空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '06.3月〜8月


北海道考古学会遺跡見学会・I
闘詩
こども未来博
ユカンボシ川河畔公園彫刻広場
世界遺産からのSOS展
華麗なるマイセン磁器
ALMA art
古代エジプト展
「饗宴」夏の詩話会
詩のボクシング北海道大会本選
文化センターTOM
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和食の風景2006
詩のボクシング北海道予選会
ヨーロッパ近代彫刻
関口雄揮記念美術館
春の詩祭 2006
デ・キリコ展  
日本の現代住宅 II
日本の現代住宅
小樽詩話会札幌例会
アートと話す/アートを話す




北海道考古学会遺跡見学会 モイ遺跡・キウス遺跡
8月26日、厚真・平取・千歳方面を一日かけてバスで回るもの。 最初に見学したのは、厚真町上幌内モイ遺跡。厚幌ダムが建設されるということで発掘がされている。 アイヌ語でいう”モイ”というのは、厚真川が段丘にぶつかったところで大きく直角に折れ曲がっていることでできた”淵”に由来する、流れの穏やかな”静かな地形”のこと。
全体の遺物の量は少ないが、鍛冶関連の遺物が多いのが特徴的。もちろんこの辺りに鉄の産出はないが、二次加工などがなされていたのではないか、との話であった。また鹿の落とし穴が2基見つかっている。上流部からは獣骨が集中して、特に鹿の歯の骨だけが複数見つかるなど、儀礼場跡と見られている。




儀礼場跡 (頭蓋は模型/下のふたつが歯の跡)

この周辺には縄文時代早期からアイヌ文化期までの14箇所の遺跡があるが、竪穴式住居などもあるが遺物量は少ない。厚真川の上流で支流との合流点に面した河岸段丘上に遺跡は集中している。夕張方面への中継地点であったと想像されている。
ここでは火打石を使い実際に火を付けてみた。さらに黒曜石の破片で魚や鹿肉を切る体験で、割った黒曜石の鋭利さで、魚の腹から骨に沿って切るなど造作もないことであった。



鹿の落とし穴

千歳市では二箇所を見学。キウス遺跡は高速道路建設予定地で、後期の旧石器からアイヌ文化期までの全時代を網羅している大遺跡群である。
すぐ近くには国指定史跡キウス周堤墓群が並ぶ。周堤墓というのは径が10M,高さ1M、幅数Mの環状の土手を築き内側に墓を設けたものである。ここには8基の周堤墓があり、最大のものは直径75M、高さ5.4Mの土手を持つ。縄文時代前期から中期のものとみられている。



闘詩 白老・KURA
”闘詩”というのは、タイトル別に作品を発表し観客にジャッジさせを楽しんでもらおうという参加型。なかなか珍しく、挑戦的な手法である。とかく、観客は黙っていろ!となりがちな朗読会。
テーマ「太陽」では夏、暦、そして力士の四股名・・・ワハハハである。
面白いと感じたのはタイトル「午前7時33分」それぞれが、ときめきの朝、今日の時計よ止まれ、夢の断片へ・といったテーマを提出してくる。抽象性が想像力を掻き立てる。



朗読・アースシップ氏

問題は、全作品を逐次、観客に評価として委ねるのは如何なものかということ。聞くにも力は必要だと思うのだ。そもそも評価基準を持っていない場合の審査とはなんだろう?
詩に限らず作品の評価は(弁明するものではない以上)他者に委ねるのは当然である。しかし表現と受け取りの差異があり、重視するものの位置が違うだろうから、批評とか合評があるのだと思っている。 ある意味で、聞ける人しか聞けないものがあるとも当然に(私は)思っている。だから基準がない評価は、表現者本人にとって作品として省みる余地がないではないか、という疑念がある。
伝えようとした表現が伝わっての「嫌い」なら、構わないだろう。
で、にわか審査員となったのだが、詩作品の内容・5、パフォーマンス・3、肉声・2、トータル10点でバランスをとってみたが、そも作品への比率が高く、声としての朗読会にとっていい比率なのか。パフォーマンスに力点を置くべきかも迷った。何分にも演劇的な要素は嫌い、でもダンスはいいのという性格(笑)にもよるし。逆に自分の朗読に対する考え方、何故ステージに立つのかを考え直す機会とはなった。もちろん、次回に生きるかどうかは、別ですが。



