焼き鳥じゃんぼ&バナナボートのPoetry Reading。 トップのtakahamaicee氏の演奏と朗読。キーボードにテープを組み合わせ、川のせせらぎかと思えば、自転車のタイヤの中に作りかけの、誰もいないと思ってた夕闇のなかで星座の、タンバリン、そして鉄琴の音色で煌く。 takahamaicee氏 野坂幸弘氏、昨年のこと主催者の奥様のおおきなお腹のジャズライブの「月夜に」、某氏の剣豪の荒修行「かぐや姫のワナ」。ここでマスターより今回のお題(?)発表、「季節と詩」とのことでした。当代中国詩人の北島(ベイ・タオ)と寺山修二の作品を朗読。 武田聡人氏はギター奏者と合わせながらの「青い花」、都市の内側に落ちる鉄色の廃墟はどこまでも倒壊していくしかなく、しかしそこに住むものにはピンクのワンピースの天使のような花がほしい、信じていくための物語。野坂政司氏の落ち着きのある朗読は、「詩とジャズ・パートII」散文詩の楽しみ。 安部行人氏の朗読の隠された振動、異国の文字であることで読めはしないのだが、そこにある熱量、発熱するコトバ。飛び入り歓迎のラストの方の朗読がよかった。声を叩くのだ。響かせるとか叫ぶのではなく、叩く。 さすがにお盆休み終了後すぐの時期は、人の入りはよろしくなかった。といっても、K&アヤ氏は、マザーグースを三味線で唄う、なぞなぞなんかは、とても面白いテンポであった。 村田譲は「季節に掛かる橋 II」「すなどる夏」を朗読した。 |
澁澤龍彦の没後20年ということで、紹介したり、書き綴った幻想美術品を展示するという珍しい試み。 澁澤自身による「デッサン」もある。海ネコ王の図だが、魚のしっぽにもう一本のしっぽ、二重な羽根とスラックスと革靴。なんとも奇妙奇天烈な感性であるか。 しかし野中ユリ作品「デカルコマニー」は9.9×11.3という小ささだが、2作品ともアメーバのようなプラナリアのようなしかし青の色が美しい。中村宏作品「望遠鏡列車」は一つ目の女学生が乗り合わせる。タンギー・イブ作品「無題」の左右幅24.0cmのグレーの下地に地平線のように散りばめられた金属の光。澁澤お勧めのスワーンベリは結構気持ち悪いのだが「夢の女の口づけ」のラインの重ね方は綺麗。「空想のコンポジション」もいい。島谷晃作品「自転車」で被っている梟の仮面は是非ともほしいと思う。山本六三作品「スフィンクス」のキツイ感じの美しさ。 通常は初めて知って興味を持つことで、その面白さを感じるものであるが、と同時にわたしの良く知っていると思われる作品に出会う楽しみがすごく多かった。 横尾忠則作品はすぐ分かる、有名なのには「腰巻お仙」の劇場用ポスター。金子國義作品群「花咲く乙女たち」のエロティシズム。ビアズレー作品ではオスカー・ワイルド「サロメ」の挿入画「クライマックス」。ダリ作品といえば絵では「天空の象」であろう。篠山紀信作品「澁澤龍彦の時間と空間」は今回のポスターになっている。そしてピラネージ「円塔」「アッピア街道」の精緻。四谷シモン作品の「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」の気高さ。 展示室は7区分され監修者の意図に拠るわけだが、そこで色々と発見する自分に出会うのがここでの楽しみ方であろうか。 9月30日迄・ 一般/1000円札幌芸術の森 |
