人権感覚のアンテナを張りましょう
平成22年7月4日
甲佐町立白旗小学校


 みなさん、こんにちは。中川でございます。よろしくお願いします。
 ただいま、「中川ありとし」さんと紹介していただきました。
 私がある学校に赴任したとき、校長室に「中川ですよろしくお願いします」とごあいさつに行きました。校長先生は私の顔を見ながら「あたはほんなこて中川先生な?うわぁー私ぁ女の先生と思って『今度、女の先生が来る』って紹介しとったつに。男の先生な」とおっしゃいました。校長先生は「ゆうき」または「ゆき」と読まれて女性と思われたのだと思います。
 67歳のほやほやですが、今でも小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付け加えると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有は保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けたと父の思いを聴きました。私はこんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を尊敬し、敬愛しています。
 みなさんもお子さんにそれぞれの思いを込めて名前をつけられたと思います。その思いをお子さんに語って下さい。2年生くらいまでの小さいお子さんは、膝に抱っこして目を見つめお子さん誕生の時の感動を思い出しながら名前に込めた親の思いを語って下さい。高学年のお子さんは手を取って目を見つめて節目節目に語って下さい。それによってお子さんは自分の名前に誇りを持つと思います。名前に誇りを持つことが自分自身に誇りを持つようになります。これが自尊感情の醸成につながります。
 私は、上級生などから、「おっ、アリの来よる。アリは踏みつぶそう」と足で踏みつぶす仕草をしてからかわれることがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。有紀」と体当たりでぶつかっていきました。
 先生方にお願いです。学級の中で名前のことでからかわれたり、意地悪されたりして悔しい思い、悲しい思いをしている子がいるかもしれません。そんなとき、みんなの前でその子の名前に込めた親御さんの思いを語って下さい。名前に込められた親御さんの思いを知ったら、からかったり意地悪したりすることの愚かさにきっと気づくと思います。
 皆さんにお尋ねします。手を挙げなくても結構ですが心の中で手を挙げてください。
 「女のくせになんだ」といわれた人はいませんか?
 「女は入れてあげない」と遊びにかててもらえなかった人はいませんか?
 「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などと言われたことはありませんか? あなたがこうしたことを言ったことはありませんか?
 「子どものくせにだまっていなさい」と言われたことはありませんか?
 あなたがおじいさんやおばあさんに「としよりのくせに」と言ったことはありませんか?
 体の不自由な人をからかったり、笑ったりしたことはありませんか?
 同和地区に生まれた人たちの悪口を言ったり差別の目を向けている人はいませんか?
 みなさん、あてはまることはありませんでしたか?
 私にはあてはまることがたくさんあります。その一つ一つを取り除く努力をしています。
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。
 差別とは、命と人権が傷付けられることです。差別とは、自分の力ではどうすることもできないことで不利益を被ることです。
 人をばかにしたり、仲間はずしをしたり、いじめることは差別です。
 本日は、人権問題についてみなさんと一緒に考えてみたいと思います。
 先ほど「素晴らしい名前をつけてくれた父に感謝し、敬愛しています」と言いました。その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 もう40年以上も前のことですが、私が結婚を意識し始めた頃のことです。私が結婚しようと思っていた女性、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。いわゆる身元調査です。
 当時は、私は何故身元調査をするのかを知りませんでしたが、私は連れ合いと私の人権を侵された思いで、「この女性と結婚すると決めたおるば信用できんとな」と強く抗議しました。父は何も言いませんでしたが、下を向いたままのその姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 同和問題とは、部落差別に関わる問題です。それは、封建時代の政治や経済の仕組みの中でつくりあげられた身分制度に基づく差別に由来するものです。現代においても同和地区と呼ばれる地域に生まれ育ったというだけで基本的人権を侵され、結婚の自由、職業選択の自由、居住や移転の自由、教育の機会均等などの権利が完全に保障されていないという重大な社会問題です。人は自分の意志で親や生まれる所を選ぶことはできません。にもかかわらず、同和地区出身というだけで、様々な差別を受け基本的人権が侵害されている現実、これが同和問題です。
 私が社会教育主事の頃、社会同和教育研究集会で基調提案をしていました。「同和教育」とか「同和地区」などの言葉を使っていました。基調提案を終えるとある方が、「中川さん、あたが行政職員として「同和教育」とか「同和地区」とか言うのは当然のことだろう。ばってん、あたが「同和地区」「同和教育」と言うたびに私ぁ大きな鉄槌で頭を殴られたような思いがしました。こんな思いばせんでよかごつ、1日も早う部落差別がなくなるごつしてはいよ」と言われました。
 自分の責任以外のこと、生まれた所によって差別を受ける部落差別はあってはならないことです。部落差別を始めあらゆる差別をなくすことは、すべての人の願いです。
 私たちの周りには、様々な人権課題があります。人権とは、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障される権利です。私たちの権利が守られるためにも、互いの人権を尊重するためにも、さまざまな人権問題について、関心を持ち、学び、理解を深めることが必要です。
 人権課題には、女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障がい者の人権などいろいろな人権課題があります。中でも熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題が大きな人権課題です。人権問題は、差別される側の問題ではなく差別する側の問題です。
 本日は、同和問題について考えたいと思います。
 熊本県が平成16年に実施した県民意識調査のデータがあります。


