空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '08.3月〜7月


カルチャーナイト
ガイアナイトII・文学の小部屋
シルバージュエリー展・朗読会/後篇
シルバージュエリー展・朗読会/前篇
モノのココロ
おたる屋台村・レンガ横丁
サッポロ・アート CAI 02
詩の遊戯会
全道詩人祭 Part2
全道詩人祭 Part1 
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Eco FES.2008
しあわせのひととき’08
ファーストフード・ネイション
白扇の滝
イタリア美術とナポレオン
いのちの食べかた
75th独立展 北海道展
小樽詩話会札幌例会
美術で綴る札幌の歩み
詩人の広場 第二部・朗読詩
第30回詩人の広場 第一部




カルチャーナイト 佐藤水産文化ホール
カルチャーナイトとは、デンマークのコペンハーゲンを発祥の地とする、市民と地域の文化を共有するために、公共の文化施設などが中心となって夜間開放をして楽しむ行事である。 札幌でも色々な場所で開かれていたが、平日にも関わらずそれなりに会場に人は集まっていた。
今回の佐藤水産文化ホールでの、プログラムは、まず北海道伝承芸能で「ひょっとこ踊り保存会ProjectX」による踊り。おかめ・ひょっとこによる仲良し音頭はユニークで、しかし、ひょっとこの顔ってこんなにバリエーションあるんだ。


ひょっとこ踊り保存会ProjectX

次いで”ゴミ拾い侍”こと「一世一代時代組」による歌、”ゴミはもともとゴミだったわけではない”という歌詞には、納得。満場の喝采を浴びたのは殺陣の披露で、あの狭さでバク転の連続には恐れ入る。


一世一代時代組

スペシャルライブ「SYMPATHY」の荒川寿彦の和太鼓と常松将行のドラムによるユニット。太鼓同士で、と思ったが低音の和太鼓の音の太さとドラムの多彩な高音はとてもマッチしていた。いわゆる早回しの打ち方を極力抑えて、音の質感に揺られるというどっしりとした感じ。


SYMPATHY

帰りにはJR札幌駅西コンコースでも「妙夢コンサート」が開催。札幌交響楽団の金管五重奏アンサンブルによる曲目が流れていた。

SYMPATHY・常松将行
SYMPATHY・荒川寿彦



ガイアナイトII・文学の小部屋 OYOYOホール
月曜日の”放課後”に自作詩の朗読会。まずトップをきったのは、嘉藤師穂子氏である。柔らかな語り口で「愛」をゆったりとうたいあげていく。そして捧げる、もう一篇の「花」を添えて。
次いで朗読したのは、はらしー氏「無題」。誰もいない道を彷徨った、失われた日々を認めはしないが、時間の流れにうずくまる未来を、望まずにはいられない。絶叫のうちにある、ハレルヤ。
文月悠光氏。祖母という身内であることが理解の壁を作り上げてしまう逆説としての、老い。健忘症という失われていく記憶を、はっきりとした声に置き換える。そう主張するが故の友人との乖離、その孤立の内側に自立という萌芽。
火石きっこ氏。極彩色の花畑に溺れ、そこは沼地でもある平坦。歩いた印のはずのビスケットのカケラはとうに食われ、帰ることも出来ずに、あえて追うものとなることを。さらに、のほほん工房で出したCDより「いじわるな声」の二篇を。



朗読 Ree.氏

うたうたい+ひょうげんしゃのRee.氏は、触れようとして、触れ得ない”聖なる音楽”を具現化しようとする。指差すことの、ここからしか進むことのない呼吸という深まり。心が、共に走ろうと、声、歌う。
ダーザイン氏は「夜警」というタイトルで、闇という視覚の奪われたなかでの聴覚、警備員のコトバという音による時間の経過を、赤く点滅させる警備棒を右手にしながら。


朗読 ダーザイン氏

村田譲は、暗闇とのことで、オノマトペの含まれる作品「濁流の声」と「スクリーンセーバー 非在の顔」を朗読した。
ダイナマイトあさの氏ウクレレ歌謡ショー、暗いなかでのあえてのポストカード神経垂迹、香り豊かなワインなども用意。しかし照明は細くてもいいから無いと字が読めません、臨機応変のバックライトでの朗読会でした。

