プログラムに従い、はじまりのことばと世話人・編集・会計係挨拶が、一度にいつの間にか終了して、早速乾杯。この早業は流石である。 恒例全員の三分間スピーチ、今回のテーマは「あなたとは違うんです!」・むう、どこぞの総理のいきなりのコメントである。おバカがヒットした今年ならではとも。で、いきなりスピーチ止めて第九を歌い始める人がいる。または、家に帰ると私、女鬼の前では…とか、なんのこっちゃあ。会社なんか辞めてやる、と本当に辞めたとのご報告も出てくる。 にしてもこのスピーチが嫌で忘年会には出たくない!との話。かと思えば、わざわざ函館からこの忘年会に参加しに来てるんです、意気込みが違うんだと。 そしてコメント無視の荒業、業務連絡。FMノースウェーブ(82.5)平日午前「スマイル・マルシェ」のコーナーで、水曜日10:20頃からの「スマイリーライフ・ハートフルポエム」で詩を朗読してもらおう、とか。 で、詩の朗読タイムでは、嘉藤師穂子氏「橋の上」、笹原美穂子氏「庭でできた西瓜」、村田譲は「星屑の濤声」を朗読。なかの頼子氏がシャンソン”聞かせてよ愛の言葉”を歌い上げ、高田氏は「アカシアの雨を」を披露。 特別表彰 で恒例小樽詩話会の嬉しくない勝手に特別表彰、今年は根深昌博氏であった。手伝いをきっちりする、あまりの有言実行に対して…とか。訳わからんぞぉ(笑)。 ラストのセリ市では、私はワインとチョコレートという、ほとんどクリスマス用品を購入して来たのである。この売上は詩話会の活動費となる。 |
精神科医の高橋龍太郎氏は、日本屈指の現代美術コレクター。その中から1990年代以降で、国際的に活躍する若手日本人作家の作品を展示。共通するキ−ワードの「ネオテニー」とは、動物学で幼形成熟を意味し、幼形を保ったまま性的に成熟する過程のことである。
加藤美佳作品「パンジーズ」は告知チラシにも使われているが、可愛いんだが、しかし、でかい。綺麗ということでは、会田誠作品「大山椒魚」は少女二人が侍っている意味が不明だが、いい。奈良美智作品も間近で見ると迫力。 小川信治作品「最後の晩餐」シリーズの精緻さは何であろう。居ないものこそが求められているということだろうが。そして日記のようなのが、秋山さやか作品「ベルリンをあるく」で、和紙のイラストとの重ね合わせが、なかなか面白い。 ちょっと分からなかった戦国絵巻、山口晃作品群。「五武人圖」ではっきりしたが、これは現代メカ絵巻。なんか呆れたが、笑いが後から込み上げる。 それにしても村上隆作品「ルイ・ヴィトンのお花畑」という屏風は、バカヤローであり、大笑い! もうひとつ屏風では醤油で書いたらしい尾形光琳で、岡本一太郎・三太郎の作品は色が柔らかい。 束芋作品群「賞味期限」「にっぽんのちっちゃい台所」の書き込みのリアルさ。 名和晃平作品は、ビー玉で作られた靴が見事で、作品「PixCell-Shoe♯4(R)」はほしい。ガゼット袋を切り抜いただけの照屋勇賢作品「告知-森」、結構ビミョー。 今回は部屋の構成で面白かったのは、村山留里子作品「No title(RB01-10)」でいきなり真っ白い部屋に、なかなかのドレス群。 ネオテニー・ジャパンは1月25日迄開催 札幌芸術の森美術館 |
写真、コトバ、絵画、そしてドキュメンタリー?という4人の仲間による〜ひかり光る虫〜の展覧会。
