学ぼう 育てよう 豊かな人権感覚
平成20年2月21日
産山村基幹集落センター


 皆さん、こんにちは。
 ただいまご紹介いただきました中川でございます。現在、益城町教育委員会で社会教育指導員をしています。
 ここ、産山村には私が県社会教育課に勤務している頃、生涯学習のまちづくりなどで数回おじゃましました。当時から、県下の先端を切って社会教育、学校教育に力を注がれている姿勢に敬意を持っていたところです。
 現在は、「高齢化問題や福祉問題に関心を持ち、自分もふるさとを支える地域の一員であるという意識を高め、高齢化社会への対応を自分なりに考えることができる子どもを育てる」でありますとか、「立場や価値観が異なる人と共に生きていく実践的態度を育む」でありますとか、「高齢者の生きた知識や優しさ、人間の生き方を学ぶことにより豊かな心を育む」などを目標とした子どもヘルパー制度を展開しておられます。
 21世紀のキーワードは、「人権」「福祉」「環境」そして「生涯学習」だと思っています。このことを村を挙げて実践していらっしゃることに敬意を表します。
 私は、妻と二人で中国の個人旅行を楽しでいます。中国のシルクロードの旅です。ウルムチを中心にトルファンとかカシュガル、ホータン、コルラなどへ行きました。周りは荒涼たる沙漠です。その沙漠に点々とオアシスがあります。沙漠の中に突然緑が現れるのです。川が流れています。その水はすべて天山山脈や祁連山脈の雪解け水です。地球温暖化問題が叫ばれていますが、オアシスに住んでいる人は降る雪の量が少なくなっていると言います。雪が少なくなり、雪解け水がなくなることはオアシスの死活問題です。環境問題は全世界の課題です。
 人権問題、福祉問題も大きな課題です。その課題に真正面から取り組んでおられる産山村で人権問題について考える機会を与えていただきましたことに感謝しております。
 皆さん、今月10日のNHKテレビ番組「たたかうリハビリ あなたはここまで再生できる」を視聴された方はいらっしゃるでしょう。元巨人軍監督長嶋茂雄さんのリハビリの様子が放映されました。詳しくお話しする時間はありませんが、長島さんはご存じのように脳梗塞で倒れられました。そして、リハビリによって驚異的に麻痺した機能を回復しています。その様子の一部が放映されました。天井からつるしたゴムひもで自分の身体を支え、看護士さんに麻痺している右手をふってもらい、「1、2。1、2」「右、左。右、左」と声を出しながらトレッドミルで歩く練習をしています。私は長島さんが言った言葉が印象的でした。「リハビリはうそつかない。歩けるようになったので走れるようになることを願ってリハビリを続けている」とあの笑顔で言っていました。解説の医師は「これまでのリハビリは機能が麻痺した手足の機能回復ではなく、動く手足の機能をさらにアップすることに重点を置いていた。例えば、ネクタイを結ぶのに左手を使うことが出来ないなら右手だけで結ぶことが出来るようにするだった。これは患者さんの意志ではなく医者の側の意志だった。使えなくなった手足を使えるようになりたいと患者さんが望むならそれに添うリハビリが大事だ」と言っていました。
 人権問題を考えるとき「相手の立場に立って考え行動する」ことはよく言われることです。まさにその通りだとテレビを見て思いました。
 資料に付けています中学生の作文「それぞれの思いに寄り添って」は、平成19年度全国中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞を受賞した石川県・金沢大学教育学部附属中学校2年佐々木絢海(ささきあやみ)さんの作品です。少し長いですが読んでみます。

