空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '11.5月〜'11.10月


面貌(つらぐヮまエっ)展
第1回吉田一穂研究会
第20回山猫座朗読らいぶ
オータムグルメ@大通ビッセ
石狩管内文芸交流大会
第4回ヒアラタ朗読ライブ
T38
詩集『花の国』出版祝賀会
トムトム・キキル4人展
DANNP写真展
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ヒロシマナガサキ原爆展
第3回ヒアラタ朗読ライブ
カルチャーナイト2011
『麦笛のかなた』出版祝賀会
おんこ祭
第17回山猫座朗読らいぶ
キャンドルナイトin札幌
HOKKAIDO HAIR DESIGN 100
四人の詩書出版会
第16回山猫座朗読らいぶ




面貌(つらぐヮまエっ)展 自由工房 esna-etor
単純に、お面の展示会というのはあまり見かけないので、興味が沸いた。告知のチラシにははっきりとした、目があるわけで、この違和感があったのも事実。
さて行ってみると展示会は明日からということで、前日の準備作業中に訪問してしまったのだが、壁面に飾っているものについては、見ることの許可をもらった。



で、これらはすべて被れないのだ。祈りのための異形の面ということである。成る程、「面貌(つらぐヮまエっ)展―鎮魂そして祈りの奉納面」となっていて、修験仏師の堀敏一の作品群である。信仰という形式であり、五穀豊穣、災難退散、所願成就ともある。
そして実物を見て分かるのだが、この目だが、布を窪みにはめこんで色付けしているのだ。これを良しとするかは、結構異論がある。私的にはまるで、絵画を見るようで逆に異界の入り口には思えないのだ。
それでも数あるうちには、輪郭が欠落し、目鼻唇のみで構成されたものや、さらに鼻と顎だけのそれこそ戦国時代の”頬当て”のようなものがあり、形状というものの面白さは充分ある。


自由工房 esna-etor

期間:10月16日〜23日迄 / 自由工房 esna-etor:旭川市2条14丁目左1号



第1回吉田一穂研究会 北海道立文学館 9.25
「吉田一穂研究会」の発起人に名を連ねるのは、大島龍、高橋秀明、平原一良、山田航、渡辺宗子の各氏である。
北海道で非常に人気のある詩人ということで、当初の予定参加者を大幅に超えてしまい、急遽会場が地階の講堂に変更となった。
初回のテーマは、テクストの転生「白鳥」を読む。講師は発起人の一人、山田航氏。この作品に対して、希望を具現化しようとしての開拓地・北海道の姿を見るのだという。人物という以上に 理想の地であるということ。未来志向であり、近代化という面のウェイトが大きいとのことだ。 この提案に対して異論が続出するというタイプの勉強会である。
例えば、タイトルの「白鳥」に若山牧水との共通点を探すか、みにくいアヒルの子で足りる・のか。さらに深く、短歌との差異にこだわる人もいれば、一瞥もなく関係なしと切り捨てる人もいる。10章の”古代緑地の巨象”を地質学の観点から地軸のブレによる気候変動の詳細をみたりと、なかなか面白かったり、忙しかったり。



こうした形式の勉強会は初めてで、ふ〜むとばかり思っていた。私的には、特段に研究してはいないので、そも「白鳥」一章の”消える”とは何か。で、”印”を組んで…それを解く以上、未来志向ではあろうが近代とは全く関係なく。白鳥座の広大とか、時空を立体的に立ち上げるイメージばかりを、広げて聞いていたのだ。

毎月第四日曜日 13:00〜・会員資格は不問・資料代の実費(300円程度)を徴収



第20回山猫座朗読らいぶ ソクラテスのカフェ 9.24
今回のタイトルは「古典」である。
田中久雄氏は、初めての朗読ということである。上田秋成作の雨月物語より「菊花の契り」。 さて非常に凹凸のある声だなぁ〜というのが、第一印象であった。ブレスの切り方が不自然で、角があるのが面白い。最後の交流の場で、脳梗塞のリハビリとして、語るという意思を作って声を出しているとのことだ。成る程、斜めな入り方というのか、演技?と思っていたが違った。一音を一音が追いかけていくような切迫感があった。決して重ねているのではないのだ。
比嘉秀子氏は「源氏物語」を沖縄方言で読むというもの、ちゅう・なあ・んとも不可思議な試みであった。が、沖縄人には日常語なんだよね。ご本人も、古典を地元の言葉でみたいなことを言っていた。が、固有名詞以外は無理です。物語以外の、挨拶とかは雰囲気で分かるのだが。


