人形というと、どうしても抱きしめることを目的としていると思うのだが、そうでもないようだ。
素材としては、紙粘土が一番多い。江別の江川香作品「種、でしゅ」がめんこい。果実が割れて指をくわえているとか、レモン的な種ベッドのなかで寝ている赤ん坊の姿。
札幌の木村悦江作品「春を抱いて」であるが、皮製なのだが、持っている花の色合いが絶妙である。
もっとも気に入ったのは、北見の皆川優子作品「イモウト」が白髪で銀の肌、ちょっと不思議色がいい感じ。
http://blogs.yahoo.co.jp/yukominagawa/28515471.html 樹脂製では、室蘭の花野裕一作品「うたかた」というのもある。 http://blogs.yahoo.co.jp/supersculpey001 公募展とのことだが、それぞれ作家さんが応募しているようで、レベルは高そう。しかしヤングコーナーという、三歳から高3生までの紙粘土はそれなりに面白くもある。 札幌での展示会は5月22日で終了したが、6月16日〜21日に、帯広の藤丸デパートで開催される。 |
総会が滞りなく終了し、詩人祭の時間。自作詩の朗読とスピーチである。 トップは石井真弓氏作品「水芭蕉」。藻岩山の頂からの解けた雪が、麓につくる沼に空が移りこむ。咲き乱れる水芭蕉。しかしガツガツとイントネーションを壊しては、巡る季節が沼を消し、土ばかりのここに、また春という季節が水を呼ぶのだ、と。 綾部清隆氏作品「見知らぬ女」。川の浅瀬に立ち一枚の写真に納まる姿は、誰。自分が売れれたことなど、一葉は知る由もなく開いた本に収まっている。昭和30年代の本屋街で、本を売りに行っては酒代にした見知らぬ女を。 橋本征子氏の作品「カブ」。カブの白さを歌い上げながら、緑の萎えた葉をざっくり。いっそうの白い死に装束を纏って、転がっていく首。赤い血が噴出してきそうな形相を、静けさのなかに見つけるのだ。 やまだ乃理子作品「脳」。浮かび上がる映像を、言葉を音を、削ぎ取り叩きつけ外側を内側に。他人のことを自分のことに、壊れる自我というドウブツ。 渡会やよひ氏、作品「草の束」。この世のものではない草の束。残されている目を覚ましたくはない、涙。 熊谷ユリヤ氏の作品は「モネの睡蓮が池を覆いつくす前に」。なんと数学です。クロードモネの画集を前に、環境からの警告。半分まで埋まってしまった睡蓮が、残り半分を覆うのはいつか?指数関数の問題だ。 桜井良子氏作品「呼び水」。新月の夜に湧き上がる水。雑誌に掲載されていたラプサン茶を探す。映画の男は物言わぬままに。ガラスポットと暖かなカップに注ごうとしているものは何か。テレビジョンのモニターには津波注意報。騒ぐ水。40インチからの苦悩の声。 原子修氏は66年の苦悩の作品「きのこ雲の夏」を声にする。きのこ雲に追いかけられるように、どこまでも繋がる私の夏。見つけたのか、変わりえたのか。焼いたのは偽りの太陽、グミのように潰された魂たちへ。 朗読 原子修氏 自作詩朗読では、他に大貫義也、東峰和子の各氏。村田譲は、東日本大震災のレクイエムを披露。1分間スピーチには、東延江、若宮明彦、三村美代子、斉藤征義の各氏が参加した。 |
ルレーブ・フルールというのは、粘土の花のことらしい。 会場の江別市セラミックアートセンターで、その粘土の花が咲き誇っていた。素材をかなり薄く伸ばしているのだろう、いわゆる粘土の厚ぼったさというものはない。 かなり綺麗だし、どこが粘土なのかさっぱり分からない。フランス語では「夢の花」を意味するとのことだ。まあ、枯れないし、色合いも鮮やかであるから見て楽しむには最高かもしれない。 花のあとりゑhamanasuでは、品品法邑-しなじなほうむら-(札幌市東区本町1-2)で、毎月第一月曜日に体験教室を開催しているようである。 |
