自分で考え自分で行動できる子に
平成22年2月26日
山都町立矢部小学校家庭教育講演会


 皆さん、今日は。
 ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 ただ今、「なかがわありとし」さんと紹介いただきました。私は、「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。
 私が牛深小学校に赴任したときのことです。時の校長先生は私の顔をジーっと見つめながら、「うわぁー、あたは、ほんなこて中川先生な。私ぁ名前ば見て『今度来る先生は美人の先生ばい。』と職員には言うとった。あたが男の先生とは思わんだった。ほんなこてあたは中川先生な。」と困ったという顔でおっしゃいました。私は美人ではありませんが、「よか男」と思っています。(笑い)
 このときの校長先生は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのだろうと思います。現に、「有紀(ゆき)」という名前の女性もいますね。
 このように、よく女性の名前と間違われるのですが、私は父がつけてくれたこの名前に誇りを持っています。すばらしい名前を付けてくれた父を尊敬しています。「紀」は「21世紀」と使うように「年」を意味します。「有」は上に「保」を付けると「保有」という熟語ができます。「有」には「保有する」という意味があります。「年を重ねて、年相応の成長を」という願いを込めて名前を付けたと父から聞きました。
 今、私は66歳です。自分なりに年相応の人になろうと努力はしているつもりですが、今は亡き父の願いになかなか届きません。生涯努力し続けるつもりです。
 皆さん方も、子どもさんが生まれたとき、家族全員で喜び合って、いろんな思いをこめて名前を付けられたことと思います。その名前に託した親や家族の思いを是非子どもさんに語ってください。 子の名前に込めた親の思いをお子さんに話された方いらっしゃいますか?
 (たくさん手が挙がる)
 おっ、たくさんいらっしゃいますね。いいですね。
 お子さんの手を取り、目を見つめ、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら、名前に込めた親の思いを語ってください。子どもさんは自分に対する家族の思いを知って更に自分の名前を誇らしく思うようになりますよ。
 人は、中学生の後半から高校生位の歳になると、道を外れそうになることがあります。私も左へそれようとしました。二人の息子も道を外れそうになりました。皆さん方の中にも違う道へ行こうとされた方もいっらしゃるかもしれません。
 お子さんが違う道へ行こうとするとき、「ほら、あなたが小さいときあなたの手を取って、あなたにはこんな人になって欲しいとの願いから名前をつけたと話をしたでしょう。」と言ってください。きっと、本来の道に戻ると思います。だって、あなたの赤い血を受け継いだあなたの子ですから。 また、6年生の保護者の皆さんは、卒業式の日、お子さんの手を握りしめ、「がんばったね。卒業おめでとう。」声をかけてください。きっと、お父さん、お母さんの手のぬくもりに触れ、自分の成長と家族の愛を実感すると思います。このようなことを通して家族の愛、絆が深まるものと思います。
 これからえらそうに家庭教育について話をしますが、大学の先生のように家庭教育について専門的に研究をしたわけではありません。子育てのエキスパートでもありません。先ほど校長先生からご紹介戴きましたように、教員としてたくさんの子や保護者に接して思ったこと、社会教育主事として家庭教育や社会教育の在り方に関わって思ったこと、そして二人の息子の親として子と格闘しながら、悩みながら子育てに当たって感じたことなどを元に話をします。
 私は家庭教育で最も大切なことは「自尊感情豊かな子」に育てることだと強く思っています。
 そして、子が、反社会的行為、ルールを破る、弱い者をいじめる、人を差別するなどをしたとき、殴ってもわからせることが重要だとも思っています。これは親にしかできない教育ですから。
 本日は、話を聞くばかりでは面白くありませんから皆さんにもいろいろと考えてもらいたいと思います。
