空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '10.3月〜7月


代用品が生み出された時
第六回・山猫座朗読ライブ
山の街から・札幌オフ会
まっくらナイト・ウオッチング
北海道版画協会作品展
詩が照らす鉱石の夜・2
詩が照らす鉱石の夜・1 
かぐや姫の物語
詩劇 鬼火 龍馬は死なずU
時計台をARTする
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第四回・山猫座朗読ライブ
アンドレ・ブラジリエ展
北海道詩人協会・詩人祭2
北海道詩人協会・詩人祭1
プラネタリウム特別投影
恵庭市民文藝の会授賞式
饗宴春の詩話会
インターネットTV
第3回春萌え朗詩と語らいの宴
小樽詩話会札幌例会




代用品が生み出された時 セラミックアートセンター
「終戦65年企画・代用品が生み出された時」といわれてもピンとこなかった。戦時下でお国のために皆で金属供出をといわれても、それを焼き物で代用したといわれても・・・しかし行って見てビックリする。
まず「学・遊」というコーナーの展示物だが、なんとなく予想のつきそうな将棋の駒と、マージャンパイとお人形。鉛筆とかボタン。ちなみに椅子と机がダンボールなのはご愛嬌!であります。
「衣・食・住」に移ると靴のカカト、ドアノブ、引き出しの把手、洋服掛、さらに鍋、ガスコンロ?え〜ナイフ、フォーク、にアイロンって。そして釘やコンセントだと。「一般家庭における金属回収の取扱要領」とかいわれてもなぁ〜。




特にバカにしてると考え込むのは「軍・礼・幣」ブロックのだ。軍事に転用可能な統一規格の生産と、その精神を国民に徹底させるための”食器の統制”、冗談じゃないが事実である。
ついには造幣局で十銭、五銭などの硬貨、記念のメダル。絶対負けると分かって、何故やるか?そうはいっても、一番難しいのが撤退であるわけだ。 





セラミックアートセンター
「終戦65年企画・代用品が生み出された時」は、8月29日(土)迄



第六回・山猫座朗読ライブ ソクラテスのカフェ
六回目の山猫座のテーマは「怖い話」。室内の照明を落とし、廊下からの窓の明かりを補助にして、スポットで絞る。
俳句と詩を書くパフォーマーの丹尾春海氏は、当初は聴衆の前に姿を現さずに、奥のカーテンの裏から声だけを震わせていた。話がやや進んだところで、出てきたときは金色のマスクを被り、自作の「水乃記憶」を披露した。



次いで朝日カルチャー講師の田中瑞枝氏が、幼い命を思ってか、喪服の着物姿で朗読を始める。鬼火の前に、寺男たちの声に耳も貸さず、狂ったように琵琶を引き続ける。出かける用事のある和尚は、般若心境を足の裏まで書きつけながら、耳に書き忘れていることに気付かなかったのだ。ラフカディオ・ハーン著「耳なし芳一」。
朗読スペース・イルペント主宰の宮野入恵美子氏は、雨月物語より「仏法僧」を選んだ。太閤秀吉の甥である豊臣秀次は、よく分からない罪状で京の三条河原に首を晒された。恨みの首塚に引き寄せられた、出家の夢然が歌を賞賛されるという話。



朗読 / 萩原貢氏

詩人の萩原貢氏は、自作の詩集から『夢幻草子』からの声を出す。忘れるな、黒髪を、細い体を、知られたくない土の下の隠れ家を。それは、うたた寝、いやな記憶から這い出てくる。おいしいはずの、ご飯を炊いて。白いご飯を炊いて、目をつむって食べる。つむる目からご飯がこぼれて、白いご飯が蠢いて、這い出して。こぼれ落ちる白い小さなツブ。鼻の奥からもこぼれてしまう、白いマンマ。



