今回のテーマは「一穂と賢治」で、同時代の詩人との対比とのことであった。講師は斉藤征義氏である。 生前の宮沢賢治は無名で、地元東北地方でも農業指導者的な知名度であった。『春と修羅』発表により、草野心平が注目し、同人に誘うもののその程度。草野心平は皆に紹介することになるのだが、生前一度も賢治に会っておらず、葬儀にさえ出ていない。 さて当時、吉田一穂はすでに名をはせた文学者サマで、詩誌『新詩論2号』の編集者でもあった。賢治は作品「半蔭地選定」を送り掲載されることとなった。そのお礼の手紙が残っている。そして掲載の年に賢治は37歳で亡くなっている。 賢治の花巻での追悼講演会には、一穂も参加。そのときの文章が岩手日報に掲載されている。「宮沢賢治も稀有なる天才の一人であろう。」と、自然と交感している点を評価してはいるが、実際にはこの二人の接点は、この詩誌でしかない。 つまり、賢治は「半蔭地選定」の他に「林学生」という作品も送ったが、選者一穂は一篇を無視している。一般的に考えれば、編集者一穂と投稿者賢治の関係だ。その意味では、前回の平原氏による「編集者としての一穂」を聞き逃したことは残念だ。 賢治は推敲が多く、すべての作品が未完である。『銀河鉄道の夜』もラストは四通りあるし、死の直前の昭和7〜8年は作品を文語文に書き改めることに費やしている。一穂も推敲が多いという点では似ているのかもしれないが…。 講師 斉藤征義氏 ちなみに、有名な賢治の「雨ニモマケズ」であるが、もともと手帳の殴り書きが、賢治の死後に「手帳より」と題して発表された。それを高村光太郎や谷川徹三が精神論だけ持ち上げて、結局軍国主義にプロパガンダとして、日本国民は一日玄米三合でしのげ!と利用されたものである。 |
まずは正門と裏門などでレンガ積みの色合いを確認する。この正門は大正13年のものだが、明治24年の山火事の際に残った木製の正門は、網走市内の永専寺にある。 さてまずは裁判所法廷である、釧路からの移築とのこと。部屋に一歩入り、フルセットで人形が配置されていてビビった。取調室も覗いてみると、ちゃんと人形が神妙に俯いていたり。 外に出て、味噌・醤油蔵での漬け樽の大きさに驚くが、休泊所や職員官舎などでもセンサーが設置されているので、急に音がしたりと結構、吃驚する。 監獄歴史館では、3方向スクリーンに中央道路の建設に狩り出された囚人の姿が映し出され、また、足枷やもっこかつぎの体験もできる。冬のため、二見が岡農場はみられなかった。 五翼放射状平屋舎房 内部 さて、メインの五翼放射状平屋舎房であるが、私的には俯瞰して見られず、美しさが分からなかったのが残念だ。この獄舎の廊下の下はコンクリートで固めて、さらに下にレンガが敷き詰められているのだという。もちろん穴掘り脱走の防止用で、それでも脱走する輩はいるらしいが。それにしてもあまりの空間の広さ、特に訪ねたのが冬でもあり、どのように暖房を取っていたのか。ま、実際の模型を見てくるといい、セントラルヒーテングに笑っちまった。 3分刻みの浴室もすごいし、近所の小学校の学芸会も行われたという教誨堂は実に広い。和洋折衷が気に食わないが(笑)。独立型独居房の闇室は冬は使われなかったそうだ、必ず死ぬからだそうだ。 独立型独居房 記念に刑務所の昼飯を食べてきた。カロリー的にはヘルシーであるし、美味しい。ま、観光客向けだからかな。実際には味噌汁はなく番茶とのことだ。 |
2周年記念のテーマは「猫みたび」。 まずは島田直樹氏による詩の朗読。作品が長屋のり子作「赤い橋の上で百万遍マッチをすった猫」。長屋氏本人が来場していたのだが、本人からの依頼による代読ではなく、島田氏が作品を指定したということであった。感想会で島田氏は”筆者の気持ちが理解しきれず難しかった”旨の発言をしていたが、作品として提出してしまった以上、筆者のことなど考える必要はないだろう。さらに言えば、朗読者は伝えるという意識がその主目的で、共感を得ようと水平に考えるものだ。しかし詩を書くとは、むしろ垂直であり、天に向かって放っているのであるから気にしても仕方がない。 次いで、はらっち氏による童話である。