私から創める!住みよい地域づくり
〜豊かな人権感覚がもたらすこころ豊かな生活〜
平成22年7月15日
球磨郡山江村山江農村環境改善センター

 みなさん、こんにちは。中川でございます。よろしくお願いします。
 人吉インターの出口で、ETC車レーンが閉鎖されていましたので一般車の出口に行きました。係の人が、「口蹄疫予防のマットを張り替えています。お急ぎのところ申し訳ありません。ETCカードを出してください」と言いました。もう数年ETCカードの出し入れをしたことがなかったので一瞬、どこに入れているのかが分からず戸惑いました。係の人から「ここではありませんか?」と教えていただきカードを取り出すことができました。しかし、時間にそんなにゆとりがありませんでしたので、「時間がないんだから早くして」と思っていました。そう思っていたからでしょう。ゲート出口で係の人が汗びっしょりかきながらマットの張り替えをしていたのに「ご苦労様です」と声をかけることができませんでした。声をかけていたら互いに気持ちよかっただろうにと悔やみました。
 私は人様に話をすることを通して、自分自身の人権感覚を培っています。そして、心の中にある差別心を一つでも二つでも取り除いていくよう努めています。
 これから、豊かな人権感覚を身につけることをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
 さきほど、「中川ありとし」さんと紹介していただきました。
 私がある学校に赴任したとき、校長室に「中川です。よろしくお願いします」とあいさつに行きました。校長先生は私の顔を見ながら「あたはほんなこて中川先生な?うわぁー私ぁ女の先生と思って『今度、女の先生が来る』って紹介しとったつに。男の先生な」とおっしゃいました。校長先生は「ゆうき」または「ゆき」と読まれて女性と思われたのだと思います。
 67歳のほやほやですが、今でも小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付け加えると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有は保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて名付けたと父の思いを聴きました。私はこんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を尊敬し、敬愛しています。
 みなさんもお子さんやお孫さんに親の思い、家族の思いを語って下さい。2年生くらいまでの小さいお子さんは、膝に抱っこして目を見つめお子さん誕生の時の感動を思い起こしながら名前に込めた親の思いを語って下さい。高学年のお子さんは手を取って目を見つめて、入学、進級、卒業などの節目節目に語って下さい。それによってお子さんは自分の名前に誇りを持つと思います。名前に誇りを持つことが自分自身に誇りを持つようになります。これが自尊感情の醸成につながります。
 今朝、熊日新聞を見て驚きました。サッカーの試合中に中学生が「水俣病、触るな」と差別発言をしたとあったからです。みなさんの中にもこの記事を目にして心を痛めている方もいらっしゃることでしょう。
 読んでみます。


 水俣市の中学生が6月上旬、県内の他市の中学校とのサッカーの練習試合中、相手側の生徒から「水俣病、触るな」と差別的発言を受けていたことが、14日分かった。
 両市の教育委員会などによると、試合の接触プレー中に、一人の生徒が発言したという。試合直後、水俣市側の監督からの指摘を受けて、チームの関係者全員がその場で謝罪。その後、校長や教育長らが水俣市を訪れ謝罪したほか、中学校の保護者集会で水俣病に関する講話を聞いたり、教職員らを集めた市教委主催の研修会などを開いた。
 同校の校長は「今回の出来事は、生徒に対し水俣病の表面的な知識しか伝えきれていなかった我々教師の責任」と話し、8月には同校の教諭らが水俣市を訪れ、水俣病の現地学習に取り組む予定。
 一方、水俣市の葦浦博行教育長は「差別発言は残念、今後、小中学生が水俣病を正しく理解できるよう県全体で取り組んで欲しい」と話した。
 また、県教委人権同和教育課の永田哲郎教育審議員は「県教育事務所の担当者を集め、水俣病教育に関する再点検を要請した。これまでの取組で不十分だった点を改善したい」と話している。

 水俣病に関する学習は各学校で取り組まれています。校長先生は「生徒に対し水俣病の表面的な知識しか伝えきれていなかった」と話しておられます。生徒は知識としては学んでも、それが意識となり、行動に結びついていないのです。だから、このような差別発言が出てきたと思います。
 このことをお配りしています「人権の畑を耕す」に記しています。
 読みます。一緒に読んでください。