 今年の夏で私の祖父は77歳になりました。その祖父の喜寿のお祝いのために家族で東京のホテルに集まりました。タクシーを降りた時の祖父の様子は、これまでの祖父とは違います。降りようとしても、左足がすぐに地面に着かないのです。その祖父の様子を見たホテルのドアマンが、
 「車椅子を用意しましょうか?」
と祖母に聞きました。祖母は断ろうと思っていたのか、即答しませんでした。すると私の母が
 「お願いします」。
と躊躇なく答えました。
 1年程前、祖父はパーキンソン病と診断され治療を受けています。パーキンソン病は原因不明の神経系統の難病で、手足から始まってだんだんと体が動かなくなる病気です。特効薬がなく、治すことよりも投薬によって現状維持をしていくことに治療の重点が置かれています。そのため私の祖父も発症当時からパーキンソン病自体は進行していないのですが、心臓の具合の調整のために、3週間程入院している間に65sあった体重が45sと20sも減ってしまい筋力が、ぐっと落ちてしまったのです。歳をとっても姿勢が良く、背筋がピンとしていた祖父からは想像もつかない様な背中の曲がったおじいさんにこの1年でなってしまったのです。
 祖父と祖母は今二人で東京に住んでいて普段は祖母が祖父の面倒を一人で見ています。そんな祖母にとって、祖父が歩けなくなり日常生活の身の回りの事を祖父自身でできなくなれば大変です。ですから祖母はきっと祖父が歩ける内は、できる限り自分の足で歩いてほしいと願っているのだと思います。だからホテルでも車椅子を使わずに、歩いてほしいと思ったのでしょう。そんな祖母に反して母は、祖父の負担を少しでもなくそうと車椅子を頼みました。私はその時の祖父の気持ちを考えました。祖父の病気の進行のことを考えれば、今自分でできることは、できる限り自分でした方が良いにきまっています。しかし祖父自身のプライドを思えば、どこまでも整然と美しく続いているホテルのロビーをよたよたと前かがみで、小さな歩幅で歩くことを許さなかったのではないかと感じるのです。これは歩くと足に負担がかかって、痛いという身体的な苦痛とは異なるものです。
 来る日も来る日も祖父の面倒を見ている祖母の考えを尊重せずに、ドアマンに車椅子をすかさず頼んだ母は、後で反省をしたそうですが何よりも祖父自身の思いをその場で確かめることが大切だったのではないかと私は思います。祖母も母も他の家族も祖父を思い、祖父の病気を心配する気持ちに大小はありません。しかしその場に祖父の思いが汲み取られていないとしたら、それはただの自己満足に過ぎません。
 私たちの周りには、小さな子ども、お年寄り、障害者、病気の人、何らかの差別を受けている人など弱者はたくさんいます。私たちはその様な人たちに対して親切にしなくてはいけないことは、すでにわかっています。でも本当にその人たちの思いや考えに寄り添って行動をしているでしょうか。
 私の思い、私の考え、私の都合ではなく、真の意味で心を砕いて、祖父の思いに触れた時にはじめて、今の祖父のもどかしさ、やるせなさを理解することができるのではないかと思います。
 一歳を過ぎても歩かない私を心配し、両手をひいて、何度も何度も歩く練習をしてくれた祖父。歩き始めてからはどこへでも行ってしまう私を、どこまでも追いかけてくれた祖父。そんな祖父が数年先には、寝たきりになってしまうのかと思うと悲しくてたまりません。でも、どんな祖父になっても私にとっては、いつも笑顔で両手をひいて
 「いちに、いちに。いちに、いちに。」
と歩く練習をしてくれた祖父なのです。
 人権という言葉について考える時、私たちはいつも大げさにとらえすぎているのではないかと思います。この夏、祖父との関わりを通して私たちの身の回りにはちょっとした違いのために窮屈でやるせない思いをしている人がたくさんいるのではないかと思うようになりました。
 すべての人の権利を守ろうと思う時、大げさなパフォーマンスはいりません。本当に身近にいる人や隣りにいる人の思いに寄り添い、その人の思いを自分から五感のすべてを働かせて想像すれば良いのです。
 まず私は祖父に寄り添うことからはじめようと思っています。

 いかがですか?
 それぞれにいろんなことを感じられたことでしょう。その思いを大切にしてください。どうか帰られたらご家族の方にも読んでもらってください。また、小中学校の先生方、子どもたちに読ませてください。
 「身近にいる人や隣りにいる人の思いに寄り添い、その人の思いを自分から五感のすべてを働かせて想像すること」が人権を守ることの基本と言っています。
 その人権を守ることについて日常生活の中のたくさんの素材の中から考えてみましょう。
 「息子よ、息子!」というお話をします。既に聴かれた方はもう一度温め直してください。初めての方は一生懸命聴いてください。

       息子よ、息子!

