ポーラ美術館の初の巡回展が東京渋谷のBukamuraで26日まで開催中。モネ、ルノワール、セザンネなどが箱根の美術館まで行かなくても見られる。 ピエール=オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」は見たということで満足してきました。「水浴の女」の異様に白い肌が気になった。しかし割合に薄い塗りです。 レースの帽子の少女 一番気に入ったのはクロード・モネの作品群だなあ、「アルジャントゥイユの花咲く堤」は珍しく写真調。「グラジオラス」2点あるがいずれもその背の伸びやかさ、花びらの色合い。「ルーアン大聖堂」は夕刻の光のみで描ききっている、これはすごい。「睡蓮」接近してよくみると油絵の具のこてこて、色とはなんだろう。そう思ってると、ポール・シニャック「プリシンゲン湾」は点描で描かれる。水面と空気が一体化していく。 フィンセント・ファン・ゴッホの「草むら」。これは本当にただの草なんだが、一本ごとにひどく迫力がある。生命感に満ち満ちている。 オディロン・ルドン「日本風の花瓶」ありえない縁取りと色使いが面白い。ニッポンというだけでこの配色。 http://www.bunkamura.co.jp Bunkamura (渋谷東急本店裏) http://www.polamuseum.or.jp ポーラ美術館 |
北海道詩人協会主催。自作詩朗読では、帯広の松浦裕子氏。独特のアクセントのある作品、捧げ持つあなたの首に向かい、早々とわたしのものになるな、と警告する。同じく十勝から小林小夜子氏が参加、内なる闇の病理とゲーム。 渡会やよい氏の「雪の日」、見たのかと問いかけられて、暗い穴の中に落とし込んでしまった知らぬ声に、見なかったと応える雪の日。ほぼ完全に自分の声質を熟知している、朗読の一極であろう。 山下正徳氏は短詩でイマジネーションの世界を披露。存在するのはイヴとイヴ、鮮血のナイフは背中に伸びた角のカタチ。嘉藤師穂子氏、鈴を打ち鳴らしての20世紀初頭の馬追いの姿と事件。新妻博氏は短詩を。言葉とコトバの重なりの楽しさ。旅立ちと回帰をうたった「レター」。 石畑由紀子氏の声質はややもすると、か細い印象に落ち込む脆さがあるが、まとめあげることで屹立した声が産まれた「雨まみれの街」。 森れい氏「螺鈿(らでん)」は彫金を扱うものの世界、薄い貝の殻をピンセットで持ち上げて嵌めこんでいく。銀のうえに重ねていくのは自分の爪か、どちらが嵌めこまれていくものなのか、誰も触れることを許さない。原子修氏は、詩人の木、覚悟のうえにある極光。落ち着きと安定の、強い朗読。 朗読 櫻井良子氏 櫻井良子氏の震えの朗読は”呪”。怨に絡まる女の系譜は、それでも絡まることなく刺されつづける黒い髪で作られた針枕にかくれる刺すものの光。零れる迫力のうえにある。 ムラタは大友亀太郎の移設した彫像「座像の背中」を朗読。 一分間スピーチでは佐藤孝氏が楽しい結末を。合評会での西岡まゆみ氏作品「放物線上の動点P」、抽象語の扱いにややのクレームがあるが、双曲線のアーチを持ち込んでいて楽しい。 |
今年も開催されたさっぽろ雪祭り。 大通り会場とすすきの会場に足を運びました。今回は説明なしで、雪像と氷像をお見せします。 大雪像 ナルニア国物語第1章・ライオンと魔女 / 大通り4丁目 氷像 青龍 / すすきの会場 大氷像 ロイヤル・エキシビション・ビル(メルボルン) / 大通り5丁目 小雪像はブログでも公開しています。さっぽろ雪祭りは2月12日まで |
言葉をメインとするイベントが増えている、しかしわたしの知る詩だけではなく。 まずは、チQ氏の朗読から。偶然の音、子供とのyaiの”出会い”から”アイ”を求めて走る。I・相・会い・愛・逢い・アぃぁイあイアィ、あい。ステージをステージと思わないで会場全体を探し回る。 二番手のイノクニヒコ氏は、ニワトリの夢を食い散らす悪夢。飛べない翼の、狭い鳥小屋。むさぼるぼくらのケンタッキー。迫力のギター。 司会を務めた、きっこ氏の自作詩朗読。「平和への願い」を込めて、ありがとうの言葉の花束で包みあげる。戦いを繰り返さないための意思を短い言葉のなかに託していく。 