                  人権の畑を耕す

 人権問題講演会、研修会は数多く行われ、熱心な活動がみられます。ところが、一歩、研修会、勉強会の外に出ると、これらの知識がすべて「頭の中」にしまい込まれがちです。意識ではなく知識になってしまうのです。つまり、人から指摘されるか、何かのきっかけがあって、初めて「頭の中の教科書」が開かれるという状態になってしまうのです。人権意識が感覚の一部になっていないから、目の前で人権侵害が行われても、気付かずに通り過ぎてしまいかねないということです。
 そのようなことでは、いくら熱心に学んでも、人権感覚が普遍化しません。人々の中に人権に関する知識がどんどん広がっても、それが意識として芽を出さなければ、社会に人権尊重意識は広がりません。必要なのは、一般社会の隅々に、人権問題を同じ人間のこととして受け入れられる「下地」が形成されるということです。
 「下地」、つまり「人権の畑」を耕すことです。すばらしい知識の蓄積がありながら、社会の人権意識が貧弱なのは、人権に関する知識が人権意識となって芽を出す畑がないからです。「他人にぶつかっても知らん顔」のような、「われ関せず」がまかり通っている状態は、とても「人権の畑」が耕されているとはいえません。自分は差別していないと思っても、この世の中には差別されている事象があり、差別する行為があり、被差別者がいるということを、何かにつけて意識できることが、差別を自分の問題、人権を同じ人間の問題として考える基礎になるのです。「人権の畑」を耕すことにより、人の心に「差別をしない」という本物の意識を育むのです。「差別をしない」ということが、知識ではなく意識として身に付くことが重要なのです。
 「人権の畑」は、誰かの号令で一斉に耕すものではありません。一人ひとりの人間が泣いたり笑ったり、滑ったり転んだりする、日常的な生活の中で形成されるものです。人権問題に関して「おかしい?」と感ずるきっかけは、人間が人間らしく生きたいという当たり前の状態が損なわれていないかどうかです。目の前の他人を、自分のことと同じこととして考えられることが大切です。習うより慣れ、それが人権の畑を耕す基になります。繰り返し、何かにつけて「あれっ?」と思う発想を試みなくては、慣れになりません。そのことにより、人権の畑が耕され、人権意識の芽が育まれるのです。
                                   (人権に関する学習のすすめ方(国立教育会館 社会教育研究所)より)

