生涯大学での学びを大切に

平成22年2月9日
山鹿市健康福祉センター
 

 皆さん。おはようございます。
 ただいまご紹介いただきました中川でございます。どうぞよろしくお願いします。
 私は、2年ほど前、人権教育について話をさせていただきました。鹿央地区生涯大学でも話をさせていただきました。それから、私の妻の里がここ山鹿市です。そういうわけで山鹿市とは縁がありまして、個人的にもよく山鹿市を訪れています。
 本日は、生涯大学受講の皆さんにお話ができることを大変うれしく思っています。
 私は耳の聞こえ方が年々悪くなってきました。いろんな方との会話で不便を感じることが多くなりました。また、テレビを見ているとき、ニュース番組のアナウンサーの声は聞き取ることができるのですが、ドラマの会話が聞き取りにくくなりました。
 そこで、正月、初詣の帰りにめがねの専門店で補聴器を買いました。
 そのときのことです。補聴器を視聴した後で、店の方が、「正月ですのでお年玉でこれだけ勉強します」と計算機を見せながらいきなり値引きの話をしました。この言葉を聞いて、中国での値引き交渉が頭に浮かびました。妻は、公民館の中国語講座を受講して以来、中国語を独りで学んで少し中国語が話せます。そこで、二人で中国の個人旅行を楽しんでいます。6月、西安の兵馬俑博物館を訪れたときのことです。売店で武者庸を買おうと、物色していますと、店の責任者らしき人が、「今は観光シーズンではないので客が少ない。これだけにします」と計算機を見せながらいきなり値引きの話を持ちかけました。そこで、計算機を仲介にして値引き交渉をして値札の6掛けくらいで買いました。中国では、値引き交渉は日常茶飯事です。値引きのこつをだいぶ学習しました。そのことが頭をよぎり補聴器の値引き交渉をして、かなりまけてもらいました。正月から得したような感じです。補聴器のおかげで、これまで聞こえなかった音も聞こえるようになり、再発見の毎日です。
 また、正月からうれしいことがもう一つあります。それは、楽しみにしているテレビ番組が3つ放映されるようになったことです。一つは、「龍馬伝」。皆さんも視ておられるでしょう?二つは、NHKBSハイビジョンで放映の「蒼穹の昴」です。清朝末期の中国、落日の大国の最高権力者・西太后の命運と、科挙の試験に合格した若者と宦官となり西太后につかえることになる若者の話です。そして、三つめがNHK総合テレビ、土曜歴史ドラマの「咲くやこの花」です。
 「咲くやこの花」は、百人一首カルタ娘「おこい」さんを主人公とした時代ドラマです。皆さんの中にも視ておられる方もおいででしょう?私がこのドラマを楽しみにしているのは、百人一首にいろんな思い出があるからです。
 高校1年の夏休みの宿題が百人一首を覚えることでした。私はそれまで百人一首のことは全く知りませんでした。「おぐら百人一首」と聞いて、福岡の「小倉(こくら)」にまつわる和歌かなと思ったものでした。「おぐら」とは、京都嵯峨野の「小倉山(おぐらやま)」のことですよね。百人一首選者の藤原定家が知り合いから、山荘の障子に貼る色紙の作成を頼まれ、百人一首を編集して書いて贈ったそうです。その山荘が小倉山にあったことから、「小倉百人一首」とよばれるようになったと言うことを後で知りました。
 「百人一首を全部覚えること」が宿題でしたが、なかなか覚えることができませんでした。50首くらい覚えたでしょうか。そして、2学期が始まりすぐに試験がありました。試験とはおもしろいもので覚えていない和歌ばかりが出題されました。結果は、30点くらいだったと思います。
それから必死に覚えました。
 皆さんご存じのように百人一首の6割から7割は恋の和歌ですよね。高校3年生の頃だったと思います。恋い焦がれた人がいました。美人でした。その人にラブレターを出したんです。その手紙の最後に、
定家作「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ」