カネタタカヒロ氏はギターで”ドントハアイン”の歌唱、伸びやかに声を出す。 S−GUY氏にMCマツシマ氏が合流、簡単の言葉から次の言葉へのステップ。半端でしかありえない自分の礎を日常の生活を自身の足から、ラップを踏む。 小田夏子氏は靴を脱ぎ床の冷たさの上で、歌を歌う。落ち着いた声質でやや鼻にかかるが、低音の伸びが美しい。 ボッチ氏 ボッチ氏はここの店長さん。朗読は無し、なにも表現するもののない自分を、スッピンで立つ。今、表現した人たちと同じステージに自分が立つということ、日日の学びの中で、ここという現場に立ち会えたという喜びを、ともに笑いたい、と。 山田拓司氏は今回の主宰者。お前というクソ野朗への殺・泣・嘆をストレートに。 ラストは、たかはまいし氏。音源を組み合わせぼそぼそと語る。仕事中のうつらとした一瞬の夢の秒の隙間に閉じたもの。なにかある、天体のまるい、世界の内側の、あるはずのなにか。 村田は「ダイビング」「今宵あなたは」を朗読。 今回のステージでボッチ氏の”表明”こそが、私たちの根幹なのであると気付く。これは”遊幻道詩”でしか造られることのない場。これは誇っていい。よくここへいらっしゃいました。 |
2006年度ボッセの会新年会は一分間スピーチになんとか間に合った。 増谷佳子氏は今年の「北海道詩集」の詩誌展望を執筆。伊藤美佳氏は詩集を上梓。佐藤孝氏は詰め将棋の本を出したところ問合せが多いとか。フランス文学者である橋本征子氏は詩賞を受賞された旨と、詩人フラッシュ・ポンジュのこと。映画人となった観もある斉藤征義氏「田んぼdeミュージカル」はいまだに好調で各所で上映が続いているようだ。竹津健太郎氏から前回の2005秋の詩祭の朗読の様子を収めたDVDを頂戴した、また御本人は小説の賞を受賞し、二束のわらじで構えるとのこと。 会員それぞれに様々な活動を報告していた。そのなかで、こしばきこう氏より春・秋の詩祭のグレードアップと広く表現者との交流をも含め「ポエム・ステージ」の提案がなされた。 主宰者・原子修氏 代表はボッセの会の主宰者である原子修氏。ディレクターにこしば氏の布陣。内容としては”アートとしての現代詩の発見”との副題がついている。新しい表現の発掘方法として、詩に限らず音楽、書、ダンスにいたるまで「言葉」と「身体」をかけてのアート・パフォーマンスの場の設置である。ボッセの会員に限らず広く募集、参加を呼びかける。 当日の参加者は、石井真弓、福島瑞穂、笹原実穂子、加藤茶津美、小山巌、大貫喜也、谷崎眞澄の各氏。担当幹事は横平喜美子と浅田隆の両氏であった。 |
所属する詩誌「饗宴」1月1日冬季号がようやく発刊。秋号が出ていないので半年振りになる。 今回は”海外詩特集”ロッテ・クラマー(イギリス)木村淳子訳、ジェイムス・スカイラー(アメリカ)とアル・パーディ(カナダ)松田寿一訳、アメーリア・ロッセッリ(イタリア)工藤知子訳と充実。ひょっとして本体の方より作品が多くないかぁ? とはいっても、自作詩には9氏が参加しており新妻博氏は短詩をこのところ常に四編。嘉藤師穂子氏は”かみすながわ---不思議ふしぎの二条通り”が18まできた。山内みゆき氏は久方振りの「饗宴」参加。塩田涼子氏の作品には”1”の番号、連続物か。村田は作品「凍てつく彫像」を掲載した。 また先日、中国の大連外国語大学の羅興典氏より、昨年の「饗宴」冬季号から塩田氏と木村氏の作品を「日語知識」に中国語訳で紹介した旨の連絡を頂戴している。自作詩が国外で訳される、というのは逆の意味ですごいことです。 ところで次号締切3月20日(夏季号)ということは、春号なしだな、これは・・・。 |
松山敏「ハワイから謹賀新年」。
ハワイで写した写真をCG合成していく、最大5Mの作品は迫力もの。 もちろん、でかいだけに細かく見るには合成部分とか(印刷関係者なら)すぐわかるが、にしてもこの色調というのは面白い。 ”NA PALI COAST SUN DOWN”の空の、燃えるような雲。 ”THE RAIN COMES AT THE END OF KO`OLAU RANGE TOP”の三本の虹は印象的、三本の虹自体は本当に見られることもあるようだ。デジタルというとこのあたりのリアリティが失われるのが問題か? 新春企画としては楽しい。 1月9日まで 札幌西武地下2F催事場 山野楽器の新春中古レコード&CDバーゲンも同一フロアで開催中 |
