二代目藤兵衛〜太刀賣包吉
八雲神社(千葉県館山市正木)
太刀賣石工藤兵衛の名に出会ってから13年経ちました。 台座銘から、初代、二代、三代と三人の太刀賣藤兵衛がいたと思っています。 そして昨年成田山新勝寺でレリーフ、千葉の津田沼で狛犬、今年の8月になつて編集長が千葉の館山市と南房総市で2件の太刀賣藤兵衛の狛犬を発見、お陰で二代目藤兵衛を襲名した包吉の事が少しわかってきました。
館山市正木の八雲神社の狛犬の台座に 「奉献 弘化四丁未年七月吉日(1847)」 「江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛 同所住 包吉作 花押」 と銘があります。
石工包吉が太刀賣藤兵衛と最初に仕事をしたのは、 港区麻布にある天現寺の虎で、天保六年(1835)、 次が品川区の諏訪神社の燈籠で天保十四年(1843)、続いて八雲神社の狛犬となります。 注目は「同所住」の一文で、包吉が「太刀賣(京橋南紺屋町)」に住んで居ると名乗ったことです。 つまり江戸石工十三組の八丁堀組内の棟梁でもある太刀賣藤兵衛がこの時期に包吉を自分の後継者と決めて同所に住まわせたとなるわけです。
藤兵衛に娘がいて結婚したのか、それとも養子として家に入ったかまでは分かりませんが、代々続く職人の家は血縁にこだわらず、技術を持った者が継いで成り立っています。 因みに井亀泉こと石匠酒井八右衛門の二代目も他家からの養子でした。 二代目藤兵衛の作品は蔓延元年(1860)の港区赤阪にある豊川稲荷のキツネが最後のようです。 京橋太刀賣 石工藤兵衛については、こちらもご参照下さい。 (文・山田敏春、写真・阿由葉)