この建物全体が博物館であり、廊下を歩くたびに色々なものに出会う。北の自然、マンモスは何故滅んだか、とか、自然の循環について模型やビデオ、現物展示まで様々だ。
現在は開館10周年記念として「アンモナイト銅版画展」が企画展示されている。アンキロセラス亜目の化石「チュロニアン」の螺旋の美しさ、「カンバシアン」も絶妙だ。現物を前にして、色を重ねていく版画というのも如何なものであろう。いまいち私的にはピンとこないのだが。中川町エコミュージアムや三笠市立博物館の協力を得ての展示会。 目一杯一日かけて歩くほうがよさそうである。 「アンモナイト銅版画展」は4月18日迄 入場無料 北海道大学総合博物館 |
編集長ビートたけし×副編集長所ジュージの制作雑誌『ファモーソ3』が4月1日に発売される。その記念として「青マネキネコ祭」を、札幌パルコのイベント会場のこけら落としにと呼んだらしい。
まあ、ろくでもないものが並んでいる。とにかく写真パネルの類が多く、会場内は「絵」以外は撮影自由である。友達と一緒でないと記念写真が撮れません。しかし「呪いのツタンカーメン像を被ろう」って、何だぁ〜。 青マネキネコの御シン体は、ハァハァ言いながら拝むと、サンダーバードのテーマ曲にのって出現する。 青マネキネコ様 で、”春の”サマージャンボセールも同時開催している。抱腹絶倒、超値引き!って参考価格ないし…。写真入給食湯呑みであるとか、ボツになったポスター、刺繍風Tシャツトムモデル等など。ファモーソ記念切手は使えるのかな。しかし、がちゃぽんがマシーンごとで7万円は安いのか?わはははははは。 札幌パルコ 4月7日迄 特設会場入場:一般 / 500円 |
ギャラリー移転新装オープンということでの初回記念「シルクロード 人間の顔」が開催されていた。
中国西域からパミール高原、トルコのイスタンブールまでを39枚の写真で紹介。どうも私は西回りで見てきたようだ。 「ベールの女性」。黒尽くめの服装とモスクを彩る鮮やかな色調というのに目を囚われる。 「カート売り」。軽い覚醒作用の葉を噛み(?)ながらの世間話ということに、犯罪の匂いを思うのは、異国ということを理解しないからなのだろう。 なにせ五歳の女の子が耳にピアスをつけて、店番をしている「店番の少女」、ナマステとのご挨拶。 「マニ旗」が印象的。薄い黄色、オレンジ、青、白、紅の単色で染め上げた圧倒的な数の旗。経文の書かれた旗がひとつの丘のすべてを覆う。自らを鳥葬によって神に捧げるのであるという。 その横には「五穀豊穣」。オボという祭壇を前に経文を空に投げ上げ祈る姿がある。 キルギスの「草原」には何もないのだ、連なる丘とひと続きの山への起伏。ひと塊の馬の一群が駆け抜けるだけ。 パミール高原というのは寒い場所なのだね。「水上の少女」はカラクリ湖の水面を歩く少女を写す。真っ青な山肌が、そのまま凍結した湖に映りこむから、まるで水上を歩いているかのように見える。奇跡の瞬間。 中国西域のオアシス路「アトラス生地」ウイグル族の市場でカラフルな布地を見る女達の姿に、ほっとするのは何故だろう。 |
CAI02とGALLERY門馬のふたつのギャラリーで、中国の現代アートを紹介する展覧会。 今回展示するのは、上海でM50芸術地区と呼ばれる芸術地区から1960年代生まれで、中国美術界をリードし活躍している作家8人とのこと。 私がみたのはCAI02会場。三名の作品が展示されていた。Chen Qiang の作品は絵というより、工具箱を想起させる。アクリル絵の具をポトリと固めた、ネジの頭とかプルトップの部分のみ並べているような感じ。 Xue Song の作品「表象書道」は面白い試み。文字の中に絵を入れる。