次世代を担う子どもたちに人権を尊重する心を伝えていきましょう。
平成24年12月18日
宇土市勤労青少年ホーム講習室


 皆さん、おはようございます。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 少し自己紹介をします。先ほど、「なかがわありとし」さんと紹介していただきました。私は「ゆき」さんまたは「ゆうき」さんと呼ばれ、よく女性と間違われます。
 私は「有紀」という名前が大好きです。こんなすばらしい名前を付けてくれた父を敬愛しています。父は、「年相応の人間になれ」との思いでこの名前を付けたとよく話してくれました。「有」は、上に「保」を付けると保有するという熟語ができます。「有」には、「保つ」という意味があります。「紀」は、「21世紀」の「紀」です。「年」という意味があります。このことから「年を取るにつれて年相応の人間になれよ」という父の思いから名付けてくれた名前です。今年、69歳です。
 先月の勤労感謝の日(平成24年11月23日)に中学校の同級生で古希の祝いをしました。今でも小中学校時代の幼なじみからは、「ありちゃん」の愛称で呼ばれています。
 皆さん方もお孫さん、お子さんが誕生した時、いろんな思いを込めて名前を付けられたでしょう。その親の思い、家族の思いをたとえば誕生日だったり進級や進学など人生の節目節目に、お子さんに語ってください。小学校2年生くらいまでのお子さんだったら、膝の上に抱っこして、手を背に回して、目を見て、名前に込めた親の思いを語ってやってください。高学年や中学生でしたら、手を取り、目を見つめて語ってください。きっとお子さんは、自分の名前を好きになり、誇りに思い、「素晴らしい名前を付けてくれてありがとう」と親や家族に感謝し、好きになると思います。このことが、自分を好きになることにつながります。自分を価値ある人間と思うようになります。この感情が自尊感情を育んでいくのです。
 いじめを苦にした中学生の自殺が後を絶ちません。
 将来、大きな花を開かせるであろう可能性を持った中学生が、いじめにより我が命を我が手で殺めなければならない心情を推し量ると、何とも痛ましい気持ちになります。なんとか死を思いとどまらせる手立てはなかったのかと悔やまれます。若者の死は、本人のかけがえのない命が絶たれるだけでなく、関わりの深かった家族や友人、周りの人に大きな喪失感などの心の痛みを持たせます。いじめや差別のない人権尊重社会の実現は喫緊の課題です。
 ただいま教育委員長さんのご挨拶にもありましたように、12月4日から10日までは人権週間でした。今年の第64回人権週間は、「G20+ネプ&イモト」さんが歌う「ボクラノセカイ」を人権週間PRソングとして、人権啓発が取り組まれました。「ボクラノセカイ」は、「みんなそれぞれ違っていて、みんなが何かの一番である」ことをテーマとしてあり、「お互いの違いを認め」、「お互いの理解を深める」などの歌詞があります。まさに互いの違いを認め、共に生きる、人権共存社会を進めるにぴったりの歌です。そして、啓発活動重点目標は「みんなで築こう 人権の世紀〜考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心〜」でした。このことについては、終わりにふれたいと思います。
 人権とは、人が幸せに生きる権利ですね。人が幸せに生きることを阻害する人権課題がいっぱいあります。そこに示していますのは、法務省が示している様々な人権課題です。
「女性 子ども 高齢者 障害者 同和問題 アイヌの人々 外国人 HV感染者・ハンセン病患者等 刑を終えて出所した人 犯罪被害者等 インターネットによる人権侵害 ホームレス 
性的指向 性同一性障害者 北朝鮮当局によって拉致された被害者等 人身取引」
 熊本県では、この中でも同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を大きな人権課題として啓発に力を入れていることはご存じの通りです。
 本日は、同和問題を概観し、今なお厳存している部落差別をどうしたら解消できるかについて一緒に考えてみたいと思います。
 被差別部落の起源については、封建社会が確立されていく過程の中で時の為政者が、その当時社会にあった偏見を利用して、政治的、人為的につくられた身分制度に由来していることはご存じの通りです。
 人々は昔から人の死について恐れを持っていました。その恐れが中世において、人の死や血などは「穢れ」という思想へと広まっていきました。この考えは、科学的根拠は全くないものです。人や牛馬の死や血にふれると、ふれた人も穢れるという考えが作られ、それが人や牛馬の死や血にふれる仕事をしている人々も穢れた存在という誤った考え方が社会に広まっていったのです。これが、特定の役割や仕事を担った人々に対する偏見を作りだし、差別される身分を生み出すことにつながりました。
 戦国時代は、下克上の世と言われましたように、日頃は農具を持って農業に携わっていた人がいったん戦いとなると、鋤鍬を刀や槍に持ち替えて戦いに臨みました。その戦いの中で主従関係が逆転することもありました。自分の地位が脅かされることを恐れた豊臣秀吉は、検知や刀狩りを行い、武士と農民の違いをはっきりさせ、次第に身分を固定化していきました。