   路上で、交通事故がありました。
   大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。
   父親は即死しました。
   息子は、病院に運ばれました。
   彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
   外科医は、「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげました。

 今、話を聞かれてストンと胸に落ちましたか?
 何かおかしいところはありませんでしたか?
 外科医は、この息子の何にあたるでしょうか?
 答がすぐに出なかったのは、どうしてでしょか?
 そうです。外科医を男性医者と思い込んでいたからです。外科医が女性であると分かればすっと胸に落ちるでしょう。こんな思い込みは意外に多いものです。
 では、どうしてそう思い込むのでしょうか?
 皆さん、魚の絵を描いてみましょう。(3分程度自由に描く)
 どなたか、ここに描いてくださる方はいらっしゃいませんか?(一人の方に描いてもらう)
 すばらしい魚の絵を描いていただきありがとうございました。皆さん拍手で褒めてください。
 ここでは、「絵が上手」かどうかを問題とするのではありません。描いた魚の頭はどちらを向いているかを問題としたいのです。
 ここに描いていただいた○○さんと同じ左向きを描かれた方?(ほとんど全員)
 右向きの方?
 ほとんどの方が左向きです。
 先日、私は人間ドックで栄養士さんから食生活について指導を受けました。その時、魚の絵を見せてもらいました。そのときの魚の絵も頭は左向きでした。私たちの毎日の生活の中にある絵や写真、料理で見る魚の頭はどちらを向いているでしょうか?
 そうです。ほとんどが左を向いていますね。私たちは空気を吸うごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。
 では、牛の絵を描いてみましょうか。
 ここでは、頭で牛の姿をイメージしてください。色を付けてください。
 今日は、皆さんがどんな牛をイメージしておられるか楽しみにして来ました。皆さんがどんな色の牛をイメージされるかとても興味があります。
 お尋ねします。
 あか牛をイメージした方?(全員)
 くろ牛の方? 
 白黒のホルスタインの方?
 やはりここは、阿蘇ですね。皆さん全員があか牛です。
 天草で聞いたときは、くろ牛の方が多かったのです。
 私は昭和40年代後半に牛深小学校に勤務していました。天草地方では、農耕用にくろ牛が飼ってありました。
 私は、白黒のホルスタインをイメージします。私は農家の長男で、小さい頃乳牛を飼っていました。牛を運動に連れて行ったり、草切りに行ったりしながら白黒の乳牛の世話をしていました。
 どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?自分の身近にいる牛が直ぐに浮かぶでしょう?これを刷り込みといいます。この刷り込みが時として、思い込みとなり、そして偏見になることがあるのです。
 人はだれひとりとして「偏見」を持って生まれてくるわけではありません。私たちは、子どものころから、空気を吸うように「紋切り型の考え」を無意識のうちに身につけていきます。
 また、知らないことから「誤解」が生まれることがあります。
 熊本県教育委員会編の中学校用人権教育資料「くすのき」には、「“誤解”をそのままにしていると“偏見”になるんだ。“偏見”をそのままにしていると“差別”になるんだ」とあります。
 我が国固有の人権問題であります部落差別の起源については、封建社会が確立されていく過程の中で、当時の人々を支配する目的で作られた身分制度に由来していると言われています。ところが過去には、人種が違う、異民族の子孫、ある一定の職業に就いていた、特定の宗教に属していたなどとまことしやかに言われ、それをそのまま信じて、差別を合理化したり、容認したりすることがありました。
 昭和40年、時の佐藤栄作内閣総理大臣に出された同和対策審議会答申では「起源や沿革については、人種的起源説、宗教的起源説、職業的起源説、政治的起源説などの諸説がある。世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかねばならないのは、同和地区の住民は、異人種でも異民族でもなく疑いもなく日本民族、日本国民である、ということである」と述べています。さらに「人の手によって作られた部落差別は人の手によって必ず解決できる」と述べられています。
 私たちは学習によって、人種起源説や、職業起源説が間違いであることに気づきました。そして、部落差別をなくす取組をしています。
 ところで、今日は何の日かご存じですか?
 普段は、今日は何の日かなど気にしません。ところが何かあると、今日は何の日かとなるのです。
 結婚式やおめでたい日は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、事故を起こすと「仏滅」だったなどと、日取りを決める基準にされることがあります。この六曜とは、いったいどのようなものでしょうか?
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものなのです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、旧暦の正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引、3月と9月は先負、4月と10月は仏滅、5月と11月が大安、6月と12月が赤口と、機械的に割り当てたのです。
 ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人が、今日は日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽(こっけい)なことですね。
 これも学習によって、六曜を信じる人は少なくなってきました。
 1月、恵楓園に研修に行きました。ハンセン病に関する間違った理解が元で数多くの差別事件が起きたことは皆さんご存じの通りです。
 その中で、昭和29年に龍田寮児童通学拒否事件というのがあります。
 菊地恵楓園に入所している親をもつ子どもが生活している竜田寮の子どもが、地元の黒髪小学校に通学することにPTAの間から反対の声があがるという、通学拒否事件です。
 「ハンセン病はうつる病気、恐ろしい伝染病」と思いこんでいたことにより、ハンセン病患者への偏見と恐怖により起きた事件です。竜田寮の子ども達の登校に反対して、同盟休校へと発展したのです。当時の熊本商科大学長が竜田寮の子どもを引き取り、そこから通学させるということで、解決しました。
 「黒髪小PTAの反対派をそこまでかりたてたのは、ハンセン病は恐ろしい病気である、うつる病気であると人々が思いこんでいたからです。わが子を思うあまり取った行動であったと思います。このとき、伝染力は極めて弱く、うつることはないとの理解が出来ていればこのような事件は起きなかったでしょう。無知、知らないことは偏見を生みます。偏見は差別につながります。物事は正しく理解することが大切です」と元恵楓園長由布先生から聞いたことがありました。
 私たちの生活の中には、このように意図しない学習や教育の結果は多いものです。部落差別をはじめあらゆる差別をなくす行動力を身につけるために、毎日の生活の中で偏見や差別意識を正すために学習することが当たり前になることが大切だと思います。
 差別を見抜く力、差別を許さない力、差別をなくす力は豊かな感性がその基礎だと思います。
 ある女性から聞いた話です。
 季節はちょうど今頃のことでしょう。寒い夜、好意を持っている人と江津胡周辺を散歩したときのことです。寒かったので二人で片寄せあって互いの体温でぬくもりを保って歩いていました。そのとき、彼が「寒くないかい」と聞いてきました。私はなんて心の優しい人だろう。私のことをこんなに思いやって気遣ってくれる。優しい人だ。結婚してもいいと思いました。「寒くないかい」の一言で、心が温まりました。そこで、「寒くありません」と答えました。すると彼は「寒うなかや。俺は寒か。そんならあたのコートば、貸せ!」と言って私のコートを脱ぎとろうとしました。それ以来、逢っていませんと。
 自分のことばかりではなく他を思いやることがだいじですね。思いやるとは互いに互いを思い合うことだと思います。
 ここ産山でも夏祭りの後などで花火大会があるでしょう?
 江津胡での花火大会でのことです。尺玉といってとても大きな音が出て、とてもきれいな花火があるでしょう。その花火を見て、「うわー、きれいか」「うわー、音の太か」と手を取り合って感動している親子がいました。反対に「せからしか、だまって見とききらんとね」と子を叱る親がいました。どちらが感性を高めるかお分かりですよね。
 当地は、山の端に沈む夕陽がとてもきれいだと聞いています。ここからはみごとな杉木立が見えます。
 私は竹林に囲まれた七滝小学校に勤務したことがあります。竹林の向こうに沈む夕日がとてもきれいでした。子どもたちが「校長先生、七滝小学校の夕焼けは日本一です。夕日を見に行きましょう」と私を運動場に誘いました。大きな真っ赤な夕陽が周りをあかね色に染め、竹林の向こうに見えます。その日の夕焼けはことのほか美しく見えました。私は思わず「うわぁー、美しかー」と言いました。子どもたちも「美しかー」と言っています。感動は周りにいる人と共有することで増幅されます。この感動が豊かな感性の源です。
 私は、昨年10月、胆石の手術で5日間入院しました。この5日間の入院生活の中で、大勢の人が病室から出てくるところを何度か見ました。誰かが亡くなられたのでしょう。今、ほとんどの人が病院で死を迎えます。
 柳田邦夫さんは、「壊れる日本人」という本の中で、死を目前にしている患者が入っている病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところが多い。病室に詰めている家族の目は、どうしてもモニターに向かう。患者の枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を誰もが忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになると書いています。
 私の父は、15年前になくなりました。父は生前、「我が家で死を迎えたい」と言っていました。死を間近にした時、病院の先生から「入院すればもっと生きられる」と言われましたが、母や弟達と相談して入院は断りました。
 家族や親族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、母は、両手で父の手をしっかりと握りしめ、無言で父を見つめていました。父の弟妹は「有っちゃん。有っちゃ」と名前を呼び続けました。私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と呼びかけました。孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。私は、「父ちゃん、これまでありがとう。これからも俺たちを見守っていてはいよ」とこみ上げる悲しみを必死でこらえながら父に語りかけました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。