山の街から・札幌オフ会 北大植物園 7.24
「山の街から」主宰の永井ますみ氏が来道され、札幌オフ会が開かれた。まずは各人による連詩の録画である。当日北海道からは、みど氏、ちえ氏とムラタが参加した。
朗読場所は北海道大学植物園の園内と決まった。どうも私はここの植物園を他の所と勘違いしていたようだ。足の向くまま車道の音が割りと小さくなる所まで歩き、沼に架かる木道の上、ややスペースのある場所をステージに見立てて、朗読開始である。太陽の方向といい、緑の加減といい雰囲気がなかなか素敵だ。まず時間に追われているムラタが声を上げる。




次いで、ちえ氏の朗読が収録された。声の出し方、内なる声を表すにはどうするかを語りながら。小声で、右を向いて、キーを高く、屈みながら、アイツの顔を思い浮かべてと、その場で実践である。
当日ムラタは他の会場を掛け持ちであったので、そこで移動。その後、みど氏も園内で録画してから、場所を代えて「生活語詩収録」が行なわれたとのこと。原子修氏、増谷桂子氏が参加。
あいにく原子氏は所要があるとのことで、その後の打ち上げは、戻ってきた私を含め五名で、散々飲み明かしたのである。



まっくらナイト・ウオッチング サンピアザ水族館
今年で5年目というナイトウォッチング。開始時間が19:00であるが小雨のなかで3、4組並んでいたので、15分程ずらして入った。が、結構人がいる。
照明を消してはあるが、真っ暗には、当然ではあろうが程遠い。しかし水槽の中の魚などは、まったく見えない。そこで会場で貸し出される懐中電灯で照らしながら覗き込むのだ。
夜の生態も見ることができるとはいうが、タイミングがあえばこそであろう。係りの方は拭いて回っているのだけれども、ガラスは曇っているし、ね。




つまり、夜の水族館・ではない。あくまでもウオッチング・ということで、ファミリー向けかな。 基本は子供たちのかくれんぼかなぁ、とも思う。絶え間なく「ここにいたぁ!」とか「タコはどこだ」と、懐中電灯を振り回しながら、走り回っているのである。



カクレクマノミ

ナンキョクオキアミの発光実験もあり、ルシフェラーゼの化学反応で、青白く幻想的に発光するところが見られるかもしれないとのことだ。現在は「夏休み特別展 海の奇妙な仲間たち」が開催中とか。北海道初公開の「ゴブリンフィッシュ」も展示している。




新札幌・サンピアザ水族館
まっくらナイト・ウオッチングは、7月25日迄 19:00〜20:30
入場料 / 高校生以上 900円、3歳〜中学生 400円



北海道版画協会作品展 大同ギャラリー
今回で51回を迎える北海道版画協会作品展を見て来た。
3Fの入口すぐ脇に、石川亨信作品「呼気」。一見、全スミベタというダイナミックで、しかしあちらこちらに擦れがあり、これが”呼”なのかも知れないと思う。
尾崎淳子作品「麦一青」。タイトルがいいなぁ、青い空には雪の軌跡が引かれている。その下の地に麦の穂。金色の枡があちこちに。いかにも北海道の農業という感じであると思えた。
金沢一彦作品「帰郷」。これは列車の屋根に座る親子で、幸せ満点という感じ。なんだかアメリカに密入国するためにしがみ付いている映画のワンシーンとは、全然違って、生活感がまったくない。メルヘンというべきか。



木の瀬博美作品「Breath シリーズ」。木の葉のレリーフのよう。3枚、4枚と組み合わせて、濃いブルー。
「憂い」というのは宮井保郎作品。青のなかに白い輪があり、そこから零れるように沸き立つオーロラ。なんだか氷の輪のようにも思えるが、ひょっとして地球? 変に明るい感じなんですが。
一番好きだなと思ったのが、水野恵子作品「6月の庭」。庭に生える草なのだろうか、球面に閉じ込められているように丸まっている。まるで極端な魚眼レンズを覗き込んだみたい。ブラックな色合いなんだが、眼球に閉じている、目をつぶった風景にも思える。



