身近なことから考えてみませんか〜くらしと人権〜 |
平成20年3月12日 |
八代市千丁町 公民館 |
皆さん、こんにちは。
このホールに入る前にトイレに行ってきました。トイレですてきな光景を目にしました。
男性の方がトイレのスリッパを一足一足丁寧に並べていらっしゃいました。次に使う人が履きやすいようにとの思いからだと思います。このように心優しい方がいらっしゃるここ千丁町で人権問題を一緒に考えることができることをたいへんうれしく思います。
私は、ただいまご紹介いただきました中川でございます。よろしくお願いします。ただ今は、「なかがわありとし」と紹介していただきました。私の名前を「ありとし」と読む人はまずいません。そのはずです。当て字ですから。ほとんどの方が「ゆき」「ゆうき」と読みます。中に「ありのり」と読む人もいます。
私が七瀧小学校に赴任したとき、教頭は女性でした。新聞で私の名前を見て「今度は校長も教頭も女性バイ」といううわさがあったと聞きました。
私はこの名前が好きです。こんなすばらしい名前を付けてくれた父を尊敬し、感謝しています。以前は名前を呼ぶとき「○○ちゃん」とか「○○しゃん」とか言っていたでしょう? 皆さんの中にも「ちゃん」か「しゃん」と呼ばれていた方がいらっしゃると思います。
私は、幼なじみや小中学校の同級生から今でも「ありちゃん」と呼ばれています。この「ありちゃん」が好きで、今開設していますホームページの名前を「ありちゃんのホームページ」としています。
皆さんの中でインターネットをご利用の方がいらっしゃったら是非見てみてください。私は中国シルクロードの旅を楽しんでいます。その方面の写真をたくさん掲載しています。時間があるとき、開いてみてください。
先ほど、司会の方から「前の方にお座りください」と案内がありました。前が空いています。前の方においでませんか。私ではなく、北島三郎さんや八代亜紀さんのコンサートや講演であったら前からお座りになると思います。以前学校に勤めていますとき、職員旅行で宝塚へ行きました。私たちの席は最後部でした。「前に座りたいな」と言うと、「前の方はお金も高いが、早くから売り切れてしまいます」ということでした。
前の方に座って話を聞くと、きっと良いことがいっぱいありますよ。
ところで、この1週間あるいは1ヶ月間で、「ワクワク、ドキドキ、ハラハラ」したり、心からの喜び、悲しみ、怒りなどを実感された方も多かろうと思います。
ちょうど今日は、公立高校の入試合格発表の日です。家族や隣近所で合格を喜び合われた方もあるでしょう。
私は、先週の土曜日(8日)、交流グランドゴルフ大会で生まれて初めてホールインワンを達成しました。距離は25〜30mはあったでしょう。打ったボールが見事リングの中に入ったのです。周りの人が「うわーすごい」と手をたたいて褒めてくれました。私もとてもうれしく強く感動しました。
日曜日は、名古屋国際マラソンが行われました。「あきらめなければ夢は実現する」を自分の走りで見せようと高橋尚子さんは頑張りました。私もテレビを通して応援しましたが、残念ながら体調が思わしくなかったのでしょう。いつもの高橋選手の走りを見ることができませんでした。
私がすごいと思ったのは大会後、「これが今の実力です」と話をしていることでした。
マラソン観戦を終えて、御船町のプールに行きました。ちょうど体育館では何かの大会があっていました。駐車場は車でいっぱいです。プール利用者用の駐車場には、カラーポールで「温水プール利用者駐車場」と明示されています。そこも満車です。私は、近くの駐車場を探し、少し離れた所に車を駐め、傘をさしてプールに行きました。ところがプール利用者はそんなに多くありません。
プール利用者以外の人が駐めていたのでしょう。
公民館や市役所、スーパーなどには、身体に障害がある人が利用する思いやり駐車場があるでしょう。ところがここに時として、そこに利用する必要がない人が駐車していることがあります。目的に沿った利用をしたいものです。
私は、このように毎日の生活の中で心を揺り動かされる感動が、人権感覚の源だと思います。
これからその人権感覚について考えてみたいと思います。
熊本県が作成した「人権教育研修テキスト」に、熊本県が平成16年度に調査した県民意識調査のデータが記してあります。
○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」(複数回答) @結婚問題で周囲が反対すること 54、4% A身元調査をすること 41、8% B就職・職場で不利な扱いをすること 29、8% ○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度 @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない 62、5% A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30、0% B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない 4、1% C絶対に結婚を認めない 3、4% ○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度 @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する 54、5% A自分の意志を貫いて結婚する 26、7% B家族や親戚の反対があれば、結婚しない 15、2% C絶対に結婚しない 3、6% |