こども未来博 月寒グリーンドーム
札幌商工会議所創立100周年の主催ということだが、なかなか面白い。入り口には人間型ロボットのアクロイドDER、ちょっと見ではロボットに見えない。また、ウエルカムロボットのwakamaruがお出迎え。
時間に合わせてそれぞれのブースでイベントが行なわれている。人が多くて直接見えないときは上にTVモニターが装備されている。



シーラカンスロボット

そのなかでも水陸両用ヘビ型ロボットACM-R5のなめらかな動き、デモステージでのEMIEWなどの軽快さは楽しい。アザラシ型メンタルコミット・パロは子供に大人気だ。但し、24時間体制には、なかなか向かないようで、結構な数のロボットが扇風機で空冷しながらスケジュールに従っている。また、全てのロボットが常に勢ぞろいしているわけではなく、お目当てのロボットは期間限定だったりするので要注意! ASIMOは18-20日しかいないとか。



EMIEW(エミュー)

それ以外に、屋外のわくわくテクノロジー館などにはパズルコーナーが面白い。ガスのパイプオルガン、錯覚の部屋など直接触れるものがいい。

と き:8月20日(日)まで
ところ:月寒グリーンドーム(SW・南郷13丁目よりシャトルバス運行)
料 金:大人 1500円 / 小中 1000円

http://sapporo-cci.or.jp



ユカンボシ川河畔公園彫刻広場 
アイヌ語で”鹿の住んでいた所”ユカンボシ。ここに道内外の6人の彫刻家による作品が並んでいる。
まず目を引くのは植松奎二作品「樹とともに―赤いかたち」だろう。自然環境との調和がテーマでありながら、独り赤が独立している。いや、好きですけどね。



樹とともに―赤いかたち

ユカンボシだからと、当然のように佐藤忠良作品「えぞ鹿」、でもなんか小さい気がする。渡辺行夫作品「ドンコロ」はなじみすぎ・・・かな。二基並んでいるが、昔の泥炭からでてきた切り株のことであるそうな。一基はタイムカプセルとか。
山本正道作品「時をみつめて」では”メサ”という大地の形とはいうが、まあ切り株と呼ぶべきであろう。そして”石橋”決して並んでいるわけでもないので、関係性は見出せないが、この石橋は実用に近いが、その先には道はないから、やはり作品なのか。丸山隆作品「Cube」は、入れ子になっている机の状況。



にぎやかな遡行

山本圭司作品「にぎやかな遡行」は渓流と民家の坂道にある道標で、幾つも並んでいるけど彫刻作品とは思いつかないであろう。
暑い夏のひと時をこうした木陰で過ごしてみるのも面白い。