福岡幸一作品「フィロセラス科」。これはアンモナイトであった、まさに、写真としての版画というのは、こうしたものであったのかと推察されるのだ。



詩が照らす鉱石の夜・2 石の蔵ぎゃらりー
後半の朗読は坂本孝一氏、作品「さおばかり」。もう一篇の作品「黄色い犬」、崖の前には打ち広がる波。岬の突端に患う犬。荒れる海の前に、眠りと青い祈りと。
内藤千尋氏は、「バサラジュエリー」に作品を出されている作家さんであります。今回は、金井美恵子の「ゴールデンウィーク」を朗読、夏を見つけに行くのだ。



朗読 / 内藤千尋氏

根深昌博氏は作品「イージーライダー」。今回の朗読会用にJRの中でも推敲してきたとのこと。主人公のファンであったようであります。憧れということ別れということ。
田中美智子氏は、朗読をよくされるが詩は始めての挑戦とのこと。谷川俊太郎から「泣く」を、ゆったりとした声で。
千歳の綾部清隆氏が作品「川原のメルヘン」を。オマエは川原で拾われたのだぞ・と話しかけたのは、母であったか、小石のささやきか。ひとつの小さな出会いが生まれる、夜の川原の野外劇場。



朗読 / 綾部清隆氏

渡辺宗子氏作品「カキは死んでいる」、作品「ヘルメット考」首がなくとも、ヘルメットがあれば、オイルがあれば…男の首と言うものは、そんなものかもしれないがなぁ。
萩原貢氏は作品「埠頭二景」で跳ね上がる魚たちの生を。神の指、切れないナイフのことどもを。 「高い鳥たち」で飛ぶということの世界、出口のない迷路でもある落ちていく影のこと。
さて、特別ゲストである荒巻義雄氏が詩を朗読された。作品「虫族のうた」で、人間の生と死を結ぶ虫たちのこと。スカンジナビア半島を侵食した氷河期の記憶、亡き母の追憶とともに作品「骸骨半島」。チベットの鳥葬の作品も披露された。
主宰の森れい氏「離陸」。江戸っ子の母親が、蝦夷っ子になるだけであるわけだが、決別という嗚咽を抱えてのフライトを聞く。そしてラストに作品「銀の手仕事」、あなたの胸に、まわる光のプロペラを差し上げる。
当日の司会は、嘉藤師穂子氏が一手に引き受けた。



詩が照らす鉱石の夜・1 石の蔵ぎゃらりー
さて、苫小牧在住の森れい氏主宰による「バサラジュエリー展」が開かれている。その一部の時間をお借りしての、詩の朗読らいぶが開催されました。
トップの方山内紀子氏が「おかる勘平」を朗読している最中に、私はようやく現地に到着した。室内はそれなりに暑くて全然声に集中できなかった。
少し落ち着いた頃、佐藤孝氏が登場。作品「へのこのうた」、パンツも穿かずに夏の水遊びのワンシーン。男の子のブラブラは、お尻の子どもで”へのこ”というらしい。栄養素は放屁? どうもどうも幼い子どものフモウな話で笑わせる。



主宰 森れい氏

小池温子氏が自作詩「しずかに」を朗読。タイトルの通りに、まさに下天の幻でしかない、今日という日のフレーズ。宮野入恵美子氏が、立原道造の「ソナチネ」を声にする。
今回の朗読会の後援である詩誌『饗宴』主宰の瀬戸正昭氏、短詩の作品「たまねぎ」を朗読。昔は何故たまねぎを剥くと涙が出るのか分からなかったから…という内容なのだが、ちなみに二次会の美味しい料理が”たまねぎステーキ”なものだから、ついつい笑みが零れていたとか。
長屋のり子氏が「踊子草の6月はラビリンス」というタイトルの作品を。踊子草の外観は、確かにドレスアップした感じに似ている。それをバレエのチュチュに喩えるのが、成る程と思う。夏を予感させるこの時期に、水の音と。まあ、お遊戯で終わりそうにはないようですが…。 中野頼子氏は、森氏のご要望ということでシャンソン「詩人の魂」を。
村田譲は作品「2592日間の空白」、小惑星探査機ミューゼスC(愛称・はやぶさ)が地球に帰還したのは、報道でご存知の通り。その最後の任務は、地球を写すことであったのだが、スミアの生じた地球の映像、ご覧になりましたか?