語り口調が甘い印象で、成る程、童話向きかもしれない。しかし寺村輝夫作「ねこのお茶」だが、毒を飲ませて殺した猫の呪いを簡単に見破り、「仕方がない」とだけ言ってお仕舞いというのは、いくら童話でもひどい出来だ。佐野洋子作「100万回生きたねこ」は、自由ということへの渇望だ。 朗読 森れい氏 苫小牧からの参加、森れい氏は自作詩「愛しきものへ・黒猫」その1とその2。猫というとやはり特徴は目であろう。ご自宅の猫の感じがよくでている。当日はやや緊張感のある声の出し方であったが、これも猫的な(?)表現であったろうか。BGMを用いた部分に、一部他の方の詩を引用、組み込んでいるとのことであった。 田中瑞枝氏は、夏目漱石作「我輩は猫である」。昔々に読んだ気はする。しかし10章の三人姉妹の件は、まったく思い至らない。非常に濃厚な描写で、小説というものを聞かされたと思うわけである。 |
天都山の頂上に位置しており、それだけに眺望は素晴らしい。 館内の展示室では、クリオネやフウセンウオという、可愛らしい流氷の海での生き物が水槽の中を漂っていたり、へばりついていたりする。 オホーツク流氷館 流氷体験室もあるが、外の方がよっぽど寒くないか。氷点下17度って、恵庭の今朝はマイナス20度だったし。まあ、濡れタオル振り回すのは小学校以来だが…。基本は夏がお勧めかな、年中流氷を設置し、触ることが出来るから涼しいと思うし。 オホーツク流氷シアターとか、パネル展は、結構面白い。なかなか流氷の出来方なんか知ることはないだろう。興味深く見てきた。 展望台からの眺望 最上階の展望台と、ひとつ下の外に出られる屋上展望所がいいかな。とにかく360度白い雪景色である。 建物のすぐ横で、タイヤチューブのボブスレーの滑り台があり、子どもがうろついていたのである。 |
「写真の中の時間 室蘭・母恋 昭和51年ほか」。 撮影地は室蘭市の母恋町とのことであり、私、ムラタの生まれたのは母恋南町である。 そうはいっても父の転勤(国鉄)に従い、祖父母存命中に、盆と正月に数日帰っただけだ。でありながら、トッカリショウとかへと、とにかく崖を、父と一緒に、所によっては針金に掴まって海へと降りたのだ。 写真は、昭和51年(1976年)頃に撮影したものだという。とすると私が札幌の高校から転入試験を受けて室蘭清水丘に移った頃だろう。もう海へと降りることはなかったが、山道を歩いて家に帰った。 写真展告知はがき それぞれの写真には個別のタイトルがない。思い出に、そんなものは不要なのかもしれないが。 一枚一枚の写真に、家の中では針仕事の母、脚付きのテレビ、煙突のついた石油ストーブ、走り回る自分と歪んだガードレール、時代を探してしまう。 隅に、私の見知った人はいるだろうか、見知ったつもりの場所はあるだろうか。 酒井広司写真展は2月20日迄 ギャラリーレタラ |
オホーツク海に一番近いJR駅である。網走駅からJRで海沿いに走り、鱒浦駅くらいから車窓に知床連山が映る。 白鳥が飛来する濤沸湖に10分でもあるJR北浜駅は、海からは概ね20M程度である。まさに数歩足を伸ばせばという気にもなるが、ありえん。なにせプラットホームが海とは逆の方向で(当然だが)しかも近くに踏切がない(これも当然か)。 JR北浜駅 しかし降りて一番吃驚したのが、駅舎には溢れるほどに人の波! どうも韓国と関西の方々の二つのツアーにぶつかった様だ。韓国語と大阪弁がとぐろと巻いている。駅舎の中の喫茶部は開業しているが、お土産屋はない。なんでここに人が溢れているのか、全く分からないのだが。駅舎のなかは名刺とシールと記念の落書きであるが、天井まで貼るには肩に乗る必要があるのだが…。 北浜駅から知床連山を臨む 駅舎の横に高さ2Fに相当する展望台があった。ここから知床連山と遠方に流氷帯らしきものが見えた。網走までの帰りの路線バスはスカスカで、ヨメと二人の貸しきり状態であった。 |
網走の流氷観光は長年の希望であったので、非常に期待して行ったのである。「流氷観光船オーロラ号」は、岸壁から乗船用デッキをジャッキアップし持ち上げてのスタートである。