大通まち×アートセンター『OYOYO』



シルバージュエリー展・朗読会(後篇) 
さて詩の朗読に戻り、渡辺宗子氏「水琴のムラ」掘り当てた井戸の水脈を辿れば、重なる地層の中に埋もれる雄たけび、うめき、地底の声が伝言として伝わってくる。


朗読 渡辺宗子氏

主宰の森れい氏の朗読は「瞑想のための」。父と娘であるという関係を、お互いの親子であると言う愛情を、ムスメ・チチというコトバを中心としたカンケイ性。続いての「抱擁」では迎えに来る父の乗った列車という、迎え迎え迎える痛み。
長屋のり子氏は小樽詩話会会員で、先日の会報から函館の木田氏の作品を気に入ったので、朗読とあいなった。続く、坂本孝一氏も小樽詩話会会員で作品タイトルは「みずの丘にたつ」を。寄せる波、巨大な瞳、人影、柔らかな吹く風に共鳴していく。
萩原貢氏の独特の語り。「黒髪」殺されるという恐怖は、おぶられて連れて行かれる共有する時間、誰にも知られたくない隠れ家にするために深く掘って、と。「餐異」はその続編か、飢えているの、食べさせていくの、美味しい蠢く蛆のしろくかがやくご飯を。
今回の「シルバージュエリー展」の共同開催者である内藤千尋氏が登場。内藤氏は苫小牧にヒアラタ制作所を開設している。今回の朗読では、不安に蝕まれながらも抗い、孤独のうちに起き上がる姿を、コトバによる彫金として披露した。



共同開催者 内藤千尋氏

飛び入りでは恵庭から来られた国府田氏が、当日の宴を即興のラブレターとして森氏に捧げる。ラストは、なかの頼子氏が自作詩「日日」をシャンソンとして歌いあげたのである。村田譲は作品「共鳴館 第二壁 ―所在不明の自分に宛てた所在―」他、一篇を朗読した。

ヒアラタ制作所



シルバージュエリー展・朗読会(前篇) 石の蔵ぎゃらりぃはやし
苫小牧在住、森れい氏主催の「シルバージュエリー展」オープニングセレモニーとして詩の朗読会が開かれた。



主宰 森れい氏

難しい最初は、嘉藤師穂子氏のおとぎの国を思わせる語りから、作品「かみすながわ-不思議ふしぎの二条通り」山頂の公園-ここから見る景色、見下ろす山頂からの、あの世からの風景を。
佐藤孝氏の「浦島太郎」は、作品を観客に配ってからと手が込んでいる。それから額と心の狭いネコ達のお話を。途中で歌いだすは、御伽噺に花を咲かすは、竜宮城に連れて行けと脅迫するは、と盛りだくさんの内容でした。



朗読 佐藤孝氏

綾部清隆氏「裏通り商店街」足を止めた理髪店の前、錆だらけの金物や、お茶を売るのはお婆さん。伸びていくのは影ばかり、母の面影、歩き回る遠い風景。
短詩を用意していたのは、瀬戸正昭氏。「うた」ではうたの持つ、原初のコトバとしての力、寿歌。さらにもう一篇を請われるうちに「夜のつづみ」、セレーネ、黙りこくる憎しみと愛情と。
出席者のほとんどが何らかの表現者であった。書家の方や、画家の方、彫金修行中であるとか。タブラ奏者によるインドの楽器のお話。彫刻家の方など、詩を朗読しない場合は一言コトバを添えて頂いた。千歳の北島氏は短歌を二篇。

「シルバージュエリー展」は7月8日(火)迄 10:00〜19:00(最終日17:00)
石の蔵ぎゃらりーはやし(札幌市北区北8西1-1-3)tel.011-736-0884



モノのココロ サッポロクラフトTAG20人展
創り手の中にある想い、モノとしてある作品と作家が込めた想いであるココロ。これらをどう伝えるかということ。素材もジャンルも違うけれど同じもの、はあるのだろうか。
綺麗だとはっきりいえるのが岩寺かおり作品「Flower Vase ― 白い稜線シリーズ」である。六つの稜線が並んである。重ねられた茶碗、殻を剥かれた卵。それらの不透明でざらつく外側と守られている内側の光沢。