回答から、結婚や就職といった人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからもうかがうことができます。
親の態度として、6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、反対するがしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、結婚を認めないが7、5%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
本人の態度では、5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。同和対策審議会答申のもと、同和教育が始まって、40年近く経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
そして、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、「ちょっとまちなっせ。おかしぅはなかな」といえる感性を高めていきたいと思います。
今、学校では、平成18年1月人権教育の指導法に関する調査研究会議が発表した「人権教育指導方法等の在り方について 第2次とりまとめ」にそって人権教育が進められています。
その中で、人権感覚とは「自分の大切さとともに他人の大切さを認めること」として、「日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚」と述べています。また、「自他の人権尊重の良さを肯定し、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする人権意識が生まれる」と言っています。
そして、人権教育を通じて育てたい資質や能力は「知的理解」と「人権感覚」であり、「自分の人権を守り、他者の人権を守るために実践行動すること」としています。
つまり、差別を見抜き、差別を許さず、差別をなくす行動ができる子どもを育てることです。これは子どもだけではありません。私たち大人にもいえることです。
写真の女性はいくつくらいに見えるでしょうか?
お年寄りに見える人?(半分程度挙手)
若い人に見える人? (半分程度挙手)
両方に見える人? (4分の1程度挙手)
なかなか両方に見えない人は隣近所の方と話し合ってみてください。
最初におばあさんに見えた人にとっては、少女にはなかなか見えないでしょう。その逆もありますね。
どうしても少女に見えない人は、「おばあさんの鼻」を「少女の顎」に、「おばあさんの唇」を「少女のネックレス」と見てください。どうですか?
この絵を見て次の3つのことを皆さんに気づいて欲しいのです。
一つは、見方を変えることの難しさです。最初に知ったこと、感じたことを変えるのはかなりの労力が要ります。そして、それが難しいです。だから私たちは出会いが大切なのです。
二つは、見つめ直しの大切さです。違う角度から見つめ直してみると、これまでと違ったものが見えてくることがあります。「こうだ」と決めつけないで見つめ直すことを日頃の生活の中で取り入れて欲しいと思います。
三つは、一つの見方に注目すると、他が見えにくくなります。人権問題も同じで、「差別は社会問題だ」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになります。逆のこともあります。人権問題は社会問題であると同時に人間個人の課題であることをきちんととらえておくことが大切です。
コップの絵を描いてみてください。(各自思い思いにコップを描く)
どなたか、ここに描いていただける方いらっしゃいませんか?(1人の女性に描いてもらう)
ありがとうございます。
○○さんと同じ水を飲むコップを描いた人? たくさんいらっしゃいますね。
コーヒーなどを飲むコーヒーカップを描いた人? これもまたたくさんいらっしゃいます。
ビールを飲むジョッキを描いた人? これもたくさんいらっしゃいます。
私は、「コップの絵を描きましょう」と言ったのです。それなのにこんなに皆さんの反応が違います。「話さなくとも分かる」などという人がいますが、やはり話し合わなければ分かりあえないことがありますよね。互いに考えていることが違うことがいくらでもありますから。
全員の方を見てはいませんが、見た範囲で言いますと、ほとんどの人が上向きのコップを描いていらっしゃいます。心のコップはこのようにいつも上向きにしておきたいものですね。
次は、魚の絵を描いてみましょう。
これもどなたか、ここに描いてもらえませんか? (1人の男性に描いてもらう)
ありがとうございます。
○○さんのように魚の頭が左向きを描いた人? ほとんどの方が手を挙げられましたね。
右向きの方はいらっしゃいませんか? 全員の方が左向きですね。
どうして、人は魚の絵を描くとき、頭が左を向いている絵を描くのでしょうか?料理の魚の頭はどちらを向いていますか? 左を向いていますか? 右ですか?