同和問題に関し、どのような問題が起きていると思いますか              
  @結婚問題で周囲が反対すること               54.4%
  A身元調査をすること                       41.8%
  B就職・職場で不利な扱いをすること             29.8%


 と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。


子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうしますか(結婚問題に対する親の態度)       
  @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない    62.5%
  A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない  30.0%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない            4.1%
  C絶対に結婚を認めない                          3.4%

 6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これは、これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、親として反対するが子どもの意志が強ければしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、家族や親戚の反対があれば結婚を認めないが4、1%、絶対に認めないが3、4%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
 同和地区の人と結婚しようとするとき何故、周りは反対するのでしょうか?
 「同和地区出身者と結婚したら地区出身者と見なされ、差別を受ける不幸に見舞われる。そうはさせたくない」という我が子への親の愛情が結婚差別となって表現されるのです。おそらく私の父もこの考えから連れ合いのことを調べたのだろうと思います。これは、明らかに部落差別です。ですから、甲佐町では早くから「身元調査お断り」運動、身元調査はしない、させない、答えないの運動を展開しています。
 さらに、「同和地区の人と親戚になると、自分たちまで地区出身者と見なされる。結婚する当事者はそれでよいかもしれないが、私たちの子どもへの影響も考えてもらいたい」という思いとなるのです。これまでの結婚差別事件で、「相手を差別するつもりなど全くなかった」との発言からも分かるように、同和地区出身者を積極的に差別する意図がないなかで深刻な結婚差別の現実がつくりだされているのです。
 「相手を差別するつもりなど全くない。でも同和地区出身者との結婚は反対」というこの思いはどこから来るのでしょうか?
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージを払拭することが求められているのです。


同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうしますか(本人の態度)
  @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する   54.5%
  A自分の意志を貫いて結婚する                      26.7%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚しない               15.2%
  C絶対に結婚しない                               3.6%

 5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
 学校で同和教育が始まって、40年以上も経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 これまで人権教育、人権啓発が本日の様なPTA研修会、あるいは行政による研修会が行われてきました。にもかかわらず、人権問題が今もなお残っています。このことについて考えてみたいと思います。
 ワークシートをお配りしています。
 女性の絵を見て下さい。

 二人の女性の顔が見えますか?
 一人は高齢の女性、もう一人は若い女性です。
 お年寄りの女性に見える方?(かなり挙手)
 若い女性に見える方?(かなり挙手)
 どうしてもお年寄りの女性が見えない方?(数名挙手)
 どうしても若い女性に見えない方?(数名挙手)
 一人しか見えない人は、二人見えるという人に教えてもらってください。