土屋秀樹作品「Leaf of pain1・2」は、様々な素材の木を糸鋸でパズルのピースに切り落とし、ジグソーツリーに組み上げていく。歪んだ不安定な柔らかさがある。船木ゆずか作品の「小枝群かんざしII」は銀製の彫刻で、かんざしの形態が美しい。
ほかにも半円ベースの木製品とか、百薬箪笥というの等あるが、今回は全く触れないのが、不満なものが多かった。椅子というのは座るものではないか、もちろん拷問用のは別だが。「茶卓」といいつつでかい穴開いているのもあったけど。音のないハープなんて、形が綺麗であったとして何だというの、意味ないね。
名調子といっていいのが、岩間隆作品「スターダスト」で、ペイントされた黒い板にバイオリンのような曲線、散りばめられた星屑、形に音を盛り込んでいる。

江別市セラミックアートセンター
8月17日迄開催 / 一般・450円



おたる屋台村・レンガ横丁 
「おたる屋台村・レンガ横丁」は小樽の中心にあるサンモール一番街の空地を利用した、レンガ倉庫群との調和を合わせたレンガ基調の空間である。




400平方mの広さに和洋中と各々バッデイングしないようなメニュー構成とか。
限りなく小樽・後志の素材を中心にして、ホルモン焼、炭焼、ジンギスカンに陶板焼、家庭料理と思えば八角メイン、ソフトクリームもあるとか。まあ、行ったのが日曜の早い時間であったので、開いてないお店も。 どのお店も屋台ということで、基本は同じ作りのようで、八つの椅子で囲む屋台である。
ところで何故、今回ここへ来たかというと…あ〜腹立つ! 萩原貢さん、嘉藤師穂子さんありがとうございました。その名も「こころ」でどっぷりと飲むことになったのであります。





「おたる屋台村・レンガ横丁」携帯用(稲穂1-4-15)



サッポロ・アート CAI 02 
札幌円山のCAI現代芸術研究所が開設した、カフェ併設の新ギャラリー。
コンクリートブロックむき出しであると聞いていたが、まったく、その通りの内装で確かに痕跡の魅力はある。やや狭い感じもあるが天井が高く、配管もよく伸びて(?)いる。
中嶋幸治氏「往来なけなし」はMAPを描いたものであろうが、傷なのかホワイトインクの厚盛りなのか、こうした厚みは好きだが。高橋喜代史氏「ア」は、まんま、1Mほどの突起物としての”ア”である。
シリーズもので今村育子氏「わたしのおうち」がある。二件目はドアを開けると光の明滅が見られるのだ。ビデオ映像では伊藤隆介氏「songs」が独特の雑音と切り取られた画像を映し続ける。久野志乃氏「草の上のスカート」は懐かしいような印象を受けた作品。
札幌で活躍する現代美術家、クリエーター18人が出展。カフェのカウンター席は15。コーヒーや紅茶、ビール、ワインなどドリンクのみ。






オープン記念企画展は6月21日迄
営業時間(13:00〜23:00) 日曜定休 入場無料
「CAI02」
(中央区大通西5 地下鉄大通り出口1番 昭和ビルB1F TEL 011-802-6438)



詩の遊戯会 小樽市 チャランケ
今回はルタオ、しかしこの地は「小樽詩話会」の勢力圏であり、手薬煉引いているのではないかと、戦々恐々向かった。で、曲がり角間違えてアーケード街を一回り。辿り着いたお店の前に、並ぶ人…ん、見知った顔の…まさか満席!じゃなくて、はぁ?マスターが食事に行ってて不在?開始時間15時だよね。と、そこへ慌てて向かいの店から戻ったマスターと暗いお店のなかへ。食べ掛けのラーメンと、セッテングで大忙しのマスター。



萩原貢氏

掛かってきた電話もあった様子だが、しかし客が。そこへ一人目の、…え、新聞社の記者さんですか。おーい! 結局、アンテックな蔵のなかに飾られた版画や絵画を背景に、記者殿の写真アングルの注文に応えながらの珍しくも、報道用の朗読会となった。
萩原貢氏は詩集『酒徒の夕空』『梨の家』からそれぞれ一篇。嘉藤師穂子氏は『小樽詩話会』ワイド版から一篇を朗読。村田譲は「旅立ち」他二篇。



