笑顔あふれる暮らしのために
   〜暮らしと人権〜
平成23年10月18日(火)
熊本地方合同庁舎

 皆さん、今日は。
 ただいまご紹介頂きました中川でございます。よろしくお願いします。
 本日は皆様と人権問題について考えていきたいと思います。
 まず自己紹介をします。私の名前ですが、レジュメに書いている「中川有紀」という文字で、「なかがわありとし」と読みます。ほとんど「ありとし」と読んでもらえません。たいてい「ゆき」または「ゆうき」さんと呼ばれます。よく女性と間違われます。
 私は父がつけてくれたこの名前が大好きです。名前に誇りを持っています。みなさんも私と同じようにご自分の名前に誇りを持っておられることと思います。
 どの子も自分の名前に誇りを持ち、「自分の名前は大好き」と思って欲しいのですが、中には名前からあだ名を付けられ嫌な思いをしている子がいます。私も小さい頃、「ありとし」の「あり」から「アリの来よる。アリば踏みつぶそう」と言ってからかわれたことがありました。私はその度に「俺はアリじゃかな。ありとし」と言って上級生に対しても体当たりでぶつかっていました。
 そこで、皆さんにお願いです。お子さんやお孫さんがいらっしゃる方、お子さんの名前に込めた親や家族の思いを、小さいお子さんだったら膝の上に抱っこして、大きいお子さんだったら手を取り、目を見つめて、語って下さい。お子さんはきっと、自分の名前に込められた親や家族の思いを受け止め、自分の名前に誇りを持つことと思います。そして自分を好きになると思います。この思いが、名前のことでからかわれたり、意地悪されたとき、それをはね返す力となります。このことが自尊感情を育みます。私はこの自尊感情が人権尊重社会では最も大切なことと思っています。自分を好きになると言うことは周りの人も好きになることですから。
 現在、私は上益城教育事務所というところで「いじめ不登校アドバイザー」という仕事をしています。子どもたちの中には、いじめを受けて小さい胸を痛めている子がいます。前の日から学校に行く準備をして登校意欲はあっても、朝玄関に立つと、足が動かないで苦しんでいる子がいます。いじめは見ようとしなければ見えません。子どもの心は子どもに寄り添い、子どもの側に立って考えなければ見えてきません。学校では、いじめ問題や不登校問題について、早期発見早期対応に努め、子どもたちの安心・安全な居場所づくりに努めています。
 原発事故による農水産物の風評被害が大きな社会問題となっていますが、この風評というのは半端な情報を元に判断することから起きることです。
 最近はこの半端な知識からの差別が多いことが挙げられます。
 以前は、無知、知らないことから結果的に差別すると言うことが多かったのですが。
 韓国を旅行した日本人が、観光地で韓国の人に写真を撮ってもらった時のことです。カメラを渡して、「写真を撮ってくれませんか。」と頼みます。頼まれた韓国人はシャッターの位置を訊きます。日本人は「これはバカチョンカメラですから、ここを押すだけでいいです。」と。韓国人は怒りで、カメラを手にした手が震えていますが、日本人は笑顔でポーズをとっています。
 皆さんご存じの通り、「チョン」は韓国人を侮蔑する言葉です。「バカ」は人を侮辱する言葉です。ですから韓国人は怒りで手が震えていたのです。このことをこの日本人は知らなかったのです。 このように自分では差別する気持ちなどなくとも差別していることがあります。見ようとする心がなければ見えてきません。今では、「使い捨てカメラ」などと言いますね。
