人は夢を育て、夢は人を育てます。
(〜小学校入学前の家庭教育〜)

平成19年2月
龍野小学校 くまもと地域子育てスクール


1 はじめに
 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 昨日、ずぼらをしましてテレビを見ながらひげを剃りました。見てください。ひげを剃らずに皮膚を剃ってしまいました。毎日のことだからとたかをくくってしたことがこのざまです。
 最近の若いお母さんの中にはテレビを見ながら赤ちゃんに授乳する人がいると聞きます。赤ちゃんは私のようにケガはしません。体の栄養はもらいますが肝心な心の栄養、愛情はもらいません。これはけがをすることよりもっと怖いことではないでしょうか。子どもは愛情いっぱいに育てたいものですね。
 この4月、初めてお子さんが入学される方、何人いらっしゃいますか? 
 ちょうど半分ですね。半数の方は、お兄ちゃんかお姉ちゃんが既に小学校で勉強している方ですね。学校には、PTAといって子どもの成長を支援する先生と保護者の会があります。PTAは同じ年齢の子どもがいる異年齢の保護者と先生の集まりです。「うちの子はこんなところがあって今とても悩んでいる」と悩みを持っている人がいるとします。同じ悩みを解決してきた経験のある方もいるのです。子育てでいろいろ悩みがあるときはこのPTAの仲間に相談してください。そして、先生に相談してください。そんなことが出来るところが学校です。
 私には小学2年生と4歳の孫がいます。親として子どもを見ていたときと違って、爺として孫を見ると、成長の様子がよく見えます。ここに、おばあさんもいらっしゃます。孫の成長が良くおわかりになるでしょう。それは、心にゆとりがあるからだろうと思います。親はこうはいかないところがありますが、子育てを楽しんでください。親子の気持ちがぴったり一致するときや親の言うことを聞かずに手こずるときもあるでしょう。
 「どうしてこうわからないのだろう」と悩むこともあることでしょうが、悩みをも楽しみにしていきたいものです。子どもを決してうっとうしいと思うことがないようにありたいものです。子どもは夫婦の愛の結晶ですから。
 子どもの成長を目の当たりにするときの喜び、楽しみは何物にも代え難いものです。と同時に、子育てを通して自分自身が成長します。子育ては親育ちでもあります。生涯学習そのものです。この視点を持ちたいものです。
 結果だけに目がいくのではなく、過程を大切にしたいものです。
 と同時に「共に生きる」視点も大事にしたいものです。私たちは一人で生きているわけではありません。一人で生きているのであれば自分の好きなように生きることができますが家族という集団、学級という集団、地域という集団で生きるには「共に生きる」視点がなければなりません。
 「一番の親不孝は親より先に子どもが死ぬこと」とは昔からよく言われている言葉です。親が子どもより先に死ぬのは当たり前のことです。当たり前であるが故に子育てで、一番忘れがちなのが「親は子どもより先に死ぬ」ということです。「自分がした苦労は子どもには味わわせたくない」と子どもに不自由や苦労を感じさせないように育てている姿、つまり過保護の状態を見ることがあります。これは子育ての上で子どもに好結果をもたらすでしょうか。私はそうは思いません。
 先日NHKのプラネットアースという番組を見ていましたら、鳥の中には雛に孵って直ぐにとびだす鳥もいるのですね。人はこうはいきません。他の動物に比べるととても未熟な状態で生まれてきます。だから、人が独り立ちするまでには親の保護が必要なのです。
 「保護」には「世話する」「指示する」「与える」「受け容れる」があります。世話をしなければ子どもは生きていけませんが、世話のし過ぎは子どもの自立を妨げます。小さな子どもは指示されなければ自分で判断することはできません。しかし、指示のし過ぎでは子どもは自分で判断する必要がなくなります。まさに、指示待ち症候群を親が作っていきます。モノを与えなければ子どもは自らモノを得ることはできません。しかし、与えすぎると子どもの欲求は増すばかりです。我慢する心が育ちません。子どもの考えや行動を親が受け入れなければ子どもは自分の気持ちを表すことができなくなります。しかし、何でも受け入れてしまうと子どもはわがままな人間になります。つまり、この「世話」「指示」「授与」「受容」の4つは子育てでは絶対必要ですが、その加減が難しいと思います。子どもと向き合い、その子にあった加減を是非考えて欲しいのです。
 子育ては子どもの独り立ちを支援する営みです。子育てにレシピはありません。子どもと共に育ちあいましょう。調理のレシピように、接客やパソコン操作などのマニュアルのように一つの方法では子育てはできません。だから子育てで悩みがある、喜びがあると思います。
 そこでいくつか提案をします。

2 私の提案
提案1 「家族みんなが楽しく過ごす家庭」をつくる
 子どもの一番の願いは何だと思われますか?
