私の主張


熊本日日新聞「読者の広場」、朝日新聞「声」、退職校長会等機関誌に掲載された「私の主張」です。




  上益城郡退職校長会結成50周年記念式典あいさつ
                                                                                                          令和4年11月13日

 本日ここに、上益城郡退職校長会結成50周年記念式典の開催に当たり、ご来賓の皆様のご臨席を賜り衷心より感謝申し上げます。また、出席いただきました会員及び準会員の皆様方には、本会に対しましての温かい理解と熱い思いをこの記念式典に結集し、本会の存在意義を表明されますことを共に祝い合い、次の50年に向けての第1歩としたいと思います。
 結成50年を振り返りますと、本郡では、昭和40年12月、安田一太郎先生の提唱により現職校長と退職校長が学校の教育課題解決を図る研修機関として「上益城郡現旧校長懇談会」が結成され、現職校長と退職校長が一堂に会し、その時々の教育課題に関し、研修を深め、議論し、懇親を深め、本郡の教育振興に大きな役割を果たしてきました。その後、県退職校長会の結成に伴い、本郡にも退職校長会を結成しようとの熱い想いが高まり、昭和47年度の総会において、「上益城郡教育の振興に寄与するとともに、会員の福利増進及び親睦を図る」ことを目的として、中島敬之先生を初代会長として「上益城郡退職校長会」が結成されました。
 それ以降、現旧校長懇談会と上益城郡退職校長会が車の両輪として、本郡の教育振興及び会員の福利増進・交流等の諸活動が続けられてきました。
 時代の流れとともに教育課題の多様化・複雑化等に伴い、退職校長と現職校長とがさらに交流を深め、教育課題を共有し合い上益城の教育振興にあたろうとの想いから、現旧校長懇談会と上益城郡退職校長会の統合の話が持ち上がってきました。そして、令和元年11月臨時総会において、両組織の一本化案が協議され、全会一致で統合が承認されました。退職校長は会員、現職校長は準会員となり、現在に至っています。本年度頭書の本会の会員は167名、準会員は30名を数えています。
 ここで、50周年の節目にあたり、新たな50年に向けての私の思いを少し述べます。
 明治30年、第五高等学校教授であった夏目金之助は、第七回開校記念日の祝辞の中で、「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ。師ノ弟子ヲ遇スルコト路人ノ如ク、弟子ノ師ヲ見ルコト秦越ノ如クンバ教育全ク絶エテ国家ノ元気阻喪セム」と述べています。この祝辞にあるように教育の振興は国の礎です。その教育に私たち教職にあった者は全身全霊を傾け、本郡教育の充実・振興に関わり、子供や保護者、地域の人々から敬愛・慕われてきました。退職したあとも、関わりのあった多くの人々との交流を続けている方々がたくさんおられます。
 今後、公務員の定年延長の導入等により、退職校長会会員の活動年齢は高まることでしょうが、私たちは、元校長という矜持をもち、生涯学び続けながら、地域づくりや学校支援等の社会参加活動をしていきたいものです。生涯学び続けることについて、江戸時代後期の儒学者で、昌平坂学問所の塾長であった佐藤一斎は言志晩録に次のような言葉を残しています。「少にして学べば即ち壮にして為すあり、壮にして学べば即ち老いて衰えず、老いて学べば即ち死して朽ちず」と。
 本生涯学習センターホワイエにおいて、50周年記念行事の一環として、第4回上益城郡退職校長会文化展を開いています。会員の皆様の学びの成果が所狭しと展示してあります。学びによる自己実現と社会参加、そして会員の交流は、これからの退職校長会の存在意義の源になるであろうと考えています。
 会員及び準会員の皆様方、向かう50年に向け本日を新たな出発点として力強く踏み出していきましょう。
 終わりになりましたが、ご来賓の皆様と会員及び準会員の方々のますますのご清祥とご健康を祈念申し上げ、会長としての挨拶を終わります。




熊本県退職校長会会報 令和4年10月

          生涯学習社会における退職校長会の社会参加

 令和4年度、熊本県退職校長会度第1回理事会において副会長に選出されました 中川 有紀(ありとし)です。微力ながら会長を支え、本会の発展充実に寄与したいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 次の言葉は、江戸時代後期の儒学者 佐藤一斎が言志晩録に表したものです。
  少而学 則壮而為有。
  壮而学 則老而不衰。
  老而学 則死而不朽。
 平成13年、衆議院での教育関連法案の審議中にある議員から「これからの教育改革には学びの社会の構築という視点が重要ではないか」との指摘を受けて、当時の小泉純一郎総理大臣はこの言葉を次のように紹介しています。
 「学びの社会の構築という視点が重要という考えに私も同感です。私の好きな言葉に『少(わか)くして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず』という言葉があります。『少くして学べば壮にして為すあり』、なすありというのは有為、若いうちに学べば、壮年になって、大人になって有為な人材になる。『壮にして』、大人になって学べば『老いて衰えず』、年とっても衰えない。『老いて学べば死して朽ちず」』、年とって学べば死んでも腐らない。まさに学びの重要性を指摘した私の大好きな言葉です。」と。
 私は、これまで、この言葉を体現しておられる会員の皆様に数多く出会ってきました。
 先日、宇城退職校長会の第5回文化展の鑑賞に行きました。会場には、短歌や俳句をはじめ絵画、書道、陶芸、竹細工など、専門家の作品ではないかと見紛うようなすばらしい作品が所狭しと展示してありました。まさに学びの集大成の感でした。中でも、感銘を受けたのは、来場者からの質問に、学びの楽しさを丁寧に説明している会員(出品者)の姿です。説明を聞いた方は、「ありがとうございました。私も学んでみたいと思います。」と言っていました。会員が学びの啓発者となり、来場者を学習者へと誘う光景でした。
 また、過日、テレビのニュース番組で会員が地域の方に「論語」を教えている報道に接しました。受講者の一人は、「論語から生き方を学ぶことができて楽しいです。」と言っていました。指導している会員は、「講座が終わったあとで、『話が早すぎる』、『説明が長すぎる』などお小言をいただきます。どのように話をすれば楽しく学んでいただけるかなどを事前に考えて講話に望みます。私自身が学びの毎日です。」と話しておられました。
 今、県下では児童生徒の確かな学びを支える学習支援に多くの会員が取り組んでいます。ある会員は、「学習指導要領や教科書を読み込まないと、昔取った杵柄だけでは今の子供には教えられません。現職の頃のように事前研究をして学習支援に臨んでいます。」とおっしゃていました。また、ある会員は、「学習支援の前に孫のテスト問題を参考にしています。テスト問題には、自分の言葉で説明する問いがどの教科にもあります。現行の学習指導要領では、主体的・対話的で深い学びが重視され、人との対話による学習の深化を求めています。ここに、退職校長が学校支援をしていく鍵があるように思います。子供との対話を通した支援の方法を研究して学習支援に臨んでいます。」と話されました。
 このように、自らの学びの成果を活かして社会参加をしている会員がたくさんいらっしゃいます。
 生涯学習社会の構築を目指し、熊本県退職校長会会員一人ひとりが、さらなる学びを続け、学びの実践者、啓発者、指導者として、社会参加を進めていきたいものです。




上益城郡退職校長会会報 令和4年7月


              結成50周年の節目にあたり、退職校長会の新たな活動を創り上げよう

 新型コロナウイルス感染症は、収束の兆しを見せていません。当分は、「ウィズコロナ」の生活が続くでしょう。これまで人類は、ワクチンや治療薬の開発等医学の力によって、ペストやスペイン風邪等の感染症を克服してきました。その日が1日も早く到来することを願っています。
 コロナ禍にあって、本年も会員の皆様が一堂に会しての総会ではなく、議案書送付による総会代替とし、提案した「設立50周年記念関連事業並びに上益城の教育振興への寄与及び会員の研修・福利増進・親睦関連議案」に関して、多くの会員から賛意をいただき、ありがとうございました。ご承認いただきました会務を皆様とともに遂行していきます。
 さて、新学習指導要領が施行されて3年目(中学校は2年目)です。指導要領では、育成したい資質・能力として、①学んだことを人生や社会に生かそうとする学びに向かう力、②実際の社会や生活で生きて働く知識及び技能、③未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力等を示しています。教科書は、新たな課題に対して自ら判断し、その根拠を説明する内容で構成されています。学習過程で子供達一人一人の考えや思いを丁寧に聞き、認め、褒め、励まし、伸ばし、子供たちの夢や目標を実現していくのに、学校外の多様な人材の学習支援は効果的だといわれています。教育事務所との懇談会から、教育行政や学校は退職校長会に対して協働的な支援を求めていることが伺えます。
 また、コロナ禍にあって行事等が自粛傾向にあり、人と人とのつながりが希薄になり、つながりが求められています。以前、地区委員の方から会報を会員宅へ持参した時、「『わざわざ持ってきていただきありがとうございます。今、どんな活動をしていますか?』とお尋ねがあり、会話が弾みました。」と聞いたことがありました。退職校長会では、かつて上益城の教育に関わったという共通項で世代を超えたつながりがあります。このようなつながり、心の交流、会員同士の親睦がさらに拡がることを願っています。
 しかし現在では、年金支給開始年齢の引き上げ等により、退職後も多くの人が働く時代となりました。本会員も多くの方が現役として働いておられます。昨年、地方公務員の定年引き上げに関する地方公務員法の一部を改正する法律が成立し、令和14年度からは65歳が定年となります。高齢者も働く時代となり、大勢が一緒に活動することは難しいかも知れませんが、「自分にできることを、できるときに」をモットーに退職校長会としての矜持を持って学校支援や会員同士のつながり・親睦を模索していきたいものです。
 今年は、上益城郡退職校長会結成50周年の節目の年てす。会員の皆様の叡智を結集して次の50年に向けた新たな一歩を踏み出していきましょう。



上益城郡退職校長会会報 令和3年7月


                      時代の流れに沿った退職校長会の姿を模索していきましょう

 令和2年初頭に発生した新型コロナウイルス感染症は、全世界で爆発的に大流行しています。ワクチン接種により、一部の国では下火になっているところもあるようですがまだまだ世界中で猛威をふるっています。
 我が国では、第4波の感染拡大が続き、熊本県でもまん延防止等重点措置が適用されました。高齢者のワクチン接種が始まり、ワクチン効果が期待されていますが、この先まだまだ、感染の動向は予断を許さない状況にあります。マスク、手洗い、うがい、そして、3密を避けた生活を徹底し、感染予防を心がけていきたいものです。
 このような状況下で、令和3年度の総会は中止せざるを得なくなり、総会資料送付による総会代替としました。現職の校長先生方を準会員として新たにスタートした「上益城郡退職校長会」会員が、2年続けて一堂に会することができないことは誠に残念です。
 送付しました総会資料に対しての疑義等はありませんでしたので承認されたものと見なし、いただいたご指摘等を真摯に受け止め、令和3年度の会務を執行していきたいと思います。
 ところで、我が国の学校教育は、ここ数年で大きく変わってきました。道徳の教科化、新しい学習指導要領で示された「社会に開かれた教育課程」の実現、小学校における外国語教育の教科化、プログラミング教育の導入、パソコンやタブレット等を活用したICT教育、障害を持つ児童生徒への指導の充実、いじめ・不登校の未然防止・早期対応、35人学級への移行、教員の長時間労働解消を図る働き方改革等々挙げれば枚挙にいとまがありません。そして、社会に開かれた教育課程の実現に向けて、コミュニティ・スクールと地域学校協働活動の一体的推進が求められています。これら教育課題への対応は喫緊の課題です。
 振り返りますと、上益城郡退職校長会は、昭和47年11月13日、「上益城郡教育の振興に寄与するとともに、会員の福利増進及び親睦を図る」ことを目的として結成されました。以来、退職校長会会員は地域人として教育への熱い思いを持って地域の子の育ちを支援する学校応援団員の一人として上益城の教育振興に寄与してきました。さなる支援活動の充実のため、令和元年11月9日、上益城郡退職校長会と上益城郡現旧校長懇談会との一本化がなりました。これまで以上に退職校長と現職校長とが連携を深め、上益城教育の振興に寄与できる態勢が整いました。
 会員の中には、教育長をはじめ、教育委員、学校教育指導員、社会教育指導員、学校運営協議会委員、地域学校協働活動推進員、さらにはボランティアとしての学校支援活動に多方面にわたり学校と関わっている方が大勢いらっしゃいます。
 最近の諸々の教育課題に目を向け、退職校長会としてどのような活動ができるかを皆さんと共に模索していこうと思います。





