空への軌跡 吟遊記
吟遊記 '04.5月〜10月


恵庭渓谷紅葉まつり
2004 秋の詩祭
モエレ沼公園
やぶさめ競技恵庭大会
第49回新道展
イサム・ノグチ ランドスケープへの旅
自販機芸術
會田雄亮展―変貌する陶土
パフォーマー見本市 2004
天と海忌
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饗宴夏の詩話会
ギリヤーク尼ケ崎
ボッセの会朗読会
クサマトリックス 
ほっかいろー朗読ライブ2004・II
ほっかいろー朗読ライブ2004
二人詩朗読
芸術の森インスタレーション6
萌黄色の言の葉
北海道詩人協会 詩人祭2004 
しらおいポロトコタン




恵庭渓谷紅葉まつり 
10月上旬恵庭市の漁川ダム堤下での紅葉まつり。まだ、紅葉には早いが、気の早い木々も多数あるにはある。それ以上に前回の台風の爪跡がかなり残っていたことに驚く。
今回は、ステージイベントで、ジャグリングと皿回しがあるというので行ってみた。




皿回しは、風があると難しいようで、まして山間では苦労していたが、それなりに楽しい。このところ大道芸をよく見かける気もするが流行ってきたのだろうか。それともわたしに関心がでてきただけかな。



地下監査廊

また、ダムの監査廊が一般開放されていて、140段程度ではあったが、ほぼ右から左へとダム湖の地下を歩いてきた。



2004 秋の詩祭 札幌市時計台ホール
「秋の詩祭」が開催された。春に続き、ユニセフへのチャリティ公演。当日は残業のためハーフタイムからの参加となった。調度、曾山良一氏のギター演奏中であり、柔らかな音でナイーブに作り上げるタイプの音楽かと思う。
後半の朗読は高野敏江氏「哀惜」からであった。戦場の土地の神にみるもののこと。時間が横たわるとき、明日に続くものはなにか。
竹津健太郎氏はユニークな表現を試みる、腹話術師という仮面のものに対して言葉を打ち出し、打ち込む。彼はパフォーマーだね。


朗読 竹津健太郎氏

今回の詩祭の実行委員長である原子修氏は、ギターの音色にあわせた作品「その日を私は知らない」を朗読。確かにギターがあるなら調和させる方がいいだろう。安定感は抜群。
谷内田ゆかり氏は自分の世界からの発信を中心とした作り、声の出し方がそう思わせる。若宮明彦氏は、しかし明るい質の声で、強い。タイトルは「凱旋門」。
ラストに橋本征子氏「雪のラビリンス」。こなごなの月の欠片を、風は優しく、夜の境界を埋めていく。村田譲は「鬼の祈り」を朗読。鬼という字からの作品。
ほかに浅田隆、石井真弓、入谷寿一、大貫喜也、嘉藤師穂子、加藤茶津美、こしばきこう、笹原実穂子、佐藤孝、佐藤道子、増谷佳子、横平喜美子、渡辺宗子の各氏が朗読した。

パフォーマーのHP「ごっつあん惑星」
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/4983/



モエレ沼公園 
全体を歩き回って実感するが、ここは体感する公園。
プレイマウンテンと変な斜度の四角い広場。こどもが水餓鬼と化すモエレビーチ。全てが設計の内側にあり、石ころひとつ転がっていない。ゴミ箱、自動販売機もガラスのピラッミド以外では見受けない。



そこに誘導する動線がありそうで、しかし、見せないでどこから来てもいい。この公園自体がひとつの触れる彫刻なのだろう。
ここまで広いとどうやって、何を描くか考えてみよう。造成中のモエレ山が出来る頃また行ってみよう。




モエレ沼公園
http://www.sapporo-park.or.jp/moere/index.html



第1回やぶさめ競技恵庭大会 恵庭市畜産共進会場
日本古来の伝統武芸「流鏑馬」、道内でもいままで4回程度しか開かれたことがないとのこと。今回は北海道和種馬(ドサンコ)を駆ってのやぶさめ競技を恵庭で初めて開催。
全長150Mのコースを16秒前後で疾走する馬上から、50Mおきにある3箇所の的を射手が狙う。二走して的の中央が5点、以下フレーム外は0点。また、コースを早く駆け抜ければポイントが高い。早く走ると恰好はいいが、はじめから矢を番える第1の的はいいが、第2の的に間に合わず、第3の的を狙うこととなる。そのために全的的中には3点ポイントが加算。