室蘭市民民族博物館は別名「とんてん館」。鉄を打つ音と屯田兵の音を掛け合わせたものだとか。 アイヌ語で「モ・ルエラニ」(=ゆるやかな坂道)と呼ばれていたことからの命名である室蘭は、天然の良港であり、明治からは製鉄の町として発展してきた。 1階の収蔵庫には、市民からの提供物が所狭しと陳列されている。入ってすぐに柱時計とカメラ。奥に行くに従いジュークボックスとか、電気パーマ、石炭ストーブでは久しぶりに”でれっき”と”じゅうのお”を見た。青い目のお人形もいた。室蘭は工業の町であり、なかなか文明の利器と呼ばれていたものが多いのである。 収蔵庫 ロビーに35mmの映画館用の映写機がどかんと展示されている。なかなかの大きさだ。 2階には大正時代に輪西で見つかった(現在は東京の国立博物館収蔵)土偶のレプリカ。古代文字が書かれているという石。使用目的不明の独鈷石など。 独鈷石の新聞記事 しかしホタテの貝に絵を描いて皿にするというのは、分かるが時代が違わなくないですかね?って感じだ。人力車も艦砲射撃を受けたときの砲弾もありました。 室蘭市民民族博物館 |
創作食器展である。朝食という1日の始まりである朝の食卓で、余裕を持って過ごせるように・朝の食卓をワンランクアップしましょう!ワンプレート展・なのだ。
会場で、最初に目にはいったのが柿崎均作品。ガラスの透明感が意外であった。渦巻きの柄とか、プチプチなアクセントも面白い。 愛澤光司作品は、ナンのような形の中に窪みが三つあるという機能性が好きだ。加藤和何子作品では、絵柄デザインが山と飛行機、飛行機雲。 色使いということでは中田久枝作品、皿の中央にグリーンベタ一色、そして円周部の文字にも造形物にも見えるデザインが好き。 水林瑞絵作品のひとつに、アメリカインディオの笛を吹く人の絵柄があった。 平野英恵作品は可愛らしい形。バナナを置く皿って何だろう(笑)。しかしイチゴ皿と林檎皿の違いは”へた”のカタチなんですが。しかもお皿のうえの食べ物も陶器と凝っています。 陶器で作られた食べ物 一番気に入ったのは、山岡憬作品だ。大きな雫のような形状でシンプル。色も銀結晶釉と辰砂釉で赤と黒の対比も綺麗であった。 しかし色々ある作品のなかには3連ボールという、丼450mmほど繋げた、めちゃくちゃに使いずらそうで、洗いづらそうな物も。展示作品は購入予約もできる。 セラミックアートセンター 展示会は5月15日迄、 観覧料 大人300円、小中学生150円 |
南4条から北2条までの創成川沿いに「創成川公園」が誕生。創成川通りの二つのアンダーパスを直結した創成トンネル、全長約900Mの地上部分に建設されている。道幅は約30M×長さ約800Mの規模であり、公園の中央を創成川が流れるようにも、成る程見える。
都会の小道みたいなもので、南ほど遊びがある。川の中を飛び石伝いに歩けるのは珍しいのかも。 また、散策路には彫刻が散らばっており、北方面は団塚栄喜「Re-CREATION」の作品群で、レンガを色々基調に「見えない架け橋」というものもある。繋いでほしい気もするが。 大通り公園との交差位置には西野康造作品「スノーリング」。札幌市内の条丁目の基点になるわけで、0条0丁目ということのようだ。 スノーリング また道の真ん中で通せんぼしている「生棒」は、安田侃作品と割りとすぐに分かる。邪魔だと思えるのがいいなぁ〜。 生棒 もともと創成川は、札幌東部開拓のために大友亀太郎が札幌中心部に作った「大友掘り」が元になっている。その大友像が公園に戻ってきていた。しかし向きが西向きから南向きに変わっている。札幌の大友の基点は東からであろうに・なんか、な。 大友亀太郎 像 |