上益城郡退職校長会 会報 令和2年37号掲載

                              感染症や自然災害を乗り越え、上益城の教育振興に寄与する取組を模索していきましょう

 令和元年11月9日に開催しました臨時総会において、上益城郡退職校長会と現旧校長懇談会の一本化案及び新会則案が満場一致で承認されました。
 令和2年度は結成50周年の節目の年でもあり、新組織として凛と輝く上益城郡退職校長会の船出を祝う総会を6月6日に予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大により、総会開催を断念し、資料送付によって総会代替としました。会員の皆様からは、新役員案、活動計画案、予算案等に関する質問や異議はありませんでした。よって承認されたものとみなし、令和2年6月11日から上益城郡退職校長会は新体制でスタートしました。
 このたび、会長の指名を受けました中川有紀と申します。微力ではありますが皆様のご支援・ご協力を賜りながら上益城郡退職校長会長の職責を務めて参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 新型コロナウイルス感染は、世界規模で蔓延しており、収束には至っていません。ワクチン開発にはまだまだ時間が必要で、コロナウイルスとの共存を余儀なくされています。会員の皆様におかれましては、感染予防に最大の注意を払い、新しい日常スタイルでお過ごしのことと存じます。新しい日常が定着し、活気ある生活を取り戻したいものです。
 コロナ感染防止に気を遣っているところに、7月4日、球磨川流域を豪雨が襲い、60名を超える犠牲者がでるなど、甚大な被害をもたらしています。被災された皆様への救援活動も始まりました。
 私たちは、平成28年4月の熊本地震では、「地震に負けるな」と前を向いて生きる強さと人と人との絆を結びつける熊本の心「助けあい 励ましあい 志高く」の大切さを痛感しました。
 感染症の広がりや多発する自然災害の中で、地域人の一人として私たちはどう生きていくか、地域にどう貢献していくかを追い求めねばならないと思います。
 学校では、今年度から、「社会に開かれた教育課程の実現」を目指す学校教育が始まりました。社会に開かれた教育課程とは、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を学校と社会が共有すること、これからの社会を創り出していく子供たちに必要な資質・能力を明らかにし、それを学校教育で育成すること、そして、地域と連携・協働しながら目指すべき学校教育を実現することです。
 私たち退職校長会員も地域住民の一人として、準会員である現職の校長先生方、関係機関と連携し、上益城郡の教育振興に貢献できる新たな活動を模索していきたいと思います。それぞれの地域で社会に開かれた教育課程実現に向け、自分にできる範囲で学校支援活動に取り組みましょう。




上益城郡退職校長会 会報 平成30年3月号掲載

「地域とともにある学校」と退職校長会の役割
~学習指導要領の改訂にともない私たちに求められることこと~

 昨年(平成29年)3月、新しい学習指導要領が公示されました。学習指導要領は、時代の変化や子供たちの状況、社会の要請などを踏まえて、およそ10年ごとに改訂されています。小学校は32年度から、中学校は33年度から、改訂された学習指導要領に基づき全面実施されます。
 社会の要請を受けての今回の改訂では、人口減少、少子高齢社会進展の中で、子供たちが大人になる2030年頃は、人工頭脳の活用等で現在の職種の半数近くがロボット等に取って代わるだろうと予想されている社会を見据えながら、知・徳・体にわたる生きる力をどのように育むかという目標を学校と社会とが共有し、連携・協働してその実現を図っていくという「社会に開かれた教育課程」が示されました。
 単に知識を得るだけでなく、「主体的・対話的で深い学び」の視点から授業を充実させ、子供たちがこれからの時代に求められる資質・能力を身に付け、生涯にわたって学び続けることを目指しています。
 対話的な学びとして、子供同士の協働、先生方や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通して、自分の考えを広げ深めることを例に挙げています。ここに退職校長と学習指導要領との関わりがあると私は思います。

 今、学校では、登下校時の安全見守り、昔遊び等の体験活動、外国生活や戦争体験等の講話、読み聞かせ、ドリル学習等での○付け、そろばんや習字等の学習支援等々、地域の人々や退職校長先生方による学習支援が行われています。また、放課後の子供たちの安心・安全居場所づくりをねらった放課後子供教室、経済的な理由や家庭の事情で学習が困難であったり、学習習慣が十分に身についていない生徒への学習支援を行う地域未来塾も行われています。これらを総称して文部科学省は「地域学校協働活動」と呼んでいます。

 私は、そろばん学習や昔遊びの支援を行っています。校長先生や先生方と学校教育について話し合うと、「退職校長先生方のお力をお借りしたい」という言葉が返ってきます。
 昨年8月に行った上益城郡校長会役員と退職校長会役員との教育懇談会で、現職の校長先生方から日頃の地域学校協働活動への感謝と共に退職校長会との交流を深めたいとの提案がありました。
 学校現場では、学校教育や地域活動等で豊富な経験をお持ちの退職校長先生方の力をお借りして、子供たちの生きる力を育みたいとの声が強まっています。現職の校長先生方と私たち退職校長の連携・協働は喫緊の課題です。今こそ、現旧校長懇談会と退職校長会との統合に向けた議論を重ね、一本化を図る時期ではないでしょうか。
 社会に開かれた教育課程の具現化のために、現職校長と退職校長とが一体となって上益城の教育振興に寄与できるよう願っています。




熊本県退職校長会 会報 平成28年11月号掲載

                                熊本地震と熊本の心

 平成28年度が始まり、新年度への夢と希望で地域は活気に満ちあふれていた。学校も始業式、入学式を終え、だれもが期待に胸を膨らませ新学期のスタートをきったばかりの4月14日21時26分、マグニチュード6、5の大地震が起こった。28時間後の16日1時25分、再びマグニチュード7、3の激震が熊本県民を襲った。続発する激しい揺れは、県内各地に甚大な被害をもたらした。震度7の激震に2度も襲われた益城町では、多数の死傷者、建物の倒壊、道路の陥没、その他ありとあらゆる物が計り知れないほどの被害を受け、平穏な日常が一瞬のうちに危機に陥ってしまった。その後も間断なく続く激しい余震は人々を恐怖と不安に陥れ、大人も子どもも深い心の傷を負ってしまった。
そのような混乱の中、「地震に負けるな!」「がんばろう 熊本!」などを合い言葉に自衛隊や医療機関、全国各地から駆けつけた行政職員、そして震災復興ボランティア等により、復旧に向けた動きが始まった。避難所となっていた学校も5月はじめには再開された。
益城町のある避難所では、互いが助け合い自主運営を通して新たなコミュニティを形成していった。ある地域では、住民が食材を持ち寄りパーティを開き、「地震に負けずにがんばろう!」と励まし合った。ある中学校生徒会は「復興支援プロジェクト」を立ち上げ、避難所の配食や清掃を手伝い始めた。ある小学校器楽部は避難所でミニコンサートを開催し、被災者を励ました。「避難所で、『そろばんの先生、大丈夫でしたか。』と子どもから言葉をかけられ、落ち込んでいた私は、前を向いて生きる力をもらいました。」と学校支援ボランティアの方が涙ながらに話されるのを聞いた。再開した放課後子ども教室では、指導員と子ども達が互いの無事を喜び、「頑張ろうね。」と抱き合っていた。
県民がかって経験したことのない熊本地震は、人と人との絆を強く結びつけると同時に熊本の心:「助けあい 励ましあい 志高く」の大切さを呼び起こした。
最後になりましたが、被災された会員の皆様方に心よりお見舞い申しあげます。



上益城郡退職校長会 会報 平成28年9月号掲載

                                熊本地震からの復旧・復興と退職校長会

 平成28年4月、熊本県民はかって経験したことのない大地震にみまわれました。
 学校は始業式、入学式が済み、だれもが希望に胸をふくらませ新学期のスタートをきったばかりの4月14日の前震、16日の本震。特に益城町は震度7の激しい揺れに2度も襲われ、多数の死傷者、建物の崩壊、道路の陥没、その他ありとあらゆる物が被害を受け、平穏な日常が一瞬のうちに危機に陥ってしまいました。
 その後も間断なく激しい余震が起こり、避難所での生活、車中泊と気持ちの休まる間もない日々を過ごし、大人も子どもも深い心の傷を負ってしまいました。
 そんな中、学校では先生方は手分けして避難所の対応にあたったり、校区を巡回して子どもたちの安否確認をしたりと精力的に動いておられました。余震が幾分少なくなった5月の連休明けに学校が再開され、災いを福に転じようとの取組があちこちで始まりまった。
 益城中央小学校は保育所と木山中学校が、御船中学校は滝尾小学校が、甲佐中学校は乙女小学校が同居しての再開となりました。中学生と小学生が休み時間に談笑したり、小学生が中学生用の掲示板に見入るなど小中一貫校の様相を呈していました。ある学校の生徒会は「復興支援プロジェクト」を立ち上げ、避難所の配食や清掃を手伝うなどの支援に当たりました。また、ある校長先生は「運動場に仮設住宅ができました。仮設住宅の皆さんと学校が連携・協働した学校教育を進めていこうと思っています。」と言っておられます。
 学校で避難生活をしていた町の人達が、「長い間避難所生活をさせて貰いました。お礼に校庭の除草作業をします。」と炎天下、除草作業をしたと聞いたこともあります。
 さらに、ある小学校に避難していた方は、そこの学校の学習支援や放課後子ども教室で顔なじみの子どもから「そろばんの先生、大丈夫でしたか。」と励ましの言葉をかけられ、「落ち込んでいましたが、前を向いて生きる力が湧いてきました。」と涙ながらに話されました。再開した放課後子ども教室では、ボランティア指導員と子ども達がお互いの無事を確認し「頑張ろうね。」と抱き合っていました。人と人との絆を強くした熊本地震でもありました。。
 このように、上益城の学校では未曾有の被害をもたらした熊本地震に立ち向かい、学校も地域も前を向いて歩き始めました。学校は地域のために何ができるかを先生や子ども達が考えています。地域の人は、「苦しいときに学校を避難所として使わせて貰い、大変助かった。恩返しをしたい」と思っている人が数多くいます。学校と地域がこれまで以上に近くなったように思います。
 国は、「地域とともにある学校づくり」を進めています。会員の皆様の中には、民生児童委員や学校評議員、そしてボランティアとして地域づくりや学校づくりに関わっている方がたくさんいらっしゃいます。
 私たち退職校長も地域住民の一人として、熊本地震からの復旧・復興、心の通い合う地域づくり、地域とともにある学校づくりに参画していきましょう。
 最後になりましたが被害を受けられた会員の皆様方に心よりお見舞い申しあげます。