 子どもたちの1番の願いは「家族みんなが楽しく過ごす家庭」です。楽しく過ごす家庭とは、笑い声や歌声にあふれた家庭です。そのためにはまず、親が幸せになることです。親がイライラしていては「家族みんなが楽しく過ごす」家庭をつくりあげることはできません。親のイライラが子どもに伝わります。親は夫婦仲良く、健康であることです。心の健康を保つことが大切です。親自身が自分を大切にできないなら、子どもを大切にすることができるはずがないと私は思います。親が幸せで笑顔でいる家庭でこそ、子どもも幸せを感じます。笑い声、歌声、親子での話し声にあふれた家族のきずなを深める家庭をつくっていきましょう。
 親が本を読む姿を子どもに見せてください。また、絵本の読み聞かせをしてください。絵本の読み聞かせは、基本的には、親が我が子に読み聞かせをしてやることです。読み聞かせに技術は問題ではありません。親が感動したことをそのまま読みに表せばいいのです。膝の上に抱きかかえ、絵本を読んでやると、互いの体温が伝わり合います。体温の伝わり合い、これが愛情を実感します。
 アメリカ人 ドロシー・ロー・ノルトは「子どもが育つ魔法の言葉」の中で、「とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる」「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」と言っています。これらは心にとめておく言葉だと思います。

提案2 子どもの「生活リズム」を確立する
 今、文部科学省では「早寝早起き朝ご飯」を提唱しています。これは子どもたちに生活リズムを付けさせることと、子どもの健やかな成長のエネルギー源である朝ご飯をきちんと食べさせようとの思いからです。昔から「早起きは3文の得」と言うでしょう。子どもたちの中に夜更かしをする子が増えいます。睡眠時間が少なくなっています。子どもには9時間から8時間は必要です。
 校長室で校長先生から校長室便りを見せていただきました。その中にも「早寝早起き朝ご飯、睡眠時間は8時間から9時間必要です」と記してありました。
 朝目覚めてから脳が活発に動き出すまでには1時間30分から2時間は必要です。本校では1時間目の授業は8時40分くらいからですか?だったら、子どもたちは6時30分頃には起きることです。ということは、9時30分から10時には寝ることです。これだけ睡眠を取ると必ず子どもは脳が活性化します。学習効果が現れます。頭が良くなります。ということは、テレビ視聴時間も制限されると言うことですね。
 また、私がクラス担任をしている頃、運動会の練習が始まると、子どもたちがばたばた倒れて保健室で休んでいました。そのほとんどが朝ご飯を食べていない子でした。朝ご飯を食べたという子も、パンとコーヒーという子でした。朝ご飯は1日のエネルギー源です。ご飯と具のいっぱい入った味噌汁を家族そろって食べましょう。
 子どもさんは1日どのくらいテレビを見ていますか。「テレビの長時間視聴に警鐘」を読んでください。「テレビ視聴が長いほど『自分には良いところがある』と思う自己肯定感が弱くなっている。受動的な関係に慣らされ、自分のことを見つめる力が育たないのではなかろうか」と述べています。心に留め置く言葉だと思います。

提案3「ルールを守る」を教え込む
 「うそをつかない」「ものを盗まない」「無益な殺生はしない」は子育ての3原則ですね。どこの家庭でも口が酸っぱくなるほど言って聞かせておられることと思います。
 最近、「ルールを守る」ことができない子が増えつつあるように思います。子どもばかりではありません。大人の中にも規範意識が薄い人が増えてきたように思います。払う能力があるのに払おうとしない給食費の未納問題などはその典型ではないでしょうか。正直者が馬鹿を見るような社会であってはなりません。また、安心、安全な生活を送る上ではルールを守ることは重要なことです。
