空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '05.10月〜'06.2月


印象派コレクション展
第29回「詩人の広場」
第57回さっぽろ雪祭り
遊幻道詩
ボッセの会新年会
詩誌「饗宴」vol.45
アコースチィック・デジタルアート
謹賀新春2006
「パール」展 
WORDS...vol 2
キアロスクーロ 
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世界遺産 屋久島
生の芸術「アール・ブリュット」展
北の朗読者30 佐藤孝
サイエンス・カフェ札幌
コトバで遊ぶ@黒豆
北の朗読者29 竹津健太郎
2005 秋の詩祭
造形集団・海洋堂の軌跡
bauhaus 2005
音江環状列石




印象派コレクション展 Bunkamura ザ・ミュージアム
ポーラ美術館の初の巡回展が東京渋谷のBukamuraで26日まで開催中。モネ、ルノワール、セザンネなどが箱根の美術館まで行かなくても見られる。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」は見たということで満足してきました。「水浴の女」の異様に白い肌が気になった。しかし割合に薄い塗りです。


レースの帽子の少女

一番気に入ったのはクロード・モネの作品群だなあ、「アルジャントゥイユの花咲く堤」は珍しく写真調。「グラジオラス」2点あるがいずれもその背の伸びやかさ、花びらの色合い。「ルーアン大聖堂」は夕刻の光のみで描ききっている、これはすごい。「睡蓮」接近してよくみると油絵の具のこてこて、色とはなんだろう。そう思ってると、ポール・シニャック「プリシンゲン湾」は点描で描かれる。水面と空気が一体化していく。
フィンセント・ファン・ゴッホの「草むら」。これは本当にただの草なんだが、一本ごとにひどく迫力がある。生命感に満ち満ちている。
オディロン・ルドン「日本風の花瓶」ありえない縁取りと色使いが面白い。ニッポンというだけでこの配色。

http://www.bunkamura.co.jp Bunkamura (渋谷東急本店裏)
http://www.polamuseum.or.jp ポーラ美術館



第29回「詩人の広場」 札幌市教育文化会館
北海道詩人協会主催。自作詩朗読では、帯広の松浦裕子氏。独特のアクセントのある作品、捧げ持つあなたの首に向かい、早々とわたしのものになるな、と警告する。同じく十勝から小林小夜子氏が参加、内なる闇の病理とゲーム。
渡会やよい氏の「雪の日」、見たのかと問いかけられて、暗い穴の中に落とし込んでしまった知らぬ声に、見なかったと応える雪の日。ほぼ完全に自分の声質を熟知している、朗読の一極であろう。
山下正徳氏は短詩でイマジネーションの世界を披露。存在するのはイヴとイヴ、鮮血のナイフは背中に伸びた角のカタチ。嘉藤師穂子氏、鈴を打ち鳴らしての20世紀初頭の馬追いの姿と事件。新妻博氏は短詩を。言葉とコトバの重なりの楽しさ。旅立ちと回帰をうたった「レター」。
石畑由紀子氏の声質はややもすると、か細い印象に落ち込む脆さがあるが、まとめあげることで屹立した声が産まれた「雨まみれの街」。 森れい氏「螺鈿(らでん)」は彫金を扱うものの世界、薄い貝の殻をピンセットで持ち上げて嵌めこんでいく。銀のうえに重ねていくのは自分の爪か、どちらが嵌めこまれていくものなのか、誰も触れることを許さない。原子修氏は、詩人の木、覚悟のうえにある極光。落ち着きと安定の、強い朗読。



朗読 櫻井良子氏

櫻井良子氏の震えの朗読は”呪”。怨に絡まる女の系譜は、それでも絡まることなく刺されつづける黒い髪で作られた針枕にかくれる刺すものの光。零れる迫力のうえにある。
ムラタは大友亀太郎の移設した彫像「座像の背中」を朗読。
一分間スピーチでは佐藤孝氏が楽しい結末を。合評会での西岡まゆみ氏作品「放物線上の動点P」、抽象語の扱いにややのクレームがあるが、双曲線のアーチを持ち込んでいて楽しい。