朗読 綾部清隆氏

綾部清隆氏は芭蕉のおくの細道より。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」というフレーズは最高ですね。しかし今回の朗読は「出発まで〜平泉」で、その風光明媚な土地が津波でどこまで荒らされてしまったのであろうか、とも思う。朗読としては、文中の俳句を二回繰り返すのだが、最初ゆっくり、二回目早めにという変化があり、安心して聞ける声質である。
ラストの庄司幸子氏「野道」は明治の幸田露伴作だが、この時代も古典となったか。でありながら、古語とは思えない部分が多く、そのまま話として聞けるのは楽だ。はっきりとした発語。



オータムグルメ@大通ビッセ 
さっぽろオータムフェストに大通ビッセ1周年がコラボしたものである。
大通ビッセに入店している飲食の店舗が、買い上げごとに抽選券を渡してのアニバーサリープレゼントを10月2日迄、実施中。
大通ビッセの3・4Fの特設会場で、佐藤隆之個展が開催中。
タイトルは「歓びの謳」(yorokobinouta)、3Fではワイヤーを使っての生物作品を、4Fではペーパースクラブチュアを。窓ガラスにびっしりのトンボとか蝶はなかなか面白い。10月15日迄。



その他にも2Fで「日本のクラフト20人展」が開催されている。一人ひとりのスペースは大きくはないが、色々な作品が楽しい。ウッドの香りが心地よい。こちらは10月23日まで開催。



石狩管内文芸交流大会 恵庭市民会館 9.4
毎年、石狩管内の市町村の文芸愛好団体が、持ち回りで開催している。
基調講演に、恵庭短歌会会長の乙犬拓夫氏が「生命のたけびとしての短歌」と題して、言霊の思想、大和言葉の歌の前における平民も兵士も乞食や遊女に至るまでの平等性、短詩としての意味合いなどについて。また、辞世の言葉としてのうた、中国での戦乱期での自分の志、もしくは仏事としての悟りの境地としての説を紹介。
昼食後に、詩の朗読と二胡の演奏がなされた。二胡演奏は福士三隆氏で、中国の楽器が意外と日本の唱歌にあうと、「浜辺の歌」「故郷」「埴生の宿」の三曲を披露した。
詩の朗読のトップは上森裕子氏でゲーテの「月に寄す」。くちづけの感触にも、真実の愛を求めていく、かけがえのないもの。忘れることのできない胸の内側を、ビオラの弦の響きが叩く。ビオラ演奏は佐山さつき氏。
小山忠弘氏は柴田トヨの作品から、92歳を老人ホームに迎えに行く、どんよりとした雲の日のコスモスのことなど「母1」と「母2」を朗読。そこに福士氏が二胡の旋律で、情緒をかもす。
村田譲は今年の暑すぎる夏、そして講堂という広さから作品「蝉の樹」を選択。


恵庭市民文芸会長 村上利雄氏 / 右・総合司会 高橋正彰氏

その後、参加エリアから代表一名選出ということで、テーマは「私の創作・作歌作法」。石狩市から小中学校で俳句指導をしている釣本峰雄氏。江別市は短歌の島村章子氏、北広島市の田中比沙子氏は綿密なレジュメで短歌のことを。新篠津村の志賀勝氏は俳句、だが平均年齢は82歳になろうとしている。千歳市の綾部清隆氏は創作の発想についてを述べられた。当別町の坂田資宏氏は短歌について。恵庭市からは村田譲が詩の朗読活動と、書く言葉読む言葉、コトバのこと。それぞれが発表し盛会のうちに終了したのである。



第4回ヒアラタ朗読ライブ HIARATA ART STUDIO 9.3
今回第4回のテーマは「生きもの」でした。 苫小牧の斉藤いづみ氏は、初の朗読ライブ参加とのこと。モンゴル民話「スーホーの白い馬」は、馬頭琴という楽器がどうしてできたのかという物語である。悲しくも愛おしい音を、最後に贈ってくれた白い馬のことを、優しく素直な声で。
十月桜氏は、星新一の「最後の地球人」を読み上げるのだが、一体何年前の作品であろうか。全くといっていいほどに現代の状況とそっくりな気がしてくるのだ。空恐ろしいこの感覚が、SFというジャンルである。もっともこのラストを希望と名づけるつもりは、ないのだが。
田中瑞枝氏、「カナリヤ」は、K・マンスフィールドの作品である。ペットというだけではない、家族の一員としての愛情をその歌声のなかに聞き取るのである。私のココロのガランドウ。あの鳥籠の姿と同じく。