広さの中に悠然と並べるという贅沢。 庄司トモ子作品の「そら、風、森の仲間たちの写真」は、私たちの日常のすぐ傍にありながら、呼吸する小動物や木々、雄大な雲の流れを改めて感じさせてくれる。同行した妻は、即効でお気に入りの一枚を見つけ出す。 半澤孝平作品群「手書き詩」の綺麗な字はご自身が書いたものとか。書が出来るというのは羨ましい。作品は五七調のものが多く、俳句的なものが約半数ある。いずれも柔らかい言葉を用いて、写真をクリップした展示がとても見易い。 近藤春男作品の「おっ、とっ、と。」は見た目ほど簡単なものではないようだ。3ツのストーリーがあるが、それぞれにタイトルが微妙に異なっている。「おっ・とっ・とっと」鳥は幼児語では、こっこ?とっと?「おっと・っ・と…。」は夫であるか?でもアングルが何故引いて写せるか?ダブルトラップが幾重にも仕掛けられているらしい。 中村哲泰作品「海」は北海道各地の海岸の作品集。利尻富士、積丹カムイ岬、舟を借りて海から描く地球岬の金屏風・銀屏風。「潮音」の上空からの深い海の緑色と浜に接する二件の家の配置。沈んでいく海底への無限は、空に見あげる深さと同じだ。 12月7日(日)17:00迄 / 夢創館(恵庭市島松仲町1-2-20)tel.0123-36-6050 |
18名のアーテストによる作品が一堂に展示。あの殺風景な、札幌大通り地下コンコースの東西線「大通り」と「バスセンター」を繋ぐ通路が美術館になっている。
「コロコロ」 まず笑いたくなるのが「コロコロ」、文字だけ転がっている、な〜んも言えないなぁ。その横には「Strawberry Shortcube」露骨に大きなイチゴショート、引き出し付き・でもないし、ぁ?キューブ。 「Strawberry Shortcube」 通路の柱はブルーシートに巻かれて、不思議な樹木になって、ほおづきのライトが薄暗く明滅している。 洋服のタイトルが「ラッキー」でなんのことかと思えば、襟には”777”の刺繍が入っている。 「ラッキー」 壁にへばり付く取っ手もあれば、タイルの上にさらにタイル。色々色々発見がある、面白いよ。下の作品は今回私の一番のお気に入り「Frozen memory」。 「Frozen memory」 500M美術館は、11月一杯の開催。 さっぽろアートステージ |
北海道大学クラーク会館に映写機があるからという理由だけで始まったという、北大映画館プロジェクトの第3回目。 見たい映画はいくつかあったのだが、今回は”ショートフィルム”にしました。なんか面白いものは何度でも!で最初の作品は「注意書き」。うむ、やはり位置が問題だね。冒頭にあるとインパクトは強いなあ、空き缶による紹介での締めくくり。 環境を意識しての作品「BABIN」は人間の木、木の擬人化。 作品「迷走赤ずきん」が一番のお気に入り、テンポと音楽が絶妙で、しかしすごく唐突で楽しいというすぐれもの。 クリスマスの近いときの作品「PRESENT」は白髭の爺さんに付いて行ったらサンタさん?願えばかなう?という感じ。 まいったのが作品「ヒマヒメ」で、以前ショートフィルムで短すぎて分からないのがあったので、今回はプログラムで一応内容は確認していた、退屈だからどっかいこうという話だが、しかし42sec…って短すぎてエッという間もなかった。 作品「KUROMAME」は子ども向きの、色々ファミリーもの。 ラスト作品「Your Sound」は人のたてる音、太陽と声と、音は繋がるということかな。見終わってから北大構内をぐるりと見渡してみる。 クラーク会館 CLARK THEATER 2008 |
「レクイエムとは?」は04年秋以来第2回目である。入祭唱「レクイエム エテルナム」より、レクイエムといわれ、死者のためのミサ曲。生前の罪を神によって許されることで永遠の安息を得る。
中央が講師 瀬戸正昭氏 今回は中世のグレオリオ聖歌以降の近代から。ハインリッヒ・シュッツ「音楽による葬儀」(1636)はドレスデンの貴族ロイス公による依頼であったが、ドイツ語によるレクイエムの先駆である。聞かせてもらったCDの合唱はすさまじくクリアな合唱であった。 ヨハネス・ブラームスは、ルターのドイツ語によるレクイエムで1868年の演奏で大成功を収めた。非常に重々しく厳粛である。面白いことにその弟子である、アントニーン・ドボォルジャークの曲は、とても聞き易いのだが。 レオシュ・ヤナーチェクは完全に20世紀の作曲家であり古代スラブ語で書かれた「グルゴル・ミサ」は民謡的な雰囲気さえある。 当日は講師が林檎屋主人の瀬戸正昭氏。参加者は田中聖海、渡会やよひ、中村容子、木村淳子、嘉藤師穂子の各氏、懇親会からの参加(となった)小池温子氏、と村田譲。 |