第57回さっぽろ雪祭り 
今年も開催されたさっぽろ雪祭り。
大通り会場とすすきの会場に足を運びました。今回は説明なしで、雪像と氷像をお見せします。


大雪像 ナルニア国物語第1章・ライオンと魔女 / 大通り4丁目




氷像 青龍 / すすきの会場




大氷像 ロイヤル・エキシビション・ビル(メルボルン) / 大通り5丁目

小雪像はブログでも公開しています。さっぽろ雪祭りは2月12日まで



遊幻道詩 QUAD CAFE
言葉をメインとするイベントが増えている、しかしわたしの知る詩だけではなく。
まずは、チQ氏の朗読から。偶然の音、子供とのyaiの”出会い”から”アイ”を求めて走る。I・相・会い・愛・逢い・アぃぁイあイアィ、あい。ステージをステージと思わないで会場全体を探し回る。
二番手のイノクニヒコ氏は、ニワトリの夢を食い散らす悪夢。飛べない翼の、狭い鳥小屋。むさぼるぼくらのケンタッキー。迫力のギター。
司会を務めた、きっこ氏の自作詩朗読。「平和への願い」を込めて、ありがとうの言葉の花束で包みあげる。戦いを繰り返さないための意思を短い言葉のなかに託していく。
カネタタカヒロ氏はギターで”ドントハアイン”の歌唱、伸びやかに声を出す。
S−GUY氏にMCマツシマ氏が合流、簡単の言葉から次の言葉へのステップ。半端でしかありえない自分の礎を日常の生活を自身の足から、ラップを踏む。
小田夏子氏は靴を脱ぎ床の冷たさの上で、歌を歌う。落ち着いた声質でやや鼻にかかるが、低音の伸びが美しい。



ボッチ氏

ボッチ氏はここの店長さん。朗読は無し、なにも表現するもののない自分を、スッピンで立つ。今、表現した人たちと同じステージに自分が立つということ、日日の学びの中で、ここという現場に立ち会えたという喜びを、ともに笑いたい、と。
山田拓司氏は今回の主宰者。お前というクソ野朗への殺・泣・嘆をストレートに。
ラストは、たかはまいし氏。音源を組み合わせぼそぼそと語る。仕事中のうつらとした一瞬の夢の秒の隙間に閉じたもの。なにかある、天体のまるい、世界の内側の、あるはずのなにか。 村田は「ダイビング」「今宵あなたは」を朗読。
今回のステージでボッチ氏の”表明”こそが、私たちの根幹なのであると気付く。これは”遊幻道詩”でしか造られることのない場。これは誇っていい。よくここへいらっしゃいました。



ボッセの会新年会 チサンホテル
2006年度ボッセの会新年会は一分間スピーチになんとか間に合った。
増谷佳子氏は今年の「北海道詩集」の詩誌展望を執筆。伊藤美佳氏は詩集を上梓。佐藤孝氏は詰め将棋の本を出したところ問合せが多いとか。フランス文学者である橋本征子氏は詩賞を受賞された旨と、詩人フラッシュ・ポンジュのこと。映画人となった観もある斉藤征義氏「田んぼdeミュージカル」はいまだに好調で各所で上映が続いているようだ。竹津健太郎氏から前回の2005秋の詩祭の朗読の様子を収めたDVDを頂戴した、また御本人は小説の賞を受賞し、二束のわらじで構えるとのこと。
会員それぞれに様々な活動を報告していた。そのなかで、こしばきこう氏より春・秋の詩祭のグレードアップと広く表現者との交流をも含め「ポエム・ステージ」の提案がなされた。



主宰者・原子修氏

代表はボッセの会の主宰者である原子修氏。ディレクターにこしば氏の布陣。内容としては”アートとしての現代詩の発見”との副題がついている。新しい表現の発掘方法として、詩に限らず音楽、書、ダンスにいたるまで「言葉」と「身体」をかけてのアート・パフォーマンスの場の設置である。ボッセの会員に限らず広く募集、参加を呼びかける。
当日の参加者は、石井真弓、福島瑞穂、笹原実穂子、加藤茶津美、小山巌、大貫喜也、谷崎眞澄の各氏。担当幹事は横平喜美子と浅田隆の両氏であった。