朗読 森永裕爾氏

森永裕爾氏は自作詩「連なりしものこの世の淵に」から声を出す。女性は超えることのできないものであろう・との思いから。さらに作品「螺旋上の夏」「僕はあなたに構築する」「思念の外観holy」の計四篇を披露。声の質が割りと柔らかいので、女性という内容に対して、温かみを感じるのは、この人の特性といえる。
村田譲は、地球の内臓を抉る作品「臓腑」、人間には聞こえないであろうガイアの声を作品「石の声」の連作で、人間の歴史を刻み続けている作品「河」の三篇を朗読した。
壁面の作品をデザインしたのは一谷誠子氏、タイトルは「ミトコンドリア」。



T38 
地上160M、眺望360° 札幌の街を一望できるのが、T38です。JR札幌駅直結、おおらかなトイレタイムも満喫?できます。男子限定ですけれど(笑)


北側

ステラプレイスの6Fで、展望エレベータ乗り換えです。以下細かい説明はございません。


西側




南側




東側




眺望トイレ




詩集『花の国』出版祝賀会 すみれホテル 8.21.
瀬戸正昭氏の詩集『花の国』の出版を祝した記念会が催された。 オープニングの司会は森れい氏である。発起人代表の荒巻義雄氏の挨拶後、林檎屋主人のお礼の言葉とミニコンサート。
祝杯をNPO法人農・と・ぴあの大西英昭氏。スピーチでは室蘭の三村美代子氏が詩誌『饗宴』での林檎屋主人日記でのいい〜生活ぶりを羨ましがり、清田図書館の森昌彦氏は高校時代の寮での生活の話を、北海道詩人協会会長の綾部清隆氏は詩集の”花”は花伝書から取ったものではないのかとのコメントを。


中央 瀬戸正昭氏 / 司会 嘉藤師穂子氏

次いで詩集の朗読タイムとなり、一度司会は嘉藤師穂子氏にタッチ。 まずは岩見沢の菅原みえ子氏が「まゆこの冬やすみ」を、訥々としたテンポで、でも詩に登場するのは嫌だからね・とのコトバを。
櫻井良子氏は作品「べつべつに歌われる愛の歌」を、連ごとに男女それぞれで読み、その後一緒に読もうとの提案を、村田譲に振ってくる。成る程この作品は、ソネットを薄く剥いだ構成の様に思える。ならば重ねてみるかということで、脚韻までは踏めなかったが、4-4-3-3となんとか言葉を重ねての朗読であった。
森れい氏は「ディベルティメント-わがモーツァルト」を低く低く強い声で歌い上げる。童話作家の加藤多一氏は、アンコールで二篇。最後の朗読は今回の主賓である瀬戸正昭氏が締めくくった。
その後も小樽の長屋のり子氏からのコメントや、中野より子氏のシャンソンなどで華やぎ、終宴の挨拶はHBC常務の長嶺岩敏氏にお願いしたのである。



トムトム・キキル4人展 
トムトム・キキル - tomtom kikir - とは、アイヌ語で「蛍」のことをいう。 恵庭を拠点にすでに4回目とのこと。今回のテーマは「あお・いろいろ」である。それぞれが思い思いの「A・O」を映す。
詩を掲載している半澤孝平氏。「どうしょう」で始まる作品は、そのままの戸惑いをみせる。迷いながらも進まなくてはいけないという、躊躇ってブルーな気持ちになるのは、相手を思いやるということから生まれてくるのだ。もうひとつの「ながれる風の」から始まる作品は、魔法のような空の深みに溺れていく、秋への賛歌。
庄司トモ子氏の詩は「あお・いろいろ」という、どこかで聞いたタイトル。あじさい、ベラドンナ、青い鳥を待って…と、そこまで読みつつ、下に並ぶ写真作品にタイトルが無い。が、文字に書かれている一行と並ぶ写真の一枚が、ここでは、噛み合っているストリートなのだ。