 いきなりですが、「生きる力」について考えてみましょう。この「生きる力」というのは平成の時代になっての指導要領改訂で登場した言葉です。もう20年以上も言い続けられています。しかし、大きなくくりの言葉なため、イメージすることが一人ひとり違うことが良くあります。そこで、具体的な生きる力を考えてみましょう。
 お手元に、「ダイアモンドランキング法で、生きる力を身につけさせましょう」というプリントを配付しています。そこに、具体的な生きる力を9つ挙げる欄を設けています。今から2分間くらいで、皆さんが思われる生きる力を挙げてみてください。
 どうぞ。(各自、具体的な生きる力を書く) 
 妻は私に、「あなたは講演で、生きる力を育みなさいと言っているようだが、生きる力が一番ないのはあなたよ。何一つ食事が作れないもの。」と言います。食事を作る力、自分で起きることができる力など、具体的な力を挙げてください。
 発表してもらいましょうか?(互いに顔を見合わせている)
 皆さんはお子さんに「先生から当てられる前に自分で進んで発表しなさい。」と言っているでしょう?(笑い)
 進んで発表しましょう。
 「話をする力」「読み書き計算する力」・・・・・。
 もっと挙げて欲しいのですが、本日は時間がありませんので生きる力を身につけさせる方法をダイアモンドランキング法によって考える方法を話します。
 今、皆さんは思いつくまま具体的な生きる力を挙げましたね。これを4〜5人で一つののグループを作り、各自が考えた生きる力を出し合うのです。いくつも出ます。似通ったものがあれば一つにまとめます。そして、生きる力を9つに絞ります。
 どの力も必要ですが、必要性を上位にランクした生きる力を上から順にダイアモンド型の四角の中に書き入れます。そして、各自が順位を付けた理由を出し合うのです。どれを上位にランクしたかを話し合うことで自分では認識していなかった生きる力の必要性を再認識することがあります。このようなことを話し合った後で、その生きる力を身につけさせるにはどんなことに気をつけて子育てに当たればよいかの考えを出し合います。すると、これまでの子育てで不足していたことやし過ぎていることなどが見えてきます。
 本日は時間がありません。学級PTAなどの話し合いの中で、テーマを決めて議論してみてください。きっと、議論が深まると思いますよ。
 ところで、私たち人間は他の動物と違い、誕生と共に歩き始めたり食べたりはできません。ですから、子どもを独立り立ちさせるために保護しています。保護には、大きく分けて四つあります。「世話」「指示」「授与」「受容」です。どれもなくてはならないものですが、し過ぎるとどうなるかを見てみましょう。
 「世話」のし過ぎにより、子どもは自分のことが自分でできなくなってしまいます。子どもはいつも世話をされているので自分でする必要がないからです。例えば、後片づけなどの基本的生活習慣が身に付きません。
 「指示」のし過ぎにより、子どもは自己判断・自己決定がができなくなってしまいます。いつも「こうしなさい」「ああしなさい」と指示されるので、自分で判断して行動する必要がありません。そしていつのまにか、誰かの指示無くしては動けなくなります。これを指示待ち症候群と言うでしょう。
 私たちは何事も苦労して初めて自分の身に付きます。
 今、ナビゲーションがついている車が多くなりました。初めての所に行くときはとても便利です。目的地を設定すると、「しばらく道なりです。」「300m先を右に曲がります。」「ここを左に曲がります。」などと音声案内と地図案内してくれるからです。運転しながら地図や道案内などは見なくても目的地に着くことができます。スムーズに目的地に着くことはできますが、道は覚えません。自力で目的地へ行くときは、道路標識を見たり、時には道行く人に尋ねたりと苦労しながら行きます。だから道を覚えます。指示はなるべく控えめにして、子どもに考えさせることが大切です。
 「授与」、ものの与えすぎにより、子どもの心から「感謝の心」、「物を大切にする心」がなくなります。次から次にものを与えると、ものをもらうのがあたりまえとなります。なくしても直ぐに新しいものを買ってもらうと、「感謝の心」も「ものを大切にする心」も育ちません。
 先生方、本校ではどうですか?教室には鉛筆の落とし物がいっぱいありませんか?
