自分のものさしを見つめ直してみませんか
熊本市城南町火の君文化センター
平成22年11月24日


 皆さん、こんばんは。
 ただいまご紹介いただきました中川でございます。ご紹介の中で「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。そのとき、皆さんの中に「えっ、ありとしと読むのか」というような反応がありました。
 私は、これまで「ありとし」と読まれたことはありません。ほとんど「ゆうき」または「ゆき」と読まれ、女性とよく間違われますがます。が、見ての通り男です。
 私はこんなすばらしい名前をつけてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 今でも、幼友達からは「ありちゃん」と呼ばれています。「ありちゃん」と呼ばれることを嬉しく思います。
 ところが、私は上級生などから、「おっ、アリの来よる。アリは踏みつぶそう」と足で踏みつぶす仕草をしてからかわれたりいじめられることがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。有紀」と体当たりでぶつかっていきました。
 本日は先生方がいらっしゃると聞いています。そこで、先生方にお願いです。
 学級の中で名前のことでからかわれたり、意地悪されたりして悔しい思い、悲しい思いをしている子がいるかもしれません。そんなとき、みんなの前でその子の名前に込めた親御さんの思いを語って下さい。名前に込められた親御さんの思いを知ったら、からかったり意地悪したりすることの愚かさにきっと気づくと思います。
 人は自分の名前を誇りに思うことから自分自身を誇りに思うようになります。そして、これは、人権問題に直結することです。
 本日は、人権問題について一緒に考えていきたいと思います。
 皆さんにお尋ねします。手を挙げなくても結構ですが心の中で手を挙げてください。
 「女のくせになんだ」といわれた人はいませんか?あなたがこうしたことを言ったことはありませんか?
 「女は入れてあげない」と遊びにかててもらえなかった人はいませんか?言ったことはありませんか?
 「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などと言われたことはありませんか?言ったことはありませんか?
 「子どものくせにだまっていなさい」と言われたことはありませんか?言ったことはありませんか?
 あなたがおじいさんやおばあさんに「としよりのくせに」と言ったことはありませんか?
 体の不自由な人をからかったり、笑ったりしたことはありませんか?
 同和地区に生まれた人たちの悪口を言ったり差別の目を向けている人はいませんか?
 どうでしたか。みなさん、あてはまることはありませんでしたか?
 私にはあてはまることがたくさんあります。その一つ一つを取り除いていく努力をしています。
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。
 差別についてきちんとした知識をもっていないと、あなたが誰かを差別しても差別していることに気づくことができません。
 また、誰かにあなたが差別されても差別されていることに気づくことができなくなるのです。 
 北朝鮮の韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃で、朝鮮半島は緊張が高まっています。その韓国を訪れた日本人観光客が観光地で記念写真を撮ろうと、近くにいた韓国人にカメラのシャッターを押して貰おうと頼みました。
 韓国人が「どうすればいいですか?」と聞き返すと、「これはバカチョンカメラですからここを押すだけでいいです」と言ってうきうきした気分でポーズをとったそうです。頼まれた韓国人は、怒りで体が震えてシャッターを押すことが出来なかったという話を聞いたことがあります。
 皆さんご存じのように「バカ」は人を見下す言葉です。「チョン」は朝鮮半島の人を侮蔑する言葉です。観光に行った日本人は、このことを知らなかったのです。自分では侮蔑や差別するつもりはなくても結果的に韓国人を侮蔑・差別しているのです。
 ですから、人権について正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動できることが大事なのです。このような観点から人権教育・啓発が行われていると私は思います。
 差別とは、命と人権が傷付けられることです。差別とは、自分の力ではどうすることもできないことで不利益を被ることです。
 人をばかにしたり、仲間はずしをしたり、いじめることは人権問題であり、差別です。
 私たちの周りには、様々な人権課題があります。人権とは、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障される権利です。私たちの権利が守られるためにも、互いの人権を尊重するためにも、さまざまな人権問題について、関心を持ち、学び、理解を深めることが必要です。
 人権課題には、女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障がい者の人権などいろいろな人権課題があります。中でも熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題が大きな人権課題です。人権問題は、差別される側の問題ではなく差別する側の問題です。
 本日は、同和問題について考えたいと思います。
 熊本県が平成16年に実施した県民意識調査のデータがあります。
○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
  @結婚問題で周囲が反対すること               54.4%
  A身元調査をすること                    41.8%
  B就職・職場で不利な扱いをすること             29.8%
 と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
  @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない   62.5%
  A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない  30.0%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない          4.1%
  C絶対に結婚を認めない                    3.4%
 6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これは、これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、親として反対するが子どもの意志が強ければしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、家族や親戚の反対があれば結婚を認めないが4、1%、絶対に認めないが3、4%もいることはさらなる教育・啓発が必要なことを示しています。
 同和地区の人と結婚しようとするとき何故、周りは反対するのでしょうか?