料理で出される魚も左を向いているでしょう。
また、私たちが日頃目にする魚の図鑑や写真のほとんどが、頭が左にあります。これまで長年生活してきた中で知らず知らずのうちに自分のイメージや思いが出来上がっています。ある先生は、これを「すりこみ」と表現されました。この刷り込みが時として、思いこみとなり、偏見となり、偏見が差別を生むことにもなるのです。
次は牛を思い描いてみてください。色をつけます。私が尋ねますので手を挙げてくださいね。
「あか牛」を思い描いた人? 3分の1くらいですかね。
「くろ牛」を思い描いた人は? 10人くらいですね。
「白黒のホルスタイン牛」を思い描いた人? これは多いですね。
産山村での研修会でも尋ねました。全員「あか牛」でした。放牧してある牛はほとんどが「あか牛」ですね。天草で聞いたときは、「くろ牛」が多かったです。以前は、農耕用に牛を飼っている家はほとんどが「くろ牛」を飼っていたのです。私が牛深小学校に勤務していた頃はまだ、「くろ牛」がいました。
おわかりのように身の回りでいつも見聞きするものが、知らず知らずのうちに固定観念として自分の心に描かれてしまっているのです。
「息子よ、息子!」という短いお話をします。以前、人権問題研修会でこの話を聞かれた方はもう一度温め直してください。それでは、ゆっくり読みますので目をつむって聴いてください。
息子よ 息子! 路上で、交通事故がありました。 大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。 父親は即死しました。 息子は、病院に運ばれました。 彼の身元を、病院の外科医が確認しました。 外科医は、「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげました。 |
目を開けてください。
この話がすとんと胸に落ちた方?
「どうもおかしかバイ」と思われた方?
外科医は、この息子の何にあたるでしょうか?
答がすぐに出なかったのは、どうしてでしょか?
そうです。外科医は女性だったのです。外科医が女性だと胸に落ちるでしょう?
私もこの話を初めて聞いたとき、外科医は男性と思い込んでいましたのでどうしても胸に落ちませんでした。「外科医は男性」これも知らず知らずのうちに自分の心の中に生まれた固定観念です。この固定観念が、時として思いこみとなり、それが偏見となり、差別につながることがあるのです。
人はだれひとりとして「偏見」を持って生まれてくるわけではありません。私たちは、子どものころから、空気を吸うように「固定観念、つまり紋切り型の考え」を無意識のうちに身につけていきます。無意識の学習をしているのです。
1月、恵楓園に研修に行きました。ハンセン病に関する間違った理解がもとで数多くの差別事件が起きたことは皆さんご存じの通りです。
その中で、昭和29年に龍田寮児童通学拒否事件というのがあります。
菊地恵楓園に入所している親をもつ子どもが生活している竜田寮の子どもが、地元の黒髪小学校に通学することにPTAの間から反対の声があがるという、通学拒否事件です。
「ハンセン病はうつる病気、恐ろしい伝染病」と思いこんでいたことにより、ハンセン病患者への偏見と恐怖により起きた事件です。竜田寮の子ども達の登校に反対して、同盟休校へと発展したのです。当時の熊本商科大学長が竜田寮の子どもを引き取り、そこから通学させるということで、解決しました。
「黒髪小PTAの反対派をそこまでかりたてたのは、ハンセン病は恐ろしい病気である、うつる病気であると人々が思いこんでいたから。わが子を思うあまりの行動であったと思う。このとき、伝染力は極めて弱く、うつることはないとの理解が出来ていればこのような事件は起きなかっただろう。無知、知らないことは偏見を生む。偏見は差別につながる。物事は正しく理解することが大切」と元恵楓園長由布先生から聞いたことがありました。
私たちの生活の中には、このように意図しない学習や教育の結果は多いものです。部落差別をはじめあらゆる差別をなくす行動力を身につけるために、毎日の生活の中で物事は正しく知ることが大切だと思います。偏見や差別意識を正すために学習することが当たり前になることだと思います。
直接差別にはつながりませんが、何の科学的根拠もないのでおかしいと言われながら今でも信じられているのに「今日は何の日?」があります。
「今日は人権学習会がある。何の日か調べていこう」と調べてこられた方いらっしゃいますか?