オーロラ1号 そこそこに薄めの氷は流れていたりするのだが、陸地に接岸しているわけではない。しかし出航して割とすぐにアザラシが氷の上にいるとのアナウンス。 その沖に、はっきりとした白い帯が広がっている。その流氷帯までの出稼ぎだ。事前放送はあったが、急に減速するオーロラ号。外甲板に出てみると三階のデッキからは、遠方まで白い平野が広がっているようだ。 甲板から能取岬方面 一階の甲板まで下りると、船の先端からは、ごん・がん・ごりんぼりんとの音。約1M迄の砕氷能力があるとのこと。割れて立ち上がる氷の塊の裏側が緑だったりする。豊富な栄養分に藻が繁殖しているのらしい。ところどころ流氷に囲まれた海面は、波も閉じ込められて鏡面のようであった。 先端部の砕氷 ちなみに、冬に行けば必ず見られるというものではない。流氷はその名の通りに、風任せなのだ。翌日の札幌行きの、流氷特急”オホーツクの風”に乗り合わせた、小学生の男の子は当日朝に乗船したが流氷は見られなかったとのことだった。 |
第14回の恵庭市民文芸賞の表彰受賞祝賀会が開催された。 今年の受賞者は、創作部門で上森ゆう子作品「水面にうかぶ」が奨励賞。エッセイ部門では、本賞に吉原恭子作品「痛みの処方箋」。奨励賞に高橋美也子作品「ゲリラ豪雨」と平井義一作品「北方領土の糸口」の二作品が選ばれた。 表彰式 冒頭に、恵庭市民文芸の会会長の村上利雄氏が挨拶。ほとんど三年で終わるはずのものが今まで続いているのだ、とか。にしても、2010年に恵庭市民文芸が、北海道地域文化奨励特別賞を受賞して以来、参加者は増加している。 その後講評を選考委員長の斉藤征義氏。それぞれの作品についての構成のポイントなどを述べた。さらに市民文芸であるということの意義ともいうべきこと、行政では取り扱わないもの、いわば記事にもならないことへの思いというもの。その時の感じ方というものを残すということの重要性。それこそ60年後の子ども、未来への記録として残すことについて。 講評 また、祝賀会では福士三隆氏によるニ胡の演奏、ついで詩の朗読では村田譲が作品「3月12日の約束」を朗読した。表彰式に結構時間がかかるので、酒が入ると賑やか過ぎてなかなか朗読するには苦しい。ま、何度か経験しているのだが、やはりアルコールの席は一発勝負のものにするかなぁ〜。 |
一月に開催された朗読ライブのテーマは「宮沢賢治の世界」。 まずは、ペープサートサークル「アラジン」による、朗読と紙シアター。作品は「銀河鉄道の夜」。紙芝居と聞いていたのだが、基本は切り絵の手法だ。厚手の用紙を切り抜き、そこに包装紙など柄とか色のある薄手の紙を貼り付け、裏からライトアップする。この映し出される様が、夜の車窓である銀河のテーマと合うから素敵だ。孔雀の羽、銀河を飛ぶ鳥たち、とうもろこしの木、インディアンの髪羽根飾り。さながらステンドグラスを思わせ、その絵柄を随時蒔絵のように移動させていくなかに、幻想を思わせる朗読の響き。 朗読 / ペープサートサークル「アラジン」 続いては、嘉藤師穂子と森れい両氏による二人朗読で、作品は「青森挽歌」。このお二人は、単独で聞いてもそれぞれに声に力はあるのだが、二人朗読という方法は、普段聞けない感慨をもたらすのである。森氏の厚みのある声、いかにも挽歌という土台を、地金を叩く槌のようでさえある。その立ち向かうべき死に、平然と埋め込まれたポンプが、嘉藤氏の甘い幻聴。そして嘉藤氏の声質が、いわゆるハスキーであったなら”挽歌”としては成り立ちはしないだろう。二人の調和とはいえ、「あいつにだけが─と、そう祈りはしなかったと思います」のフレーズへの、脈絡。 朗読 / 嘉藤師穂子氏 森れい氏 最後に「水仙月の四日」を朗読したのは、宮野入恵美子氏。雪という季節感あふれる作品。遠くへ出かけます・と、はっきりと聞こえるのは、あながち私が雪国生まれの雪国育ちであるからとは、限らないであろう。東北と北海道では、なかなか雪質が異なる様でもあるが、三人の雪わらしを見ていた時代もあったのかなと思うのだ。 今回は朗読順番がよかったとは参加した方からの感想である。なるほどと後で思った次第。主宰者の鉱石の散りばめ方が美しかったようだ。 HIARATA ART STUDIO |