 皆さんの中には学校で同和教育の授業を受けて来られた方がたくさんいらっしゃると思います。その授業で学んだ知識を使った差別事件が後を絶ちません。「結婚するにあたり相手が同和地区か教えて欲しい」や「結婚相手が部落出身者か知りたい」などの問い合わせが全国の市町村役所にあるといいます。
 インターネットは顔が見えない世界です。賤称語を使った誹謗中傷、差別落書きが後を絶ちません。
 先日、上益城で人権教育研究大会がありました。近畿大学の奥田均先生が講演なさいました。その中で、大阪府の意識調査で、「住宅を選ぶ際に価格や立地条件などが希望に合っていても、物件が同和地区内である場合避けることがあると思うか」の問に、「避けると思う」が30、5%、「どちらかというと避けると思う」が24、5%、つまり半数以上の人が「避ける」と回答しています。
 熊本県では、昨年6月、中学生がサッカーの練習試合中に「水俣病、触るな」の差別的発言がありました。水俣病は窒素水俣工場からの排水に溶け込んだ水銀による中毒症です。伝染病でも遺伝病でも風土病でもありません。それを「触るな」と言っているのです。今学校では、水俣病について学習しています。学習していますが、半端な知識として入り込み、それが差別発言を引き起こしたのです。
 人権問題について、「教えるから知らない人まで知ってしまう。人権教育はたいがいでよか」という寝た子を起こすな論がありますが、このようなことからもこの考えを受け入れることはできません。
 「同和問題を知ったのは学校での同和教育より、周りの大人から聞いたと答えている人が多い」という調査結果もあります。それも、同和地区に対するマイナスイメージで聞いている人が多いのです。ですから、人権教育・啓発が必要なのです。
 正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することが大切です。
 世界人権宣言第1条には、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と述べています。人権とは、自分の生活を理由なく侵害されず、人が人として生きていくことのできる権利です。
 私は、人権とは差別してはいけないばかりでなく、自分自身が人間らしく豊かに生きるとはどういうことかを考え、「自己実現を図る権利」と捉えたいと思っています。つまり、「すべての人が幸せと感じる生き方ができる権利」だと思います。
 人権問題には、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在していることは皆さんご承知の通りです。
 熊本県では、中でも同和問題、ハンセン病問題、そして水俣病問題を早急に解決しなければならない人権課題として教育・啓発に力を入れています。
 平成15年11月、阿蘇郡南小国町の黒川温泉でハンセン病回復者の宿泊を拒否する事件がありました。ハンセン病は「らい菌」という細菌による感染症です。しかし、昭和18年、「プロミン」という治療薬が開発され、また現在の栄養状態などから感染することは極めて少ないと言われています。熊本県では過去に、菊池惠楓園で様々な差別があったことから差別解消を図る教育・啓発を重ねてきました。そんな中で起きたのが宿泊拒否事件でした。
 資料に綴じています、第30回(平成22年度)全国中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した群馬大学教育学部附属中学校3年 大井海琴さんの「忘れてはならないこと」をご覧下さい。ハンセン病について学習したことを綴っています。
 中学生の作文を一緒に読んでみましょう。


