたPart1は、斉藤征義氏。東北の詩人宮沢賢治の「雨ニモマケズ」であるが、この作品はメモ帳の殴り書きということであるから、実際は自分自身へのエールでしかない。頑張れというのは本当に簡単である。どうも賢治という人はプロパガンダに引っ張り出されるようであるが…。次いで草野心平「蛙」を朗読、その巧みな擬音に心惹かれる。


朗読 斉藤征義氏 / ギター K.hirahara氏

続いては、Part2に村田譲が自作詩「3月12日の約束」他四篇を披露した。
Part3では櫻井良子氏が、自らの肉声のみで作品をうたいあげる。「月、火照る日」、影という輪郭の嘘くささがあり、耳が、聴覚が、鼓膜ガ、さらには指ノ関節、そしてスべての言葉ノ関節であル助詞が、一拍遅れル、二拍遅れて、テが出セないのだ。他に作品「呼び水」「朝まだきの伝言・2012」を。
Part4での登壇は熊谷ユリヤ氏。詩集『果てしない時の深みから』より、「初めての産声が」「永劫回帰の海は」などを朗読。震災の月の産声があり、であるから与えられた命を守るために、そのとき漁師は海を目指し、家族は山を目指す。そうであって、海は何者かの命を奪おうというわけではなく、ただ刻むのだ。最後に「雨ニモマケズ」の自身の英訳を朗読したのである。
当日は入場無料で、代わりに募金箱を設置。必要経費を除いた、26450円をケア・インターナショナル・ジャパンへ寄付できたことを改めて、この場でご報告致します。



第7回ヒアラタ朗読ライブ ヒアラタ アート スタジオ
今回のヒアラタ朗読ライブのテーマは「花」。トップは、石山ひろ子氏で向田邦子作の思い出トランプより「花の名前」を。端的にいうと夫の浮気である。それがその女から直接私、妻へ「奥さんですか、会いたいのです」との電話。で、会いに行くんだが、ここのとこからして分からんのですが…。相手の女の名前が花の名であり、妻の教えた草木の名前であるとのことでの拘り方。女のメモリーは変わらないが、男のメモリーは大きくなる・らしい。
小関一子氏は、藤沢周平作「朝顔」。子どもを生まない妻には、妾がいて当然の時代。外にも大して出かけないでいる楽しみのひとつに、朝顔。しかしこの朝顔の種は、どうも妾の家から旦那が持ってきたようだと知って、すべての花を毟り取るのだ。
福士文浩氏は、山本暮鳥「風景」を自由に、歌うように朗読してみせた。
斉藤いづみ氏の朗読は、ミヒャエル・エンデ作「モモ」である。第二部の「時間の花から」時間って何なの、の部分。時間は感じ取るだけで、そのために”心”があるのだ。鼓動が止まると音も止まる。自分の生きた分だけ巻き戻り、銀の門を出て音楽になる。なかなか美しいお話である。


朗読 萩原貢氏

小樽からの参加、萩原貢氏は自作詩を朗読した。印象深かったものに「酒場R」花は漣、光の形。こぼれて私たちに笑みを零す。神のために空けた席、マダムの誕生日。「瓶の夜」は、水をむさぼる花の、その花に食われるような瓶の抱える深い闇が、恐ろしくもある。他に「スカイラウンジから」での男女の昔の秘密の部屋に立ち戻ること。花にまつわる作品、五篇の響き。
朗読ステージ背面に飾られているのは、ペープサートサークル所属の一谷誠子氏の制作作品である。


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