しかし馬にも良し悪しがあり、早い馬は射手が大変。馬のコントロールは難しそうだ、馬止めでは、早く走る馬に跨った射手は振り落とされていたし・・・。
でも、衣装が美しいなあ。射手に女性が多かったのもちょっと意外であった。
また、真剣での居合道の模範演技があり随分とすっぱり切れるものと驚いた。



第49回新道展 札幌市民ギャラリー
出品数が多過ぎて配列もごちゃまぜなので、単純にインパクトのあるものを探してしまう。号数のでかい作品が多いが、絵の具の無駄使いじゃないの、とも。
そのなかで「鬼の栖 V(遠藤厚子)」はタイトルと全体の銀と黒の色合いに惹かれた。が、鬼という仮面を被るものの位置が、よくわからなかった。
「楽しい街カド(片野美佐子)」目を惹くベースの黄色、建物の中に織り込まれる樹木と芝に、重ね合わせるマップの点。心地よいが、楽しいかなぁ。





「虹のあとさき(西尾栄司)」はおもしろい。見たことのある風景ではあるが、伸び上がる蔦のような生命、天から側面の空間に引かれる虹のラインは、月の内に蠢く怨嗟の繋がりのようだ。
「飛翔永遠(河合キヨ子)」落ち着く不安定さ、というのも珍しい。
「逝く(亀井由利)」アメリカ批判のようでもあり、セクシャルな様態でもあり、深く考えると奈落に落ちそう。
「花に囲まれて(本間智恵)」唯一今回の作品群のなかで眼差しが優しい。厳しい目つきとか、強調すればいいわけでもない。囲まれるという幸せ。
「RoosterCleansing"OYA"(秋元美穂)」元気だ! 雄鶏の掃除?口やかましい浄化? 親?
「しばらく飛ぶ夢を見ていない(溝端玲子)」逆光のなかの人物で正視できない。タイトルと会わない気もするし、鳥もうるさいが、印象的。
「草花の本(木原文代)」独特の筆致で味わいがある。色の分割が素直と思う。
9月5日まで
札幌市民ギャラリー 札幌市中央区南2条東6丁目 TEL.011-271-5471




イサム・ノグチ ランドスケープへの旅モエレ沼公園
モエレ沼公園ガラスのピラッミド内2・3Fにて「生誕100年記念――ボーリンゲン基金によるユーラシア遺跡の探訪」の展覧会。





インドを中心とした東南アジア、欧州、日本の各地の環境の研究とのこと。写真が多いのだが、スケッチとか、彫刻のための初期の模型とかが展示されている。なかなか興味を引くものがある。
2Fにあった「ガンジーのための記念碑」(実現せず)は地面から腕が生えているもの。また「原爆死没者慰霊碑」の模型があるが、凸と凹の通れるようでいて、繋がりが埋め込まれた形とかだが、なんとも言いがたいインスピレーションが沸く。 真下からみあげるギリシャ宮殿の柱の写真も。



ピラッミド内部

展覧会は8月29日まで
http://www.sapporo-park.or.jp/moere/index.html
http://www.sapporo-park.or.jp



自販機芸術 出張中! 新札幌duo-1
タバコの自動販売機で芸術を渡そうという発想がおもしろい。
で、見て来ようとしたら出張中! 新札幌duo-1の特設会場にあるという。
その時期(8月第3の土日)は「アートマーケット2004」が開催中なので、参加している。
しかし、なにせただの自販機なので周囲との違和感がないため見過ごして、わかりづらいのが困る。それでも出会ってみると、うーむ。モビールだのジグソー、オリンピック応援グッズ。まっとーそうに思えたミニ本「チク社の友」を購入し、直本賞?ジュショー作品「ティスティングバブル」に、世代の違いがみえる。