おそらくいらっしゃらないと思います。このように普段は何にも意識しないのに、結婚式だ、葬式だ、お祝い事だ、というときに「今日は何の日か」となるのです。
私は、ここにカレンダーを持っています。このカレンダーは、月齢、24節季、その日にちなんだ和歌や俳句、歳時記などが記してあります。六曜も記してあります。今日は「赤口」という日です。
この考えは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、旧暦の毎月の1日を次のようにすると勝手に定めました。すなわち、正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引、3月と9月の1日が先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口という具合です。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと高千穂正史さんは「愛語問答」で語っておられます。
迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことで、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。
先ほど、普段は意識していないのに、特別な日の時この考えが出ることがあると話しました。部落差別もこのようなことがあります。普段は「私は差別はしていない」と思っていても、「結婚」や「就職」のときなどの利害が生じるとき、「どこの人や」が出てくることがあるのです。それも部落問題に関するプラスイメージではなくマイナスイメージが出てくるのです。それを周りの人が「ちょっと待ちなっせ、そらおかしかバイ」ではなく、すっと納得してしまうことがあるのです。これは、長年無意識のうちに刷り込まれた部落問題に対するマイナスイメージが私たちの心のどこかにあるからだと思います。このマイナスイメージを学習により払拭することが人権問題研修会です。これまでの長年の教育・啓発によって、払拭されてきましたが、先ほど見ました県民の意識調査でもお分かりのように一部ではありますが、まだまだ部落差別があります。啓発活動を続けていく所以はここにあります。
「知らないことから“誤解”が生まれる。“誤解”をそのままにしていると“偏見”になるんだ。
“偏見”をそのままにしていると“差別”になるんだ。」これは、熊本県教育委員会作成の中学校用人権教育資料「くすのき」にある言葉です。学習によってものごとを正しく知りましょう。
そして、人権感覚を豊かにするために、学校教育・家庭教育・社会教育で心がけたいことは、自己存在感や自己有用感などを実感する機会を数多くつくり、自尊感情を育むこと、また、心を揺り動かす情動体験を通して、心を育てることだと私は思います。
私は益城町公民館で大人と子どもにそろばんを教えています。
大人のそろばん教室の様子です。40代から70代まで20人が学んでおいでです。9時半からの教室に9時頃には教室に来て、互いに教えたり教えられたりしながら練習をしています。そして、私に「ここがどうしても分かりません。教えてください」と言う人が幾人もいます。分かると、「あぁ、そうか。分かりました。ありがとうございました」とにっこりされます。胸に落ちるのですね。
講座生の言葉です。
「寝る前に見取り算を練習すると、適当に頭が疲れてよく眠れる。割り算の練習をすると頭がさえて眠れない」
「練習すると体が熱くなり、着物1枚脱ぐ」
「4級の試験は210点ぎりぎり合格で悔しかったので昨日自分で時間を計ってしてみた。時間は32分かかったが満点だった。思 わず万歳と言った」
学習意欲旺盛な方たちです。尋ねますと、小さい頃、自己実現の機会がとても多かった方たちです。
以前は、誰もが家族の一員として手伝いというより自分の仕事を受け持っていました。皆さんもそうだったでしょう?