黄色の上に赤い文字でその文字自体が、柄のついた用紙であり、貼り絵っぽいのだ。青緑と白、オレンジと青緑の組み合わせの三点。 Qui Fongguo の「世界」というシリーズがいい。如何にも水彩の絵の具が滲み合っているように見せながら、 横に引かれた機械的なラインが緯度のようである。絡み合うグレーと汚れた茶色から、つい地形を見出し、この汚れを土壌汚染と読み取る。他にも赤いものは温暖化、青ければ海流、オレンジであれば雲の汚れとか。ミックスドメディアの手法、複数の技法を組み合わせることでの表現が、大変面白かった。 CAI02(札幌市中央区大通西5、TEL 011-802-6438)13:00〜23:00 GALLERY門馬(旭ヶ丘2、TEL 011-562-1055)11:00〜18:00。2月20日最終。 |
第一部のトップは、札幌の西区をテリトリーとする嘉藤師穂子氏。カムイとともに過ごした時間からの贈り物を、一本の巻物として床に落とす。銀の針のような冬の時期にも、人は温もりを求める。初めて山間に蒸気機関車が走り、汽笛をコダマさせる。そのコダマに混じる人の声、列車には見知らぬ人が乗っているのだ。今は見えなくなったとしても、過ぎた時間はある。物語の光を零しながらの、上砂川。 三杉和美氏は車椅子での朗読。苦しいのは誰でも同じであり、声を出して、支えあうということ。そのことを自分自身のはっきりとした声に乗せて響かせる。自分を信じ、友達を信じて、笑顔で語ることを詩の言葉にしていく。 丹尾晴海氏は俳句絵巻。雪そして花へ〜を主題に、タイトルとして「雪はじめ」から始める。自身で描いた絵をスライドにして、ひとつのスライドから10篇の俳句を読む。「雪凍る」では重たい声で、「花兆す」では一転明るい声。二月祭を祝う俳句も披露。 第二部では苫小牧から参加の森れい氏。自身を読んだ、「銀の日々」今日の生きる覚悟の量の銀を叩く。「銀の手仕事」錬金の魔法と言い放つ、丹念に真っ直ぐに、高熱の炉の前で。 村田譲は、パソコン的都市の出会いの作品「観覧車」。狂的と言われる作品「共鳴館」(プロローグ)を読み上げた。 さて、小樽からは”猫の”と枕詞がつく高橋明子氏。まず、手作りの料理本を客席に回してから、「私は待ちます」「我が家の食卓」などお料理を通したもてなしのコトバ。「ホウロウ鍋とトマト」では、琺瑯(ほうろう)の漢字を説明してからの朗読。招いた訳でもないのにグルメに見える王様二人、ホウロウ様は、確かに漢字を見ないと分からないです! かつての二月祭のポスターを前に朗読 / 高橋明子氏 萩原貢氏の語りと引き込みの導入は一級品である。朗読への間を見事に創りあげる。朗読した作品は「ドアの断崖」、「居酒屋にて」では若い女を引っ掛けようとしての失態を。なかなか男性としては身に覚えがあるような、しかし言えないような…。 「二月祭」は、もともと1980年代初頭に4丁目プラザに、全道から詩人が集り自作詩を披露するものであった。その当時の参加者の江原光太氏がほぼ20年振りとなる朗読とのこと。ラストとなる作品「四人のゲリラ」砂漠を歩き続けるのだが、国籍もなく、振り返ることもなく、すべてから断ち切られている。そして死体は、鳥に目玉を食われるのみ。 レッドベリースタジオ |