 「受容」、子どもの言い分を何でも聞き入れていては、「耐性」「自己規制」「節度」は生まれません。自分の考え、行いを受け容れてもらえると、我慢する必要がないからです。
 これら保護が過ぎることを過保護と言うでしょう。親のさじ加減がとても大切です。
 NHK総合テレビ、日曜日の夜7時半から「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」というのがあるでしょう?親鳥がひな鳥に毎日せっせと給餌をして、ある日突然給餌を止め、巣から飛び立つことを勧める様子が放映されることがあります。ひな鳥は戸惑いますがこのことを巣立ちと言いますね。この巣立ちを、いつ、どのようにさせるかが子育てではとても大切だと思います。
 卒業式のことを巣立ちと言うことがありますね。子ども達の巣立ちに必要な力は、「体力」「耐性」「道徳性」「基礎学力」「感受性」だと思います。
 感受性とは、出来事などを感じ取る力のことですよね。外国から日本に旅行に来た人は、「日本の電車などに、優先席がある。さすが日本は儒教の教えがしみこんでいる国だ」と思う人がいるそうです。以前はそうでしたが、お年寄りや妊婦さん、障がいのある人に進んで席を譲る人が少なくなってきたから設けられた席ですよね。最近は、進んで席を譲る人が多くなりました。
 私は妻と二人で中国を個人旅行します。移動は観光バスではなく、路線バスを利用します。北京や西安、ウルムチやカシュガルなどで路線バスを利用しました。バスに乗ると、私の頭に白髪が目立つからでしょうか。すぐに席を譲ってくれます。私のように高齢者にばかりでなく、小さな子どもを抱っこした人にもすぐに席を譲っています。
 席を譲ることは、人からもらう幸せでなく人のためにできる幸せですよね。弱い立場の人を思いやる心を育てたいものです。これが、思い合う心になります。これは、子どもに言って聞かせても身に付くものではありません。親が率先して弱い立場の人を思いやる姿を見せることだと思います。そして、家庭の中で、差別やいじめは人として恥ずかしい行いだということを子どもに教えて欲しいと思います。
 私は、愛は家庭で教わらなかったらよそで学ぶことは難しいと思っています。子どもとの絆を強くして、家庭で愛を育んでください。
 学校に着いて職員用トイレを使いました。トイレに「環境が人を育てる」という言葉が貼ってありました。「心が寛大な中で育った子は、我慢強くなり、励ましを受けて育った子は自信を持つ」「思いやりの中で育った子は信仰心を持ち、人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にする」などが記されていました。このような思いを持つ先生方から教えてもらっている子ども達は幸せですね。
 そのほかどんなことが書かれているかを皆さんの目で是非確かめてください。女性用トイレにも貼ってあるでしょう?これだけの数の皆さんが一度には使えません。(笑い)
 授業参観などで学校に来られるとき、見てください。
 同じようなことをアメリカの心理学者、ドロシー・ロー・ノルトという人が「子は親の鏡」と題して私たちに提言しています。
 資料を見てください。読んでみますね。
 まず、プラス面に目を向けて子育てをしましょうという言葉を読んでみます。


                            「子は親の鏡」
                                                             ドロシー・ロー・ノルト
 「励ましてやれば、子どもは、自信を持つようになる」
 「広い心で接すれば、キレる子にはならない」
 「ほめてあげれば、子どもは明るい子に育つ」
 「愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ」
 「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる」
 「見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる」
 「分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ」
 「親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ」
 「子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ」
 「やさしく思いやり持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ」
 「守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ」
 「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」
 

次は、マイナス面に目を向けた言葉です。


 「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」
 「とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる」
 「不安げな気持ちで育てると、子どもも不安になる」
 「かわいそうな子だといって育てると、子どもはみじめな気持ちになる」
 「子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる」
 「親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる」
 「叱りつけてばかりいると、子どもは、自分は悪い子なんだと思ってしまう」

 
 いかがですか?
 ドロシーさんが提唱していることはすべて納得できるでしょう?
