「自分の大切さとともに他人の大切さを認めること」ができる児童の育成 |
1 はじめに
21世紀は、人権の世紀であるとか、環境の世紀であるとか、福祉の世紀などいわれています。私は21世紀は「生涯学習」と「人権」の世紀であると思っています。
今の学習指導要領の根底に流れている考えが生涯学習の考えそものです。
先生方は生涯学習の実践者です。子どもたちにより分かりやすく、子どもたちがより興味を持って学習に取り組むためのよりよい授業づくりを求めて研究していらっしゃいます。目の前にいる子どもの幸せを考えての営みではありますが、言い換えれば先生方ご自身の職業能力を高める営みなのです。これも生涯学習の一つなのです。
教材研究したことをもとに、指導計画を立て、授業をし、授業結果を反省し次自に活かしておいでです。週計画案を作ったり、指導案を作ったりするときは、この発問ではA君は「はい」と手を挙げるだろう。Bさんは「わかりません。」と言うだろう。Bさんにはこんな補足説明を準備しておこう。C君は個別に指導しようとクラスの子ども一人ひとりを思い浮かべて計画立案されますね。この一人ひとりに分かる授業を目指している根底には人権意識があります。つまり、先生方は「生涯学習」と「人権尊重」の実践者です。
本日は、生涯学習の視点に立った「人権教育」の在り方を先生方といっしょに考えてみたいと思います。
2 教職員の基本的認識の深化
私はここに「教職員の基本的認識の深化」と記しています。先ほども述べましたように、先生方は子どもに教科指導や生徒指導をするとき、その本質等について学び、それをもとに指導されます。基本的認識の深化は、人権教育に限らずすべての教育活動に言えることです。
本題に入りますが、「同和教育」から「人権教育」へと表現の方法は変わりましたが、すべての人が人権を大切にし、すべての人の人権が守られる社会実現のための教育が人権教育です。世界の流れに応じて、部落問題学習を大きな柱の一つとして人権教育を進めていこうとするものです。決して同和教育がなくなったわけではありません。そこで、本日の講話の題を「自分の大切さとともに他人の大切さを認めることができる児童の育成」とさせていただきました。
21世紀は人権の世紀と言われています。
人権とは、すべての人が生まれながらに持っている、人間らしく生きていくために必要な誰からも侵されることのない基本的な人権です。このことは日本国憲法によっても保障されていることは皆さんご存じのとおりです。 しかし、現状に目を向けると、同和問題やハンセン病問題、女性、子ども、高齢者、障害者、外国人の方々への差別や偏見といった様々な問題が存在しています。本県においては、水俣病発生地域の内外における偏見や差別問題も存在しています。
このような人権問題が発生する理由として、自らの権利のみを主張して他者の権利に対する配慮にかけることや、人権を知識としては知っていても、それが態度として身に付いていないために、行動に結びつかないことなどが考えられます。
これからの人権教育はこれまでの同和教育の成果を踏まえ、人権教育として発展的に再構築を図ることだといわれています。このことは、お手元に配付しています熊本県教育委員会「平成17年度人権教育取組の方向」に、「熊本県人権教育・啓発基本計画の着実な推進を図り、人権文化の創造に向けて、同和問題を人権問題の重要な柱としてとらえ、あらゆる人権問題の解決のために様々な機会を通して人権意識を培い、差別意識の解消に向けた人権教育を推進する。」と明記されていることからも伺えます。
平成14年に、地域改善対策特別措置法が失効しました。これは特別法が失効したことであって、同和教育がなくなったことではありません。すべての人が心豊かに安心して住める社会実現のためにあらゆる教育活動の中で人権教育を推進することはいうまでもありません。
人権教育に関しては、お手元の資料にありますように、昭和23年、国連が「世界人権宣言」を採択しました。この日を記念して、12月10日を人権デーと定めていることはご存じのとおりです。
平成6年(1994)、「人権教育のための国連10年」が決議され、平成9年、「人権教育のための国連10年国内行動計画」が策定されました。
そして、人権教育という世界の潮流にのって平成14年、「人権教育・啓発に関する基本計画」が策定されました。
本県においては平成11年「人権教育のための国連10年熊本県行動計画」が策定されました。さらに、平成16年、「熊本県人権教育・啓発基本計画」が策定されました。