所 在:恵庭市駒場町5丁目657-1
問合せ:恵庭市役所建設部 花と緑の課 tel.0123-33-3131




世界遺産からのSOS展 札幌西武ロフト
アジアの世界遺産の中から特に危機遺産として「何ができるか」と問いかけるために開催されていいる。その意味では珍しいタイプの写真・映像展。
会場の入口には霧のカーテン。破壊されたバーミヤンの大仏が触れることも無く映し出されている。 このアフガニスタンの遺跡は長引く紛争による破壊の修復が問題。全体の幅は1300Mにも及ぶバーミヤンの大仏像の頭の上は、見張り台であった。また、この洞窟には多くの住人が暮らしており、現在も2家族13人が、洞窟の中は暖かいからと、移動を拒否している。
イランには約2000年前に世界最大の日干し煉瓦で作られたアルゲ・バム遺跡がある。2003年の突然の地震で完全に崩壊してしまった。この修復を今、デジタル写真技術で全体を見直すことも始まっている。 コルディリェーラの棚田は”天国への階段”ともいわれる、フィリピンのルソン島北部のイフガオ族によって守られてきた景観であるが、後継者の減少、過疎化による柵田の放棄が問題化。
カトマンズはネパールの標高1350Mに位置するが、かつては”ヒマラヤのシャングリラ(桃源郷)”とも”ヒマラヤの正倉院”とも言われたが、無秩序な都市化の波に飲み込まれ、伝統の放棄、大気汚染の深刻化、盗難が相次いでいる。
カンボジアのアンコール遺跡は1992年危機遺産とされ美しさを取り戻しつつあるが、観光化と盗難は続いている。つい最近など未遂に終わったものの実に15Mに亘るレリーフが隣国に流れるところであった。




7月23日まで開催されていた。 



華麗なるマイセン磁器 江別セラミックアートセンター
17世紀初頭、ヨーロッパの王侯貴族をして「白い金」と言わしめた中国の景徳鎮、日本の伊万里などの収集が積極的に行なわた。そのなかでもドイツ・ザクセンのアウグスト強王は強い関心を示し、自国での生産に着手する。やがて18世紀初頭には硬質磁器マイセンが誕生していくことになる。
そのマイセンの歴史を、ヨーロッパ流の絵付けなどからシノワズリー・ロココからアール・ヌーヴォーまでと題して展示。




始めは中国や日本的な模倣がやはり多い。no.101「金地色絵花卉図皿」の金ベタがなんとも成金的だ。no.65「藍地金彩色絵田園人物図蓋付きブイヨン鉢、受皿」では”王者の青”という色合いが出てくる、なかなかのもの。しかし図柄の配置がひどく変。
no.64「色絵燭台ポプリ壷付暖炉用センターピース」は高さ50cm位か、台の下をスフィンクスが守る。no.67「色絵風景浮彫人物像水注・四大元素」では地・火・水・空気と西洋と東洋五行説(木火土金水)との違いを思ったり。
no.73「色絵女性座像・商人の妻」は今回のポスターの図案に出ているが、実物は思ったより小さい。 食器から(やがてよくもまあ)磁器で人物や彫像を形作ろうとするものだと感心する。

と き:7月30日まで
ところ:江別セラミックアートセンター(江別市西野幌114-5/tel.011-385-1004)
料 金:一般 900円、高大生 300円 / 小中生 200円

http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/ceramic/



ALMA art 石の蔵ぎゃらりぃ
森れい氏が仲間共々で、銀素材装身具の展示販売を開催。初日にオープニングパーティとして”詩とワイン”による朗読のひととき。見回すと小樽や苫小牧、千歳などから25名ほどが参加。 朗読には詩誌「饗宴」の嘉藤師穂子氏が友情出演。
まずは二人で宮沢賢治作品「銀河鉄道の夜」を。この二人の朗読は調度正反対ともいえる。おおきく感情をぶつける森氏に対し、淡々と平坦に起伏を乗り越える嘉藤氏。当然のように詩の部位を森氏、地の部位を嘉藤氏が担当。作品上どうしても地の文が多いのだが、二人であることのよさが出ていた。



嘉藤・森の両氏

次いで自作詩を披露した。最初に嘉藤師穂子氏が「トプカプ千夜一夜」から四編。しかし宮沢作品が長かったためか、聞きなれた平坦に思えてしまったのが難点ではあった。
森れい氏は手馴れている。作品と作品の間に、日常的な会話を持ち込むことで飽きさせない。アフガンの難民の作品から、彫金師である自分まで開いて、しかし偏りに気を配っている。ラストは会場である石の蔵の感想入り作品を。
会場の全体構成にも要注意ということにはなろうか。しかし朗読の順は変えられないから、苦しいなあ。