 熊日新聞「読書の広場」に「子どもは家庭で厳しく躾ける」という意見がよく出ますね。その投稿文のいくつかを資料として付けています。後でご覧ください。
 おやつの話しです。
 兄弟姉妹におやつをやるときは、わざと分けることができない数を与えて欲しいと思います。
 例えば、2人兄弟のとき、あめ玉を3個ないし5個与えて「2人で仲よく食べなさい」と言ってみてください。子どもはどうするでしょうか? 例えば3個与えたとき、上の子が「自分は大きいから」と言って2個とるかも知れません。あるいは「おまえが2個とれ」といって下の子に2個やるかも知れません。残った1個を半分に分けることができるものなら、半分に分けるかも知れません。そこに、数の大小概念が生まれます。1個と2個とでどちらが多いか分からないならけんかもしません。
 お皿一杯におやつを与えて好きなだけ食べなさいでは多い少ないなどの数の概念は育ちません。
 このようにおやつの与え方一つで子どもに数の概念の素地が芽生え、思いやりの心や助け合う心、協力し合う心、我慢する心などがうまれてきますよ。
 正しいしつけは子どもへの大切な贈りものです。愛情を持って時には褒め、時には厳しく叱って躾けてください。社会で許されないことは、家庭でも学校でも許されないのです。

提案4 「自分の生命は自分で守る」を教え込む
 もう15年ほど前になるでしょうか。熊本市内で小学校に入学間もない子どもが交通事故でなくなるという悲しい出来事がありました。その日は何かの都合で、近くのおじいさんの家に帰るように言われていたそうです。車の通行量の多い道路を横断するのに、目の前の通行帯は渋滞で混雑していました。対向車線はすいすい車が走っていたそうです。子どもは目の前の渋滞を自分が横断するから止まってくれたと勘違いしたのかも知れません。車の間を横断し始めたそうです。対向車線に出たとたん、スピードを出して走って来た車にはねられ即死の状態だったということでした。
 ここ龍野小学校の通学路も車の通りが多いところもあるでしょう。入学前に少なくとも5〜6回は子どもさんと一緒に歩いて、どこが危険箇所か、どう歩けばよいかを教え込んでおくことです。そして、「自分の命は自分で守る」ことを言い続けて欲しいと思います。冒頭言いましたように、子が親より先に死ぬことほど親不孝はありません。これが「親が子を守る」ことだと私は思います。
 好き嫌いなく何でも食べる、今時、牛乳が嫌いだからといって牛乳を飲まないと栄養失調になることはないでしょう。牛乳以外の乳製品を摂るでしょうから。それより、好き嫌いが多い人は世の中を狭くすることを心配します。人間関係にも影響してきます。だれとでも付き合うことができる人であって欲しいものです。
 「少年は何を食べていたか?」という新聞記事があります。その中に、「人が攻撃的になるのは@菓子や清涼飲料水のとりすぎによる低血糖症AビタミンB2の欠乏B必須ミネラルのアンバランスC鉛などの有害金属の蓄積D体内のカルシウムを奪う食品添加物の大量摂取」が挙げられています。中学校の先生の言葉「問題行動があった子どもの家には必ず、清涼飲料水のペットボトルとカップ麺が転がっている」は私たちに警鐘を鳴らしている言葉ではないでしょうか。
 昨年、奈良や京都で学校帰りの1年生が殺されるという事件が相次ぎました。知らない人の声かけには応じないような指導をしますが、それと同時に地域の中で知り合いを増やすことを心がけて欲しいと思います。と同時に子どもたちに地域の人に声かけをしていただくようにPTAや学校から更にお願いして欲しいと思います。

提案5 「知的好奇心」をくすぐる