 第30回(平成22年度)全国中学生人権作文コンテスト 全国人権擁護委員連合会長賞

     「忘れてはならないこと」

                                              群馬大学教育学部附属中学校3年 大井海琴

 授業でハンセン病について学んだ日、両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論を深夜まで繰り広げた。身体障害者の父と看護師の母を持つ私は、幼い頃から「命の大切さ」を訴える両親の姿を見て育って来た。そんな私は、真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合いたいと思いこの夏、草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた。
 草津までの道のり、私は罹患者の気持ちを絶えず考えていた。ハンセン病について調べると、「らい予防法」により罹患者は隔離され、人権を無視された扱いを受けたことが分かった。罹患者の言葉が書かれた本では、どんなに過酷な仕打ちを受けたか、他人をどれほど恨み、憎んでいるかが書かれていた。その為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている。」と勝手に思い込んでいた。しかし、こんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知らされることになるのである。
 私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん。藤田さんは大変お元気で、その容姿からはハンセン病を伺い知ることはできなかった。しかし、藤田さんは紛れもない罹患者なのだ。その証拠に、藤田さんの名は本名ではない。罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させられたと言う。つまり、その時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのである。そんな藤田さんから語られた話は、ハンセン病だと宣告され、3度も命を絶とうとしたこと。重症患者の看護を押しつけられ、数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと。家族が受けた迫害や侮辱的な言葉など、想像を絶するもので筆舌し難いものだった。しかし、こんな迫害と差別は同時にハンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ。闘争の末、「らい予防法」が廃止されると今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う。
 私は聞いていて怒りを覚えたが、不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは、全く怒りや恨みが感じられないのだ。私は話を聞くまで、自分の運命を呪い・周囲への恨みつらみの言葉が出てくるとばかり思っていた。しかし、出てきた言葉は「入園出来て良かった。差別は受けたが、今では恨みを抱く罹患者も少なくなった。そればかりか最近はたくさんの人が我々を理解し協力してくれるので嬉しい。何故なら一人の百歩は力が無いが、百人の一歩は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ。本当に「恨みは無いのか」と何度聞いても答えは同じだった。私は恥ずかしくなった。ハンセン病について調べ、罹患者の心を理解したようなつもりでいながら、実は何も理解できてなくて、そればかりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ。私は、話を聞いてとめどなく溢れ出る涙を拭いながら、心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身体から洗い流されていくのを感じていた。それは同時に、「思い込みや無知が偏見や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあった。それだけに藤田さんの「自分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる、他人を愛して下さい」の慈愛に満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった。
 帰りがけ、1500ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡された。その際、私は見えない襷も手渡された気がした。その襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで、私達の事を忘れないで」という搾り出すような叫び声と、その姿だったのである。
 ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた。同じ間違いを繰り返さないためにも、事実を語りついで行く必要がある。ここ楽泉園でも高齢化が進み証言者の数が減っている。これは全国15全てのハンセン病療養所に共通することだ。ハンセン病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない。今後人権問題を考える際、重要な指針になりうる事実なのだ。そしてこの事実の風化を防ぐことが、私達若い世代の役目だと私は思う。
 私は小六の時、友人達から突然イジメを受けた。それを引きずり、他人を恐れ・憎み、自分を嫌って生きて来た。しかし、罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた。楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだ。こんな私だが、罹患者の声を伝える「百人の中の一人」にはなれるはずだ。そのために私は今、この作文を書いている。文字は時を越えて生き続けるから。私はこれからも楽泉園訪問を続けるつもりだ。実際に中学生の私が出来ることには限りがあるが、差別や偏見を少しでも減らすために一歩を踏み出すつもりでいる。「自分と同様に他人を愛すればいつか差別は無くなる。」と言う藤田さんの言葉を胸に。

 大井海琴さんは、「私は恥ずかしくなった。ハンセン病について調べ、罹患者の心を理解したようなつもりでいながら、実は何も理解できてなくて、そればかりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ。私は、話を聞いてとめどなく溢れ出る涙を拭いながら、心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身体から洗い流されていくのを感じていた。それは同時に、「思い込みや無知が偏見や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあった。」と綴っています。
 「思い込みや無知が偏見を生み出す」を心にとめておきたいと思います。
 昼ご飯を食べた後で一番気持ちよい時間帯です。話しばかりでは上瞼と下瞼が仲良くなりますので、これからはワークシートを使って考えていきたいと思います。
 お配りしていますワークシートを出して下さい。
 はじめに、「コップの絵を描いてみましょう。」(各自コップの絵を描く)
 どなたか描いていただけませんか?(2名指名)