教育評論  平成28年4月号掲載

                                      新たな価値を創造していくことのできる人に

 イギリスの研究者は、今後10~20年程度で、アメリカの47%の仕事が自動化される可能性が高いと予測しています。また、アメリカの研究者は、2011年に小学校に入学したアメリカの子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就くと予測しています。これは、日本でも無縁ではないと思います。
 将来の予測は困難ですが、複雑で変化の激しい21世紀の社会に向き合い、生きていく児童生徒の皆さんはどのような力を育んでいくべきでしょうか。
 幼児教育に携わっている人から次のようなのことを聞いたことがあります。
 「園児は、ダンゴムシを手の平にのせては、『先生、ダンゴムシはどうして丸くなるの?』、ミミズを見つけては『ミミズに足はあるの?』など次から次に疑問を投げかけます。そして、自分に得心がいくまで尋ねてきます。また、お母さんたちの調理のまねごとでしょう。花壇の土を丸めたり、土に水を加えて泥水を作ったり、摘み取った草を洗ったりして、『先生、今日のお昼は、おにぎりに野菜サラダとスープ』と言って笑わせたりします。園児達の発想にはいつも驚かされます」と。
 昨年8月に示されました「教育課程企画特別部会論点整理案」で、これからの子どもたちに育成すべき資質能力の一つとして、「社会の中で自ら問いを立て、解決方法を探索して計画を実行し、問題を解決に導き新たな価値を創造していくとともに新たな問題の発見・解決につなげていくことのできる人間であること」が挙げられました。これは、人々が幼少の頃持ち続けた幼児期特有の好奇心と探求心、そして想像力をいつまでも持ち続け、その解決のために生涯学び続ける力を育むことだと思います。
 変化の激しい社会で生きていく皆さんが、いろんな事に興味を持ち、疑問を抱き、課題解決に果敢に挑戦し、成功体験、失敗体験を数多く積み重ね、新たな価値を創造していくことのできる人になることを期待しています。



上益城校長会機関誌「土」 100号記念号掲載 平成28年2月

                                       子ども達の育ちを支える上農の「土」づくり

 上益城郡校長会機関誌「土」100号発刊、おめでとうございます。
 記念すべき発刊にあたり、「土」担当の先生から退職校長にも寄稿の呼びかけがありました。退職校長の一人として、現職当時を思い起こし、現在の気持ちを寄稿します。
 私は、平成16年3月、益城中央小学校長を最後に退職しました。現職時、「下農は雑草をつくり、中農は作物をつくり、上農は土をつくる」という言葉を引用して、生涯学習の視点からの指導力向上を説いていました。この言葉は、教育者東井義雄先生がその著書「村を育てる学力」で述べられているものです。「下農は雑草をはやし、中農は、よい作物をつくり収益を上げることに努力し、上農は、目先の収穫よりも、土壌を豊かにすることに力を注ぐ」という農業の手本を示した言葉だそうです。
 この言葉は教育の世界にも当てはまるように思います。
 教育における土づくりは、子ども一人一人の学ぶ意欲や関心、自己を律する態度、自己肯定感や自己有用感を中核とした自尊感情等、独り立ちできる力を育てることだと思います。これは、生涯学習社会における教育の在り方そのもです。
 この独り立ちできる力は、学校だけで育むことは難しいと思います。地域の大人との交流の中で、豊かな体験や意味ある活動の積み上げが動機づけとなって育まれていくものだと思います。
 学校では、地域の大人の支援を受けながら、学習の基礎・基本をはじめ、郷土の歴史や文化を学びながら郷土への理解・愛着・誇り、そして人として倫理観等を育む教育が進められています。
 子どもが、「自分は地域でも、家庭でも、学校でもみんなから大切にされている」と思うような言葉がけをする地域の大人も増えてきています。
 人口減少社会にあって、持続可能な社会づくりが叫ばれています。教育界においても、「教育は、地域を動かすエンジンの役割を担っている」の考えのもと、「地域とともにある学校づくり」、さらには「学校を核とした新たな地域づくり」が歩み始めました。
 この動きを私は次のように受け止めています。
 子どもたちが自分の力で肥沃な土から養分や水を吸い上げ、強く伸び、幹を太く成長させ、元気のある葉を生い茂らせていける立派な土づくりのできる上農が、今求められているからと。
 上益城郡校長会が、その先頭にたたられることを祈念します。



上益城郡退職校長会 会報 平成27年7月号掲載

                                     上益城の子どもたちの育ちを支援しましょう

 本年3月、安倍内閣の諮問機関である教育再生実行会議は、「学び続ける社会、全員参加型社会、地方創生を実現する教育の在り方について」と題した提言をまとめました。
提言は、「社会に出た後も、誰もが学び続け、夢と志のために挑戦できる社会へ」、「多様な人材が担い手となる全員参加型社会へ」、「教育がエンジンとなって地方創生を」の3つの柱で構成されています。
 中でも、「教育がエンジンとなって地方創生を」では、「小中学校等の教育機関は、地域の将来を担う子供を育てるため、郷土の先人、歴史、文化等を教え、郷土への理解・愛着・誇りや人として必要な倫理観を育む教育を推進すること」、「文化、スポーツによる地域活性化策との連携を図り、地域の人々の生きがいや誇りを育むこと」、「学校は、人と人をつなぎ、様々な課題へ対応し、まちづくりの拠点としての役割を果たすこと」と述べています。そして、この具現化のために、全ての学校が地域住民や保護者等が学校運営に参画するコミュニティ・スクール化を図り、学校を核とした地域づくりを目指すことが重要と提言しています。
 今学校では、子どもたち一人一人が、生涯学び続ける知識や技能、意欲・態度・コミュニケーション能力、豊かな心などを培う教育が行われています。また、学校教育を着実にしかも効果的に推し進めるために、学校支援地域本部事業や放課後子ども教室、コミュニティ・スクール等地域とともにある学校づくりが推進されています。
 社会では、地域住民の学習機会等を提供する公民館活動をはじめ、地域振興会や社会福祉協議会、青少年健全育成会議等を中心に学校支援や福祉施設支援等を通した地域づくり、日本の将来を担う子どもを育む家庭教育支援が進められています。
 このような動きの中で、退職校長会ができることはなかろうかと考えてみました。
 私たちは、5月の総会で今年度の活動方針を確認し合いました。その中に、「教育の日」関連の取り組みがあります。
 上益城郡退職校長会では、「熊本教育の日」に関する標語の一つ、「育てよう 地域の子らは 我らの宝」を合い言葉に、各地で、たくさんの会員の皆様が子どもたちの育ちに関わっていらっしゃいます。
 子どもたちの登下校時の安全見守り、ドリル学習の○付け、地域学習や道徳の授業での講話、習字やそろばん、水泳などの実技指導、英語遊び等々、多岐に亘っています。このような学校応援の取り組みを、できる人が、できる時に、できる範囲で、無理なく行い、上益城の子ども達の育ちを支援しようではありませんか。さらには、会員の皆様それぞれが、工夫を凝らして「教育がエンジンとなた地域創生」に加勢しようではありませんか。





上益城郡退職校長会 会報 平成26年3月号掲載

               「できることを、できる時に」をモットーに上益城教育振興のお手伝いをしましょう。

 社会の変化に伴い文部科学省は、学校教育を家庭・地域との連携による教育活動へとシフトしたようです。このことは文部科学省がコミュニティ・スクールや学校支援地域本部事業等を推し進めていることからうかがい知ることができます。
 文部科学省のホームページによりますと、「コミュニティ・スクールは、学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支えていく『地域とともにある学校づくり』を進める仕組みです。コミュニティ・スクールには保護者や地域住民などから構成される学校運営協議会が設けられ、学校運営の基本方針を承認したり、教育活動などについて意見を述べるといった取り組みがおこなわれます。これらの活動を通じて、保護者や地域の皆さんの意見を学校運営に反映させることができます。」とあります。また、学校支援地域本部事業は、「社会がますます複雑多様化し、子どもを取り巻く環境も大きく変化する中で、学校が様々な課題を抱えているとともに、家庭や地域の教育力が低下し、学校に過剰な役割が求められています。このような状況のなかで、これからの教育は、学校だけが役割と責任を負うのではなく、これまで以上に学校、家庭、地域の連携協力のもとで進めていくことが不可欠となっています。このため平成18年に改正された教育基本法には、『学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力』の規定が新設されました。学校支援地域本部は、これを具体化する方策の柱であり、学校・家庭・地域が一体となって地域ぐるみで子どもを育てる体制を整えることを目的としています。そして、学校教育の充実、生涯学習社会の実現、地域の教育力の向上をそのねらいとしています。」とあります。
 上益城郡内では、熊本版コミュニティ・スクールや御船版コミュニティ・スクール、学校支援地域本部事業の指定を受けたり、研究指定は受けなくても学校独自で学校・家庭・地域が連携して子どもを育てる取り組みがどの学校でも行われています。
 小学校では、毛筆習字の学習支援、そろばんの学習支援、郷土の歴史や産業等の学習支援、野菜づくりや稲作支援、ミシン操作・裁縫学習支援、郷土料理つくり支援、読み聞かせ、作文や感想文発表等の傾聴、算数のドリル学習採点、登下校時の安全見守り等が行われています。中学校では、職場体験、キャリア教育、道徳・環境教育・平和教育等での体験語り、伝統文化の継承支援、部活動の指導等々多岐にわたっています。
 これらの学校支援に関わっている会員の方々が大勢いらっしゃいます。子ども達の下校時に合わせてウォーキングをして子どもへの声かけや安全見守りをしている先生。木工や竹工の特技を活かして子ども達に体験活動の場を提供している先生。ドリル学習の採点手伝いをしている先生。グラウンドゴルフを子ども達と楽しんでいる先生。郷土史家として郷土学習の支援をしている先生。公民館長として青少年健全育成にあたっている先生。支援員として子どもたちを支援している先生。社会教育指導員や家庭教育支援員として地域の教育力や家庭の教育力向上を支援している先生。学校評議員として学校運営を支援している先生。学校教育指導員として先生方の指導力向上を支援している先生。社会教育委員として社会教育の振興に指導助言をしている先生。教育委員として町の教育振興に助言している先生。教育長の職にある先生。さらには嘱託員や民生児童委員、老人クラブ会員等々、いろいろな立場から学校教育のみならず家庭教育や社会教育、地域づくりを支援していらっしゃいます。
 一昨年、上益城郡退職校長会学校支援人材バンク登録の呼びかけをしました。30名近くの先生方が登録していただきました。また、昨年実施しました第2回文化展では、写真・絵画・書・木工・竹工・盆栽等数多くの出品があり、多方面で特技をお持ちの先生方がたくさんいらっしゃいます。
 「できることを、できる時に」をモットーに、上益城の教育支援の輪をさらに拡げようではありませんか。



平成24年3月13日 熊日新聞 読者の広場掲載

                       地域ぐるみで子ども応援を

 大学や高校の合格発表シーズンとなった。明暗さまざまの光景が繰り広げられている。以前は、大学や高校の合格者名が新聞やラジオで報道され、顔見知りの子どもの名前を見つけてお祝いの言葉を掛けたり、激励の手紙を出したりと、社会全体で子どもたちのがんばりや成長を見守っていた。今では、受験番号のみの発表で他者に合否は分からない。
 益城町では、公民館や放課後子ども教室でそろばん学習に取り組んでいる大人や子どもが150名近くいる。そのがんばりを町民に知らせ、地域ぐるみで応援しようと、商工会報で、商工会珠算検定合格者の氏名を知らせている。会報を見た親戚や知人はお祝いの言葉を掛けている。「頑張りよるねー。6級合格おめでとう」「3級・2級と上を目指さにゃんよ」「私もあなたのがんばりを見習います」など。このような言葉掛けにより、そろばん学習者はさらなる学習意欲を高めている。
 以前、鹿児島県の坊津町(現・南さつま市)では、有線放送で子どもの朗読を流し、地域を挙げて子どものがんばりを認め、褒め、やる気と郷土愛を高めていた。子どもの頑張りを地域ぐるみで、認め、褒め、励まし、伸ばそうではないか。