サン=テグジュペリの『星の王子さま』は1943年の発行以来、世界中で翻訳されているのだが、日本語でいう「星の王子さま」の原題は『Le Petit Prince』であり、直訳すると”小さな王子”である。これに“星”という言葉をつけ加えたのは翻訳者の内藤濯氏。このことでイメージがまるで変わる。 会場入り口のすぐの所に、住んでいる星が模型となって宙に浮かんでいる。これだけで、来た甲斐があった気がする。そうかこんな星なのだと納得する。ほかにも色々と模型が用意されている。また、オリジナルデッサンや筆者の手紙集なども見られる。各国で出版された『星の王子さま』やニューヨークでの初版本。 展示されている「小惑星の実業家」の原画は日本国内で発見されたもので、今回の展示会が世界初公開とのこと。 また、やや抽象的な内容である”バラの花”や”バオバブの樹”とか”蛇”などに込められた意味合いを考えてみるなどの内容。 しかしこの展示会は圧倒的に女性が多い。男が割と少ないなぁ。 大丸札幌店催事場 8月20日迄 一般900円 |
チュッパチャプスのロゴデザインはダリのいたずら(・?・)書き、食事中にその場でナプキンに描いてみせた。この人は基本的に何でもやる。本の挿絵も表紙もグラフィック・デザインもこなす器用人のようで・・・。絵画では、「大きな親指、浜辺、月、腐った鳥」いやにリアルな感じがあると思ったら、直接砂粒などが貼られている、ふむ。 「帆船の動きをまねる女性たち」の形はとても面白い。インスタレーションの先駆けと言われて、なるほど「ヴィーナスの夢」とは全体性の把握がうまいということだろうか。 どの絵画に対してもダブルイメージを言われるが、彼の時代では早すぎたとでも言うことなのかねぇ。ダブルイメージという表現手法のことなら文学でも常にやっていた、変な説明板だ。よほど絵では初めてなのか。 「ガラの足」の立体性は面白い。が、香水の「ダリクラシック」がいいなあ。「渓谷のランプ」「くねくねランプ」「松葉杖のランプ」この不安定さがおかしい。「ダブルチェア」いや素敵だ。 しかし一番は、「催淫作用のあるタキシード」腕を曲げずにコップの液体は零さずに!どうやって(笑)とか。 印象としては、絵という以上に彫刻とかの立体系の表現がうまい。シュルレアが無意識を自動機械として扱っていたとき無意識を写実化したからだとか説明しているが、つまりデザインの人間だろう。あまり批評家通りの鑑賞をすると、追いつかないタイプの作品群です。 ダリ展 9月6日迄 ・ 一般/1200円 北海道立近代美術館 |
札幌大通り西13丁目の札幌市資料館の裏庭、別名カッコーの森会場の屋外会場。こちらは29日だけでも総勢15組が10:25〜16:35迄演奏する。1バンドの演奏は約20分。 私は午前の部を聞いてまいりました。”あきりんずZ””Son d'un Vent”などはいかにもジャズという面持ちの演奏。 ”Mocha Siesta”は図抜けた実力のグループで、札幌市資料館には馴染みの深いバンド。ポップス調ということで、私も割りと楽に聞けた。ドラムのさくまひであき氏が中心。今回はギターの寺西勝仁氏が入る編成であった。ラストの曲キングレディーはギターの音色の多彩さがあって、とてもよかった。やはりボーカル(いとうゆうこ氏)がはいると雰囲気が変わる。まあ、英語だから歌詞は分からないんだが。全4曲は少なく感じる。 Mocha Siesta ”小川耕太”もポップスで、ピアノ伴奏でゴスペルなどを披露。 鳥のさえずりに木々のざわめき、夏の陽光と涼風。いいなあ、やや暑すぎてちょっと困るが、ここの会場は木陰も多い。ちなみに札幌市資料館は12丁目のサンクガーデンから臨むと別世界だ。 8月5日迄 札幌市内各所にて サッポロ・シティ・ジャズ |
なんといっても外観でしょう。北海道遺産に登録されているレンガ造りの色合いがとにかく飽きない。いろいろな角度から好きな顔を覗き見るようなものだ。 さて、この建物の内側の見学はEVに乗って3Fから開始である。 3Fは基本的にパネルでサッポロビールの歴史を紹介している。 2Fへの降り口は螺旋状の坂道で、ウォルトパンという麦汁を煮沸んでいた巨大な釜を見て歩く。懐かしいというか時代のビール看板、サッポロビールの瓶の形の変遷もそれなりに面白いが、やはりポスターコレクションがいいかな。どこかの雑誌で見たような・・・ポストカードにして販売もしていましたが。 1Fでは有料の試飲ができます。一杯200円、いいなあ。ミュージアムショップでは北海道のお菓子とか、記念品が色々あり〜の、です。 札幌市東区北7東9 サッポロビール |
