人権尊重の視点に立って考え行動できる社会の実現のために
平成10年11月
嘉島町行政職員同和問題研修会

1 はじめに
 ただ今、ご紹介いただきました中川でございます。私は、昭和55年から昭和61年までの7年間、嘉島西小学校に勤務していました。その間、私が同和教育主任をしていましたころ、役場の各課長、教育委員会事務局職員、学校職員とでティームを組んで小組合単位の同和問題懇談会に出席していたことを思い出します。
 昭和63年から社会教育主事として、教育事務所及び県社会教育課に勤務し、社会教育、同和教育、生涯学習の推進に携わってきました。この間、数多くの方と交流することができ、たくさんのことを学ぶことができました。
 上益城郡内で推進教員をしていたある先生から、「同和教育は頭ではなく、魂で考えること」を学びました。知識としての同和教育ではなく、自分の生き方としての同和教育であらねばならないことを学びました。
 同和問題研修会では、同和地区のある人から次のような訴えを聞きました。
  私は地区出身です。
  私のどこが皆さんと違いますか。
  違うという人がいたらどこが違うか教えてください。
  皆さんと違うのは、生まれた場所が部落ということだけです。
  皆さんと同じように明るく生きたい。
  皆さんと同じように恋もしたい。結婚もしたい。
  皆さんと同じように幸せな家庭もつくりたい。
 私たちはこのような願いをどれだけ知ろうとしているでしょうか。人ごととしてながめてはいないでしょうか。人権問題、とりわけ同和問題を自分のこととして受け止めていきたいと私は思っています。

2 「星影のワルツ」が訴えるもの
 さて、皆さん、千昌夫さんが歌って大ヒットした「星影のワルツ」は、よく知っていらっしゃるでしょう。今から、私が歌詞を読みますので聴いてください。
一 別れることはつらいけど
  仕方がないんだ君のため
  別れに星影のワルツを歌おう
  冷たい心じゃないんだよ
  冷たい心じゃないんだよ
  今でも好きだ死ぬほどに
二 一緒になれる幸せを
  二人で夢見たほほえんだ
  別れに星影のワルツを歌おう
  あんなに愛した仲なのに
  あんなに愛した仲なのに
  涙がにじむ夜の窓
三 さよならなんてどうしても
  言えないだろう泣くだろう
  別れに星影のワルツを歌おう
  遠くで祈ろう幸せを  
  遠くで祈ろう幸せを 
  今夜も星が降るようだ
 私は、この歌が大好きでよく二次会でよく歌っていました。しかし、同和問題研修会で、この詩の背景にあるものを学習して以来、歌えなくなりました。
 それは、この詩は、同和地区出身の人が周りの反対にあって自分が一番好きな人、結婚しようと心に決めた人と別れねばならなくなった心情を歌ったものと知ったからです。
 もう一度歌詞を思い出してください。「あんなに愛した仲なのに」、「今でも好きだ死ぬほどに」、「一緒になれる幸せを、二人で夢見たほほえんだ」、「遠くで祈ろう幸せを」この言葉一つ一つを読んでいると、愛する人と別れねばならない作者の無念さ、部落差別に対する憤りが伝わってきます。
 この歌を歌う時の千昌夫さんは、真剣に歌っています。部落差別の不当性、部落差別を無くそうと訴えながら歌っているように思えてなりません。このことを思うとき、「この歌は酔っぱらって歌う歌ではない」と二次会、三次会で歌えなくなりました。

3 「人権教育のための国連10年」県行動計画から
 同和問題の解決を枢要な柱とした人権教育のための国連10年熊本県行動計画をもとに部落差別をはじめとしたあらゆる差別について考えてみようと思います。
 平成6年12月の第49回国連総会において、平成7年から平成16年までの10年間を「人権教育のための国連10年」とすることが決議されました。我が国では、内閣総理大臣を本部長とする人権教育のための国連10年推進本部において、平成9年7月に人権教育のための国連10年に関する国内行動計画がとりまとめられました。
 本県では、平成9年10月に「県人権教育のための国連10年推進本部」が設置され、本年1月「人権教育のための国連10年行動計画」が策定されました。
 もうすでに目を通しておられることと思いますが、再度あたため直してください。