 江戸時代になり、徳川幕府は身分制度を強化していきました。当時あった穢れ思想を利用して、人や牛馬の処理に当たる人、戦国時代に浪人となった人、芸能者などが住む場所を強制的に生活環境の悪い場所に限定したり、服装を限定したり、行き来を制限するなどして、差別的扱いをしました。また、一揆の取り締まりや刑の執行に関わる仕事をさせるなどして、民衆の反感の対象となるよう仕向けました。
 現在同和地区と呼ばれる地域の多くは、このように封建社会が形成される過程で成立したといわれています。同和地区の人々は、300年以上もの長い間、差別されながら生きてきたのです。
 明治になり政府は、明治4年に「自今、身分職業共平民同様たるべきこと」という太政官布告、いわゆる解放令を出しました。
 それまで百姓や町人と異なる身分とされ、長い間苦しめられてきた人々に対して、差別呼称をなくし、身分と職業を平民と同じとするとしたのです。しかし、これは宣言に過ぎず、差別をなくす具体的な施策が行われなかっため部落解放には至りませんでした。それどころか、兵役の義務や皮革産業に大企業が参入してきたため、同和地区の人々の生活はかえって苦しくなりました。
 同和地区の人々は、差別によって、生活向上の権利を奪われ、社会の発展から取り残され、経済面や生活環境面の格差が広がり、その格差が新たな偏見や差別を生み出すという悪循環に陥りました。
 大正11年3月3日、京都の岡崎公会堂で全国から集まった人々によって全国水平社大会が開催され、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と結んだ全国水平社宣言が採択されたました。水平社運動は、人間の尊厳、自由・平等の理念に基づいて、すべての差別と闘い、同和地区の人々だけでなくすべての人々の差別からの解放に取り組むことを宣言したのです。
 国も、地域改善の事業に取り組みましたが、戦争への動きが強まり差別解消に向けた運動や事業は中断されてしまいました。
 昭和22年、日本国憲法が制定されました。11条に基本的人権の享有、14条には法の下の平等が明記され、様々な改革が行われましたが、依然として部落差別は厳存しました。
 昭和40年、時の佐藤栄作総理大臣に対して、「同和問題の解決は行政の責務であり、国民の課題である」という同和対策審議会答申が出されました。答申の中で、部落差別を心理的差別と実体的差別に分け、それらが相互に悪循環を繰り返していること、その背景には差別を温存する日本の社会、経済、文化体制が存在していることを指摘しました。また、就職と教育の機会均等を完全に保障し、生活の安定と地位の向上を図ることが同和問題解決の中心的課題であるとも指摘しました。 このような指摘を受けて、昭和44年、同和対策事業特別措置法が施行され、法律名の変遷はありましたが平成14年まで同和問題の解決を図る行政施策が行われました。住環境の改善など実体的差別はある程度解消されましたが心理的差別は依然として厳存しています。
 平成8年には地域改善対策協議会が「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」の意見具申を行いました。この中で、「人権教育のための国連10年」にみられる人権尊重の世界的潮流にのって同和問題を人権問題の重要な柱としてとらえ、同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方を提言しました。
 平成12年には、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が施行され、同和問題の解決に諸々の施策が講じられているものの、今なお偏見や差別が厳存しています。
 結婚差別、就職差別、土地差別、インターネット上での差別などがあります。
 婚姻は、「両性の合意に基づいて成立する」とありますが、出身地を理由に結婚に反対する結婚差別が今でも起きています。道一つ隔てた地域に生まれ育ったという理由で結婚を躊躇したり、結婚に反対したりするおかしなことが今でもあります。これは、同和地区の人々に対する差別意識が今も残っていることの現れです。
 就職差別は、出身地や親の職業などを採用選考の基準にすることです。採用の基準は、当人の意欲や能力で決めることでしょう。
 不動産売買や、住所移転などで「どこどこに同和地区があるか」など役所や不動産業者に問い合わせるなどのいわゆる土地差別といわれる差別事象が発生しています。
 インターネット上での差別落書きや誹謗・中傷はひどいものがあります。誹謗・中傷することはその人に差別意識があるからです。
 明治以来、行政や運動団体をはじめたくさんの人々が差別解消に向けた取り組みをしてきたにもかかわらず、なぜ今なお差別意識が厳存しているのでしょうか。
 これからこのことについて考えてみたいと思います。
 私たちの心の中に次のような意識がありはしないでしょうか。そのいくつかおみてみたいと思いいます。