今回の詩話会の講師は、作家の荒巻義雄氏である。テーマは「詩」における精神分析とレトリックだが、荒巻氏のレジメには「講演の目的/講演者自身の詩作のためのノートの試み」となっている。 まず、象徴としての意味について。そして、比喩の種類と実例をクイズ形式で考えた。 直喩(明喩、シミリー):「まるで〜Aのようだ」と比喩であることを明示したもの。 隠喩(暗喩、メタファー):比喩であることが明示されていない、みたてによる比喩。隠密のことを「犬」といったり、「マシンガントーク」などという表現のこと。 換喩(メトニミー):関係の深い隣接しているもので代用する表現法。「二本差し」というと武士を表すことなど。 提喩(シネクドキ):上位概念で下位概念を表したり、部分で全体に置き換えたりする。「どちらかといえば豚より鳥の方が好き」との発言は、鳥という上位概念で鶏という下位概念を指し、鶏という全体概念はさらなる部分概念の鶏肉とか、鶏肉料理を指すことになる。包含する関係性があることで換喩と異なる。 諷喩(パラブル):例えのみを提示して本当の意味を間接的に推察させる。「人生は旅である」など。 濫喩(カタクレシス):あえて単語を「誤用」することで表すレトリック。机の「脚」というが、「脚」本来は人間や動物に用いるものだ。 また、異化について、シクロフスキーの言葉を引用し「芸術の目的は・非日常化すること。何を書くかではなく、如何に書くか。その手法こそが芸術の主人公だ」と。また、キュビズムや、サルトルの存在論、ソシュールの言語学にも話は広がる。そして詩の実例として、ヒューム、パウンド、イェイツ、エリオットの作品を取り上げた。 懇親会に入り、木村淳子氏の詩集『美しいもの』の出版のお祝いを行った。田中聖海氏が作品「うた」を、森れい氏が作品「美しいもの」をそれぞれ朗読された。また、旭川から参加の今本千衣子氏は『命をあずける医者えらび』(実地医学のための会・篇)にエッセイを寄稿されたとのことである。 他の参加者に小池温子、森永裕爾、瀬戸正昭、嘉藤師穂子の各氏と、村田譲。 |
恵庭市民文藝主催の「詩と語らいの宴」が恵み野の音楽サロン「プリエール」で開催、音楽が流れる中での朗読となった。まずは福士三隆氏が二胡の演奏で、草原の風を吹き込んだ。
そして朗読は小山忠弘氏が、柴田コウ作品を声に出すことで始まった。国府田稔氏は、有良富三作品を太く落ち着いた声で発せられ、その声をピアノの音が包込んでいく。書家の川口ヤ子氏が新川和江作品を、上森ゆう子氏は長田弘作品をはっきりとした声で披露していった。 また、市民文藝会員の岩井利海作品「カリンバの恋」「涙の詩」が小山氏に、藤森芳郎作品「海辺にて」が上森氏により、代読された。 自作詩では半澤孝平氏が、恵庭市民文藝の別冊号に発表した軽妙な作品「おでん」で味わいのある雰囲気を。さらに「ままならぬ」と「はてな」を、遠藤起代氏のピアノとともに、伸びやかに披露。 村田譲は小惑星探査衛星を擬人化した「はやぶさの告白-2592」を。2592とは、イトカワでトラブルに見舞われて停止した航法カメラが、地球を撮影するために再起動するまでの日数である。次いで夏の作品なのだが、その日演奏されたピアノの音の伸びやかさにつられて「蝉の樹」を披露したのである。 さらに当日聴きに来られたなかに、朗読がこんなに面白とは思わなかったと、市民文藝に参加を申し出られた方がいたとのこと。なかなか嬉しいことであります。 |