    ○○さんが描いたコップ          ▽▽さんが描いたコップ    

 ○○さん、▽▽さん、すばらしい絵を描いていただきありがとうございました。(拍手)
 お尋ねします。○○さんと同じようなコップの絵を描いた方、挙手して下さい。(6割程度挙手)
 ▽▽さんと同じコップの方?(3割程度挙手)
 コーヒーカップに似た絵を描いた方?(数人挙手)もっと違う絵を描いた方もいらっしゃるようです。
 私は今、「コップの絵を描いてみましょう。」と言いました。ですが、皆さんが描いた絵にはこんなに違いがあります。ということは、同じことを聞いても受け止め方が違うことがあると言うことです。
 ハローワークなど窓口業務で市民の方とかかわっていらっしゃる方、時々、自分が話していることと違うように受け止めておられると思うことはありませんか?
 自分は、○と言っているのに、相手は▽と受け止めているのでは話しがかみ合いません。あるいは誤解を与えてしまうことになりかねません。相手も私が言っている○と受け止めて聞いてもらっていると決めつけるのではなく、話の内容を確かめながら話を進めることが大切だと思います。

次に、そこに示しています絵を見て下さい。「女性はいくつくらいでしょう?」
若い女性に見えた方?(半数近く挙手)
高齢の女性に見えた方?(3割程度挙手)
今、怪訝な顔をされた方がいらっしゃいました。どちらか片方にしか見えなかった方ですかね。
両方見えた方?(3割程度挙手)(見え方の違いでざわつきがある)
 隣どうしで話し合って見て下さい。
 どうしても、片方にしか見えないという方?(1割程度挙手)
 どこをどう見ると、両方に見えるか話しをしてもらえませんか。
 「若く見える女性のあごを鼻、耳を目、ネックレスを唇とみると高齢の女性に見えます。」
 どうですか?(「なるほど」の声が聞こえる)
 この絵は、「だまし絵」といって、見方によっては違うものに見える絵です。
 皆さんに考えて欲しいのは、簡単に二人に見えた方、なかなか一人にしか見えなかった方がおられたように、違うものに見るのはかなりの労力が要ることがあるということです。
 私たちは、毎日いろんな人と出会います。良好な出会いをした人とは良好な関係を続けていくことが割と楽です。ところが、良好ではない出会いをした人と良好な関係を続けていくには労力が要ります。窓口業務に携わっている人の中に、どちらかというと良好ではない出会いをした人と良好な関係を続けるのに苦労された方いらっしゃいませんか。
 できるだけ良好な出会いをするよう心掛けたいものです。
 次は、「魚の絵を描いてみましょう。」
 どなたか描いてもらえませんか?(指名して描いてもらう)

◇◇さんが描いた魚

 ◇◇さん、すばらしい魚の絵、ありがとうございました。(拍手)
 ここで問題にしたいのは、魚の頭がどちらを向いているかです。お尋ねします。◇◇さんと同じに魚の頭が左を向いている絵を描いた方、挙手して下さい。(ほとんど挙手)
 ◇◇さん、皆さんほとんどがあなたと同じ絵ですよ。(驚きの表情)
 頭が右を向いている魚を描いた方?(1名挙手)すばらしいですね。すばらしいわけは後で話します。
 皆さん考えて下さい。今、私は「魚の絵を描いてみましょう。」と言ったのですよ。「左向きの魚を描いて下さい。」とは言いませんでした。それなのにほとんどの方が左向きの魚を描かれました。
 こんな事が起きるのは一体、どういう事でしょうか?(1人挙手)
 お考えを話していただけますか。
 「今、私は料理教室に通っています。そこで、魚の調理があります。食卓に出すときは、頭を左にします。私たちが左向きの絵を描くのはいつも目にしている魚が左を向いているからではないかと思います。」
 とてもすばらしいご意見、ありがとうございました。「いつも目にしている魚が左を向いているから」とおっしゃいました。
 まさにその通りです。私たちの周りにある魚の絵や写真、そして料理に出る魚、そのほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見て調べてみてください。8割から9割近くは左向きの魚です。それを見て、私たちは知らず知らずのうちに空気を吸うが如くいつの間にか「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 「○○は○○」のように知らず知らずのうちに自分のものとなっているものをを刷り込みと言います。この刷り込みが時として思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なって偏見となるのです。そして偏見が差別意識につながることがあるのです。
 この意味から、右向きの魚を描かれた方は魚の図鑑の絵や写真から刷り込みを受けることなく、自分の考えをお持ちですからすごいことだと思います。
 「魚の絵は左向き」は直接差別につながりませんが、「あすこんもんはおそろしか」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だっでん言いよる」と返ってきます。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 ですから、ものごとは正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、実行に移すことが大切なのです。
 ワークシート「6 同和問題」を見て下さい。
同和問題で一番の課題はそこのイラストにある「結婚問題」、「就職問題」そして「仲間づくり」です。
 もしあなただったら、どう感じますか。
 資料に添付しています栃木県大田原市立金田北中学校3年舩山泰一君の人権作文「一人でも多くの人に伝えたい」を読んでみます。


