空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '09.1月〜5月


さっぽろライラックまつり
そら庵朗読会
北黄金貝塚情報センター
+/− 池田亮司展
国宝 阿修羅展
「饗宴」春の詩話会
生活と芸術−アーツ&クラフツ展
東海道五拾三次
こころの温泉 第2部
東京国立博物館 庭園
大万華鏡展
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小樽詩話会札幌例会
「印画紙としての写真」展
第2回春萌え朗詩と語らいの宴
かるちゃー祭 作品展
第32回詩人の広場
雪祭りホワイトコンサート
恵庭市民文藝賞祝賀会
しゃしんのなぞ展
叙事詩知床断章
2009 笑門福来




さっぽろライラックまつり 札幌大通り公園
例年5月の下旬に開催され、冬からの開放という意味合いであり野外散策を楽しむ。ライラックは「札幌の木」として認定され、現在大通公園には400本あり、白が30本、紫系が370本。



ライラック

原産地はアフガニスタンでバルカン半島のあたり。札幌には明治23年に、北星学園の前身のスミス女学校創始者であるサラ・C・スミス女史が、故郷アメリカから持ち込んだ。別名を、リラ、ムラサキハシドイ、ハナハシドイとも呼ばれる。


ライラック

今回で51回目を迎えるが、お祭りの期間中は、オープニングの後は、帯広からのワインガーデン、音楽祭、お宝無料鑑定や骨董市などが開催されていた。
ちなみに割と近くにある札幌時計台の庭にこの同じ時期に、クロユリがこじんまりと咲いている。



クロユリ

ライラックまつり イベントは24日で終了



そら庵朗読会 
山の街連詩主宰の永井ますみ氏が、『弥生の昔の物語』を語り部に徹して朗読。青年期の「まぐわう」からスタートする。
続いて「生活語詩集」から、水崎野里子氏は作品「花」で”ト書き”をまず述べて、”地の文”と分け合うという方法で、パソコンを打ちつつ…語りかけていく姿。松本恭輔氏の作品「昭和江戸っ子 尻追い情話」の、しりとりで軽妙に言葉を繋いで歌へと進む。川原よしひさ氏作品「海底旅行」は、登場人物の名前と時代を掛け結び、kakoとmikiとkokurouは、過去と未来と告老と。しだのぶお氏は「シルバーマーク賛歌 ざけんじゃねぇ!」シリーズ、年齢に罰金の発想だ!新たな免許を取得して若葉マークと併用するぞetc。それから生と死を抱く”深川の地”に住むということをレクイエムを交えて。



朗読

月詠ざくろ氏作詞作曲とバイオリン演奏、藤野みずな氏はキーボード、歌と演奏「バグダット」を。そして「世界で最初に沈む国」では希望の太陽に向かって歩き、しかし文明のあせりが故郷を沈めることを悲しげな音に託す。
続く、村田譲が作品「スクリーンセーバー−非在の顔」と「駅名標」を朗読した。
山の街連詩仲間の北口汀子氏は、張りのあるストレートな声で「EXIT(出口)」、壁が吸い込む人々の声、羽ばたくもの、闇のなかに…。上手宰氏の作品は、列車のなかに骨壷の「忘れ物」が運ばれていく。「光の旅」では、滅びているであろう星の光、過去の出会いの一番の不思議は妻であるあなたとの出会い。
一色真理&岡島弘子の両氏は、声を合わせて御仏の阿弥陀仏を唱えて、いやぁ実にお疲れ様でございます…こんなオチ。堀内みちこ氏は歌の彼方にある未来を「海辺のカフェで待ってて」のタイトルに乗せて、生きている形の詩と死とカフェ。うつる氏は詩誌「リヴィエール100号」のエッセイを披露、さらに詩「耳を澄まして」では、いま立ち尽くして見つめる虚。



そら庵

その後は、ますおかやよい氏作品「粥」、働淳氏作品「焼き鳥にビール」、みき氏作品「麻酔」、水谷有美氏作品「夏の儀式」、楯岡真弓氏作品「死んだ女の子」が順に朗読されているのだが、村田は帰りの飛行機の時間上最後までいられずに、その後は送られてきたDVDを見た。 朗読中は、わきたにじゅん氏がアフリカ太鼓で伴奏をしてくれていた。
そら庵