「バサラジュエリー展」は、6月29日迄開催
HIARATA ART STUDIO



かぐや姫の物語 紀伊国屋書店札幌本店
國學院大學―学びへの誘い―として平成17年以来、学生はもとより地域との文化的融合のため、所有する古典籍を中心とした展示会である。
”竹取の翁”が”娘子”らと和歌の贈答をしたというのは「万葉集」に書かれている。また「源氏物語」には「物語の出で来はじめの祖」として、取り上げられている、という。
今回の展示品、とても綺麗なのは、保存状態もそうだが、絵の美しさであろう。「絵」入りの物語は、平安時代以降とのことだ。武田裕言博士旧蔵、ハイド蔵、小型絵の三種類の絵入り物語。月を見て悲しんでいるところ、月に帰る支度の使いの輿の図であるとか。




また、写本というのがすごいなぁと思うのだ。要は書き写しでしょ。ひたすらに文字を書きつづける、ということのすごさを感じる。
注釈書も同じで、「竹取物語」の基礎的研究の「竹取物語抄」などは、天明4(1784)年の刊行であると。なんだか明治大正期の注釈書の活版印刷が、すごく安っぽく見えたり…。



詩劇 鬼火 龍馬は死なずU コンカリーニョ
原子修原作、橋口幸絵演出の詩劇。暗殺された坂本龍馬が、鬼火となり、明治以降の日本の歩みを追うストーリー。
まず、あの世に出現した龍馬が、暗殺直後ということで頭から血を流している姿がうまい。しかし死後の世界でありながら、未だに現世に生きているかのような龍馬の扱い方。
物語の語り口として、”あの世の龍馬が蝶となり残した妻お龍の夢のなかに舞う”のだから仕方がないのだけれども、生死の境界はどこにあるのか。死後の世界などマトモに考えたこともないものだから、かなり戸惑った。
亡き者の世界では、心眼を開けば成りたい姿に成れるとする設定。しかし現世には、鬼火としてしか映らない。一方、現世に残されたものは、泣けばいいのだ。泣いてカタルシスを吐き出せばいいのである。同時に、戦火に狂う世界でもある。ここでのスローな演技と白装束の対比でうまく収めていくものだ。社会性を求める男と、愛と言い続ける女という対比を残しながら。
死者はどこまでも死者であるのは、当然だが、この作品の中心は「禊ぎ」の在り方であろうか。水と光による変貌。ついに岩倉具視も大久保利通も、心眼を開くことなく、血に塗れたままである。背負う空箱に民衆の首が入っていくのだが、面白い表現。



さて、仏教にはあの世という概念はない。常に転生し、その転生の内側から解脱しないとならないのだ。日本人的な死生観について考えさせられた。
ちなみに会場は満員で、通路にも座布団を敷き詰めての大盛況でありました。



時計台をARTする 札幌時計台
「時と歴史」をテーマにした作品を展示とのことであるが、通常の時計台の内部展示と同時開催である。
一階の右側の方には、花を抱えた荷車と花瓶のインスタレーション。 階段を登ると、パネルに写真が並ぶ。懐中時計の構造を、錆を、機械を、そのままに写し出す。
彫刻の作品のひとつが、台地に眠る力を呼び覚ますのは樹であるというもので、この感覚は分かりやすく、面白い。もうひとつの彫刻は、時計の針をモチーフに膨らみを持って、垂直に立ち上がる。
同じ時計でもビジュアルクリエーターの映像は、煙突の蓋を中心に星の形を重ねて映し出す。どれが長針で、秒針かは分からないが星が動いているのが楽しい。
アクリルボックスに入れられて、生のタンポポが萎れている。その横に双葉の形のメッセージの用紙があり、書き入れていく限りに、左右の見場の増減は変化し続けるというもの。