(1)目標
@県では、差別や偏見をなくし、県民一人一人が、日常生活の中のあらゆることに対して、人権尊重の視点に立って考え、行動できるような社会の実現を目指します。このため、次の視点から人権教育を推進します。
・正しい知識の習得に努め、誤った世間体や偏見、家意識、因習、習俗等にとらわれることなく、 科学的に判断する力を養います。
 ここで、私がいくつか質問しますので、お一人お一人胸の内で「はい」「いいえ」で答えてみてください。
 ア 電話が長い。
 イ 風呂が長い。
 ウ おしゃべりが好き。
 エ 甘いものが好き。
 オ 数学が苦手。
 「はい」がいくつありましたでしょうか。この質問は、世間一般に女性の特性とされています。しかし、これは女性だけではなく、男性にも当てはまりますね。これを女性の特性とすることは女性に対する偏見にもつながりかねません。私たちの周りには同じような偏見はないでしょうか。しっかりと自分の目で真実を確かめることが大切です。
 次の○○に当てはまる漢字2文字を考えてください。すべて同じ言葉です。
  あの人は○○知らずだ。   
  あの人は○○ずれしている。
  ○○の風は冷たい。 
  渡る○○に鬼はいない。
 すでにお分かりのように○○の中には「世間」という言葉が入ります。よく見てみると「世間」という言葉は相反する内容をもつ実に曖昧な言葉です。ところが日常生活では大きな影響力を持っています。このような曖昧なものに振り回されることなく、自分の意見をしっかりもって生きていくことこそ大切ではないでしょうか。
 ここに、「迷信と差別」という学習をした小学4年生の作文があります。少し長いですが、読みますので聴いてください。
「迷信と差別を学習して」
 「コロッケあげようか。」と夕食の時、お姉ちゃんが言いました。私が「うん、ちょうだい。」と言うと、お姉ちゃんが、箸でコロッケをつかんで、私にわたそうとしました。私はお姉ちゃんが持っていたコロッケを箸でつかもうとしました。すると、お母さんから「やめなさい」と大きな声で言われました。私は怒られたと思って、箸を引っ込めました。でも、何故怒られたのかわからないので、「どうして?」と聞くと、お母さんは「箸と箸でものをわたすと、縁起が悪いのよ。」と言いました。私は何故そんなことを言うのか不思議に思いました。
 私たち4年生は、2学期に「迷信と差別」を学習しました。最初に、家の人にどんな迷信や言い伝えがあるかの聞き取りをしました。
 夜、テレビを見ていたお祖父ちゃんに「おじいちゃん、迷信て知っとるね?」と聞くと、おじいちゃんは「何でそぎゃんことば聞くとかい?」と言いました。私は「学校の勉強で、迷信ば習いよるけん、調べよるとたい。」と言いました。お祖父ちゃんはちょっとだけ考えて、「しゃもじばなめると結婚が遅くなるとか言うなぁ。」と言いました。「ほかになかとね。」と聞くと、「茶柱が立つと縁起がよかという迷信もあるね。」と全部で10個くらい教えてくれました。私が知っているものもありましたが、知らないこともたくさんありました。お祖父ちゃんはよく知っているなぁと思いました。
 次の日、学校でみんなが家の人から聞き取った迷信や言い伝えを出し合いました。黒板に書いていくと、全部で20個ありました。 先生が「それでは、これらの迷信や言い伝えが本当に正しいかどうかを、実験して調べることにしましょう。」とおっしゃいました。
 私は、そんなことして大丈夫だろうかと思いましたが、いろいろな迷信の中から、「夕焼けならば次の日は晴れる」と、お母さんから言われた「箸と箸で食べ物をつかむと縁起が悪い」を調べることにしました。
 先週の金曜日、部活動の帰りに、西の空がきれいな夕焼けでした。次の日、朝早く起きてみると、とてもいい天気でした。だから「夕焼けならば、次の日は晴れる」は本当だなと思いました。
 また、「箸と箸で食べ物をつかむと縁起が悪い」も実験してみることにしました。給食時間に、○○さんとカリントウを箸で渡してみました。その日は何も悪いことはおきませんでした。
 みんなが実験したことを報告しながら、迷信と差別について考えました。実験などして調べてみると、正しくなかったという迷信や言い伝えがたくさんありました。それから先生の話を聞いて分かったこともたくさんありました。