札幌駅前通地下歩行空間が開通し三週間ほどが経過した。この新しい地下通路の空間は、お店がなく、まあ、喫茶部は存在するのだけれども、とにかく広々としていて左右が遠いのがいい。 その記念催事として「50M美術館」というミニ作品展が開催されていた。企画はCAI現代芸術研究所である。 地下通路の工事の最中なのか、異様に林立した森が一枚のパネルとして張り出されていた。 澤口彩作品の「現代百鬼夜行絵巻」は、どこかでみた蛙と兎がビデオのなかで生き生きと飛び跳ねていた。 柿崎煕作品「林縁から」というのは、白い壁にめくれ上げたピーナッツのカタチが張り出されている。 この催事とは別に、北洋銀行とか、UHB、白い恋人の広告がでかでかとあって、なかなか自由な空間を演出していたのである。 |
ヒアラタアートスタジオで肉声による朗読会を開催。 第一回目のテーマは「花」である。おおよそ1.8M×7Mほどの巨大な桜の千切り絵を背景として、朗読ライブのこけら落としは、苫小牧在住の詩人であり画家でもある、やまだ乃理子氏。自作詩「月」を愛おしく感情をこめて発語していく。見つけたつもりの、何を、誰を。宇宙のなかを飛び回る。語尾の伸ばし、強調することで一定のリズムを作っていく。そう、わたしは生きているのだ。 続いて、北海道詩人協会の会長の綾部清隆氏が、言葉にしたのは世阿弥。『風姿花伝』あの、能の理論書である。花は心である・という。花を知ることは奥義を知ることであると。面白いこと、珍しいこと。しかしこの世に無い珍奇を衒ってはいけない。すべてを表に出さずに、季節という時期を知ること。なかなか手にする機会などないわけで、ちょっと驚いたのだ。 十月桜氏は、苫小牧文学会員である。秋の生まれだから十月。コスモスではありません、そういう桜の花があるのだそうです。日本のアンデルセンのお話、二つの国の国境守備員の葛藤を、割と黙々と声にしていく。 朗読 森れい氏 苫小牧在住、彫金家でもあり、詩人でもある森れい氏は自作の詩集『密約さくら』から、作品「夢遊桜」。遠のくほどに花に見つめられていく、わたしの中に埋もれている桜の断片に胸が熱くなる。もう一作品は「密約さくら」。記憶の中に咲き続けるもの、約束という誓いの花。 最後に朗読スペース・イルベント主宰の宮野入恵美子氏。20分という制約の中で随筆を選択。淡々としながらも、癖が無く、一聴衆として聞くと、非常に受け取りやすい声質であった。 今後も隔月ごとに四名ほどで構成し、肉声の素晴らしさを伝えていく予定とのことである。 ヒアラタ アート スタジオ |
江戸時代の生活を「いき」と言い表すのは、まさにその時代を写し出した浮世絵の功罪であろう。改めて江戸時代の道具や服飾と描かれた絵を比較してみるのだ。 「自鳴琴」とは、今でいうオルゴール。ま、その音色は聞けないのだが、すごい豪華さだ。置き台の上に脚付きテーブル、そこに支えを作り中空の台が雲の形か、うえに乗るのは鳳凰を模った船であり、その背に琴と笙が鎮座するのだ。わずかに300mm位だぞ。 女性の衣装にかける執念を思うのは、小紋見本帖、小紋更紗帖、南蛮更紗帖の生地見本帳だ、どれも厚みは数センチに及ぶ。 櫛はまた、えらく立体的で、松竹梅に鶴の絵図で20mmのうちに詰め込まれている。これを髪に飾るのだから素敵だろう。 なんとなく笑えたのは、渓斎英泉作「美人仙女香」や歌川国貞「江戸名所百人美人」の連作。化粧品の広告ポスターであり、白粉や刷毛や化粧水を見せていたとのことだ。