朝日新聞「声」 平成24年2月9日 掲載

                       懐かしき古き良き共助の時代

 寒さが厳しい冬。そんな日には古き良き時代を思い出す。約60年前、弁当を持参していた小学生のころのことだ。
 学校の教室の片隅に木箱の「弁当温め器」が置いてあった。2時間目が終わる頃、用務員さんが赤々と炭火がおこった火鉢を温め器に入れてくれる。弁当は温められ、昼近くの教室にはぷーんとえも言われぬにおいが漂う。空腹のため、時にはおなかの鳴る音まで聞こえる。
 昼、ぽかぽかに温まった弁当を食べる。「今日はかまぼこやちくわが入っていてうまかった」と母に言うと、「それは入れていない。他人の弁当を食べたのだろう」と言う。同じ形のため間違えて他人の弁当をよく食べていた。そんな翌日の弁当を母は丹誠込めて作っていた。友にお返しするために。「昨日はごめん。でもうまかった」と間違えた友と大笑い。当時は、弁当をもってこられない友もいた。先生はみんなにご飯とおかずを少しずつ分けさせ、みんなで食べた。
 生活は貧しかったが心は豊かで、いじめや不登校などとは無縁のおおらかでよき共助の時代であった。近頃の世の中はぎくしゃくしているように感じる。大人も子どもも、もっと他をおもんばかる心のゆとりをもちたい。



熊日新聞「読者の広場」 平成24年2月5日 掲載

                      「もだえんな」職場で大笑い

 本紙1月6日付け本欄の「『あとぜき』に悩んだ観光客」を読み、「あとぜき」を、広島県の人は見事な解釈をしたものだと感心した。
 私も、熊本弁の解釈の違いで大笑いしたことやを意味が分からず戸惑ったことを思い出した。
 10数年前、女性職員に「もうちょっともだえんな」と言うと、「職場でそんなことを言ってはいけない」と上司に注意された。私は「もだえんな」を「急いで仕事を仕上げなさい」の意味で使ったのだが、上司は「悶えなさい」ととらえたのだ。これには職場のみんなが大笑いした。
 また、30数年前、牛深で知人がごちそうを指さし、「この『びえん』ば、なめなっせ」と言った。私の戸惑いに、そばにいた子どもが「ばあちゃんは、どうぞ、刺身を食べて下さいと言っている」と教えてくれた。
 大学生のころ、波野でボランティア活動中、4歳くらいの幼児が泣きながら「いぬ、いぬー」と言う。「犬はどこにもいないよ。怖がらなくてもいいよ」と何度も声を掛けるが、「いぬ、いぬ」と泣くばかり。途方に暮れていると、仲間の一人が「いぬは犬ではなく、帰りたいと言っているのだろう」。「もうすぐ家に帰るからね」と声をかけると、泣き止んだ。
 他県の友人は、熊本弁を「温かみがある」と言う。熊本の宝、熊本弁を永く後世に残したい。


熊日新聞「読者の広場」 平成23年10月12日 掲載

                     地域みんなで子ら育てよう

 9月に中国新疆ウイグル自治区天山南路のオアシス都市クチャを旅したとき、学校帰りの小学3年生くらいの少年が路線バスに乗車してきた。彼はシートに座ると、持っていたペットボトルを振り回したり、窓を開け、身を乗り出して道行く人に手を振ったり、顔を出して大声で話しかけたりと、危険な行為を繰り返していた。
 「危ないよ」と注意しようにも、言葉が分からず、注意できないでハラハラして見ていると、若いウイグル人の女性車掌が少年の席につかつかと歩み寄り、少年にあらがうすきも与えない毅然とした態度で厳しく注意し、窓を閉めた。車掌はバスから降りる少年に先ほどの厳しい態度とはうって変わり、笑顔で一言二言優しく語り掛けた。
 車中での危険な行為は毅然としかる。降車時の安全を守る行為は、注意を促し、優しく見守る。これこそ子ども一人ひとりの育ちを社会全体で応援することだ。
 クチャで目にしたことは、私の少年時代には日本のどこでも見かける地域の責任としてのしつけであった。しかし、最近はトラブルは避けようと、他人の行為にはあまり係わろうとせず、見て見ぬ振りをすることが多い。悪行は厳しく叱り、善行は大いに認め、褒め、地域みんなで子どもを育てていこうではないか。



朝日新聞「声」 平成23年10月3日 掲載

                   ウイグル人の歓待に心和む

 9月、中国西域の新疆ウイグル自治区天山南路のオアシス都市クチャを妻と二人で旅行した。少数民族のウイグル人が大多数を占めるシルクロードの雰囲気漂うまちだった。
 その周辺を散策。ポプラ並木の間を流れる水路に架かる橋の上で涼んでいる年配の女性と写真に納まると、彼女は「寄って行きなさい」と私と妻の手を引いて、客間に案内した。部屋には赤い絨毯が敷かれ、壁には色鮮やかな刺繍が施された壁飾りがかけられていた。テーブルの上には、ナンや菓子、ブドウ、ナツメ、リンゴなどが並べられていた。それを指さし、中国のウイグル語で何やら語りかける。食べなさいと勧めているようだ。突然の出来事に戸惑いながらナンとブドウを口にした。ナンは香ばしくブドウは甘酸っぱくておいしい。家におられた方がお茶もいれてくれた。
 ローマ字などで書いた互いの名前を、「トゥールスンハニ」とか「アリトシ」「リョウコ」などと何度も何度も声に出して読み合い、発音が似てくると手をたたいて喜び合った。名前の読み方を通じて心がふれ合えたようだ。20分くらい経って、私たちは歓待への感謝の気持ちを日本語と身ぶり手ぶりで伝え、辞去しようと腰をあげると、名残惜しそうにリンゴと菓子を手に持たせ、橋まで送ってくれた。
 通りすがりの外国人である私たちを旧知の友のように招き入れる、陽気でおおらかなウイグル人と楽しい一時を過ごし、心が和んだ。



朝日新聞「声」 平成22年1月11日 掲載

                  新聞が教材の授業よ 広がれ

 先日、高校1年生社会科の、で新聞を教材とした授業を参観した。新聞を教材として学習を進めることをNIE(日本語訳「教育に新聞を」)というそうだ。
 生徒は配付された新聞に目を通し、数人が興味のある記事を発表した後、私が本紙に投稿した「深夜放送・深夜営業を禁止に」(2009年10月28日)を教材として授業が進められた。
 地球温暖化を食い止めるには温室効果ガスの削減に努めることは喫緊の課題であり、今すぐにできることとして、テレビ、ラジオの深夜放送やコンビニなどの深夜営業を禁止するよう訴えた内容である。
 「この投書に対する反論を考えよう」との先生の問いに、生徒数人が「深夜働いている人の職場がなくなり困る」「夜間に緊急情報の伝達ができなくなる」「消費電力が少ない深夜だから、温室効果ガス削減にはつながらない」「原子力発電は二酸化炭素を出さない」など意見や感想を述べ、地球温暖化問題についての考えを深めていった。
 新聞記事を教材として、社会の諸問題と自分とのかかわりを、文化や政治、経済など様々な観点から考えるさせる学習は大変意義がある。この取組がさらに広がることを切に願う。



熊日新聞「読者の広場」 平成21年10月29日 掲載

                  地域と連携の学校教育期待

 先日、上益城学校・地域連携フォーラムが甲佐町生涯学習センターで開催された。
 和水町立菊水南小学校の放課後子ども教室、芦北町立田浦小学校の学校支援地域本部事業、菊池市立泗水小学校のコミュニティースクールの実践発表を聴くことができた。いずれの学校も「地域の子は地域で育てる」という考えが根底にあるようだ。
 「学校に地域の人がいつも来ているので知っている人が増えた」、「地域の人が地域のことや昔遊びをを教えてくれるので勉強が面白くなった」などの声が子どもから聞こえてくるようになったという。
 地域では、「これまでは漫然と散歩していたが、落ちているドングリを見ると『子どもとドングリごまを作ろう』などとひらめき散歩が楽しくなった」、「公民館で学んだこと生かして学習を手伝っているが、子どもは知らないことまで質問してくる。学習をし直さねばならないが、しがいがある」など住民に新たな生きがいが生まれてきているそうだ。 先生からは、「学校だけではできないことが体験でき、子どもたちがとても喜んでいる」「地域の人が学習指導の補助をしてくださるので時間にゆとりができ、子どもと向き合う時間が増えた」など喜ばれているらしい。
 このように、子どもも地域も学校も元気が出る「地域と連携した学校教育」がさらに広がることを切に願う。



朝日新聞「声」 平成21年10月28日掲載

                     深夜放送・深夜営業を禁止に

 鳩山首相は国連気候変動サミットで、気候変動の問題は長期間の国際的な取り組みを必要とするものであり、科学の警告を真剣に受け止め、気候変動に対処していくために1990年比で2020年までに温室効果ガス25%削減を目指すと宣言した。
 麻生政権時代、25%削減を国内の産業界や家庭の努力だけで達成するには新車販売の約9割をエコカーにするなどの対策が必要で、1世帯当たりの負担は年36万円に上ると試算していたことなどからかなり厳しい目標であると受け止められている。しかし、氷河や凍土の氷解、時間雨量100ミリを超す豪雨、台風の大型化、海面上昇など過去経験したことのない現象が刻一刻と現れてきている。温室効果ガス削減は喫緊の課題である。
 エコカー使用、太陽光発電利用は進めて欲しい対策であるが、夜型生活の広がりをはじめとした今の私たちの生活を根本的に見直したい。そして、今すぐできる対策として、テレビ・ラジオの深夜放送禁止、娯楽施設やスーパー等の深夜営業禁止を提言する。悠長に構えていては取り返しがつかない。



熊日新聞「読者の広場」 平成21年9月23日 掲載

                 そろばん学習効果見直そう

 先日、第154回商工会珠算検定試験が行われ、益城町放課後子ども教室でそろばんを学んでいる飯野小と津森小の子どもたちが多数受験した。
 そろばん学習になかなか集中できなかった子どもたちが、熱心なボランティア指導員により、見取り算はもとよりかけ算や割り算までできるようになった。正答率も7、8割と高くなり自信がつき、8月後半から意欲的に取り組むようになった。
 試験が始まると、静かな試験会場はそろばんをはじく音だけが響き渡った。試験の様子を見た保護者から「あんなに真剣な姿は見たことがない」との声が聞かれた。
 試験が終わり、上気した顔で「みんなできた」「割り算が2問できなかった」などと話している。どの顔も一生懸命取り組んだ満足感に満ちていた。9級から3級まで多くの子どもが合格した。
 そろばん学習では、「分かるようになった」「できるようになった」との喜びが実感でき、より難しい問題に挑戦する意欲が湧き起こる。さらに、集中力や数字を素早く読み取る能力、四則計算を瞬時に行う能力なども高められる。そろばん学習が、学校や地域でもっと拡がり、子ども達の能力を高めることを願う。