ところでこの「自販機芸術」は参加者を募集しているので興味のある方は連絡してみるといい。85×55×20mmの世界で、どんな詩が書けるか。
通常設置場所:札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル6F・ギャラリーアートスペース

http://zi-0-iz.hp.infoseek.co.jp/



會田雄亮展 江別市セラミックアートセンター
――変貌する陶土――と称しての、陶芸の里を自称する江別市市制50周年記念での講演会。 陶芸のなかでも、練り込みという当時はあまりメインではなかった手法、簡単に言うと金太郎飴の話を直接聞ける機会とあって行ってきた。
結構珍しい言い回しをする人で「練り込みに情緒はない」といいきる。「互い違いに並べていくだけ、後は型に入れて切るのみ」と。機械が使えないので大変ではあるらしい。
師匠と同じことしてもしょうがないし、自分一代と言い切る様は立派。まあ、陶芸家は立派なこと”言う”のではなく、立派な器を”作ればいい”とは思うのである。しかし練り込みは、説明を聞かないとわたしのような素人にはわからない・・・う〜む。 作品では「積層」とかの断面、「陶織」は敢えて陶器での織る様を見せていて、おもしろい。


アートセンター内 左側階段部

と き:8月22日まで
ところ:セラミックアートセンター(江別市西野幌114番5 TEL.011-385-1004)
観覧料:大人 500円、高大生 300円、小中生 150円

http://www.cac.ebetsu.hokkaido.jp/



パフォーマー見本市 道庁赤レンガ前
北海道から約90の団体が日替わりでパフォーマンスを披露する。パントマイム、ジャグリング、人形劇、たますだれ、弾き語りに至るまで多種多様。赤レンガの正面と右側で二箇所にわかれて、それぞれの持ち時間は30分。同時に二つやるので好きなほうをみるといい。
マジック(太田ひろし)は動きがあって楽しい。わかりいいし、ユーモラスなのが拍手喝采の元であろう。尺八とBASS(えんりえど)の演奏は不思議、尺八の自然音が低いBASSの音と組み合って、室内楽を外でくぐもって聴いてみるという様な奇妙な音色。ミスマッチをうまく利用している。
人形劇(人形劇団野良犬)は楽しい。その場で人形を作ってみせるという楽しみを見せる。一人なのに、しかもテーブルという制約があるにも関わらず、大きく、子供たちに開放する。現代ダンス(ふしぎクラブ)という二人組みのもあった。




ただ、なにか勘違いしている、おばちゃん連中がいやだ。伝統芸能もフラダンスもいいけど、どう割り引いても教室が引越ししてきただけ。目の前を占領しているのは、センセご大切様たち。お月謝を払いたくば振り込みに! 何と向き合っているのか解らなくなる。あまりに雑多か、それも大道芸か・・・。
しかし御捻りとかを投げる雰囲気でないのは困る。アナウンスあるなら煽ればいいのに。お札はそのままだと風に飛ぶからコイン1枚を一緒にくるんで投げる、という楽しみも大道芸のおもしろみだと思うのですがねえ。



あと、本日8月8日(日)含め28日(土)・29日(日)と3回ある。
問合せ:NPO法人 コンカリーニョ

http://www.concarino.or.jp/akarenga/



天と海忌 苫小牧市民会館
浅野晃の没後14年。日本製紙勇払工場敷地内の奥まった公園から、工場前のファミリーガーデンへと「勇払詩碑」を移転。
講演は市民会館2階ホールにて「浅野晃の文学と現代的評価」を神谷忠孝氏(文教大教授)が、「浅野晃先生のこと」を野乃宮紀子氏(ヒューマンサイエンス勤務)がそれぞれ担当された。 その後、浅野晃詩「天と海」朗読の夕べが開催。
一編の詩を複数人で読むというのはわたしは初めて。事前にパーツだけは与えられていたが、実際はぶっつけ本番。全体を見通すというのがなかなかむつかしい。知っている人が多いので、なんとか雰囲気がわかるのだが、バランスをイメージするのに苦労した。
さらに朗読するとき座るのか立つのかということで迷った。細長い部屋であり、聴衆とそして朗読者同士の対話の位置がとりづらい。頻繁に立ったり座ったりは見苦しい気がする。けれど動きのない朗読というのも嫌だと、結構困った。
しかし新しいことに接する機会というのは、大切なことだ。というのもわたしの朗読のパーツが、平明さのなかに潜んでいる怒気というのか、内面に付随してるけど独立してもいるという逆説みたいなところも多かったせいだろう。ひとつの作品のなかの二面性を見る契機があったかと思う。