同和問題とは部落差別にかかわる人権問題のことです。この問題は出身地などを理由とした差別であり、憲法で保障されている基本的人権にかかわる重大な人権問題です。部落差別の期限については、封建社会が確立されていく過程の中で、当時の人びとを支配する目的で作られた身分制度に由来すると言われています。人種が違う、異民族の子孫である、一定の職業に就いていた、特定の宗教に属していたなどの考えは誤りです。先生方もこの部落差別の歴史的背景やその経緯は十分に学習されていますが、概観して、再度あたためてみましょう。
明治4年、太政官布告いわゆる「解放令」が交付されました。これによって、身分制度は廃止されたわけですが、国による生活の保障や差別をなくすための具体的な施策がなく、部落差別解消にはなりませんでした。
翌明治5年、「壬申戸籍」が作成されました。この戸籍に特定の人びとを新たな差別呼称で記載し、それが、昭和43年に禁止するまで、その戸籍を誰もが閲覧することができたことが差別につながっていたのです。
大正11年3月3日、京都の岡崎公会堂で全国水平社が創立しました。このとき採択されたのが、「水平社宣言」です。日本の歴史上初めて被差別者自身が自主的な運動で解放を勝ち取ることを宣言した文書です。執筆者は西光万吉という奈良県の被差別部落の青年でした。
「人の世に熱あれ、人間に光りあれ。」のことばはよく聞かれたことと思います。読まれたことがあることと思います。
先生方、「オールロマン事件」をご存じでしょうか。昭和26年年、京都市の職員が雑誌「オールロマンス」に小説「特殊部落」を寄稿しました。この小説は同和地区の人々をきわめて差別的に描写したものでした。この事件で部落解放委員会は、市行政が部落の劣悪な状況を放置していたことが、差別を助長する大きな原因であると、行政の責任を指摘しました。このことにより、京都市は部落対策の総合計画を作り、同和行政推進のための積極的施策を行っています。この事件が以後の地方公共団体の同和行政への取組を推進させるきっかけになったといわれています。
昭和40年、時の佐藤栄作総理大臣に対して「同和対策審議会答申」が出されました。前文には「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」という有名な言葉があります。
この答申を受けて、昭和44年「同和対策特別措置法」が10年の時限立法として成立しました。以来、この法律の期限延長や「地域改善対策特別措置法」と名称を変え、さらには「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」によって、差別をなくす具体的な施策がなされました。このことにより、環境面の改善等により、実体的差別はかなり改善されましたが、心理的差別は依然として厳存しています。
(2)熊本県人権教育・啓発基本計画
これについては、平成16年3月に策定されましたので既にお読みの先生も多かろうと思います。本日はその抜粋をお配りしていますので、後でお読みください。
(3)人権教育指導方法の在り方について
お手元に配付しているものは、平成16年6月に発表された「人権教育指導方法等の在り方について」第1次答申です。今年の1月、第2次答申が出されましたので内容については近々学校にも届くでしょう。文部科学省のホームページには公開してありますので、アクセスされたらどうでしょうか。この答申で強調されていることは本日の講話テーマであります「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるような児童生徒の育成」です。そのためには、異なる意見があることに気づき認める態度の育成でありますとか、合理的なものの見方考え方の育成でありますとか、体験を通したコミュニケーション能力の育成などが具体的に記されています。このような指導法の改善・充実に向けた具体的視点が述べられています。
3 人権教育の推進
学校の登校班でいじめ問題が起きました。登校距離が5kmくらいの山道を通います。朝6時40分頃家を出ます。冬の朝は、まだ東の空に明けの明星がきらめいている頃です。そこを1年生から6年生までの子どもたちが登校グループを作って登校するのです。歩く速さに差があり、色々とトラブルが生じます。そのうち、いじめ問題が発生したのです。孫の沈んだ姿を見ておじいさんはかなり長い間心を痛めていました。そして、登校班の保護者と地区の人たちといじめ問題解決方策を話し合いました。そのとき、おじいさんがおっしゃった言葉を紹介します。