瀬戸正昭氏が講師を勤められた。テーマは”三島由紀夫の詩と文学”生まれが大正14年というから、随分経っているという気もする。個人的には名前ばかり大きくかつショッキングな感じが強いせいか、真っ当に読んだ物は少ない。 十代の頃から詩作をしていたとのことだが、500編程作っている。しかし詩作品「凶ごと」が15歳のときの作品と聞くと、早熟なのか天才肌なのかと思わざるを得ない。詩歌に対する考え方として「伊藤静雄の詩」(新潮・昭和41.11)という短文があり「何か俺たちの見たくない不愉快な真実というものがこの世にはある。しかもその不愉快な真実が、もっとも美しい一行に結晶しているような詩を見るのは辛い。それでちつとも俺たちの不愉快は救われはしない。美しい詩句になつて、そいつはかえって一そう深く俺たちの心に突き刺さって残るのだ。何のための記念碑ぞ。」とか「俺が切実に口をつぐんでいたときに、あの人は言ってはならない言葉を言った。」と。 ふむ、では私自身はどんな詩を書いたものか。 ところで三島はユーモラスな小説、落語のような面白いものが書けないことを悔やんでいたとのことでもある。全てを書ききると宣言すれば当然とも思うが、説明も面倒だし完璧主義ということにしておこう。 「わが友ヒットラー」のオープンリールの三島自身の肉声。別の義太夫の楽曲が楽しい。 第二部は嘉藤師穂子氏の司会によるミニ朗読会。今回の詩誌で詩論を掲載された高橋秀明氏は作品「移住者」を。新同人中村容子氏は「けむり」、表紙ギャラリーを担当したやまだ乃理子氏は「月」を。久し振りに木村淳子氏のお声も聞けた。新妻博氏はいつもの通り(?)パス。 ムラタは、ちょっと困った。今回の作品「白い春」はもともと三月のイメージだし、そういうときに限り詩誌の発行が遅かったという作品であったので、夏に朗読するものではないのですが・・・。 その後「饗宴」の購読者の田中さんを交え、ワインとサクランボ、手作り梅酒で二次会に突入したのである。 |
彫金師でもある苫小牧在住の森れい氏が、内藤千尋、山崎千鶴の両氏らとともに、銀色の作品発表会ならびに即売会を、札幌市北区北8西1にある”石の蔵ぎゃらりぃ はやし”にて開催中です。 わたしは基本的に朗読会の有無の確認に行ったようなものではありますが、(10月初旬に小樽のアケード街でも「Silver Jewellery展」を開催するようですが、その際は朗読会も催されるとのことで、今から楽しみ)どうみても勾玉というか、石っころみたいなのが、銀製といわれると本当にSilverという素材は使いこなしてはじめて分かるものなんだろうと、思うのがやっとですが・・・面白い色合いですよ。 7月10日(火)まで 11:00〜19:00(最終日は16:00)tel.011-736-0884 P.S. さらに内藤千尋、山崎千鶴の両氏ら、若手芸術家達が苫小牧にて8月19日〜26日「樽前arty2007」を企画中とのことです。演劇、音楽、野外彫刻まで手広く開催。 |
國學院大學所蔵の古典書籍展が開催中。
鎌倉時代写の伝・藤原為家筆といわれる巻物がある。もともとは冊子形態のものを仕立て直したものとか説明があった。保存状態はいいが、誰かの読んだ跡である皺があることが逆に嬉しい。文字というものが千年に亘り、手に取られていくものであることを実感する。 室町時代後期写は寄合書によるもの。一人では写すのも大変ということで手分して作業するが、冒頭と最終は上位者がおこなうもの。また、最終部分は企画者の手によるという。 そのなかで、久我家嫁入本は五十四帖が揃っているが、これは一筆書で、同筆によるもの。また、土佐派と思われる彩色絵が各帖に付されているものは、非常に珍しいという。物語を収めている箱も艶やか。 江戸時代のやや大型の冊子や、谷崎潤一郎が新訳したときの草稿があり、時代の変遷を思う。ほかにビデオコーナー、絵葉書の無料配布などもあった。 6月24日(日)18:00まで開催(入場無料) |