「ALMA arts」は7月9日(日)まで 
石の蔵ぎゃらりぃはやし(札幌市北区北8条西1丁目 / tel.011-736-0884 )




古代エジプト展 丸井今井札幌本店
5000年の神秘を携え、古代エジプトの神々との触れ合い、生と死の再生復活の思想へ。太陽の沈む西が死者の国であり墓地が作られ、東が生者の国として王宮や神殿が作られた。
墓は永遠の館でありふたつの部屋が用意された。ひとつは「礼拝室」であり、ここには偽扉がある。もちろん開くことはないのだが、死者は来世と現世をこの扉から出入りする。死後にも食物に困らぬよう供え物がこの扉の前に捧げられた。もうひとつは「埋葬室」で奥の方に設置される。霊魂と復活のための遺体を守る。そして来世での復活の呪文を記したパピルスが置かれていた。
また、様々な装飾品があるが、やはり金が多い。護符として身に着けるのだが、失わない輝きが太陽神ラーの肉体の色とされ、また変わることのない品質が、来世での再生を約束するものとされるため葬送の品としても扱われた。
神々の似姿として、動物の姿を用いるのだが、そうした動物達もミイラとされていたことは今回はじめて知ったことであった。




子供のミイラが、エジプトコレクションで名高いドイツ北部の「ヒルデスハイム博物館」所蔵の遺品として特別出品されている。

と き:7月23日まで
ところ:丸井今井札幌本店大通館9階 10:00〜19:00
入場料:一般 1200円 / 高大生 1000円 / 小中生 800円




「饗宴」夏の詩話会  すみれホテル
詩誌「饗宴」による初夏の詩話会。今回のテーマは”モーツァルト”「饗宴」vol.46の特集、生誕250年記念ということで。主宰、瀬戸正昭氏が講師を務めた。
五歳の頃にわずか13秒といえど作品を書き、それが残っているということ。交響曲第25番ト短調など、なぜか短調が有名だが、本来は長調の作品の方が多く、生涯に600曲を作品にしている。それらのなかから、瀬戸氏お奨めのCDを聞きながらの詩話会。



中央・瀬戸正昭氏

日本で最初に音楽の評論をしたのは小林秀雄「モォツァルト」であり、それ以前の書評は単に好き嫌いの感情論であったとも。もっとも発表当初は音楽畑の人たちからは無視されていたらしい。で、小林秀雄の肉声テープも聞いた。随分と低い、聞き取りづらいべらんめぇ調。
しかし皆さん音楽好きのようでやたらと盛り上がっていた。工藤知子氏に Ave verum corpus に振り仮名をつけてもらい全員で合唱の予定であったらしい。途中には小樽産の苺も登場。
懇親会では佐藤恵一氏が手に入れた明治時期のアイヌ人の幻のレコードの購入話、出所は旭川図書館とのこと。また、山内みゆき氏は自作詩を披露。 他に小池温子、木村淳子、新妻博、嘉藤師穂子、谷内田ゆかりの各氏と村田譲。







詩のボクシング北海道大会本選 文化センターTOM
異業種交流と位置付けしている私である。誤解を怖れずに言うなら、詩のボクシングは単純にバカ野郎と連呼しても構わない発語の場である。つまり、言葉の前段階でも、自分の”震え”さえ抱えているならOKなのだ、とそう理解していた。
トップバッターは緊張しすぎて、喉が充分に開かず声が通らなかった。よくあることだが、朗読前に一言、聴衆に語りかけてみるなどしてリラックスするしかない。
SATSUKI・K氏は予選会も含め、よく声を抑えて炸裂させずに、健闘した。菊池洋平氏は独特の表現系で、ジーンズにパンツを穿いて、際物である事を怖れずに、言葉の捻り、発音の面白さを十二分に発揮した。 なかむらいずみ氏は恬淡と語るべきものを語りかけてくる。