最も、白粉にしても鉛の含有率は当然に記載されていないのだろうが、ね。 はんじもの・というのも楽しそう。絵に意味を持たせる遊びみたいなものだが、「あ」と「か」の文字入りの傘で「赤坂」。鵜が看板のうえにいるから「上野」。二本の梯子に濁点で「日本橋」だと。 双六も面白いが、どこからスタートしてどこまでゴールなのか、見ていると面白いのだ。 しかし、源氏物語貝あわせがすごい。黒漆地に金蒔絵である。はまぐりと聞いたことがあるが、絵もそれなりに雰囲気が似ていて、おや?と思わせる楽しみを醸し出しているのだ。 江戸時代末期とのことだが、蓋付碗の透明度は今に劣らないなと。また、相撲絵は今見ると皮肉っぽいかな…と勝手に思ったり。 歌川広重「東海道五十三次」、実は53の宿場と日本橋と京三条大橋の2枚を加えて55枚であるそうな。 北海道近代美術館で、3月13日まで開催されていた。 |
「山猫座朗読らいぶ」が1周年を迎え、スタッフ手作りの「山猫座展」が開催。 この一年間に参加した詩人たちの原稿内容が丁寧に打ち上げられ展示された。また、朗読を賑わせた小物たちの大集合である。やはり「食いしん坊万歳」のケーキとかオムレツの作り物は、今見てもおいしそうだ。個性のあるタイトル文字などが各月ごとに並んである。 毎回それぞれの参加者、聴衆、スタッフが織り上げた形を、写真であるとか、プログラムであるとかをソクラテスのカフェギャラリーに詰めん込んだのだ。当然のように詩集『山猫座』は、通路に面したガラスの内側に多数飾られた。 カフェギャラリー 1周年記念展の開催中、第13回らいぶも盛況に行われた。2月の朗読者は、ポーセリングアート作家の田中美智子氏。窓辺にコロコロと固まるように、過ごす子猫たちと全部で七匹の犬と猫のこと。 田中瑞枝氏は朝日カルチャーの講師である。黒い猫の不吉を、恨みとともに埋め込んでいく不気味の味わいをレンガで固めながら、自らのおごりの中で打ち負かされる作品を紹介。 ミモザの会の山内紀子氏、死んだはずの飼い猫に出会いながらも、生活という実の部分で不満を持ちつつ、ねこじゃらしがたくさん生えている原っぱに立ち尽くす。 第13回朗読らいぶ山猫座 詩人の長屋のり子氏は、俳句に挑戦。新出朝子氏ご本人を前に、句集「飛沫」を数多く披露した。それぞれが緻密なコトバで成立する俳句というものを、初めて朗読で聞くという機会をいただいた。 |
2003年5月9日に地球を出立した小惑星探査機「はやぶさ」(ミューゼスC)は、イオンエンジンを使い、自律航法で小惑星イトカワに近づき、小惑星「イトカワ」の微粒子を持ち帰ることに成功した。月以外で、人類がサンプルを持ち帰った天体はない。 太陽系初期の状況を知るには、太陽系の誕生する頃の記録をとどめている惑星からのサンプルが望ましい。その意味では、月も変成しいるため、太陽系初期の頃の物質とはいえないのだ。 2,592日60億キロの旅を終えて2010年6月13日に、搭載カプセルをオーストラリアへ落下、帰還した「はやぶさ」の展示である。 背面ヒートシールド(別名パラシュートカバー)の実物は、熱に解けた後が生々しい。これは大気圏突入温度を調べるために貼られたテープが焼け残ったものとのことだ。パラシュート(実物)はせっかくなので開いて展示してほしかったが。 にしても機密性が高いとのことで、撮影は禁止。展示物としては、インスツルメントモジュール(実物)、搭載電子機器部(実物)、前面ヒートシールド(レプリカ)、帰還カプセルカットモデル模型(1/8スケール)があったのだ。 今後の北海道での展示予定は、大樹町生涯学習センター 2月23日(水)〜27日(日)10:00〜20:00 |