月形、旭川、網走、函館、帯広の各刑務所で作られた工芸品、主に家具。並びに札幌刑務所内で収穫された秋野菜の販売。
網走刑務所の印付 刑務支所の施設見学に大人数がきていた。新築に近いほど綺麗な建物で、展示された食事はご飯と汁物とワントレーのおかず。体育館に飾られている絵画のタイトルは「家族」、入口に掲示されている歌は「心ひらいて」。 工場など建物内部の作業場を見たが、何故か一方向はすべて磨りガラス、外部というより内部の宿舎かなにかの遮断目的なのか。作業場それ自体は通常のホールで、まあ学校の家庭科室の雰囲気。但し、廊下の窓には荒い織りの白布が張られ、見ずらいものの内部の様子が通路からは分かる。そのうえで一部に5cm程の覗きが付いている。 さらに建物内側全体がガラスの壁(強化プラスチック?)で、ほぼ内部は吹き抜け状で丸見えであり、これらのガラスの障壁は同時に、転落の防止に役立っているのであろう。 独居室 模擬居室では共同室と独居室が再現されるなど、受刑者や収容少年の施設における生活及び社会復帰に向けて更生に励んでいる状況が紹介。 |
ここでは自分の好きな作品集を持ち寄り、その作家や作品の感想を述べ朗読する。スペースも朗読会のために貸しきっているわけではなく、一般のお客さんもいる。どちらかというと勉強会の雰囲気に近いのかもしれない。 まずはこのブログを管理している鈴木氏、ロシアの女流詩人アンナ・アフマートヴァ詩集『白い群れ』より「歌の歌」など落ち着いた声で朗読開始。 次いでsammi氏がインドのタゴール「ギタンジャリ」35からまず日本語で他の人が読み、本人は英語訳で。基本は祈りか。 チャンネルカフェのマスターの星野氏が武者小路実篤の詩作品「オレはどうせごうじょっぱりだ」等を男性的な低い声で伝える。この朗唱を聞いていたエリカ氏が飛び入りで、実篤の短詩「むりして」を声にしはじめる。 朗読は原則、自作詩と思っている私は、参加者の一人に「なんで?」と聞くと「今時の作家にいいものがあるとは思えない」との辛辣なお答えであった。 が、村田は自作詩でいきます、「晩夏」など三作品を朗読した。で、朗読二巡目です!といわれ?? つまりここでは、テキストを丸々一冊、時間の許す限り楽しむ。これはこれで面白い経験(テンションの維持が難しい気はするが)楽しんで言葉のやり取りしている様が素敵だ。 朗読 / 鈴木氏 二巡目に入り、鈴木氏が立ち上がりピースウェーブで朗読したという音を奏でる。大地の草草、探していた、ネクタイ、屍骸、今も、世界中の、指し示す声。自作詩「春のはじまり」。皆から貰った言葉と単語で組み立てた作品。 ポエトリーリーディングは毎月第一土曜日18:30より開催しているとのこと。 |
酒飲みの…ではありません。この世界のありとあらゆる地上と地下を繋ぐものとしての「はしご」展であります。 まず目に入るのが、永田まさゆき作品「空と陸」巨大な三本の幹を組み合わせ、独立した上下を造る。ただ、見たことのある形であることがインパクトとしては好みの分かれるところ。 清水郁太郎作品「木登り」は直径15cm程度の一本の木を真っ二つにする。分かれた幹の間にはしごを見つける。シンプルではあるが力を感じる。 小林大作品「天馬宙に還る」は何故か、展示室であるギャラリーの天窓へと、はしごの絵を垂らす。ほとんど吊り梯子である。タイトルを思うと結構重たい気はするが、一番いいなと思う。 国松希根太作品「空の庭」は二重の天界と通じるべき、ぽっかり開いた穴としての柱。佐々木雅子作品「くまちゃんおそらにかえる」いや、もう、好きにして!って感じ、笑える。 小さなスペースに様々な梯子が、ヒシメイテいる。ギャラリー入口には、コドモ用の遊べる作品「H」が、まんまHの文字を組み合わせてみましょう。 北広島市芸術文化ホール(JR北広島駅東口出口徒歩1分) 10月5日迄 入場無料 |