第12回市民文藝賞は、創作部門の本賞に国府田稔作品「凍てつく風」、エッセイ部門の本賞に近藤春夫作品「恵子」、エッセイ部門奨励賞に新山美雪作品「恋が覚めなくて」となった。 お礼の言葉で、国府田氏は「15年やっているが、是非三回の受賞を狙う」と大声で宣言した、対抗してボソボソと近藤氏は小声で「ボクを選ぶとは、選考委員長のサイトーマサヨシも見る目があったんだなぁ」と…(笑)。それにしても国府田、近藤両氏ともに講師側の人であって、そもそも受賞させていいのかぁ!という野次と賞賛の笑い声はひっきりなしに飛んでいたのである。 確かに市民文藝の両輪ともいうべき二人が同時に本賞というのが、なんともすごい。その人気に参加者が60名となり、会場がステーションホテルに変更となったが、びっちり埋め尽くす感じで、なんか余裕がなかった。お陰様で詩の朗読の時間もなかったぁ〜。 今回は詩作品に、庄司とも子氏が参加し「女も男も」他三篇を発表。半澤孝平氏「にわ」他二編、藤森芳郎氏「地球」、村田譲は「絵の具」他一篇と、昨年より少しづつ増えているのが嬉しい。 ところで短歌や俳句を書かれている方も多いのだから、一緒に朗読したいところです。 |
沖縄には日本最古の人骨がある「港川人」である。18000年前の洪積世人とされる。ほぼ完璧な化石であり、男女4体が発見されている。この化石人の顎の骨の修復が進み、ややスリムになったとのこと。 また、沖縄の大交易時代14〜16世紀にかけての交易品で「万国津梁の鐘」という重要文化財もあり、鐘は結構展示されていたが、どれだかわからなかったのだが…。 なかでも興味を引いたのが、空き缶の沖縄三味線「カンカラサンシン」である。もともと沖縄はサンシンという三味線が最も重宝され(武士にとっての刀の様な意味合いを持つ)中国と同様に、ニシキヘビの皮で張られているものが多い。それが何故か、空き缶で作られたものが展示されている。 つまり第二次大戦後の沖縄は、日本への復帰が許されず、また日本国憲法も適応されなかった。当時の米軍高官は「アメリカはネコ、沖縄はネズミである。ネコの許す範囲でしかネズミは遊べない」と言い放ったという。その屈辱感と絶望感のなか、心の支えがサンシンであった。材料に事欠く中で、空き缶とパラシュートの糸で、カンカラ三線をつくり、軍服のはぎれで衣装を纏い、沖縄舞踊を復活し伝えていったのだ。この空き缶のサイズ、思ったより大きく直径14〜15cm、高さ9cm位ありそうだ。 沖縄県立博物館・美術館 |
写真家酒井広司氏の写真展が開催された。
タイトルSight Seeing = 「光を観に行く」、その場所はいつまでもその場所であり、動くことなどない。しかし、刻々とその場所は変わっていく。 ギャラリートークでの一コマ。相手は、北海道立近代美術館学芸副館長の佐藤友哉氏。例えば、作品「19940501118424914049」とは、1994年05月01日11時18分北緯42度49分東経140度49分。ここに展示されている、すべての作品タイトルはこんな調子である。だからこれは、15年前のGWの地図上では、羊蹄山南斜面の辺り。そのとき雪の中に音が吸い込まれ、何が見えるわけではない一枚の風景との出会いから、このシリーズはスタートしたのだという。 だが、その記念すべき一枚は冒頭に置かれているわけでもない。酒井氏のとっては、沈黙とは「時間」ではなく「空間」であるという発言と合致する。 思うに、「沈黙の時間」とは主体であり、「沈黙の空間」とは客体であろう、このセンスは面白い。写真の撮り方も、絵画的ではない、正方形の真ん中に垂直水平線がくる。スケール感を無視し、志向しないことによる102点の作品群。 ま、私的には、102の車窓から見つめられる空間内というのが、第一印象である。であれば、それぞれの作品に名前はいらない。(あ?だからあんな無機質なタイトルなのかなぁ…) |
今年も春からひと騒動!な年賀状を作ってみました「鬼嫁」。寅年に相応しいネーミングだよね(笑)。しかも、プリントゴッコでの金とスミが綺麗だねと自画自賛。ちなみに、この酒造会社に勤務しているわけではありませんので、お求めの際は直接に!