砂山茴氏

砂山茴氏は時代の内容、配給券をもらいながらも現在の食べるということの持つ幸せを。あとら氏のぼそぼそした朗読方法も面白い。
しかし演劇めいた動きにも効果はあるが、パフォーマンスの陰に自分だけのホントウという瑣末さを掘り返すステージが溢れがち。まあ、詩のボクシングは”詩に限らない”と主催者は繰り返してはいた。
にしてもだ、最後にジャッジの一人が判定の基準に「面白くないといけない」と言ったときには驚いた。確かに面白い言葉もあるだろうが、視聴率優先の報道局の意見でしかあるまい。それでもここまでは、あり。個人的な私的な意見と見解だから。問題はジャッジがさらに述べたこと。
「だがそれだけだとまずい、そんな人たちばかり集るといけないので、少し詩の要素が必要だと思い・・・云々」。
すぐ主催者は否定した、が、遅いと思いますよ。



文化センターTOM 
上湧別にある文化センターTOMの周辺には面白いものが並んでいる。
このセンターの前庭にはフローティング・グラニットボールという御影石。このまん丸の石が、下方からの水の力で押し上げて浮かせている。それがゆっくりと回るものだから楽しい。



フローティング・グラニットボール

中にはいると漫画美術館がある。モンキーパンチ、いがらしゆみこ、それに一般公募された作品。この公募作品が町のいたるところ、バス路線に飾られている。するめが焼かれながら逆上がりしている姿とか・・・。


漫画美術館

近くには道の駅、チューリップの湯。あまり温泉付きの道の駅はないと思うがどうだろう。上湧別のチューリップは今まさに満開。



和食の風景2006 セラミックアートセンター
札幌近郊の陶芸家たちによる〜春を感じ、楽しむ器〜触れて楽しむ創作食器展が開催中。
愛澤光司の中鉢「さくら」、ゆのみの「ふきのとう」は形をそのまま器にしてしまった。倉本悦子「た・ま・ご」見て楽しい、掛け軸にもできそうな食器作りというのが笑える。



馬渡新平の徳利、盃、足付長皿の三点セットは本当にぐい飲みのために作られている。ああ、お酒が・・・。水林瑞絵の一連の作品は「芽吹き」「ひらひらと」「桜並木」まるで子供の落書き、楽しさ満開! 
斎田英代の「石型」が一番好きだった。なにせ石ころにしかみえない、しかし蓋が開く。びっくり箱の面白さ、洗うには大変?




江別市セラミックアートセンター    江別市西野幌114-5 tel.011-385-1004
「和食の風景2006」は5月28日まで

http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/ceramic/



詩のボクシング北海道予選会 札幌かでる2・7
札幌会場は男性4名、女性11名の11名が参加。TVクルーが3組。
いつものことだが、トップバッターは緊張してなかなか声がでない。大会総責任者の楠かつのり氏が「声の強弱だけではなく、また目が紙に縛られすぎるのはやめた方がいい」「自分独りの読み方と、聞き手との間は異なるものでそこを考えるといい」などと、全員に激励をすることで、次第に参加者の声も伸びてくる。 ヤナギヌマ氏、イセヤ氏などはいい声をしている。安部行人氏の顔もみえた。


SATUKI・K氏

詩人会議ふぶきの早出光作氏が、朗読後に緊張の中に見せる一瞬の動きの捕らまえ方について。SATUKI・K氏は、指を開き一本一本に思いを伝え、熱中していく自分との格闘。さらに飛び入り参加の砂山茴氏が台本なしで「アトムの夢」をみごとに自分として語っていた。
タカジョウ氏は発情した猫の話で、本当にそれだけでも3分間に飽きがこない。イマオカ氏の動きについては、パフォーマンスによるということは解釈をあえて見せること、この演劇性と動かないで、説明のないイメージの広がりをもたらす朗読の差異について。
札幌予選会の最大の収穫は、中学3年生のフヅキユミ氏であろう、誰に向けている言葉でもないのだが、実に身の丈の言葉による独唱は見事。路上パフォーマンスもしているとのこと。