詩誌「饗宴」vol.45 林檎屋
所属する詩誌「饗宴」1月1日冬季号がようやく発刊。秋号が出ていないので半年振りになる。
今回は”海外詩特集”ロッテ・クラマー(イギリス)木村淳子訳、ジェイムス・スカイラー(アメリカ)とアル・パーディ(カナダ)松田寿一訳、アメーリア・ロッセッリ(イタリア)工藤知子訳と充実。ひょっとして本体の方より作品が多くないかぁ?
とはいっても、自作詩には9氏が参加しており新妻博氏は短詩をこのところ常に四編。嘉藤師穂子氏は”かみすながわ---不思議ふしぎの二条通り”が18まできた。山内みゆき氏は久方振りの「饗宴」参加。塩田涼子氏の作品には”1”の番号、連続物か。村田は作品「凍てつく彫像」を掲載した。




また先日、中国の大連外国語大学の羅興典氏より、昨年の「饗宴」冬季号から塩田氏と木村氏の作品を「日語知識」に中国語訳で紹介した旨の連絡を頂戴している。自作詩が国外で訳される、というのは逆の意味ですごいことです。
ところで次号締切3月20日(夏季号)ということは、春号なしだな、これは・・・。



アコースチィック・デジタルアート 札幌西武地下催事場
松山敏「ハワイから謹賀新年」。 ハワイで写した写真をCG合成していく、最大5Mの作品は迫力もの。
もちろん、でかいだけに細かく見るには合成部分とか(印刷関係者なら)すぐわかるが、にしてもこの色調というのは面白い。
”NA PALI COAST SUN DOWN”の空の、燃えるような雲。
”THE RAIN COMES AT THE END OF KO`OLAU RANGE TOP”の三本の虹は印象的、三本の虹自体は本当に見られることもあるようだ。デジタルというとこのあたりのリアリティが失われるのが問題か? 新春企画としては楽しい。




1月9日まで
札幌西武地下2F催事場
山野楽器の新春中古レコード&CDバーゲンも同一フロアで開催中




謹賀新春2006 
                   "阿"とひらき
                   はじまりの形で
                   待ちつづける
                   もう一方の高麗の狗を




                           2006.1.1.



「 パール」展 国立科学博物館
マリリン・モンローのネックレス、タランチュラのブローチ、カリブ海のピンクガイの楕円の桃色真珠など、世界中からよりすぐった50万粒の真珠が並ぶ。ニューヨークとシカゴの博物館が共同で企画した世界巡回展が日本で開催中。ミキモトの”日本の真珠”も同時に展示されている。
「神々の涙」と称され古くより人々を魅了してきたという真珠の輝き。その日本最古といわれるのは福島県の鳥浜貝塚から1981年の出土品。約5500年前のカラスガイによりものといわれる。"真珠の特有の結晶の成長が・・・"という説明文がないと分からない、10mm程度のぐだぐだのダンゴ状の形。
岩手県の岩谷洞穴からの出土品は直径3mmくらいしかないが、楕円形の真珠に穿孔の後があり、飾りとして使われていたと推測される。
また、薬用として用いられてもおり「真珠丸」は幕末の頃は解熱剤として、さらにはオランダの薬剤も加味していった。「真珠膏」は布包みを水に浸し目薬として点眼していた。もともとは生物からの贈り物の宝石、ジオラマも面白いが、薬としてというのも楽しい。



と き:2006年1月22日(日)まで
ところ:国立科学博物館 特別展会場 (東京都台東区上野公園7-20)
入場料:一般・大学生:1300円、小・中・高校生:600円

http://www.tbs.co.jp/pearlten/



WORDS...vol 2 Bridge
朗読はもちろんダンス、ラップ、演劇。なにか分からないものもあり、それだけ豊かともいえるし、表現の勘違いもありそうだけど、面白いことははっきりした。
佐藤礼旺氏の渋い、真直ぐな朗読からスタート。次いで安部行人氏は、貨物列車だけが横たわり、鉄骨の時刻表が錆びれていく無人の駅舎を。いずれ時間をも錆びさせていくのだろうと、太く強い声、重たい燃え尽きた灰を捕えていく。
緒方奈津美氏、矛盾の中での身体性。語りに間をとることで、命の、生死のなかに漂う苦しみをうたう。きっこ氏は”追悼”の2編を披露。はかなさを引き摺った影へ、雲の上へ届けるつぶやく声。そして反乱の内側にこめた感謝の念を、震える声でうずくまる様にして受け渡す。KIE氏のラップは、日常に転がる石であるとか、風であるとか、自身に注ぐ真実への目の探究者として音を踏む。