北黄金貝塚情報センター 
北海道詩人協会の室蘭の総会に参加。その後、伊達市の縄文の丘”北黄金貝塚情報センター”へのバス見学会に参加。とはいっても、本当に立ち寄ったというレベルでしかありませんが。 なにせ雨が降っていたので、縄文の丘を歩き回ることもしなかった。国指定貝塚と後で知って残念な思いをした。
6000年前の縄文時代、伊達のこの辺りは海のすぐ傍であった、と。丘の幸と海の幸の両方を獲得できていたとか。住居跡の近くに貝塚があるようだが、この貝塚から手足を折り曲げた”屈葬”という形式で埋葬された人骨が出てきた。それも14体、いずれも丁重に葬られたものであった。


縄文の丘

このことから、貝塚は単なるゴミ捨て場であったわけではなく、貝、オットセイ、シカ、灰となった植物に至るまで「すべての生き物の墓地」として供養されていたのであろうと推測される。アイヌの人たちにも似たような考え方をしているところがあり、この考え方が補強されている。




またそこには、道具も一緒に埋められていた。ものを磨り潰す台座となる石と、磨り潰すための取っ手付きの石などが同じ様に、まとまっており、道具を埋めれた場所もまた、供養の場と考えられているのであると。



+/− 池田亮司展 [the infinite between 0 and 1]
映像と音のインスタレーション。部屋が暗い。「ザ トランセンデンタル」は照明が真上から落ちているだけのもの、ついそのまま見過ごしていく。次の部屋「データマトリックス」ではピー音とノイズのような10の映像が流れる。それぞれが平行線や点の集合体でありながら位置を示すモノとして視覚に訴えてくる。ところどころに白と黒のなかに赤や青のラインが含まれるものだから、そこに自分の居場所をつい、見つけようとする。
そしてL字の部屋を曲がると、ほぼ10×25Mの壁一面に巨大な演算記号が流れている。そこから横をみると、先程までの10の映像と連動する。全てが数値化され、グラフとノイズの赤い点滅。コンピュータの内側に入り込んでいるということなのだ、圧倒される。
抜け出たところには、5cm×10MのKODAKのフィルムが真っ直ぐに一本。



東京都現代美術館

で、地下の展示室に移るとここの部屋は真っ白。上の部屋と同じ作りで、展示物がトレースされ、しかし全てが黒い盤面で、そこには細かな数字がびっしり。左折れすると五つの巨大なスピーカが、その音に釣られて、皆、音の中心へと歩かされていくのだ。
ここしばらくの展示会でも最高に面白かったもののひとつである

東京都現代美術館 6月21日迄 一般 / 1000円



国宝 阿修羅展 東京国立博物館 平成館
奈良時代に藤原鎌足の子、不比等が興福寺を創建して1300年を記念して、発掘された遺物の多数のものを展示。
金銅大盤にある”上”の文字、銀鍍金唐花文鋺や水晶、錆びて二枚がくっ付いている和同開珎。橘三千代のものといわれる厨子は、箱の内側の屋根の上にまで絵と彫刻がなされてゴージャス。華原磬(カゲンケイ)という梵音具(エオング)は獅子の背中に四匹の龍を乗せている。




素晴らしいのは八部衆が揃っていることだ。八部衆は、八つの種族のことで、もともと古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神であり仏教に帰依して護法善神となるのだ。ただよく知られる夜叉衆などが興福寺では一部異なり、代わりに五部浄、沙羯羅(サカラ)、鳩槃荼(クハンダ)、畢婆迦羅(ヒバカラ)衆となる。乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅の衆は共通している。
さて立像であるが、沙羯羅は三つ目で角があり、迦楼羅は鳥の口を持ち龍を好んで常食するといい明らかに異形である。
別室に展示されている阿修羅立像であるが、第一印象は、細いということ。三つの顔はそれぞれ過去と憂いとこころを見つめる三面とかを現すらしい。台座のうえに乗っているとはいえ153cmしかなく戦いの神というより、華奢な美しさの方が圧倒的だ。とにかく美しい垂直性と思う。
むしろ筋肉隆々の神像を思うなら、四天王像であろう。獅子を踏み潰し武具を整え、怒りの髪型であるのだから。対比してみると随分と違うものだ。
他にも薬王菩薩、薬上菩薩像、十大弟子像など、しかし釈迦の頭部デカッ!