嘉藤師穂子氏

ところで私は朗読をするとき、新しい出会いを求める傾向があり、今回もこの企画立案者の朗読が聴けると思っていたのだが。何故、朗読に参加していないのかをマスターに聞いたところ、ムムム・ということで、終了後三人で酒を呷りに飲み屋を徘徊することとなったのである。
まあ、某新聞社の小樽後志版にて、6/3(火)にカラー掲載されたということなので、まずは良しとしておこう。



全道詩人祭 part2 札幌アスペンホテル
1分間スピーチでは、大貫善也氏は海外での旅行の話題を中心に。村上抒子氏は席を始めて譲られたときの話、一回目は吃驚し、二回目になると誰か譲ってくれないかとなり、三回目は当然のように思い始めてしまうと。もっとも”三回目であるから当然”との発想は、特に原稿の締切りに適用してはいけません!との耳の痛いお言葉。
小池温子氏がTVに出てくる芸人の話題をしだして、えどはるみが面白いと、最後には語尾を延ばしながらの退場。そういえば若宮明彦氏もお笑いネタで、こちらは学生からの要望で、お笑い同好会の顧問に就任したとか、(共に?!)M1を目指すとか。
三村美代子氏は来年の北海道詩人協会の詩人祭開催地である室蘭のこと、そこにある港の文学館に行きましょうとの宣伝。斉藤征義氏は宮沢賢治のことで函館を訪ねたときのこと、同じ風景を見ながら全く違う作品になること。



火石きっこ氏とダメダメ団

その後、火石きっこ氏とダメダメ団の計三名が15分の時間をフルに使って”詩の朗読と歌”を披露。 ”障害”に真っ直ぐ向き合って完成させたCDからの選曲。収録されている火石きっこ作品から「いじわるな声」では、どこにいても攻撃されているような憂鬱な気持ち。「よわい色」では、もう一度飛びたいという思いをテーマに綴る。
団員の方の書いた「うそつきの人生」「落伍者」はいずれも、自分の思いを叫びながら楽曲に乗せる。叫びには、注意喚起と拒絶の意味合いがあるから、振り返らせる。告げ知らせるために、声を上げるのは当然でもあろう。
久し振りに”叫び”を聞く機会を得た。次は、振り返らせてその後、どのように共有にまで行きつこうか。
ラストの「のほほん」というNPO法人の名称を冠したテーマ曲は、青空の下にいる広がるであろう世界が垣間見える。



全道詩人祭 part1 札幌アスペンホテル
北海道詩人協会主催による総会及び詩人祭が開催された。
まず総会により、新会長に光城健悦、副会長に綾部清隆、鷲谷峰雄、事務局に斉藤征義の各氏が選出され承認された。



新役員挨拶 一番左が光城会長

事業報告の後、全道詩人祭に移った。トップは石井眞弓氏「たきび」男と女が火を囲みながら過ごしてきた歴史を朗読。二番手の鷲谷みどり氏「みずくらげ」くらげの皮膚を剥いでいくことで海との分かち難い境界を、どこまでが自分であるかの問いに仕立て上げていく。
瀬戸正昭氏「屋島寺にて」ついつい高松まで足を伸ばしてしまったというご本人のお話は、いつか四国巡りから羽田経由の涅槃まで。渡会やよひ氏は「なまえ」昼の時間を過ごして形のないものへ、チューリップのあるべき姿とは何か。やまだ乃理子氏「縁」がある限りどれほどにご無沙汰続きの日常を過ごそうとも、会うべきものに出会うのだと。
畑野信太郎氏は、祭りという時間を謳いムラという内側にある、祭るもの、祭られるもののサークルを描く。笹原実穂子氏、画像に映し出される地球という滴る水、かぐやの世界からのビジョン。
続いての、増谷佳子氏「降る」はガガーリン時代のメッセージを再構築し、現代を宇宙からブルーなベールに包み込んで、環境という雨滴とする。