黒豆がお引越ししてから、こちらでは初めての参加。以前よりも手広いスペースである。
残念なことに、火石きっこ氏が体調を崩しお休みとなってしまい、急遽司会は鈴木氏が担当。 まずはトップに放浪癖がある(?)という山田氏が、自身の作品を披露。雪の幻想の三月、乱舞する白い向こう側のネオンまで・・を朗読された。ネダさんは、いばらきのりこ詩集から「木は旅が好き」身をよじりながら立ちすくみ夢見る木を、「鶴」では9000Mのヒマラヤの旅をする純白のはばたき。 司会の鈴木氏がまずはブルース調の曲目をギターにのせる。さらに即興で痛みの中でも信じ続ける大切さ、支えあう勇気を言葉にする。聞いていた、そういち氏がドラム代わりにスピーカーに跨りリズムをとる。 マコ氏は”こどく姫”を声にのせる。ギターがコトバを乗せて歩き始める。次いで”恋心”では笑顔で接してくれた人の心を綴る歌を披露。ヤギ氏は、にくしみのコトバを搾り出すように部屋に塗りこんでみる。 フリートーキングとなり、店長の千田氏が言葉を紡ぐ。ここでは自作詩に限らない。おおよそコトバであるもの、表現であるもののすべての場を目指す。そんなコトバであそぶ@黒豆の第2回目であった。 村田は作品「臓腑」「丘のうえ」などを朗読した。 |
焼き鳥じゃんぼ&バナナボート。”ジャズと詩”をテーマにの開催。
まずはジャズの演奏、そして朗読の時間へ。マスターは自作詩は持たないと言い、自身のお気に入りを自由に朗読する。ああ、この人は詩が好きなんだなぁ、と。野坂幸弘氏がベッキー氏とのコラボレーション。「九月」ほか四編を披露。 我らがトップバッターの火石きっこ氏。自分の旅で出会う不幸。嘆くだけでは変わらないと、自分の内側を見つめ、すり抜けた記憶に自嘲し立ち上がる。痛みを抱え称える明日を。BGMの音と供に作り上げる朗読、自分たちへのエール。 朗読 火石きっこ氏 タケダ氏。星屑の停車場で、バスを待つ。来るはずもないバスは、さようならを告げるためのものか。歴史を、自身の重い声質で表現していく。用意したBGMでの作品は結構な長さだが、長さを感じさせない。ひとつの世界であるなぁ。 takahamaicee氏は、今日買ったばかりの楽器が不調。天体観測の面白さがなかなかいいのだけれど、残念なことになってしまった。 高校一年生文月氏の朗読(あ、もちろん保護者同伴です。なにせ酒と煙草とジャズという世界に15歳)中学校の保健室で見上げた天井・・・。その堂堂とした声にはひやかしなど届かない。後半、感情が入りすぎて炸裂音になりかけたのが、危うかった。 若い方の(?)野坂政司氏の朗読、厚みのある声。ジャズはニューオリンズからシカゴへ、引用を繰り返しながらジャズの歴史を追っていく。即興などあるものか、和音とメロディの蓄積こそが搾り出す言葉と成るのだと、警告を発しながら。面白かった。 で、村田も飛び入りで参加させてもらった。作品「ゴースト」と開放系の作品「ダイビング」、いやあ、こういう夜は素敵だ。 |
風蝕異人街による、マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」。悪徳に生きるジュリエット、恋に焼かれ、道楽者としての奔放さの物語。それは美徳に生きようとしたため不幸であった妹ジュスティーヌの物語の続編として書かれたものだ。 今回は美少女たちを見るだけでも価値があると言われ、それで見に行った人からは暗くて何がなんだか、しかしムチムチっとしているあたりはよく分かった・・・というなんだか訳の分からない解説に釣られてふらふらと行ってきた。 