東京国立博物館 6月7日(日)迄、 一般(当日)1500円 



「饗宴」春の詩話会 すみれホテル
今回のテーマは、「熊楠とロンドンのジャポニズム運動」。講師は北星学院大学名誉教授で、ルイス・キャロル協会の理事でもある平倫子氏。
さて、南方熊楠は知ってる人は知っているという人です。が、何をしたと言われると一応、細菌学者というらしいのだが、実は博物学、民俗学、天文学、人類学、考古学、生物学まで。別名「歩く百科事典」。
1867年(慶応3)生、明治維新の間もない1886年からアメリカに留学している。
この理由について平氏は、フェノロサの影響を受け、その後を追ったのではないか、と。フェノロサは、ハーバード大に出された東大の求人情報で来日し、日本の美を発見し、滅亡寸前の日本美術の保護に立ち上がり、西洋に毒されていた日本人の自負心を取り戻してくれた人物である。
また熊楠は、自由民権運動に傾斜し、日本では発行できない雑誌作りをアメリカで発行可能であることを知り、自由を求めてたのではないか、とも。



講師 平倫子氏

熊楠は1892年にイギリスに渡り、論文「極東の星座」がイギリスを代表する科学雑誌『ネイチャー』に掲載されたのをはじめとして、その後51回掲載。世界のミナカタとして有名になる。
しかし当時の東洋人差別が切っ掛けとされる、図書館での殴打事件をおこし、大英博物館を出入り禁止となる。その後は浮世絵の目録を作ったり、解説の翻訳をして生活費を稼いでいたのだが、何故この画商がこの浮世絵を購入したのかということまで追求したようだ。
一方、海外に日本美術の魅力が紹介され、芸術の世界ではイギリスでジャポニズム運動が盛んとなる。1885年サボイ座で「ミカド」が公演されている。この時期は画家のホイッスラー、詩人のスウィンバーンなどが有名である。
その後熊楠は困窮極まり日本へ帰国する。入れ替わるように夏目漱石がロンドンに到着。ラフカディオ=ハーンのスウィンバーン訳を、夏目漱石が横取りしている部分が「我輩は猫である」などにあるとか、興味深い話が多かった。

参加者に、苫小牧の森れい、田中聖海、初参加の山口三千香、中村容子、菅原みえ子、旭川から今本千衣子、「饗宴」主宰の瀬戸正昭、木村淳子、嘉藤師穂子、山内みゆきの各氏と、村田譲。



生活と芸術−アーツ&クラフツ展 モリスから民芸まで
ウィリアム・モリスは、19世紀後半のイギリスの詩人でデザイナーでマルクス主義者であった。
当時は産業革命の成果が、工場での大量生産を生み出したが、画一的な商品が溢れて、職人による手仕事の美しさといったものが失われていた。
そこで、生活と芸術を一致させようとする「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」との言葉に従い、デザインによるアーツ&クラフツ運動を推し進めた業績により、モダンデザインの父とも言われる。




様々な食器や家具が並んでいる。全体に薄い作りでシンプルな感じ、椅子も華奢な印象である。 モリスは、植物の模様の壁紙やステンドグラスなどをモチーフにしたものが有名。モリスとジョン・ヘンリー・ダールのタペストリー「果樹園または四季」はでかいなあ、割りと面白い。
ジョージ・ウォルトン「コードー城の燭台」など、OとUの文字を組み合わせた様な作りが好きだ。エドワード・バーン=ジョーンズ「生命の木」青がすごい。ヨーゼフ・ホフマンのテーブルクロスは、マッチみたいな絵柄で可愛らしい。
本も、「理想の書物」を世に送ろうと私家版印刷工房を設立。鮮明で読みやすい印刷、黒っぽい印刷面を目指した。語間の余白が跨って同位置に発生する「川」を阻止するためには、綴りも変えたりするほどであったと。また改行ではなく、飾りを挿んで段落を繋ぐ手法も導入している。これらは、ケルムスコット・プレスと呼ばれ、完本のシュリー詩集が135万円、トマスモアのユートピアが78万円で販売されていた。展示会は東京都美術館で4月5日に終了している。