バルカン半島のブルガリアに眠っていた古代トラキア文明。スヴェティツァ墳丘墓から「黄金のマスク」が発見されたのは2004年のこと。10体の女神像に囲まれたものであったとか。そこからは王笏や雄牛の形のアップリケなど黄金を加工する技術があり、エジプトやメソポタミア以前の期限前5000年紀のもので、ヴァルナ遺宝といわれる。 角状突起壺などはなかなか見ない形だし、槍の先の網目文様の装飾も綺麗だ。しかし杯の数が多い。また写真展示であるが、墳墓内の玄室までの道は石造りの積み上げられた五角形の空間が見事。 石碑に刻まれたギリシャ文字、外科手術道具まであるのに驚く。 トラキア人はヘロドトス『歴史』にも載っており、魂の不滅を信じ埋葬儀礼が著しく発達していたようで一夫多妻で夫が亡くなると、選ばれた妻だけが殉死でき、それこそが名誉であったとか。 05年に発見された「黄金の花冠」が柔らかで、儚げで。 よみがえる黄金文明展 |
フランスの画家ジャン・デュビュッフェの造語「アール・ブリュット」を英語に置き換え「アウトサイダー・アート」という。過去に芸術家による手解きを受けずに、また古典芸術や流行のパターンを借りることなく、あくまでも自発的な、創造性の源泉からのほとばしりによる表現のことである。 さて、よく「知的障害者が描いた」ものと言われる。成る程アウトサイダー・アート作家は、知的障害者が多い。それは精神病院内におけるアートセラピーという背景事情による。つまり結果として、デュビュッフェらに見出された多くが知的障害者であった。 今は逆に、創作動機が有名になるためであるなら、それは芸術なのか売り物なのか。監獄に閉じ込められているのは誰なのかと問う方がいいだろう。今回はそのなかでも陶器作品である。 澤田真一作品「無題」11点、どれもがとにかくトゲがある。トーテムポールのような何層にも重ねようと、光なのか怒りなのか。インカの文様みたいだと言われているらしい。確かに両面に顔があるものが多く、故に左右はあるが、前後がないという。 伊藤喜彦作品のうち、細長い60cmにもわたる作品は、まず嫌悪を覚える。全体に何箇所も開かれた口は、内側の嗚咽を噴出してきそうな。そしてタイトルは「鬼の面」この醜悪な赤い面に喜んでしまった、是非これで朗読してみたいものだ。「無題」のひとつは蛇がモチーフと思うが、こちらは吹き出物のようなイボと、ちいさな突起に囲まれてとぐろを巻いている。 新見次郎作品「こいのぼり」はコドモの作品のマンマで、その分迫力がある。佐藤洋平作品「寿司」は、う〜むイクラは分かるし、マグロっぽいのがある。が、しっぽがあるから海老か、うううう。 西川智之作品「パイナップル」「船」など、いずれも小さな細胞の集合体である。その意味では石野光輝作品の「キリン」が突起を持つ首だけの存在は異様だ。 10月13日迄開催 / 高校生以上 600円 セラミックアートセンター |