 「同和地区出身者と結婚したら地区出身者と見なされ、差別を受ける不幸に見舞われる。そうはさせたくない」という我が子への親の愛情が結婚差別となって表現されるのです。
 さらに、「同和地区の人と親戚になると、自分たちまで地区出身者と見なされる。結婚する当事者はそれでよいかもしれないが、私たちの子どもへの影響も考えてもらいたい」という思いとなるのです。これまでの結婚差別事件で、「相手を差別するつもりなど全くなかった」との発言からも分かるように、同和地区出身者を積極的に差別する意図がないなかで深刻な結婚差別の現実がつくりだされているのです。
 「相手を差別するつもりなど全くない。でも同和地区出身者との結婚は反対」というこの思いはどこから来るのでしょうか?
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージを払拭することが求められているのです。
○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
  @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する  54.5%
  A自分の意志を貫いて結婚する                26.7%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚しない           15.2%
  C絶対に結婚しない                      3.6%
 5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
 学校で同和教育が始まって、40年以上も経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 熊本県では、10年に1度くらいの割合で実態調査をしていますので、次回の調査では結婚差別については0%になっていることを望みます。そうなるように人権教育・啓発がなされているのですから。
 しかし、差別はなかなかなくなりません。なぜ、なくならないのかを考えてみたいと思います。
 私たちは物事を判断する上で、それぞれ自分のものさしを持っています。そのものさしをを見つめ直してみましょう。
 いきなりですが、レジュメの空いているところに「コップ」の絵を描いてみましょう。
 (2人に描いて貰う 水を飲むコップ コーヒーカップ)
 水を飲むコップにちかいコップを描いた方、手を挙げてみて下さい。(半数近く挙手)
 コーヒーカップにちかいコップを描いた方、手を挙げてみて下さい。(半数近く挙手)
 今私は「コップの絵を描いてみましょう」と言いました。しかし、受け止め方に違いが出てきますね。同じ事を聞いても同じ受け止めをするとは限りません。
 日常会話の中で、話がかみ合わないことがありませんか?
 自分は水飲み用コップの話をしているのに、相手はコーヒーカップの事を考えて聞いているなら話がかみ合わないはずです。受け止め方が違うと言うことを前提に丁寧に話し合わねばなりません。
 人権啓発も同じです。ですから啓発は「これだけやったからもうよい」と言うことはないのです。
 しかし、皆さんが描いたコップに共通するものがあります。
 何でしょうか?
 そうです。みんな上向きのコップです。このように心のコップもいつも上向きにしておきたいものです。
 次に魚の絵を描いてみましょう。
 二人に描いてもらう。(一人は左を向いている魚、一人は右を向いている魚を描く)
 ○○さんと同じように左向きの魚の絵を描いた方、手を挙げてみてください。(ほとんどが挙手)
 △△さんと同じように右向きの魚を描いた方、手を挙げてみて下さい。(一人挙手)
 △△さん以外の方全員が左向きの魚を描いていらっしゃいます。
 右向きは一人です。△△さんはすごいですね。そのわけは後で話します。
 この魚の絵も、私は「魚の画を描いてみましょう。」としか言いませんでした。「左向きの魚の絵を描きましょう。」とは言っていません。にもかかわらずほとんどの方が左向きの魚の絵を描きました。
 5月の鯉幟の絵もほとんど頭は左を向いています。
 こんな事が起きるのは一体、どういう事なのでしょうか?