時計台の外には竹を使用した巨大な生け花の作品が目を引くのであった。 ついでに時計台の歴史も見てくるといい。黒百合も咲いている。

6月6日まで開催。8:45〜17:10
入館料は大人200円(中学生以下は無料) 屋外は観覧無料 



第四回・山猫座朗読ライブ ソクラテスのカフェ
西区琴似から久住書房の朗読の声がなくなって寂しい、との話から始まった「山猫座」朗読ライブの第四回目。今回のテーマな「子ども」。
詩では村田譲が参加。いちばん扱いにくい時期の、見捨てられ、反抗し、閉じこもる子どもたちから始めて、見返すことでの自分という閉じた時間からの脱出という構成。「海を抱きしめて」「かあさん、おかあさん」「共鳴館・第四壁 ―所在不明の自分に宛てた所在―」「旅立ち」「日溜り」「水のオルガン」「雨やどり」を朗読した。
庄司幸子氏は、唯川恵・著「夏の少女」。庄司氏の声は、正しい声であると思う。癖というものを殺して配役に成りきっているというのであろうか。地の文は平らに仕上げ、少女の声、妻の声、男たちの声を見事に使い分けていく。成る程、朗読をする人たちの声というのはこうしたものかと思った。内容的には、初めての子どもを流産してしまい、その後子どもに恵まれないうちに、自身が病に侵され、夏の少女に出会うというもの。
齋藤えり子氏、アルトの強い声質で、真っ直ぐに読み上げたのは、志賀直哉・著「小僧の神様」。小説というものを、ほぼ読まないムラタなわけであるが、なかなか面白い内容であった。ラストで筆者が顔を出すのが、珍しい。小僧に御褒美を上げた本人が書いたインチキな住所には、お稲荷さんの祠があった・と決め打ちすると、小僧にとっては本当に神様になってしまうのが、なんだか嫌だ!から、ここで御仕舞い…だと。



朗読 / 嘉藤師穂子氏

ピンチヒッターでいきなりの当番となった「山猫座」の座長、嘉藤師穂子氏は田中栄子・著「べ」を朗読した。女の子が悪い言葉使いをすることで、母に叱られるのだ。その悪い言葉が「べ」! せっかくのタンポポの冠を「これ、いいべぇ」と言ってしまい、二つ重ねの冠を褒めてももらえない。お兄ちゃんもお父さんも、皆が「そうだべやぁ〜」と言っているのに。男尊女卑が絡まっているのだが、微笑ましい作品であり、しかしそこで本当に聴衆に笑いをもたらす嘉藤氏の話術というのは、見事としか言いようがない。



アンドレ・ブラジリエ展 苫小牧市博物館
1929年フランスのアンジュー地方生まれ。生まれ故郷のアンジュー地方や、タルドノワ地方を背景とした風景、女性、馬などをモチーフに描いたものが多い。
今回は苫小牧市民から寄贈のあったの作品を公開する。1970〜1988年のリトグラフ、油彩画と、アラン・フルニエ著の青春小説「モーヌの大将」の挿絵である。




とにかく文様の世界といっていいだろう。「サーカスの馬のロンド」は炎と馬の影だけで構成されている。
描かれている時期が集中しているのかもしれないが、まず立ち並ぶ並木があり、その奥に一本の道があり、馬が5〜9頭同じ方向に走る。馬は影であり、騎手も同様でその一人と一頭に個性はない。「ネプチュームの馬」は雪原の行進であろうか、青との対比が美しい。
いずれもが、しかし黒が多いが、赤や茶色の影が整然と、鬱蒼とした木々の中を駆け抜けるのである。「アイルランドの騎馬行列」もそうした一枚で、そこには風が孕んでいるとしか言いようがない。かなり特徴的な様式美。

開催は6月6日迄 観覧料 / 一般 300円
苫小牧市博物館



北海道詩人協会・詩人祭2
ここで、飛び入りは渡会やよひ氏、未完の作品「一千のメモリー・くみこちゃん」まだ、一度も読んでいないとか…。なかなか詩人の広場での飛び入り参加はお目にかからないのだが、こういう融通さは嬉しくなります。
石井真弓氏が「汽車」の風景、澄み切った朝から、を朗読された。原子修氏は11月にカデル2・7で公演予定の「序曲」から第一「風の記憶」を永劫のなかから切り放つ。