ヨーロッパ近代彫刻 札幌芸術の森美術館
札幌芸術の森美術館のコレクション選として、ヨーロッパ近代彫刻の19世紀から20世紀の作品11体を展示している。美術館の入り口、右側ホールにて。
いずれも小振りのものではあるが、オーギュスト・ロダン「眠れる女(裸婦)」、エドガー・ドガ「肩ひもを直す踊り子」。ロダンの助手を務めていたシャルル・デイビス「リュシアン・リエーヴル」のブロンズは仮面の内側を覗き込める。入り口には作品解説も置かれている。入場は無料、5月28日まで。



こちらは国立西洋美術館前庭のロダン「地獄の門」




関口雄揮記念美術館 
2006年の今月開館したばかりの関口雄揮記念美術館へ、コンビニで手にしたカタログに載っていた「早春の道」を見に行ってきた。
「早春の道」・・・暗い、というのが第一印象。奥に隠れているものにも光はない。つまりこれはそのまま北海道という自然である。春だから、桜ということにはならない白い春である。
「岬」しろい波しぶきが冬を予感させる、海辺の舟着き小屋。「彩」秋の紅葉の季節を描けば道央は二種類の、赤くなるもの黄色くなるものが、とり混ざっているからそうなるのだろう。「樹間」樹と樹の間の木漏れ日というのはあまり見ない、こうした構図はひどく面白い。
「陽」は、しろい太陽であり、暖かさというよりは冷たさを感じさせる。館長によるとこれは夏だそうで、すごく正しい気がする。



芸術の森美術館から吊橋を渡っていける

関口雄揮は埼玉生まれ。どの作品も全体に北海道をテーマにしたものは暗い。雪の重さ、冷たい夏の境で潰れていく。そしてそれは正しい。もう一度見てみると、見慣れた暗さの中で明度が上がる感じがする。だから「野火」の炎の形、見えない内側の形が異様に強い心を受ける。
日本画であり、装飾的な描き方を特徴とする。色よりも形の画家。 この人のパリ留学時代の作品では「路地」がいい。暗い狭間の人影がいい。そして作品では「雷」がもっとも印象的であった。月が降りてきたのかと思ったから。

関口雄揮記念美術館  札幌市南区常盤3条1丁目 tel.fax.011-593-5050
           入場料 一般1000円 (月曜・年末年始休館)




春の詩祭 時計台ホール
今回の朗読はワ・イウエオ順。トップは渡辺宗子氏「獰猛な噴水」なんとも生き生きした水の動きを予感させるタイトル。谷内田ゆかり氏「たんぽぽのうた」を高いトーンの声に響かせる。増谷佳子氏「手紙」には誇らしげに咲くハナミズキ、鳥に啄ばまれ運ばれていく旅先のこと。
橋本征子氏「缶詰」父の治療室に現れた痩せ細った患者がつるりつるりと飲みこむ桃の缶詰、金属製の骨壷に入っているのは病の兄か、飲み込まれたのは胎児の私か。独特の面白さが漂う。佐藤孝氏「イナバウア」”でたぁ”と思わせるのはタイトルのよさ、 金メダルの実演はすでに佐藤家の猫たちが演技していたことが発覚しました。
斉藤征義氏「メヒシバの川」切り刻まれた子供たちが、悲しみに発酵し、川を緑に発酵させていく。こしばきこう氏「声」・・・夜中に耳をたてては駄目だ、よけいな声まで拾うから・・・ただ、このフレーズを二人の女性の身体にのせる。