東京都美術館



東海道五拾三次 〜あの浮世絵がやってきた〜
ここの常設展示室はエスカレータなどで、まず6Fへ。そして室内にある日本橋を渡って(ここが気持ちいいのだが)、江戸ゾーンに進む。降りて5Fの一角に、確か、永谷園のお茶漬けでみたことのある歌川広重の「東海道五拾三次」が並んでいる。
もう、どこがどうということよりも昔を思い出す。楽しかった気分というもの。 双六の江戸「日本橋 朝之景」から「京師 三條大橋」の京都上がりまで、見たことあるとか無いとか。おなじみのシリーズ55枚という感じである。



常設展示室のスペースを使って収蔵したということでの企画展であるとか。
それが見終われば、寄席もやっているし、江戸時代以降の明治から昭和の東京の部屋とか、生活用具とか色々色々並んでいる。ところどころに時代の懐かしさを感じる。乗ったことのない人力車やダルマ自転車も固定してあるから、試しに乗ってみることもできる。ゆったりとした時間を提供してくれるのだ。

企画展は常設展示室にて 5月10日迄 江戸東京博物館



こころの温泉 第2部 清澄庭園 涼亭
第1部が隅田川テラスで終了後、第2部が清澄庭園で開催された。
清澄庭園というのは、泉水・築山・枯山水を主体とした「廻遊式築山林泉庭園」といわれ江戸の大名庭園の手法により作られた物であるとか。であるから会場の涼亭も水辺にせり出した純和風の建物。
まず楯岡真弓氏による一人芝居。会場に合わせた水の演目、語り口調が柔らかい。ホタルを題材として、死後に還ってくる命として呼びかけてくる。
次いで、永井ますみ氏が「弥生の昔の物語」の青春時代を、時代の背景を織り交ぜながら、うつる氏と二人でユニークに盛り上げていく。



朗読 永井ますみ氏

その後は自作詩と他者作品を取り混ぜながらの朗読会に突入した。最初に遠方からの村田譲が作品「雷鳴」とショート作品「入江」を朗読した。
あおい満月氏は、自作詩の「きづな」で、暖かなあなたを守りたいという優しさの言葉、他を。 中園直樹氏は第一詩集の『オルゴール』から星空マウスの脱出マニュアル。愛情と名付けられた、しかし実験室のマウスでしかない自覚のもと、怒りを響かせる。
細田貴大氏は、亡くなった従兄弟への追悼「セイキ君へ」で、成人になった従兄弟の姿を思い、一緒に歩きたかったとの思いでが一杯に。青木春菜氏は、柔らかいこころの愛を「眠れぬ夜の子守唄」、そして「夕闇」の二作品を。



清澄庭園 涼亭

洪美怜氏が金子光晴作品を朗読。みき氏は「望郷」で国境に育った、戦時中の二国の中間という不条理な難しい時代の生き方、早く家に返りたいだけなのに。
司会のあしゅりん氏は、SFチックなイメージ「鯨の宇宙」で自在に飛行。楯岡真弓氏が「酋長ジェロニモ」を朗読。ついに三宅島在住の都月次郎氏ご本人の登壇となり、詩集『次郎ぶし』からの朗読となったのだ。
こころの温泉



東京国立博物館 庭園 
調度上野駅に着いたところで、駅の改札を真っ直ぐには抜けられない。花見客でごった返していたのだ。露天も弁当屋も花開いているし、向こう側では路上生活者に食料を配布しているし。それでも上野公園の1200本の桜となると、遠目にピンクの満開なので近寄ってみた。
ところが、鮨詰めの花見客がラッシュアワー状態、翌日の新聞では20万人だったと(ま、写真を拡大してみてくださいな)。