さて、ムラタ的2009年の十大ニュースです ・50になってしまったので人生75歳を目標に変更する ・長男が高校を卒業した ・隅田川の朗読会「こころの温泉」と「そら庵」に参加 ・東京国立博物館庭園の桜が素晴らしかった ・高校以来ほぼTVを見ないのに電波担当になる ・FP3級に合格してみる ・『食品偽装の歴史』産業革命以来だが偽装がひどいなぁ ・沖縄旅行3泊4日〜玉泉洞を一人で駆け抜ける ・確定拠出年金(個人型)に加入する ・親族での遺産分割裁判が面白かった |
”はじまりのことば”が終わり、世話人と編集と会計係の挨拶までもが終わり、高橋明子氏の乾杯!までの、あっと言う間…まぁ、早い分には文句はない。 そして恒例、皆で嫌がる”全員参加の三分間スピーチ”である。今回のお題は「わたしの1丁目1番地」、おのさとし氏によると「自分の原点」ということらしい。であれば、そのような題にしてくれれば良いのに、TV番組で連呼していた1丁目が発端での、まんまのお題であるとか。 そこでトップは「小樽詩話会の1-1」の萩原貢氏である。あの人は4丁目だとか、この人は2丁目だけど5番地であるとか住所の割り振りに忙しい。 スピ−チ 萩原貢氏 北さち子氏なんか自宅の番地を言ってお仕舞い。つられて皆が、自分が詩話会で何丁目であるという談義に華が咲いたようである。また花崎皋平氏が編集の仕方で、昔は必ず確認を取っていたものが、今(数週間前のことらしい)は文体まで勝手にリライトすると、校正の進め方の初歩について怒りの発言(評判悪いぞ岩波)!(笑)。私の今回の『小樽詩話会46周年記念号』の作品名は「美園通りニ丁目」…何のこっちゃ。 そして詩の朗読である。まず、嘉藤師穂子氏が作品「呼び止められて」、嘉藤氏の柔らかい語りは何度聞いてもいい。笹原実穂子氏が記念号掲載作品の「抱く」を。渥美俊子氏、杉本真沙彌氏が自作詩を朗読、根深昌博氏は暮尾氏の作品を紹介した。異彩を放つのが、なかの頼子氏のシャンソン。本間サツ氏も自慢の歌声とドレス姿を披露された。村田譲は作品「風の道」を朗読し(たが、マイクの効果を気にし過ぎ)た。 そして特別表彰は、掟破りの事務局からの選出で下田美砂子氏に「礎」賞が授与された。今回からバザーが中止となったため、寺井勝夫氏の威勢の良い掛け声が聞けなくなったのが残念であるが、その分最後の乾杯の発声をされての中締めであった。 |
ひめゆりという名前の由来だが、花の名称ではない。沖縄県立第一高等女学校には校友会誌「乙姫」が、沖縄師範学校女子部には校友会誌「白百合」がそれぞれあり、二つの学校が併置されたときに校友会誌を「姫百合」としたのである。ひらがなになったのは、戦後のこと。 とりあえず、事前に資料を一冊読んでは行った、学徒出陣ということのみで・・・。しかし公園内の碑の真下が、その戦場である外科のひとつの洞窟入口、そのものとは思わなかった。 ひめゆりの塔 この手前の黒い穴が外科への入口である。なかを覗き込むことは出来ないが、資料館の展示室には洞窟内のレプリカが設置、また当時の戦争体験者の方が直接に館内で戦争体験をお話されている。 別の展示室には、当時の女学生の悲痛な看護の状況などの資料もあり、それは「『ガイドブック』展示・証言」のなかで当時の看護学生の、凄惨な証言が掲載された刊行物もある。一言で述べきるのは難しい。 幼き女神の像 ひめゆり平和祈念資料館 |
おきなわワールドという観光施設内に位置するので、地図などではちょっと場所が分からない。最初こそ深さを感じる「東洋一洞」は奥行き80M、高さ20Mである。しかしこの玉泉洞は圧倒的に長いのだ、日本第二位の全長5キロを誇るとのこと。(ま、歩けるのそのうちの1キロ位だが)30万年に歳月が作り出した100万本の鍾乳洞である。