朝日新聞「声」  平成21年9月17日掲載

                ままごと遊びで想像力養おう

 先日、庭の芝刈りをしていると、2人の孫娘が小屋から植木鉢やその受け皿、移植ごて、剪定ばさみなどを取り出した。移植ごてで花壇の土を掘り起こして丸めたり、水を加え泥水を作ったり、私が刈った芝を集め水で洗ったりしている。杉の丸太に腰掛け、縁側への上がり段を調理台にし、母親の調理をまねたままごと遊びを始めた。
 しばらくすると、「おじいちゃん、昼ご飯できたよ。食べて。ご飯に野菜サラダとスープよ」と言う。鉢に泥ご飯がよそおってある。皿には木の葉を切り刻んだ泥水スープ。大きな皿には薄い泥水をかけた芝サラダ。「うわー、今日の昼ご飯はごちそうがいっぱい。いただきまーす」と食べるまね。「ごちそうさま。おいしかった」と私、「どういたしまして」と孫娘。
 昔から、ままごと遊びや砂場遊びは生涯にわたる想像力の基礎を培うといわれている。子どもたちは既成のおもちゃもよいが、このような身の回りにあるものを使ったままごと遊びでさらに想像力を養って欲しいものである。



熊日新聞「読者の広場」 平成21年8月16日掲載

                     コンポストで生ごみが減る

 樹木の植え込みや生け垣の下は落ち葉がいっぱい。以前は、落ち葉は掃き集めて燃やしたりごみ収集に出していたが、家庭での焼却ができなくなった10年ほど前から、生け垣の下に集めて腐葉土づくりを始めた。
 今年3月、段ボール箱で生ごみの堆肥化に取り組んでいる段ボールコンポストの話を聞き、落ち葉コンポストに取り組み始めた。生け垣の下に集めている落ち葉の中に生ごみをいれ、落ち葉や除草した草で覆う。覆う量が少ないとショウジョウバエが発生するが、厚く覆うと発生しない。においもほとんど気にならない。
 3週間から4週間ほどたって掘り起こしてみると、生ゴミはもとよりヒイラギモクセイなどの堅い葉までもが堆肥化している。ミミズも発生している。ミミズは生ごみ等の有機物や微生物、小動物を食べで粒状の糞を排泄する。これが、土作り・堆肥づくりに大きな役割を果たしているようだ。
 わが家では、1日に4リットルから6リットル程度の野菜くずや生ごみがでる。これを毎日、生け垣の根本の落ち葉で処理している。生ごみ減量と生け垣の肥料づくりが一度にできる。まさに一石二鳥だ。



熊日新聞「読者の広場」 平成21年5月13日掲載

                     給食のおかげ 野菜食べる孫

 妻は、この春小学校に入学した孫娘によく電話する。給食を食べているかどうかが気になるからである。先日は電話をするなり、「おばあちゃん、昨日と一昨日、給食をみんな食べてしまったよ」と弾んだ声で孫が話したという。
 孫娘は、食べ物の好き嫌いが激しく、特に野菜をほとんど食べない。「野菜を食べると美人になるよ」「元気になるよ」などと言ったり、野菜と分からないように調理したり、目をつぶらせて食べさせたりしてきた。が、どうしても野菜を食べることができない。
 手を替え品を替えて6年間指導し続けてもできなかったことが、わずか入学1ヶ月足らずで少しではあるが、野菜を口にすることができるようになったという。学校が持つ教育力の大きさを再認識した。先生の語りかけ、給食を楽しく食べる学級の雰囲気、周りの子との会話、野菜を食べてみようという本人の気持ちなどいろんなものが孫の背中を押したのだろう。
 本来家庭で指導すべきものまで学校で指導していただく先生のご苦労に感謝と敬意の念でいっぱいだ。と同時に、孫が学校生活でさらにたくましく育つことを願っている。



熊日新聞「読者の広場」 平成21年1月25日 掲載

                     祖母歌う童歌厳冬懐かしい

 冬将軍が日本列島に居座って厳しい寒さが続いている。幼少のころの寒さはもっと厳しかった。
 寒さが厳しい夜も暖を取る唯一の手段は火鉢だった。家族全員が火鉢を囲み、私たち子どもは祖父母や父母の膝に座り、暖を取った。もちを焼いて食べたりよもやま話に花が咲いたり、一家団欒の場だった。時々、祖母が「『いっぷくてんぷく』ば歌うバイ。指を丸めて」と言っていた。
 祖母が歌う「いっぷくてんぷく」は、脚本家、佐藤幸一さんが昨年本紙で紹介したものとだいたい同じ歌詞であった。
 火鉢にかざした手の指を丸めて輪を作ると、祖母が「いっぷく てんぷく てんだいもんの おとひめが ゆうれにもまれて なくこえは ピヨピヨ モンガラ モンガラ オヒャリコヒャーリ ヒャイ」と歌う。
 私が歌声に合わせて、一人ひとりの指の輪の中に人差し指を入れていく。歌い終わったとき、私の指が入っている手を火鉢から引く。それを繰り返して、誰の手が最後まで残るかを楽しんだ。
 冬の夜長を祖母が歌うわらべ歌で、家族みんなが童心になった。火鉢による暖はもとより家族の温もりを感じたものだった。幼少のころの懐かしい思い出である。


熊日新聞「読者の広場」 平成20年11月6日 掲載

                   子どもを地域で育みたい

 京都大学霊長類研究所の正高信男教授は、「ヒト以外の動物に老人は存在しない。老人とは、繁殖を停止したのに、なおかつ生きているヒト。生物にとって子孫を残すことは何よりも大事な役目。子孫を残す役目を終えると、その個体は無用の存在となる。なぜヒトは子孫を残す役目が終わってからも生きているか。それは、社会的には生きる知恵を伝え、家庭にあっては子育て支援に関わってきたから。」と述べられたことがある。
 少子・高齢時代の今こそ社会の第一線をリタイアした人の出番だ。今の若者は大学を卒業するまでに親と先生以外の大人との会話がとても少ないという。
 私は小さい頃、近所の大人から「そぎゃんこつすると、父ちゃんの泣かすぞ」「おっ、ええこつしよるね。じいさんの喜ばすぞ」と声をかけてもらっていた。また、時には「もうちょっとがんばれ」と背中を押してもらってもいた。
 ある研修会で「子縁」という言葉を聞いた。子どもや孫のつながりを通して、地域の宝である子どもたちを地域ぐるみではぐくみたいものだ。



熊日新聞「読者の広場」 平成20年8月25日 掲載

                  私たちの地域 みんなの作品

 以前は、路地にそれぞれの家が花を植えて飾ったり、ベンチなどを置いて、地域の人が集まって話をしたり将棋をしたりする光景があった。これは、道は自分たちのものという感覚だったからだと思う。だから、道が汚れていたら自分たちで掃除をするという文化があった。
 交通事情の変化から道路に物を置かないようになるとともに、道に対する愛着もだんだんなくなってきたような気がする。道路端には雑草が生い茂り、たばこの吸い殻、空き缶、紙くずが散乱している。
 せっかく植栽した街路樹が晴天続きで枯れかかっている。先日は、人通りの多い街中の道路に、焼き鳥の串やカップメンなどが入ったビニール袋が捨ててあった。
 私が小さいころは夏休み前に地区児童会を開いて、宮掃除・寺掃除、道路掃除などの日取りを話し合ってみんなで行っていた。最近はそのような光景もあまり見ない。
 「地域とは生きる場であり、自分たちが創っている作品」であるという思いを、みんなで持ち、汚さないように注意し、汚れたら掃除するという文化を取り戻したい。



熊日新聞「読者の広場」 平成20年5月18日 掲載

                子どもたちに生命の尊厳を

 水戸市内湖畔のコクチョウやハクチョウの無惨な死は、中学生が面白半分に棒で殴ったものだった。
 以前の日本では、毎日の生活の中で命に直面していた。弟妹誕生の産声を聞く。家族の死をみとる。牛馬の出産を介助し飼育する。巣から落ちたひな鳥に給餌するなどなど。人は、このような現実の命にふれるたびに、自らが生かされていることの価値を自覚し、無意識に命の尊厳を学びとってきた。しかし、いつの間にか、私たちの身の回りからそれらがなくなってしまったようだ。
 ペットショップで買ったカブトムシが死んだとき、「カブトムシの電池が切れた。電池を替えて」のわが子の言葉にがくぜんとした父親は、その子を連れて山へカブトムシの採集に行った。そこで採集したカブトムシが死んだとき、「お父さん、カブトムシが死んだ。お墓を作ろう」と言うわが子の目を見て安堵したという話を聞いたことがある。
 子どもたちが命を現実のものと受け止める機会を数多く作りたい。人が生きるためには牛馬や野菜など動植物の命をもらわねばならないという矛盾に悩むことなどを通して、命の尊厳を受け止める子どもを育てることは喫緊の課題である。



朝日新聞「声」 平成20年5月17日 掲載

                人権感覚持つ子ら育てたい

 小学4年生の孫娘に電話すると、いつものような元気がない。訳を聞くと、「明日体育の授業でリレーがある。去年、リレーの時、私が走るのが遅いので私の組はビリだった。みんなからとても嫌なことを言われた。明日、またリレーがある。嫌だな」と言う。
 妻は、「リレーであなたの走りが遅くて負けたのなら、みんなにごめんなさいと言いなさい。それでも、みんなが文句を言うなら先生に相談しなさい。泣いたり怒ったりしては駄目」とアドバイスした。孫娘は、「分かった」と言った。
 周りから「おまえのせいで負けた」と責められると、「自分はダメな人間」と思いこみ、自信喪失になる。不登校や引きこもりになりかねない。
 孫の憂鬱は、人権感覚を育てることに直結する問題だと思う。人は自分の短所や欠点を他人に話すことには抵抗がある。しかし、自分のことを理解してもらうには自分のありのままの姿をきちんと話さなければならない。このような時、所属する集団に、互いの違いを認め、共に生きる感性や人権感覚が育っていれば素直に話すことができる。子どもの生活場面に起きる具体的な事例をもとに、豊かな人権感覚を持った子ども達をはぐくんでいただきたいと願う。



熊日新聞「読者の広場」 平成20年4月6日 掲載

               知識や技能で子どもを支援

  「今日はそろばん名人さんと一緒に学習します。」先生の巧みな指導でそろばん学習が始まった。公民館講座「そろばん教室」の受講生6人が授業を手伝った。
 先生の丁寧な指導で、子供たちは1珠や5珠の意味、数の読み方す直ぐに理解できた。1珠を入れるときは親指、1珠を取るときと5珠を入れたり取ったりするときは人差し指を使うことも理解できた。
 個別学習になり、私たちボランティアの出番がきた。子どもが珠を入れる様子を観察すると、親指で入れるか、人差し指で入れるかを一生懸命考えて入れる様子が手に取るように分かる。珠を入れたところで、「よくできたよ」と頭をなで褒めると笑顔が返ってくる。1時間の授業があっという間に終わる。授業が終われば、運動場に飛んでいく子どもたちが、「おじちゃん、教えて」とさらに難しい問題に挑戦する。
 授業後短時間ではあったが、子どもの学習について先生と情報を交換した。先生は、日頃見えない子どもの良さが見えて大変良かったと話された。本年度から地域で学校教育を支援する文科省の学校支援地域本部事業が始まる。公民館講座で学んだ知識や技能を生かし、子供たちの更なる成長を側面から支援していきたい。