上野公園

で近場の、東京国立博物館の北側にある庭園。入場料はかかるものの春と秋の年に2回しか公開しないという限定版の方へ行くことにしたのだ。
最初カラスが気になったが…こちらは素晴らしくゆったり。ソメイヨシノをはじめ、オオヤマザクラ、シダレザクラなど。しかし思ったのは、桜の木が高い。今では品種のなかでも、花見用にであろうか背の低いものが主流と聞いた覚えがある。しかし一人で木の下に立っているからなのであろうか、ここでは、見上げる高さに花が被さっている。
遠めには桃色だが、近くによって見上げると緑の木々のなかで、空が透明に見えるのだ。



東京国立博物館庭園

桜の下には人が埋まっているのだと、なんとなく分かる。シンとした空間というのは、上野公園の、あの喧騒のなかでは感じることなど出来ないだろう。
この庭園には、茶室や将軍徳川綱吉が法隆寺に献納した五重塔などが遺されているらしい。

東京国立博物館 春の公開は、4月19日(日)迄



大万華鏡展 万華繚乱の世界
光の宝石箱、万華鏡展が開催中。アイディアコンテストの歴代受賞作品や、世界の有名作家の作品など100点を一挙公開。
作品によっては磁石を使ったり、動かす方向が違ったりと色々ある。そこはガイド役のお姉さんが使い方を教えてくれ、展示されている全ての作品を直接触って楽しむことができる。




見て笑ってしまえるのが、スターウォーズのC−3POみたいな仮面型で、両方の目が万華鏡。そうかと思うと、「赤ん坊」という作品はお人形を持ち上げて背中から覗くようになっている。
非常に感心したのが2005年公募作品「美玉螺旋」で、これは螺旋の絵柄が書かれている筒の中に、ビー球が入っており、筒そのものを上下させることでビー球が動いて模様が変化する。素晴らしい。
「蒼の洞窟」とかそれらしい名前の作品があると思えば、「宇宙」というのは巨大な顕微鏡を思わせ、映像と音響と香りまで。そしてその部屋の隅には、部屋全体を万華鏡で覗ける仕掛けもある。
世界グランプリ受賞作品の「Time -時-」はグリーンの透明の箱の中に、和時計と西洋時計がセットされ朝昼夜の一日を除くことができる。
プロジェクターで部屋を万華鏡にした部屋もある。投影機を使ってテーブル、壁、球面のダルマに様々な光が映されている部屋も用意されているから、自分が光のなかに入り込むこともできるのだ。

札幌市青少年科学館
4月5日迄(9:30〜16:30)中学生迄無料 / 大人 700円



小樽詩話会札幌例会 札幌八軒会館
第1034回例会「45周年記念号」の三回目の合評会には21名が出席、初参加の方もいらして、賑わいの多い会となった。
まず、田中聖海作品「病室を出て」について。叔母と自分という病室での対面を果たすものの、語りかける言葉の貧しさに、言いようのない悲しさが滲み出る。病室を出て、スーパーにむかい鏡面のような冷たさを向けて。
次いで、山西泰子作品「オタマジャクシが」には注釈がある”19年ともに暮らしたハマグリ病死”。筆者は愛情を込め「ハマ」と呼ぶ。これが猫の名前とは!
笹原実穂子作品「庭でできた西瓜」蔓と赤ん坊の臍の緒、赤い果肉と赤い血に染まって生まれてくる児。発想が発想を呼ぶのだが・・・。
入谷寿一作品「鮭とカケス」内容は分かり易い開拓の苦労話である。で、作品に隠された寓意とは。人の言葉を真似るといわれるカケスが象徴しているものを考えると軽すぎ、か。
山田幸一郎作品「寄生木」誰が寄生木か、国民か議員か?宿主は?で議論に。しかしこれはどちらでも構わない。筆者の視点は”ヤドリギは悪い生き方だ”と断定している。ところで寄生もひとつの生き方ではないのかなぁ。
佐藤由香子「料理」食べることは生きること、楽しく美味しく苦悩のスパイスでイタダキマス。平明過ぎるか、調理・スルという動的なリズムがほしい気も。
仁木寿作品「菊月」季語の九月。物価も娘も政治にも、色んなことがありまして。でも、ちょっと平たく並べ過ぎか。でもでも、偽酒はいやです、とか。