 熊本県の学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」を合い言葉に子どもの指導がなされています。これは、学校だけの専売特許ではありません。家庭でも、地域でも子育ての視点です。
 私はこの「認め、褒め、励まし、伸ばす」に、「してはいけないことをしたときは厳しく叱る」を付け加えて欲しいと思っています。そのためには、子どもから手を離して、目は離さないことです。認めること、褒めることは昨日までと違うところ、成長したところをとらえて認めたり褒めたりしなければ子どもは喜びません。子どもの成長を見逃さず、そのときに褒めてください。
 こんなことをある会合で話しましたところ、ある方がこう話されました。
 近頃の若い母親は子どもを褒めんですね。この前、娘の家に行きました。丁度、孫が大きな魚を釣ってきました。私が褒めようと思ったら、それを見た娘が「なんね、そぎゃん太か魚ば釣って来て。内にはそぎゃん魚ば養うところは無か。すぐ川に逃がしてきなっせ。」て言うではありませんか。孫は、家族に見せようと思って持って帰ったのです。褒められるどころか叱られてしょぼんとしています。私は、そっと孫を呼んで、「太か魚ば釣ったね。うれしかったろう?○○ちゃんはすごいね。こぎゃん太か魚ば釣りきるけん。でもね、お母さんが言うたように家で魚ば飼うことはできん。川に逃がしておいで。」と言いました。孫ははにかみながらもうれしそうな表情で「うん」と言いました。
 子どもは自分がしたことを認められ、褒められることで自己存在感とか自己有用感を実感し、それらの積み重ねが自尊感情の醸成につながると思います。
 私には2人の息子がいます。もう30歳を過ぎましたが、2人の子育てには大変苦労しました。2人とも冒頭述べましたように、進む道から外れてあちこちをさまよいました。特に、下の子は大変でした。大学受験で3年ほど人から遅れ、就職でも3年遅れました。高校では、ほとんど勉強せず、遊んでばかりいたので当然のことです。
 部活動では、テニスをしていました。あまり強いチームではなかったようですが、3年生の時、1勝か2勝したとかで、食堂で祝いをしたのです。食事だけならよかったのですが、ビールも飲んだということです。そうして帰りに皆で「○○高等学校万歳」と万歳三唱したそうです。(笑い)それを見たお客さんが学校に通報して、翌日保護者ともども呼び出されました。
 校長先生は「天網恢々疎にして漏らさず」という老子の言葉を使って諭されました。「天網恢々疎にして漏らさず」とは、天の網の目は粗いが決して悪人を逃しはしない、という意味です。
 苦労して、やっとの思いで大学に入学できたのだから、就職の時はすんなりいくだろうと思っていましたが、世の中そんなに甘くありません。採用試験を何度受けたでしょうか。なかなか採用してもらえませんでした。
 大学では同級生が4年生の時に入学です。就職の際は、同級生は自分の給料で生活しているのに採用試験を受け続けているのです。「しっかりせんか!」と叱り、励ましはするものの心が折れはしないかととても心配しました。何度か心が折れかかりましたが、やっとのことで3年目に就職できました。
 先日のことです。息子夫婦と話をする中で、嫁に「息子は、就職するまでだいぶ苦労したが、自尊感情が育っていたから途中で心が折れずにここまでこれた。自尊感情ってとても大事ばい。」と言いました。息子は笑っていました。
 今バンクーバーオリンピックのまっただ中ですね。本校に着くまで、カーラジオで女子フィギアースケートフリーの実況放送を聴いてきました。韓国のキム・ヨナさんが完璧の演技をしたそうです。浅田真央さんの滑走にはいるときに学校に着きました。真生さんの滑りが気になっていますが、どなたか真央さんの結果をご存じの方いらっしゃいませんか?
 (「2位でした。」の声有り)
 そうですか。よかったですね。
 昨日の新聞のトップに掲載してあった真央さんのショートプログラム演技終了時の写真、喜びで輝いていましたね。自分の思い描くスケートができた満足感でいっぱいのようでした。真央さんは「金がとりたい」とは言っていますが、あの表情は他と比べて自分が上という優越感からの笑顔ではありませんね。自分の演技を成し遂げた喜びからのようです。浅田真央さんは自尊感情の高い人だと思います。
 自尊感情が高いとは、他と比べて優越感などを感じることではなく、自分自身の価値基準に照らして自分を価値ある人間であると思うことです。自分を愛し、大切にすることです。
 この自尊感情は、生涯学習社会で、そして人権尊重社会で生きていくでとても大切なものだと思います。自己を大切にすることは、向上心があり努力をいとわないことにつながります。自分が大切と言うことは他も大切にします。つまり自他の人権を大切にする生き方ができる人です。
 資料に、中川作一訳の「ローゼンバーク 自尊感情点検項目」を付けています。ご覧ください。