 中学生が水俣病について学んだ知識を「頭の中」にしまい込まずに、人権の畑を耕し、知識を畑にまいていたら人権意識の芽が出て、人権感覚となり、差別発言はなかったと思います。 
 差別しないということが、知識ではなく意識として身に付くようにしたいと思います。そのために、「おかしぅはなかな?」立ち止まって考えるくせを身につけたいと思います。これが人権の畑を耕すことであり、豊かな人権感覚を育むことになると思います。
 これからいくつかお尋ねします。該当するものがあったら心の中で手を挙げてください。
 「女のくせになんだ」といわれた人はいませんか?
 「女は入れてあげない」と遊びにかててもらえなかった人はいませんか?
 「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などと言われたことはありませんか?あなたがこうしたことを言ったことはありませんか?
 「子どものくせにだまっていなさい」と言われたことはありませんか?
 あなたがおじいさんやおばあさんに「としよりのくせに」と言ったことはありませんか?
 体の不自由な人をからかったり、笑ったりしたことはありませんか?
 同和地区に生まれた人たちの悪口を言ったり差別の目を向けている人はいませんか?
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。
 差別についてきちんとした知識をもっていないと、あなたが誰かを差別しても差別していることに気づくことができません。
 また、誰かにあなたが差別されても差別されていることに気づくことができなくなるのです。
 もう数年前のことですが、韓国に観光旅行に行った人が、韓国の人に「このカメラで写真を撮ってください」と頼んだら、「どうすればよいですか?」と聞かれ、「これはバカちょんカメラですからここを押すだけでよいです」と言ってポーズをとったそうです。頼まれた韓国の人は、怒りで手が震え、なかなかシャッターを押すことができなかったという話を聞いたことがあります。みなさんご存じのように「ちょん」とは韓国の人を蔑視する差別語です。自分には差別する意志がなくても差別語であることを知らずにそれを使うことは差別行為です。
 差別とは、命と人権が傷付けられることです。差別とは、自分の力ではどうすることもできないことで不利益を被ることです。
 人をばかにしたり、仲間はずしをしたり、いじめることは差別です。
 人権問題は、差別される側の問題ではなく差別する側の問題です。
 人権とは、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障されるべき権利です。
 私たちの権利が守られるためにも、互いの人権を尊重するためにも、様々な人権課題に関心を持ち、学び、正しく理解し、相手の立場に立って考え、行動に移しましょう。
 今日本には様々な人権課題があります。
 女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障がい者の人権、同和問題、外国人の人権、水俣病をめぐる人権、ハンセン病回復者等の人権などです。
 熊本県では、3つの大きな人権課題があります。それは、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題です。この3つの人権課題について概観してみます。
 同和問題とは、部落差別に関わる問題です。それは、封建時代の政治や経済の仕組みの中でつくりあげられた身分制度に基づく差別に由来するものです。同和地区と呼ばれる地域に生まれ育ったというだけで基本的人権を侵され、特に職業選択の自由、居住や移転の自由、結婚の自由、教育の機会均等などの権利が完全に保障されていないという重大な社会問題です。人間は自分の意志で生まれるところを選ぶことはできません。にもかかわらず、同和地区出身というだけで、様々な差別を受け基本的人権が侵害されている現実、これが同和問題です。
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 私は先日ウズベキスタンを旅するツアーに参加しました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。
 マリカさんという日本語ガイドさんが案内してくれました。彼女はウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。日本の旅行も楽しんだそうです。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。
 この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。
 同和地区に対するマイナスイメージではなく、日本文化にかかわる仕事をした人がいたということにも目を向け、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜む差別心を払拭することが求められているのです。
 ハンセン病問題についても同じことが言えます。皆さんの中には、菊池恵楓園でハンセン病問題を学ばれた方もおいででしょう?
 ハンセン病は、かって「らい病」とよばれていました。今から130年ほど前にこの病気の原因である「らい菌」を発見したノルウェーの医師ハンセンの名前を付けてハンセン病とよばれるようになりました。
 ハンセン病は、この「らい菌」が皮膚と神経を侵すので、痛みなどが感じられない感覚麻痺などがおこり、怪我しても気づかなかったり、化膿したりして、手足や顔などに変形が生じてそれが偏見や差別につながってきました。
 「らい菌」は感染力が弱く、今の日本の衛生状態や栄養状態を考えると感染しないということです。しかし、人々はうつる病気と思い込み、感染への恐怖が偏見となり、差別をうんできたのです。
 龍田寮事件というのがありました。親がハンセン病にかかっている子どもたちが龍田寮で生活していました。その子ども達が黒髪小学校に入学するとき、PTAが龍田寮に住む子ども達の入学を拒否した事件です。ハンセン病が我が子にうつることは阻止しなければならないという親の思いからの入学拒否事件です。
 このころは既にプロミンという薬が開発され、ハンセン病は治る病気だったのです。しかし、このことが啓発されていなく、当時の人々がハンセン病は怖い病気、うつる病気と思っていたから起きた事件です。
 このことからも物事は正しく学び、正しく理解することの大切さを私たちに教えています。
 水俣病問題も同じです。皆さんの中には、水俣病の語り部、杉本英子さんの話を聞かれた方もおいででしょう? 杉本さんは平成20年に亡くなられました。杉本さんは水俣の網元の家に生まれた方です。お母さんが、突然、けいれんを起こし病院に運ばれ、ラジオで「マンガン病」と放送されたそうです。当時は原因が分からず「その病気はうつる。」と誤解されたため、村の人は誰も家に寄りつかなくなり、雨戸に石を投げられることもあったそうです。あいさつしても無視され、「道を歩くな」とも言われ、親戚の人たちにさえ「この恥さらしが」となじられたそうです。
 「水俣病は伝染する」という誤解から、水俣病患者さんばかりでなく水俣出身の人々も様々ないやがらせを受けたり結婚や就職が断られるなど厳しい差別がありました。
 水俣病は、みなさんご存じのようにチッソ水俣工場から排出されたメチル水銀化合物による中毒性の神経疾患です。
現在は、住民や行政、関係機関の努力によりその発生原因が明らかにされ、同じ過ちを繰り返さないために、広く啓発が行われ、水俣病に対する理解が深まってきました。そう思っていたのですが、冒頭話をしましたように中学生が水俣市の中学生に対して差別発言をしているのです。
 再度申します。学んだことを知識として頭の中にしまい込んでいては差別はなくなりません。人権に関する知識を人権意識とし、人権感覚を豊かにし、差別のない社会づくりのために行動に移すことが大切です。
 21世紀は人権の世紀といわれています。平成8年、地域改善対策協議会意見具申の中で「21世紀は人権の世紀とよぶことができる」と記述されて、21世紀は人権の世紀とよばれるようになりました。
 今年は2010年です。21世紀になって10年が過ぎましたが、21世紀は人権の世紀となっているでしょうか。いじめや児童虐待、結婚や就職差別事件など後を絶ちません。
 21世紀が人権の世紀と言えるように、そして住みよい地域づくり・心豊かな生活ができますように、私たちにできることを考えてみましょう。
 先ほど話しましたウズベキスタン旅行で、マリカさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、『ウズベキスタンに行く』と言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」
 実は、私は知人から「危ない国には行かない方がよかバイ」と言われたのです。知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。問題ありませんという返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょうとのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで、人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を鵜呑みにして「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 これからはお配りしていますワークシートを使って人権感覚について考えてみましょう。