当日朗読したのは入谷寿一、斉藤征義、綾部清隆、櫻井良子、やまだ乃理子、伊藤好一、高田行雄の各氏とわたし。音楽は柿本亜子(クラリネット)、中野憲明(リズムベース)の各氏でこの日のためにオリジナルの曲を作成したとのことであった。



饗宴夏の詩話会 すみれホテル
松田寿一氏(武蔵女子短期大学教授)を講師に迎えた詩話会のテーマは「カナダ詩」。 カナダの詩はあまり探求がなされてはいないようだ。それはカナダ人自身がカナダという実態を疑問視していたから。つまり長い歴史があるわけでもなく、革命や独立戦争で形成された力強さもない。妥協の産物のようにできあがった国であると思っていた節がある。
実際1960年代まではカナダに文学はないと感じていたらしい。そのひとつは、カナダの荒涼たる自然とそれを書きとめる感性との乖離である。すべてが風に平伏し、風の音だけを友として気がゆっくりと狂っていく孤独、無力と脱力。風の前にあらゆるものが挫けていく。
そしてしかし、そこからプレイリーの詩人がでてくる。アル・パーティ(Al Purdy 1918-2000)「ベルヴィルより北の国」というこの作品は、詩誌「オーロラ・8号」で松田氏の訳した物を読んだことがある。そのときもすごい感性だと思ったのだが、当日はビデオも用意され、映像が流れている間はすっと風の音が吹き荒れる。晩年に書かれた作品「その名を唱えよ」はネイティブの地名の羅列。賛美歌というものがどのように生まれてきたか、彷彿とさせられる思いだ。
もうひとりマーガレット・アトウッド(Margaret Atwood 1939-)「スザナ・ムーディの日記」とその朗読ビデオも紹介。今回は自然という脅威の物語がいまなお続くカナダへの上陸であった。




また、渡会やよひ詩集「五月の鳥」の紹介。安英晶氏、谷崎真澄氏が感想を述べ、主宰の瀬戸正昭氏、嘉藤師穂子氏が一編づつ作品を朗読した。 その他、なかの頼子、新妻博、木村淳子の各氏と村田譲が参加。



ギリヤーク尼ケ崎 千歳グリーンベルト
大道芸人の青空舞踏を千歳のグリーンベルトで見る機会があった。 いつはじまるのかと思えば、トランク引いてやってきて裏舞台も表舞台も一緒である。身ひとつなのだということを改めて感じる。
「夢」はピエロに扮して薔薇一輪くわえてつま先立ちでの回転が中心。フットワークのみ、音楽もテープだから、つまりわたしは大きな勘違いをしていた。基本はパントマイムなのだ。
「じょんがら一代」バチを掻き鳴らすように、次第に掻き毟るように。面を落とし地に平伏して泣きながら吠えている。ラストが「念仏じょんがら」水をかぶり、褌さらして転げまわるシャーマン。この”じょんがら”作品、今は”鬼の踊り”から”祈りの踊り”というところなのだろうが、どうも通常の、祈りではない。
基本が「狂」であるから、宣戦布告に近い。天はわたしの元に来いという命令形の祈りである。


「夢」

新作「うかれおわら」が真っ直ぐで綺麗。「よされ節」では我パートナーが引き出されて一緒に踊ってきた。「白鳥の湖」は瀕死の白鳥、男性版。笑うところらしい、クラシックは興味がないのでよくわからん。
今月は道内で13箇所の開催予定とか。