熊日新聞「読者の広場」 平成20年1月28日 掲載

              中国との交流 深まりを願う

 私は毎年、妻との中国二人旅を楽しんでいる。訪れるたびに、中国の自然や歴史、人々の優しさに心が揺り動かされる。西安では、「座席に財布が落ちていた。これはあなたのものだろう。途中で気がつき急いで引き返して来た」と空港まで届けてくれたタクシー運転手の手を思わず握りしめた。
 北京では、青年に劇場への道順を尋ねると、帰りを急いでいるようであったが近くのバス停まで案内しバスの路線名まで教えてくれた。その優しさに心をうたれた。ウルムチでは、飛行機遅延のため帰国が遅れることを家族へ連絡できず、途方にくれているところへ見ず知らずの男性が「私の電話使ってもいいですよ」と携帯電話を貸してくれた。真っ暗闇の中で一筋の灯りをもらった思いであった。今の日本ではこのようなことはあまり経験できないように思う。
 日中平和友好条約が締結された翌々年の昭和55年、華国鋒首相が来日。昭和天皇は「関係をますます強固なものにして世界平和のために貢献したいと思います」とお言葉を述べられた。
 春には胡錦涛主席の来日が予定され、北京オリンピックも8月開かれる。政治経済はもとより、環境や文化、スポーツ、観光など日中が互いに交流を深めあい、昭和天皇のお言葉が現実のものとなることを願う。

 



熊日新聞「読者の広場」 平成19年12月24日  掲載

              伝承遊び学ぶ日常的な場を

 先日、益城中央小で、地域の名人さんが、竹とんぼや水鉄砲、門松、わら草履、おはじきやコマ回しなど伝承遊びを指導した。私が担当するちょんかけゴマには、18人が来た。初めての子ばかりだ。コマを回して見せると、目を見張り、「教えて」と言う。実演しながらコマの回し方を教えた。子どもたちはコマを回すが、何度回してもストンと地面に落ちる。
 ひもの張り加減を観察させ、練習させるが、子どもたちのコマは落ちるか宙づりになるかである。2人の子が私が回すのを観察してはコマを回し、失敗しては観察を繰り返し、少し回せるようになった。頭をなで褒めた。2人は「休み時間にコマを借りて練習します」と張り切っていた。
 北極に住むヘアーインディアンの子供たちは大人の狩りの様子を観察したり話を聴いたりして自分でやってみて、間違っていたらやり直しを繰り返して狩りの方法を身に付けることを原ひろ子著「子供の文化人類学」という本で読んだ。
 学校や公民館で伝承遊びや物づくりにふれる催しが開かれている。お祭り的な行事ではなく、学校や地域でクラブ活動やふれあいの日などを可能な限り設け、子どもたちが伝承遊びの楽しさや技術、先人の生きる知恵を自から学びとることができる日常的な場をつくる必要性を痛感した。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年11月19日  掲載

              人間の誇りを取り戻したい

 益城町役場では、職員による除草や清掃作業、さらには色とりどりの花を植栽したプランターを車回し周辺に配置し、老人クラブ手作りの花壇などで庁舎内外の環境美化に努めている。
 先日の日曜日の朝、用件で役場へ行った。玄関横の銀行自動預け払い機前に置いてあるベンチ周辺にカップめんの容器、パンのかけら、食べかけの菓子、ペットボトルの容器、菓子の包み紙、たばこの吸い殻などが散乱していた。
 前夜、誰かがここで飲み食いをし、食べ残しや容器などのゴミを放置したまま帰っているのだ。駐車場への階段にもたばこの吸い殻が散乱している。休み明けの朝はこのように荒れているらしい。以前はこんな人は居なかった。人は「公の精神」を持っていた。
 中国春秋時代の宰相管仲は治世の手段として「衣食足りて礼節を知る」と説いている。今のわが国は、生きるのに精一杯で礼儀や道徳、名誉や恥辱、人としての誇りを持つことが出来ないような貧困国家ではないはずだ。所かまわずゴミを捨てるような人は「人としての誇り」もどこかに捨ててしまったのだろう。藤原正彦さんは「教養立国ニッポン」で「道徳を保つには、国民一人ひとりの誇りが必要である」と提言している。人としての誇りを取り戻す教育を学校、家庭、地域社会で取り組むことは喫緊の課題である。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年9月19日 掲載

               珠算を使って基礎学力向上

 珠算は、集中力、記憶力、計算力、向上心、右脳開発など「脳の発達を促す」などの学習効果がある。この夏、益城町公民館津森分館と津森小学校が「夏休み子どもそろばん教室」を開き、その指導に当たった。
 参加者は14名。初めは、親指だけで玉をはじく子、人差し指だけを使う子、5玉と1玉の意味が十分理解できない子などさまざま。特に5玉が下りているときの足し算方法の理解でつまずく子が多い。例えば、「5+8」の計算では、「8は2を足すと10となるから5から2取り、残った3を入れ、5を払って10を上げる」という意味が理解できず、指をなかなか使えない。
 子どもたちは、何度も何度も反復練習して計算方法と指使いを理解し、習熟した。「分かる喜び」「出来る喜び」を実感し、意欲的に取り組んだ。40日余りの短い期間で、足し算・引き算はもとより、掛け算、割り算もできるようになった。「計算に自信がついた」「暗算が得意になった」「もっと難しい問題をしてみたい」などと目を輝かせて話す。
 中教審は、読み書き計算の基礎学力定着のために小中学校の学習時間を増やす素案をまとめた。珠算は、反復練習により計算の「速さと正確さ」を身につけることができる。これは基礎学力の一つである計算力そのものである。算数・数学の時間に珠算が取り入れられることを切に望む。




朝日新聞「声」 平成19年8月24日 掲載

               空調に頼らぬ生活をしよう

 6月、中国ウルムチから荒涼とした沙漠のハイウェーを走り、天山山脈を越え、コルラへ向かった。防風林のポプラ並木が見えると、景観は一変して豊かな緑が両側に広がる。 突然湖が現れた。新疆最大の淡水湖、ボステン湖だ。天山の雪解け水がつくり出した湖だという。ボステン湖から流れ出るコンチェ河がコルラ市街の中央を流れている。
 20世紀初頭、楼蘭を発見したヘディンはコンチェ河をカヌーで下り、さまよえる湖ロプノールの辺りを訪問している。当時ロプノ-ルは満々と水を湛えていたといわれているが、今は干上がっている。
 ウルムチを案内してくれたガイドは、天山に降る雪が年々少なくなっているという。ボステン湖が第2のロプノールにならないためにも地球温暖化をくい止めねばと強く思った。
 夏は暑いのが当たり前。私は、打ち水、部屋の換気、おしぼりで体を拭くなど古くから伝えられた方法で夏を乗り切る生活を心がけている。
 皆さん、空調に頼る生活はなるべく控えようではないか。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年8月19日 掲載

               周りの環境に合わせた生活

 先日、中国の南新疆(しんきょう)コルラを旅した。
 コルラは、油田開発が進むタリム盆地の交通の要所にあるため石油開発の中心基地として急速に発展を遂げたのだそうだ。高層ビルが林立し、片側3車線の道路が走り、人口は40万人以上、活気に満ちた街だ。
 タクラマカン砂漠の北東にあるが、水の豊富なことに驚いた。ボスティン胡から流れ出る中心部を貫くコンチェ河が水を満々とたたえ、とうとうと流れている。この水はすべて天山山脈の雪解け水だという。
 新疆はほとんど降雨がないにもかかわらず、色とりどりの草花や街路樹が整備されている。バス停近くの幅3mほどの歩道の中央に直径1mくらいのマンホールの蓋が開いたままだ。歩道は、自転車や単車に乗った人、屋台のリヤカーを引いた人、話に夢中のグループ、子ども連れがひっきりなしに行き来している。「危ないなぁ」と思い見ていると、互いに道を譲り合い、マンホールを巧みによけて通行している。しばらくすると、係員がマンホールからホースを出して街路樹や花壇に散水を始めた。道行く人にはマンホールの蓋が開いているのを気にする様子はなく、周りの環境に合わせて生活するおおらかさがあるように思えた。
 日本では、自分の生活スタイルに周りの環境を合わせたがる傾向にあるように思う。日本人も、周りの生活環境に自分の生活スタイルを合わせるおおらかさを持ちたいものだ。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年6月29日掲載

               すがすがしさ蘇陽中学校で体験

 先日、上益城郡内の社会教育委員総会出席のため山都町蘇陽総合支所へ行った。隣接地の蘇陽中学校は、昼休みだった。男子生徒も女子生徒も、笑顔とともに大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれた。
 校舎脇のプラタナスの根本で、この春芽生えたらしい幼木が目に留まった。そばを通りかかった生徒に「この幼木をもらって良いかを先生に聞いてもらえないだろうか。もらって良いなら移植ごてとビニル袋を貸してもらえるとうれしい」と言った。生徒はにこにこしながら「分かりました。しばらく待っていてください」と返事して、遊びを止めて走った。ほどなく帰ってきた生徒は、「職員室で先生に尋ねたら、持って行って良いそうです。これでどうぞ」と移植ごてと空の苗ポットを私に渡した。
 堀りかかろうとすると、先生が来て「庭に植えられるのならどうぞ」とおっしゃった。名を名乗りお礼を言った。ほどなく、教頭先生がスコップを持って来られた。「どの幼木ですか」と言われる。掘り上げた幼木を見せ、「これをいただきました」とお礼を言った。さわやかな中学生、校務で忙しい中に親切丁寧な対応をしていただいた先生。10分間くらいの出来事であったが、すがすがしい時間を味わった。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年5月16日掲載

                人情味豊かな牛深思い出す

 長崎さるく博にヒントを得て、牛深地区のボランティアグループが「牛深さるこう会」を立ち上げ、観光案内をしているとテレビで報じていた。ボランティアの人が「せどわを通ります。道に迷わないように前の人をよく見てついてきてください。」と案内している。参加者は、人一人が通れるような狭い路地を「本当に迷路のようだ」などと話しながら散策している。
 この光景を見ながら30数年前、牛深に赴任していた頃の懐かしい思い出が頭をよぎった。牛深では秋に漁師の祭り「えびす祭り」がある。私はある家からこの祭りに案内を受けていた。場所は、まさにテレビで放映された「せどわ」にある家。
 「こんばんは」と案内があったと思う家の玄関を開けると、お客がいっぱいで宴たけなわという感であった。「よう来てくれらしたなぁ」の言葉で、私も宴席に参加した。杯のやりとりをしながらよもやま話をするが、どうも話しがかみ合わない。「おかしいな」と思っていると、「それは隣の家ですバイ」と言われた。
 慌てて辞去しようとすると、家の人は「せっかく来らしたもねぇ、ゆっくりしていきなっせ」と、さらに歓待してくださった。おおらかで人情味のある牛深とよく聞いていたが、まさにこの言葉そのものだった。観光で牛深を訪れた人々も牛深の人情にふれ、心を和ませていることだろう。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年4月10日掲載

                学社連携したそろばん学習

 先日、公民館講座「そろばん教室」の講座生が小学3年生のそろばんの授業を手伝った。
 「そろばんはどんなときに使うでしょうか?」の先生の問に、「そろばんは昔の電卓」とか「お金を計る(計算の意味)とき使う」などと発表し、子どもたちはそろばん学習に興味を示していた。
 そろばんの名称や5珠、1珠の意味、数の表し方と読み方、簡単な足し算、引き算を先生が全体指導された後で、私たちはグループごとに指導助手を務めた。珠を人差し指だけで入れる子、親指だけで入れる子、先に暗算で答を出してから入れる子、5珠を使った足し算が理解できない子など、子どもたちはさまざま。一人ひとりに計算の仕方と指使いを手を取り教えた。計算が出来ると「ヤッター!」と喜びを表していた。
 授業終了後、講座生が掛け算、割り算、読み上げ算、読み上げ暗算の模範を示した。珠を素早く動かし計算する姿を見て、子どもたちは「うわー、すごい」の言葉を発し、そろばんで正確に、素早く計算できることに驚いていた。そして「ぼくもそろばんを勉強しよう」「おばあちゃんのそろばんを借りて練習しよう」と口々に言っていた。
 社会教育の場で学んだ成果を生かして学校教育を支援する「少子・高齢化時代の学社連携」を求めた試みは大成功だった。