  まず、女性の絵を見て下さい。二人の女性の顔が見えますか?
  一人は高齢の女性、もう一人は若い女性です。
  お年寄りの女性に見える方?(かなり挙手)
  若い女性に見える方?(かなり挙手)
  なに、二人に見える? 私には一人しか見えないという方?(挙手少数)
  一人しか見えない人は、二人見えるという人に教えてもらってください。

  この絵を見てみなさんに考えて欲しいことは、一つの事柄は、表裏の2面がありますが、片一方を注目すればもう一方が見えにくくなることがあるということです。物事には、見える領域があれば見えない領域もあります。
 人権問題も同じで、「差別は社会問題だ!」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになりますし、反対のことも生じます。人権問題の解決は社会問題であると同時に個人の問題でもあるのです。
 次に魚の絵を描きましょう。(各自、自由に描く)
 どなたかここ(ホワイトボード)に描いて欲しいのですがどうですか?(挙手なし)
 では、私が指名してお二人に描いてもらいます。(左向きの魚を描いた人、右向きの魚を描いた人に描いてもらう)
 とてもすばらしい魚の絵を描いていただきました。ありがとうございました。
 ○○さんと同じように左向きの魚を描かれた方?(ほとんど全員が挙手)
 △△さんと同じ右向きの魚を描かれた方?(2人)
 私はみなさんに「魚の絵を描きましょう」と言いました。「左向きの魚を描きましょう」とは言いませんでした。でも、ほとんどの方が左向きの魚を描かれました。右向きの方は2人です。
 私はいろんな研修会場で魚の絵を描いてもらいますが、どの会場も本日と同じで、左向きの魚を描く人が圧倒的に多いです。どうしてでしょうか?(「料理では魚は左向きにして出す」という声が聞こえる)
 そうですよね。尾頭付きの魚は左向きですよね。魚の図鑑などで私たちが目にする魚の写真や絵はほとんどが左向きです。
 5月のこどもの日の鯉のぼりの絵はどうでしょうか? やはり、左を向いていますね。つまり、私たちは毎日の生活の中で空気を吸うがごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。
 宮崎県は口蹄疫問題で揺れ動いています。牛を飼っている畜産農家の方々へ思いをはせると一日も早く終息宣言が出ることを願います。その牛の姿を思い浮かべてください。お尋ねします。
 あか牛を思い浮かべた人?(3割程度)
 黒牛?(2割程度)
 白黒のホルスタイ?(半数程度)
 阿蘇郡産山村で聞いたときは、全員があか牛でした。天草では、くろ牛が多く、熊本市周辺ではほぼ3分の1ずつでした。私は、白黒のホルスタインをイメージします。
 どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?
 私たちは小さい頃から見ていた牛の姿がすぐに思い浮かびます。魚の絵といい牛の色といい、私たちは子どものころから、空気を吸うように「○○は○○」と無意識のうちに身につけています。これを刷り込みといいます。
 みなさんは、「カラス」についてどのような思い出がありますか?
 気持ちの良い風を頬にうけながら歩いていると、「カー!カー!」とうるさい鳴き声が聞こえてきました。見上げると、電線に10羽から20羽のカラスがとまって鳴いているのです。自慢げに祖母に、このように話をしました。    
 「おばーちゃん、知っとんね。カラスはね、縁起の悪か鳥ばい。こわかつばい。」
 同じようなことが思い出がありますか?
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。「黒は不吉」という決めつけです。一方、「髪はカラスのぬれ羽色」などといい、ツヤツヤした長い黒髪は、美人の条件の一つでした。おかしなことです。
 「息子よ、息子!」という文を読んでください。
路上で、交通事故がありました。大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。
父親は即死しました。息子は、病院に運ばれました。
彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
外科医は、「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげました。
 どうですか。話がすとんと胸に落ちましたか?
 この話はどうもおかしかと思う方いらっしゃいませんか?
 外科医は、この息子の何にあたるでしょうか?(「父親と思うが父親は即死。何にあたるかな?」「母親」などの声が聞こえる)
 父親は即死とあるので、父親ではありませんね。母親としたらどうでしょうか?
 母親だったらすとんと胸に落ちますね。そうすると外科医は女性ということです。外科医は男性と思い込んでいるとこの話は胸に落ちません。
 職業などにも「○○は○○」という思い込みがありますね。
 魚の絵や牛の色に関することで、「○○だ」との刷り込みがあったとしても社会問題とはならないでしょう。しかし、この刷り込みが、思い込みとなり、時として社会的偏見となり、差別につながることがあるのです。
 「同和地区の人は怖い」などの声を聴くことがあります。「怖いめにあったのですか?」と聞くと、「怖い目にあったことはなかバッテン誰でん言いよる」と言います。これが、社会が作り出した偏見であり、それにもとづく差別です
 それによって、苦しみ、悲しみ、憤るなど心を痛めている人がいることを忘れてはなりません。後でも触れますがみんなが言うからとそのまま受け入れることではなく、「そうかな?」と立ち止まって考えてみることがとても大切す。
 ところで、みなさん、今日は何の日かご存じですか?