 よく言われるのが「違いを排除する意識」です。昔の農耕社会では、自然を相手に横並びで仕事をしていました。梅雨時の田植えは、1週間ばかりの短い期間中に田植えを終えなければなりません。そこで、地域が協力して田植えをしていました。このようなことが次第に同一性を求め、違いを排除する考えを作り出したのではないでしょうか。
 この違いを排除する考えのおかしさを訴えたのが、幼少の頃よく歌った「チューリップ」の歌です。歌詞を読んでみると、「さいた さいた チューリップの 花が  ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 どの花みても きれいだな」です。  
 この歌は、東京都世田谷区にすむ近藤宮子さんが、昭和5年に作詞したものです。「どの花みても きれいだな」という歌詞について近藤さんは、「なにごとにも良いところがあるものです。とくに、弱いものには目をくばりたい、という自分の思いをこめました」と語っています。「互いに違いを認め、共に生きる」共存社会、これが人権共存社会です。
 また、「思い込みや偏見」の存在が指摘されます。私の心の中にはこの思い込みや偏見がたくさんあります。それらを一つ一つ取り除いていますが、なかなかなくなりません。皆さんの心の中にもあることと思います。
 2年前、ウズベキスタンへ旅行しました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。旅の最終日、バスの中で日本語ガイドのマリカさんが私たちにこう尋ねました。「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と知り合いの人などから言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうでしたか?危険な国と思いますか?」
 実は、知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という妻に「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、妻は「行きたい」と言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。「危険な箇所には立ち寄りませんので問題ありません」という返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、「個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょう」とのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで、人々はとても明るく、治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報をそのまま信じて「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだと言いました。そして、日本の旅行も楽しみ鎌倉や奈良、大阪を訪れたが京都が一番印象に残っていると話しました。金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。銀閣寺も被差別部落の人の手によるものだと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。また、死んだ牛馬の処理を通して日本の皮革産業を起こしたのも被差別部落の人々です。このように被差別部落の人々が日本の文化や産業面で果たした功績は大きいのです。
 皆さん、レジュメのあいているところに魚の絵を描いてみてください。(各自魚の絵を描く)
 (一人の方にホワイトボードに描いてもらう)○○さん、とても素晴らしい魚の絵を描いていただきありがとうございました。
 お尋ねします。○○さんと同じように左向きの魚を描かれた方、手を挙げてください。(ほとんどが挙手)
 右向きの魚を描かれた方?(一人挙手)
 ありがとうございます。
 皆さん、考えてください。私は魚の絵を描いてくださいと言いました。左向きの魚を描いてくださいとも右向きはだめですよとも言いませんでしたが、ほとんどの方が左向きの魚を描かれました。どうしてこんなことが起きるのでしょう?
 (「魚料理では左向きに出す」との声が上がる)そうですよね。料理では、魚は左向きに出します。5月の鯉のぼりの絵や写真はどちらを向いていますか?(「左」の声あり)
 そうですよね。ほとんどが左を向いています。図書館にある魚の図鑑の絵や写真の7割から8割は左向きです。私たちは、左を向いている魚の絵や写真、料理の魚を空気を吸うが如く無意識のうちに見ているのです。そして、「魚は左向き」を刷り込んでいるのですね。ですから、右向きの魚を描いた△△さんはご自分の思いを持っておられてすごいと思います。
 この刷り込みが、思い込みとなり、これにマイナスイメージが加わると偏見となり、差別意識が生まれるのです。ですから、「○○=○○」と固定的に考えることではなく、「そうかな?」と一度立ち止まって考えることが大切です。
 みなさんはカラスについてプラスイメージを持っておられますか?マイナスイメージを持っておられますか?(「よか思いは持っていない」の声が聞こえる)