朗読 増谷佳子氏

嘉藤師穂子氏はアナを掘る、埋める、土をかぶせ、出しては、ついに地球の裏側まで掘り進むのだから、楽しさ倍増。
大澤榮氏はアウシュビッツへの旅の記録を言葉に、他に渡辺宗子氏、森れい氏、櫻井良子氏、橋本征子氏らが自作詩を披露、石川啓氏は遠路北見からの参加。さらに飛び入りで新会員の佐藤元勲氏が朗読をした。村田譲は初めてのレクイエム(タイトル未定)を。



Eco FES.2008 恵庭アコースティック野外音楽祭
恵庭市恵み野の中央公園にある野外音楽堂で、野外音楽祭が開催。
ここの円形メインステージは小さな川の流れをはさんで観客と接する。その分パフォーマーは独立した雰囲気をかもし出せる。
レゲエであるとか4人編成のバンドとか、自作の歌もあればなつかしのフォークソングまである。基本的にはピクニック気分のファミリーを相手としたもの。
なにせ風の影響が大きくて、落語とかの話を聞かせるものはスピーカーを使っても難しそうだし、楽器とスピーカーで構成するしかなさそうだ。プログラムも1時間ほどずれているし。


メインステージ

まあ、聞くほうも斜面にレジャーシートを用意。周りにはフリーマーケットや焼き物の屋台が並ぶ。オリジナルTシャツや占いまで。飲食には非材木系の皿や箸を購入した上で、焼きそばとかカラアゲの量り売り。
日がな一日のんびりと過ごすには最高かも。もちろんビールも販売中。ところでラデューレストラン会場ってどこにあるんだぁ?

Eco FES.実行委員会 イベント 5月18日 19:00迄



しあわせのひととき’08 ――灯のある食卓――
すべての食卓に独自の灯が置かれている。 入ってすぐ眼に留まるのが、柿崎均作品「DRIP」一式でとにかくコーナー以外に置くことは出来ない。テーブルの上に置こうとするとわざわざ本とかを持ち込み、端を作ってから。こんな形にはめったにお眼にかかれない。


柿崎均作品

吉川満作品は透明感を基準に、それ自体で充分綺麗だ。共にいることの充実感をあらわしているのが、山岡千秋作品で、半月の黒と白をペアにして並べる。
澤丈間作品「極小ボール」はなんだか色から形からして、饅頭がたくさんあるようで面白い。


水林直己作品

毎日がお誕生日だといい、水林直己作品の灯「ホワイトデコレーション」とにかく楽しい雰囲気そのままに。
机に直接皿を埋め込んでいる近藤九心作品「海のテーブル」がなかなか面白い。そのまま置いても大丈夫。水林春巳作品の電気スタンドは、銀河鉄道が駆け上がる「夢の空」というタイトル。


平野英恵作品

平野英恵作品「オリーブ」の一連は、サンドイッチもクッキーも陶器。そのまま使わないで飾っておくのにいいなぁと思う。

江別市セラミックアートセンター 5月18日迄 / 高校生以上 300円



ファーストフード・ネイション シアターキノ
監督/リチャード・リンクレイター(2006/アメリカ・イギリス)




利潤の追求に専心するハンバーガーチェーンの実録。資本主義ならではの問題点をあげつらう。
バーガー屋が安く提供できる理由はいくつかあるが、不健康な運動もさせない牛牧場。
そして安い労働力を、不法移民と知りつつ1カ月の給与を1日で稼げるとの煽てで、メキシコ人を長時間の劣悪な労働条件で酷使する。英語も読めない労働者に英語の注意書きを与え、素人に解体作業もさせる。ラインはスピードを緩めない。だから腸を傷付けて大便を肉に付けて“牛肉パテへの大腸菌混入”を許す。であって短時間のうちであれば、拡散しないから、焼いて食べるモノだから構わないのだ。
しかし事故などで機械が停止すると、腐敗は進行し、攪拌機によって全土に出荷される冷凍パテには均等にフンが混ぜ合わされるのだ。

日本でも違法ではないからと、東南アジア諸国の安い労働力を酷使するから、似たような混入問題が発生したのではないのかね。すばらしく後味の悪い作品。しかし「いのちの食べかた」のクリーンな生産ラインの裏側をはっきりとみせている。