今回はN-B(国内作品)を見てきた。しかし世界中に上映する目的であるようで、英語の日本語吹き替えか、字幕が付いている。冒頭、4作品の監督が会場に来ており挨拶があった。 最初の作品は「セイキロスさんとわたし」。不滅であるための記念碑が、時間の経過と共に誰にも読めない文字へと変化してしまう。しそして、あなたを思うという想いだけが残っていく。 わずか58秒の短い作品「ぷんぷん米」成る程、お米は大切に食べましょう。作品「デノテイション」血ではなく、赤いメッセージコードが真っ直ぐに進む。それはあらゆる方向へと進行しながら、交わることも無く、しかし排水溝へと落ちていくだけなのかもしれない。 作品「イシノオト」少年の野球のボール、碁石、漬物石。挨拶する婦人、見覚えはあるのかも、しかし妻が不在である。漬物石がいるのに、いるはずの人がいない。新たに進入してきた少年は身代わりではない。今を見つめる。 もっともお勧めの作品「ありふれた帰省」。いきなり出会い、抱き合うというのが出てくる。そしてやや説明的な感じではあるが、確かに出会いは、顔も見たことの無い相手との邂逅である。 作品「注意書き」最初が一番いい、どうも後半はだれ気味で…。作品「機械人間、11号」のアニメは、かなり乱暴な勧善懲悪もの。しかし、すっきりしない。 日本の作品は、結構、コミニュケーションを拒否するという印象を受けた。 15日まで / メイン会場・札幌東宝プラザ / 特別会場・シアターキノ SAPPORO SHORT FEST |
パントマイムといった無声ものも、タイトルとコメントでしっかりとする。ヘルシー松田の、世界の人々の笑い方、アメリカ人の大げさなジェスチャー、鼻にかけるフランス笑い、いきなりで短い中国人の笑い方など、実にらしく作っている。動きをスローにしたり、コマ送りにしたり。また、お面というタイトルで見せる般若の表情はすごい。 無声といえば、演劇が地下のコンコースでやっていた。こちらは徹底的に体の線を追いかけている。すっ呆けた部分はない。 実験舞踏 動きとしては、やはりジャグリングのようにアクションが大きいものが、見て楽しいのは仕方のないところか。三雲いおりは、おしゃべりも重要であること、話術を巧妙に混ぜながら作り上げていた。 ジャグリング・三雲いおり しかし子供が町の中で笑っているのはいい。小学生のバトントワラーもいたし、人間ジュークBOX、路上で書道、ひょっとこ踊りと色々なジャンルのパフォーマーを見るのも楽しい。 人間ジュークBOX・タカパーチ ただ、気になることがひとつ。ジャグリングとマジックのダメじゃん小出の後ろで、大音響で音楽が鳴っていた。あれは間違いなく大道芸でも何でもなく、ただの耳障りである。 しかしコトバを中心にしているものは、ちょっと見かけなかったのが、残念といえば残念だが、ステージが違いすぎるかな。もっともダンスというのは、本来は語るものとも言われるが。 ちゃぶ台返し・ゲーム 9月7日迄 13:00〜17:00 札幌都心にぎわいづくり実行委員会事務局 |
文化財センターは札幌市中央図書館の建物と一緒になっている。 展示室内には村の模型があり、森の様子なども推し量ることができる。また、道具の使い方や、発掘の調査方法などのパネルも用意されている。 一番楽しいのは、土器の模型だが20個程用意され、直接重さや、絵柄に触れられることである。 展示室入口 また、平成19年度の札幌市内での発掘調査の情報がある。北郷(S228遺跡)では落とし穴の痕跡、獲物を追い込んでの、おそらく鹿用と思われる。またノコギリ状のヤジリ、結構特殊な形。 北34(K113遺跡)では住居跡である4本の柱。太いものでは直径が23cm、底はいずれも平らになるように、斧で削った跡がある。同じく北区の北25条(K518遺跡)からは、縄文時代の須恵器、擦文時代の竪穴住居跡などが発掘されたとのこと。こちらのK518遺跡は10月4日、13時から遺跡見学会に参加できる。 札幌市埋蔵文化財センター(札幌市中央区南22条西13)tel.011-512-5430 10月31日迄 / 入場無料 |
札幌篠路高校の図書館委員が札幌市内の出版社を取材し、中央図書館が協力。入って、いきなり壁新聞というのには驚くが、高校生ということで仕方ないか。それにしても北海道にもこれだけの出版文化があったのかというのは、目からうろこ。