 たとえば、「夜、口笛をふくと蛇がでる」は、昔の家は、透き間があいていたので夜口笛などが聞こえると近所迷惑なので、蛇が出るなどと言って子どもをしつけていたのだそうです。こんなふうに、子どもの躾のためにいわれていた迷信もありました。しかし、子どもの躾とはいっても間違ったことが伝えられてきたことは、1学期に勉強した「部落差別の始まり」と似ているところがあるように思います。それは迷信も部落差別も昔からずっと私たちの時代まで、伝わってきていることです。また、迷信は正しくないことが多いし、部落差別も殿様がつくった間違った考え方だし、どちらも間違った考え方が今まで伝えられていることです。だから、私たちはそれが正しいことなのか、正しくないことなのかを判断していくことが部落差別を無くしていくことになるのだと思います。
 私はこの小学生の作文から、物事を正しく知ることの大切さを教えられました。
 昨年のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」を視聴された方も多いことでしょう。
 私の慶喜観は「江戸幕府をつぶした最後の将軍は、力のなか人だったつばい」でしたが、これがとんでもない間違いだったことに気付きました。司馬遼太郎の「最後の将軍」によれば、ペリーが浦賀に来た年、嘉永6年(1853)以後は、朝廷が国政上の拒否権を持ち、2元統治の状態となり、幕府は外交上のことは何一つ決めることができない状態であったこと。このことをイギリスなど列強諸国が解釈していることを理解できた慶喜は、自ら将軍職は望んでいなかったと記しています。「慶喜はおそるべき将軍とされた。いかなる大名や公家が慶喜のもとにやってきても、議論で慶喜に勝ちうる者はなかった。慶喜が諸侯の会議をひらいても、在来のような飾り物の将軍ではなく、この征夷大将軍みずからが座長になり、議事提案者になり、その説明者になり、さらに反対派を粉砕する最強の論客になった。」とあります。土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、伊予宇和島の伊達宗城ら、当時賢公と呼ばれた人たち、特に、薩摩の島津久光公は、いろんな場面で、慶喜から論破されています。慶喜の将軍職在任期間はわずか1年あまりでしたが、この間に慶喜が諸侯と話をしたり、決裁したことはこれまでの14人のどの将軍より多かったともあります。
 山岡壮八の「徳川慶喜」では、イギリスの後押しで慶喜に迫る薩摩藩に対して、「洋式訓練をすすめて兵力を蓄えた幕府軍が、薩摩討伐に転じるならいつでもフランスは加勢をする」というフランス公使ロッシュの言葉に「外国列強を巻き込んだ内乱になれば、日本も他のアジア諸国と同じように外国の植民地となる」として耳も貸さなかったと表現しています。
 山岡鉄舟や勝海舟をして江戸城を無血開城させた後は、上野で、水戸で、ただひたすら朝廷への恭順の意を示し、日本の国に内乱を起こさせてはならないとの慶喜の思いを、読むとき、歴史学習での慶喜観との違いを思い知らされました。
 自分で学ぶことの大事さに気付きました。と同時に、一面からの見方だけではなく、他方からも見る姿勢が肝要であることに気付きました。
 日常生活の問題をどちらの側から見ているかが、問われてきます。差別落書きとか差別発言について、「落書きは消したら消えてなくなるでしょうが」「発言は痛くもかゆくもないでしょうが」などと言う人がいます。しかし、同和地区の人々は、自分の被差別体験が蘇ってきて腹が立ってたまらない、孫や子どもの将来がどうなるか心配でたまらないのです。自分がどこに立ってものを見るか、考えるかがとても大切であると思います。
 他にもいくつかの例があります。例えば餅つきです。
 最近の餅つきは、ほとんどが餅つき器での餅つきのようです。私の家では今でも臼と杵で餅つきをしています。「29日の餅つきは、苦をつきこむから1年中苦しい目に遭う。やめた方がよか」と私の近所では言っていました。福岡県の粕屋町では、29日に餅つきをするそうです。それは、フクをつきこむという事からだそうです。所によって、このように違うのはおかしな事です。