 この絵を見てみなさんに考えて欲しいことは、一つの事柄は、裏表の2面がありますが、片一方を注目すればもう一方が見えにくくなることがあるということです。物事には、見える領域があれば見えない領域もあります。
 同和問題も同じで、「差別は社会問題だ!」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになりますし、反対のことも生じます。同和問題の解決は社会問題であると同時に個人の問題でもあるのです。
 次に魚の絵を描いてみましょう。
 実際に描いて欲しいのですが時間の都合で、イメージするだけにします。みなさんに描いてもらいたいところですが、本日は私がここに描きますね。(左向きの魚を描く)
 お尋ねします。
 私がここに描きましたように左向きの魚を描かれた方、手を挙げてみて下さい。(ほとんど全員)
 右向きの魚を描かれた方、手を挙げてください。(2人)
 右向きの方はお二人ですか?
 私は皆さんに、「魚の絵をイメージして下さい」と言いました。「頭が左を向いている魚の絵をイメージしてください」とは言いませんでした。それなのに、左を向いている魚をイメージした方が圧倒的に多いです。どうしてでしょうか?
 魚の図鑑などで私たちが目にする魚の写真や絵はほとんどが左向きです。料理に出る魚も左向きです。つまり、私たちは毎日の生活の中で空気を吸うがごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。
 宮崎県は口蹄疫問題で揺れ動いています。牛を飼っている畜産農家の方々へ思いをはせると一日も早く終息宣言が出ることを願います。その牛の姿をを思い浮かべてください。お尋ねします。
 あか牛を思い浮かべた人?(2割程度)
 黒牛?(1割程度)
 白黒のホルスタイ?(大多数)
 阿蘇郡産山村で聞いたときは、全員があか牛でした。天草では、くろ牛が多く、熊本市周辺ではほぼ3分の1ずつでした。私は、白黒のホルスタインをイメージします。
 どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?
 私たちは小さい頃からよく見ていた牛の姿がすぐに思い浮かびます。魚の絵といい牛の色といい、私たちは子どものころから、空気を吸うように「○○は○○」と無意識のうちに身につけています。これを刷り込みといいます。
 魚の絵や牛の色に関することについては、「○○だ」との刷り込みがあったとしても社会問題とはなりません。人は「偏見」を持って生まれてくるわけではありませんが、この刷り込みが、思い込みとなり、社会的偏見となり社会意識となり、差別につながることがあるのです。
 それによって、苦しみ、悲しみ、怒り、憤り、心を痛めている人がいることを私たちは忘れてはならないと思います。後でも触れますがみんなが言うからとそのまま受け入れることではなく、「そうかな?」と立ち止まって考えてみることがとても大切であると思います。
 私は昨日ウズベキスタン旅行から帰ってきました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。ところがこの旅行に参加する前にいろいろありました。
 はからずも、マリカさんという日本語ガイドさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」 実は、私は知人から「危ない国には行かない方がよかバイ」と言われたのです。知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。問題ありませんという返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょうとのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を鵜呑みにして「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行も楽しんだということでした。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。
 ところで、みなさん、今日は何の日かご存じですか?
 「今日は授業参観と講演会がある。何の日か確認してから出かけよう」とカレンダーを見て来た方いらっしゃいますか?
 普段は、何の意識もしないのに何かの時、意識するのが六曜です。「結婚式は大安がよかばい」だとか「葬式は友引の日はいかんばい」などと言いますね。
 私の義母が亡くなったとき、葬儀社の方に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の方がノートをひろげて、「一般的に、今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないと言われています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは、六曜の考えは信じていませんので友引の日に葬儀を済ませました。どうってことありませんでした。