安部行人氏

爽快少女と人魚サーカスは迫力だね。総勢十数名がすばらしくインチキくさいノリで、まさにサーカスの前触れを告げて練り歩くことで、チープな勲章となっていく。nnixi(ニクチイ)の二人は、タイトルと内容の同一化で5分の間に30の曲目を披露しまくり。持ってきた黒糖ロールを探して喜劇さながら、最後には舞台から下り、黒糖ロールを聴衆に配り始めてそのまま退場。
川尻恵太氏は”絵馬”の話・・・収集の成果を。わたしのお気に入りは「ウルトラマンになって殺す」。鈴木謙彰×佐藤舞、舞台に鏡、照明灯まで用意して、部屋のムードを指す。逃走・と映ったが。 ANDは、女性への告白をヒヤカシのなかでストーリーにしていった。モテない群は橋崎智明氏による無言劇。性、暴力、スカトロ・衝動の連結。膝から血を流しての熱演。


Ree氏

ラストは”WORDS...”の主催者であるRee氏。横たわりながら立ち上げる言葉。映像が渦巻く、その下に膝を抱えて。闇が逃げる、スクリーンを追いかけて。捩れていく残像のカタチ。
コンテンポラリーダンスほか、いくつかは朗読準備とアルコール摂取のため見られなかった。今回目立ったのは、舞台が舞台として機能させずに、舞台を観客席と同じである表現、これもあり。 ムラタは作品「共鳴館」「息吹」を朗読。

WORDS...http://blog.livedoor.jp/webwords/



キアロスクーロ  国立西洋美術館
キアロスクーロ(ルネッサンスとバロックの多色木版画)が開催。「キアロスクーロ」とはイタリア語で「明暗」を意味する。
16世紀初めにドイツで同系色の版を重ねる版画手法として広まり、ルネサンス美術のイタリアまで及び発展し、遠近法に並ぶものとして確立した。微妙な明暗や立体感を表現することに成功して、キアロスクーロ木版画はベルギーとオランダをはじめヨーロッパ各地に広まった。
美術館では多色に刷っていく行程も展示され見ることができ、一枚ごと完成に進む様がすばらしい。その一面、時間とは忍耐でもあろう。習得技法の難しさにより17世紀には凋落傾向となった。しかしコレクターには高い評価を得ていた。




同時に「ピラネージのまなざし」とのタイトルでジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの版画企画展が併設されており、ローマの景観など40点が展示。こちらの版画はその細かさ、精緻さに驚く。 キアロスクーロの柔らかな面とピラネージの建築物の線を対比して見られるのも楽しい。

と き:12月11日(日)まで
ところ:国立西洋美術館 (東京都台東区上野公園7番7号)
入場料:一般 850円 キアロスクーロ ・ 420円 ピラネージのまなざし

http://www.nmwa.go.jp/index-j.html



世界遺産 屋久島 
屋久杉に会いに行く機会を得た、実際には半日ないなかで。それでも飛行場から降りると椰子の木が生えている、異国である。
一日に25時間雨が降るといわれる屋久島であるが、日頃の行い悪く晴天だった(雨だといわれているところは雨の時に行きたいのだ)。思った以上に整備されていて、登山でもするのでなければ普段着姿で問題ない。見て回ったのは千尋(せんじょう)の滝と紀元杉。



屋久島

海面から飛びぬけた島の、急激にそそり立つ山並みはその斜度に圧倒される。それだけに滝が多いのも特徴であろう。
千尋の滝は、側面の広さが美しい。正面だけの水の落ち方ではない。増水しているときならば、もっと滝としてはいいのだろう。



千尋の滝

ニホンザルに何回か出会いながら(猿2万匹、鹿2万頭、人間1万6千とのこと)ヤクスギランドとかいう中継地点を過ぎて、紀元杉まで行く。樹齢3000年という杉はえらく低い。強風のために高くはなれないらしい。その分、幹の厚みということか。蔦だの枝分かれだので絡みつく重さ、もっともここに残る樹齢の高い樹は江戸時代に材木としては使えなかったものということでもある。 遺産ということは、けっして効率性ではないのだと改めて思う。