"阿"とひらき はじまりの形で 待ちつづける もう一方の高麗の狗を 2006.1.1. |
マリリン・モンローのネックレス、タランチュラのブローチ、カリブ海のピンクガイの楕円の桃色真珠など、世界中からよりすぐった50万粒の真珠が並ぶ。ニューヨークとシカゴの博物館が共同で企画した世界巡回展が日本で開催中。ミキモトの”日本の真珠”も同時に展示されている。 「神々の涙」と称され古くより人々を魅了してきたという真珠の輝き。その日本最古といわれるのは福島県の鳥浜貝塚から1981年の出土品。約5500年前のカラスガイによりものといわれる。"真珠の特有の結晶の成長が・・・"という説明文がないと分からない、10mm程度のぐだぐだのダンゴ状の形。 岩手県の岩谷洞穴からの出土品は直径3mmくらいしかないが、楕円形の真珠に穿孔の後があり、飾りとして使われていたと推測される。 また、薬用として用いられてもおり「真珠丸」は幕末の頃は解熱剤として、さらにはオランダの薬剤も加味していった。「真珠膏」は布包みを水に浸し目薬として点眼していた。もともとは生物からの贈り物の宝石、ジオラマも面白いが、薬としてというのも楽しい。 と き:2006年1月22日(日)まで ところ:国立科学博物館 特別展会場 (東京都台東区上野公園7-20) 入場料:一般・大学生:1300円、小・中・高校生:600円 http://www.tbs.co.jp/pearlten/ |
朗読はもちろんダンス、ラップ、演劇。なにか分からないものもあり、それだけ豊かともいえるし、表現の勘違いもありそうだけど、面白いことははっきりした。 佐藤礼旺氏の渋い、真直ぐな朗読からスタート。次いで安部行人氏は、貨物列車だけが横たわり、鉄骨の時刻表が錆びれていく無人の駅舎を。いずれ時間をも錆びさせていくのだろうと、太く強い声、重たい燃え尽きた灰を捕えていく。 緒方奈津美氏、矛盾の中での身体性。語りに間をとることで、命の、生死のなかに漂う苦しみをうたう。きっこ氏は”追悼”の2編を披露。はかなさを引き摺った影へ、雲の上へ届けるつぶやく声。そして反乱の内側にこめた感謝の念を、震える声でうずくまる様にして受け渡す。KIE氏のラップは、日常に転がる石であるとか、風であるとか、自身に注ぐ真実への目の探究者として音を踏む。 安部行人氏 爽快少女と人魚サーカスは迫力だね。総勢十数名がすばらしくインチキくさいノリで、まさにサーカスの前触れを告げて練り歩くことで、チープな勲章となっていく。nnixi(ニクチイ)の二人は、タイトルと内容の同一化で5分の間に30の曲目を披露しまくり。持ってきた黒糖ロールを探して喜劇さながら、最後には舞台から下り、黒糖ロールを聴衆に配り始めてそのまま退場。 川尻恵太氏は”絵馬”の話・・・収集の成果を。わたしのお気に入りは「ウルトラマンになって殺す」。鈴木謙彰×佐藤舞、舞台に鏡、照明灯まで用意して、部屋のムードを指す。逃走・と映ったが。 ANDは、女性への告白をヒヤカシのなかでストーリーにしていった。モテない群は橋崎智明氏による無言劇。性、暴力、スカトロ・衝動の連結。膝から血を流しての熱演。 Ree氏 ラストは”WORDS...”の主催者であるRee氏。横たわりながら立ち上げる言葉。映像が渦巻く、その下に膝を抱えて。闇が逃げる、スクリーンを追いかけて。捩れていく残像のカタチ。 コンテンポラリーダンスほか、いくつかは朗読準備とアルコール摂取のため見られなかった。今回目立ったのは、舞台が舞台として機能させずに、舞台を観客席と同じである表現、これもあり。 ムラタは作品「共鳴館」「息吹」を朗読。 WORDS...http://blog.livedoor.jp/webwords/ |
