序章:かくして旅ははじまった  2004年8月27日(金)
〜 成田→フランクフルト チューリッヒ経由 〜

2004年8月27日19:00(現地時間 日本との時差は7時間)
スイス チューリッヒ国際空港で途方に暮れている男がいた。
「まったく、あのどっかのホテルチェーンの社長に似たスチュワーデスもとい客室乗務員のババー、嘘つきやがって・・・」
サマータイムの遅い黄昏の中、この先に更なる悲劇が起きることも知らずに・・・。
チューリッヒ空港

◆悪魔のささやき
それは2003年12月のことに遡る。
今回同行したH1氏から、「来年の夏、ドイツに行きませんか?」と誘われたことに端を発する。
ドイツ・・路面電車ファンの私にとっては正に憧れの地、
そして、かの壁が存在したベルリン市は世界で最も行ってみたい街である。
ともに子供の頃からの夢。大学でもドイツ語を第2外国語に選択したのはそのためだった(成績は・・・・涙)。

一方で、国内に目を転じれば、自分の好きな電車や鉄道が、この数年で一気に永劫の彼方に消えて行った。
もう、思い切って海外に行くしか打開策はないだろうなあ、と感じはじめていた。

欧州に行くのは転職の時か結婚の時だろうと考えていた。
しかし、その双方を**歳までの目標としていながら、恥ずかしくも達成できなかった私。
その上、退職金制度が401Kに移行した現在、辞めたところで一時金を貰えるわけでもない。

もう、この際だから欧州行きだけは実現したれ!
通帳を見れば、行けるだけの貯金はあったから、
「いろいろ考えてはみます」と返答したものの、話に乗ることで本心は固まっていた。

その日から、この先1年の目標は「ドイツ」ということになった。
臨海副都心の片隅(または裏台場)で、終電連徹休日出勤に凹みながらも、この日のためだったと言って過言ではない。

それにしても韓国といいドイツといい、悪魔に抵抗力のない私である。

◆現地集合、現地解散
今回はH1氏、H2氏の3人での洋行と相成った。
目的地は、ドイツ南西部のカースルーエ、北東部のベルリン、そして隣国オーストリアのウィーンである。
が、問題なのは各々仕事の違いなどから彼地での滞在期間がマチマチであること。
勢い現地集合・現地解散となるわけであるが、国内なら未だしも、海外でやるのは無謀というものである。
しかし、「最終的に落ち合う場所を決めておけば、なんとかなるだろ。ケータイのない時代を生きていたんだし・・・」。
ということで強行することになった。

さて、私が現地入りするは8月27日のフランクフルト(ライン・マイン)国際空港。航空券の都合でチューリッヒ乗り継ぎである。
この日H1氏も違うルートでフランクフルト入りする予定である。
しかも到着時間は1時間差、ターミナルビルも同じとあって、空港で合流することを確認した。
フランクフルト空港から中央駅までは電車で10分足らず。そこから中心地も近い。
その上、緯度が高く夏時間実施中の8月末は日没は19:45頃。
だから、「夕食は中央駅で長距離列車の発着でも見ながら、あるいはレーマー(中心地の旧市庁舎)あたりで」などと約束していたのだが・・。

白い視線を感じつつも、11日の連続休暇を(半ば無理矢理)取得した。「職場」の皆さんゴメンナサイ。 とにかく、サイは投げられた

◆悲劇のはじまり
8月27日10:40、成田空港のE26ゲートをエアバスA340-300は静かに離れた。
しかし、それ以上動こうとしない。
空港が飛行機で混んでいるため、順番待ちをしているのである。結局、40分待った末にようやく飛行機は滑走路へ向かって動きだした。
成田〜チューリッヒは9600Km、所要時間は12時間30分。現地の到着時刻は16:10の予定である。

日本海を縦断しハバロフスクからひたすらシベリア上空を飛んでゆく。
が、一人身ということもあり通路側の座席を取ったため景色とは無縁。
目の前のエンターテイメント装置なるもので映し出される、現在飛行地点の地図だけが頼りである。
しかし、1時間たっても2時間経ってもいつまでたっても「イルクーツク」やら「ノボシビルスク」といった地名が消えないのには閉口する。
「シベリアってデカい」
ともあれ、揺れも殆どない快適なフライトだった。