まあ、暗い。しかし狭くねぇ?柵もあるし、踊り子さんに触ってはいけない?そりやぁそうだろうが、と思っていると蝋燭を携え女が入ってくる。包帯で顔を隠した男とともに。 冒頭、三木美智代演ずるサン・タンジュ侯爵夫人が”御機嫌よう”と観客の方を向いて挨拶するその仕草は狂気に満ちている。芝居というものは狂気を持ち込むものなのか。 そして狭いと感じた白い布の裏には、女達が丸まっている。一人、一人と剥がしていくから分かるのだが、下着姿で肌が露出しているから、なおも強く感じるのであろう。人間というのは団子に纏めることもできるものなのだ。 車椅子でのスピーディーな回転と対話。宇野早織演ずるジュリエットとの言葉のやりとりも異様で面白かった。最期に繰り返される問いとともに。 |
北海道詩人協会総会が開催。「北海道詩史補遺」の編集が進み来年5月めどに発刊の予定。今年の夏から予約を開始。北海道詩人協会賞は苫小牧在住の横関丈司詩集「ラビリントスのために」が受賞、氏は詩誌「複眼系」に所属。 続いて詩人祭が開催された。 トップは嘉藤師穂子氏。土を掘り、穴にものを入れて土を被せ、胡桃、魚の骨、お気に入りとそうではないもの。覗くな!穴は忙しいのだ。不思議・の魅力。 増谷佳子氏はクレープを巻く、何を巻くのかはお好みしだい。結構怖いものも想像してしまった私である。森れい氏「結晶」何故か司会席で朗読開始(理由は言うまい、あははははは)しかし森氏が石への思いを口にするとき、素晴らしい輝きが叩き上げられ、そして放たれる。 櫻井良子氏の朗読は(好きだなあ)声の厚みが違う。今回は明るい感じのいやいやいや、を繰り返していく雨の季節、寒雨、雨また雨の季節。大地に鋤きこむ天と地の繋がり。北海道は梅雨がないので暗くならない。 なぜか洋服姿が珍しい谷内田ゆかり氏、北見から5時間かけて参加の石川啓氏。若宮明彦氏は海への思い、満ちては引くの繰り返る思い。 朗読・若宮明彦氏 後半は会場のマイクの調子が落ちて、朗読会としては困る事態が発生した。火石きっこ氏や渡会やよい氏の朗読というのはマイクを通して伝わる息遣いそのものなのに。 瀬戸正昭、笹原実穂子、やまだ乃理子、入谷寿一、原子修の各氏が自作詩朗読、三村美代子、村上抒子、小池温子、横平喜美子、斉藤征義の各氏がスピーチ。ムラタ・ジョウは詩誌「濤」掲載作品「目眩い」を朗読した。 |
国指定史跡旧島松駅逓所。駅逓というのは、1799年に交通の便をはかるため、蝦夷地に置かれた宿泊できる駅舎のことである。北海道には最大600を超える駅逓が設置されていたというが、現存するものは北海道開拓記念館に移設されたものと、1873年に設置されたこの島松の駅逓しかない。
旧島松駅逓所 経営に携わった中山久蔵は石狩地区で初めて水稲栽培に成功しており、石狩水田の祖ともいわれる。駅逓所内の施設に赤毛見本田址が残されている。1881年には明治天皇の御昼行在所に当てられ、そのために駅逓を増築している。 また、1876年4月16日札幌農学校の教頭であったウイリアム・スミス・クラークが「Boys,be ambitious」の言葉を残して去った地として知られ、クラーク博士記念碑が、寒地稲作発祥の碑と並んで設置されている。 北広島市島松1番地 (JR北広島駅から車で20分) 大人入場料 200円 |
紙の魔術師という称号は悪くない。なかなか素敵だ。
こうした仕掛けというものは、天文や地理などの学問を視覚的に捕らえるために発達したものだという。であるから、子供向けに転用されたのは19世紀に入ってからのこと。