 今、椿の花が盛りです。椿の花は首からポロッと落ちるけん、縁起の悪か。屋敷には植えんがよか」という人がいます。他の花と違い、椿は花びらが落ちるのではなく、花全体が落ちます。何故、首からポロッと落ちるかを考えてみたら良いいでしょう。
 ヤブ椿は花びらが5枚の一重の筒咲きの花で、雄しべと癒合して、蜜をたくさん蓄えています。その蜜を吸いにめじろなどがきます。めじろなどの動きで椿は受粉し、雄しべと花びらはその役目を終えて落花します。この落花がポロッと首から落ちているようだと形容して、人の首が落ちるのと重ね合わせて縁起が悪いといったものであろうと思います。
 東京都大島町には、農家の防風林、街路樹までが椿を植えてあり、自生種も含めて約300万本にものぼると言われているそうです。椿は花も実もあるありがたい植物で、大島とは切っても切れない間柄であるとは日本椿協会伊豆大島支部副支部長宮脇四朗さんの話です。椿の実から椿油をとるため、雑木林を切り開き椿だけを残したものだという。「椿の花は首からポロッと落ちるけん、縁起の悪か。屋敷には植えんがよかばい」は、何の根拠もないものであり、おかしなことです。
 コンサートや相撲、演芸会では前の席に着席するのに、講演会ではどうして前に着席しないのでしょうか。1昨年、職員旅行で宝塚歌劇を見に行きました。私たちは2階席でした。1番前の席は、私たちが着席している席の数倍はする金額ですが、満席でした。
 私はプロレスが好きで、よく見に行きました。1万円くらいは出してリングサイドで見ていました。迫力が違います。野球でも同じですね。熊本に来るプロ野球の試合でも、ネット裏席か内野席で見ます。外野席は安い料金で見ることができるのに、わざわざ高い料金を出して、ネット裏か内野席で見ます。これは、それに関心があるからなんですね。関心がある物については、前に座りたい。高いお金を出しても前に座りたいと誰でも思います。後ろに座るのはあまり関心がない事の時のようです。同和問題学習会でも、本日のように前に座って聴きたいものです。
 身の回りの問題を自分のこととして考えたいものです。いろいろな価値観や考え方・行動・表現の仕方があることを認め、これを受け入れる意識や態度を養います。
 今、共生という言葉がよく使われますが、私は七滝小学校の子どもたちに次のような話をしました。
 「熊本城は日本の3大名城の一つといわれているお城です。城のどこがそんなにすばらしいかと言えば、それは石垣のつくりです。熊本城の石垣は形や大きさの違う石をたくさん組み合わせてできています。一つとして同じ形や大きさのものはないと言っても良いでしょう。石垣をよく観察してください。形や大きさが違う石がそれぞれにしっかりとスクラムを組んでいます。これまで何百年という長い間、あの美しくてすばらしい石垣を形作っているのです。この間、大きな地震も何回となくあったでしょう。台風や大雨もあったでしょう。でも、それらに負けず、がっちりとスクラム組んで今に至っています。私たち人間の世界も同じです。みんなそれぞれ名前、顔かたち、考え方などが違います。たとえよく似ていると言われても決して全く同じではないはずです。
 顔かたちが違うように、好きなものも違います。得意なものも違います。
 教室で勉強するとき、一人一人が分かるところ、分からないところが違うはずです。
 一人一人が違っていることの良さは、こういうところにあるのです。そして、この違いこそが一人一人の人間をかけがえのないものにしているのです。他人と違っていること、それはあなたがあなたであることの証です。自分と違うからといって人を攻撃するのは自分を捨てることです。この違いを互いに認めあい、みんなでスクラム組んで生活し、熊本城に負けないすばらしい小学校を作っていきましょう。」
 日常生活の中で、人権問題に出会ったとき、どうかえしていくかが今、問われています。特に行政職員の方、学校関係職員に問われている問題です。
 ある人が次のようなことを相談してきたときどうかえしていきますか。
 「私の娘が結婚しょごたるといいよる。今、身元ば調べよっとたい。」
 このとき、「そらぁ、おおごつな。」と相づちを打ちますか?