森れい氏「踊る人」は、ダンサーとともに作り上げた作品を、改めて。散りばめる石の数々の輝きを重ね、吐き出す言葉、炎のステップでスタジオ中を駆け巡る。詩誌『ZERO』から「秋の庭」大きな栗の木から始まる世界。 花崎皋平氏「ウタコさんとタイチさん」。一緒に旅をしたときの綴りからの零れる思い。「シンポジウム」違う形の魂のコトバこそが、シンポジウム。 渡辺宗子氏は近々のものを出来が心配とかいいながらも「占いの春に」ではスタッカットのきいたこぶし回しで朗読する。「鳥地獄」では今流行っている鳥インフルエンザを話題に、突き回される鳥飼の姿を。さらにマザーグースを組み合わせた作品も聞かせるのだ。 村田譲は詩集『渇く夏』から三作品を。冬の予感である「凍てつく彫像」、亡くなるという悲しみ「手のひらの影」、車窓からの風景を繋ぐ「駅名標」を朗読。 朗読 鈴木順三郎氏 オホーツクからの参加は、鈴木順三郎氏。作品は「ハルジオン」、芽室の友人のためのレクイエムを自らのサクソフォンの響きにのせるのだ。 1892年くしくも第二回目の「二月祭」のポスター製作者である大島龍氏。なつかしい当時のポスターを前に言葉にするのは、手を触れた女の子、テツテツテツ、今日見た夢。銀貨一枚、海の底から引き上げる宝、難破船。即興で披露する。 その後飛び入り歓迎との主催者である飯塚優子氏のお誘いに、俳人の下田氏は自作の俳句を目一杯のはじける声にする。森永裕爾氏は「あなたにあることが」と「ラブ・イズ・オール」の二作品を。最後に小樽詩話会の柴山千里氏も自作詩を披露したのである。 |
「二月祭」は、30年前の1891年に4丁目プラザの自由市場ホールで始まったもの。昨年の好評に続く第二弾である。
トップバッターは本庄英雄氏、題材は雪祭り。不思議の世界に、雪を祭る。雪で祭られる、竜神様までの祈る声。 続いて、長屋のり子氏「水辺の母」。諏訪湖に眠る母の意識、雲母の瞳、歌うように波打つように押し寄せる音。乳房の形、湧き上がる液体の粘性までが形作られていくのだ。 佐藤孝氏「簡易トイレ」。宅地造成のために設置された簡易トイレに、子供たちは隠されたウラのキタナイを、垣間見て喚声を上げる、秘密の世界を発見する。また、赤信号で分離帯に立ち止まる、オヤジの帽子めがけてカラスが攻撃してくる、信号が変わったとたん一目散の「敵前逃亡」。 高橋明子氏は小冊子「高橋家のお話」を作成して配布する細やかな対応。近くに住む妹の生まれた日「秋の妹」、母が作った二行の詩「お雛様」などを朗読。 第二部の最初は江原光太氏、詩集はあるが朗読は難しくなりましたとのことであるが、作品「無頼派宣言」。自分の文字を書き記すこと、詩集を作るという生き方を。 三杉和美氏はリクエストのある作品を読むことにしているとのこと。「つらいよ」では障害を持っていることとフツーの生活と。「孤高の舟」愛と希望と。 萩原貢氏は、12年前の私の作品「元気な霊魂」では酒の相手がほしいのだ、と。「井戸」「新月」などを披露。 朗読 嘉藤師穂子氏 嘉藤師穂子氏は上砂川生まれで、その連作を二篇。「不思議不思議の二条通り」では、かつての賑わいのオババの声が走り渡る。次いで地吹雪の箱舟の「二月」を。 レッドベリースタジオ 第二回「二月祭」は2月28日まで開催 |