「今度の問題は、誰が悪いのでもない。いじめた子どもに力の弱い者をいじめることは愚かなことだ、ひきょうなことだと気づく力が無かったこと。いじめられた私の孫にいじめをはね返す力がなかったこと。まわりの者にいじめをやめさせる力がなかったこと。今後この地区で今度のようないじめが起きないように、みんなで子どもたちにこの3つの力を付けていこうではありませんか。」 人権教育を言い表していると思います。全職員でこの言葉を肝に銘じました。
子どもたちにこの3つの力を付けるために、人権教育を推進しています。人権教育の推進で大切なことは大まかに言ってそこに示している3つの視点だと思います。
(1)学校総体としての人権教育の推進
学校教育は人権教育に限らず、すべての教育で言えることですが、校長を中心とした組織体として共通理解・共通実践することは言うまでもありません。共通理解・共通実践ができずに一番とまどうのは子どもです。共通理解を図るために本日のような研修会がもたれていると思います。
共通理解の大きなくくりとして、「自分が一人の人間として大切にされていると実感できること」、「直感的にそのことはおかしいと思う感性を育てること」、「日常生活において人権への配慮が態度や行動に現れる人権感覚が身に付くこと」などを培う環境づくりが学校総体として進められることであると思います。
玄関前で、私が車から降りたとき、「1年生が転んでけがをしています」と言って友だちが先生のもとに連れてきました。先生はすぐに保健室へ連れて行かれました。子どもや先生方が一人ひとりを大切にしている学校であることがすぐに分かりました。
私は、新任の頃、先輩教諭から「欠席した子どもがいたらその日の内に家庭訪問しなさい」と指導を受けました。私はそれを実践し、一緒に勤務している先生方にも勧めました。
今では保健衛生上できないことですが、当時、私は給食のデザートや果物を持って家庭訪問していました。私が担任するクラスでは、4月の初めの頃は、欠席者のデザートや果物を食べようと、子たちがじゃんけんをしていました。それを「今日の帰りに欠席している○○君の家に行ってくる。そのときのおみやげに私がもらう」と言いました。1・2週間もすると、このことを子どもたちが理解して、「先生、○○君へのおみやげ」と言って私の机の上に置くようになりました。「先生は欠席している○○君のことを心配している。私が欠席すれば私のことを心配してくれる。」とみんなが思うようになるのです。これが一人ひとりを大切にする学級づくりだと思います。
(2)あらゆる教育活動の中での人権教育の推進
菊池恵楓園の由布先生は、「無知は偏見を生み、偏見は差別につながる」とよくおっしゃっていました。また、中国のことわざに「聴いたことは忘れ、見たことは覚え、体験したことは理解できる」というのがあります。さらに、「子どもは体験したことしかできない」という言葉もあります。
私は、「人権教育」の学習をする以前の問題として、それらを理解し、態度や行動に移すことのできる力、感受性や感性をはぐくむことが重要であると思っています。
それも今言った「体験活動」を通して理解させて欲しいのです。
例えば、子どもは「協力する」という言葉は知っています。しかし、「協力する」とはどんな行動をとることかについては案外知らないのです。現職の頃、集団宿泊教室に責任者として行っていました。コンパスゲームなど集団で行動するゲームがありますね。6人くらいの集団でスタートしたはずのグループがゴールでは2人くらいの小さいグループになって帰ってくるのです。足の速い者、そうでない者、すばしこく動く者、そうでない者、途中の植物や動物を観察したいと思う者、とにかく早くゴールしたい者などなどがそれぞれ思い思いに行動するのです。集団でまとまって協力してというのを頭では分かっていても行動が伴わない。このとき、協力するとはどんなことかを話をしていました。体験というのはとても大事なことです。
私は家庭教育講演会などで保護者に訴えるとき、「大きな言葉でひとくくりにしないこと」を強調します。「生きる力」を育てると言いますが、どんな力を生きる力ととらえているのかを具体的に明確にすることです。漠としたものを目標に据えても、その目標達成のための指導方針や指導方法は決まりません。先生方は、毎時の指導目標には、具体的な行動目標を示しておられます。例えば「1+1の計算ができるようになる」とか、「自分なりに兵十の気持ちを推しはかる」などです。