ボッセの会朗読会 風蝕異人街アトリエ
7月のボッセの会例会は、春に続く「秋の詩祭」の打ち合わせがなされ、続いて朗読会に移った。
「トナカイの群れの配置と移動」のタイトルで谷崎眞澄氏が朗読。ここの配置というのは生命の持つ従順さ、数千年の年月を過ごしながら人間に食われながらの、真っ直ぐさ。笹原美穂子氏は、壊れた万華鏡を子供の時代のタイムマシンにみたてながらのミラーボールのなかに閉じる欲求を。
こしばきこう氏、水の通路。やはり声がいいというのは驚くことだ。水の呼吸感、くぐもっていく埋没する水流が見える。



こしばきこう氏

また若宮明彦氏はエミリー・ディキンス「海の詩集」より”寒気は出て行くものだ」を英文と本人の翻訳にて紹介。他に浅田隆、大貫喜也、石井真弓、原子修、横平喜美子の各氏と村田譲である。原子氏は原稿を忘れたとかで、その場で「海」の詩を即興で作りあげてうたう。
今回朗読したのは9名で、割と短編の作品が多かったように思う。気心知れていると軽く、反応を見ながらの実験的な要素が強くなるか・・・。
来月から竹津健太郎氏のモダニズムの研究発表が順次行われる。

ボッセの会:「詩と思想」、自作詩の合評を中心とした勉強会。毎月第二土曜日、午後2時より約2時間。
(主宰・原子修 / 事務局・浅田隆)




クサマトリックス 
草間彌生展の水玉強迫を覗きにいってきた。美術館の前庭からすでにオブジェははじまる。どこが始まりか解らなくしているのだ。池の中、ガラスの歪み、向こう側まで。
部屋が自由に行き来できるかのように構成していて迷路のようだ。「蛍の群舞の中に消滅するあなた。」はガラスとガラス、それで無限の広がりに辿り着く。「映像および草間が自ら歌う・・・。」では、ぼやぼやと聞き取れない声。ぐちゃぐちゃした音のつらなり、だらだら垂れ流す発音不明瞭な。声がただの楽器でしかない、そう思うと悪くない。




「天国へのぼる階段はやさしく」では、合わせ鏡を縦に使うのだが、その前で人はオブジェである。見極めきれないものを見つめる、あなたが誰かと行くなら、話しかけるな! 枯れ草だけなのに草いきれの中で「ハーイ、コンニチハ」とくる、見事。ここまで仕掛けるのはなかなかだ。
しかもこの世界は病んでいる。徐々に浸透するから解りづらいが、確実に蝕まれるのである。快感でもあろう。狂ではこうはいかない。わたしのメニューにないものだ、おもしろい。

8月22日(日)まで / さっぽろ芸術の森美術館
http://www.artpark.or.jp



ほっかいろー朗読ライブ2004 第二部
さて、中入りに朗読が二本。まず藤井みどり氏が倉橋由美子作品集より「瓶の中の恋人たち」。それまでハウリングしていたマイクの調子が戻り、聞きやすい音になってきた。
日高朗読会”あ・うん”は「スーホーの白い馬」を演劇仕立てで。馬頭琴の音色って何回聞いてもいいものだ。椎名義光氏は短歌「母の眉」を披露する。 散文詩では司会を務めた、たかだのりお氏が作品「幻影」で、我知らず登る上流の草草から繋がる巨木の足元への、命の旅を、甘い声の調べにのせて淡々と流す。



朗読 たかだのりお氏

斉藤征義氏は「沼から逃れて」ついに進化の道筋を星星の炸裂にまで。伸びていく悲しみを抱きしめ、祈りで支えながら。長野県からは邑書林亭主の島田牙城氏(俳句)が「母」の連作を渋く通る声でマイクを使い、あるいは地声で強く足音を、大地を踏み鳴らしての俳句独演で幕となった。
村田譲は飛び入り参加ということで。しかし事前に連絡していたので笹尾雅子氏のピアノ伴奏に間に合った。詩作品六月の雨音「ぱるるぱん」、初夏の声の在り処を問う「蝉の仔」を朗読したのである。
とりあえず今年だけとの話もあったらしいが、取材のNHKには来年もしたいと大見得切ったとのこと。だからきっと来年も・・・。