朗読 嘉藤師穂子氏

嘉藤師穂子氏「エトピリカ」はるかな北の国の月の明るさに、雪のうえに描くもの。加藤茶津美氏「どこからでも出発できる朝のために」別れは出会いに繋がると固く信じる心、春先にわたしもあなたのそばから飛びたいのだ、と。石畑由紀子氏「(幾つもの)ある午後」忘れていたことを思い出す、繰り返しの、午後にクリムトと供にいる、緑の風になる午後に。
代表/ 原子修、朗読は浅田隆 石井眞弓 伊藤美佳 大貫喜也 竹津健太郎 笹原実穂子 増谷佳子 横平喜美子 若宮明彦の各氏。村田譲は作品「青い十字架」を発表。



デ・キリコ展 大丸札幌店
ジョルジュ・デ・キリコは形而上絵画というジャンルということだが、この名称”古い””難解”という代名詞に感じる。
「夏の夢」難解というよりシンプルな構成。力強さとかはない。平坦で虚無的な平滑さが全体のイメージ。 ところで、代表作とも言われる「橋の上の戦い」や「エブドメロスの帰還」などに見られる室内に流れる川や海。心象ということなのだろうが・ここだけが、水が、妙に生き生きしている。
敢えて画面からはみ出していく「少女の顔」の少女の右下へと落ちる視線。辺りに漂う煙のようなもわっとした生物の残像。




「大きな吟遊詩人」(ブロンズ、銀鍍金)の彫刻は腕も口もない。心臓に三角定規みたいなものが刺さる、左の肩や尻にも。また、一連の「不安を与えるミューズたち」はなぜ仮面なのか。「仮面」という作品もあったが、空洞の顔であった。確かこの当時マネキンが流行ったはずだが、意味合いは忘れました。 「ふさぎ込んだ太陽と形而上的室内」のコンセントに繋がるコードが笑える。

大丸札幌店7階ホール
4月10日まで 一般:900円




日本の現代住宅 II ギャラリー間
「日本の現代住宅」は建築家や編集者が1985年から20年の間に建てられた住宅123棟を選び、全国の大学生が模型としたものを展示したものである。そのなかでもわたしのお気に入りの作品を御紹介。



開拓者の家



隅のトンガリ

選考委員の一人東京大学助教授の千葉学氏は「住宅はもはや家族の城ではない。個人へと解体した家族が一緒に暮らすとはどういうことかを見直すきっかけを住宅建築は提示してきた」と述べている。(朝日新聞2.10夕刊掲載)



VILLA MAN-BOW






日本の現代住宅 ギャラリー間
TOTOといえば住宅設備メーカー。このTOTO運営の「ギャラリー間」で狭くて仕方のない国土に生み出された数々の住宅の模型展が開催されていた。
まずは「開拓者の家」・・・球体の外観。舐めくさってるよ〜。なんでこんな名前だ、開拓当初に制約の多い球面はちょっと難しいだろ。次いで「タンポポハウス」真面目にやれよぉ、なんで屋根にタンポポ植えんだよ。



タンポポハウス

かと思えば「トラス・ウォール・ハウス」どうみても恐竜の頭じゃん。 全く遊ぶということなんだろうか。住むって遊ぶ? タイトル「高過庵」どうして木の上みたいなところに住むんだよ〜ぉ、孤高の位置?だから”庵”って、ちょっとまて。



高過庵

「隅のトンガリ」は絶対に設計ミスだって、認めたらどぉ。 「VILLA MAN-BOW」なんて、石油タンクにしかみえないし。「屋根の家」階段登ると屋根?おまえ北海道来い、雪の中に埋めてやるから。
いや〜、本当に面白い。発想がそのまま実物になる、いいなあ。

ギャラリー間(港区南青山1-24-3) 尚、日本の現代住宅展は2月で終了
(東京メトロ千代田線で乃木坂下車、出口3・目の前・TOTO乃木坂ビル3F)