という和歌を添えました。返事はなかなか返って来ませんでした。かなり経ってからその女性から、「この前の手紙に書いてあった、来ぬ人をまつほの浦の何とかて書いてあったのは何ね?」と尋ねられました。それで、百年の恋もいっぺんに冷めました。
 「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ」
の意味は、「いくら待っても訪れてこない恋しい人を毎日待ちこがれている私は、あの松帆の浦で夕なぎの頃焼くという藻塩のように、燃え盛る恋の思いに身もこがれるほどに苦しんでいるのですよ」というものですよね。恋い焦がれた人には私の気持ちは分かってもらえませんでした。
 私が七滝小学校長として赴任したとき、百人一首のカルタとりに全校児童が取り組んでいました。子ども達は、上の句を読むとすぐに下の句が出てきます。作者も知っていました。何人かの子に和歌の意味を尋ねると、意味を知っている子もいました。私は「宿題だから覚えなさい」と強制されたのに覚えることができませんでした。子どもたちは、カルタ競技を通して覚えていました。興味があると覚えるものですね。
 私は、百人一首カルタを家族でしていましたが、遊びでしたので上の句を聞いても下の句がすぐには思い浮かびません。そこで、小学2年生と試合をしても負けました。
 百人一首にはそのような思い出がありますので、時代ドラマ「咲くやこの花」がとても面白く毎週土曜日を楽しみにしています。
 第1回の放送から先週の放送まで取り上げられた和歌を記しています。
 光孝天皇作、「君がため はるの野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」
はちょうど今頃の季節の歌ではないでしょうか。
 「あなたにあげようと思って、春の野に出て若菜を摘んでいると、春だというのに雪が降ってきて、わたしの着物の袖に降りかかります。でも、あなたのことを思い浮かべると寒さなどけっして気になりません」という意味ですね。
 先週の第5回は、江戸のカルタ大会に出場するカルタ娘を決めるいわゆる地区大会の場面でした。隣どうし、幼なじみのおしのちゃんとおこいちゃんが対決するところでした。
 おしのちゃんは
 平兼盛作「忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで」
を私の和歌と言います。それは、自分の名前の「しの」で始まるからです。
 おこいちゃんは「こい」で始まる
 壬生忠見作「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」
が自分の歌と言います。詳しい意味は分からなくとも、読んだだけで何となく分かりますよね。
 私は、
 天智天皇作「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ」
が好きでした。第1番に出てくる和歌ですので1番に覚えたからです。それと「・・・を・・・み」は「・・・が・・・なので」と言う意味であることを知ったからです。
 「秋の田のほとりにつくった仮小屋に泊まって、刈り取った稲の番をしていると、小屋の屋根や周りを囲んでいる苫の目があらいので、冷たい夜露に私の着ている着物の袖は、しっとりとぬれていく」という意味です。
 父は、
 文屋康秀作「吹くからに 秋の草木の しおるれば むべ山風を 嵐といふらむ」
の「山風(やまかぜ)」を「さんぷう」と読んでいました。それがおかしくてすぐ覚えました。この和歌は、平安時代のだじゃれの和歌ですよね。「山」と「風」をあわせると「嵐」になるでしょう?平安時代は、漢字を分解したりして、言葉遊びの歌を作るのが流行ったそうです。
 絶世の美人と言われている小野小町。隣町の植木町には、「小野泉水公園」がありますね。小野小町が生まれた時にこの泉水の水を産湯に使ったと云う伝説が残されているそうです。
 小町作「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