すべて4段階評価になっています。皆さんの自尊感情について自己評価してみてください。
 問いに対して自分はどのくらいの段階か当てはまるものに○をつけてください。
 試験ではありません。後で発表してもらうわけでもありません。自分が思うまま○をつけてください。


                     「ローゼンバーク 自尊感情点検項目」 
                                                               中川作一 訳

   1  だいたい私は自分に満足している
     (1大いに満足している 2満足している 3あまり満足していない 4少しも満足していない)
   2 時々私は駄目な人間だと思う。
     (1少しも思わない 2あまり思わない 3そう思う 4大いにそう思う)
   3 私には長所がたくさんあると思う。
     (1大いにそう思う 2 そう思う 3あまり思わない 4少しも思わない)
   4 私はふつうの人と同じくらいの力量はもっていると思う。
     (1大いにそう思う 2そう思う 3あまり思わない 4少しも思わない)
   5 私はじつは使いみちのない人間だと思うことがある。
     (1そうは思わない 2あまり思わない 3そう思うこともある 4よくそう思う)
   6 私はこれだけは誇りにしていいと思うものをあまりもっていない。
     (1少しも思わない 2あまり思わない 3そう思う 4強くそう思う)
   7 私は少なくとも他の人たちと同じように生きる価値はあると思う。
     (1もちろんそう思う 2そう思う 3あまり思わない 4少しも思わない)
   8 私はもっと自分自身を尊重する気持ちになれないものだろうかと思う。
     (1そうは思わない 2それほど思わない 3そう思うこともある 4そう思う)
   9 結局のところ私は人生の落伍者だと思いたくなる。
     (1少しもそうならない 2そうならない 3そう思う 4強くそう思う)
   10 私はいつも自分自身を積極的に生かしている。
     (1大いに生かしている 2生かしている 3あまり生かしていない 4少しも生かしていない)

 どうでしたか?点数の少ない方は自尊感情が高い方だと思います。
 この自尊感情が高いか低いかは、小学生まではあまり見えません。
 リトマス試験紙のような検査紙があって、それに触れて赤くなれば自尊感情が高いとか青になれば低いなどが分かればよいのですがそんなものはありません。
 しかし、中学生になると、如実に表れます。高校受験がひかえています。中学1年生の時点でA高校に行きたいと決めたなら、それに向かって努力できるかどうかです。目標達成に向かって努力できる人が自尊感情が高い人だと思います。
 今、私は放課後子ども教室で子どもたちにそろばんを教えています。
 そろばんを学習している子ども達は、次の5つくらいに類別できます。
○「できるようになりたい」と周りの雑音も気にせず、そろばん学習に集中する子。
○「まだ分かりません。もう一度教えてください」と何度も何度も教えを請う子。
○周りの子がおしゃべりを始めるとすぐにそちらに流されてしまう子。
○そろばん教室には出席するが、5分も集中できなくすぐにおしゃべりを始める子。
○2〜3日練習して、「自分にはできない。分からない。」とやめてしまう子。
 この5つのタイプは、「学力差」ではなく「自尊感情の高低」と直結しているようです。
 何度も教えてくれと言う子や周りを気にせずそろばんに集中する子は、着実にそろばん技能を身につけています。そうでない子はなかなか技能が身につきません。
 誰もが「できるようになりたい」「わかるようになりたい」とは思います。しかし、その目標に向かって努力できるのは自尊感情の高い人です。
 私は中学2年生くらいまでは「学力」より「自尊感情」の醸成が大切だと強く思います。自尊感情の差によって自らの能力を十分に発揮できないのはもったいないことです。
この自尊感情は、花壇の草花に水をかけるように、毎日、お子さんに「自尊感情を高めなさい。自尊感情を高めなさい。」と言い続けて身に付くものではありません。
 先日、慈恵病院でこうのとりのゆりかごにかかわっている看護部長さんの話を聞きました。女子中学生が妊娠して赤ちゃんを産むという事例があったそうです。男子中学生は将来結婚すると言いながら、成長すると全くかかわらなくなったという話を聞きました。セックスを求められた時、「ノー」と言う力は自尊感情だと思います。性に関する知識を持つことははもちろん大事なことですが、自分を大事にする自尊感情が高ければ、拒否できるはずです。生活のあらゆる場面で自尊感情の高低がその後の進む道を左右すると思います。
 どのようにしたら自尊感情が身に付くでしょうか?