 マイナスイメージをお持ちの方が多いようですね。今朝、ここに来る時、秋津や嘉島の田んぼにたくさんのカラスが舞い降りて、えさをつついていました。幼少の頃、このような光景を見ると「今日はカラスの多か。縁起が悪かばい」などと言っていました。なぜ、カラスについて人はマイナスイメージを持っているのでしょうか?
 それは「黒=不吉」という思い込みがあるからではないでしょうか。
 皆さんは「七つの子」を小さい頃歌ったことがあおりでしょう。
 歌詞を見てみます。
 「カラス なぜ啼くの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ 可愛い 可愛いと カラスは啼くの 可愛い 可愛いと 啼くんだよ 山の古巣に いって見て御覧 丸い眼をした いい子だよ」
 この歌は、大正10年野口雨情さんが作詞したものです。雨情さんがなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したものです。
 雨情さんは、黒いカラスは不吉な鳥と決めつけることのおかしさを人々に訴えたのだと思います。
 先日、県立盲学校の生徒さんにもこの話をしました。生徒さんの表情からカラスを不吉な鳥と決めつけることのおかしさに気づいていたようでした。」このおかしさを皆に伝えるためにも一緒に声に出して七つの子を歌いましょうか」と語りかけると、「歌いましょう」と返ってきました。みんなで声に出して歌いました。
 野口雨情さんの心情に迫りながら一緒に歌いましょうか?
 では、一緒にどうぞ。
 ? カラス なぜ啼くの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ 可愛い 可愛いと カラスは啼くの 可愛い 可愛いと 啼くんだよ 山の古巣に いって見て御覧 丸い眼をした いい子だよ ?
 ありがとうございました。
 今日は12月18日、もうすぐお正月用の餅を搗くでしょう。
 餅はいつ搗きますか?
 29日に餅搗きするところはありますか?(「29日には搗かない」の声あり)
 お尋ねします。
 29日には餅は搗かないというところ?(ほとんど挙手)
 29日に搗くというところ?(一人挙手)
 いつと限らずその年によって違うというところ?(挙手無し)
 どうして29日に餅搗きしませんか?(「苦を搗き込むという言い伝えがある」の声あり)
 私の近所でも、9を苦と語呂合わせして、餅に苦を搗き込み1年中苦労するから29日には餅搗きするなといいます。
 29日に餅つきされるのはどうしてですか?(「仕事の都合でこの日にみんなが集まるから」の返事あり)
 家族の仕事の都合で29日が一番都合がいいんですね。
 ところが29日に餅搗きするところがあるのですよ。福岡県糟屋郡では、この日に餅搗きをするそうです。どうしてと思いますか?(「福を搗き込む」の声あり)
 そうですね。29を「ふく」と語呂合わせして、福を搗き込む29日に餅搗きするそうです。地域によって、こうもとらえ方が違うのです。
 数をどう読むかで、この日はよい日、悪い日と考えるのは何ともおかしなことですよね。
 皆さんの中で、「今日は人権教育研修会がある。何の日だろう?」と、今日は何の日か調べてこられた方いますか?(挙手無し)
 普段は、今日は何の日など気にしませんよね。ところが「結婚式は大安がよかばい」だとか「葬式は友引の日はいかんばい」など結婚式や葬式となると今日は何の日となります。普段は、何の意識もしないのに何かの時、意識するのが六曜です。
 私の義母が亡くなったとき、葬儀社に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の人がノートをひろげて、「一般的に、今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えとは関係はないといわれています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは、六曜の考えは信じていませんので友引の日に葬儀を済ませました。どうってことありませんでした。
 大安の日に結婚式を挙げると、ともに白髪の生えるまで添い遂げ、仏滅の日に結婚式を挙げるとすぐ離婚するのであれば誰もが大安に結婚式を挙げますが、大安に結婚した人の中にも離婚する人がいますし、仏滅の日に結婚した人でも添い遂げる人もいます。
 この何ともおかしな六曜とは、どんなことでしょうか。そして、どうやって今日は何の日と決めるのでしょうか。
 昔の日本には週はなく、上旬、中旬、下旬と10日を単位として暮らしていましたが、これでは1日単位の表現が不自由です。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口です。六曜とか六輝と呼ばれるものです。これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、旧暦の1月と7月の1日を先勝、2月と8月の1日を友引、3月と9月の1日を先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには大安が2日続くという場合も出てくるのです。数年先まで暦を調べてみましたが大安が2日続くことはここ数年はありませんでした。しかし、機械的に当てはめるのですからそんなことも起こります。