珍菓ばふんまんじゅう

すご〜く変な名前にだまされ購入した、新冠のかぼちゃ饅頭。妻からは名前について大不評。



ほっかいろー朗読ライブ2004 第一部 レ・コード館
詩・俳句・短歌・散文が――六月を謳う――よくも声を出しに来たね、という感じ。メインは俳句の朗読であろう。今回参加者で知っていたのは現代詩の一名のみ。しかし異業種交流といった趣の幅の広さは驚く。
開会の挨拶に代えて、谷美代子氏が森みつ作品集から「にいかっぷ」を朗読する。なんとも素敵な開会宣言ではないか。
トップを飾ったのは久保余白氏の(詩)作品「永遠の始まり」。次いでテラヤマ式に霜田千代麿氏(俳句)が用紙を撒き散らしながら朗読。佐藤宣子氏(俳句)は音読の後に吟遊し、一音の美しさを聞かせ響かせてみせる。



朗読 田外茗子氏

田外茗子実行委員長(短歌)はタイトル「ピーマン」など野菜をテーマに一タイトルごと、謳った野菜を会場に投げ入れ拍手喝さい。櫂未知子氏(俳句)は東京から持ち込んだ小道具を操りつつ「いきいきと死んでゐるなり水中花」など”みづ”をテーマに朗読。
伴奏は笹尾雅子氏のピアノ。しかし持ち込みのギター伴奏での俳句は白岩大人氏、フルートの演奏の後に饗庭詩織氏は山口誓子句集を朗読。バラライカで味付けして「熊とどんぐり」を朗読した依田明倫氏(俳句)とこれも賑やかであった。
当日新冠レ・コード館には、百二十名を越える聴衆が集った。



レ・コード館

http://www.niikappu.jp/record/



二人詩朗読 畑野信太郎 三村美代子
札幌アスペンホテルにて開催された北海道詩人協会の詩人祭で、畑野信太郎と三村美代子の両氏が二人詩を朗読。タイトルは「そして・・雪女・・・」
釧路と室蘭という遠隔地同士の饗宴というご苦労を越えて面白い試みであった。ベースの問いかけを畑野氏が提起し、三村氏が答えながら始まったといいます。全てお手紙によるやりとりであったとも。
まずは第一声。男の野太い声で情景、ゆるゆるした問いかけがスタート。真夜中の並木道の風。確固と女の内側からの返礼。まだ、お互い手探り状態にも似ている。青白い氷山・・・。 段々とやりとりが進むにつれて、お互いの感情が高まりだす。唐突の警告「あの蓋を開けてはいかん」、それは約束への回顧。女のうらみの目の色、揺り起こされた男の目の色。
独りでは立ち行かない情感が相乗効果としてみごとに形作られていく。



左)畑野信太郎氏  右)三村美代子氏

こういうものは詩人協会の内にだけ眠らせるのは、もったいないですなあ。



芸術の森インスタレーション#6 艾沢詳子・夏のオライオン
芸術の森の中に有島武郎旧邸があるのだが、そこの2Fのスペースを使って、作品が展示されている。 艾沢詳子(よもぎざわ しょうこ)の作品「夏のオライオン」。オライオンというのは、オリオン座のことで本来冬の星座である。



古新聞や古紙を蝋に浸してそのままみっつ、よつを沿わせて自立させたり。あるいは蝋を滴らせるように細長く砕く。それがそのまま圧倒的な物量で部屋を侵略している。その様子はなんとも言い難いが、妙な美しさがある。 丸めて花びらのように広げている一群にその宙に浮いた形状を読み取れる。






札幌芸術の森 有島武郎旧邸にて 8月31日まで
http://www.artpark.or.jp




「萌黄色の言の葉」 ギャラリー器野
田んぼの真ん中にある一軒の民家と思ったら、もと廃屋を改装し石の柱からすべてが作品。庭と思えば甕と歯車の居所だったりする。ここの第二ギャラリー(外見は納屋です)の特別誂えの舞台で朗読会。
綾部清隆氏「ありつづけること」あまい男性の声による朗読が始まる。すべてが流れ、帰る、せせらぎの音。あなたであることの匂いを鼻孔を広げて探す。パーカッション、太田ひろ氏の音が柔らかい。
嘉藤師穂子氏は「八十八夜」。服を脱ぎ捨て裸足になって、森からの、林の内側の自然の恵みに触れていく。いる・いないの私たちの系譜から開かれていく。恵庭在住の齋藤えり子氏は、詩は書かれないとのことであったが、寺山修司の言葉を静かに解き放つ。



