人権感覚を見つめ直してみませんか
熊本県人権センター 
平成19年度 人権教育指導者育成講座
平成19年5月


1 はじめに
 皆さん今日は。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 前の席が少し空いています。講演会とか研修会などでは前の席はどうしても敬遠されがちですね。
 私はプロレスが好きで、よく見に行っていました。高いお金を出して、リングサイトで見ていました。職員旅行で宝塚歌劇を見たことがあります。最後列の席しか空いていませんでした。聞くところによると、高い金額の前の席からを売れていくそうです。自分が興味のあるものは前の席で、見たり聞いたりしますね。
 本日は、遅れてきた人が前の席に着席されました。前の席に座れて良かったですね。前の席に座ると得しますよ。次回からは、前の席に座るようにしましょう。
 私が牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は職員に今年は女性の先生が赴任してくると紹介していたのに。あたはほんなこて中川先生な」と私に念を押されました。私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
 私はレジュメにも示していますように「有紀」と書いて「ありとし」とよみます。63歳になった今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「年(紀)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこのようなすばらしい名前を付けてくれた父、そして、私が小中学生の頃、当時は農家の長男は跡取りをするのがあたりまえという時代に、お前の好きな道を歩めと応援してくれた父を尊敬しています。
 その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 私が結婚を意識し始めた頃、昭和44年のある日のことです。私が結婚しようと思っていた人が、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたこと、身元調査をしていたことを知ったからです。「生涯共に暮らす人」と私が決めた人と私の人権を侵された思いで、父に強く抗議しました。父は何も言いませんでしたが、下を向いたままのその姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 いまどき、身元調査なんてと思っていましたが、昨年秋、「全国の被差別部落の所在地などを記載した「部落地名総鑑」のデータを電子化した「電子版・部落地名総鑑」を大阪市内の複数の調査業関係者から部落解放同盟大阪府連が回収した」との報道がありました。
 日頃は、「俺は、差別もなんもしよらん。誰とでも付き合っている」と誰もが口にします。しかし、結婚や就職と言った人生の節目の時、差別意識が心の奥底から出てくるのです。
 熊本県が平成16年度に調査した県民意識調査のデータがあります。
○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
   @結婚問題で周囲が反対すること   54、4%
   A身元調査をすること        41、8%
   B就職・職場で不利な扱いをすること 29、8%
 と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
   @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない  62、5%
   A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30、0%
   B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない         4、1%
   C絶対に結婚を認めない                   3、4%
  6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、反対するが しかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、結婚を認めないが7、5%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示して  います。
○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
   @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する 54、5%
   A自分の意志を貫いて結婚する               26、7%
   B家族や親戚の反対があれば、結婚しない          15、2%
   C絶対に結婚しない                     3、6%
  5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わ  せると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
  同和対策審議会答申のもと、同和教育が始まって、40年近く経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 ある会話です。よく聴いてください。
  「背広どん着て、何ごつな」
  「息子が結婚したかて言うので、相手はどぎゃん家のもんか調べに行きよっとたい」
  「そらー、おおごつな」と言うか、
  「ちょっと待ちなっせ。おかしゆうはなかな」と返すかが私たちに問われていると思います。
 私は、「ちょっと、待ちなっせ」という人権感覚を持ち続けたいと思っています。