紀元杉




生の芸術「アール・ブリュット」展 ハウス・オブ・シセイドウ
常識に捕らわれることのない、もしくはその知識を必要としない「加工されていない、生の芸術」のこと。1945年フランスの画家ジャン・デュヴュッフェが命名した。
20世紀初頭「精神病者の芸術」と言われていた精神科医のコレクション。それをジャン・デュヴュッフェは、芸術のメカニズムは”正常といわれる人”と”多かれ少なかれ頭に鈴を付けている人”に差はなく、過度の緊張と熱によって成り立つ「芸術行為」は決してノーマルではない、と明言したのである・・・芸術に対するこの言い方がどれだけ正しいかは、疑問だが、狂気を純粋に捕えるのは(全体を関連性重視でみる、または個に対するルーズさとか)割りと日本的には簡単か、とも思うが?




とにかく一見の価値は高い。ヴィクトリア・サルデューの迷いのないシンプルな線。それに対するエミール・ヨゾム・オディレスの荒い線とひどいバランスの中にある狙いの明確さ。
坂元郁代の刺繍は、厚みが10mm近くなり、ほとんどエンブレム以上の立体性。松本国三のカレンダーへの書き込みは出鱈目だが、左中央と右隅へのこだわりによる集中。
パスカルニデジル・メソヌーブは貝殻で人の顔を作る。フランシスの箱やノートへの貝殻、金属片の貼りこみと書き込み。ただの遊びとしか思えないもの、遊びと伸びやかさの差はそれこそなんだろう。 表現主義、シュールレアリズムの前衛画家が絶賛した作品群。

生の芸術「アール・ブリュット」展は11月27日迄(入場無料)
ハウス・オブ・シセイドウ / 東京都中央区銀座8-8-3

http://www.shiseido.co.jp/house-of-shiseido/


北の朗読者 佐藤孝 時計台ホール
詩は何を表すのか、という問いは今更のように現れてはすぐに消失する。それにこの「詩とは何か」という問いは、書くものにしか意味がない。「詩とは、である」という定義は、部外者が詩を知るきっかけの言葉になる可能性はあろうかもしれないが、その外側には何もないだろう。 今回10月に開催された「秋の詩祭」での佐藤作品「敵前逃亡」をプログラムで見たときは(ひどくはっきり)また戦争物か・・・と思った。戦後生まれには、戦争の話を思い出として語られても、無理。教訓とする共通の土台もない。しかも、避けてきた希薄な言葉になってしまっている”戦争”ではあったが、全然違った。



朗読 佐藤孝氏

横断歩道を渡っている途中での赤信号、街路樹の中には黒い服着たカラスども。頭の上の帽子を攻撃して来る。逃げたくても信号は、なかなか変わらぬイライラの中、攻撃は激しさを増して・・・。交通戦争という言葉も古めかしいが、逃げたい、ここに居たくない、怖いから嫌ということは分かる。そのこと自体が「敵前逃亡」を形作る基本感情だ。ここに命令(赤信号)が加わわると、どうなるか! 概念の破壊、意味性の躊躇、現代の日常のなかで使われる語り。そうしたものを掘り起こすこと。まさに知るきっかけを渡されているのだ。



サイエンス・カフェ札幌 紀伊国屋札幌本店
飲み物片手に気軽な科学の話を聞こうという参加型イベント。
今回(11月11日)のテーマは「世界遺産と科学」。講師は北海道大学大学院工学研究科の池上重康助手。日本近代建築史の専門とのこと。世界各地の世界遺産を紹介するのだが、趣が異なる。紹介の中にドイツのフェルクリンゲン製鉄所やスェーデンのヴァルベイの無線通信所などがあるからだ。工場跡?これはいわゆる世界遺産と、イメージが違う気がする。しかしある文化圏での歴史の証拠、人類の交流の価値などによって、景観というだけではないものも登録されるのだという。
となると、日本では例えば、群馬県の旧官営富岡製糸場は日本の工業化の象徴で、かつその製品は世界に流通していた。あるいは長崎の軍艦島(端島)は石炭を掘り出すためだけに作られた、かなり特殊なものである。さらに開国を求められた港が長崎であった理由はすぐ近くに、軍船の燃料補給基地があることがそのこと。北海道では、空知地区の旧産炭地区が有望と思われる。