小樽の萩原貢氏は聞きに来ただけらしいが、そのまま朗読に参加。用意のいい某方がしっかり詩集を持ち込んでいた。読んだのは「妙見界隈ネコ物語」美しさがそのままの作品で聴衆の方たちもうっとりしている。森れい氏は、銀とつきあって32年の思いを、手作りの形がナイフに似てくるのだと、素直に厳しく、鋭利な輝きで切り裂いていく。また器野をも即興的にうたいあげた。
さて、村田譲はまず「息吹」を。次いで開放系の「共鳴館」、これがパーカッションの音に引寄せられて、すさまじい連なりになってしまった。久方振りの響き、音の渡りを具現してしまった。朗読後太田氏からは「狂ってるぞぉ」との最大の言葉。



ギャラリー器野 / 恵庭市林田6番3号(西3南9) TEL.0123-37-5886 http://boat.zero.ad.jp/~zbk56517/utsuwano/



北海道詩人協会 詩人祭2004 札幌アスペンホテル
当日は詩人協会の総会もあり、新会長に安英晶氏が選出された。詩人協会賞受賞式(坂本孝一詩集「古里珊内村へ」と綾部清隆詩集「傾斜した縮図」)の後が詩人祭である。
自作詩朗読トップの石井真弓氏「はたけ」は生命力あふれる詩。次いで別海からの参加は遠藤隆子氏、鹿肉の燻製をしゃぶるとき。帯広から参加の石畑由紀子氏が、日傘を失敬してしまいしかし日陰のアパートには似つかわしくないと返しに行く様がリアル。
高野敏江氏は、1分間スピーチの名手伊東廉氏が亡くなられたときに「文芸岩見沢」に寄せた言葉たちを発表。橋本征子氏「レタス」の味わいのなさの内側にある葉脈のしたたり。横平喜美子氏が「はないかだ」と題し、水に溶けることのない命の星、流れ来る純白のコブシのはなびらをうたう。



朗読・横平喜美子氏

朗読には櫻井良子、渡辺宗子、福島瑞穂、増谷佳子、総合司会の瀬戸正明、渡会やよひ、須田抄二、笹原実穂子、斉藤征義は長編「八月の父の行方」、原子修の各氏が参加。ラストは朗読の司会を努めた嘉藤師穂子氏がトプカプ・千夜一夜。
村田譲は再び作品「声たちの埋葬」を携帯付きで朗読するものの、みんな機械弱すぎ。 今回の見所は畑野信太郎と三村美代子の両氏による二人詩の情感の交差であった。



しらおいポロトコタン 
ポロト湖のすぐ横にある大型チセ群はカヤのふきかえも終わり、新設の大型チセもできあがった。この大型チセは通常の大きさの4〜5倍であり住居ではない。古式舞踊を囲炉裏を舞台にした公開のステージだ。
通常のチセは一家族しか住まない。伝統的に窓の数や入り口の方向が決められている。奥の西側の窓は神様の来るところなので覗き込んではいけない。
一時間に一回古式舞踊の案内スピーカーがある。大型チセ内部の案内の女性も解説者の男性もユーモアたっぷり。当日はムックリの演奏と子守唄。座り歌のウポポ、熊送りのイヨマンテリムセが披露された。



ポロトコタン

ちなみにステージの囲炉裏の上の天井部分には、鮭の燻製が数百ぶら下がっている。一匹3000円、小袋で500円のもある。燻製なのに柔らかい。
アイヌ民族博物館の建物内部は伝統の衣装や生活の記録ビデオ、アイヌ関連の書籍も多数置いている。



イヨマンテリムセ

白老町若草町2丁目3-4 tel.0144-82-3914 / 大人・750円他
http://www.ainu-museum.or.jp


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