 私は家で死を迎えるのが良いというのではありません。人の誕生や死に立ち会いながらその中で「生きる」とはを考えたいと思います。心を揺り動かされる体験から人権感覚は生まれ、磨かれていくものと思います。
 子どもたちには「心が揺り動かされる情動体験」をいっぱいさせてください。
 また、本日は先生方もいらっしゃるということですので子どもたちに「自尊感情はぐくむ」ことをお願いします。
 私は益城町公民館で大人と子どもにそろばんを教えています。
 大人のそろばん教室の様子です。40代から70代まで20人が学んでおいでです。9時半からの教室に9時頃には教室に来て、互いに教えたり教えられたりしながら練習をしています。そして、私に「ここがどうしても分かりません。教えてください」と言う人が幾人もいます。分かると、「あぁ、そうか。分かりました。ありがとうございました」とにっこりされます。胸に落ちるのですね。これこそ、「自ら課題を見つけ、自ら学び自ら考え、判断し行動する」生きる力そのものです。
 講座生の言葉です。
  「寝る前に見取り算を練習すると、適当に頭が疲れてよく眠れる。割り算の練習をすると頭がさえて眠れない」
  「練習すると体が熱くなり、着物1枚脱ぐ」
  「4級の試験は210点ぎりぎり合格で悔しかったので昨日自分で時間を計ってしてみた。時間は32分かかったが満点だった。思  わず万歳の言葉が出ました」
 学習意欲旺盛な方たちです。そして、尋ねると、小さい頃、自己実現の機会がとても多かった方たちです。
以前は、誰もが家族の一員として手伝いというより自分の仕事を受け持っていました。皆さんもそうだったでしょう?だから、「うちは、俺がいるから動いている」と思い、それが自己有用感、自己存在感を実感していたのです。それが、知らず知らずのうちに自尊感情をはぐくんできたのです。
 子どもの様子です。4年生以上が益城町の木山分館で30人、○○校長先生が勤務しておられた津森小学校で8人が学んでいます。すべて進んで学習に参加している子どもたちです。
 産山小学校でもそろばんの学習をしていらっしゃるということですのでお分かりと思います。そろばんは習い始めに難関がいくつかあります。一つは5珠が下りている足し算です。例えば、「6+8」「17−8」これが難しいのです。2〜3日練習して「難しかぁー」と止める子がいます。「分かりません。もう一度教えてください」と何度も何度も尋ねる子がいます。分からない悔しさから涙を流しながら必死で習う子がいます。
 この子どもたちの差は能力差でしょうか。私はそうは思いません。自尊感情の差だと思います。
自尊感情とは、自己に対する評価感情で、自分自身を基本的に価値あるものとする感覚です。自尊感情は、その人自身に常に意識されているわけではないが、その人の言動や意識態度を基本的に方向付けます。自分自身を基本的に価値あるものとして評価し信頼することによって、人は積極的に意欲的に経験を積み重ね、満足感を持ち、自己に対しても他者に対しても受容的です。
 この自尊感情は、現在の学習意欲、将来の学習意欲の源です。自分を価値あるものと思う心は他者も価値あるものと思います。自分の人権と他者の人権を大切にする源です。「自ら学び、自ら考え、行動する」生きる力の礎だと思います。
 公民館やカルチャーセンターで学ぶ人たちの少年少女時代の生活の様子を上越教育大学の新井教授が調査されました。
 公民館で学んでいる人たちの大多数が小学生から中学生にかけて「自己実現」を数多く経験している人だったのです。それも、小4〜中2時代です。
 自己実現の機会が多い人ほど自尊感情が高いことが分かったのです。自分が他者から認められ、褒められ、頼りにされていると実感する機会が多いほど自尊感情が高まります。家庭や地域での活動で子どもに役割を分担させ、責任をきちんと果たしたとき、それを認め、褒めましょう。
 子どもたちはというより私たち大人も出来なかったり、失敗したときそれを能力不足のせいにしようとします。能力不足のせいにはさせないでください。
 出来なかったときは努力不足であることを納得させてください。また、努力の方法を反省させてください。もし怠けや悪さなどの時は厳しく叱りましょう。
 要領が悪かったり、方法が分からないときは、ヒントを与えたり、励ましたりして意欲を起こさせましょう。
 もう一つは、感動体験、特に情動体験をさせることですがこれは先ほどお話ししました。
 平成18年に文部科学省から「人権教育の指導法等の在り方について 第2次まとめ」が発表されました。
 その中で、育てたい人権感覚とは「日常生活の中で人権上問題のあるような出来事に接した際に、直感的にその出来事はおかしいと思う感性や、日常生活において人権への配慮がその態度や行動に現れるような人権感覚」と述べています。
 そして、「人権感覚が知的認識とも結びついて、問題状況を変えようとする人権意識又は意欲や態度になり、自分の人権と共に他者の人権を守るような実践行動力」をはぐくみましょうと述べています。
 現在、各小中学校の人権教育ではこの方向で指導が行われています。これは学校の人権教育ばかりではありません。私たちにも求められていることです。
 これまで述べましたように、学習によって人権に関する知識を得ます。毎日の生活の中から豊かな感性をはぐくみます。それらを融合して差別をなくす取組へと結びつけることです。
 そして、部落差別をはじめあらゆる差別をなくす取り組みを拡げていくことです。
 おわりに 
  桑原律さんの「共に生きる道」を皆さんと一緒に読んで終わりたいと思います。