2 絵を見て考えましょう
 自分で思い描くコップの絵を描いてみましょう。
 いろんなコップの絵ができています。時間があれば、ここに描いてもらうところですが本日は時間がありません。皆さんが描いた絵を私が紹介します。水を飲むコップ、コーヒーカップ、ビールなどを飲むコップ、たくさんのコップが描いてあります。
 私は「コップの絵を描いてみましょう」と言ったのですが、コップの受け止め方でこのようにいろいろな形が描かれます。言葉を聞いての受け止め方や思い描くイメージにこのように違いがあることに気づいたことと思います。「私はこう思うからみんなもこう思うはず」という考えはおかしいということがわかりますね。自分の考えを大事に、そして他の人の考えも大事にしていきたいものです。
 ところで、今皆さんが描いたコップの絵は、ほとんどが上向きになっています。今こうして私の話を聞いている皆さんの心のコップも上を向いています。下向きのコップにいくら水を注いでも、水は溜まっていきません。もったいないことですね。「心のコップ」も「上向き」にしておきたいものです。
 次は、魚の絵を描いてみましょうか。
 魚の頭が左向きの絵を描いた人、手を挙げてみてください。右向きの絵を描いた人は?
 ほとんどの方が魚の頭が左向きの絵を描きました。
 どうして、人は魚の絵を描くとき、頭が左を向いている絵を描くのでしょうか?
 それは、私たちが日頃目にする魚の図鑑や写真のほとんどが、頭が左にあるのです。思い起こしてみるとそうですよね。ある先生は、これを「すりこみ」と表現されました。
 示してはいませんが、牛を思い描いてみましょうか。色を付けてください。
 黒牛を描いた人、手を挙げてみてください。
 赤牛を描いた人?
 ホルスタイン、白黒の牛を描いた人?
 実は、30年ほど前、熊本の子どもたちがどんな牛の絵を描くか調査した結果を見たことがあります。
 天草地方の子どものほとんどは黒牛だったそうです。阿蘇地方の子どもたちのほとんどが、赤牛を描いたたそうです。熊本地方の子どもたちはホルスタインが多かったと言うことでした。
 以前、天草地方では、農耕用に黒牛を飼っていました。阿蘇は今でも赤牛ですよね。これも刷り込みだと思います。
 この刷り込みが、時として偏見となったり、「こうなんだ」という思いこみになったりするのです。
 あまり話し合いもせずに、相手を誤解したり、自分が誤解されたりしたことはありませんか?
自分は赤牛のつもりで話しをしているのに、相手はホルスタインを思い浮かべているかも知れませんね。これでは誤解が生まれるはずです。そんなときは、よく話し合うことです。
 いくつかの絵を見てみましょう。
 (1)の絵を見てください。中に描いてある四角形は正方形でしょうか?
   四角形の周りに円が描いてあるので、曲がって見えませんか?帰ったら定規で確かめてください。


(3)の直線はどちらが長いでしょうか? 左が長く見えませんか。


(4)の2本の線は直線でしょうか? ふくらんで見えませんか。


 実は、(1)の図形は正方形、(2)の図形は長さは同じ、(3)の図形は直線で平行なのです。これは、すべて目の錯覚なのです。
 ほんの少し、図形を付け加えることによって違って見えてしまうことがあります。社会を見つめるとき、いろんな情報や自分の決めつけなどによりこのように見誤るようなことはないでしょうか。


 AB,CD 2本の線があります。
 2本の線の長さは、どう見えますか。
 斜の線が余計な情報となって、私たちの正確な判断を惑わしています。
 「ABが長いと思うが、多分長さは同じだろう」と結論づけるのは、十分な事実確認をすることなく、勝手に判断してしまう予断です。
 実際に物差しで測ると、この図は「AB」の方がわずかに長いのです。この問題は目の錯覚の問題で、「2本とも同じ長さだろう」と思うのも、そこには予断が存在しています。実際に定規を使うなどして2本の線の長さを比べることが、予断や偏見のない考え方ではないでしょうか。
 日常の生活の中で、今までの経験や知識により、物事を判断することは必要ですが、噂話・俗説・迷信にとらわれることなく、物事を冷静に科学的に事実を確認して、正確な判断力を養うことは大切なことです。同和地区およびその出身の人たちに対して、予断や偏見をもつことが、今も残る部落差別の大きな要因なのです。
(5)を見てください。どんなに見えますか?

下の絵を見て下さい。

 おばあさんに見えた人? 
 少女に見えた人?
 どちらにも見えた人?