 「今日は下球磨地区人権教育研修会がある。何の日か確認してから出かけよう」とカレンダーを見て来た方いらっしゃいますか?
 普段は、何の意識もしないのに何かの時、意識するのが六曜です。「結婚式は大安がよかばい」だとか「葬式は友引の日はいかんばい」などと言いますね。
 私の義母が亡くなったとき、葬儀社に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の人がノートをひろげて、「一般的に、今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないといわれています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは、六曜の考えは信じていませんので友引の日に葬儀を済ませました。どうってことありませんでした。
 この六曜とは、どんなことでしょうか。そして、どうやって今日は何の日と決めるのでしょうか。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。
 その時、旧暦の1月と7月の1日を先勝、2月と8月の1日を友引、3月と9月の1日を先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには大安が2日続くという場合も出てくるわけです。ここ数年の暦を調べてみましたら大安が2日続くことはありませんでしたが機械的に当てはめるのですからそんなことも起こりえます。
 このようにして定められた、「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と故高千穂正史さんは、その著書「愛語問答」で述べています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、一人ひとりの意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 ところで、安全のため車間距離をとって運転しているとき、急に割り込まれて「無理に割り込むなよ」と思うことはありませんか? 時間にゆとりがあるときはそうでもありませんが、急いでいるときなどはそう思うことがあるでしょう?
 買い物や乗り物に乗るために並んでいて割り込みをされたとき、「自分も急いでいるけど並んで待っている。きちんと並んで順番を待って欲しい」と思いますね。
 そんなとき、どういう態度をとりますか?
 「ちゃんと並ばんか!」と大声で怒鳴りますか?
 がまんしますか? 
 それとも、丁寧に自分の思いを相手に伝えますか?
「こら!横はいりするな!」と相手を責めるような伝え方をして相手を怒らせたり、何も言わず睨んでいるだけでは、自分の気持ちや伝えたいことが正しく相手に届きません。
 「私たちもずっと待っているんですよ。よかったら、後ろに並んでもらえませんか」と、おだやかに返したらどうでしょうか。
このような伝え方を「アサーティブな伝え方」と言います。相手を傷つけないように自分の気持ちを素直に伝えていく方法なのです。
少し面倒に思われるかもしれませんが、後から人間関係を取り戻す労力を考えると苦にはならないと思います。また、怒ったり、言いたいことを我慢したりすることが減るので、ストレスがたまらず心とからだの健康にも役立つのだそうです。
 学校では、子ども達が人権感覚豊かな人に育つよう人権教育に力が注がれています。学校だけでなく家庭でも、次世代を担うお子さんが確かな人権感覚をはぐくみ、みんなが幸せを実感する社会づくりができるよう次のことに留意して欲しいと思います。
 冒頭、お子さんの名前に込めた親や家族の思いを話すことで、自分の名前に誇りを持ち、自分自身を誇りに思い、それが自尊感情を育むと話しました。
 毎日の生活の中で自己存在感や自己有用感などを実感する機会を数多くつくり、自尊感情を育んでください。資料として付けています新聞記事は、私が熊日や朝日新聞に投稿したものです。そのなかで、「子どもをほめて自己実現増幅」があります。通知表をもとに孫娘をほめたことから自己実現を実感し、生き生きと生活できるようになるというものです。人は、認められ、ほめられることで自分に自信を持ちます。その積み重ねが自尊感情を育みます。自尊感情とは自分自身を大切にする感情です。自分を大切にするということは他も大切にするということです。自他の人権を大切にする心豊かな子どもを育てていきましょう。
 私は心を揺り動かされる体験を情動体験と言っています。お子さんたちにこの情動体験を数多く持たせて下さい。最も心が揺り動かされるのは家族の死、弟や妹の誕生です。家族の命に触れ心が揺り動かされます。ペットを飼ったり、草花の栽培を通しても命に触れることができます。情動体験を数多く持たせ、共感的に理解する心を育てましょう。そして、自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践力・行動力を身につけさせましょう。
 さらに、人権尊重の精神がみなぎっている環境をつくっていくことです。私たち日本人は同質性を大事にするあまり異質を排除しようとすることがあります。同質性を大事にしても異質を排除することは良くないことです。
 「咲いた 咲いた チューリップの花が 並んだ 並んだ 赤白黄色 どの花みてもきれいだな」という童謡があります。「どの花みてもきれい」、これは自分とは違うことを受け容れることでしょう。つまり、人権尊重の一つです。
 人権尊重の環境作りについては、新聞投稿「人権感覚持つ子ら育てたい」をお読み下さい。
 終わりに桑原律さんの「人権感覚って何ですか」をみんなで声に出して読みたいと思います。黙読して下さい。
 では、声に出して一緒に読みましょう。