シアターキノ、5/16(金)迄の予定(上映時間は毎週変わります、問合せのこと

ファーストフード・ネイション



白扇の滝 
恵庭渓谷のラルマナイ川に三つの滝があり、高さ15M、幅18Mで扇を広げたような優美さにより「白扇の滝」と呼ばれるものが一番人気で、熔結凝灰岩による急勾配の板状節理の川床が続く。



上流より

ちなみに「節理」とは岩石にできた割れ目のこと。「板状節理」と呼ばれるのは溶岩流の底面にほぼ平行の割れ目のことで、板が何枚も重なっているかのように見える。
これは溶岩が流れるときに、外側は地面との摩擦で止まろうとし、内側は流れ続けようとする両方の間に加わる力によって割れるためにおこる。
板状節理は周りの空気や岩に触れて冷却され割れ目がに平行にできるが、これが垂直にできると柱状節理という。いずれも規則正しい模様として見られる。



白扇の滝

白扇の滝から約700M下流にラルマナイの滝、そのさらに下流200Mの所に三段の滝がある。



イタリア美術とナポレオン 札幌芸術の森美術館
ナポレオンの叔父ジョゼフ・フェッシュ枢機卿による、フェッシュ美術館収蔵の17〜18世紀のイタリア絵画展。
ジョルダーノ「聖セバスティアヌスの殉教」は白黒と構成の対比がきっちりしている。眼もとの赤、服装の青など一見しては分からない、微妙さ。ジャクイントの装飾のための習作があり、いかにも天国というか、雲のうえの雰囲気がいい。
ボッティチェッリの初期作品である「聖母子と天使」はひとスペースを占有して緑色の台の上に。どちらかというと神秘的というより丸顔で庶民的、親しみをもって描いたとされている。同じスペースの一角にはベッリーニの「聖母子」があり、こちらも抱かれたイエスが幼く話しかけようとしている風でもある。
世俗画のコーナーでは、レッコの「亀と魚のある生物」こちらは、よくこんな腹を晒した血まみれの静物画など描いたものだと、ちょっと驚く。ブリルの「風景」の淡々とした色合いは面白いかも。




ナポレオンはプロパガンバをよく心得ており、コインを巧みに利用していたとか。自分の肖像などをモチーフにさせていたものが並ぶ。同時に風刺のための、亀の絵図づらの間抜けの肖像コインも並んでいる。そのほかにセントヘレナに流されても最後まで使っていたとされるスプーンが一本。

札幌芸術の森美術館 
5月25日(日)迄開催 / 一般 1,200円



いのちの食べかた シアターキノ
原題: UNSER TAGLICH BROT/OUR DAILY BREAD
監督:ニコラウス・ゲイハルター



飽きていく、主人公のない、人類というものの視点。
食という現代は、大規模な機械化によって支えられ、集中管理されている効率の時間の中にいる。追求し続けるための歯車、ベルトコンベヤーに流れ落ちるヒヨコの群れ、途中で息絶えたモノは捨てられる。淡々と映し続ける食肉処理の現場で無言に従事する労働者が、時に交わす談笑。生きていることを食うということで表していく。
そのうちに労働者である自分が、ベルトコンベヤーに乗っていることを理解しだす。大量の食品は自分という消費者まで流されて届くが、そもそも我々はそのために奪い合っていたのではないのか?
オートメーションに解体される命の実態。毎日という食卓に並ぶ食品を輸入できる日本では、必ず見ておくべき作品ではあろう。

シアターキノ
5月16日頃迄延期(映画の最終日は流動的です、確認を)



75th独立展 北海道展 北海道立近代美術館
まず、今井信吾作品「祝い日に花束」の淡さがいい。女性二人で花束を抱えているのだが、誰にというではなく、整然としながら微妙に歪んでいる困惑のライン。白の使い方も綺麗。お勧めのひとつ。
齋藤研作品「取扱注意」は、異様に写真っぽい。なんかポスターを見ているような雰囲気がある。特に下部の方の処理が面白くはある。塚本聰作品「二つの時」おそらく左の都市の形態と右の都市の形態は同値。そこの掛かる橋塔こそが、異次元の門。
山本雄三作品「HEIWA(願い)」はシンプルな色使い。白と闇の安らぎがマッチしている。抱きしめる自分。輪島進一作品「加速度」まさに、ぱっと見てその中心の色合いに。じっくり見るとすごい不細工で、失敗作としか思えないから不思議。