札幌市青少年科学館の開館30周年を記念して、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャの川口淳一郎教授の講演会。 2月に「はやぶさ帰還カプセル特別展示」が開催され、そのときの4日間の来場者数は11792名と結構な人気。そして今回の講演会は、12月25日の日曜の夜6時開催であったが、抽選で200名限定 。テーマは人類初の往復飛行と支えた力ということについて。 最も、力説していたのは、サンプルリターンという考え方である。つまり「行って戻ること」だ。惑星の石を持ってくることではなく、主な任務は往復ということ。 カプセルの中には、微粒子はまだ数千とか万の単位であるとされるらしい。しかしその全てを取り出すことはしない。カプセルの中に取り置きながら、その時代の最先端の技術で分析すればよい。 必要なことは”発想”である。火星とか金星という惑星ではなく、地球の歴史を調べるには、小惑星という、小さな、つまり内側が溶けていない天体を調べることへの着目。もっとも小惑星自体は、遠すぎてよく分からない。であるから現地でのオートのシステムなどが問題になる。そうしたなかで、ミネルバを投下しようとしたときに、役所からは電波の許可を事前に申請しているのかとの、バカすぎる問い合わせがあったという。どこまでもマニュアルでしか考えないと、こうなるという見本のような話だ。 発想ということでは、JAXAの方はみんな変人であるとか。故・長友教授は「みえるものはみな過去である」といい、塚本氏は「これまで学んだのは練習問題」と言い放っていたそうだ。現実と向き合う力の必要性が問われそうだ。自信と希望こそが、未来への道である、と。 川口教授自身は自分を技術者であると考えていて、あまり科学者とは思っていないようだ。 それとこれから公開される「はやぶさ」関連の映画について、ダイジェスト版しか見ていないが、映画という娯楽、そのフィクションとして見るようにとのこと。 |
第22回山猫座朗読らいぶのテーマは「日記」でした。 まずは、安部利江氏による川上弘美作「東京日記3 ナマズの幸運」。この作品はHPでも公開されているとのコトだが、全く日記などではない。落ちを作りつつ、あくまで売れるための雰囲気作りとしての日記形式。軽く軽く、一人称のモノローグにより、らしくみせるために手を入れる。一人住まいの読者への共感作り。 宮野入恵美子氏によるニコライ作「ニコライの日記〜ロシア人宣教師が生きた明治日本」。120年ほど前の宣教師、一度20歳に来道し50歳を過ぎて再度道南地区を回る。聖ハリストス教会にまつわる話、岩内小樽、札幌、室蘭への陸路の旅など。またロシア皇太子への大津事件のことなど。時代の証言こそが、紐解かれる日記の持つ重みであろう。 続いて、中野勝之氏の山下清作「裸の大将放浪記」。13歳の頃精薄施設で千切り絵に出合ったとのことだが、17歳の頃の施設で書いていた(勉強の一環であったと思われる)日記。やたらと元気のいい中途半端なハキハキさ。IQでいうと小学3年生レベルということだが、これが山下清といわれても納得はいかない。 澤井貴良子氏は関戸良子氏との二人朗読、向田和子作「向田邦子の恋文」。飛行機事故で亡くなり、遺品として20年来開封していなかった茶封筒に収まっていた、向田邦子33歳頃のNという13歳年上で妻子のある男性との恋文。Nは別居していたとも言われているようだが、不明(興味ないし)。Nは病没するのだが、妹の和子はその当時を振り返ってのしたり顔、実に下らない。身内だから知っている真実みたいな言が、もっとも嫌いだ。何故、ずっと恋文を持っていたかだと?作品にするために決まってるではないか! 全く色々な日記の体裁があるものだ。様々な四作品であったこと自体は、朗読会という出会いの妙というものでしょう。 |