朝日新聞「声」 平成19年3月27日掲載

                幼児に読んで見せたい童話

 グリム童話「赤ずきんちゃん」を4歳になる孫に読み聞かせると、顔を伏せて「おおかみがこわい」と言いながらも、何度も「もう一度読んで!」とせがむ。読み終わると「あー、よかった」と胸をなで下ろしている。
 先日、他の童話を読み聞かせようと、孫と近くの公立の図書館へ行った。児童コーナーは、創作絵本が多く、日本の昔話、アンデルセン童話、グリム童話などの絵本は少なかった。
 「赤ずきんちゃん」に限らず読み伝えられた名作には、子どもを引きつける魅力がある。単純明快なストーリー、善人と悪人の際だつ対比、一つ一つの事実の積み重ね、ハッピーエンド。リズム感のあることばで子どもを空想の世界に引き込み、夢を持たせてくれる。幼い子どもの心に、生きるための知恵や勇気をしみ込ませる。
 物語の主人公と一体となり、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら得た感動は、大人になっても夢をはぐくみ心を豊かにさせる。
 幼児にはたくさんの名作絵本を読み聞かせてやりたい。名作絵本の増冊を図書館に望む。



朝日新聞「声」 平成19年2月12日掲載

                  ごみポイ捨てしない教育を

 先月中旬、家の近所を散歩していたら、ペットボトルをけりながら帰っている小学校低学年らしい女児に会った。けったペットボトルが道の端に転がってしまうと、女児はそのまま立ち去ろうとした。「ペットボトルは持ち帰りなさい」と声をかけると、「私のではないもん」とそのまま帰ってしまった。
 それを拾って帰っていると、今度は空き缶が転がってきた。自転車に乗っていた高校の男子生徒がコーヒーの空き缶を捨てたのだ。呼び止め、注意しようとしたら、中学の制服を着た女子生徒がジュースの紙パックを投げ捨て自転車で走り去った。
 住宅地の道路で、立て続けに3度も子どもたちのポイ捨てを目撃し、あぜんとした。その数分後、信号停車中の車からたばこの吸い殻がごそっと捨てられた。ものを捨てることは恥ずべき行為であるなどみじんも思っていないようだ。
 私は、父から「親に恥をかかせるようなことは絶対するな」といつも言われて育った。学校、家庭、地域社会が一体となって、「恥ずべき行為はしない・させない」子育てに取り組むべきだと思う。



熊日新聞「読者の広場」 平成19年1月9日掲載 

                 戸外で遊ぶ子歓声を聞きたい

 学校が冬休みの間、私の家の近くの路地や公園から、子どもたちの歓声が聞こえてこなかった。私達が小さいころは、戸外で陣取りや竹馬乗り、こま回しなどの群れ遊びに興じた。道路の2本の電柱を陣として、走る速さが同じ者同士や弟妹を背におんぶした者同士でじゃんけんをして、勝った方と負けた方で分かれてチームをつくって陣取り遊びで走り回った。
 幼児から中学生までが一緒になって遊び、中学生に竹馬の作り方を教えてもらった。支え棒の周りの長さを稲わらで測り、その長さの分を曲げ竹の中央から半分切り取り、火であぶって曲げて竹馬を作った。
 また、こまの撃ち合いをして楽しんだ。時には買ってもらったばかりのこまを中学生から真っ二つに割られ、泣きながら古いこまで遊んだこともあった。友達は巧みにちょんかけごまを回すことができるのに、私はなかなか回せなかった。そこで上手な人の回し方を見て、こまの向きやひもの張り具合などをまねて練習した。回ったときの喜びは忘れられない。
 群れ遊びの中から、ルールを作り守ることの大切さを学び、物を作る喜びを味わった。上手にできるようになりたいという向上心を身に付けた。「子どもは風の子」といわれていた。空き地や公園で群れ遊ぶ子どもの歓声を聞きたい。



熊日新聞「読者の広場」 平成18年11月14日掲載

                 子のしつけは親の自己責任

 教育基本法改正をめぐる衆院特別委員会で「教育の外部化」が進んでいるとの指摘があった。私はこの「教育の外部化」という言葉を聞いて、2つの事を思い出した。「最近は、子どもが布団におねしょをするのを嫌って、おしめをはずすしつけができていない家庭が多く、保育園でしつけている」との保母の話。「勉強は塾で教えてもらうから、学校ではしつけをしてくれと真顔で頼む親がいる」という小学校の先生の話。これらは極端な例だが、まさにしつけの「外部化」である。
 この秋、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチを旅した。ウイグル人街で靴の修理の合間に娘に文字を熱心に教えているウイグル族の父親がいた。彼は「娘は6歳だが学校に行っていないので、ウイグル語は自分が教えている。勉強をして立派な人になって欲しい」と言っていた。また、地下道の平らな斜面を滑り台代わりに遊んでいる男の子を、平手でたたいて「ここは遊ぶところではない」と厳しく指導している漢族の母親がいた。男の子は遊びたい様子であったがしかられてピタリとやめた。
 最近の日本ではあまり見かけない光景に私はある種の感動を覚えた。親が愛情と厳しさで生き方をしつけることで、親子の絆は深くなるのではと思った。子どものしつけは外部化ではなく、親の自己責任で行いたいものと思う。


朝日新聞「声」 平成18年10月18日掲載

                 車間距離確認標識を増やせ

 先日、久しぶりに高速道路を利用して福岡まで出かけた。早朝にもかかわらず利用車輌は多かった。どの車も我先にと先を急ぐ。追い越し車線を車間距離をとらず、猛スピードで走っていた。
 私の車を追い越しにかかる後方の車は直ぐ後ろまで接近して、急ハンドルで追い越し車線に出て、私の車の直前で急ハンドルを切り走行車線に入ってくる。危険を感じ、思わずブレーキを踏んだ。
 高い幌を付けた軽トラックが、走行車線と追い越し車線をぬうように走っていく。横転でもしたら、後続車はよけることは出来ないだろう。
 一般道路と同じ運転では、大惨事が起きても不思議ではないと思う。多重衝突事故を起こさないために、運転者すべてが高速道路の運転方法、つまり、法定速度厳守と車間距離を保つことを肝に銘ずることを切に望む。
 さらに、関係者に次のことをお願いしたい。高速道路上に車間距離確認標識を増やし、車間距離を守るよう促すこと。運転免許証更新時に高速道路走行の仕方を厳しく指導することである。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年8月30日 

                「1日で書いた夏休み絵日記」

 私が小学2年生の頃だった。休みが始まってしばらくは、絵日記を書いたり、漢字の書き取り、計算練習などきちんと勉強していた。しかし、いつの間にか勉強は全くせず、遊びに夢中になっていた。川で泳いだりスイカ畑でスイカを食べたり、クワガタやセミを捕ったりと近所の友だちと、毎日暗くなるまで遊んだ。夕飯は、半分居眠りしながら食べていた。だから、夜勉強ができるはずがない。
 いつの間にか8月31日を迎えた。母から夏休みの宿題は終わったかと聞かれた。そして宿題がほとんどできていない私に「宿題はきちんと済ませにゃんタイ」と一言だけ言った。
 夏休みの友や工作などは直ぐにできたが、なかなかできないのが絵日記。30数日分の日記は簡単にできるものではない。母は「もうよかタイ。できたしこタイ」とも「適当に書くタイ」とも言わない。私の横で黙って繕い物をしていた。ツクツクボウシの声を聞き、泣きながら夜遅くまでかかってやっと仕上げた。
 私は、ツクツクボウシの鳴き声を聞くとこのことを思い出す。この夏、80歳を過ぎた母は、私を見ては含み笑いをし、私の孫は祖父の轍は踏むまいとして、熱心に宿題をしている。


朝日新聞「声」 平成18年7月31日

                「小学生の時に音読の習慣を」

 テレビ・ラジオのニュースを読むアナウンサーの読み間違えが気になる。また、内容を理解して読んでいるのだろうかと疑問に思うこともある。各種会議での提案説明などでも読み間違えがあって聞きづらいことがある。これは、学校教育で音読の機会が減少していることが原因の一つではなかろうか。
 文章を読み間違えないようにするには集中力を要する。練習の結果、読み間違えないようになると自信がつき、会話も元気な声で出来るようになる。効果が期待できる音読を学校でもっとさせて欲しいと思っていたら、小学2年生になる孫が、「おじいちゃん、教科書を読むから聞いて」と言って、大きな声で国語の教科書を読んだ。
 先日は、椅子に乗って大きな声を出して読む。孫は、「少し高いところで読むと、気持ちが引き締まってよく読める」と言う。1日1回国語の教科書を音読することが宿題だそうだ。宿題の有無にかかわらず、音読の練習を続けて欲しいと願っている。小学校の時期だけでも、国語の教科書を、心を込めて声に出して読む態度や習慣を身につけて欲しいものである。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年7月28日

                「動物の生態で台風襲来予測」

 今年の梅雨前線は例年になく活発化し、熊本地方などに大雨を降らせた。私の職場がある益城町では時間雨量55ミリを記録し、河川がはんらん、田んぼが冠水した。大粒の雨が落ちてくる様子を窓から眺めていると、最近の雨の降り方や風の吹き方の激しさにため息が出た。
 休憩時間に、「今年は、私の庭では今年はクモが低いところに巣を張っている。幼いころ、祖父から『クモの巣が低いところにあるときは台風が来る』と聞いていた。この秋台風が来ないか心配だ」と話すと、同僚らは「今年は鳥の巣も低いところにある。『鳥は台風が来る年は高いところには巣を掛けない』と親から聞いていた」「隣のおじいさんが、『今年はハチの巣が低いところに多い。ハチは台風が来る年は低いところに巣を作る。』と言っていた」と話し、動物の生態と気象動向にしばし花が咲いた。
 動物は、本能として気象を敏感に感じ取る力があると物の本で読んだことがある。わが家に帰ってあらためて庭のクモの巣を見ると、やはり低いところにある。台風上陸が少なかった昨年は、地上2メートルくらいの所にあったような気がする。今年の巣は、1メートルくらいの所にある。クモは、秋に台風の来襲を予感して低いところに巣を張っているのだろうか。このことが杞憂に終わることを願っている。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年6月27日

                「音読を通して老化を防ごう」

 「新聞の音読 10分で脳力アップ」を先日、熊日販売センターから送ってもらった。編者の川島隆太東北大教授は、体を鍛えるのに有酸素運動と筋力トレーニングが効果的であるように、脳のトレーニングには音読が効果的であり、毎日違った文章が載っている新聞は格好の教材だと説いている。
 私は毎朝、本紙1面のトップ記事と新生面を声に出して読んでいるが、大体10分を要する。黙読では気づかなかったことだが、音読は文字と内容をしっかり読んでいるのだろう。その内容は記憶に残った。
 読んだ記事を話題にしての家族との会話が増えてきた。また、読む速度がしだいに速くなり、言葉もなめらかに出るようになった。読めない漢字は辞書で読みや意味を調べ、読み間違えは読み直している。小学生のころ、国語の教科書を読み間違えないように何度も繰り返し練習したことを思い出す。新聞の音読を始めてやがて3ヶ月。前頭葉テストの例題に挑戦してみると、脳力がほんの少しアップしたように感じる。
 サッカーW杯ドイツ大会の決勝の行方も気になる。臨場感あふれる写真や記事に接し、ワクワクドキドキの毎日だ。新聞は、感性の老化予防にも効果があるようだ。これからも新聞の音読を続け、脳力と感性の老化にブレーキをかけていきたい。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年5月27日