は有名な和歌ですね。
 「降りつづく春の長雨に、桜の花はすっかり色あせてしまった。叶えられぬ恋の思いにうちしずみながら降りつづく雨をぼんやりながめ暮らしているうちに、私の美しさも桜の花の色のように、こんなにおとろえてしまった」
という意味です。
 小町は美人で頭もよかったので、とてももてたそうです。でも在原業平、この人のことを平安時代のプレイボーイと言う人もいますが、業平のことが好きだったので、言い寄る男を振りつづけていたそうです。しかし、業平はそのことを知りません。そのことを嘆いて作った和歌と言われています。
 このように百人一首の意味や詠まれた背景などを思い浮かべると、とても面白いものです。まだ「咲くやこの花」をご覧になったことがない方は一度視てみませんか。断っておきますが、私は決してNHKの宣伝マンではありません。
 資料に、島津日新公の「いろは歌」を付けています。
 「日新公」とは、島津忠良の尊称です。1500年代前半に活躍した薩摩の戦国大名で近世島津家中興の祖と言われている人です。
 この日新公が、いろは47句の薩摩藩士の規範、郷中教育の元となる処世訓を残したのです。これが日新公「いろは歌」です。鹿児島県南さつま市加世田の竹田神社の境内に歌碑が並べられています。鹿児島旅行をされるとき、一度訪ねてみてはいかがでしょう。 
 少し読んでみますね。
 「いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひに せずばかひなし」
 昔の賢い人の立派な教えや学問も口に唱えるだけでは、何の役に立たない。実践、実行することがもっとも大事であるということを詠んだものです。
 どうですか。生涯学習そのものでしょう?
 皆さんは、この生涯大学で学んだことを生かして地域づくりに励んでいらっしゃるでしょう?
 現代にも通じる生涯学習の真髄を16世紀に唱えているのです。
 「楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは 高きいやしき」
 立派な御殿に住んでいようと、粗末な小屋に住んでいようと、それで人間の価値は判断できない。心のあり方によってこそ真価が決まると言う意味です。まさにこの通りですね。
 「はかなくも 明日の命を 頼むかな 今日も今日とて 学びをばせで」
 明日のことは誰もわからない。勉学修行を明日に引き延ばし、もし明日自分が死んだらどうするのか。今この時を大切にすることだという意味です。
 最後の「す」を読んでみます。
 「少しきを 足れりとも知れ 満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空」
 少し足りないぐらいを満足とすることだ。月も満月から十六夜の月と欠け始める。足るを知って楽しむ心が大事だぞといっています。
 読んでみると私たちの生活の指針となることばかりでしょう?
 時間の関係で全ては読めません。読み方や意味が分かりづらいところもありますが、読んでみると何となく意味も分かります。お家に帰ってから読んでみてください。
 皆さんは、福沢諭吉はご存じでしょう?1万円札の肖像が福沢諭吉ですよね。
 「学問のすすめ」を表し、慶応大学の創始者ですね。私はこのくらいしか知りませんでした。昨年福岡市で、福沢諭吉展が開かれましたので見に行ってきました。そこで知ったのが、諭吉は、蘭学者であり自然科学者であり、思想家であり伝染病研究所の創設にも尽力したということです。いろんなことを書いていますが、私がびっくりしたのは、明治の初めにあって男女同権を主張しているのです。女性の人権を大切にしているのです。そのことが、「中津留別の書」という文から読み取ることができます。諭吉は、ご存じのように大分県中津出身ですよね。「中津留別の書」は、中津の人たちにあてて書かれた諭吉の考えです。その中で、「人倫の大本は夫婦なり」と説いています。
 資料に付けていますので一緒に読んでみましょう。 