皆様、新年あけましておめでとうございます。 今年は辰年ということで、ドラゴンの器を進呈した図柄なのですが、早速、妻からクレームがきました。十二支はアジア方面の発想であろう、しかるにドラゴンという名称では、中世西洋にとっての悪魔的な東洋の産物のことではないか、というものだ。確かにキリスト的な天使や聖人の画では、ドラゴンは倒されるものとして描かれている。 ふむ、誠にお手数ですが「龍神の器・献上」と訂正くださいませ(笑) *** 2011年のムラタ的十大ニュース *** ・道民芸術祭「北を詠い描く」(詩画展)に参加 ・はやぶさ帰還カプセル特別展示が札幌で開催 ・苫小牧のヒアラタ朗読会に参加 ・石狩管内文芸交流大会が恵庭で開催、自作詩を朗読 ・北海道ロボコン高専大会を苫小牧で観覧する ・下の子が大学の寮に入いる ・父親名義の室蘭の土地家屋所有が妹に変更 ・銀婚式 ・旭川詩人クラブの朗読会に参加 ・JAXA川口教授の講演会に妻と聞きに行く |
12月下旬の忘年会に、100回単位の例会が重なるのは25年に1度ということで、急遽、記念朗読会に変更となりましたが、朗読希望者続出! 結局、休憩を挟んでの二部構成となりました。 第一部、まず仁木寿氏から朗読開始で、作品名「万華鏡」で泣き笑いの人生と、ついてまわる地球の万華鏡を。山田幸一郎氏は白老からの参加、マイノリティとしてのアイヌの誇りの問題を取り上げる。杉本真沙彌氏「ハードトライアスロン」で自己の肉体を実感する。 佐藤孝氏は「皆既月蝕」つい先日の皆既月蝕と、フィギュアスケート選手の浅田真央の母親が亡くなり大会を欠場したことを結びつけた、赤い月の理由。 朗読 佐藤孝氏 櫻井良子氏は「月火照る日」、こちらもまた、先日の皆既月蝕をテーマとしたもので、揺れる輪郭からの叫ぶ歪みの世界を。 また、小樽詩話会の会員以外からのゲスト。矢口以文氏は石巻の出身ということで、作品「孫とおじいちゃん」「プロポーズ」の二篇、方言という濁音の言葉を厳しくそしてユニークに。そして原子修氏も東北津軽の生まれであり、盛り上がるイントネーションに乗せた言葉を、福井岳郎氏の縄文笛の音にあわせてうねらせる。 次いで第二部に移り、そのトップバッターは渡辺宗子氏であった。今回は自作詩以外の朗読もあり、斉藤征義氏は草野新平の作品を紹介するが、その擬音の卓越性に注目する。三村美代子氏は「室蘭市地球岬」飛沫の奥に、世界がまるく感じられるのです。 坂本龍一の戦場のメリークリスマスをBGMに朗読したのは下川敬明氏「メロンを冷やせ」で、独特の甘ったるい粘りを冷やして見せるのだ。 朗読 下川敬明氏 いつものお酒を飲みながらの、フワフワした朗読会とはなりませんでしたので、私も作品変更です。村田譲は今回の記念号掲載の「3月12日の約束」を声にしました。ラストは童話作家の、加藤多一氏が、泊原発のことを声高に。 当日の朗読参加は、渥美俊子、小林順子、嶋田智弥、笹原実穂子、内藤千尋、赤井邦子、加藤茶津美、森れい、齋藤えり子、入谷寿一、毛毛脩一、柴田千里、中野清子、なかの頼子、橋本征子、花崎皋平の各氏が。増谷佳子、大貫喜也両氏もゲストで参加された。 なお、あまりにも朗読が順調過ぎたので、罰ゲームに朗読(笑)とのことで、坂本孝一氏「冬の林檎」を朗読。下田修一氏は紫煙との別れ「あばよぉ」。おのさとし氏は司会でありながらの禁じ手朗読は48周年号掲載の「かりんとう」。嘉藤師穂子氏は大原登志男作品、小田節子作品を朗読。そして萩原貢氏。 (左)世話人 下田修一氏 / 司会 おのさとし氏 当日の一文字タイトル看板は萩原貢氏の作である。 |
今回のテーマは「吉田一穂基礎キョウヨウ」、講師は発起人の一人、高橋秀明氏。 研究会への参加者といっても、ガッコウのキョウシばかりではない。そういう意味でも基礎教養というのは必要と思う。とみに私事だが、実は人物に興味がなく、作品本位でよいという思いが強いのだ。であるから古典的な名作を「これ古いヤン!」と平気で言いかねない人なのである。 さて、当日の”講義”であるが、吉田一穂の年譜から始まる。明治11(1898)年生、上磯郡木古内生まれ。たいして注目されていないようだが、両親は一度協議離婚をして母は実家に帰っているとか。一年半後に復縁しているが、一穂はその間の、概ね三歳から四歳時に母と別れているのであると。 お話を聞くうちに、貧乏ということで有名な一穂だが、金井信生堂時代はやたらと童話を発行している。孤高というより、まぁ、金に困っていたということかな?