あとはそこに住む人の意識だという。存在の肯定と誇りが、遺産ということだ。遺産、改めてそのことを考えてきた。

毎月第2金曜18:00〜約1時間半ほど。参加費は無料。定員約100名。
12月9日(金):「サンタのふるさとの科学教育」
1月13日(金):「もしものときの科学〜地震津波防災について」

主催:北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット costep.hucc.hokudai.ac.jp/



コトバで遊ぶ@黒豆 黒豆
詩でも、演説でも、語る言葉であればよいとのイベント。
智氏が今回のトップで、挨拶を兼ねてのコトバを連ねる。FP氏はいきなりしりとりを聴衆に振って、途切れたところで終了。・・・遊んでるよなあ。上出氏は言葉の成り立ちを図解で説明し始める。”人”は二人が寄り添う形ではなく、一人で歩く姿を横から見たものである。正面から見ると”大”の字なのだそうだ。
今回のイベントは音楽系統の人が多い。ヤッチ、キエ、S-GUY氏らはラップ中心。音楽に乗せたキレのよい言葉。自分から発していく息を積み重ねる。MC SODA氏はラップと詩の朗読と両方、声が大きく明確性が高い。
狼豊氏は歌。両手をポケットに突っ込んだまま、大きく足を上げて踏み鳴らす。リズムを身体で刻むのは同じだが、明確に音を見せられると、強さが倍増する。
村岸宏昭氏はギターのみの独演。楽器演奏を裸足でやる。弦のたわみが音を奏でるのを実感。taeco氏もギターだがこちらは弾き語り。しかしいつもと違い語り部としての演奏とのこと。 チQ氏はパフォーマーだ。Hot pepparで朗読する人は始めてだ。次は是非メニューに挑戦してほしいと思う。



朗読・石畑由紀子氏

詩の朗読では、ダーザイン氏「桜」は亡き友人へのレクイエム、他一編を朗読。石畑由紀子氏(なんで帯広から来てるのかな?)「日傘」、社名変更前に読みたかったというのは「イトーヨーカドー」。アベユキヒト氏、二編を朗読。「ラブソング」は、うまくタイトルに絡むような構成であった。
札幌在住の、きっこ氏が今回の発起人。彼女は「勲章」など短詩を五編ほどを朗読。非常に特徴的な声質であり、震動がわかる。ビブラートする声というのは惹かれるものがある。ラストは「黒豆に捧げる」であった。
村田譲は「西を向く地図」「海を抱きしめて」を朗読。

黒豆 http://f-s-kuromame.com/



北の朗読者 竹津健太郎2005秋の詩祭
秋の詩祭では、ビデオ担当も務める竹津健太郎氏。この人は”曲者”というのが一番似つかわしい気がする。
今回の作品タイトルは「アルマジロ」。アルマジロのように背を丸め、何故か飄々と声がうわずり声を丸める。突如として会場の聴衆から、眠りこけていた”なまこ”がパッカーンとクラッカーが爆発する。それからは怒涛のようにアルマジロは、あらゆる地平を乗り転がって走り続けるのだ。



竹津健太郎氏

とにかくテンポのよさが売り物。連呼の嵐、例えそれが下品と言われる言葉でも躊躇しない。朗読が、聴き手を目の前にしたものであることを思い出す。
粛々としてさえいれば詩であるというのはコーショーな考えだが、しかし。通らない言葉ならば、通る言葉として再構成するひとつの手段として、タケツ流はある。

ごっつあん惑星 http://www.geocities.jp/gottuan31/index.html



2005 秋の詩祭 札幌時計台ホール
「秋の詩祭---自作詩朗読と音楽の夕べ 」すっかり定着した感の詩祭には道内から21名の参加があった。 この札幌時計台ホールという会場は声が柔らかく聞こえる。それに足音、踏みしめると鳴くのです。
浅田隆氏は、女身ひとつで生き抜いてきた時代「モヨ女覚え書き」で、生き抜くということの逞しさと悲哀を。 嘉藤師穂子氏は「トプカプ十夜一夜」内緒の話、満月の夜の尽きない願い積み上げるスルタンの夢を、進行を務めながらの朗読はお疲れ様。
こしばきこう氏は三木美智代の肉体に「病理の街、あるいは廃墟」からの指一本、振り向く固い表情ひとつひとつに肉声を重ねる。 穂別の斉藤征義氏は、あの時代、抱え続けるおだまきが激突して散っていく傷を囲い込みながら「帰ってこない少年たちの木」を披露。 笹原美穂子氏は、炭鉱でのなつかしい「手宮の丘」を。打ち続く祭りの響きに背負ったもの。