 4歳の孫は、家の中を歩き回ったり一緒に散歩したりするとき、いつも「これ、なーに?」「なぜ?」を連発します。皆さんの子どもさんもそうでしょう。見るもの聞くものに興味を示すでしょう。この知的好奇心が学習の始まりです。これを大事にしたいものです。学校に通い始めると、「ね、ね、お母さん、聞いて。こんなことがったよ」といつも言ってくることでしょう。そんなとき「せからしか、黙っておれんとね」と言うか「何、どんなことがあったの?」と聞く姿勢を示すかでその後の子どもさんの態度が決まります。
 益城町の公民館講座受講受付の日のことです。若いお母さんが2歳から3歳くらいの子どもを連れて講座申し込みに来られました。その帰りのことです。体育館玄関で「○○ちゃん、あんよ出して」と言って、靴をお母さんが履かせて帰られました。その数分後、おじいさんが同じくらいの年の孫を連れて来られました。帰りにおじいさんは「○○、靴は自分で履けるだろう」と言って、孫が靴を履くのをただじっと見つめておられました。小さい子は、四苦八苦しながらやっと靴を履くことが出来ました。それも右と左を履き違えて。おじいさんは笑いながら「よしよい、履けたね。帰ろう」と帰っていかれました。
 この2人の子どもにはかなりの体験の差が出来たと思います。子どもは「自分でする」も連発するでしょう。自分でできることは一人でさせたいと思います。これが「目は離さずに、手を放して」と言うことだと私は思います。子どもの自主性を育てていきましょう。
 「あそび」の大切さは言うまでもありません。遊びの中から、我慢すること、ルールを作り守ることの大切さ、ものを作る喜び、上手にできるようになりたいという向上心などを学びます。
 先ほど校長先生のご挨拶の中で、「本校は体験活動を大切にしています」という言葉がありました。体験が豊富な子どもほど道徳観や正義感が身に付いているという調査結果も出ています。家庭でもいろんな体験をさせてください。その一つに小さい子でもできるような役割を持たせてください。例えば、カーテンの開け閉めを子どもに任せてみてください。朝起きて、子どもがカーテンを開ける、そのとき「ありがとう、○○ちゃんが開けてくれたので朝日が入って気持ち良い」と声をかけてください。この一言で子どもは自己有用感、自己存在感を実感します。この一つ一つの積み重ねが「自尊感情」の醸成につながります。
 最近「アサーション」という言葉が使われます。これは、「自分の気持ちや考えをきちんと伝えること」という意味です。人の話を聞く、自分の気持ちを相手に伝えることがコミュニケーションの始まりです。他者理解の始まりです。上手に伝えることができるようにしたいものです。私たちは案外単語会話をしています。「おい、お茶」「飯」などです。子どもも「おやつ」など言いませんか? 子どもはおやつが欲しいと言っていることがわかりますから、ついつい「ちょっと待ってね」とか「今あげるよ」など言うでしょう。こんな時、面倒ですが「おやつがどうしたの?」と聞き返してください。そして自分の気持ちを正しく相手に伝えることができるような話し方を身につけてやってください。
 初めて学校に入学する子の保護者が一番気になるのが、入学前にどの程度文字の読み書きや数の読み書きを教えておけばよいかと言うことだろうと思います。これは、自分の名前の読み書きができるだけでよいのです。ひらがなすべてを読み書きできるように無理に教える必要はありません。学校では、読み書きが出きないことを前提に指導されますから。
 読み書きや数を教えるより、これも冒頭述べましたように絵本の読み聞かせ、お話しを語ってください。「昔々あるところに、・・・」あれが良いのです。子どもは何度も聞いていると絵本やお話の筋を覚えて自分から話しをすることがあるでしょう。あるいは、時にわざと違えて話すと、「違うよ」と言います。こんな経験をたくさんさせてください。そして、読書好きな子に育てて欲しいのです。