との観想を持つ。 講師 高橋秀明氏 しかし、もっとも難解であるのは、辿り着くという意味合いではなかろうか。 つまり当日の会場の”かでる27”、急遽、管理側の都合でフロアが6Fに移動となった。で、6FまでEVで降りたところ、当該フロアは女性専用ということで、通路の途中で通行止め(かでる式?)。その遮断のガラス貼りのドア越しに会場があると思うと、通さね〜ぜ、みたいな意地悪さを感じつつ、結構パニックになれる。 ま、1Fまで降りて北側EVへと乗り換えねばいいだけだが。で、一穂の文献一覧も戴くのだが、12月は研究会がお休みなので、その間に一冊位は読みたいところ…。しかし、この辿り着くという複雑さを、すでに当日の講習生は実体験していたとは。 なんか講師である高橋氏には言いにくい気がしたのである(笑)! 吉田一穂研究会は、毎月第四日曜日の13:00から(12月は休会です) |
旭川詩人クラブ35周年記念の詩祭が開催された。まず旭川詩人クラブ会長の富田正一氏が挨拶され、その後講演会に入った。 タイトルは「ガリ版とともに半世紀」、講師は佐藤比左良氏である。小冊子の資料には佐藤氏の詩が載っている。まず自己紹介を兼ねての作品「名前」を朗読するが、組合運動と連動している時代のこと。首をキラレルか、詩をヤメルかの選択を迫られて、ペンネームを使わざるを得ないという選択。現在の電算化による文字の不備による名前の喪失とは異なり、自らの半世紀を重ねる試み。 旭川詩人クラブ35周年記念講演会 次いで自作詩朗読の時間へ。自分の名前で自作詩を読むという重さのなかで、最初に声をあげたのは、東延江氏「牡鹿1」である、半世紀近いであろう時の流れにある銃と鹿との印、ともに戦ったという美しい構図に出会う。 森内伝氏「望郷」は、サハリンを偲んでの重たかったであろう場所へ、時間という風の吹きつける搾り出す声を。次いで山口敬子氏が「オホーツク」に残る震える寂しさ、追い越して行く姿が映し出していく、そのものの姿とは何か・・・と。 総合司会を勤めた立岩恵子氏も、作品「大雪山」で北海道の真ん中に腰をすえるものの静けさを、落ち着いた声で朗読された。 また、出雲章子氏がモニターのなか「消えてゆく町並み」を、沓澤章俊氏が「涙色の目薬」で自己と相方の位置の自在さを、高野みや子氏は「みどりの鳩」をゆるるかに声として立ち上げる。飛び入りの、みやざきふみこ氏は座り込み今このときの文字を起こす。 同じく飛び入りの村田譲は、会場がもとプラネタリウムであったことで「星屑の濤声」と、晩秋の作品「灯火」を披露した。 スピーチには富田正一氏と土橋和子氏。詩と遊ぼうの時間には、結構不思議な連詩?みたいな、言葉と参加者全員の繋がりが出来上がる。 第25回詩画展 また同会場では、旭川詩人クラブ第25回詩画展が、12月15日(木)迄開催されている。出品者は、東延江、荻野久子、沓澤章俊、小森幸子、四釜正子、土橋和子、富田正一、森内伝、森山幸代、山口敬子の各氏。出雲章子氏は本物の枯葉を、立岩恵子氏は立体の折り紙を、高野みや子氏は絵をメインに紡ぎあげている。詩画も各地で特色があるのが嬉しい。 |
詩誌『饗宴』では初めての合評会である。vol.62掲載作品、順に木村淳子作品「七月は」、嘉藤師穂子作品「方舟-十六歳のお嫁さん」、瀬戸正昭作品「Ballade」、村田譲作品「思い 手あわせ」、森永裕爾作品「ルミネート」「ラブイズオール」。 それぞれ筆者が朗読後に嘉藤氏が司会進行を務めた。終連と、その終わらせ方についての良し悪し。主題となる部分への繋げ方。 連作の場合、その章単独での存在感、逆に一冊に仕上げるつもりであるなら、その章の配置。副題に一文字の抜けがあり、そのことの説明による逆説的な強調のあり方。 句読点の位置と声に出すことの違いと効果。言葉に二重三重の意味合いを持たせようとする意図と、ありふれた言葉の使用が解釈の混乱の原因となる場合のこと。 英文翻訳という、コミュニケーションもまた慣習に縛られ、その国独特のルールが適用されるものであるが、母国語でない言葉へどのように適用すべきであるか、などなど。 合評会 合評後に、地下の講堂へと場所を移し、SF作家である荒巻義雄氏の講演「ハイデガーと詩」が開催された。森の思索者であり、神学生であった時分の神秘体験がその中心となっていること。オントロギア(Ontologie)は<存在>というよりも<有>であり、本来起こらないことが起こることである。感触を大切に、心地よかった記憶、皮膚感覚、故郷へと戻るのかもしれないことなどのお話がなされた。 荒巻義雄氏 講演会 懇親会では第一詩集「骸骨半島」の朗読と花束の贈呈がされたのである。 |