 最初におばあさんに見えた人にとっては、少女にはなかなか見えないでしょう。その逆もありますね。出会いが大切ですね。
 物事を見るとき、話を聞くとき、決めつけや固定観念で見たり聞いたりすると、正しく判断できなくなることがあります。私たちはこれまでの生活の中で自分でも気づかないうちに心の中にすり込まれたものがあります。それが予断や偏見になることがあります。
 予断と偏見は一人ひとりの意識の問題でもあります。人を見下したり、遠ざけたりすることによって自己の優位性を保とうとする個人の弱さがそれを支えているのです。それが差別を助長したり温存します。その克服のためには人権・同和問題を正しく学び、「そうかな」と立ち止まって見つめ直す、考え直すことにより、予断と偏見を取り除いていくことが大切です。
 さらに、「人権問題」を正しく理解し、態度や行動に移すことのできる力となる感受性や感性をはぐくむことが重要であると思っています。

3 人権教育・啓発を通じて育てたい資質や能力
 昨年1月、「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」が第2次とりまとめを発表しました。
 人権感覚については「人権上問題があるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、人権への配慮が態度や行動に現れる感覚」としています。
 「日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚」と説明しています。
 人権意識についても、「自分の人権を守り、他者の人権を守るため、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする意識」としています。
 そして、「自他の人権尊重の良さを肯定し、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする人権意識が生まれる」としています。
 また、人権教育を通じて育てたい資質や能力として、「人権に関する知的理解」と「人権感覚」としています。
 これが、「自分の人権を守り、他者の人権を守るために実践行動するこどもを育てる」と示しています。
 学校では、この2つの面を育てる人権教育が進められています。社会啓発でもこの2つを主眼に本日のような指導者の育成が行われたり、啓発チラシを作成したり、市町村広報に人権啓発記事を掲載するなどの啓発活動が進められています。
 人権教育の指導法に関する調査研究会議の座長であり、筑波大学教授である福田弘先生は、「人権感覚を育成するためには、感動する感性、適切かつ健全なセルフエスティーム、共感する力が大切である」と言っておられます。
 私の友人の話です。農家の長男であった彼は農業の跡継ぎをしなければならなかったのですが、お父さんが「おまえが好きな道を歩め」と勧めていただいたことから大学に進学しました。その彼がある日の夕方、縁側でくつろいでいるとき、お父さんが農作業を終えて帰ってきたのです。「父ちゃん、疲れたろう。足ば洗ってやるけん出しなっせ。」と洗面器にお湯をくんで父の足を洗ってやったとき、その足を見て、「自分が子どもの頃の親父の足はもっと美しかったのに、ひびがはいってしまっている。こんなにまで苦労して俺を大学にやっているのか。父ちゃん、ありがとう、ありがとう、ありがとう。」と目から出る涙を拭き拭き父の足を洗っていると、彼の首筋に暖かいものが一粒二粒落ちてきたというのです。この親子の情愛、これが感動する感性の基礎だと思います。この情愛は家庭で教わらなかったらよそで学ぶのはむずかしいと思います。
 福島県会津若松市の県立高校3年男子生徒が、母親をあやめ頭部を持って自首した事件は日本中を驚かせました。どのような環境で育ち、どのような生育歴があったのか分かりませんが、私の友人のような親子の情愛があればこのような事件は起きなかったでしょう。