 数も同じです。数を唱えることより1対1の対応ができれば十分です。チョコレートやあめ玉を5〜6個やってそれと対応させながら1、2、3と数えられることです。
 孫の話ばかりで恐縮ですが、下の孫は唐揚げが好きです。子どもや孫達8人で夕ご飯を食べたときのことです。妻が唐揚げを10個皿に盛ってきました。孫は「私は2個食べたい」と言います。妻は「みんな一つずつよ。残ったら食べて良いよ」と言いました。すると、孫は「これはおじいちゃん、これはおばあちゃん、これはおじちゃん、これはおばちゃん、これがパパ、これがママ」と、から揚げと人とを1個1個対応させていました。2個残ったのが分かりニコッとして「私とお姉ちゃんは2個食べることができる」と言っていました。このような数の遊びをされたらどうでしょうか。
 昔から「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言います。無理に詰め込まなくとも興味を覚えるときに覚えます。だからこそ、知的好奇心を大切にすることです。

提案6 「自分を大切にする心(自尊感情)」をはぐくむ
 本日のテーマを「人は夢を育て、夢は人を育てます」としました。
 生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅二郎。人よんでフーテンの寅と発します。
 ご存じ、映画「フーテンの寅さん」の冒頭の名台詞です。
 この映画の中で、寅さんの甥の光男が高校受験を控えた頃の場面があります。
 「先生が将来何になりたいかと尋ねるので、音楽家になりたいと言ったら足元を見ろと言った。」と浮かぬ顔で光男が父親に言います。
 父親が「足元を見ろとはどんな意味だ?」と聞くと
 光男は「もっとしっかり勉強しろっていうことだろう」と言います。
 父親は「父さんはそうは思わないな。光男が音楽家になりたいと思うのならその夢に向かって進めば良いと思う。夢に向かって一生懸命努力することはすばらしいことだ。音楽家になりたいんだったら頑張れ。父さんは応援する。しかし、光男、おまえは本当に音楽家になりたいと思っているのか? 苦手の理科や数学の勉強がイヤで音楽家になりたいと言っているのではないのか? もしそうだったら父さんは反対だ」と。これこそ、毎日真剣に向き合っている親子ならではの会話ですね。夢を持つことがどれだけ大事かを言っている場面だと思います。
 また、契約金もさることながら6年間で61億円という想像もできない年俸額で日本中を湧かせた松坂大輔投手は「レッドソックスの一員になれてうれしい。夢という言葉は好きではないが、ここで投げられると信じてやってきた。」と言っていました。夢という言葉は好きではないと言っていますが、大リーグで投げたいという強い気持ちがあのようなすばらしい投手に育てたのは間違いないと思います。これが夢です。
 夢を持つと、人は強くなります。その夢の実現に向かって努力します。チャレンジ精神が旺盛になります。
 「うゎーすごい」「うゎーきれい」「うゎーおいしい」などの感動を親子で体感してください。こらら一つ一つの積み重ねが自己肯定感へとつながります。それが自尊感情を高めます。
 また、自分がしたことを他から認め、褒められることによって子どもは自分の存在感や有用感を実感します。子どもを認め、褒め、励まし、伸ばすの視点を忘れないで欲しいと思います。資料に「子どもを褒めて自己実現増幅」という投稿文を載せておきました。
 ドロシー・ロー・ノルトは「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる」「ほめてあげれば、子どもは明るい子に育つ」「励ましてやれば、子どもは、自信を持つようになる」「愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ」と言っています。