ウラル山脈を越えればいよいよ欧州。サンクトペテルブルク、バルト海と通り過ぎれば、やがてドイツ上空を進む。
フランクフルトも目と鼻の先なのがなんとも悔しい。 しかし、そんな愚痴を言っている場合ではない。
成田での遅れを、ほぼそのまま引きずってここまで来てしまったのである。
フランクフルト行きの出発時刻は17:05発なので、トランジットは、もとより55分しかない。

たまらず日本人の客室乗務員に聞いたら
 「成田でチェックインしたお客様がいらっしゃることは解っているので待ってくれるでしょう。オホホ」(一部脚色)
と言われたので、とりあえず安心したのであるが・・・。
チューリッヒ国際空港には35分遅れで、ターミナルAに到着した。残り20分!欧州の地を踏んだ感想など微塵もない。
乗り継ぎ便は、えーと・・・・ターミナルE?!?。このとき、危険な予兆を感じた。
実は、ターミナルEは本体と離れていて、地下の新交通システム(成田2PTBで走っているものを想像していただきたい)に
乗らなければならない。

「不味いことになった・・・・」

とにかく駆け足で新交通の駅へ急ぐ。僅かな乗車時間のはずだが、もどかしい。
そしてターミナルE側の駅に降りると・・・・・・その先には手荷物検査の長蛇の列。
このとき不安は確信に変わった。こんなときに限って金属検知に引っかかる(メモ帖が原因だった)。
やっとの思いでゲートを潜ると、既に17:05。
例の乗務員の言葉に一縷の望を託したものの、ああ無情、飛行機は目の前を滑走路へ向けて動いていった。

だいたい、こんな長距離線と乗り継ぎ時間が1時間ないのが可笑しいのである。
そんなもの、公式ページに公式乗継便として載せるな!ってーの。と怒ったところで
格安航空券なんだから仕方がないと、自分を納得させる。
で、航空会社のカウンターに行き用意された代替便は・・・・20:10発だ?!?

そして冒頭の状況に突入するのである。
チューリッヒ空港新交通
●チューリッヒ空港の新交通(帰国時に撮影したもの)

◆弱り目に祟り目
この3時間が、飛行機の中の12時間より長かった。
なにより、空港で待っているH1氏を思うと、気が休まらない。
喉が渇く・・・ということで買ったミネラルウォーターは炭酸水。
こちらでは、デフォルト(普通の奴もあります)だが、予備知識のない私には、コレで更に気分が滅入る。

日も暮れた20:00、出発案内を見るとなんと20:35発に変更されている。イライラは募るばかり。
そして用意された機材はAVROのRJ。欧州で数多い短距離線でつかわれているもので、
まあ定員から言っても、新幹線の中間車に頭と羽根をくっつけたようなシロモノである。
なんか心もとないなあ(・・実は数年前、ここで、このタイプの墜落事故があった)、という第一印象が、 またまた的中してしまう。

フランクフルトまでは60分、空に舞い上がれば40分程度で街の灯りが見えてくる。
「翼よ、あれがフランクフルトアムマインの灯だ!」
とはいえ、またしても通路側だから、外は良く見えないのであるが。
地上の家が大きくなれば、まもなく爆音と共に滑走路へ滑り込んだ。

やれやれ、長い旅だった。さっさと外に出よう・・・。と思った矢先、
隣のゲルマン系のオバちゃんが私に英語で聞いてきた

「イズ ヒアー フランクフルト オア チューリッヒ!?!」。

何言っているんだこのオバちゃん・・と思いながら窓の外を見ると、さっき見たよーな茶色いターミナルビルがあるではないか。。。
つまり、機材トラブルでチューリッヒに引き返してしまったのである。・・あqwせdrfgyふじこlp;@。