展示室入口 亜璃西社、中西出版は聞いたことがある。道新出版や北大出版はまあ、知ってる。響文社からは谷川俊太郎の詩集もでている。 「北海道移住案内」(1894)という地図だろうね、中央図書館の秘蔵品といわれる木版印刷の「近世紀聞」(1879)は箱館戦争のことが和綴じで、「漫画タイムス」(1947)は今で言うと第一面に諷刺画が掲載という様な体裁、などが展示されている。 にしても、亜璃西社社歌「抜けた空の札幌 かしましく集えば ちょっとクセのある おかしな人達 何する者ぞ…」(辻正仁・作詞作曲)は聞いて見たいものだが、 ところで、和田由美って誰?(笑) 9月27日(土)迄開催 札幌市中央図書館(中央区南22西13 tel.011-512-7320) |
しらおいカルチャーナイトの催し物「ポロトコタンの夜」はアイヌの古式舞踊である。まず必要とされるのが酒とイナウ。イナウというのは儀式に先だって、火の神の前に、祭壇である囲炉裏の中に立てる。イナウにお酒を捧げて祈り、イナウを介して神へ言葉を送る。最後に神への贈り物としてイナウを捧げる。
トンコリの演奏 催しのなかではムックリの演奏とトンコリの演奏が行われた。トンコリというのは、五本の弦による弦楽器であり、ネックに相当する部分は頭と呼ばれるなど、全体は人間の体を模して作られている。このトンコリを用いたトンコリフェチリが披露された。フェチリとは、踊りのことである。 ”ク・イブセ”は弓の踊りで、射ることを躊躇う姿で、どことなく苦悩とユーモラスが入り混じるようにみえる。 もっとも知られているであろう”サロルンチカップリムセ”は鶴の舞であり、衣装の使い方も羽ばたきをイメージさせ、歌われる鶴の鳴き声も本物そっくり。 魔を払う”エムシリムセ”が剣の舞い。実に掛け声といい、勇壮なもの。 最後にイヨマンテリムセ、熊の霊送りの儀式。白老に伝わるイヨマンテリムセ・アキナンコロが披露された。 ポロトコタン 当日はあいにくの小雨日和であったが、外国からの観光客が一杯。しかし施設の人もカルチャーナイトであることを知らない人もいたようで、どこで入場するといいのかなど不明で、ちょっと残念だった。 アイヌ民族博物館 |
講師は詩誌『饗宴』の同人でもあり比較文学論の吉村伊紅美氏。内容は「出島・阿蘭陀人の俳諧と京都」、日本に生活した外国人の横顔を俳句を通して紹介。 鎖国中の日本で中国や朝鮮国の正規な使者とともに、唯一開かれていた出島に阿蘭陀人は出入りしていた。時々は偽った実は独逸人が混じって来たり。 講師 吉村伊紅美氏(一番奥 そのなかでも実に20年に渡り滞在した阿蘭陀商館のカピタン、ヘンドリック・ヅーフ(Hendrik Doeff)。ヅーフは長期に渡る日本滞在中に、日本人向けの阿蘭陀語の辞書を編纂したりもしているし、諸外国が開国を求めだしていた頃、三度江戸へも出向き、途中京都にも寄っている。当然のように日本文化に精通し、同時に俳句を自分の物としていく。 こうしたヅーフに限らず、日本通の外国人による日本語俳句集『四海句雙紙(しかいくしゅう)』が1816(文化13)年に、白川芝山により編集され発刊される。ヅーフも参加し、京都の二軒茶屋で女が豆腐を切る姿を見て… いなづまのかいなを借らん草枕 …などの作品を残す。 また、同じ年に士由處人編集による『美佐古酢(みさこす)』という俳句集には、ヅーフの俳句と跋文が掲載されている。跋文によるとミサゴという鳥は岩の間に餌を隠すのだが、発酵して酢になってくると結構うまいと評判であったようで、是非その味わいを一口…とか。 当時の資料は、墨で書かれた崩し文字で解読が大変であり、この時代のものの多数を吉村伊紅美氏が手掛けたものとか。しかし引用するのに許可という手順を踏まずに、本だけ送ってくる人もいるらしい。 |