 「ちょっとまちなっせ。あぁたの考えは間違ごうてはおらんな。」とかえしますか?
 先日、私の学校で、老人会とのふれ合い給食会をするために老人会の役員の方との打合会を開きました。その席で、校長室に掲示している同和教育の視点を読まれたある役員の方が、「校長先生、私ぁ、差別はちっとんしとらん、差別はいかんて思います。ばってん、学校や公民館で同和教育ばしなはるけん、知らん者まで知ってしまいますもん。私ぁ同和教育はせん方が良かて思いますばってんどうですか。」と話されました。いわゆる「寝た子を起こすな」論です。この意見にどう返していくかです。
 よく考えてみると、人は一生寝てはいません。いつかは必ず起きます。その起きるときが、結婚話のときであり、就職の話のときであり、隣近所とのつきあいのときです。このようなときに同和問題を正しく理解して、これは過去の問題として意に介さずに生活できるかが問われるのです。そのために、一生私たちは学び続けることが大事です。これは、生涯学習の一つでもあります。
 老人会の役員の方にはこのような話をして、同じく校長室に掲示している江戸時代の儒学者、佐藤一斎の「若くして学べば即ち、荘にして成す有り。荘にして学べば即ち、老いて衰えず。老いて学べば即ち、死して朽ちず」も話しました。疑問に思ったことは、学習して解決していきましょうと話しました。
 本県行動計画の目標はさらに次のようなことを掲げています。
A行政、学校、企業、民間団体、家庭及び地域等それぞれが主体となり、互いに連携しながら、あらゆる場、あらゆる機会をとらえて人権教育を推進していきます。
B県職員をはじめ行政に携わる職員一人一人が、あらゆる分野において、常に人権尊重の視点に立った行政の推進を目指します。
 行政職員は、人権教育の指導者であり、啓発者であると思います。
(2)人権教育の具体的な推進の方向
 人権教育の具体的な推進の方向として次のようなことを掲げています。
@これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果や手法を生かし、すべての人の基本的人権を尊重するための人権教育、人権啓発として発展させます。
A個別課題ごとの視点と合わせて、県民一人一人の基本的人権の尊重といった共通の視点からの人権教育を推進します。
B感性豊かな、差別や偏見を許さない、創造性のある人間を育てるため、幼児期からの人権教育を行います。
C行政、学校、企業及び地域等における人権教育の指導者の育成を図ります。
D行政機関が相互に連携するとともに、マスコミ、企業、学校、関係団体等とも連携して人権教育を進めます。
(3)重要課題に対する取り組み
 私たちのくらしの中には、さまざまな差別があります。性差別、学歴・職業差別、年齢による差別、障害者差別、人種・民族差別、貧富による差別、部落差別などです。
 これらの根っこにあるものは何でしょう。私たちの心の奥にある誤ったものの見方・考え方です。これが差別意識として出てきます。それは、他を見下す、自分たちとは違うと考える、自分さえよければと思う、みんながしている、自分には関係ない、ねたみ意識などです。この差別意識が様々な差別として表れてきます。重要課題として掲げている問題について考えてみたいと思います。
@女性の人権について考えてみましょう。
 「ジェンダー」という言葉がありますが、これは、女性と男性の生物学的性差を認めた上で、誕生後の社会環境による性差を無くしていこうとの考えです。この女性差別がたくさんあることは私がここで言うまでもありません。
 小説家の落合恵子さんは、「女性の年齢を明らかにしないのは、女性に対する優しさから?」だろうかと疑問を投げかけています。
 女性の場合、生年月日や年齢を明らかにしないというのは、社会の一つの慣例であり、ある優しさから生まれたものかも知れない。しかし、女性が年齢を重ねることはマイナスなのだろうか。「女性は若いうちが華よ」という若さは、確かにすばらしいことではあるが、女性は若さだけが取り柄ではないはずだ。若さだけが取り柄なら、歳を重ねた女性はどこに張りを持って生きていくか。男性も女性も1年365日一生懸命生きている。それが、50才となり、60才となったのである。30歳代、40歳代、50歳代と年齢を伏せておいて、「きんさん」、「ぎんさん」の歳になるとすばらしいというのはどう見てもおかしなことだと言っています。