 私たちの周りにある魚の絵、写真、そして料理に出る魚はそのほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見てください。9割近くは左向きの魚です。それを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 これを刷り込みと言います。この刷り込みが時として思い込み、偏見となるのです。そして偏見が差別につながることがあるのです。
 この意味から、右向きの魚を描かれた方は一般的な刷り込みを受けることなくご自分の考えをお持ちだと言うことですからすごいことだと思います。
 「魚の絵は左向き」は直接差別につながりませんが、「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。
「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と言います。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 皆さん、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手してみて下さい。(挙手無し)
 マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)
 私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。
 小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たりカラスの鳴き声を聞くと、「今日はあんまり良いことは無かバイ」など言っていました。
 私たちはカラスの羽の色が黒いということでカラスは縁起が悪い鳥と決めつけているのではないでしょうか。
 本当にカラスって縁起が悪い鳥でしょうか。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。
   烏 なぜ啼くの   烏は山に    可愛い七つの  子があるからよ
  可愛 可愛と    烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
  山の古巣に    行つて見て御覧 丸い眼をした  いい子だよ          
 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 「あの人は、自分とは合わない、ちがう」と決めつけることなく、自分の大切さとともに、他の人を大切にできるようになれば、世の中の差別はなくなっていくことでしょう。        
 平成20年8月、義母が亡くなりました。
 葬儀社の方に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の方がノートをひろげて、「一般的に、今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないと言われています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは六曜の考えは信じていませんので、「一般的な方法で、今夜が仮通夜、明日が本通夜、葬儀は明後日にお願いします」と友引の日に葬儀の日取りを決めました。その日は日曜日でした。火葬場には、数組みの家族が火葬の順を待っていました。科学的根拠のない六曜にとらわれることなく生活している方が多くなっています。
 友引の日に葬儀を済ませましたがどうってことありませんでした。
 この六曜とは、どんなものでしょうか。
 どうやって今日は何の日と決めるのでしょうか。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。
 その時、旧暦の1月と7月の1日を先勝、2月と8月の1日を友引、3月と9月の1日を先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 このようにして定められた、「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と熊本市の仏願寺住職であった故高千穂正史さんは、その著書「愛語問答」で述べています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、カレンダーに六曜を入れない運動を進めている自治体もあります。一人ひとりの意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 思い込みや偏見をなくし、世間体にとらわれない生き方をするために、ものごとを、正しく学び、正しく理解し、判断し、相手の立場に立って行動しようではありませんか。
 今年は2010年です。21世紀となって10年が経過しました。
 21世紀は人権の世紀とも生涯学習の世紀ともいわれています。
 人権について、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動に移しましょう。
 今学校では、平成20年3月に文部科学省より出されました「人権教育の指導方法等の在り方について」の第3次答申に基づいて人権教育が行われています。
 「人権教育の指導方法等の在り方について」では、「人権教育を通じて育てたい資質・能力」として「自分の人権を知り、他者の人権を守るための実践行動」としています。
 つまり、単なる知識ではなく、人権を守るための実践力・行動力を求めています。
 このことを一覧表に示しています。ご覧下さい。
 「自分の人権を守り、他者の人権を守ろうとする意識・意欲・態度」には、「人権に関する知的理解」と「人権感覚」が必要としています。そしてその人権感覚は、「価値的側面」、「態度的側面」と「技能的側面」からなるとしています。
 人権に関する知的理解についての説明は割愛しますが、価値的・態度的側面を見て下さい。