    「人権感覚」って何ですか 
                    桑 原  律

「人権感覚」って何ですか
それは ケガをして
苦しんでいる人があれば
そのまますどおりしないで
「だいじょうぶですか」と
助け励ます心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 悲しみに
うち沈んでいる人があれば
見て見ぬふりをしないで
「いっしょに考えましょう」と
共に語らう心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 偏見と差別に
思い悩んでいる人があれば
わが事のように感じて
「そんなことは許せない」と
自ら進んで行動すること

「人権感覚」って何ですか
それは
すどおりしない心
見て見ぬふりをしない心
他者の苦悩をわが苦悩として
人権尊重のために行動する心のこと

     ヒューマンシンフォニー詩集「光は風の中に」より

 みなさん声に出して読んでいただきありがとうございました。
 本日の演題を「私から創める!住みよい地域づくり〜豊かな人権感覚がもたらすこころ豊かな生活〜」としましたが、実はこの演題は本研修を企画された方が考えられたものです。この演題を見てこれは素晴らしいと思いました。このように豊かな人権感覚をお持ちの方がいらっしゃるところで人権問題について話ができましたこと、嬉しく思います。
 本日私が話しましたことの一つでも二つでも結構です。家庭で、職場で、団体で是非話し合ってください。そして、下球磨地域が、熊本県が、日本が住みよいところとなるとともに、みなさんが豊かな人権感覚を身につけ、心豊かな生活を送られますことを祈念申し上げ話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。




         講演後の質疑

○青年団所属の方
 青年団でも人権問題について学習している。本日の講演で使われたワークシートを青年団の人権問題研修会で使っても良いか?