                「練習繰り返し身体で覚える事」

 「50数年ぶりにそろばんをしました。不思議なものですね。指が自然と動きます。」公民館講座「そろばん教室」で、久しぶりにそろばんを手にした人の言葉である。驚きとうれしさいっぱいの表情だ。珠を動かしている指は流れるように動いている。私は「体が覚えているのですよ。正に昔取った杵柄ですね。」と称讃した。
 その時、もちつきを思い出した。もちがきれいにつきあがるように、つき手がきねを振り上げた瞬間に相方はお湯で少し湿り気を与えながら餅の位置をずらしたり、上下を変えたりする。それが終わると同時につき手は杵を振り下ろし、もちをつく。この間合いを間違えると、振り下ろしたきねは相方の手を打ってしまう。二人でこの動作をリズミカルに行い、もちをつきあげる。この間合いの取り方とリズミカルな動きに熟練の技が求められる。体がこのリズムと動作を覚えていると、時間が経っても思い出す。これが昔取ったきねづかの由来と聞いている。
 継続して何度も何度も繰り返し練習することで自然と体が覚えることは、スポーツでは多くの人が経験しているだろう。くらしや学習の中ではどうだろうか。子どもたちに「時間が経過しても体が覚えている」ものをたくさん持たせたいものである。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年4月25日

                 「公民館講座で脳の若返りを」

 4月はスタートの月。学校では始業式や入学式。会社では入社式があり、公民館では開講式がある。 益城町では、先日、今年度の公民館講座の開講式があった。学習意欲が旺盛な多くの人が講座への意欲と期待を持って式に出席した。
 2年前、講座である病院長からこんな話を聞いた。人は加齢とともに老いる。ぼけの特徴として、もの忘れが多くなり、物覚えが悪くなる。動作が緩慢になり、がんこになる。それに新しい友だちをつくることが苦手になるという。60歳を過ぎた私にはこの5つの特徴がすべて当てはまる。「ぼけの進行にブレーキを掛けるには、脳の前頭前野を若返らせ、活性化させることだ」と、ある本で読んだ。予防するためには簡単な計算を早くする、読書をする(それも声に出して読む)、他人とのコミュニケーションをとることが大事だと書いてあった。
 前頭前野を活性化させるには、公民館講座は最適ではないかと思う。私は珠算教室で脳の若返りを図っている。県内の各市町村では、スポーツや趣味・教養、文学など、各種教室が開設されている。脳を若返らせ、新しい友だちを作り、生きていることのすばらしさ実感するためにも、公民館講座を多くの人が利用してくれることを願っている。


朝日新聞「声」 平成18年3月7日

                    「待つ運転」で「安心・安全」を

 最近、車の運転で次のようなことが目につく。
 信号が青になるのと同時にカーレースのスタートのように我先に急発進する。直進と右折が同じ車線では、右折車を待ちきれず左車線へ無理に進路変更する。車間距離が少しでも空いていると車線を右に左に変更して猛スピードで走る。法定速度で走行している車に直ぐ後まで接近してあおる。一時停止して左右確認をしているとクラクションを鳴らしてせかせる。路地から大通りへ出るのに少しの車間に無理に割り込む。対向車線に直進車が走って来ているにもかかわらず右折する。信号が赤に変わってもつっこむ。いろいろと挙げたらきりがない。
 このような運転をしている人の中には「一瞬の判断」で走行している人が多いように思う。だが運転中に、安全運転に必要な情報を瞬時に収集・分析できるだろうか。「一瞬の判断」の狂いは大事故につながる。
 自分や周りの人の命とひきかえに、急いで走ってどのくらい時間が短縮できるだろうか。時間にゆとりを持ち、「待つ運転」を心がけたいものである。人に優しい安心・安全な運転は心の持ちよう一つである。


熊日新聞「読者の広場」 平成18年3月2日

                   「そろばん使い脳と心の若返り」

 年をとると誰でも物忘れが増える。物忘れは脳の前頭前野の衰えによるのだそうだ。しかし、脳を鍛えれば、衰え始めた脳も復活するといわれている。
 脳の活性化と地域での指導者養成を目指して公民館講座「そろばん教室」が昨年10月開講された。講座生のほとんどが60代で、練習に励んでいる。講座では、読み上げ算、読み上げ暗算、かけ算、わり算、見取り算を学習している。
 「何度も何度も練習して、かけ算のやり方が分かりました。」「寝る前に見取り算の練習をすると頭が適当に疲れてよく眠れますが、わり算は頭がさえて眠れなくなります。」「親指と人差し指の動きがスムーズになってきました。」など励まし合って楽しく学習に取り組んでいる。講座がない日も、時間を見つけて練習する学習意欲旺盛な人ばかりだ。
 「そろばんの技能がどれだけ身に付いたか試してみたい」と珠算検定を受験する人も多い。「わり算の第1問で躓き頭が真っ白になってしまいました。でも全部できました。」「心臓がどきどきのしっぱなしでした。」など、試験終了後の表情は満足感でいっぱいだ。結果は、7級から4級を全員が見事合格。合格を知らせたときの「うわぁー、うれしいー。」の喜びいっぱいの声と顔。そろばんは「脳と心の若さを保つ」のに最適だ。


朝日新聞「声」 平成18年2月4日

                    「幼児の周囲のたばこ追放を」

 先日、ファミリーレストランで若い夫婦と2歳くらいの子どものほほえましい食事風景を見た。
 ところが、この両親は食事が終わると、幼児がいる前でたばこを吸い始めた。幼児がせき込んだのでふと見ると、幼児にたばこの煙を吹きかけ、せき込んだり煙たがるのをおかしがっている様子である。しかも若い母親のお腹には、赤ちゃんが宿っているようだ。
 これだけ喫煙が健康に及ぼす影響が指摘されているにもかかわらず、幼児の前でたばこを吸うとは、ましてや妊婦が喫煙とはと本当にびっくりした。
 妊婦の喫煙による胎児への影響については、ニコチンや一酸化炭素による流産や早産、低体重児出生の増加が指摘されている。また、誕生後もニコチンが母乳中に分泌され、夜泣きや食欲低下を起こすという。受動喫煙で肺炎を起こし、せき・たんなど呼吸器への影響も報告されているそうだ。
 今すぐ、胎児や乳幼児をはじめ子どもの周囲からたばこの煙を追放しようではないか。


熊日新聞[読者の広場」 平成18年1月13日

                   「子供をほめて自己実現増幅」

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。


朝日新聞「声」 平成17年12月28日

                    「そろばん効果 集中力高まる」

 そろばんは「1玉」と「5玉」を組み合わせた計算機である。電卓やパソコンと違って、5や10の合成分解を考えながら指を動かして「玉」を入れなければ計算できない。また、数を正確に聞き取ったり、数字を読み取ったりしてそろばんに入れなければならない。このため集中力を高める効果があるという。 
 このような効果や計算力向上、放課後の有効活用、さらには公民館と学校との連携をねらってそろばん教室を始めたのが今年の5月。「そろばんでかけ算や割り算ができるのですか?」と半信半疑だった子どもたちが、先日、検定試験を受けた。試験となると緊張の度合いが違う。顔が引きつっている子がいる。青ざめた子もいる。しかし、目はどの子も輝いている。「よーい、はじめ」の合図とともにパチパチ、パチパチとそろばんの玉を入れる音だけが試験会場に響き渡る。
 試験が終わると、「全部できた。」「割り算ができなかった。」「簡単だった。」等々、一人ひとりの成果は違ったが、終了後の子どもたちの顔は満足感・充実感でいっぱいだった。
 もっと多くの子どもたちがそろばんに触れ、親しみ、そろばん技能を習得して欲しいものである。


熊日新聞「読者の広場」 平成17年11月16日

                   
 「続く異常気象 温暖化加速化」

 先日は、立冬というのに春のような陽気だった。遠くの俵山が霞んで見えた。このような陽気を小春日和というのだろう。20分も歩くと汗ばんでくる。
 散歩中一瞬我が耳を疑った。ヒバリの高音が聞こえてきた。ゆっくり円を描きながら徐々に上昇していく姿にびっくり。しばらく立ち止まって見ていた。「今は春か!」一瞬季節感がなくなった。しかし、周りは麦畑ではなく稲の切り株が残る田んぼ、そして収穫間近の大豆畑。「あぁ、やっぱり秋だ。」この頃はこんな錯覚がよくある。気象概要によると、季節はずれの黄砂の飛来があったという。今朝も縁側のカーテンを開けると、庭にピンクの朝顔が1輪咲いている。今年のこぼれ種から芽を出し、可憐な花を咲かせていた。
 そういえば、9月中旬に咲くヒガンバナが10月上旬にも咲いた。毎年10月中旬に香しい香りを放つキンモクセイが今年は11月に花を咲かせた。2、3年前からこんな状況に驚いてはいた。来年は元に戻るだろうと希望的観測で自分を納得させていた。しかし、温暖化は加速しているようだ。
 9月、中国の西北部の乾燥地帯を旅した。「30年前までは外に出るとき雨傘など持ったことがなかったのに、最近は傘をさして歩くことがある」と現地の人が言っていた。米国ではハリケーンが猛威を振るった。日本では、局地的豪雨、大型台風の襲来。あちこちから地球の悲鳴が聞こえてくる。こうも異変が続くと将来への不安が募る。
 私たちは今のような生活を続けていて良いのだろうか。


熊日新聞「読者の広場」 平成17年10月15日

                    「利用しやすい公共交通機関」

 9月下旬、中国の新疆(きょう)ウイグル自治区の首府ウルムチへ行き、1週間滞在した。毎日、路線バスを使って市内を探訪した。
 バス停には、路線名を表した番号と停留所が地図に記してある。自分が行きたい場所は何番のバスに乗れば良いか一目瞭然(りょうぜん)。バスは本数が多く、数分待てば来る。乗車賃は一律1元(日本円13円)。前の乗車口の運賃箱に1元投入する。
 定期券は磁気カードらしい。乗車口にあるセンサーにカードを入れたバッグごと当てれば感知して「ブー」と鳴る。運転手はその音で確認している。高齢者は高齢者用をセンサーに当てる。「老人牌(ラオレン パイ)」という声が聞こえる。降車は後のドアーから。実に簡単な仕組みだ。
 乗車すると、必ず誰かが席を譲ってくれる。初めは「おれはそんなに老けて見えるのかな」と思った。よくよく観察していると、乗車してきた人や立っている人が自分より年上と思うと「どうぞ」と笑顔で席を譲ってくれる。若者はほとんど席を譲る。特にウイグル系の人は席を譲っていた。日本では、お年寄りなどに席を譲る人が少ないのでわざわざ「善意の席」を設けている。大きな違いだ。
 熊本の公共機関は、運行経路や乗車賃の仕組みが複雑だ。ついついマイカー利用になってしまう。これから高齢社会となる。利用者の立場に立った利用しやすい公共交通機関の在り方を是非検討して欲しい。