「NOといえる力を身につける」「悪いことは悪いと言える力を身につける」、先ほど紹介しましたおじいさんが言った3つの力、「弱い者をいじめることは愚かなことだ、ひきょうなことだと気づきいじめは絶対しないく力」「いじめをはね返す力」「いじめをやめさせる力」など具体的に挙げてその力を付けるためにどのような指導計画を立て、どのような指導・支援をするかを明確にすることです。この一つ一つの積み重ねが子どもに「生きる力」をはぐくんでいきます。
脳のなかに蓄えられている知識をどのように使うかは、脳の司令塔としての「前頭前野」の働きです。前頭前野が鍛えられていると、習得した知識をより効果的に使えるのです。このような人を知恵のある人、賢い人と言います。
人前で平気で化粧をする人、弱い人をいじめるひきょうな人、このような人は前頭前野の鍛錬が足りなかった人だと思います。
この前頭前野を鍛えるには、「簡単な計算を早くする」「読書をする」「他人とコミュニケーションを取る」の3つが効果的だと言うことです。
前頭前野をたくさん使うには簡単な計算問題を早く解くことが重要だそうです。最近では、電卓などのコンピューター技術の発達により、日常生活ではまったく計算をする機会が減りました。このことによって、私たちは前頭前野をあまり使わなくなってしまったのです。
東北大学川島 隆太教授の研究によって、前頭前野を活性化するには読書が有効であることがわかっています。読書をしているときは、前頭前野の特に言語を扱う領域が右脳左脳ともいっぺんに働くそうです。ただ読むだけではなく、声に出せば脳がもっと働くそうです。
日大大学院の森昭雄教授の研究によると、他者とのコミュニケーションがない人は、前頭前野の働きが鈍くなっているそうです。前頭前野は他人とのコミュニケーション能力にも関係しています。
今紹介しましたように、簡単な計算は「前頭前野」を鍛えるといわれ、100マス計算が見直されています。たくさんの学校で取り入れられています。
私は、100マス計算も良いけれどそろばん学習はさらによいと思っています。それは、計算するために指を使うことです。さらには、そろばん式暗算で計算するには、そろばんの珠を脳にイメージしておかねばなりません。かって、そろばんを練習した経験のある方はおわかりのことと思います。是非、このことも検討して欲しいと思います。
また、最近、地域の方やPTAなどによる読み聞かせが数多くの学校で行われています。子どもの読書意欲を喚起するにはとてもすばらしいことです。
しかし、読み聞かせは、読む読書ではなく、聴く読書です。読書意欲を喚起するには大変意義あるものですが、子どもの脳の活性化という観点に立てば、子ども自身の読書が大切です。以前、「声に出して読みたい本」がベストセラーになったことがあります。国語の教科書の一斉音読などもっともっと取り入れて欲しいと思います。
先ほど、私が学級担任をしている頃、欠席児童の家庭を訪問していたことを話しました。欠席児童のことを心配する姿から「先生は、俺が欠席しても心配してくれる」という気持ちがいつのまにか全員に湧いてきました。それが、「一人ひとりを大事にする」という気持ちに変わっていきます。
一人ひとりが大事にされることにより、子どもたちは学級に自分の居場所を見いだし、安心して学習に取り組むことができます。一人の発表からみんなが考え、意見を交換する授業、私はこれをバレーボール型あるいはサッカー型授業と表現していました。
1年生を担任していた先生が、これを1年生にしっかり根付かせました。1年生が、「私は○○君の言ったこととは少し違います。私は□□だと思います。」などと発表していました。これは、自分の考えをみんなが聞き、認めてくれているという気持ちの表れです。発表した子全員が自己実現できます。
先生方は、子どもの作品に添削したり、温かい言葉で添え書きしたりされます。これも、一人ひとりを大切にする学級づくりです。
人権を大切にする学級づくりについては、平成12年度県教育委員会発行の「同和教育の充実を求めて」に具体的な場面設定で指導方法の助言があります。是非参考にして欲しいと思います。
豊かな心を育てると言いますが、生きる力と同じで、「豊かな心」とひとくくりにしないで、どんな心を育てたいのか具体的な心を挙げて欲しいと思います。
「人を思いやる心」「向上しようとする心」「ルールを守る心」「人を敬う心」「卑怯を憎む心」「感動する心」などなどたくさんの心があります。これらをただ単なることばでではなく、体験活動を通して子どもに育てて欲しいのです。