朗読 / 原子修氏

村田譲は、市民文藝の会で朗読した「春の入口」。さらに時間が余っているということで夏のお盆のこと「空に、蛙」の二篇を朗読した。
1分間スピーチでは、若宮明彦氏がご自身で制作されたリーフレットで「石狩のビーチコーミング」を配布。なぎさに潜む漂着物の紹介を。斉藤征義氏は、冥土in穂別の映画第三弾「いい爺いライダー」がスポニチ芸術文化大賞を受賞し、150万円のお祝い金が出たので第四弾を企画中とのことで、乗馬で西部劇?らしいです。
畑野信太郎氏は、「アリス・イン・ワンダーランド」を見てきたそうですが、ディズニーのしょ〜もない映画の中であるけども、あのアリスに「これからは中国だ!」と叫ばせているとか。逆に言うと日本は、アジアの言葉や文化を知っているのであろうかと危惧されていた。



スピーチ / 畑野信太郎氏

その後は懇親会で、大人しく(?)酒を飲み続けていたわけであります。



北海道詩人協会・詩人祭1 アスペンホテル
北海道詩人協会の総会が開催され、新会長に千歳の綾部氏、副会長に函館の鷲谷氏、室蘭の三村氏、事務局に千歳の斉藤氏がそれぞれ承認された。



北海道詩人協会新三役 / 挨拶

その後、「詩人祭」となり、詩の朗読と1分間スピーチが行われた。
嘉藤師穂子氏は、詩誌『饗宴』同人であり今年の1月に、癌で亡くなられたの谷内田ゆかり作品から「夕映えの中に」と「秋」をゆったりとした声で朗読し追悼された。続いて詩誌『饗宴』主宰者の瀬戸正昭氏も谷内田氏の冥福を祈り、その後自作詩「花の国3」で、氷の花花を照らし出す。



朗読 / 瀬戸正昭氏

橋本征子氏が「カラーピーマン」で母の空洞、グリーンのイグアナをスライスしてみる、赤のピーマンが生まれるまで。
北見からの参加は石川啓氏である。「とき」を披露。時に点呼に整列してみせる殊勝さというのが面白い。持ち場のなかにむせかえるのは、季節という時間のなかで生きていくということであるから。
櫻井良子氏は独特のイントネーションでDROPと叫ぶ。銀環、厳冬、湖面、鏡面、冷気に触れるものの滴、DROP。三村美代子氏は、切り裂く風であり太古に繋がる風を読み解かす。



プラネタリウム特別投影 苫小牧市科学センター
GWとあって、子供たちが科学館の鏡面とか、実験に夢中なのは見ていて楽しい。
そのGW期間の特別番組として「星の身体測定」と「春の星座とおおぐま座の民話」が投影されている。季節ごとの夜の空は色々な変化があるようで、なかなか空を見上げることのない身としては、いいかもしれない。



投影機

北斗七星から始まって、春の大三角に続くギリシャ神話など。しかし背もたれがすごいリクライニングで、昼寝にも最適ではある。
一日5回の投影だが、時間により流すものが違う。余った時間は連続きのミール展示館に行ってくるのもいい。こちらも2004年の秋以来だなぁ〜。



ミールの操縦室


「プラネタリウム特別投影」は5月5日迄 苫小牧市科学センター



恵庭市民文藝の会授賞式 キャッスル恵庭
恵庭市民文藝の会が、北海道地域文化奨励特別賞を受賞した。



恵庭市民文藝の会・受賞の盾と賞状

賞は、北海道の地域に誇りと愛着をもって文化活動に取り組む団体として、広く道民に紹介、その活動が益々牽引力として広がることを期待するものとして授与される。この受賞を記念した祝賀会が開催された。
花束贈呈では当日参加した市民文藝の会員全員が壇上に上がり、高橋事務局長が会員を紹介、村上会長が謝辞を述べられた。



祝辞 / 北海道立文学館理事 斉藤征義氏

村田譲は、祝杯の前に詩の朗読の時間を与えられ、市民文藝増刊13号に掲載した「春の入口」、並びに恵庭のカリンバ遺跡をモチーフとした「カリンバのまどろみ」の二篇を披露した。ちなみにカリンバとは、桜の樹皮のことである。