 「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と故高千穂正史さんは、その著書「愛語問答」で述べています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、迷信などにしばられることのない生き方をしていこう」と、一人一人の意識が変わることによって、世間の常識は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、世間体や偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができると思います。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 「家意識」の存在があります。「うちの先祖は武士だった」とか「家の格が違う」など聞くことがあります。一寸考えてみて下さい。私たちには誰にも二人の両親がいます。二人の両親にも二人の親がいます。このようにして10代遡ると1024人の先祖がいます。この1024人のうち1人でも居なかったら今の私たちはこの世に存在しません。1024人の中には、武士もいたでしょう。農民もいたでしょう。50人集まると5万人の先祖がいるのです。お互い、どこかでつながっているかも知れません。こう見てみると、家意識などおかしなことです。
 「忌避意識」があります。忌避意識とは、「○○と見なされる」ことを避ける意識です。先ほど言いました、結婚差別はこの忌避意識、つまり「同和地区の人とみなされる」ことを避けたいという意識から起きるものです。自分の心の中に同和地区の人に対する差別意識があるから忌避意識が生まれるのです。このおかしさに気づくことです。
 以上見ましたように、私たちの心の中にある諸々の意識を点検することが大切です。
 人権課題解決のために自分にできることは、どんなことでしょうか。
 人権問題を解決するには、「するを許さず」「されるを責めず」「傍観者なし」の3つの原則をみんなが共有し、実践することだと広島修道大学教授 江嶋修作さんは提唱しています。
 「するを許さず」は当然のことですね。
 「されるを責めず」とは、差別は、差別される側に問題があるのではなく、差別する側の問題であることです。「傍観者なし」とは、差別問題に傍観者はいないということです。
 通りがかった川で、人が溺れている。皆さんはどうしますか?助けようと動くか、知らないふりをして通り過ぎるかのどちらかですね。知らないふりして通り過ぎると、溺れている人は死んでしまいます。知らないふりはできませんね。人権問題も同じです。知らないふりをしていたら人権問題は解決しません。そのためには、これまでいくつか考えてきましたように、正しく学び正しく理解し、相手の立場に立って判断し、人権を守る実践行動へつなげることです。
 「思い込み」や「みんなが言うから」で判断することのおかしさ、マイナスイメージで見たり考えたりすることがマイナスイメージの思い込みにつながり偏見を生むことはこれまで見てきたとおりです。
 うわさ話や「ここだけの話」などはマイナスイメージが多いですよね。この秋、京都大学の山中教授がノーベル生理学・医学賞賞を受賞されましたね。私がもし受賞したとすると、こんなこと絶対ありえませんが。「ここだけの話だが、中川さんがノーベル賞を受賞したらしいぞ。すごいなー」など言いませんよね。こんなすばらしいことは、ここだけの話ではなくみんなの前で大声で賞賛するでしょう。こだけの話は、たいていが人のうわさ話、それもマイナスイメージが多いですよね。
 人権感覚を磨くことは人権問題解決には欠かせません。
 人権感覚について、ぎふ人権文化研究所主宰の桑原律さんは「人権感覚とは、具体的な場面に遭遇したとき、とっさに迷うことなく人間として当然あるべきあり方を行動として示すことのできる感性を指しています。それは、そうせずにはいられない直感的情動に基づく行動であり、正義感と言っても理屈の上ではなく、ごく自然に湧き上がってくる感性の行動化にほかなりません」と桑原さんの著書「心しなかやか人権感覚」に記してあります。
 また、「ヒューマンシンフォニー 光は風の中に」の詩集に「人権感覚って何ですか」という詩が書いてあります。
 資料に付けています。一緒に読んでみましょう。
  「人権感覚」って何ですか   桑原 律
「人権感覚」って何ですか
それは ケガをして
苦しんでいる人があれば
そのまますどおりしないで
「だいじょうぶですか」と
助け励ます心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 悲しみに
うち沈んでいる人があれば
見て見ぬふりをしないで
「いっしょに考えましょう」と
共に語らう心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 偏見と差別に
思い悩んでいる人があれば
わが事のように感じて
「そんなことは許せない」と
自ら進んで行動すること