昇龍の鐘 歩けども洞窟から抜けられないという感覚がなかなかすごい。洞窟の中央付近にあるはずの「黄金の盃」が遠い。出口付近には「ハブ薬酒古酒蔵」があり、天然の貯蔵庫としても使われていたようだ。 しかし通常、鍾乳洞は涼しいというより、冷えるのだが、ここ玉泉洞は沖縄の気候のせいなのか湿度が90%あるのに、暑いものだから急ぎ足で歩き回るとほとんどサウナ状態である。 出てからは、おきなわワールドのお土産やの軒下を歩くことになり、整備された洞窟内よりも、むしろこっちの方が迷路である。 この鍾乳洞にも生き物が住んでいる、洞窟内では魚の姿が見られ、皆写真を撮っていた。 おきなわワールド |
講師は詩誌『饗宴』主宰者の瀬戸正昭氏による「レクイエムの詩学・5」で、内容は、現代のレクイエムである。20世紀は別名を「戦争と革命の世紀」と呼ばれ、伝統的な典礼音楽は、「死」を孕んだものとなった。今回、取り上げられていた作品もほぼ戦争が題材のもの。 一貫して「死」をテーマとして、現世との別れを扱ったグスタフ・マーラー(1860-1911)は、19世紀の音楽を現代に繋ぐ役割を果した。現代批判の作曲家としてのアルチュール・オネゲル(1892-1955)と、その曲が続いて紹介された。 反戦思想の作曲家としてのベンジャミン・ブリテンは「戦争レクイエム」の中で、伝統的なラテン語典礼に第一次世界大戦で戦死した英国詩人オーウェンの歌詞を交互に挿入し、過去との融合を試みている。 クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)の1960年の作品は当初「8分26秒」という無機質なタイトルだった。この作品は管弦楽なのだが、音の伸びはおどろおどろしく異様である。楽譜を見ると、真っ黒に塗りつぶしてあったり、音の高さを指定することなく最強から最弱に演奏せよというものであったり。最終的に「広島の犠牲のための哀歌」とのタイトルになったが、相応しいと思える。 詩話会 / 左 瀬戸正昭氏 ドミトリ・ショスタコービチ(1906-1975)は二枚舌の作曲家といわれている。というのもスターリン賞受賞作品は、対ドイツ軍の鼓舞という評価であったが、どうも反スターリンの作品で、スターリンが破壊したものを悲しむという主題。周りの勘違いによる受賞という説明に笑った。 日本からは武満徹(1930-1996)が紹介された。北海道美幌町の町歌を作曲していることは初めて知った。むしろNHK大河ドラマや映画音楽で知られている。 続いての懇親会では、今年の北海道詩人協会賞を受賞された詩集『花散りてまぼろし』の東延江氏の受賞記念会ともなったのである。 詩話会に参加されたのは工藤知子、小池温子、朝田千加子、山内みゆき、嘉藤師穂子の各氏と、村田譲。 |
美ら海(ちゅらうみ)水族館は、海洋博公園の中にあり、美しい海がすぐそばにある。入口の塔の上にはシーサーが睨みをきかせている。
水族館入口 水族館の入口近くではサンゴの水槽が見られる。サンゴは光合成が必要なため浅瀬に位置するように、日光に当たりやすい配置である。 マングローブの林 ここの見所はなんといっても深さ10M×幅35M×奥行27M、容量7500立方の水量を誇る大水槽・黒潮の海に、ジンベイザメが三匹。エイのなかで最大のマンタ(オニイトマキエイ)が多数。小さな魚は群れをなして泳ぎ回るのである。 黒潮の海(クリックで拡大) 少し奥まったところには、ジンベイ・マンタコーナーがあり、生態に関する資料などが展示されている。またアクアルームに移ると、悠然と泳ぐ魚を真上に見ることが出来る。 水族館から出た公園内には、イルカラグーン、イルカのオキちゃん劇場ではショーが見られ、ほかにもウミガメ館、マナティー館などがある。 美ら海水族館 |