 この六曜とは、どんなことでしょうか。そして、どうやって今日は何の日と決めるのでしょうか。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。
 その時、旧暦の1月と7月の1日を先勝、2月と8月の1日を友引、3月と9月の1日を先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 実際に六曜をつくってみましょう。
 本日、7月4日は旧暦の5月23日です。旧暦の5月1日から六曜を入れてみましょう。5月1日は、大安でしたね。2日は、大安の次の赤口です。3日が先負です。そのようにして入れてみて下さい。ただ機械的に入れれば良いのです。
 どうですか?できましたか?
 旧暦の5月23日は、先負になったでしょう?
 ですから本日7月4日は、先負です。帰ってから暦で確かめてみて下さい。 
 このようにして定められた、「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と故高千穂正史さんは、その著書「愛語問答」で述べています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、カレンダーに六曜を入れない運動を進めている自治体もあります。一人ひとりの意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 思い込みや偏見をなくし、世間体にとらわれない生き方をするために、やものごとを、正しく学び、正しく理解し、判断し、相手の立場に立って行動しようではありませんか。
 数年前、熊本県人権子ども集会で高校生が次の様に訴ました。
 「あそこって元部落よね」という発言について、当人だけでなく他の親しい友達にも自分が差別と闘う生き方をしていることを話します。親しい友達は、「あなたがどうだと言うことは関係なか。私たちは友達よ」と言ったそうです。高校生は、「関係なかではない。あなたが部落差別をする側に立つのではなく差別をなくす側に立って欲しい。差別をなくす仲間になって欲しい」と、差別をなくす熱い思いを訴えました。
 「部落差別は関係なか」ではないのです。私たち一人ひとりに関係があります。
 踏まれた人の痛みは踏まれた人にしか分かりません。しかし、踏まれた人の痛みに近づくことはできます。私たちは踏まれた人の痛みに近づく努力をすることです。部落差別を始めあらゆる差別を他人事として受け止めるのではなく自分のこととして受け止め、みんなが幸せに暮らせる世の中になる努力を続けましょう。
 学校では、子ども達が人権感覚豊かな人に育つよう人権教育に力が注がれています。学校だけでなく家庭でもお子さんや周りの人が確かな人権感覚をはぐくみ、みんなが幸せを実感する社会づくりとして次のことに留意して欲しいと思います。
 冒頭、お子さんの名前に込めた親の思いを話すことで、自分の名前に誇りを持ち、自分自身を誇りに思い、それが自尊感情を育むと話しました。
 さらに、毎日の生活の中で自己存在感や自己有用感などを実感する機会を数多くつくり、自尊感情を育んでください。自尊感情とは自分自身を大切にする感情です。自分を大切にするということは他も大切にするということです。自他の人権を大切にする心豊かな子どもを育てていきましょう。 
 私は心を揺り動かされる体験を情動体験と言っています。お子さんたちにこの情動体験を数多く持たせて下さい。最も心が揺り動かされるのは家族の死、弟や妹の誕生です。ペットを飼ったり、草花の栽培を通しても命に触れることができます。情動体験を数多く持たせ、共感的に理解する心を育てましょう。
 そして、自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践力・行動力を身につけさせましょう。
 時間となりました。
 終わりに桑原律さんの「人権感覚って何ですか」をみんなで声に出して読みたいと思います。黙読して下さい。
 では、声に出して一緒に読みましょう。

 「人権感覚」って何ですか   桑原 律

「人権感覚」って何ですか
それは ケガをして
苦しんでいる人があれば
そのまますどおりしないで
「だいじょうぶですか」と
助け励ます心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 悲しみに
うち沈んでいる人があれば
見て見ぬふりをしないで
「いっしょに考えましょう」と
共に語らう心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 偏見と差別に
思い悩んでいる人があれば
わが事のように感じて
「そんなことは許せない」と
自ら進んで行動すること

「人権感覚」って何ですか
それは
すどおりしない心
見て見ぬふりをしない心
他者の苦悩をわが苦悩として
人権尊重のために行動する心のこと

 ありがとうございました。
 「人権感覚」って何ですか
 それは、すどおりしない心、見て見ぬふりをしない心、
 他者の苦悩をわが苦悩として人権尊重のために行動する心のこと
 このことを心にとめて毎日を送りましょう。
 ご静聴ありがとうございました。