 人倫の大本は夫婦なり。夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり。天の人を生ずるや、開闢の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるをえず。また男といい女といい、ひとしく天地間の一人にて軽重の別あるべき理なし。

 これは、男女同権を言っていることですよね。


 古今、支那・日本の風俗を見るに、一男子にて数多の婦人を妻妾にし、婦人を取扱うこと下婢の如く、また罪人の如くして、かつてこれを恥ずる色なし。浅ましきことならずや。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これに傚て母を侮り、その教を重んぜず。母の教を重んぜざれば、母はあれどもなきが如し。孤子に異ならざるなり。いわんや男子は外を勤て家におること稀なれば、誰かその子を教育する者あらん。哀というも、なおあまりあり。

 一家の主人が妻を軽蔑すると、その子もこれをまねして母を侮り、母の言うことを聞かなくなる。父親は外で働くことが多く教育はあまりできない。だったら子の教育は誰がするかと言っています。


 『論語』に「夫婦別あり」と記せり。別ありとは、分けへだてありということにはあるまじ。夫婦の間は情こそあるべきなり。他人らしく分け隔ありては、とても家は治り難し。されば別とは区別の義にて、この男女はこの夫婦、かの男女はかの夫婦と、二人ずつ区別正しく定るという義なるべし。然るに今、多勢の妾を養い、本妻にも子あり、妾にも子あるときは、兄弟同士、父は一人にて母は異なり。夫婦に区別ありとはいわれまじ。男子に二女を娶るの権あらば、婦人にも二夫を私するの理なかるべからず。試に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、一婦二夫、家におることあらば、主人よくこれを甘んじてその婦人に事るか。

 男に二人の女性を娶る権利があるならば、女性にも二人の男性を自分のものにする権利があるはず。試しに問うが、男性諸氏は、一家に一人の婦人に対して二人の夫がいることを受け入れることができるかと言っています。明治の初めにこんなことを言っているのですよ。諭吉の考えの先駆的なこと驚きますね。
 また、親孝行のことを説いています。


 親に孝行は当然のことなり。ただ一心に我が親と思い、余念なく孝行をつくすべし。三年父母の懐をまぬかれず、ゆえに三年の喪をつとむるなどは、勘定ずくの差引にて、あまり薄情にはあらずや。
 世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜なれば、これを大切に思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢21・2歳にも及ぶときは、これを成人の齢と名づけ、おのおの一人の了管できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。
 ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。

 子どもは天よりの授かり物だから、両親の威光と慈愛によってよき方向に導いて勉強させるのは親の役目だと言っています。21・2歳になったら成人とみなして独立させなさい。でも、親子の道は、生涯変わるものではない。子は親に孝行をつくし、親は子への慈愛を失うべからずと説いています。
 そのほかにもいろんなことを説いています。お帰りになったら読んでみてください。
 また、諭吉は人生の教訓として、福沢諭吉7つの教えを説いています。


           福沢諭吉 7つの教え

   世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯貫く仕事をもつ事です。
   世の中で一番みじめな事は、人間として教養がない事です。
   世の中で一番さびしい事は、する仕事がない事です。
   世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
   世の中で一番尊い事は、人のために奉仕してけして恩にきせない事です。
   世の中で一番美しい事は、すべてのものに愛情をもつ事です。
   世の中で一番悲しい事は、嘘をつく事です。