もう、ため息をつく元気すらない。
後ろに座っていた、同じ乗り継ぎ難民のおっちゃんと思わず、顔を見合わせた。

別のヒコーキへは構内バスに乗っていった。後左右の5箇所に両開きドアがある凄いつくり(欧州じゃデフォルトのようだが)だったのは覚えているが、それ以外のことが目に入るような余裕はない。

チューリッヒからの再出発時刻は、実に22:10。
なんでもいいから早く飛べ!、大嫌いな離陸も、このときばかりは早く来て欲しかった。
テイクオフ後、また約40分ほどで街の灯りが見えてきた。
今度こそ本当にフランクフルトのようである。中心部の高層ビルが目に付く。
滑走路を終えたとき、思わず微笑みがこぼれたようで、となりのオバちゃんも笑っていた。

しかし、それは束の間の休息に過ぎない。今日(生まれて初めて)泊まるユースホステルは
某歩き方には、チェックインは24:00とある。
しかも、先ほどのおっちゃんによれば、今日はメッセで市内のホテルは高い上に満室だとか。
フランクフルトで野宿だけは絶ーーーーーーー対っにしたくない。
そんな気持ちを裏切るかのように、ターミナルビルから遠く離れた駐機場で降ろされた。
またしてもランプバスのお世話である。背中の荷物がズシリと重い。

ターミナルビルの中は迷路のようだった。とにかく指示図に従い早足で移動する。
入国審査はあっけなく終わり、いよいよドイツに足を踏み入れる。この時点で23:30である。
約束の地である出国ゲートに彼の姿があろうはずもなく、一瞥すると直ぐに、私はタクシー乗り場へ向かった。
「おお、これがベンツタクシーだ!」と思う暇もなく、運転士のおっちゃんに地図を見せ、「ヒアー プリーズ」と告げる。
発車すると直ぐにアウトバーンに突入し、130Km/hでびゅんびゅん飛ばしていった。
揺れが無いのはさすがにベンツ!と思いながら、一方で、時計を気にしていた。

やたら騒がしいユースの前に止まった。タクシー代25ユーロ(3375円)の思わぬ出費である。
そして、ブリティッシュロックが勢いよく流れるフロントで英語で交渉である。
しかし、中高時代の英語の成績は「アヒル」だった私である。
H1氏が2人分予約したなどを必死に伝えようとするが、それは通じない。
ただ、やり取りの結果、彼がここにいることだけは確認できた。
「アイ ウォント トゥー ステイ ヒアー」と怪しい英語で、留めてもらうことができた。

2段ベッドに、着の身着のまま横になり、とりあえず寝た。
夕食を摂っていないことなど、どこかに忘れていた。


・・・・ちなみに後で解ったことだが、チェックインは午前2:00までOKとのこと。
これだから、歩き方は(以下略)
フランクフルトのユース

◆そして朝が来る
朝7:15に目がさめた。妙な疲れが残る。
ユースは寝るところではあるが、休むところではない。

直ぐに身支度をして部屋を出た。
それには、理由があった。
ユースであれば朝食は出る。互いに路銀に乏しいから、食抜きで出発する筈はない。
それならば、食堂に行けばH1氏と落ち合えるだろう・・・と。
その為にはオープン直後から張っていたかったのだが、既に15分遅れである。
もしここで逢えなかったら、明朝のカールスルーエまでチャンスはない

果たして・・・

しんみーーーりと朝食を食べるH1氏がそこにいた。
感動の再開。「いやーよかった。よかった。」思わず肩をたたきあう。ほっとした。
しかし、舞台がパリで男と女なら辻仁成あたりが小説にして云々ということになる?が、
ドイツで30歳過ぎの男同士じゃ傍目気味悪いだけである(苦笑)。

昨日のことを聞くと、
私が搭乗予定の飛行機は5分早着したにもかかわらず、いつまでたってもゲートから出てこない事に
相当焦り、やはり夕飯も食わず・・・ということだった。
申し訳ない。

とりあえず、パンとハムとチーズで朝食である。
ロクにメシを食っていなかったので、たらふく胃の中に入れた。

▼ 第1日へ

▲ 表紙へ