中央には、中村哲泰氏の絵画。油絵作品で「ヒマラヤの空」とある。パスポートさえない私は、ヒマラヤといわれて、何ともいえない羨ましさが先に来るのだが…。鋭利な白い雪が天を刺す。切り裂く頭上には、濁りの天空を払いのけるように、透き通ったぽっかりがまぶしく。
さて、近藤春夫氏の写真群である。写真には題名がひとつづつ付いている。そのなかでも作品「秘密がいっぱい」。これは素敵だ、花びらの下にかくれんぼしている木の実のプツプツに触りたい。また、作品「真夏日シーソー」。さび付いたように青い持ち手、夏の子どもの日は、これほどまでに遠くて、そして懐かしいものであったろうか。



8月31日迄 / えにわ市民プラザ・アイル(恵庭市本町110番地)



DANNP写真展 北の貌2011
北の写真家集団・DANNPの北海道の自然をテーマとした発表会。10名のアマチュアカメラマンがそれぞれ4〜5点ほど作品を出している。
金澤静司作品「Symphony 色と光と音の-」。なかなか水の表情がいいと思う。小野寺由紀作品「森のともだち」はリスを見つけるのだが、向こうは友達・と思っているのかねぇと心配する。 西井作一作品「四季の彩り」はそのタイトル通りで、鮮やかな色であると思う。
山本隆作品「色の風景」。これが一番いいかな、焦点を決め込んで、ピントを一点に絞ることでのぼかしの効果が好きです。




8月17日迄開催:富士フイルムフォトサロン札幌(札幌市中央区大通西6丁目)



ヒロシマナガサキ原爆展 札幌市役所1Fロビー
札幌市役所内での原爆パネル展である。原爆ドーム、一本足になった鳥居、飴のように溶けてしまったロザリオの写真パネル。とても人間には思えない被害者たち。
爆弾の高熱で解けた瓦の現物。本体にのめり込んだ破片。白く残った陰膳などの資料が20点ほど展示されている。
第二次大戦や原爆の絵本コーナー。NHK制作の「ヒロシマに一番電車が走った」などのアニメビデオ上映のコーナーもある。
パネルといえども、見るも無残な垂れ落ちる皮膚を纏う人々などの姿は、正視に耐えないが、見ておかなくてはならないものがある。



展示会は8/16日迄



第3回ヒアラタ朗読ライブ HIARATA ART STUDIO 7.16
今回の朗読テーマは「怖い話」。
朗読グループ花音(かのん)に参加している、ひろ子氏からの贈り物。怖いものには見ることのできるものと、できないものがあるのだと。そして森瑤子作「嫁と姑と」から、怖い心を持つ女たちの話。死神を見たと告白する姑、ようやく40年の付き合いを終わりにできるのだと、そう確信したのも束の間…。さらに檜攝子作「弔問屋」では、男にとっては身の丈の凍る話が進む。
次いで札幌からは、山猫座座長の嘉藤師穂子氏が、夏目漱石作「夢十夜」より選んだ夜のこと。まずは第三夜への誘いから、目の見えない子どもを捨てるために背負う男の脳裏には、はるかの記憶が甦り、さてこの道は…。さらなる第四夜では、白い髭老人を追いかけていく、どこまでも見えなくなるまで追いかけるのだ。改めて漱石の構成力を思い知らされもする。


朗読 嘉藤師穂子氏

朗読スペース・イルベント主宰の宮野入恵美子氏は、久生十蘭作「黄泉」から。実に7月13日の話である。交霊術による再会のためルダンの家に向かうのだが。ニューギニアで亡くなったオケイの意思が、その友人を通して語らせる、赤道直下での雪の降る情景。
語りの合間に、内海悦子氏は二胡の音色を披露。曲目「浜辺の歌」「ラヴァーズ」を演奏する。
最後に登場したのは小樽の詩人、萩原貢氏。自作の詩集「夢幻草紙」より声を震わせる。語る言葉、書く言葉のギャップを埋め尽くす。作品「黒髪」では、おぼろに聞こえ、見えてくる遠い夏の暗闇からの。さらに作品「餐異(さんい)」では、蒼く怪しい光、お腹を空かせたあなたへ、白いマンマを食べさせよう、と鬼気迫る演出。