4 日常の生活の中で人権感覚を育てましょう
 「無知は偏見を生み、偏見は差別につながる」という言葉を聞いたことがあるでしょう。ものごとは、学ぶことによって正しく理解することが必要です。また、一つ一つを知識や能力、技能として学び蓄えてもそれを統合して総合的に実践に移すことができなければそれらは無用のものとなってしまいます。一つ一つの知識や技能を統合して総合的に実践に移すのは脳の司令塔と呼ばれる前頭前野だそうです。つまり、「前頭前野」を鍛えることも必要です。 東北大学の川島隆太教授は、読み書き計算とコミュニケーション、手指を使い何かをつくりだす、という前頭前野を鍛える3つの原則と説いています。これは、大人にも子どもにも言えることでしょう。
 思いこみや偏見をなくすことは、先ほどお話ししたとおりです。
 私たちは、血筋や家柄、迷信にこだわるなど、非合理的な考え方や誤った意識で判断したり行動したりすることはないでしょうか。また、ものごとを決めるときや判断するとき「おかしい」と感じても「周りの人はどう思うだろうか」といった世間体にとらわれることはないでしょうか。
 よくいわれることが結婚式や葬儀の日取りを決めるときの「今日は何の日?」です。例えば仏滅での結婚式をさけようとする考えがあります。友引の日の葬儀をさけようとする傾向もあります。「大安」が良い日で「仏滅」が悪い日といつの間にか考えられてしまったのです。この六曜の決め方は皆さんもご存じでしょう。
 旧暦の1月1日と7月1日を「先勝」とするのです。そして2月1日を「友引」、3月1日を「先負」、4月1日を「仏滅」、5月1日を「大安」、6月1日を「赤口」として決めたのが六曜なのです。今年は1月1日が「大安」、2月1日が「先勝」、3月1日「赤口」、4月1日「先負」、5月1日「大安」、6月1日「先勝」です。
 今日、研修会に出られるときに今日は何の日か暦を見て来られた方いますか。おそらくいないでしょう。普段は気にしないのに結婚式などの日取り決めで今日は何の日かを気にするなんておかしなことです。差別もそうです。普段は「私には差別心などありません。誰とでも仲よく付き合っています」と言いますが、結婚話とか就職とか人生の節目の時に差別心が出てくるのです。
 ところで、今日は何の日かご存じですか。今日は「赤口」とカレンダーに記してありました。この日は万事に凶で「大悪日」とされていたそうです。赤という字から連想してのことでしょうか。火の元に気をつけよとか、赤は血を連想するからか、大工さんや板前さんなど刃物を持つ人たちにとって、要注意の日とされていたということです。
 自分自身を大切にする心、自尊感情と言います。英語ではセルフエスティームと言います。自分自身を大切にする人になって欲しいと思います。そんな子どもに育てて欲しいと思います。そうは言っても簡単にできるものではありません。
 テストの結果の親子の会話を聞いてください。
 1年生のありちゃんは、初めてのテストで「40点」をとりました。○を4つももらったのです。うれしくてるんるん気分で急いでおうちに帰りました。
 「お母さーん、テストで○を4つももらったよー。」お母さんもその声を聞いてうれしくなって「どーら見せてご覧。」「何ね、これは!たった40点じゃなかね。こんな点でどうするね。」と怒りました。
 ありちゃんは、がんばって次のテストでは80点とりました。「今日はお母さんから喜んでもらえるぞ。」と急いで帰りました。胸を張ってテストを見せると、「なんね、80点ね。100点取りきらんとね。」
 「よーし、こんどは100点とってやるぞ」とまたがんばりました。次のテストは100点です。今日こそはとスキップで帰りました。お母さんに見せると「うわー、100点とったね。よく頑張ったね。」
 これまでだったらとても素晴らしい親子です。子どもは一生懸命努力する、お母さんは最後は努力を認め子どもを褒める。褒めることで子どもの自尊感情ははぐくまれていきます。
 ところが、その後があったのです。「○○ちゃんは何点だった?」「○○ちゃんも100点だったよ。」「△チャンは?」「△ちゃんも100てんだったよ。みんな100点だった。先生もとても喜んでいたよ」「なんて、みんなが100点だったらいばられんタイ。」これにはさすがのありちゃんもがっくりしました。
 こんな親子の間では、自分を大切にする心、自尊感情など育ちません。
 自尊感情は、毎日の生活の中で、認められたり、褒められたり、励まされたりすることで、自己存在感、自己有用感、信頼されている、やればできるなどの思いを数多く実感することで育ってくると思います。このような体験を数多く持たせてください。
 また、ドロシー・ロー・ノルトの「子どもが育つ魔法の言葉」も帰ってから読んでください。
 病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところでは、病室に詰めている家族の目は、モニターに向かってしまうそうです。枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになるそうです。テレビドラマでもこのような光景が放映されることがあります。
 私の父は、15年前に亡くなりました。父は生前「我が家で死を迎えたい」と言っていました。家族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、手や足をさすりながら、父の弟妹は名前を呼びつづけ、私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と、孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。私は「父ちゃん、ありがとう。これからも俺たちを見守ってください」とこみ上げる悲しみを必死でこらえて父に語りかけました。このような人の生死や、朝日の出を見て厳かな気持ちになる、夕日を見てきれいと思う、自分が育てた生き物を見て喜ぶ、悲しむ、このような心を揺り動かす体験、私はこれを「情動体験」と言っています、この情動体験を数多くもってください。子どもにはさせてください。それが豊かな感性を育てるのです。人権感覚豊かな人とは、豊かな感性を持った人です。
 最近では、病院でもモニターは病室には置かないで看護師の詰め所に置いてあるところが多くなったそうです。
 「コミュニケーション力をはぐくみましょう」は時間の都合で割愛します。
 「アサーティブな自己表現力をはぐくみましょう」とは、聞き慣れない言葉かも知れませんが、相手を傷つけないようにしながら自分の気持ちを素直に伝えていく方法のことです。