「うちは、俺がいるから動いている」と思い、それが自己有用感、自己存在感を実感していたのです。それが、知らず知らずのうちに自尊感情をはぐくんでこられたのです。
ここにおいでの皆さんも小さい頃は、家の手伝いというより「自分の仕事」として何らかの役割を受け持ってこられたと思います。そして、「私はこの家の大切な一員」と自覚されておられたと思います。それが、皆さんの自尊感情をはぐくんできたのだと思います。
子どもたちにも、この自尊感情をはぐくんで欲しいと思います。
柳田邦夫さんは、「壊れる日本人」という本の中で、死を目前にしている患者が入っている病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところが多い。病室に詰めている家族の目は、どうしてもモニターに向かう。患者の枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになると述べています。
私の父は、15年前になくなりました。父は生前、「我が家で死を迎えたい」と言っていました。死を間近にした時、病院の先生から「入院すればもっと生きられる」と言われましたが、母や弟達と相談して入院は断りました。
家族や親族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、母は、両手で父の手をしっかりと握りしめ、無言で父を見つめていました。叔父や叔母達は「有っちゃん。有っちゃん」と父の名前を呼び続けました。私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と呼びかけました。孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。私は、「父ちゃん、これまでありがとう。これからも俺たちを見守っていてはいよ」とこみ上げる悲しみを必死でこらえながら父に語りかけました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。
私は家で死を迎えるのが良いというのではありません。人の誕生や死に立ち会いながらその中で「生きるとは」、「死とは」を考えたいと思います。心を揺り動かされる体験から人権感覚は生まれ、磨かれていくものと思います。
子どもたちには「心が揺り動かされる情動体験」をいっぱいさせてください。
もう時間が来てしまいましたが、私がとても感動した作文があります。少し長いですが、読んでみます。一緒に読んでください。
これは、平成17年度全国中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞を受賞した尚絅学園尚絅中学校1年 生田すみれ子さんの「私は、負けない」という作文です。
私は、負けない 尚絅学園尚絅中学校1年 生田すみれ子 世の中には、人の数だけ差別がある。人の数だけ偏見もある。どんなに小さくても、差別は差別。ちょっとした偏見も、ちゃんとした偏見。ありませんか? あなたの中にも、そんな差別や偏見が。 日本は明治以降四民平等となり戦後は日本国憲法で基本的人権の尊重をうたっている。が、私達の周りでは、恵楓園の入所者に対する温泉ホテル宿泊拒否問題が起こり、それに伴い、恵楓園の方々への様々な誹謗中傷があった。 「かわいそうだから同情してやってたのに、(告発なんかして)生意気だ。もう手助けになる事は何もしてやらない」 私はこの中傷文の一部を見た時、これがまるで自分に対して言われている様な気がしてならなかった。これをどんな人が書いたのかは知らないが、どんな世代でも、どんな立場においても、皆言う事は同じなんだなぁ、子供も大人も考える事は一緒なんだ、と思った。そしてこんな考えを持つ大人に教育された子供が、やがて同じ考え方をする人間になるのか、とも思った。 「世話してあげない。」「手伝ってあげない。」私は今まで、一体どれだけこんな言葉を言われてきた事か。もし私が健常者だったら、すぐに、「いいよ、しなくて。」と言うだろう。