世話人 下田修一氏(左端)・ 司会 おのさとし氏(左二番目)

村田譲作品「家の巣」。何故か分かり易い。蜘蛛の重層性で家との対比を浮かび上がらせている。ラストがいい。額縁の説明がウルサイ、など。
最後に、谷崎眞澄作品「〈死の季節〉としての五月」。五月病も入っているのか、怖いイメージ。タイトルの逆説性が、全体の重さに打ち勝っていることで、自立というテーマに迫ることが可能である。
さて、いつも問題になるのが、正直に書くということと、詩であるということは別物だということ。もちろん素材も筆者自身も、日常から切り離されているわけではない。だからといって、そこであった事実は真実なのか。そも真実というストレートにどれほどの意味があるのだろうか。難しいですねッ!



「印画紙としての写真」展 コンチネンタルギャラリー
酒井広司氏の写真展。1970年代から90年代までに撮影したものを印画紙にプリントしてみた、というのだが・・・。なんだかとても当り前に聞こえる。しかし、時間の経過と我々が呼んでいるものは、対象物の存在している年代性を考慮すること、物理的には、エントロピーが拡散していく過程を示し「いつのものである」と言い表すこと。
写真にとっては、プリント自体の古び、印刷されたものの色飛びなどで現されるもの。今はデータとモニターでみせる場合が多いのだから、印画紙といい、プリントというと、逆説めいて聞こえるのかも知れない。




まず「夏の消失点 1979」28点組の作品。ここにある風景はすべて北海道である。北海道の夏は短く、わずかに二週間と言って構わないだろう。短さを強調させることで、時間というものが流れて見えるという錯覚(物理学的には時間は一方向に流れないとされる、まさに錯覚なのだ)を見事に創りあげている。第一回フォックスタルボット賞入賞作。私は16番がお気に入り。
ふたつ目は「昭和51年から1997年まで」昭和と西暦の融合とは奇妙に見えるが、カメラマンが昭和の人間であることを、端的に現していて面白い。
こちらは写真それぞれにタイトルがある。「室蘭母恋南町2丁目(昭和54年)」には、襖とソファが。いかにも生まれ育った部屋の雰囲気。「室蘭水族館」は子供用滑り台の上に群がる男どもで喧しいのだが、すごく寂しい場所に賑わいを与えるものはなんであったか、と。
小樽梅枝町、白老、余市などいつか歩いた、そんな記録のなかに居る。

3月20日(金)迄 13:00〜19:00 *16日・月曜休み*
コンチネンタルギャラリー
(札幌市中央区南1条西11丁目コンチネンタルビルB1F)tel.011-221-8511
酒井広司



第2回春萌え朗詩と語らいの宴 パリの空の下
まずは恵庭市民文藝会長の村上利雄氏が第2回目を記念しての挨拶。続く乾杯は、恵庭博酔会会長で唯一ネクタイをして参加した”奇人または貴人”である近藤春夫氏。
高橋正彰氏の司会のもと、詩の朗読が始まった。トップは国府田稔氏が「巻頭詩・朗詩の会に寄せて」と題し、恵庭の風土のなかで語り合い、詠いあう仲間たちの春萌えの声を響かせる。
半澤孝平氏はタイトルからすると一見無機質な印象を受ける「1月18日」「2月7日」を披露する。作品「3月13日」では、自分が何者であるのかを知るのは自分自身ではなく、外側の他人なのだ、と。