キアロスクーロ(ルネッサンスとバロックの多色木版画)が開催。「キアロスクーロ」とはイタリア語で「明暗」を意味する。 16世紀初めにドイツで同系色の版を重ねる版画手法として広まり、ルネサンス美術のイタリアまで及び発展し、遠近法に並ぶものとして確立した。微妙な明暗や立体感を表現することに成功して、キアロスクーロ木版画はベルギーとオランダをはじめヨーロッパ各地に広まった。 美術館では多色に刷っていく行程も展示され見ることができ、一枚ごと完成に進む様がすばらしい。その一面、時間とは忍耐でもあろう。習得技法の難しさにより17世紀には凋落傾向となった。しかしコレクターには高い評価を得ていた。 同時に「ピラネージのまなざし」とのタイトルでジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの版画企画展が併設されており、ローマの景観など40点が展示。こちらの版画はその細かさ、精緻さに驚く。 キアロスクーロの柔らかな面とピラネージの建築物の線を対比して見られるのも楽しい。 と き:12月11日(日)まで ところ:国立西洋美術館 (東京都台東区上野公園7番7号) 入場料:一般 850円 キアロスクーロ ・ 420円 ピラネージのまなざし http://www.nmwa.go.jp/index-j.html |
屋久杉に会いに行く機会を得た、実際には半日ないなかで。それでも飛行場から降りると椰子の木が生えている、異国である。 一日に25時間雨が降るといわれる屋久島であるが、日頃の行い悪く晴天だった(雨だといわれているところは雨の時に行きたいのだ)。思った以上に整備されていて、登山でもするのでなければ普段着姿で問題ない。見て回ったのは千尋(せんじょう)の滝と紀元杉。 屋久島 海面から飛びぬけた島の、急激にそそり立つ山並みはその斜度に圧倒される。それだけに滝が多いのも特徴であろう。 千尋の滝は、側面の広さが美しい。正面だけの水の落ち方ではない。増水しているときならば、もっと滝としてはいいのだろう。 千尋の滝 ニホンザルに何回か出会いながら(猿2万匹、鹿2万頭、人間1万6千とのこと)ヤクスギランドとかいう中継地点を過ぎて、紀元杉まで行く。樹齢3000年という杉はえらく低い。強風のために高くはなれないらしい。その分、幹の厚みということか。蔦だの枝分かれだので絡みつく重さ、もっともここに残る樹齢の高い樹は江戸時代に材木としては使えなかったものということでもある。 遺産ということは、けっして効率性ではないのだと改めて思う。 紀元杉 |
常識に捕らわれることのない、もしくはその知識を必要としない「加工されていない、生の芸術」のこと。1945年フランスの画家ジャン・デュヴュッフェが命名した。 20世紀初頭「精神病者の芸術」と言われていた精神科医のコレクション。それをジャン・デュヴュッフェは、芸術のメカニズムは”正常といわれる人”と”多かれ少なかれ頭に鈴を付けている人”に差はなく、過度の緊張と熱によって成り立つ「芸術行為」は決してノーマルではない、と明言したのである・・・芸術に対するこの言い方がどれだけ正しいかは、疑問だが、狂気を純粋に捕えるのは(全体を関連性重視でみる、または個に対するルーズさとか)割りと日本的には簡単か、とも思うが? とにかく一見の価値は高い。ヴィクトリア・サルデューの迷いのないシンプルな線。それに対するエミール・ヨゾム・オディレスの荒い線とひどいバランスの中にある狙いの明確さ。 坂元郁代の刺繍は、厚みが10mm近くなり、ほとんどエンブレム以上の立体性。松本国三のカレンダーへの書き込みは出鱈目だが、左中央と右隅へのこだわりによる集中。 パスカルニデジル・メソヌーブは貝殻で人の顔を作る。フランシスの箱やノートへの貝殻、金属片の貼りこみと書き込み。ただの遊びとしか思えないもの、遊びと伸びやかさの差はそれこそなんだろう。 表現主義、シュールレアリズムの前衛画家が絶賛した作品群。 生の芸術「アール・ブリュット」展は11月27日迄(入場無料) ハウス・オブ・シセイドウ / 東京都中央区銀座8-8-3 http://www.shiseido.co.jp/house-of-shiseido/
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