 今の時代にもあてはまる人生訓ですよね。
 メモしていらっしゃる方が多いようですね。今日は資料として付けていませんので、担当の方にこのメモを預けます。次回の生涯大学で配付していただきますね。
 今、国会が開かれています。鳩山首相は「生命」をキーワードに施政方針演説を行いました。私たちも授かった生命を守りり、生命を育む生き方をしたいと思います。
 その一つが、脳を若返らせることです。そのためには、笑いのある生活を送ることです。昔から「笑う門には福来たる」と言うでしょう。笑いのある人の家には、自然と幸せがやって来るという意味ですね。笑いは本来吐き出すことから始まったと言われています。つまり、悪いもの(毒)が体に入ってそれを体の外へ吐き出すこと、悪い毒は病気、ガン、生活習慣病、ストレスなどでしょう。
 浪越徳治郎さんは、「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と言い、口を大きく開けて高笑いをしていたでしょう。
 笑いには医学的効果があるそうです。
 笑いは、腹筋の運動量が多くなり、内臓のマッサージ効果が生れ、血行が良くなり消化が良くなるそうです。
 笑いによる感動は脳を刺激し、脳の血液循環が良くなり、脳の老化を予防するそうです。
 そして、笑いは人の心をなごませ、引き付ける不思議な力がありますよね。
 こういう笑いの効果を知っているからこそ、人は高いお金を払って、漫才や落語を聞きに行きますよね。中高年のアイドル綾小路きみまろさんの公演では、皆さん高い金を出して大笑いしているでしょう。
 あのように笑いを誘う話や文を書くことができる人はとても頭が柔軟で頭の回転が速い人だと思います。
 私が作ったのではありませんが、笑い話をいくつか紹介しましょう。
 私の知人に落語を研究している者がいます。彼から聞いた落語で一番短い小話です。
 「向こうからお坊さんが来るよ」
 「僧(そう)かい」(笑い)
 もう一つ小話「仁王」です。
 お寺の賽銭箱から賽銭をくすねた泥棒が、逃げようとしたところ、山門の仁王がむんずとつかみ、足で踏みつけました。「ぷー」という音がしました。仁王は顔を真っ赤にして口をへの字に曲げました。踏みつけられた泥棒が仁王を見上げながら「におうか」(笑い)
 南小国町の小学校に講演に行ったとき、近くのレストランで夕食を食べました。そこに地元の人が作った笑い話をまとめた本がありました。あまりにも面白かったのでメモしました。
 選挙にまつわる話です。
 お菓子屋さんから出てきた人に向かって、選挙運動に走り回っている人が聞きました。
 「あたは何党な?」「わしな、わしぁ昔は辛党だったバッテン、今は甘党タイ。」(笑い)
 今度は歯医者さんから歯の治療が終わって出てきた人に聞きました。
 「あたは何派な?」 「わしな、わしぁ前歯と奥歯タイ。」(笑い)
 こんな面白い話を作り出す人はすごいですね。
 面白いというと、川柳がありますね。その中でもシルバー川柳というのがあります。それを紹介しますね。
 「逢えそうで ときめく朝の 散歩道」
 いつまでもこのようにときめいていたいものですね。        
 「年金は 増えねど増える しわの数」(笑い)        
 「旅行好き 行ってないのは 冥土だけ」(笑い)
 「医者と妻 急に優しく なる不安」(笑い)
 「八十路超え 大器晩成 まだ成らず」
 これは、生涯学習そのものですね。
 どどいつにも面白いものがありますよ。
 「嫌なお方の 優しさよりも 好いた貴男の 無理がいい」
 これは、面白いと言うより艶っぽいどどいつですね。こんなふうに言われたいと思いませんか?
 「信州信濃の 新蕎麦よりも、わたしゃあなたの そばがいい」(笑い)
 「旦那まいにち 天文館で わたしゃ帳簿が ちんぷんかん」
 これは、語呂合わせの面白さですね。
 「スケベ男と カボチャのつるは となりの庭を はいまわる」(笑い)
 これは、阿蘇のある公民館に展示してあったものです。
 私、時々メモを見ながら皆様の前でこうして話をしています。人の名前や言いたいことを忘れてしまうことが多いのです。近頃は、家で妻と話をするときは「あれ」「これ」「それ」がとても多くなりました。
 今朝もテーブルの端にあるめがねを取って貰おうと「おい、そるばとってくれ」と言いました。妻は、「そるじゃわからんタイ。はっきり名前ば言わにゃん」と言います。そう言い終わるか終わらないうちに、「この前買ってきたあらぁどこになおしたな?」など言います。
 調子がよいとき、つまり二人が同じようなことを考えているときは、「あー、あるや?あら、あすこにあるタイ」こんな会話でも案外通じるんですね。ところが全然違うことを考えているときなど、私はめがねを探しているのにコップを持ってきたりということもあります。
 皆さんの家庭ではどうですか?
 これに似たところはありませんか?
 そこで、我が家では、互いに「あれ」「それ」「これ」と言ったときは、「はっきり物の名前を言いなさい」と問い返すようにしています。