 戦前までの「家制度」のもとで培われてきた女性観は、「男は仕事、女は家事・育児」という固定的な役割分担意識を残してきました。共働き家庭が過半数を超えた現在、かなり役割分担意識はなくなってきていますが、まだまだ女性が過重な労働を余儀なくされている現状があるようです。
 潮谷副知事は、「政策決定の場への女性が参画に一歩踏み出したことはすばらしいことだ。」「女性登用という枕詞がつかない時代がくればいいと思う。」「福祉、人権、女性のまなざしで政策を眺めていきたい。」などと抱負を述べておられます。氏が紹介された知人の歌「民間の女性副知事生まるれば肥後に新たな世紀きたる」のように女性の政策決定の場への参画が多くなることを期待しています。
A子どもの人権について
 今、学校ではいじめや不登校による子どもの人権侵害、家庭においては乳幼児の虐待等人権侵害の問題があります。
 あってはならないことですが、2月20日の熊日新聞に、鹿本郡内の中学校で、知的障害を持つ子供の修学旅行に関する記事がありました。旅行には行かないと教師が強制的に子供に書かせることなどあってはならないことです。このようなことが起きれば、子供にとっても、保護者にとっても、学校にとっても不幸なことです。
 ある会議の場で出席者の一人が「知恵遅れ」という言葉を発せられました。この言葉を聞いて、出席者の中から強い抗議がありました。この言葉は差別語です。「知的障害」というべきです。
 また、ある町のある小学校では、体罰事件がありました。教育熱心という声もあったとか新聞記事にはありましたが、子どもを蹴るなどという行為は指導ではありません。子どもの人権侵害そのものです。
 子どもの教育については、いろいろとお話ししたいことはたくさんありますが本日は、同和問題研修会ですので、学校教育のことは次の機会にゆずりたいと思います。
B高齢者の人権
 高齢者の人権を高齢者差別のことから考えてみたいと思います。
 「じいちゃん、ばあちゃんなきたなかて思うとったつが、恥ずかしか」は、県社会教育課で高校生を対象とした「ボランティア養成講座」に参加した高校生の言葉です。
 ある年の参加者の中で「おれは、年寄りはすかん。しわだらけで臭かもん」と言っていた高校生が、特別養護老人ホームでのボランティアの実習に行きました。はじめは言葉通り、おばあちゃんとの会話もぎこちなく距離を置いて話していました。おばあちゃんから「ちょっと肩をもんでくれんね」と言われ、仕方なくまさにおずおずと肩をもんでいました。会話の中で「私にも、ちょうどあなたくらいの孫がおるとたい。ばってん、あんまり来てくれん。寂しかったつたい。今日はありがとう」と言って、肩をもんでいる高校生の手に自分の手を添えられました。一瞬、手を引こうとしたその高校生は、そのまま、肩もみを続けていました。集合時刻になっても、その高校生はなかなか帰ってきません。見に行ってみると、それこそ、二人で抱き合わんばかりにして、話し込んでいました。その高校生の実習後の言葉です。
 「じいちゃん、ばあちゃんなきたなかて思うとったつが、恥ずかしか。外見での判断が間違いであったことに気付きました。」
 また、ある高校生の作文です。
 私は少しためらいつつ、声を出されないシズさんの顔を見ながら、「シズさん。」と声をかけた。するとシズさんは、手をゆっくりと差し出され、そして顔を私の方にゆっくりと向け直すと、じっと私の目を見つめられた。私はあわててその手を握り、「はい、きょうはお風呂の日ですけん、さっぱりしまっしょうね。」と言った。すると、シズさんは穏やかな笑顔になった。
 私はうれしかった。話しかけても返事のないシズさんの介護をするのに不安と緊張でいっぱいだった。(この人は何と話しかけても反応がない)と、決めてかかっていたのだ。でも、反応は常にあったのだ。私がそれを読みとろうとしなかっただけであった。相手の立場に立つことの大切さを、シズさんの穏やかな笑顔から学ぶことができた。