北海道からは47作品が出展している。梅津薫作品「静かなる生成・II」は、凡庸な景色をしかし、なかなかショッキングな、色と構図に仕立てている。真っ青な空に向かう緑の草草。そこにある空間の白が、北海道らしくも、高い位置からの鳥瞰図とも、場合によっては水中でもある。
やまだ乃理子作品「やさしい不在」女性が左に傾くのはそこに犬とかの生き物がいるからなのか。離れようとしている右側のネオンと人の群れに疲れているのか、色が多様で、もう少し近づきたいところだ。しかし作品の飾られている位置が悪すぎ、狭い通路右の上段。なのに作品の向かいはハガキ売り場だ、ハガキを外に移動して、どうしてそこに置かないのか。
一番のお勧めは権藤信隆作品「L'animo bergine」である。セピアの中に機械仕掛けの傾いた十字架を背に、立ち尽くす女性像。象徴的な馬の使い方、この装飾性が、このサイズに見事にマッチする。
伊東茂広作品「標'07-II(都市-刹那)」この実験性も嫌いじゃあない。
にしても絶対にポスターでしかないものを飾るのはやめてほしい気はする。

北海道立近代美術館
独立展は4月13日まで / 一般 800円



小樽詩話会札幌例会 八軒会館
『小樽詩話会44周年記念号』の合評最終回。
まずは、佐藤由佳子作品「ある日」。がんばろうとする意識が底辺にありながら、最終連の”生”と”死”という強い言葉が全体の印象を食ってしまっている、との指摘。確かにコトバ自身の強弱には気をつけないと。
笹原実穂子作品「遠い記憶」について。全体にSFチックで未来的であるという評価。固有名詞の意味付けは引っかかり易いもの。私的にはリチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」を思う。
文字遊びでは、竹内俊一作品の「僕の手帳」。手帳が主張する。読む側にとっては楽しさ満載であるが、書き手側にはコトバを奔放に操るというのは結構しんどいものである。
次いで、吉川みさ子作品「花は……」。工夫した部分の、大人の疲れたイメージが不要であり、削ぎ落とすとピュアな部分が生きてくるのではないか、と。削ぐという作業の難しさを改めて思う。



世話人・下田修一氏(中央)/ 司会・おのさとし氏(中央右)

村田譲作品「翼 願うもの」は難解!であって、意味性が受け付けられないとの多数意見。と、イメージが美しいという意見であった。…分からないまま放置して、一歩引くという読み方はあまりされないもののようだ(と言い訳しておこう)。しかし一行空けたほうがよかったか、と思う部分に気付かされる。
そうかと思えば、入谷寿一作品「高速路下の古里」の平明な表現には、御説ごもっともと整然しすぎ、詩情がないとの意見(なかなか難しいものだ)。車の音がなく、告発として成り立っているが。
高橋明子作品「市場から」では、市場からタラの頭を台所まで持ち込む見事なバランス、である。ところが、現実か否かという、本作品と無関係なことで意見が飛び交ってしまう。
なかなか合評というのも難しいが、これだけ様々な感想が飛び、しかし本人への誹謗中傷がないというのは小樽詩話会、結構興味深くあるのだ。



美術で綴る札幌の歩み 札幌市民ギャラリー
札幌の街並みや歴史、市民の生活史というものを絵画やポスターなどで語ろうとする珍しいタイプの郷土資料展。
まず大友亀太郎の座像。創成川沿いにあったものの複製であろう、ちょっと吃驚して、すぐに納得した。礎を築いた偉人たちのコーナーであったか、写真パネルでの黒田清隆とか、商業を指差しているといわれている丘の上のクラーク像なども。
昔の札幌の姿のコーナーが楽しい。双六はスタートとゴールが分かりづらいが、結局、全部お店の名前。旭館(旅館)、半田精巧堂(印鑑)、神田床(床屋)と続いていく。札幌市鳥瞰図もいいなあ、函館から小樽周りで稚内と樺太までが一望。
交通のコーナーでは、定山渓電鉄が、知らなかったというか、どこかに知識として埋もれていたままのものを、映像で見ることができた。雪祭り、オリンピックのコーナーはポスター中心、見たことある、覚えているのが嬉しかったり。
札幌の今のコーナーでは美術作品中心。椎名次郎作品「箱庭風景」の覗く楽しみ。藤谷康晴作品「殺風景」二品は人物無しのストリートを延々と6〜7Mに渡って展示。はなこ作品「28min=17.3km」は2台の映像のインスタレーションで、深夜無人の地下鉄。これはなかなかいいと思う。