 ある病院の先生の話によりますと、私たちの脳の老化の始まりは40歳代からだそうです。老いの特徴として、「もの忘れが多くなる」「物覚えが悪くなる」「動作が遅くなる」「がんこになる」「新しい友だちなどがつくりにくくなる」の5つがあるそうです。私は今、66歳です。時速60kmの速さで老化の道を突き進んでいるのです。このスピードにアクセルを踏んで加速するのではなく、ブレーキを踏み減速することが大事だと思います。
 今日はメモを見ないで5つを挙げることができました。ど忘れしてしまうことがたびたびです。特に人の名前。いつもはすっと出てくるのに出ないことがあります。皆さんはこんなことありませんか?相手に直接聞くこともためらわれます。
 こんな時は、しばらく会話を交わした後で、
 「ところであたの名前はなんて言うたかな?」
 「なんてな。あたは私の名前ばわすれたてな?中川タイ」
 「中川さんていうのは知っとる。私が聞きよるのは下の名前タイ」(笑い)
 これで、話が弾みますよ。
 東北大学の川嶋先生は、老化防止には、簡単な計算をすること、文を声に出して読むこと、友達と会話をすること、と言っています。
 私は、益城町公民館でそろばんを教えています。ご存じのようにそろばんは、10までの足し算引き算と、かけ算九九を組み合わせて計算するものです。老化防止にはとてもよいと思います。
 皆さん、ちょっと暗算をしてみましょうか?
 ごはさんねがいましては、「5円也、8円也、7円也、4円也、9円では」「33円」
 おっ、皆さんすごいですね。
 10まで足してみましょうか。「1円也、2円也、3円也、4円也、5円也、6円也、7円也、8円也、9円也、10円では」。「55円」。すごい。買い物をしたときなど、およその数に直して、「500円、800円、200円、300円」だから1800円か2000円を準備して、レジに並ぶと日頃の生活の中でも頭の体操をすることができますよ。
 もう一つ暗算をしてみましょうか。1〜9までの数の中から好きな数を一つ決めてください。決まりましたね。その数に1を足してください。その答に2をかけてください。そして4を足してください。それを2で割ってください。できましたね。その数から最初に決めた数を引いてください。答が出ましたね。
 その答を私が当てましょうか?
 私が答えるより、皆さん一緒に大きな声で言ってみましょうか。
 いいですか。「サン、ハイ」
「3」(「あれ?」のつぶやきが出る)
 そうです。答は3になりましたね。はじめに決めた数は、それぞれで違う数だったはずなのに答えはみんな一緒。3です。不思議ですね。
 もう一度してみましょうか。
 1〜9までの数の中から一つ決めます。その数に1を足します。その答に2をかけます。そして4を足します。それを2で割ります。その数から最初に決めた数を引きます。答えが出ますね。(また「3だ」の声あり)
 なぜ3になるかは、お家に帰ってからゆっくり考えてください。中学2年生くらいなら証明ができることでしょう。今日、孫さんにこのことを試してみてください。きっと「うわー、おじいちゃんすごい。」「おばあちゃん、すごい。」と言われることと思います。  
 声に出して文を読むことが老化のブレーキになるそうです。
 私の母は、90歳を超えました。母に、「新聞は声を出して読むとよかバイ」と言いますと、「私ぁ、毎日おつとめを声を出してしよるけんよか」と言います。おつとめは、毎日していますので暗記しています。特に蓮如上人の「白骨の章」などは目をつむっても読むことができます。暗記しているからです。暗記したのをそらで言うのではなく、文章を声に出して読むことです。それには新聞を読むのが一番適しているそうです。熊日新聞でいえば「新生面」、朝日新聞なら「天声人語」を声に出して読むと、だいたい7〜8分くらいかかります。書いてある文は毎日違うのでいつも新鮮です。声に出して読むと、どう読んだらよいか分からない言葉があります。意味が分からない言葉もあります。是非、声を出して読んでみてください。
 ここでは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を皆で読んでみましょう。
 「蜘蛛の糸」は皆さんご存じのように、
 極楽の蓮池のふちを御歩きになっていらっしゃる御釈迦様がふと地獄の底をご覧になると、陀多が御眼に止まります。大泥坊の陀多は蜘蛛を「これも命がある。命を無暗にとるのは可哀そうだ」と、助けてやったことがありました。
 御釈迦様はこのことを御思い出しになり、この男を地獄から救い出してやろうと蜘蛛の糸を地獄の底へ御下しなさいます。
 陀多はその蜘蛛の糸をつかみ、上へ上へとのぼり、もう少しで地獄から抜け出せるというところで、下を見ると罪人たちが蟻の行列のようによじのぼって来ます。陀多は、この蜘蛛の糸はあれだけの人数の重みに堪える事は出来ない。もし途中で断れたら地獄へ落ちてしまう。
 そう考えた陀多は、「この蜘蛛の糸はおれのものだ。下りろ。」とわめきます。その途端に陀多がぶら下っている所から、蜘蛛の糸は断れ、陀多は地獄の底に落ちてしまうという話ですね。
 一緒に声を出して読んでみましょう。