小樽詩話会札幌例会 八軒会館 2006.03.05
「小樽詩話会42周年記念号」の合評会。取り上げられたのは札幌近郊の同人参加者作品。 まずは坂本孝一作品「五月は音がいっぱい」について。小樽の地名による接近、に関わらず、居酒屋に並ぶ食材表現の抽象性とのギャップが指摘されていた。
田中聖海作品「蠍座」、注釈の”バーチメント”(19世紀の修道僧の本の表紙としてのクラフト)が鍵となったと思う。注釈は注釈でしかないのだが、具体的なためにか、バーチメントと星座という読み方に傾いていく。わたしは19世紀の船乗りと読んだ。
金上由紀作品「鳥の巣」は今回もっとも評価が高かった。鳥の巣という産室、住み暮らした亡き母の遺品がかたちづくる巣材が綺麗にマッチしている。 佐藤由佳子作品「遠い日」は、各連の最初とタイトルが同じ言葉で重なる、その効果と必要性に関して。



竹内俊一作品「花爽々」。レクイエムであるのははっきりしている。また”今年の”と第一行目にある。が最終行の姫ゆりという言葉の強さ、最近の曲名爽々をもじった(?)これは沖縄戦のことなのか、という話になる。言葉の選択、そのコトバのイメージによる限定の危険性。 工藤裕子作品「余され物」については、タイトルがやはり議論の中心。読み手は自分の子供時代に絡むものは絡める、これは致し方ない。その内容との温度差。
村田譲作品「座像の背中」も注釈の話が主となった。身近な話題が内容を上回り議論にならない。そしてアンダーパス工事と創成川の完成者となると、社会的な作品と読まれるようだ。その場合、時間の経過が作品の決めてであるという意見が多数。また朗読についてはおどろおどろしく合わないという意見と、バラード調で聞くほうがいい、と分かれた。
全体としてはタイトルの重要性と注釈の置き方に細心の注意が必要ということ。
ところで、ムラタらしくない作品だといった”らしさ”は合評にならない。また、作者からの一言が作品への”付け足し”なら不要である。活字はすでに独立して存在しているのだから。



アートと話す/アートを話す 東京オペラシティ・アートギャラリー
本展は「ダイムラー・クライスラー・アート・コレクション」である。伝統に囚われず、新しい表現を探していく。コンテンポラリーアート(現代美術)は難しいと言われている。そこでバウハウスからはじめて、現代への至る道筋をさがしてみようという企画。第1室では色・形・空間、2室では素材と技法、3室ではコンセプト(概念)をそれぞれ表示し、その後第4室で”アートと社会”と題して現代アートの価値を問う。
カースティン・モッシャー「カーメン」1〜4まで、ビデオ作品。オモチャの兵士が自動車の形の盾や自動車の迷彩(?)模型をかぶり匍匐前進する。一見すると笑いそうになるが、最も現代である”車”に偽装しつつ雪中の行軍と転落。焚き火の中への突撃、さらには走行している本物の車道の横断へ。なんとも言われぬ悲しさが付きまとう。




ゲロルト・ミラー「ハード:エッジド29」は、3Mにも及ぼうかという莫迦くさく大きなフレーム。どんな名刺であろうか。
イアン・アニュル、「箱の中から」はタイトルに従い、斜めに壊れつつあるダンボールに包まっているのは一台のTV。写されている映像はゴミ捨て場に転がる赤ん坊。子守なのか、わずかに年長の男の子がダンボールに隠れたり、飛び出したりしていて。それはモニターなんだが、段々と子供を放置して歩く大人に腹立たしさを感じてきたり、混乱する。
バーニ・サール「スノー・ホワイト」コトバが遊ばれている、映像が錯覚を作るのか。そこに座るものは何故? 降り続けるものはなんなのだ? なんのために腕はあるのか!
全体にビデオ作品が多く時間がかかる。が、ローマン・ジグネール「帽子」などは、わざわざ帽子を取るための奇抜な仕掛けを自ら作る。可笑しくて危険な忠告。

東京オペラシティ(新宿区西新宿3-20-2)にて3月26日まで・入場料一般1000円
http://www.operacity.jp/ag/


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