それは健常者の場合、その世話や手伝いは、相手の言いなりになる位なら、「して貰わなくてもいい」程度のものに違いないからだ。しかし、私達障害者はそうはいかない。日常生活で周りの世話にならなかったり、手を借りない、という事はまずない。小学生の頃の私は、今以上に色んな事が一人で出来なかった。そんな私が皆から「世話してあげない」と言われる事は、「学校へ来るな」と言われているのと同じ事だった。 一年生の時、同じクラスの女の子が、私の返事の仕方が気に入らなかったらしく、私に、「もう何もしてあげない。」と言った。一年生の私は、ただ悲しくて、おろおろして、泣くばかりだった。事のてん末を知った当時の担任の吉良先生は、その子の「してあげない」を聞くと、こう言われた。 「してあげる、気持ちですみれ子さんに接するのなら、今後一切、本当に何もしなくていいです。」 自分より「弱い立場」と位置づけた者が、少しでも意に染まぬ事を言ったりしたりすると、すぐに「〜してあげない」と言う。 それを「非」とされた先生。 六年たった今でも、吉良先生の、あの時のあの言葉は、私の心に宝物としてずっと残っている。 中学生になった私は相変わらず、毎日友達に面倒をかけっぱなしだ。私が通う学校は、中学の校舎にはエレベーターがあるが、高校にはそれがない。だから、高校にある特別教室に移動する時は、どうしても皆に手伝って貰わなくてはならない。つぎはぎの階段、せまくて急な階段。辛いバリアが待ち受ける。 「そっち持った?誰かここ持って。」 「いい?行くよ!せーの!」 私共優に五十キロは越える車椅子を、か細い尚絅乙女子が一生懸命運んでくれる。クラスメートが、先輩が、先生方が、時には高校のお姉さん達も手伝ってくださる。 (重いでしょう?大変でしょう?) 私は心の中で、何度も、何度も、(ありがとう。)を繰り返す。 周りの大勢の人達の、「生田を何とか一緒に学ばせてやりたい。」という優しさに囲まれて、私は学校生活を送っている。私のたくさんの「したい」が、皆の思いやりと温かい心で「できる」になっている。 そんなある日、私と友達との間に小さなもめ事が起こった。それはすぐにおさまったが、私の心は不安でいっぱいになった。もう声もかけて貰えないんじゃないか。これから何も手伝ってくれないんじゃないか。昔の嫌な思い出が次々と頭の中を駆けめぐった。 でも、何一つ変わらなかった。 私は、この、「変わらない」という事が、とても嬉しかった。そして、「変わらない」事が当たり前ではなく、その人の中にある、口先だけではない、まっすぐな倫理観がそうさせたのだという事も、よく分かっていた。 私が皆と同じ「私」であるために「一年一組二番」の「生田」であるために、昨日も今日も明日も、ずっと支えてくれる友達がいるから、先生がいるから、だから、私もがんばる。 がんばって、がんばって…障害なんかに負けない。 私は、決して、負けないから。 |
いかがでしたか?
中学生がこのような人権感覚を持っています。私はこの作文から学ぶところがいっぱいありました。皆さんもお家に帰られてからもう一度読み直してください。
桑原律さんの「人権感覚とは何ですか」を一緒に読んで終わりにします。
「人権感覚」って何ですか 桑原 律 「人権感覚」って何ですか それは ケガをして 苦しんでいる人があれば そのまますどおりしないで 「だいじょうぶですか」と 助け励ます心のこと 「人権感覚」って何ですか それは 悲しみに うち沈んでいる人があれば 見て見ぬふりをしないで 「いっしょに考えましょう」と 共に語らう心のこと 「人権感覚」って何ですか それは 偏見と差別に 思い悩んでいる人があれば わが事のように感じて 「そんなことは許せない」と 自ら進んで行動すること 「人権感覚」って何ですか それは すどおりしない心 見て見ぬふりをしない心 他者の苦悩をわが苦悩として 人権尊重のために行動する心のこと |
冒頭述べましたように、優しさと豊かな人権感覚をお持ちの方がたくさんいらっしゃる千丁町で、人権問題を考えることができたことをうれしく思います。人権感覚豊かなまちづくりがさらに進みますことを祈念して話を終わります。
長時間のご静聴ありがとうございました。