朗読 萩原貢氏




カルチャーナイト2011 カトリック北一条教会
18:30からミサが行われた。今日7月15日は聖ジョバンニの祝日とのことだ。
その後に北一条教会の聖歌隊とオルガニストによるミニコンサートが開かれた。最初の曲目は、In Monte Oliveti。次にマラナタ、これは好きな歌なのだ。
ミサ曲には、キリエ、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの四曲が合唱された。いいのだが、日本語の歌詞ではないのでなかなかね。
それから、A Festive Alleluia。最後に、この心地よい夏の日に。コンサート自体は30分程度のものかな。コンサートの後は、コーヒータイムもあり、ミニミニブック販売もありの会でありました。



御ミサの方が私的には充実していましたが…。それでも大きな声で歌うことは、そのまま大きな祈りであると神父様に聞いたことがあるし、ね。



『麦笛のかなた』出版祝賀会 すみれホテル 7.3
渡辺宗子詩集『麦笛のかなた』の出版祝賀会が開催された。
発起人を代表して福島瑞穂氏が挨拶。詩集の感想を谷崎真澄、高橋秀明の両氏が述べられた。祝電を長屋のり子氏が披露。乾杯の発声は釧路から駆けつけた畑野信太郎氏。
その後今回のちょっと変わった趣向である「当日『麦笛のかなた』を携えて頂いて、一篇、各自朗読をお願い致します。同じ詩の重複もご愛嬌…」の朗読タイムに突入した。司会は嘉藤師穂子氏で、朗読順番を自由に指名してくる。
トップは詩誌「阿吽」の同人である佐藤裕子氏、作品は「水琴の邑・II」を選択。強い声であり、主張の形が見える。次いで大貫喜也、入谷寿一、森永裕爾、佐藤孝、本庄英雄の各氏が詩集の掲載作品を朗読披露した。


花束の贈呈

そのなかでも櫻井良子氏は「ゼリーから立ち上がるものたち」を完全に、自分オリジナルの櫻井節に変形。スタッカットの連射するコトバに、切り崩れていく粘性がサクライ的な響きに変わるのだ。
横須賀の下川敬明氏は渡辺氏に「麦笛のうた」を捧げる。いつの間にか14歳、一人胸を震わせ、未来からの声が聞こえない。やさしい色のクレヨンで描く家、あきらめの道。うずくまる14歳の夢。
まあ、村田譲は今回のまた(?)ご愛嬌も”独特”に解釈をさせていただいたうえでの参加である。 予定者の朗読の後にも、飛び入りやリクエストのご指名、シャンソンなど賑やかに過ごしたのである。総合司会は本庄英雄氏。



おんこ祭 サッポロビール北海道工場
北海道恵庭市の夏。サッポロビール北海道工場でのビヤフェスティバル2011「おんこ祭」です。 東日本大震災の関係か、例年の行事のいくつかは中止で、やや大人しめではありましたが。 であってメインはやはり、チャリティー生ビール販売で一杯200円。テントでは焼きそばに、焼き鳥、ホタテ焼き、コロッケ、ジンギスカンなどなど。
ま、ステージの前には椅子があるわけでなし、単にパレット重ねておいてあるだけなので、シートとか持ち込んでる人は多いな。結局、ビールに食い物にステージで、もうお腹一杯。
恵庭市民吹奏楽団の演奏、YOSAKOI演舞、恵庭市民少年少女合唱団のステージなどパフォーマンスで盛りだくさんでありました。


YOSAKOI演舞

ちなみに「おんこ=《アイヌ語から》常緑高木イチイの別名」と思っていたのですが、季語的には、実が秋、花は春である。ということは「恩顧」=感謝祭なのかな〜。



第17回山猫座朗読らいぶ ソクラテスのカフェ 6.25
今回の朗読テーマは「時」というものであった。
時は一方向に流れる”時間の矢”であると思われがちだが、現代物理学では、時間が流れるように思うのは錯覚に過ぎないとか、そもそも今という一瞬にさえ重きを置かないのだ・との話をしたかったのだが、それじゃあ詩の朗読でもないと断念。せめてとばかりに村田譲は、感じること-言葉が刻まれること-聞いて訪ねること-の時系列を、作品「蝉の仔」「碑にねむれ」「蝉の樹」と逆さまの順番で朗読したのだ。
続いては、夢科学えにわネットの斉藤えり子氏。芥川龍之介のひたすら待つこと「尾生の信」、夢幻の人生といえども生き抜くこと「黄梁夢」。いずれも芥川の作品の構成度、また斉藤氏の通る声が賛美の的であった。
山猫座スタッフの米倉勇年氏は、原田宗典作「テーブルの上の過去」。これは作品の選択がいい。米倉氏の声のトーンともあっている気がして、曳かれた。ストーリーはある意味中途半端に切られるのだ。彼女に裏切られた男が、過去を変えられるという占い師の女によって、裏切られなかった過去にタイムスリップした、もしくは今の認識をもって過去を自ら変更したのである。