 人は老いを避けられない。私も高齢者になるときが必ず来る。そのためにも福祉に対する理解を深めなければならない。高齢者も障害者も人権が尊重され、明るく充実した人生を送れるような社会づくりをしなければならない。(後略)
 この作文を書いた生徒も、施設実習をはじめ、様々な社会福祉活動を体験する中で、高齢者をはじめすべての人の人権が尊重される社会づくりの重要性に気づきました。
 今の日本の礎を築いてこられた高齢者を尊重する精神を、家庭でも、地域でも、学校でも、もっともっと醸成して行かねばならないと思います。
C障害者の人権
 今、自身が障害を持つ乙武洋匡という方が書いた「五体不満足」という本がベストセラーだそうです。この本を読んでの鹿児島県の高校1年生の感想が朝日新聞の声の欄にありました。
 「障害を持っている人を見て、私たちはかわいそうと思う。これは、障害を持っている人を哀れんでいることだ。障害を持っている人の障害を一つの特徴としてとらえ、みんなで共生していきたい。作者は、障害を持つと生活に不便は感じるが、不幸とは思わないといっている。みんなで違いを認めあい、それを乗り越えて生きていきたい。」このような内容でした。
 乙武さんは、こう言っています。街で子ども連れが私に出会うと、子どもは「どうしてあの人には手と足がないの。」と母親にたずねる。母親は私に申し訳なさそうに会釈して、子どもを叱るようにその場を立ち去る。母親としては、それが私への優しさかもしれないが、私は私のこと、つまり障害者の理解者を一人失ってしまうこととなる。誠に残念なことであると。
 障害をみて見ぬ振りをするのが優しさなのか、その障害を理解して共に生きるのが優しさなのかを考える必要があります。
D人権問題の中でも、もっとも厳しい問題が同和問題です。
 部落差別で、もっとも厳しいものの一つが結婚差別であり、就職差別です。
 同和地区の出身であることにより、交際を拒まれたり、結婚を祝福されない等の差別は、残念ながら今なお厳存しています。
 娘の結婚に反対していたある母親の手記があります。聴いてください。

 私の孫は5歳で、かわいい盛りです。今、この孫と一緒に遊ぶことが生きがいなのですが、これまでの私の行いを考えると、心の中でいつも孫にすまないと思っています。
 私の娘は、同和地区の青年と結婚しました。今思えば、世間体に縛られて自分を見失っていたのでしょうか。私ども夫婦はとにかく反対でした。結婚式にも出席しませんでしたし、その後の行き来もありませんでした。娘のことが気になって仕方なかったのですが、どうしても許せませんでした。そんなとき、娘から男の子が産まれたという便りとともに、目元が夫にそっくりの孫の写真が届きました。私ども夫婦が、行こうか行くまいかためらいながら、重い足取りで娘のもとを訪ねたのは、孫の満一歳の誕生日でした。
 無邪気で屈託のない笑顔、危なっかしいが、しっかりと大地を踏みしめて立つたその姿を見たとき、思わず涙がこぼれてしまいました。私は、いつしか孫をしっかり抱きしめていました。
 その後、娘夫婦とも行き来をするようになり、同和問題について、娘婿から何度も話を聞きました。また、研修会にも進んで参加するようになりました。そして、同和問題を避けてきた私どもの言動が、どれほど娘たち夫婦や地区の方々を苦しめていたかが分かりました。娘の結婚を通して、人としての在り方を考えることができ、今では、本当にありがたいと思っています。
 孫も来年は小学生。優しく、強い子に育って欲しいと願っています。

 近年、行政による同和教育が推進されるにつれ、同和問題に対する理解も深まり、差別の壁が解消されてきています。しかし、何度も述べましたように部落差別をはじめいろんな差別が厳存しているのも事実です。どうか、行政に携わる皆さんが人権問題を主体的に受け止め、人権尊重の視点から行政施策を展開して欲しいと思います。今後の教育啓発に力を注いで欲しいと思います。
 次の詩を一緒に読んでください。
人の値打ち
  何時かもんぺをはいてバスに乗ったら
  隣座席の人は私をおばさんと呼んだ