     共に生きる道   桑原 律 

   わたしたちが
   この世に生をうけたとき
   だれにも選ぶことのできないこと

   世界の どこの国で
   どのような人種・民族の一人として生まれるか
   どの地方の どの地域で生まれるか
   どの家で だれを親として生まれるか
   どんなからだで生まれるのか
   これらは
   だれも選ぶことのできない条件

   人種や民族が違うからといって
   なぜ 偏見を持つのでしょうか
   ある地域の出身だということだけで
   なぜ
   特別な目で見て
   さげすむのでしょうか

   女性か男性かという
   性の違いによって
   なぜ
   人間としてのねうちに
   差をつけようとするのでしょうか

   からだに障害があるからといって
   なぜ
   「やっかい者」扱いし否定的に見るのでしょうか

   一人ひとりは
   それぞれが 命ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれが 心ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれ 個性的な違いがあって同じ人間なのです
 
   人と人とを分け隔て
   心の中にある壁を設けるのは
   やめましょう

   違いがあることを
   その人を否定する理由とせず
   違いがあることを
   おたがいに認めあうこと
   そうして おたがいを信じあい
   共に生きる道を踏み出しましょう

        (ヒューマンシンフォニー 光は風の中により)

 本日話しましたことをお帰りなったらご家族の方にお話ししてください。そして、一つでも共感できるところがありましたら、明日からの生活に生かしていただきますようお願いしまして話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。