饗宴春の詩話会 すみれホテル
元札幌大学学長の木村真佐幸氏による「森鴎外論」で、完全無欠の森鴎外の人間性の検証という内容である。 明治天皇崩御の9月13日に、乃木希典大将とその妻が自刃。各国首脳が弔問で来日中であり、衝撃が走った。まず理由が不明であった。実は乃木による遺言状があり、西南の役による軍旗喪失事件により本来割腹ものであったことなどが書かれていたのだが、発表が遅れた。 さて鴎外は、乃木の死後わずか5日目の9月18日に歴史小説「興津彌五右衛門の遺書」の原稿を中央公論に渡している。その内容は自決擁護論ともいえるもので、果たして偶然の一致なのかということが話題となる。
木村氏は、鴎外が追悼の意味を含めて書き上げたものであると主張。乃木の切腹は国内にも深い衝撃を与えていたが、各紙の取り上げ方は「発狂した」とか「老いぼれた」のだとか、あまり友好的と思えない。しかし9月23日付け東京朝日新聞の”京大谷本教授の講義に生徒が騒然としボイコットした”の記事が木村氏目に入ったことで、賭けにでたのだという。各新聞社に大正元年9月13日から23日頃の新聞があろうか?と問いかけ、ついに大阪毎日新聞の9月17日の記事に「京大谷本教授による乃木罵倒文」を発見した。



講師 / 木村真佐幸氏

鴎外は軍医としても個人としても乃木と深い親交があったのだが、あまりに情け容赦のない17日の谷本教授の罵倒に生徒と同じく怒り心頭に達し、わずか1日の18日には”乃木擁護”の作品を書き上げたのだ、と。さらに「興津」の改作「意地」、権威への反発による「高瀬舟」などへと話は続く。 日程と記事の掲載を推理と足で稼ぎあげたことへ、一個のジグソーパズルから解き明かすスリルを感じたのである。 本来は30コマの講義を無茶振りでお願いしたものであったようだが、非常に興味深いものであった。
また会の冒頭に『饗宴』主宰瀬戸正昭氏により、同人であった谷内田ゆかりの訃報、作品「からっぽのうた」「夕映えのなかに」の嘉藤師穂子氏並びに瀬戸主宰による朗読、出席者全員での黙祷を捧げた。
今回の出席者は上記のほかに、谷崎眞澄、田中聖海、渡会やよひ、やまだ乃理子、高橋ゆかの各氏と、村田譲であった。



インターネットTV 「福祉の住人・第11回」
インターネットTVの「福祉の住人」という番組に参加すると、きっこ氏より連絡。どんなところであろうかと会場の”BAR 蔵漆紅”へと野次馬根性で行ってみました。
パーソナリティは横田岳史氏。札幌を拠点としたミュージシャンで、知的障害者支援の活躍もしているとか。で、ゲストに、のほほん工房の、あの「きっこ」氏。ギター担当の綱木義光氏。一週間前に組んだユニット名「つなきっこ」で参加。
まずは、きっこ氏作成のアミグルミのレッポリット星人の紹介と自己紹介。きっこ氏は、統合失調感情障害というご病気とのこと。幻覚と幻聴がひどく、躁鬱の気もあるとか。薬を服用しているので、日常生活に問題はないとのことであるが、ご本人は障害者手帖を貰ったとき嬉しかったとか。つまり、自分のせいではなく、病気のせいであると知って安心したのだそうだ。
私が、思いあたるのは、長男が部屋に閉じこもったときだ。色々周りに相談してみたが全然ダメ! 偉そうに言われても、誰も対応したことがなく「親がダメ、子供が怠け者」とばかり。そのうち大きな声で「ウチの息子は不登校でよ」と言ってる人と出会い、始めて親である私が落ち着いた。ヨメさんと不登校の会に参加し、それからだ、子供と向き合ったのは。なかなか自分という殻から出るのは、至難の業である。



会場 / BAR 蔵漆紅(北12条西1丁目)