今回のテーマは「時代小説」なのですが、さて時代とは…。過去の時代や人物や出来事を通して書き上げること。 私は二回目の参加であるが「自作詩朗読」なのです。そこで私的には”北海道の時代”であり、それは開拓という独特の時代を持っていることを思う。すでに開拓民という言葉にも実感がないのだが、それでも切り開く地を目指した、その子孫であるのだ。 そう思い詩集『渇く夏』第II章「鳥たちの午後」を中心に構成した。作品「海霧にゆれる影」で農民の開拓ということ。「西を向く地図」「坐像の背中」「風の道」では札幌東部の」開拓者大友亀太郎を題材に。そして出発する男の意思としての「行かなくちゃ」の計五篇を朗読。 次いで、俳人・詩人・パフォーマーと多彩な顔を持つ丹尾春海氏が、辻邦生・作「無量寺門前双蝶図縁起」を、タッタカタッタカというテンポの語り口で、姉妹が奪い合う男の、不可解にして難儀な物語を。 朗読 続く島田直樹氏は、中島敦・作「名人伝」。あまりにも有名であるが、弓の名人となるべく修行をし、見えない弓で見えない矢を用いて射る。ついには弓と矢の名称までも忘れてしまうのだ。 夢科学えにわネットからの参加、齋藤えり子氏は山本周五郎作「夕霧の中」。涙声のささやきを、強弱のある声で見事に感情の起伏を表す。 |
恵庭市民文藝賞の表彰・受賞祝賀会がプラザ壱番館で開催された。村上利雄会長の挨拶の後、審査講評が選考委員長の斉藤征義氏からあった。 今回の受賞作品、エッセイ部門(本賞)亀井隆海作品「にわか僧侶」の自衛隊という割りと知られていない素材の扱い、(奨励賞)高橋美也子作品「母子草」についてはものを書くという喜びそのものについて、(奨励賞)上森ゆう子作品「母との約束」の構成とラストの盛り上げ方に関して、それぞれ評価の対象となったこと柄などが話された。 選考委員長講評 また今回は斉藤征義氏が平成22年度の北海道文化賞を受賞。さらに近藤春夫氏のエッセイ集『近藤さんにきいてみよう!』(えにわ子ども新聞社)、並びに村田譲詩集『渇く夏』(林檎屋)の上梓に関して、市民文藝からサプライズの花束贈呈があった。村田は詩集から詩作品「海霧にゆれる影」の朗読を披露した。 澤井香元会員による尺八の演奏、竹形貴之氏のギターと佐山さつき氏のバイオリンの合奏が、会場に彩を添えたのである。 |
北海道の詩人、俳人など様々なジャンルの文芸作家の自筆の色紙から、それをイメージして美術作家が創造した作品を各々対にして展示するというものである。 北海道詩人協会からは、詩作品として9名が参加。綾部清隆作品には、水墨画のような感じの鳥の姿。また、岩木誠一郎作品には雪の白さと強調する闇が、北海道美術協会の宮川美樹氏の手によって描かれていた。 斉藤征義作品の自筆は特徴的なひっかくような文字、そこに並んでチェロの絵。自筆で書く宮脇惇子作品、実に綺麗な筆使いであり、心地よさを感じる。 畑野信太郎作品の広大さに対しては、海と丹頂の絵が描かれていた。原子修作品のタイトルは「母」、そこには母子像が一緒に飾られている。 三村美代子作品の自筆の色紙は、うまく右左と文字を分けて並べて書かれていて面白かった。タイトルが「夏の椿」であったので、絵画の椿の赤い色がひときわ明るく感じた。 若宮明彦作品はまっさらなシーツと潮騒であるので、青い波の上の雲のような白が、全道美術協会の木村富秋氏の抽象的イメージにより飾られていた。また木村氏は、村田譲作品「入江」の一部分の自筆色紙に対して、そこには腕とヨットを添えた。 他のジャンルでは、短歌の福士美智子作品には、揺れているような「風」という書。俳句の小西龍馬作品に、北海道陶芸協会の下沢敏也氏の舟が置かれていた。辻井ト童作品に並んでいた、北海道書道連盟島田青丘作品「闘」の書は、荒々しい。 川柳の高橋幸子作品には、新北海道美術協会の中村哲泰作品「カムイ岬」が描かれていた。磯松きよし作品「人間が好きで猫背が治らない」には、頭を食べているようにもみえる猫の絵がくっついていた。 北海道立文学館 文芸・美術作品展は1月30日まで、入場無料。 |