朗読 半澤孝平氏

庄司友子氏が作品「鍵」で、自由と恐れとを同時に手の中に握り締めている存在として。藤森芳郎氏は作品「雪」の持つ、心を、季節を、日の光を反射するカンバスとしてある白を。
吉原恭子氏は小椋桂が恵庭でうたったことのある佐藤春夫作品、喫茶店パリ空のオーナー小川恵理香氏はノーマ・コーネット・マレック作品、上森裕子氏は国府田稔作品から三作をピックアップ。
ゲストの大澤榮氏は、まず詩を書く契機になった話をしてから、白鳥省吾賞作品の「漁川にて」を朗読。斉藤征義氏は『詩』というものを、親が子供に名付ける名詞を探す旅に喩える。さらに自由詩を作ろうとした農民としての白鳥省吾の経歴、ならびに作品「漁川にて」を風景から呼び返せされる距離として解説する。
綾部清隆氏は、今回の会場の名前がどれほど魅力的であるかを絶賛。次いで作品「自転車」で空襲のトラウマを。
村田譲は作品「星屑の濤声」「願いごと」を朗読した。
二次会は国府田氏が代読した作品「カリンバの詩」の筆者、岩井利海氏のお店に移動して騒いだのである。



かるちゃー祭 作品展 道新ぎゃらりー
カルチャーセンターに通ったとて、内内の展示会にしかならないものだが、札幌のど真ん中のギャラリーでの発表会というのであれば嬉しいであろう。にしてもどうやって外向けにしたらいいのであろうかと、頭を捻るところ。




で、招待作品というものが出てくるわけだが、書道作品に「原子修」?…。よくみると、特別展示に中野北溟が書で、原子修作品「札幌の街は美しい」を書いてるわけだ。
なんだか仕事中に、書による詩に出会うというのも不思議な感じ。右の作品は春夏秋冬の季節のシンフォニーなのだが、絶対にこんな並べ方では原稿用紙には書かないであろうに、音としての音符の並びであるとみると自由闊達。
アイデアとして始めに出会う音の形かなぁ、とか勝手に思ってみたり。

作品展は3月17日迄(一週おきに展示物は入れ替えです)
道新ぎゃらりー 札幌市中央区大通西3丁目



第32回詩人の広場 札幌市教育文化会館
今回の新企画に「北の詩賞」の公開審査があった。まずグループごとに合評会があったわけだが、合評後に各グループからの作品推薦があり、すでに選考委員が選んだ第一次通過作品に新たに加えられ、そのなかから候補作が選ばれる形式であった。本賞には常名トシ子作品「かずら橋で」が選ばれた。
続いて連詩群読が始まる。テーマは「叫び」で作品を大澤榮、山内みゆき両氏と村田譲が担当。本番では佐藤孝氏の解説の後、朗読は畑野信太郎、松浦裕子、高野敏江、やまだ乃理子、森内伝の各氏である。一行ごとに読み分けたり、二人で声を合わせたりと色々な試みがあった。



連詩群読「叫び」

懇親会では朗読の飛び入りできっこ氏が「ましろ」を朗読、季節の雪とこころの白を踏みつける。スピーチでは千葉宣一氏が日本名詩集成掲載の鷲巣繁男の話。三村美代子氏は八木義徳展のことを話された。



雪祭りホワイトコンサート 札幌市資料館
雪祭り期間の土曜日に札幌市資料館にてホワイトコンサートが開催された。曲目内容は、オカリナ、POPS、JAZZ、R&Bなど。
LA・LUNA(ラ・ルーナ)は、ギター(寺西勝仁)、ピアノ(木原秀憲)、ベース(平野正二)、カホン(作間秀朗)による構成。
つい、知り合いの事務局の方とお話していて最初の「かげふみ」は聞きそびれた。「熱風」は暑いメロディである。次の曲「雨音がせつなくて」のゆったりなテンポのなかに弾ける印象を比較することでよく分かる。「君の笑顔」というオリジナルの4曲を中心にラストは、中森明菜「ミ・アモーレ」をせつない感じにアレンジしたものを披露。



Mocha Siesta

続くMocha Siesta(モカシェスタ)では、ボーカルとサックスが増え、ピアノとカホンがキーボードとドラムに変わった。結構ハードな曲目中心であったが、石狩挽歌や山本リンダの「どうにもとまらない」などがうけていた。