朗読 加藤多一氏

児童文学作家の加藤多一氏は、「北の川ををめぐる九つの物語」から、言葉遊びと謎々「なんぞ川のあのかた」と、いつか見た記憶の「むこうの川」の二作品を紹介。そして3月11日以降を思い体調を崩して、頭ではなく体で書いた詩ノヨウナモノ(だそうです)「ひとつにはなれない」を朗読。もうひとつの太陽を偽造する人間の不遜を訴える。一億でまとまれと言い募り、日本は負けないとのシュプレヒコールは、戦時下となにが違うのか!そしてトップは責任を逃れていくのだぞ、との厳しい身体からの言葉を。



キャンドルナイトin札幌 
キャンドルナイトの催しが各所で開催されていた。ここでは蝋燭の下での、読み語りと生演奏の夕べであった。朗読の際は蝋燭の明かりだけでは、本の文字は読めないので、ちいさな照明を使うのである。



朗読ユニットすいんぐという二人グループが参加していた。お笑い、小ネタ、怪談と色々あったのだが、アメリカインディアンの「天の火を盗んだうさぎ」が面白かった。悪戯にかけては天才とされているようだ。地上には火がなく寒かった。天に近い山に住まう天の人たちと焚き火の周りで陽気に踊り、頭につけた羽飾りを振りかざして火をつけ逃げる。疲れた兎は、リスに火のついた羽飾りを渡し熱さで尻尾は丸まった。疲れたリスはカラスに渡し、ススでカラスは黒くなり、次いでアライグマがしっぽと頭を焼いて、七面鳥は首から上を火傷する。火が消えそうになり鹿は長い尻尾に火を移し、以来短くなったのだとか。最後に火が隠されたのは森のなか。天の人は見つけることが出来ずに帰っていく。火は枝と枝の間に隠れ、擦ると現れるのだという。
谷川俊太郎の「いきる」もシンプルだが、力強くはある。
次いでピアノ演奏でゴスペルが歌い弾かれた。しかし演奏の合間に、福島原発のことに言及するのだが、収束しなかったらどうするとか煽るばかりで、はしゃぎすぎ。北大カフェプロジェクトが臨時のカフェを開設、マイカップ運動しながら、コーヒーなどを販売。私はクッキーを一袋買ってきた。



HOKKAIDO HAIR DESIGN 100 CIA02
北海道ヘアーデザイン100人展は、若手の美容師が主体となったヘアデザインの発表会である。しかし一般の美容コンテストは仲間内だけのモノになるため、外部への発信として今年で、3回目であるとか。



山下大器「Blue-SKY」、バラバラのバサバサで青と言われると青めの髪の色だが、赤のハートマークの方が印象に残るが…。サトウタイキ「smile」、なんともモデルの雰囲気が可愛らしい。
木村創造「曲線」の赤くてクシャクシャなところが好きだな。後藤亮「蘇る花」、これは髪を土台としてその上に、頭それ以上の大きな花束を乗せてしまう。
akari KESTKA「トロフィーガール」は、茶色のストレートの女性なわけだが、タイトルとイメージが重なるシンプルだがいい。Lino Sled R「怒と心」では髪型をいじくりまくっていくわけだが、女の子って、本当に頭の上が自由だなと感じる。
美容師一人で、メーク、スタイリスト、カメラマンをこなせるという人も少ないので、共同作業になっているとのこと。そのためか、フレームを埋め込んでみたり、髪に風景を当て込んでみたり、奔放な感じのものが多い。単なるヘアーカタログの範疇ではないところが面白い。

CIA02(札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2F) 6月21日迄(13:00〜23:00)