「人権感覚」って何ですか
それは
すどおりしない心
見て見ぬふりをしない心
他者の苦悩をわが苦悩として
人権尊重のために行動する心のこと
              
 人権感覚とはどんなことかが、おわかりと思います。桑原さんは人権感覚を、「だいじょうぶですかと助け励ます心のこと」「いっしょに考えましょうと共に語らう心のこと」「「そんなことは許せないと自ら進んで行動すること」「他者の苦悩をわが苦悩として人権尊重のために行動する心のこと」と言っています。参考にしていただきたいと思います。
 私は本日の演題を「次の世代の子どもたちに人権を尊重する心を伝えていきましょう」としました。
 人権を尊重する心とは、「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができる心」、それは「他の人の考えや気持ちなどがわかるような想像力、共感的に受け止め理解する力」であり「傷つけられた人やきつい思いをしている人の心の痛みを想像する力」だと思います。
 このことを灰谷健次郎さんの小説「太陽の子」を読んだ中学2年Y・Eさんが感想文で次のように書いています。
(前文略)沖縄では、「かわいそう」とは言わず、「肝苦りさ(胸が痛む)」、と言うそうだ。その人がどのような状況に置かれているのか、どのような感情なのか……。背景を知らなくても、「かわいそうね。」と人は言う。何故言うのだろうか。おそらく情け深い人の「ふり」をしているのだろう。相手の表面しか知らないのに、言っている本人は、相手を理解して同情したつもりなのかもしれない。しかしそれは本当の「情け」なのだろうか?言うだけなら、誰にでも言えるのではないだろうか。
 沖縄の人達は、あのむごい第二次世界大戦を目の前で、嫌というほど見てきている。殺すということ。殺されるということ。敵に対する恐怖。家族を失う悲しみ。一人で生きていかなければいけないという将来への不安。孤独との戦い。これらは経験したことのない者にとっては憶測でしか考えられない。
 「おそらく沖縄の人々は本当に痛い、ということがどれだけ痛いか、苦しい、ということがどれほど苦しくなることなのか、辛い、ということがどれほど耐え難い辛さなのかを知っている。そして残酷さも知っているのだろう。」
 知っているからこそ、その人を深く知らずに「かわいそう」などと軽々と口には出せないのだと思う。相手を知り尽くした上で今、置かれている境遇を理解し苦しみを推し測る。そこで初めて出てくる言葉が「肝苦りさ」なのだろう。私が沖縄に感じる奥深さの一つに、このことが関係しているのではないかと思う。
 ふうちゃんのお父さんの病気も戦争の傷跡によるものだ。お父さんがパニックになった時、おきなわ亭のみんなでお父さんをフォローする。オジやんは、「沖縄の島々では、心の病人はみんなで大事にした。心の病んでる者ほど、人の心が必要なんじゃ。」と言う。これはふうちゃんのお父さんに限らず、現代の世の中にも言えるのではないかと思う。親から愛情を受けられずに育ってしまった子供。薬に溺れる若者。足りないのは心ではないかと思う。薬に依存するのは心が満たされないからではないか?薬に依存する人が多いのは、心が満たされていない人が多いからではないかと思う。
 誰かが、「自分を愛せない人は他人も愛せない。自分を大事にしない人は他人も大事に出来ない。」と言っていた。自分を愛する、というのは難しい。しかし自分を好きになることで初めて心が満たされるのではないかと思う。そして自分を好きになるためには周りから、「自分が愛されている。」と実感することが大事だ。ふうちゃんは、おきなわ亭の人達みんなに愛されている。だからふうちゃんはお父さんをはじめ皆に愛を配ることが出来るのだと思う。(以下略)
 「肝苦さ」は、沖縄の言葉で「ちむぐりさ」と読むそうです。「あなたの苦しみを思うとわたしの心も痛みます」という意味だそうです。沖縄の言葉を理解できない私が説明できるような言葉ではないのですが、人の痛みを自分のものとして胸を痛めることです。この「肝苦さ」を子どもたちに伝えていきたいものです。
 終わりに論語の言葉を引用して話を終わりたいと思います。
 皆さんご存じのように論語は、孔子の言葉を門弟たちがまとめたものですね。その中に門弟の子貢と孔子の問答があります。衛霊公第十五412に
   子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
   子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
があります。口語訳は
 子貢が、
 「私が、先生から教えられた、たった一文字、その文字を大切に生きれば、人間として誤らずに生を全うできる、こういう字があったらお教えください。」
 そこで、孔子は
 「子貢よ、それは恕という字だよ。常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさと思いやりのことを言うんだ」と。
 しかし、子貢がよく分からないようすだったので、
 「そうだな。自分がいやなことは人にしてはならない!」とおっしゃったと解説にはあります。
 「恕」とは、相手の身になって、思い・語り・行動することだそうです。
 これは、冒頭にふれましたように第64回人権週間の啓発テーマであります「みんなで築こう 人権の世紀 〜考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心〜」と符合しますね。
皆さん、恕の精神をかみしめ、声に出して一緒に読んでみましょうか。
   子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
   子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 私たちは、常に恕の精神を持ち、次世代を担う子どもたちに人権を尊重する心を伝えていこうではありませんか。
 長時間のご静聴ありがとうございました。