札幌市営地下鉄東西線、大通り駅からバスセンター駅の500Mの通路を開放しての美術館。作家の他にも公募で選ばれた市民の作品も展示されている。 電飾看板のライトをうまく利用しているものは、通路自体も明るくなって、なかなか素敵なものがたくさんある。 諸我美里作品 SPACE GROOVE「白桃」 酒井広司作品「白糠・縫別 1999年と2009年」大きな作品だ。単に大きいだけであるなら、実物を展示すればよく写真を拡大する必要などない。しかし10年を経て改めて同じ場所に行ってみるということは、やりそうで、なかなか出来ないことのひとつ。つまりこれは、時間の拡大と進行。しかも今は製造中止となったコダックのカラーポジフィルムと、現代のデジタルという二重の時代比較であるのだ。 作品「白糠・縫別 1999年と2009年」 田中裕子作品「それ と そこ」人工芝のうえに来て、底を覗けとの指示。何が見えるかは述べませんが、そこに佇むだけでは分かりませんよ、とのメッセージ。 作品「それ と そこ」 太田博子作品「マーチ」いいね、楽しいね。しかしこの落書きから始まる人形を盗んでいくバカものがいることには、腹が立つ(…マーチに参加できてないぞぉ!)。 むく作品「日常について考える」は写真をめくるとコトバが出てくる、ひとつの日記である。 神田彩加作品「ANNIVERSARY-Unbirthday」いやぁ、364/365がUnbirthdayなのだ、全くそうだ、ふむ(この発想はどこかで読んだか)、タイトルの面白さというべきか。 作品「ANNIVERSARY-Unbirthday」 他にも、エコであろうか、ゴミ袋を使ってクマの人形が可愛らしく、ユニークなものもあった。また、鏡と装飾の感触が私的に、はまった作品も見つけた。 川上大雅作品「左目が見える」 500M美術館は11月30日迄 さっぽろアートステージ2009 |
今帰仁(なきじん)城は、調査によって13世紀に建てられたといわれる。ちなみに城のことを沖縄では「グスク」というので、「なきじんぐすく」と読む。
御内原より海を臨む 建てたのが誰かは特定できていないが、14世紀の沖縄は三山時代といわれ、北山、中山、南山に分かれて覇を争っていた。その沖縄北部に勢力を保っていた、北山の本拠地であったとされる。しかし1416(または1422)年に北山は中山の尚巴志(しょうはし)に敗れ去る。一説によると城の防御門である、平朗門の門番が敵方に買収されたためといわれる。 平朗門より旧道 平朗門から入り、長く足場の悪い石畳を歩くのだが、この門はグスクの想像的全体像では、割と中程に位置していたようだ。外側には外郭があり、横には備え馬の訓練場もあったようだ。 志慶真門郭より主郭(クリックで拡大) 石畳を抜け、大庭という郭から、女官がいたという御内原、そして主郭がもっとも高く、城全体の雰囲気が分かる。 主郭の建物 その裏側にも志慶真門郭があり、ここにも住居跡がある。城郭というものの記憶のない私には、のんびりと見回すには面白いところである。 御内原より志慶真門郭(クリックで拡大) 今帰仁村歴史文化センター |
光城健悦会長の挨拶の後、グループ分けによる「北海道詩集」の合評会が行われ、その後「北の詩賞」の表彰式と朗読による作品紹介が行われた。 続いてテーマ講演である。伊達市噴火湾文化研究所長の大島直行氏による「一万年の詩人・縄文人はかく語りき」は非常に刺激的な内容であった。 人間は突然変異によって生まれた。「身体」裸であること、「脳」抽象的概念、洞窟壁画を描けるようになる、「喉頭」声が出るように喉の構造が変化したという三つ。そこに精神文化が生まれてきた。 そのなかでも縄文土器は特異なものであると。何故、土器の上部を水平に作らなかったのか。凹凸があり蓋の出来ない構造のものを作る理由がないだろう。さらに浅底ではなく、わざわざ倒れ易い深底にしている。それは願いとしてメッセージを伝えたかったのではないのか、ということ。つまりここにはデザインが存在していたのではないか、妊娠している女性の姿、豊饒を。