5 おわりに
 ぎふ人権文化研究所主宰であり、大垣女子短期大学人権教育特別講師の桑原律さんの「人権感覚」って何ですかを読んで終わります。一緒に声に出して読みましょうか。     

      「人権感覚」って何ですか   桑原 律
    「人権感覚」って何ですか
    それは ケガをして
    苦しんでいる人があれば 
    そのまますどおりしないで
    「だいじょうぶですか」と
    助け励ます心のこと

    「人権感覚」って何ですか
    それは 悲しみに
    うち沈んでいる人があれば
    見て見ぬふりをしないで
    「いっしょに考えましょう」と
    共に語らう心のこと

    「人権感覚」って何ですか
    それは 偏見と差別に
    思い悩んでいる人があれば
    わが事のように感じて
    「そんなことは許せない」と 
    自ら進んで行動すること

    「人権感覚」って何ですか
    それは すどおりしない心
    見て見ぬふりをしない心
    他者の苦悩をわが苦悩として
    人権尊重のために行動する心のこと
                ヒューマンシンフォニー詩集「光は風のなかに」より

 ありがとうございました。
 私が話しましたことの何か一つで良いですから、今夜夕ご飯の時にご家族の方に話をしてください。
 自分の家族からそして周りの人へと人権感覚を見つめ直す話を拡げて欲しいと思います。
 長時間のご静聴ありがとうございました。


平成19年度人権教育指導者育成講座アンケート結果(天草ブロック)


講話について
(1)講話は良かったですか?
  @良かった       52
  Aどちらともいえない  2
  B良くなかった      0


(2)講話についてのご意見やご感想があればお書きください。

 ・とても分かりやすい講話だった。

 ・もう少し聞きたかった。

 ・資料の他に、自分の体験談を紹介していただき良かった。

 ・人権感覚について、改めて考える良い機会となった。

 ・自分自身を見つめ直すきっかけになった。

 ・「親の背中を見て子どもは育つ」と言われた子育ては、今は、親から育てなければならない。子育てより、親である前に、親の子 であるという意識づけからしなければならないと思う。

 ・自分も差別などしていないと思っていたが、改めて講話を聞いて、まだまだ差別や偏見を持っていたのだなあと思った。

 ・子どもたちの情動体験の大切さが、人権教育につながるということを教えていただき、すばらしい講話だった。

 ・中川先生のお話をもう少し聞きたかった。身近にある話で大変良かった。

 ・分かりやすく、興味深く聞くことができた。