  戦争中よくはいたこの活動的なものを 
  どうやらこの人は年寄りの着物と思っているらしい
  よそ行きの着物に羽織を着て汽車に乗ったら 
  人は私を奥さんと呼んだ
  どうやら人の値打ちは着物で決まるらしい
  講演がある
  何々大学の先生だといえば内容が悪くとも 
  人は耳をすませて聴き良かったという
  どうやら人の値打ちは肩書きで決まるらしい
  名もない人の講演には人はそわそわと帰りを急ぐ
  どうやら人の値打ちは学歴で決まるらしい
  立派な家の娘さんが部落にお嫁に来る 
  でも産まれた子どもはやっぱり部落の子だと言われる
  どうやら人の値打ちは生まれたところによって決まるらしい
  人はいつこのあやまちに気付くであろうか
 作者は私たちの考えのおかしさを痛烈に指弾しています。
 行動計画では、以下のことも取り組みの重要課題として挙げていますが、本日は時間の都合で項目を列記するだけにさせてください。
Eアイヌの人々の人権
F外国人の人権
GHIV感染者・ハンセン病患者等の人権
H刑を終えて出所した人等の人権
I犯罪等の被害者の人権

4 おわりに
 昭和40年8月に出された同和対策審議会答申をうけて、同和対策事業特別措置法をはじめ、地域改善対策特別措置法等により、各種の対策事業が展開されてきました。その結果、実体的差別のある程度の改善はみたものの、まだ、依然として心理的差別は解消されていません。
 私たち一人一人が行政職員の一人として、人権感覚をシャープにして、住民一人一人に人権尊重の精神が根付き、すべての人々の基本的人権が保障され、差別のない明るい社会の実現に努めたいものです。
 おわりに、そのような観点からいくつかお願いを申し上げます。
 同和対策審議会答申には次のように述べられています。
 「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、その早急な解決こそ国(行政)の責務であり、同時に国民的課題である。」
「同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。」
 互いに助け合い、人権を尊重するのが当たり前になる社会、自分を大切にする心からはじめて、他人も大切にする社会を築き、人権文化の花を咲かせましょう。
 21世紀は人権の世紀といわれています。しかし、ただじっと待っていても人権の世紀は来ません。私たちの努力で21世紀を人権の世紀としましょう。そのために、人権感覚をシャープにする必要があります。身の回りには、部落差別を始めさまざまな差別があります。これを氷山に例えるなら、海面上に現れている氷山は、差別の一現象です。海面の下に「差別意識」、「予断」、「偏見」などの「人権意識の希薄さ」が隠れています。「この人権意識の薄さ」の氷の塊を溶かす努力、周りの海水の音度を上げる学習、人としての生き方、在り方を常に追い求めていきましょう。
 すべての人が自分のふるさとを胸張って語ることができる社会にしていきましょう。
 詩「ふるさと」を一緒に読んでください。

      ふるさと 
                 丸岡忠雄
    ふるさとをかくすことを
    父は獣のような鋭さで覚えた
    ふるさとをあばかれ縊死した友がいた
    ふるさとを告白し許嫁に去られた友がいた
    吾子よ
    お前には胸はってふるさとを名のらせたい
    瞳をあげ何のためらいもなく
    「これが私のふるさとです」と名のらせたい

 ふるさとは私たちの魂の源であり、心の成長の歴史でもあり、心にぬくもりを持たせてくれる命の泉です。そのふるさとを隠すことによって自分の命を守らねばならない父親の苦悩、ふるさとを暴かれ縊死した友がいた、ふるさとを告白し許嫁に去られた友がいた、これほどつらく悲しいことがあって良いでしょうか。我が子には胸張ってふるさとを名のらせたいという悲痛な父の叫びが1日も早く現実のものとなり、すべての人が住みやすいと実感できるまちづくりが進められることを願って話を終わります。
 長時間のご静聴ありがとうございました。