当初はタブ(つまみ)を引くとその部分が動いて、消えたり現れたりというマジックのような面白みが人気であったようだ。ものによっては音のするものもあったという。19世紀の後半になりドイツでリトグラフが普及し、仕掛けの面白さと絵の美しさでさらなる人気が出た。 会場にはその当時の絵本が並び、サブダのアトリエとスイッチひとつで開閉する大型絵本が用意されている。 最初の「不思議の国のアリス」は音声付でストーリーを語ってくれて、華やかだ。ただ、アリスの顔の輪郭がきつすぎ、眉の角度も奇妙で不細工。お勧めは「オズの魔法使い」の1P目、嵐の表現が、もう絶句!竜巻が回転するのだ。さらに進むと、気球が空に浮かぶ様など一見の価値がある。ディスプレイ用のこの大きさが、なおも素晴らしい効果を出している。 ほかにも恐竜のお出迎えなど色々なお楽しみがある。実際の絵本も販売されているが1冊4000円と割と高目。 5月6日(日)迄、札幌西武ロフト7Fで。一般は800円、割引券はあちこちに。 |
割とおなじみのメンバーのなかに、”俳句”からの殴りこみ、ダンサーの身体詩と、やや普段の朗読会とは趣が変わった。 山内幸子氏「『夫逝きて』から『私のたわごと』まで」タイトルに対して数編の俳句を用意。声の伸ばし方に、独特のものがある。 斉藤征義氏は「老耄螺環化石口述の序」は改めて朗読用の言葉使いだなと感じる。地層という重層性をもリフレインでカバーしていく。大貫善也氏「大草原に溶け込んで」は馬頭琴のBGMで、ゆるり悠久のモンゴル草原をバスで、雲と行く。 三木美智代氏はワークショップ生とともに「溺れる記憶」は、皮膚の内面にこびりつき、幸不幸の狭間で浮かび上がることのないアナタという内側に溺れ続ける記憶の粒子のブラウン管運動。これを身体で表現する。すごいよぉ。 石井真弓氏「たき火」では、まず体で炎を演じ、そしてそのまま朗読に入ればよかった。一体化ということの難しさを思う。橋本征子氏「にんにく」の匂い、実験用マウスの屠殺者である父の記憶の匂い。不眠の理由。 今回はオーディエンス賞が設定され観客の投票を受けた。タップダンスを披露し「馬肉売りの馬」変じてバニーガールを演じた竹津健太郎氏。さらにアトリエ阿呆船というホームをうまく活用、バイオリンと打楽器、さらに蝋燭を灯す少女まで繰り出しての演出でこしばきこう氏の二氏。 最期は原子修氏。タイ、バンコクの”チャオプラヤー川”の詩。一本の木から生み出されやがてモンスーン、洪水という厳しさの大河となる行方を追う。 他に根保孝栄、伊藤美佳、佐藤孝、笹原実穂子・ひらのたかし、高野敏江の各氏が参加。司会は増谷佳子氏であった。 村田譲は作品「落命館」を舞台用にアレンジして参加。にしてもステージという舞台意匠の必要を改めて感じる。何に向かうつもりかを考える一日であった。 |
生まれるならば死にもする、馬渡新平作品「緑裂壺」は、その名の通り割れている。どうすればいいのだろうと、人事ながらその割れっぷりに感心する。毛利史長作品「散土塊画」は副題に"火の音楽”となっている。焼かれる途中で壊れたものの塊で、まさに土塊、レンガの出来損ないというところだ。 錦織宏作品「顔の練習」は5センチ程度の顔が52個並ぶ。いいお顔ではないなぁ、表情が強すぎるから。菅原せつ子作品は大柄な器で黒と白の対比が綺麗。岡田浩明作品はクリアな青が特徴。 田村由美子作品「今」は寝転ぶとっくり、湯飲みの円形。可愛らしい絵柄でころんころんと横になっていて、すでに酔っ払っている。小泉満恵作品は白が透き通って、花びらのような揺れの中央にアオが包み込まれている。しかし絵の具入れかと思うような小さな器の連続は何にするのかな、否、お気に入りだからいいんだけどね。 道新ギャラリー 札幌市中央区北1条西2丁目札幌時計台ビルB1F 4月24日(火)まで |