「校長先生、七滝小学校の夕焼けは日本一です。ほらきれいでしょう。」と竹山の間に沈む夕日を見て子どもたちが私に言います。真っ赤に染まった西空はそれはきれいです。「うわー、美しかー。」と子どもと一緒に声を出してその夕焼けを見ていました。まわりの者の感動がその子の感動を増幅させます。このような感動が感受性・感性を育てます。
今申しましたように、感受性や感性を育てることが人として生きる上でもっとも大事なことだと思っています。
私たちはよく「あの人は人権感覚が豊かである」とか「人権感覚がシャ−プである」などと表現することがあります。日常生活の中でおかしな出来事に接したとき、直感的にその出来事はおかしいと思う感性や態度が行動に現れるような人権感覚は、感受性や感性が豊かでないと育たないと思います。
「成し遂げたよろこび」「克服したよろこび」「恥ずかしいおもい」「悔しいおもい」「辛いおもい」「悲しいおもい」「腹が立つおもい」などを子どもたちに育てて欲しいと思います。
そこで、提案です。人は失敗や目標が達成されないとき、能力不足や時間不足のせいにすることがあります。能力不足や時間不足にすると、次へ生きてきません。「努力不足」や「戦術・戦略のまずさ」などに原因があると思わせることです。これが自尊感情を育てます。
自尊感情とは、自分の大切さを理解し行動できることでしょう。本日のテーマそのものです。自分を大切にできる子は他をも大切にします。人をいじめるなど卑怯な行為はしません。
私事で恐縮ですが、孫が通知票を見せたとき、元気で登校していること、係活動など一生懸命していること、勉強もがんばっていることなどを認め、褒めると瞳が生き生きと輝いていました。家族から認められていると実感してのことでしょう。自己有用感、自己存在感を数多く実感することで自尊感情は育つと思います。生活のあらゆる場面で子どもたちを認め、褒めてください。
子どもたちは、よくけんかをします。近頃ではけんかはまわりの大人がすぐに止めますが、殴り合い、けがを負わせるようなけんかやものを壊すようなけんかは別ですが、ある程度けんかはさせた方がいいと思います。それは自己主張のぶつかり合いだからです。そして、けんかの後の仲直りの仕方も社会性を育てる上でとても大事なことだからです。
暴力に訴える自己主張は奨励できるものではありませんが、ある程度の自己主張、そして「NO」と言える力を育てて欲しいと思います。
少子時代となって、社会性をいかに育てるか大きな社会問題となっています。コミュニケーション力は人が人として生きていく上で是非とも身につけておかねばならない生きる力です。家庭、学級、学校、地域、そして近隣の学校など交流の場を広げ、社会性を培う環境を整えて欲しいと思います。
先ほど、校長先生からお聞きしますと、本校では保小連携を長年続けておられるとのことです。関係機関との連携については割愛します。
4 人権啓発の推進
差別のない明るい社会づくりのためには、啓発が重要な役割を果たしていることはいうまでもありません。先ずは、親・兄弟、子どもなど先生方のご家族に話をしていただきたいと思います。
学級便り、学校便り、授業参観などを通して啓発がなされています。今私は授業参観と言いましたが、提案です。我が子の学習の様子を観察するこの授業参観を小学校版公開講座に変えていきましょう。特に、人権教育、性教育など保護者もいっしょに考えることができる学習です。保護者も参観者ではなく学習者として授業に参加してもらう取り組みをして欲しいと思います。
お手元にお配りしていますのは、益城町の啓発チラシです。桑原律さんや今野敏彦さんの詩を載せています。参考にしてください。
5 おわりに
「人権スイッチ」を読んで終わりにしたいと思います。
人権スイッチ 桑原 律
世の中すべてのものに
スイッチがあるように
人を見つめるまなざしにも
切り替えスイッチがある
偏見のスイッチから
励ましのスイッチへと切り替えよう
世の中すべてのものに
スイッチがあるように
人としての生き方にも
切り替えスイッチがある
差別のスイッチから
差別解消スイッチへと切り替えよう
世の中すべてのものに
スイッチがあるように
人と人との関係にも
切り替えスイッチがある
不信のスイッチから
相互信頼スイッチへと切り替えよう
生活すべての場面で問われる
この切り替えスイッチ
人権侵害のスイッチか
人権尊重のスイッチか
どちらのスイッチを選んで
自分は生きていこうとするのか
渡小学校の子どもたち、保護者の皆様、そして地域の人々が豊かな人権感覚を身につけられることを念じて話を終わります。ありがとうございました。