恵庭市民文藝賞祝賀会 安暖亭
恵庭市民文藝の祝賀会が開催された。
今回は本賞の該当作品はなかったものの、創作部門とエッセイ部門で奨励賞が三件あった。 創作部門では庄司美智子「アン子と母と弟と」、またエッセイ部門ではせきゆうこ「初デート」、藤本ヒトミ「ヒトミの文学散歩日記」である。
斉藤征義選考委員長によると、話題になったものに「吃りのまーしゃん」と「十勝コタンの末裔」があった。評価されながら、吃音と人権といういずれも取扱いが難しいものであり、未だに差別の問題があるのだということを認識させられた。



選考委員長講評

今回の市民文藝の作品集だが、詩では半澤孝平作品の言葉遊び的な要素の強いものや、藤森芳郎作品の季節を彩る熱気ある祭りの情景が掲載されていた。また村田譲は作品「真珠」と「一方通行の時間帯」を会場にて朗読した。



しゃしんのなぞ展 大丸藤井セントラルスカイホール
写真のもとは、カメラ・オブスキュラといい、カメラ=部屋+オブスキュラ=暗い。つまり壁に穴の開いた暗い部屋のことであり、穴から入った光は、部屋の壁に逆さまに写る。昔の西洋絵画は写実的に、そのまま写し描くことを目的にしていたので、写り出た輪郭をトレースするのに用いた。
カメラを題材にもともとの歴史を、子供たちに探ってもらうための企画であるとのことである。



オブスキュラのセットと覗くこども

デジタルカメラ中心である今となると、珍しいネガフィルムもある。フィルムそのものを知っているのか、とも思うわけだ。
暗室や光のプリズムなど、色々なワークショップも同時に開催している。ちょっと懐かしい感じのする時間を過ごせる。

主催 まほうの絵ふで 1月18日(日)迄、入場無料
大丸藤井セントラル7F(札幌市中央区南1条西3丁目)



叙事詩知床断章 ‐詩と書のであい‐
詩人原子修氏の作品、叙事詩「知床断章」を、書家の山田起雲氏が文字として謳い上げる。まず入口のタイトル「知床断章」の筆文字の迫力。
順に知床の四季をテーマとし、入って右から、まず作品「I・序章」が大きな文字で緩やかな曲線による声。原子修氏の朗朗とした響きが感じられる文字であろう。続く「II・春」になると小さな花々のような文字がひとつひとつ並ぶのだ。
春から夏にかけては、一篇の作品であると同時に、途中途中に青い色のボードを繰り出して、季節の断片の詩作品で、垣間見るように配置されていく。秋の終わりの頃の”わしは父なる山羅臼岳”と、引っ掻くように。”わたしは/母なる海”の丸を強調するような書き方。
まさに”断章”という物語りの一部として、”お姉ちゃんの思い”や”烏賊刺し”といった、その情景を謳い継ぐ。



こうした場合の”書”は、書き上げる朗読であり、声が聞こえてくる。
今回の作品配置は、壁にぐるりと並べるシンプルであるが、逆に北の孤島とさえいえる知床の孤高を、内側から覗き込むような感覚に囚われる。

北海道立文学館
1月15日(木)迄 (11日の14:00〜朗読と太鼓の午後、が予定されている)



笑門福来 2009.1.1
よくご覧ください、200%ビーフではありません!
2009年ビーフであります。本来であれば、偽装100%と続くはずでしたがPCでは技術的に無理。プリントゴッコ生産停止の余波を受け、結局、手書きと写真と版画を組み合わせるという、実にメンドッチィ作業になっております。
皆様によき一年を。ちなみに健康のためにはササミを推奨します。




     2008年ムラタ的十大ニュース
     ・プリントゴッコ生産停止により年賀状制作に危機感つのる
     ・恵庭市民文藝主催で朗詩の宴が開催
     ・連詩DVD制作のため大阪より多数の詩人が来道された
     ・しかもDVDの名前が連続で間違えられる
     ・子供が家を出たが三日で戻ってくる
     ・ガイアナイトに参加(夜の朗読だが蝋燭の下では文字読めねぇ〜)
     ・詩誌『濤』にて詩論「おしゃべりな奴ら」連載開始
     ・FMノースウェーブ番組上で詩作品「旅の鞄」が紹介された
     ・HPで朗読詩の音源を公開中
     ・「もやしもん」に夫婦ではまる


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