ピアノ・上村梓氏 / 朗読・橋本征子氏

橋本征子氏は、乳歯を粉にして、少年たちの粘りのある液で溶かし吸い込んでいく、赤くどす黒く咲き誇る「晩秋の薔薇」をマイクなしで真直ぐにうたう。 本庄英雄氏は短詩二編、うち「貝殻の夢」に波しぶきの泣き声が伝える26年目の同窓会での出会いを素朴な夢に。
横平喜美子氏は「いろかさね」で熟年の男女が奏でるやけっぱちな人工ダイヤの輝きを見せつける。 石井真弓、入谷寿一、大貫喜也、大橋智、加藤茶津美、佐藤孝、竹津健太郎、対馬舞、なかの頼子、谷内田ゆかり、渡辺宗子の各氏、そして秋の詩祭の代表である原子修氏が朗読に参加。
村田譲は、札幌市の中心部を流れる創成川の基を築いた大友亀太郎「西を向く地図」を朗読。 ピアノ伴奏、上村梓氏(國學院短期大学非常勤講師)であった。



造形集団・海洋堂の軌跡 札幌芸術の森美術館
これだけファミリーからカップルまでの幅広い層の観客がいるなどとは思いもよらなかった。確かに手当たり次第の感じ。ナウシカ、大魔神、ウルトラマン、エヴァンゲリオン、ケロロ軍曹、萌え、ANAのユニフォームコレクション。
海洋堂とは、もともとは1964年大阪で開業の模型店からのスタート。つまりプラモデルが基本。入場すると最初のコーナーには作られはしたが、すぐに飽きられたその残骸が展示されている。それがいまはその名前を知らない人はいないという位になった。きっかけは1999年のチョコエッグ。食玩の時代を告げることとなった、あなたの横に落ちているキャップボトルです。



左から スクルド / ベルダンディ / ウルド

確かに緻密さとその色付けがすごい。大人が見ていて飽きないというのは、技術の力というべきでしょうが、しかし同じものが数百並ぶ姿は、なんともいい気持ちはしない。
開業の裏話として、当時すでに手に技術のあった手打ち蕎麦屋にするか、子供に人気の模型店にするかを、木刀の倒れる方向で決めたとのこと。そして海が好きだから海洋堂。それでいいんじゃないのかな、プラモは壊すものだろう?

海洋堂の軌跡 10/23まで開催
http://www.artpark.or.jp/



bauhaus 2005 札幌芸術の森 工芸館展示ホール
1919年ドイツ、ワイマールに生まれた造形学校。建築家ヴァルター・グロピウスの創立。ナチスの台頭により移転を繰り返すものの、わずか14年で閉鎖する。しかし工業化による時代の変革期に、モダンデザインの源流としてその名は高い。 講師の授業がわずかに掲示されていた。

ヨハネス・イッテン:内側にあるリズム
モホリ・ナギ:材料との調和
ヨゼフ・アルバース:穴の空いた紙、まず作品があり次いで批評がある
カデンスキー:合法則的な力、対象のなかにある緊張と構造、空間的現象へ
クレー:第一の器官は「脳」、第二の器官は「筋肉」、第三の器官は「骨」、伝道するベルト
ヨースト・シュミット:レタリング




なんだか断片過ぎてわからんですが、受けてみたい授業です。もう少しノートがあればなあ。シンプルであり機能的であること。
http://www.artpark.or.jp/



音江環状列石 
延々登る土の階段250歩、小山の上には幾つかのストーンサークル。大きさは不揃いで様々だが、直径は1〜5Mほど。全体では13基がこの稲見山の標高115M辺りに固まって、確認されている。




発掘によりそれぞれ掘り込まれた痕、約1Mほど掘り下げ遺体を下ろし、ベンガラがまかれヒスイなど副葬品と共に埋めていた。1基には約500個ほどの石を積み上げ、周囲に石を建てて巡らせる。石は安山岩が多く、一部には川原のものも混じっている。






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