 ワークシートや添付しています資料は、研修に役立つことであればどうぞ使って下さい。


○行政職員の方
 いじめ不登校アドバイザーという立場から現在のいじめ不登校問題についてお聞かせいただきたい。

 ここの具体的ケースについてはお話しできませんが、不登校問題について学校で取り組んでいることをお話しします。
 学校では「不登校はどの子にも起こりうる」との認識から新たな不登校児童生徒を出さない取組に力を入れています。
 魅力ある学校づくりです。児童生徒の「心の居場所」「絆づくり」「できる喜び、分かる喜び、伸びが実感でき、自己表現力を身につける授業づくり」などに力を入れています。
 また、家庭では、父性つまり毅然とした親の態度と母性即ち優しさの視点からの家庭教育をお願いしています。
 子どもたちの成長を認め、ほめ、励まし、伸ばす視点を学校だけでなく家庭でも持つよう訴えています。これは、間違った言動は厳しく叱ることを前提としています。
 ここには、民生児童委員さん方もいらっしゃることと思います。子どもは地域の宝、地域の子は地域で育てる視点から学校の支援をお願いします。
 不登校児童生徒の支援は、学校復帰が目的ではありません。子どもたちが社会に出た後、独り立ちできる力をつけることです。そのためには、地域の力が必要です。よろしくお願いします。
 また、今不登校の状態の児童生徒に対しては、学校長を中心としてチームを組んで組織として学校復帰に向けた取組がなされています。



               参加者感想

○今後の我が子との人権についての学びや考え方に活かせると思う。

○自分が変われば相手も少しずつ変わっていく。
 思いこみ、記憶の刷り込みを一歩下がって見つめ直していきたい。

○子どもの名前の由来を子どもに話して聞かせたい。

○知識だけを学ぶのではなく、それを意識し行動に表していくことが大切なことであると感じた。

○子どもたちが悪いことをしたら叱り、良いことをしたら認め、ほめ、励ましていくなどいろいろ勉強になりました。

○民生児童委員をしているので大変ためになった。ワークシートを活用して周りに啓発していきた い。

○偏見をなくし、平等に考えることの大切さを感じた。生活の中で考え、行動に移すことができる と思う。

○固定観念や先入観にとらわれないよう気をつける。

○今後も人権の畑を耕していきたい。

○仕事で家庭教育を担当しているので機会を捉えて学んだことを生かしていきたい。

○企業内では目標達成のため従業員の人権が軽んじられている。
 企業経営者の参加も要請した方がよい。企業内での人権教育は今日のような領域まで踏みこまない。

○ありがとうございました。大変充実した研修でした。心の洗濯になりました。

○人権の大切さを再認識することができた。差別のない平等・公正な世の中づくりの実現に一役担 っていきたい。

○講演は分かりやすかったです。心に残る講演でした。

○今回の研修で学んだことを今後の生活に活かし、人権感覚を磨いていこうと思います。

○人権問題は自分ではある程度勉強し、知っているつもりでしたが、今回の研修をお聞きし、自分の心を見て気づかされました。
 これからも研修を重ねていきます。参加させていただきありがとうございました。

○心を打つものがたくさんありました。

○自分を見つめるいい機会になった。分かりやすい内容でとても参考になりました。

○人権を考える基本を分かりやすくお話しして下さいました。大変良かったと思います。

○「人権感覚って何ですか」の詩も良く理解できました。

○表面的な知識だけでなく、意識化して行動に移すことの人権感覚を教えていただきました。

○考え直す機会や地域作りの参考となりました。

○身近に感じて良かった。意識・知識は日常に分かっているようで気づかないようで。
 また今日から頭において行動に気をつけようと思った。

○今回の研修で自分の心に潜んでいる差別意識を見直す機会となった。

○人権教育の奥深さを改めて感じた。まだまだ自分自身の畑を見直していきたい。