四人の詩書出版会 北星学園大学 6.4.
詩集の出版を記念して、朗読と現代におけるキリスト教と平和の詩と詩論の発表会が開催された。
最初の自作詩朗読は、東北北上市から来道した斎藤彰吾氏。地元の方言や擬音を取り混ぜた音を出す。”エッサカ・ホイサカ、いいとか、うまいとかシロートだとか、そんなこと分かるもんかい!”と実に威勢がよい。声の詩のこと、活字の詩のこと、そのまま作品に溶け込ませて、50年前のことまで垣間見せる。お医者さんごっこという遊びをも取り込んでの、生活に根ざす言葉たち。
谷崎眞澄氏は作品「夜間飛行」からはじめる。作品「留萌海岸」などは北海道の厳しい冬、荒れる海は雪を跳ね上げ、雪が下からうえに降ると声にする。荒々しさがそのままぶつかってくる。作品「移動と配置」での、呼ぶとくるトナカイなど、何のことだと思うのだが、死はそのようにあるのかもしれない。左手を見る癖の作品「くるみの木」など七篇を、淡々と、説明なしの言葉の積み重ねでも、イメージがぶれないのだ。
木村淳子氏はコーヒーの苦味、風の感触の作品「再生」から春の言葉を繰り出す。苦味のなかに甘さ、冷たさのなかの暖かさ。朗読の後に”春が好きなんです”と話し始める。”待つことしか出来ないけど、抜け出せるまで待つんです”。作品「顔」の前振りに”書けたということは抜け出したのだろうか”と、老いた自分の顔に、亡くなった幼い妹を見つける。作品「彼女は黙っていた-被爆マリア像によせて」では瞳を失った眼窩、体をなくし埋もれた声を開く。
矢口以文氏は、作品「爆弾穴」で、あまりに巨大な爆弾穴に水が溜まり、泳ぐ僕らに銃弾の驟雨、赤く染まるプール。東北石巻の出身でズーズー弁の作品「プロポーズ」の無農薬の健康で、平和な生活。作品「アレン・ネルソンさん」、奇襲で防空壕に飛び込んだ時、両手に生れ落ちた赤ん坊を拾う、母は臍の緒を噛み切って逃げる。残るべっとりとした血に命の重み。育った地に原発を誘致しようとする作品「ようすけ爺つぁん」の言葉、”何えってんだ!すんずるもんか!”。


司会者と朗読した皆さん

方言と現代語。男性の声と女性の声の持つ体温。注釈のない作品主体の読み方と、どこまでも繋がりを組み込む手法など、色々な対比が見えた朗読会であった。 詩の朗読の後は、コールサック社の鈴木比佐雄氏と佐相憲一氏による詩人紹介。次いで来場者による質疑応答の時間。中国からの留学生の方が、日本の詩は政治的ではないと聞いていたが違うと思ったとの感想。今回の四名は大当たりです!と言いたかったなぁ(笑)。総合司会は、松田寿一氏。



第16回山猫座朗読らいぶ ソクラテスのカフェ 5.28
今回のテーマは「男と女」というものであった。
トップには絵本の会所属のはらっち氏。うさぎ三部作である。「どんなにきみがすきだかあててごらん」「しろいうさぎとくろいうさぎ」「にんじんケーキ」である。童話での「男と女」って、どんなになるかと思ったら、好きという・表明、好きという・不安とプロポーズ、好きでいつづけること・結婚、という考えられたプログラムであった。
次いでの朗読は林檎屋主人の瀬戸正昭氏。最初に「顔」という作品、目を覚ますと目の前にいるというシチュエーションは、一夜を共にしたと考えるべきであろうな。どうも金髪らしいが…。アンナは金髪? そして作品「ウロンスキーの誤算」、ウロンスキーはトルストイ原作の『アンナ・カレニーナ』の登場人物である。となると、この原作を読まないと真意は不明ということにはなる。不倫の愛、そして銃口。三つ目の朗読に「死」、これはアンナのモノローグ。


朗読 瀬戸正昭氏

熊谷ユリヤ氏は詩集『名づけびとの深い声が』『声の記憶を辿りながら』より、五篇の作品を抽出し、ハープの音曲を流しながらの朗読である。間違い電話に答えて成りすます、時間の向こうからの鵺の声に、引き裂かれることがあるからこその深まる絆、孤独の果てに生き抜く覚悟の女、そして追憶。


朗読 熊谷ユリヤ氏

やさしい時間所属の庄司幸子氏は、幸田文作「台所の音」を。料理人の夫は、胃癌であるが、妻はそのことを夫には話していない。しかし医師から診断を聞いたときから、音が乱れていると指摘されるのだ。こうした細やかさは女性ならではであろうな、さすがである。もっともご本人は難しい朗読であるとの弁。


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