 生活習慣の乱れ、例えばきちんと食事を摂っていない、夜遅くまで起きている、テレビを長時間視ているなどの傾向にある子は自尊感情が低いという調査結果が出ています。と言うことは、早寝・早起き・朝ご飯は、自尊感情を育むためにとても大切なことです。
 家で決められた自分の仕事がある子は、自尊感情が高いそうです。加勢ではありません。自分の仕事です。以前は、どの家でも子どもたちは家族の一員として決められた仕事がありました。自分がしなければ家の中がまわらないのです。知らず知らずに自己存在感・自己有用感を味わっていました。
 朝起きて、カーテンを開けることでも良いのです。新聞を取ってくることでも良いです。「あなたがカーテンを開けてくれるから朝陽が入って気持ち良い」と家族から感謝されることで、子どもは「自分は家族のためになっている」ということを実感します。これが自己有用感です。自己存在感です。褒められることでうれしくなります。自己実現を体感し、これらの積み重ねが自尊感情を育んでいきます。
 親子のコミュニケーションが密な子どもほど自尊感情が高いという結果があります。
 私の家では風呂の残り湯を洗濯に使っています。ポンプで洗濯機に汲み上げます。今朝のことです。妻がホースを洗濯機から外れないようにしておかなかったため、水が床にこぼれだしていました。妻は、「あなたがしっかり見ていなかったからこんなに水浸しになった。雨が降っているのにおおごとになった。」と私のせいにします。「失敗を人のせいにすると自分は楽だもんね。」(笑い)と言うと、妻は苦笑いをしていました。
 失敗を人のせいにしたり自分の能力のせいにしても次へつながりません。どうして失敗したか反省する必要がないからです。
 子どもたちは失敗を能力のせいにしようとすることがあります。決して能力のせいにはさせないでください。努力不足ではなかったか、方法がどうだったかを検討させてください。そして失敗を次へと生かすように仕向けてください。
 それから、いろんな体験をさせてください。体験を通して感動を味わわせてください。喜び、悲しみ、楽しみ、怒りなど。
 体験の中でも強く心を揺り動かされるような体験、これを私は情動体験と言っています。この情動体験を豊かにしましょう。
 夏の夜空を彩る花火大会、感動しますね。ある年、熊本市の花火大会で目にした光景です。小学2・3年生くらいの親子連れでした。「うわー、きれい。うわー、音が大きい。」と母子で手を取り合って喜んでいました。同じ感動でも2人が共感しあうと、それが増幅するのです。
 少し移動して人混みの中に来ました。やはり小さな子どもとお母さん。子どもが「うわー、きれい。」「うわー、大きな音。」と言うと、「せからしか、静かに見切らんとね。」(笑い)とお母さんが言っています。
 花火を見るという同じ体験でも、どちらが強く心を揺り動かされ、いつまでも心に残るでしょうか。
 私が、熊日読者の広場に投稿した「子どもたちに生命の尊厳を」をご覧ください。
 これは、2年ほど前、水戸市内湖畔で中学生が面白半分にコクチョウやハクチョウを棒で殴って死に至らしめるという事件がありました。そのときのことを投書したものです。
 以前の日本では、毎日の生活の中で命に直面していた。弟妹誕生の産声を聞く。家族の死をみとる。牛馬の出産を介助し飼育する。巣から落ちたひな鳥に給餌するなどなど。人は、このような現実の命にふれるたびに、自らが生かされていることの価値を自覚し、無意識に命の尊厳を学びとってきた。しかし、いつの間にか、私たちの身の回りからそれらがなくなってしまったようだ。
 ペットショップで買ったカブトムシが死んだとき、「カブトムシの電池が切れた。電池を替えて」のわが子の言葉にがくぜんとした父親は、その子を連れて山へカブトムシの採集に行った。そこで採集したカブトムシが死んだとき、「お父さん、カブトムシが死んだ。お墓を作ろう」と言うわが子の目を見て安堵したという話を聞いたことがある。
 子どもたちが命を現実のものと受け止める機会を数多く作りたい。
 以下は略します。
 朝日の出を見て厳かな気持ちになる、夕日を見てきれいと思う、自分が育てた生き物を見て喜ぶ、悲しむ、このような「心を揺り動かす体験」を数多くさせてください。それが豊かな感性を育てるのです。
 プロ野球、楽天の監督だった野村克也さんは、「財を残すは下 仕事を残すは中 人を残すは上」という言葉を残しています。
 私はこの言葉に「感動を残すは最上」を付け加えたいと思います。
 「財を残すは下 仕事を残すは中 人を残すは上 感動を残すは最上」
 終わりに一つだけ付け加えます。
 「人は、したくても我慢しなければならないことがある。人は、したくなくてもしなければならないことがある」を親が体を通して教えてください。
  矢部小学校の子どもたちが、様々な体験、いろんな人との交流を通して心豊かな子どもに育ちますことを祈念しまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。