レジュメ

次世代を担う子どもたちに人権を尊重する心を伝えていきましょう。

1 はじめに
後を絶たないいじめを苦にした若者の自殺 人権尊重社会の実現を

2 64回人権週間
 テーマソング 「ボクラノセカイ」  お互いの違いを認め、お互いの理解を深める。
 啓発目標「みんなで築こう 人権の世紀 〜考えよう相手の気持ち 育てよう思いやりの心〜」

3 さまざまな人権課題(法務省 主な人権課題から)
女性 子ども 高齢者 障害者 同和問題 アイヌの人々 外国人 HV感染者・ハンセン病患者等 刑を終えて出所した人 犯罪被害者等 インターネットによる人権侵害 ホームレス 
性的指向 性同一性障害者 北朝鮮当局によって拉致された被害者等 人身取引

4 同和問題 
(1)被差別部落の起源
 人や牛馬の死・血についての穢れ思想が、特定の仕事や役割を持った人々に対する偏見、社会的差別へと広まり、これを利用して、政治的・人為的につくられた身分制度に由来している。
(2)解放への取り組み
 明治 4年 解放令
 大正11年 全国水平社創立大会
 昭和22年 日本国憲法施行 基本的人権の尊重
 昭和40年 同和対策審議会答申
 昭和44年 同和対策事業特別措置法
 平成 8年 地域改善対策協議会意見具申
 平成12年 人権教育及び人権啓発の推進に関する法律
(3)今なお厳存する偏見や差別
  結婚差別 就職差別 土地差別 インターネット上での差別
(4)なぜ今なお差別意識が厳存しているか
  違いを排除する意識の存在
  思い込みや偏見の存在
  迷信や因習を信じる意識の存在
  家意識の存在
  世間体意識の存在
  忌避意識の存在

5 人権課題解決のために自分にできることは
  ※するを許さず されるを責めず 傍観者なし
(1)正しく学び正しく理解し、相手の立場に立って判断し、人権を守る実践行動へつなげましょう。
 ○「思い込み」はありませんか。
 ○「みんなが言うから」で判断することはありませんか。
○マイナスイメージで見たり考えたりすることはありませんか。

(2)人権感覚を磨きましょう
 ○人権感覚とは 
   人権感覚とは、具体的な場面に遭遇したとき、とっさに迷うことなく人間として当然あるべきあり方を行動として示すことのできる感性を指しています。それは、そうせずにはいられない直感的情動に基づく行動であり、正義感と言っても理屈の上ではなく、ごく自然に湧き上がってくる感性の行動化にほかなりません。桑原 律「心しなかやか『人権感覚』」より

(3)次の世代の子どもたちに人権を尊重する心を伝えていきましょう。
 ○「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること」ができる力を培いましょう。
  ・他の人の考えや気持ちなどがわかるような想像力、共感的に受け止め理解する力
※「傷つけられた人」や「きつい思いをしている人」の心の痛みを想像する力

6 おわりに
  論語 衛霊公第十五412
   子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
   子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
   ※ 恕とは 相手の身になって、思い・語り・行動すること。

資  料

資料1

資料2
  チューリップ

   さいた 
   さいた
   チューリップの 花が
   ならんだ ならんだ  
   赤 白 黄色
   どの花みても 
   きれいだな  

 この歌は、東京都世田谷区にすむ近藤宮子さんが、昭和5年に作詞したものです。
 「どの花みても きれいだな」という歌詞について近藤さんは、「なにごとにも良いところがあるものです。とくに、弱いものには目をくばりたい、という自分の思いをこめました」と語っています。


資料3

   七つの子

  烏 なぜ啼くの
  烏は山に   
  可愛い七つの 
  子があるからよ
  可愛い 可愛いと
  烏は啼くの
  可愛い 可愛いと
  啼くんだよ
  山の古巣に
  いって見て御覧
  丸い眼をした
  いい子だよ