東海大学芸術工学部の織田憲嗣氏が、世界中から収集した椅子である織田コレクションは、1000脚を越えるとのこと。テーマに合わせての常設展示とのことだ。
入り口には「現代北欧のプロダクトデザイン展」となっていたから、きっとそういう内容であったのだろう。 しかし椅子展であるのに座れない、というのはなんか腹が立つものである。といいつつ、ハンス・J・ウェグナー「フープチェア」が一番ゆったりと出来そうで、二度と起き上がりたくないだろうと思いつつ。しかし1986年の作とのことだ。 そうかと思えばハンス・サンドゲーン・ヤコブセン「ロッキングスツール」は、座れるのか、そも目的が違うのか、悩ましいのだ。ほかに椅子のミニチュアが大量に並んでいて、これは見ていても楽しいだろう。 |
北海道詩人協会、綾部清隆会長の挨拶の後、今回の北の詩祭はシンポジウム「いま〈地域〉から詩を撃つ」をスタートした。提言者に、留萌から『留萌文学』の湯田克衛氏、帯広の詩誌『不羈』の堀内靖夫氏、北見の詩誌『阿吽』の綾子玖哉氏を迎え、コーディネーターを高橋秀明氏にお願いした。 湯田氏から、作品については留萌という浜の言葉、海のモチーフから始まるのだとの趣旨の発言。堀内氏は自分が書き始めたきっかけのこと、しかし放送というメディアの介在が地方も中央も無くしているとのこと。綾子氏からは、詩は詩人に訪れるわけではなく、思いの丈を書けばよいというものではなく、訪れるのを待つだけであることなど。 なかなか時間の制約もあり、当然のように、結論というものに辿り着けるものではない。それでも、詩は国語で書かれる、一定のコミュニティのなかにあるということ。そのうえで言葉は記号であることで共通で、しかし身体の延長から搾り出すものであることで、地方と呼んで差し支えないのだ。 次いで第四回「北の詩賞」の本賞に石畑由紀子作品「ひねもす」が選ばれた。その後、自作詩の朗読とリレートーク、「北海道詩集」58の合評会がグループに分かれて行われた。 また、東日本被災地へ贈る1行詩を全員参加による連詩という形で、同時に行ったのである。 |
札幌大通地下ギャラリー・通称500M美術館が、札幌市営地下鉄「大通駅」と「バスセンター前駅」の地下通路に11月3日、オープンした。従来、さっぽろアートステージでは11月の期間限定であったものが、今後は常設ギャラリーとなる。 武田浩志作品「500M美術館」のタイトルは転写ワークショップ。雑誌や新聞などに溶剤を塗り壁面に貼ることで、画像を転写する。印刷物の種類で柄が変わる。 武田浩志作品 500M通路のうち大通駅側の壁面部分はショーウインドーの作りで、これは強化ガラスとのこと。主に立体作品を展示する予定。富士翔太朗作品「JUNP!」のインスタレーション、歩く早さで絵の動きが変わる。 富士翔太朗作品 バスセンター前駅側は展示壁面にパネルを貼り付けた「コンポジェットパネルゾーン」を設け、LEDライトも設置平面作品中心の展示とスクリーンを用いた作品展示となる。点灯時間は7時〜22時30分。今期は11月3日から、来年4月28日までがオープニング記念展で、前半・後半展約50人の作品を展示予定。 500M美術館 |