      蜘蛛の糸               芥川龍之介

 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。
 するとその地獄の底に、陀多と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこで陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

 はい、ここまでにしましょう。声に出して読むと趣が違うでしょう?また、何と読もうかと考えてしまう漢字もあるでしょう?「玉」を「たま」と読もうか「ぎょく」と読もうかと迷います。声に出して読むよさはこんなところにもあると思います。
 皆さんは、杉良太郎さんが歌う「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」を聴いたことはありませんか?聴いたことがある方もいらっしゃいますね。
 感謝の心で、プラス思考で生きることを歌った歌です。
 「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」は、
 西美濃三十三観音霊場第十八番札所 東海薬師四十九霊場第十三番札所 岐阜県不破郡関ヶ原町今須 青坂山 妙王禅寺
にある言葉です。
 これも一緒に読んでみましょう。


          ぼけたらあかん長生きしなはれ

 年をとったら出しゃばらず 憎まれぐちに泣きごとに
 人のかげぐち愚痴いわず 他人のことは賞めなはれ
 聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも知らんふりいつでもアホでいるこっちゃ

 勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら
 若いもんには花持たせ 一歩さがってゆずるのが
 円満にいくコツですわ いつも感謝を忘れずに
 どんな時でもヘえおおきに

 お金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも
 死んだら持って行けまへん あの人はえゝ人やった
 そないに人から言われるよう 生きているうちにバラまいて
 山ほど徳を積みなはれ

 というのはそれは表向き ほんまはゼニを離さずに
 死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても
 お金があるから大事にし みんなベンチャラいうてくれる
 内証やけれどほんまだっせ
 
 昔のことはみな忘れ 自慢話は しなはんな
 わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも
 体がいうことをききまへん あんたはえらい わしゃあかん
 そんな気持ちでおりなはれ

 わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われる
 えゝ年寄りになりなはれ ボケたらあかんそのために
 頭の洗濯 生きがいに 何か一つ趣味持って
 せいぜい 長生きしなはれや

                   西美濃三十三観音霊場第十八番札所 
                   東海薬師四十九霊場第十三番札所 
                   岐阜県不破郡関ヶ原町今須 
                                      青坂山 妙王禅寺

 どうですか?
 この通りとはいかないまでもところどころはこれからの生き方に取り入れても良さそうですね。茶の間にはっておかれたらいかがでしょう?
 益城町公民館講座で学んでいる人の中には、「町の税金で学ばせてもらったから地域に恩返しをしよう」と、学校や施設などを訪問して絵手紙を書いたり、焼き物を作ったり、そろばんを教えたりする人が増えてきました。
 ここ、山鹿市でも学校や幼稚園・保育園で子どもの学習のお手伝いをしている方も多いことでしょう。
 今、学校では、放課後の子どもの学習や生活を手伝ったり、国語や算数などの授業のお手伝いをするなどの活動が行われています。このような活動に積極的に参加し、生涯大学で学んだ学習成果を地域づくりに生かしましょう。
 それが日新公の「いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひに せずばかひなし」に通じます。 
 皆様方のますますの御健勝と学びの拡がりを祈念して話を終わります。
 長時間のご静聴ありがとうございました。