 「人間の尊厳、自己の価値及び他者の価値を関知する感覚」「自己についての肯定的態度」「自他の価値を尊重しようとする意思・態度」「多様性への開かれた心と肯定的評価」が示されています。これは、一言で言えば自分自身を価値ある人間と思う心、つまり自尊感情の醸成です。
 また、「正義、自由、平等などの実現という理想に向かって活動する意欲」「人権侵害を受けている人々を支援しようとする意欲」「人権の観点からの自己自身の行為への責任感」「社会の発展に主体的に貢献しようとする態度」が示されています。これは人としての強さです。
 技能的側面として「人間の尊厳の平等性をふまえ、互いの相違を認め、受容する技能」「他者の傷みや感情を共感的に受容できるための創造力や感受性」は、人としてのやさしさです。
 「能動的な傾聴とコミュニケーションの技能」「他の人と対等で豊かな関係を築ける技能」は、コミュニケーション能力です。
 「対立を非暴力的で、双方にとってプラスとなるように解決する技能」は、アサーティブな表現力です。
 「人間関係のゆがみ、ステレオタイプ、偏見、差別を見極める技能」は、まさにものさしであり、「複数の情報源から情報を収集・吟味・分析し、公平で均衡のとれた結論に到達する関連技能」は、ものさしの基準です。
 これらは、人権教育の分野で指導すべきものとは限らず毎日の生活の中で指導すべき事であり、身につけるべきものです。
 私はPTA等の家庭教育講演会では、「子どもに強さとやさしさを身につけさせること、そして自分自身を価値ある人間と意識する自尊感情を醸成すること」を強く訴えています。
 これまで人権問題について考えてきましたが、差別をなくすために自分には何ができるかを考えて、欲しいと思います。その事がとりもなおさず、自分のものさしを見つめ直すことだと思います。
 おわりに、私が熊日新聞に投稿した記事「子供をほめて自己実現増幅」について話をします。
 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 新潟県の上越教育大学の名誉教授、新井郁生先生は北陸地方の公民館やカルチャーセンターで学んでいる人達にアンケート調査をしました。その結果、「小学4年生から中学2年生の5年間に、認められたり褒められたりして自己実現を実感した回数が多い人ほど学習意欲が旺盛」だと述べておられます。学習意欲が旺盛だということはとりもなおさず自尊感情が高い人です。
 これまでも見てきましたように、自尊感情は、「人権尊重」と「生涯学習」の礎です。
 認め、褒め、励まし、伸ばして自尊感情が高い子どもたちを育てて下さい。
 このことが、人権尊重の精神で溢れる学校、城南町、つまり人権文化の華咲くまちづくりにつながります。
 時間の都合で準備しました資料には触れていません。是非目を通していただきたいと思います。
 これをもちまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。


                  城南町公民館講座「人権文化セミナー」講演会 感想

・「自分を好きになる」自尊感情は、親からもらった名前を好きになり大事にすることから始まるとの話、全く同感だ。
・具体的で分かりやすい話であった。刷り込みが決めつけや偏見となり差別につながることがあると言う話、よく分かった。
・魚の絵を逆向きに描いた。
 ものの見方についてタイムリーなことがあった。生徒の中で「自分に期待されるのが辛い」と言った生徒がいた。この生徒は、期待や頑張 れの言葉がプレッシャーにしか感じていなかった。応援している人々の気持ちに視点を移して考えてみるよう促したことがあった。
・魚の絵、コップの絵の件で、ものの見方について改めて考えさせられた。
・コップや魚を描くことで、それぞれが持つものさしに違いがあることが分かった。刷り込みが差別へとつながる危険性が分かった。
・誰でも褒められるとうれしい。しかし、褒めることは難しいことでもあると感じている。子どもがうれしがる褒めかた、反省する叱り方ができ  るよう子どもをしっかり見ていきたい。
・改めて気づかされることが多い話であった。ものの見方について再度考えさせられた。
・差別意識はないと思っている自分を問い直す機会となった。
・子どもの頃から教育を受けてきた「知らずに済むのに」と思っていたが、その認識が間違っていたことを考えさせられた。
・自分も知らない間に差別をしていることに気づかされた。セミナーに来て良かった。
・偏見を持たずに生活するにはどうしたらいいかを家に持ち帰って、子どもの名前を例に子どもと一緒に考えたい。
・人権は空気みたいに大切なものである。身近に人権問題がある。当事者になったときにきちんと行動できるかが課題である。マイナスイメージからではなく、プラスイメージから始めようと思う。
・人権感覚はおかしいと思うことから始まり、気づくことから人権意識が高まっていくと思う。
・ランドセルの色、これも思い込みから偏見につながることもあるのではないか。
・六曜を気にし過ぎていたかもしれない。大安や友引など。
・六曜とは何かを改めて知ることができた。古い暦に振りまわされていることに気がついた。
 人権感覚は小さい頃の環境、関わりですごく変化すると思う。人の違いを認めるか否定して差別につながるかは周りの人の言葉かけだ。 人権感覚豊かな子どもを育てていきたい。
 「雨の中に」を「お足元の悪い中に」と言うと、足に障がいを持つ人は不快に思うかもしれない。これも人権問題だ。
・小さい頃から使っている言葉「めくら」は、何気なしに使ってしまう。差別するつもりはなくても差別している。人権の視点から学ぶことが大 事だと言うことが分かった。
・大正時代に「七つの子」を作詞した野口雨情の感覚はすごい。
・新鮮に話を聞くことができた。無批判に受け入れていた自分に気づいた。
・面白い話だった。結婚についての話で「親として子どもに苦労させたくないから」と子どもの幸せを思って反対していることが部落差別だと 認識する啓発活動が重要だと分かった。
・結婚差別が多い中、自分だったらどうするのかと疑問を持っていたが、少しなくなった気がする。
・「バカチョンカメラ」の意味を初めて知った。差別語とは知らなかった。