もちろん、科学的な証拠というものはない。だが非常に面白い考え方。であるからこそ、大島氏は縄文人が話しかけてくる詩人である、というのだ。 テーマ講演 続いて、若宮明彦氏が「縄文の海-豊饒の渚から生まれ出る言葉」と題し、海岸の漂着物が教えてくれること。縄文時代の海岸線を今の時代に持ち込んでくる。 そして、原子修氏の朗読「ぼくにとって縄文とは」を遠音のギタリスト曽山良一氏が縄文時代の琴と思われる楽器を再現して言葉に添えたのだ。 交流会では、櫻井良子、東峰和子、森永裕爾、やまだ乃理子、佐藤元勲、石井真弓の各氏と村田譲が自作詩を朗読したのである。 |
象牙に20kgの金で装飾した「黄金の大牙」は、2M70cmとえらくでかい。価格は6億5千万円だそうだが、訳が分からない。はっきりいうと趣味が悪い。
しかし、なんといっても豊臣秀吉の「黄金の茶室」である。正親町天皇を呼んで茶会に使ったものの再現で、組み立て式ということだ。見ると思ったよりは小さい。利休のワビサビの時代であれば、そういうものか。しかし赤い毛氈がひかれた黄金色は、気恥ずかしくて思わず笑みがこぼれる。真昼の蛍光灯の真下であるせいかもしれない。蝋燭の灯火などの下なら違うのかも…。 MOA秋の芸術祭の告知より「黄金の茶室」 それにしても、この「黄金の茶室」は9月に札幌MOAで料金とって展示していたのだが…、結構黒いものを感じる(笑)。しかし会場で105000円以上購入すると、黄金の茶道具を使った抹茶が飲める特典があるそうだ。 まさに金というのは実用以上に、飾り物という側面が強いものだ。ファイターズ必勝の応援グッズ、純金のバット、ヘルメット、スパイク、グローブとか。 直江兼続の”愛”の文字のK24の兜が1億1千万円。ついでのように、仏具も売りに出ていた。おりんが100万円台から、もちろん黒檀のりん台も販売中。 イベントとしては、120kgのインゴットに直接触れることが出来る。鉄、銀などインゴットの重さ比べのコーナーもあり、金は以外に重たい。また1gの金は箔にして伸ばすと概ね40cm四方位になるようだ。 催事は11月9日まで(札幌市中央区南1条西3丁目) / 入場無料 |
福祉施設「恵庭光と風の里」の施設長をつとめた国府田稔氏が、退職時に「福祉は文化」であるとの思いに従い開設した、ギャラリー「福祉と文化の発信・ふれあい工房」が10周年を迎え、記念パーティが開かれた。
発起人で恵庭市民文藝代表の村上利雄氏の挨拶、恵庭市長の中島興世氏のお祝いの言葉、乾杯の発声は画家の中村哲泰氏。ふれあい工房の10年を映像で紹介した後に、詩の朗読が始まった。 最初は、小樽詩話会所属の嘉藤師穂子氏の柔らかい声が「収穫の季節」を告げる。巻きついてくる蔓の始まりから、生まれる前の眠り、雪の下で眠ることから始まる、実りまでの道程。ビールで気勢を上げすぎた親爺どもは、この作品を聞けなくて残念であったろう。 朗読 / 嘉藤師穂子氏 千歳市民文芸代表の綾部清隆氏「日本」傾きかけた夕焼け、主人を亡くして佇む老女の姿。立ち尽くしていながらも、夜の防犯灯は冴え渡り、リフォームしていく姿に重なる。 苫小牧文学代表の森れい氏は、今回のパーティに相応しい「ふれあい」とのタイトル。出会いと別れと。今ここですれ違うこと、交わした約束のこと、を。 さて、恵庭市民文藝から半澤孝平氏。「9月22日」お互いが触れ合いながら生きていく姿を一杯のお茶に託しながら、照れ笑いをしている穏やかな日々。 村田譲は作品「古老の河」町の最初の道である河と人との出会い。作品「灯火」では、秋のカケラに出会う、触れ合いの瞬間を朗読した。 また、参加できなかったが、庄司友子氏がお祝いの作品「10月の薔薇」を、当日の司会である書家の川口ヤ子氏が代読した。 その後、みんなが国府田氏に一言のお祝いを告げながら、楽しい時間を過ごしたのである。 |