札幌市民ギャラリー 札幌市中央区南2東6(tel.011-271-5471)
3月16日迄 ・ 大人 300円



第30回詩人の広場 第二部 朗読詩「10篇・北のぬくもり」 
小休止の後に道内の詩誌からピックアップした作品による、朗読詩「10篇・北のぬくもり」が始まった。 
詩誌『韻』の菅原みえ子作品「トトント トン ゴーロゴロ」嘉藤師穂子氏がゆるやかゆるやかに物語の始まりを告げる。詩誌『かばりあ』より堤寛治作品「じょうぎ座 幻影」を小樽の萩原貢氏が訥々と声に変えていく。詩誌『雨彦』より武田友作品「雨とあじさいと自転車」を石井真弓氏の声で。
詩誌『複眼系』より本庄英雄作品「水仙」が取り上げられ、中川悦子氏が大きくやわらかな披露をした。詩誌『パンと薔薇』の峠谷光博作品「ちり ぢり」を、苫小牧在住のやまだ乃理子氏が担当。詩誌『小樽詩話会』の中筋智江作品「四月」は、渡会やよひ氏がマイクに呼吸を吹き込むように語る。同じく詩誌『小樽詩話会』より下田修一作品「あぁーちゃん」を村田譲がマイクなしで朗読。
詩誌『弦』より渡辺宗子作品「鍵老人とマザーグース」では櫻井良子氏が独特のリズムで刻む、思わず司会の三村美代子氏が、もうサクライ作品ではないのか、との言葉をもらす。詩誌『蒼原』の湯田克衛作品「爪」を入谷寿一氏が強い声で押す。詩誌『樹しずく』主宰の福島瑞穂作品「風のゆくえ」は増谷佳子氏の声が刻む。
詩誌『饗宴』からは木村淳子作品「ことば」を中野頼子氏により披露され、ラストは詩誌『錨地』より遠藤整作品「分水嶺」の粘性をローな声質で綾部清隆氏が締め括る。
毎回趣向を変えた朗読というのは楽しいもの、次回に興味が沸くものだ。



第30回詩人の広場 第一部 札幌市教育文化会館
当日はとにかく天候が荒れていて列車も遅れなかなか人が集まらない。
ようやく始まった『北海道詩集』no.54の私のグループでは、近藤陽子作品「春の宵」に流れるまさに春の調べ、谷崎眞澄作品「斧を投げ出したラスコーリニコフ」に見える現代の世相との関わり方について、増谷佳子作品「私から私へ」では旅先からの自分宛の手紙、三村美代子作品「こけし人形」にあるコケシは子消しの平成の母へのコトバ、山口三千香作品「今宵 風色を詠み」の場面場面の美しさ、村田譲作品「旅の鞄」珍しいものをテーマに・・。
筆者には作品への説明をさせなかった。言い訳を聞きに集まったわけではないので、作品本位でお願いした。



演話・講師 矢口以文氏

つづいて矢口以文氏による演話「どこへいったジジ・ババの言葉たち」。確かにずーずー弁で、何を言っているのか発音だけ聞くと分からないが、文脈の中で分かるコトバというのもある。
東北生まれの氏は方言の詩を何篇か披露してくれた。聞いている私的には、標準語にしてしまえば唯のバカっ話であるとの言葉を矢口氏よりもらい、方言の持つ力、あたたかさ、生きている言葉(ごろべいさんの葬式、とか)を改めて感じた。長いなが〜いプロポーズの言葉なんて本当に面白かった。


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