 この歌は、大正10年野口雨情さんが作詞したものです。
 雨情さんがなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。
 そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したものです。

資料4

資料5
 
     「太陽の子」を読んで              中学2年 Y・E
 青く澄んだ海、一風変わった伝統、温かい島の人達。これが私の沖縄に対するイメージだった。でも、悲惨な過去があってこそ今の美しさがあるということを、私はこの本に教えてもらった。
 ふうちゃんの両親が営む、「てだのふあ・おきなわ亭」。そこは沖縄を愛する沖縄人のたまり場のような存在だ。おきなわ亭に訪れる人達は皆温かい。はじめは気の荒かったキヨシ少年もこの人達の優しさに触れて本当の優しさを表に出すようになった。なぜおきなわ亭の人達はここまで優しく、温かいのだろうか。
 沖縄では、「かわいそう」とは言わず、「肝苦りさ(胸が痛む)」、と言うそうだ。その人がどのような状況に置かれているのか、どのような感情なのか……。背景を知らなくても、「かわいそうね。」と人は言う。何故言うのだろうか。おそらく情け深い人の「ふり」をしているのだろう。相手の表面しか知らないのに、言っている本人は、相手を理解して同情したつもりなのかもしれない。しかしそれは本当の「情け」なのだろうか?言うだけなら、誰にでも言えるのではないだろうか。
 沖縄の人達は、あのむごい第二次世界大戦を目の前で、嫌というほど見てきている。殺すということ。殺されるということ。敵に対する恐怖。家族を失う悲しみ。一人で生きていかなければいけないという将来への不安。孤独との戦い。これらは経験したことのない者にとっては憶測でしか考えられない。
 「おそらく沖縄の人々は本当に痛い、ということがどれだけ痛いか、苦しい、ということがどれほど苦しくなることなのか、辛い、ということがどれほど耐え難い辛さなのかを知っている。そして残酷さも知っているのだろう。」
 知っているからこそ、その人を深く知らずに「かわいそう」などと軽々と口には出せないのだと思う。相手を知り尽くした上で今、置かれている境遇を理解し苦しみを推し測る。そこで初めて出てくる言葉が「肝苦りさ」なのだろう。私が沖縄に感じる奥深さの一つに、このことが関係しているのではないかと思う。
 ふうちゃんのお父さんの病気も戦争の傷跡によるものだ。お父さんがパニックになった時、おきなわ亭のみんなでお父さんをフォローする。オジやんは、「沖縄の島々では、心の病人はみんなで大事にした。心の病んでる者ほど、人の心が必要なんじゃ。」と言う。これはふうちゃんのお父さんに限らず、現代の世の中にも言えるのではないかと思う。親から愛情を受けられずに育ってしまった子供。薬に溺れる若者。足りないのは心ではないかと思う。薬に依存するのは心が満たされないからではないか?薬に依存する人が多いのは、心が満たされていない人が多いからではないかと思う。
 誰かが、「自分を愛せない人は他人も愛せない。自分を大事にしない人は他人も大事に出来ない。」と言っていた。自分を愛する、というのは難しい。しかし自分を好きになることで初めて心が満たされるのではないかと思う。そして自分を好きになるためには周りから、「自分が愛されている。」と実感することが大事だ。ふうちゃんは、おきなわ亭の人達みんなに愛されている。だからふうちゃんはお父さんをはじめ皆に愛を配ることが出来るのだと思う。
 私もよく、「フラフラして死にそう。」とか言っている。けれど「死ぬ」という言葉を軽々しく使ってはいけない、とギッチョンチョンに教えてもらった。「死」という言葉が持つ意味を、真剣にとらえて初めて使うべきだし、真剣に考えれば軽々しくは使えない。
 私をはじめ、このように戦争を知らない者が増えている今、世の中は平和なように感じる。しかし一方、ふうちゃんのお父さんのように、戦争が終わっている今もなお傷跡に苦しんだ末、間接的に戦争に殺された。すなわち二極化しているのである。これを解決するにはどうすれば良いのか。戦争を知らない私達は、忌まわしい出来事の真実を知る努力をし、少しでも苦しみを共有してみてはどうだろうか。そして、今尚苦しんでいる人の傷をいやすことのできるような社会を作り上げることが、戦後生まれてきた私達の義務だと思う。
 生活の中の一つ一つをもっと重くとらえ、自分を変えていければ、と思った。

資料6