 先日あるところで聞いた話です。
 用事があって娘の家に行って、娘と話しをしているところに孫が帰ってきました。そして、フナのような大きな魚を得意げに見せました。私が「うわー、大きな魚を釣ったね」と褒めようとするより早く娘が「そぎゃん大きな魚ば持ってきてどうするね。うちにはそんな魚ばかうところはなか。早く、川ににがしてきなっせ」と言うのですよ。孫は褒められると思ったのでしょう。それを叱られるなんて。しゅんとしていました。私は後で、「大きな魚ば釣ったね。うれしかったろう」と孫を褒めました。孫はうれしそうに「うん」と言いました。子どもがしたことを認めてやらないとですね。今の若い親は子どもをあんまり褒めないですね。と。
 毎日の生活の中で、認め、褒め、励まし、伸ばすことが子どもの自尊感情をはぐくみます。
 私はこのような事の積み重ねが「いじめや差別は人間として恥ずかしい行為である」ということも子どもが自然と身につけていくものと思います。

3 おわりに
 先生は学校教育のプロです。親は子育て免許取得者です。
 教育は信頼関係です。信頼がないところに教育の効果は上がりません。先生方は子ども一人ひとりが持っている可能性が発揮できるようにとの思いで子どもの教育に当たられます。
 皆さん、日光東照宮の陽名門はご存じでしょう。眠り猫は有名です。この眠り猫を彫った左甚五郎の話です。
 歌舞伎で上演される「京人形」という演目で、甚五郎が廓で見染めた梅ヶ枝太夫の人形を作り、その人形を眺めながら酒を飲んでいると、人形が動き出して踊るというものです。甚五郎が、道で拾った太夫の手鏡を人形の懐へ差し入れると人形に太夫の魂が入り、女性の動きに変わり懐から鏡を出すと男性の動きに戻り、また入れると女性の動きに変わるというものです。
 同じようなことがピグマリオン効果という言葉があります。
 昔、キプロス島の「ピグマリオン」という若い王が、大理石を手に入れ、全身全霊を込めて「理想の女性像」を彫ったのです。その像のあまりの美しさに恋をしてしまい、この像が生命の通う人間であることを願い、信じ続けたです。愛と美の女神であるアフロディテが女性像に命を吹き込むと像に命が宿り、ガラテアと名づけ、二人は結婚。幸福に暮らしたというギリシャ神話からとったもので、信じていることが現実になることをいっています。
 あることを早くできると思っている母親の子どもは、成長過程の早い時期にできている、という傾向があるそうです。いつも自分がついていないと何もできないと思っている母親の子どもは、いつまでも自立心が芽生えないそうです。
 俗に相思相愛という言葉があるでしょう。自分が「好き」と好感を持っていると相手も「好き」という好感を持つようになります。自分が「嫌い」「どうもなじめない」「どうもあわない」と思っている相手が、自分に好感を持ったりいろいろと世話してくれるはずありません。
 教育は指導者を信頼することから始まります。先生がどんなにすばらしい教育をしてもそれを受ける子どもが、保護者がその先生を信頼しなくては先生の教えは子どもには届きません。
 子どもに関する情報を学校と家庭が提供し合い、共有し合い、共通の情報で子育てにあたりたいと思います。互いに不信感を持ったら一番困るのが子どもです。
 終わりに、次の二つの言葉の意味することをかみしめ、いろんな体験をさせる子育てにあたってください。
  聞いたことは忘れ、見たことは覚え、体験したことは理解できる
  子どもは、したことのないことはできない、教わったことのないことは分からない。
 龍野小学校の子どもたちが持っている可能性を家庭と学校、そして地域とが連携して花咲かせられることを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。