Kanata Exhibitionでは、同時に色々と開催している。 面白そうだと思ったのは、「HEY!SHOES展」である。履くアート!だとか。なんにでもアートと冠を付けるのがいいとも思わないのだが、会場には、まあ、色んなデザインのシューズが並んでいる。炎に包まれている、ウロコで覆われている、自動車でタイヤ付き。佐藤晃一デザインの”小石”の図柄はシンプルだけど好きだな。安西水丸デザインの”4コマ漫画”はありそうで本当にあった。下谷二郎デザイン”蟻”がたかっているようにしか見えないのが気に入った。日本語のデザインでは日本人デザイナーは「切腹」とか「北方領土」と単語を用いるのに対して、外国人デザイナーは漢字一文字で構成しているのが、興味深い。 また、10人の作家が特別に作り上げた「いっしょに暮らしたい道具展」も併設しており、中村好文作品「可動式抽斗階段」は、あちこちから集めた抽斗で、ミニ階段を設計。ふ〜む、勾配が急な気はするが、自宅にもあるといいのかも。長谷川演作品「GOOD NEWS TABLE」そのタイトルのまんまで、テーブルには日ハム勝利の新聞記事が、ベッタベタに貼られているのが大笑いで気に入りました。 アート&クラフトマーケットとSAPPOROエコデザインアワード2010入賞作品巡回展も開催中である。 1月16日(日)迄(最終日 18:00終了) ギャラリー大通美術館 |
年末年始の初笑い、かな。追悼・赤塚不二夫展である。もっとも正月早々に商売をするという根性が嫌いなので、正月セールが終わったので掲載であります。
さて、オープニングに1分間のアニメ上映。横の写真は、ちゃぶ台を縄で繋いで仲良くお散歩。赤塚不二夫はギャグであり、「おそ松くん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」。しかし「ひみつのアッコちゃん」とは思わなかった、が、第一回目の漫画をみると、テクマクマヤコンの鏡に向かって、成りたい者を言ったところが変わらない…何でだろう?と思ったら、コンパクトの鏡に映った自分の姿を説明して喋ってた・というオチから始まる、成る程ね。 しかしペンネームを山田一郎に改名して遊ぶ、単語を並べて表してみる、「ナシ」と書いて次のコマも「ナシ」で進める。最初のコマ割りを巨大にして最後は尻すぼみ・などなど。見たこともあれば、しかし、ここまで自由ギャグを楽しんでいるというのは、凄いなあと思うのだ。 バカ田大學購買部 最後のコーナーでは色んな人(ゴジラもいたが)のシェーのポーズ写真、黒柳徹子とか中川翔子とか。 |
寒中見舞い申し上げます で、年賀状がないものですから、妻から貰いました「はやぶさ君のぬいぐるみ」であります。 はやぶさの”ネバーギブアップ”は見事ですが、しかし何だろね〜、吃驚しました。この角度からは見えないがサンプル採取装置も付いているのです。せっかくなので梁からぶら下げています。 はやぶさのぬいぐるみ さて2010年ムラタ的十大ニュースです。 次男が千歳の大学へ進学 朗読らいぶ山猫座参加で20分のワンマンステージ経験 フィナンシャルプランナー技能士2級を取得する 旭川の神居古潭にいってみた 積丹半島の神威岬に妻と一緒にいく アルテピィアッツ美唄「森の詩祭」に参加 室蘭望洋台から噴火湾を臨む 第四詩集『渇く夏』を上梓 詩マガジン『PO』に写真家酒井広司氏の作品共々掲載 「はやぶさ」のぬいぐるみを貰う |