さて、インターネットTV自体は、ビデオカメラ1台とモニター1台、照明兼現場担当。パーソナリティ含め4名である。別段難しそうな感じでもなく、生収録とはいえ、その意味ではネットだしなぁと思ったが、淡々と進行。これからはこういうのがどんどん出てくるのであろうか…。
今回は成る程、詩の朗読ではありませんでしたが、サッポロ・クラシック片手に、つなきっこの「モモ」という飼っているネコの話と「ぷかぷか」という曲とメロディを聞いてまいりました。

さっぽろNet−TV



第3回春萌え朗詩と語らいの宴 カフェ・パリの空の下で
恵庭市民文藝の会会長の村上利雄氏の挨拶と乾杯の後、詩の朗読。
最初の詩は国府田稔氏、自作詩「生ける証し」。まさにこの時、この場所でなんのために声を出すのであろうか、ここ恵庭のカフェ・パリの空の下でとの思い。ここでの出会いそのものを、証しをたてる今。次いで市民文藝の会員である岩井利海作品の「カリンバの恋」を朗読した。



朗読 国府田稔氏

会場”カフェ・パリの空の下で”の店長でもある、小川恵里香氏は堀口大学訳詩「ミラボー橋」と金子由佳利作「人生は美しい」を歌うように。小山忠弘氏は、はっきりとした声で「手紙-親愛なる子供たちへ」と「世界に一つだけの花」の音楽作品を朗読された。
武井路子氏は伸びやかな声で、北海道の農業従事者でもある山田伍市作品「ボクと妻」を、リクエストでは栗山在住の友田多喜雄作品「雪のうた」を紹介。
半澤孝平氏は市民文藝増刊22号に掲載した自作詩、苺を取られて悲しがる作品「ショートショート」ケーキと、一人住まいの台所事情の詩「年々菜々」を。さらにリクエストで、猫のことを書いた作品「まばたき」も披露した。



朗読 半澤孝平氏

岩井利海作品は人気で、斉藤えり子氏も詩作品「おにぎりの詩」と「かあさんの詩」を声にする。「おにぎりの詩」は運動会の歓声のなか、手のひらで包み込んだお握りのその温もりが感じられる作品であった。斉藤えり子氏は、欠席となった庄司トモ子氏が用意していた詩作品「アマリリスの側で」も代読した。
村田譲はレクイエム作品「来訪者」、並びに春の作品「水のオルガン」を披露。
さらには参加者の中からも朗読したいと飛び入り、またシャンソンを歌われる方の美声で、大いに盛り上がった。その後、向かいの岩井利海氏のお店で、楽しくお酒と朗詩の時間を過ごしたのである。



小樽詩話会札幌例会 札幌八軒会館
『小樽詩話会46周年記念号』の第三回目の合評会。 今回俎上に上ったのは、八名。まずは仁木寿作品「未病」。なかなか聞いたことのないタイトルで、病気になるちょっと手前のことであるそうだ。見慣れないコトバには、やはり躊躇してしまう。
笹原実穂子作品「抱く」。暗い感じ。母の看病のことが書かれている。大変な作業であるわけだ。
佐藤由佳子作品「出会い」。シンプルな話であるが、”私”と言う一人称の使い方が、問題となった。誰が誰に出会うのかということが不明瞭に。
なかの頼子作品「喫茶店で」。逆説的なお話として展開していく。なるべき自分に成りうるのか喫茶店にある自由帳を前に戸惑う。



司会 おのさとし氏

入谷寿一作品「凍烈の大地」。凍烈という言葉に大地とは続かない。であれば冬のシベリアのことか。抽象性の高い作品。
谷崎眞澄作品「推定の内側」。TV報道されている悪夢が、その一方には常に存在しているのだということを、忘れてはならない。
吉川みさ子作品「編みかけの時間」。人生を編み物に例えて展開する時間が。
村田譲作品「美園通り二丁目」。昭和の匂いがするとのこと。
小野寺薫作品「等伯香」。お香がゆらぐ。-ゆら ゆら ゆら-の前半に自分、後半に家族の影が映り出ている。世話人の下田氏は体調不良で欠席でした。


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