今回のテーマは「小樽の吉田一穂展」である。平成5年7月31日から9月12日にかけて市立小樽文学館で、没後20年の企画が行われ、その企画の中心であった、現副館長の玉川薫氏が講師である。 スライドを用意しての説明。積丹半島から早稲田の予科に通っていた時代、デカダンの清潔によって丸刈り頭の写真。写真家の土門拳による、ひどく不機嫌な一穂の顔。 若い頃は、短歌を作りしかし捨ててはいないのだが、短歌との決別が詩の始まりであったこと。5-7-5という自動律の否定、短歌は悲哀からなるものであり、傷ついてなる悲哀が現在の日本を形作るのであるが、そこと決別しなくては詩は成り立たないのだ、と。絶対詩の探求者であり、無から有を作り出すことを目指していたこと。 貧しかった一穂の部屋は異様に美しかったそうだ。客には玉露に熱湯をかけて出すのだが、苦くて不評であった。かと思えば、詩集を送り著者が「読んでくれたか」と吉田家を訪ねると、目の前でその詩集をずっぱりと破り、炉にくべてから「まず茶を飲みなさい」と言ったとか、様々な一穂伝説。 盛岡在住の詩人吉田美和子氏に監修を依頼したいきさつのこと。氏によれば、一穂作品「白鳥」の15章が彼のすべてであろうことなど。 書が達筆であった一穂のその他の自筆作品の紹介。時代の暗さを跳ね返す力の持ち主であったこと。「咒」の最終行、”骨をくべて雀の卵を温める「鶴になれ!」”との確信の言葉、決して祈りなのではないのだ、とは、玉川氏の弁。 |
今年7年目を迎える「SAPPORO DESIGN WEEK」のメイン会場は、札幌駅と大通りを結ぶ、地下歩行空間である。 DDA・SDA・JCD合同パネル展。適当に大賞は見てきたのだが、まさか3ツもの空間デザイン団体の合同とは思わなかったのですが…。 札幌スタイルのグッズの販売であるとか、秀岳荘とのコラボ「カンディハウス」などが参加。サントリー「ミドリエ」コーナーというところでは、自販機にプランターが組み込まれたものがあった。 そうかと思うと「ゆるキャラ・クリエイター展」という北海道179市町村のキャラを勝手に作っていたりする。稚内の「たこりょーしか」というのもバカらしくていい。その前にはダンボールで作られたハウスが並んでいるのだが、なかなか見ていても面白い。 UN40マチとイエでは様々な提案された、街とイエの組み合わせがあったり。どちらにしてもアートだけではなく、企業協賛のコーナーがそれぞれに自由に参加していたのがいい。 札幌4プラでは「586枚のしあわせのハンカチ展」が開催されていて、グラフィックデザイナー586人がデザインしたハンカチを展示、販売していて、購入したものと同じハンカチ1枚が被災地の子どもにプレゼントされるのだ。 |
アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト2011が、苫小牧工業高等専門学校の第一体育館にて開催された。今回の競技課題は「ロボ・ボウル」でルールとしては、アメフトのボールを受けて、パスし、タッチダウンまでの時間を競うものだ。 まず、二足歩行の攻撃用ロボットが指定場所まで移動する。総計8チームのロボットがいるわけだが、まず二足歩行しない、出来ない、動かないのである。三歩歩いてひっくり返るのですら、数少ない。ほぼ半数のロボットが脱落した。 決勝 一回戦の4試合中、3試合が移動できず審判団の判定である。二足歩行が難しいということだ。さて指定位置まで移動できると、学生は自軍の攻撃用ロボにボールを投げ渡す。まあ、距離も遠くはないし、これはなんとか。でロボットは、受けたら発射の機構まで転げ落とすのだが、アメフトのボールは扱いが難しく、そのまま床に落としたり。発射まで進めたのは3機程度か。 実際、初めて自軍へ飛ばしタッチダウンパスを学生がキャッチしたときは、場内は歓声に包まれたのだ。これを相手チームは守備用ロボットで阻止するというものだが、ほぼその必要はなかった。決勝戦以外には、対戦そのものが成り立たなかったのだから仕方がない。 エキビジションマッチ エキビジションマッチなど説明を聞くと、二足歩行にテオヤンセン機構という動物の動きを真似たもの。ボールを飛ばすのに投石型、4球同時発射タイプ、パチンコ型など様々な方法があった。ピッチングマシン型はすごいが受けると突き指する程の威力というのは如何なものか(笑)。なかにはリニアを利用した、ほぼ実用的とは思えないものも楽しかった。 結局、ゴム動力がもっとも有効であったが、飛ばす度にゴムを切るため二回目がない釧路高専Aチーム・クリプスバーンの優勝であった。 ロボコン高専 |