第一期所蔵品展「ロマンチックな絵本―詩と文」。全体に暗い印象を受ける作品群である。もともとは洋画からスタートして、日本画の手法も持ち込んだりということだが、31歳で夭折した。「大通公園」のタッチには水彩的な印象を受けるが、大して成功しているとは思えない。 美術館の作品配列に問題があるのかもしれないが、特に初期のころは、対象の捕らえ方も小さいし、持て余している風にも感じる。「我孫子風景」は開発中の赤土を写実的に描くなど、面白くもない作品。「赤い肩かけの婦人像」は19歳で結婚する相手方、節子夫人ということだが、正面を見ていない。解説者の説明によると、当初は結構な嫌われ方をしていたようで正直に描くものだと・・・。 告知ポスターより「のんびり貝」 そのなかで「花」という黒地に白をラインのみで引っ掻いたものがあり、いい。同じように引っ掻いた作品で「オーケストラ」がある。これは暗い洞窟の内側に燃え盛る指揮者の熱意という火種が、紅く左上の方向へとなびいて行く音の、空気の流れが見え、なかなか素敵だ。 視覚詩「蝶ト貝殻」という詩が貼り出されているのだが、貝殻というヴィナスの生まれるところとその海を渡る蝶というエロティシズム。幻視だが、留められた蝶が抜け上がる絵画作品に通じ、自由への想いのシンプルさが時代を感じさせる。 三岸好太郎美術館 第一期所蔵品展「ロマンチックな絵本―詩と文」は6月17日まで |
北大路魯山人、美と食の探求者といわれている。 もともとは料理の方の人で、陶芸は40代からの開始とのこと。「食器は料理のきもの」ということで、はじめたものだそうだ。書籍の一冊に『魯山人の食卓』という食いしん坊の食べ歩きみたいな本があるのだが、基本はもてなしの心というものを考えている。逆にもてなされるほうに対しても、おいしく食べようとするマナーを求めてもいる。 確かに自分の料理に、自分の器。これ以上のもてなしはないだろう。 九谷風鉢 魯山人は当初、美濃焼きのなかでも織部焼きがお気に入りであったという。鉄絵草文平向付の八枚セットはそれぞれが様々で、とても自由な八枚。揃えるというより個性の数という感じ。どうして揃えないのかとも、いぶかしんだが、趣くママというところなのだろう。 晩年は備前焼を好んだという。備前焼は釉薬を使わないで、土と火のみの微妙な出来合いから、炎の芸術とも呼ばれている。このほうが自身という器にはシンプルでいいかもしれない。 「伊賀四方皿」の歪みは本当にひとつであることの証明。黄瀬戸菊皿の独特は料理のためなのかと、思ったり。大物では「染付詩文花器」が白地に紺の文字でなかなか素敵だ。「伊賀の釉木の葉鉢」は16×53×44cmの大きさ、何を盛ったのだろうか。今回のメインとして取り上げられている、写真の「九谷風鉢」の色鮮やかさ。ほかにもステンドグラスに浴室、男子トイレなどを制作している。 大丸札幌店7階ホールにて 4/9(月)まで開催 |
市の教育委員会から呼び出しを受け「詩の素晴らしさを子供達に教えないか」というので、即効でOKと答えてしまった。小学校高学年相手の講師役である。が、どの漢字が読めるのかなど、後々妙に重たくなってきた。 当日の午前中は、スライドを使っての北海道大学若濱五郎名誉教授の「雪のおはなし」を見学させてもらった。そして改めて小学生ってちっこいなあ・・・と。 講義風景 ムラタは午後15時からの担当。いつもの通りで、自己紹介の後いきなり朗読! 反応をみると渡したテキストを探す子供が多く、ポカンとこちらを見ている子は割りといない。真面目というか、ウームであった。 しかもなぜか2時間という長丁場なので、動物の鳴き声のCDを聞かせたり、いろんなコップの音を聞いてもらったり。本当は自作詩を書かせようと思ったのだが、いきなりは難しいと判断し、一行詩の試みを。やはり友達とワイワイする分には退屈しないようだ。ぼそぼそと詩の言葉って難しいとか言う子がいて吃驚してこちらもぼそぼそと返事したり、テーマを与えるとグループ内で喧嘩しだすので、その喧嘩をテーマにさせたり、と遊びに属すこと自体で書かせたり。 全般的には思っていた以上に反応がよかったのでほっとした。(ま、ムラタのせいで詩が嫌いになるなら、それもいいとは思うけどさ・・・と開き直ってみたり) |