第30回(平成22年度)全国中学生人権作文コンテスト 全国人権擁護委員連合会長賞

   一人でも多くの人に伝えたい

                                          栃木県大田原市立金田北中学校3年 舩山泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 舩山君は、「何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 同和問題の解決のために今自分にできることを行動に移し、差別解消に向けた取り組みをすることが、私たち一人ひとりに求められています。
 私は、その一つが人権問題研修であると捉えます。
昭和40年(1965)の同和対策審議会答申では、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、経済的、社会的、文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なお著しく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と規定されています。
 この答申を受けて、昭和44年7月に制定された同和対策事業特別措置法以降の一連の「特別措置法」に基づく施策によって、一定の改善がされたものの、今日においてもなお深刻な社会問題であるのが同和問題です。
 平成8年の地域改善対策協議会意見具申でも「我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害にかかれる深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決に向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。その意味でも、戦後民主主義の真価が問われていると言えよう。また、国際社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足下とも言うべき国内において、同和問題など様々な人権問題を1日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。」と指摘されました。
 このことを受けて、人権擁護施策推進法や人権啓発推進法が制定され、人権教育・啓発が進められています。
 人権問題研修を、自己研修から社会的責任型の研修へ拡げましょう。説明責任を果たす行政施策の推進のための人権問題研修、あるいは明るい職場づくりを進める人権問題研修と大きく捉えることだと思います。
 先ほど「相手の立場に立って判断する」と言いました。これに対して「踏まれた者の痛みが分かるか」とよく言われますが、踏まれた人の痛みは本来他人は分かりません。しかし、少しでもその人の立場に立って分かろうとすることで傷みに近づくことはできます。
 様々な人権問題に関心を持ち、学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動しましょう。本日のような人権問題研修を通して、自分自身を見つめ直し、信頼を得る労働行政・明るい職場づくりに活かしましょう。
 そろそろ終わりの時刻が近づいてきました。
 労働行政に携わっておられる皆様方にお願いです。
 先ほども申しましたが、就職差別は深刻な社会問題です。就職は人生の大きな岐路です。自己実現や生活の糧を得るという観点からも非常に重要なものです。就職差別をなくすことは、職場から差別をなくし人権を守ることにつながります。
 平成11年(1999)の職業安定法の改定では、募集採用に際して、「その業務の目的の達成に必要な範囲内で求職者の個人情報を収集し、並びに当該収集の目的の範囲内でこれを保管し、及び使用しなければならない。」ことが明記されました。
 そして、同法にもとづく労働大臣指針で「次に掲げる個人情報を収集してはならない」として、「人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項」、「思想及び信条」、「労働組合への加入状況」を明記しました。また、「個人情報を収集する際には、本人から直接収集し、又は本人の同意の下で、本人以外の者から収集する等適法かつ公正な手段によらなければならないこと」も明記し、身元調査はしてはならないことを明確にしました。
 さらに「高等学校若しくは中等教育学校又は中学校の新規卒業予定者から応募書類の提出を求めるときは、職業安定局長の定める書類(全国高等学校統一用紙又は職業相談票(乙))により提出を求めること」も明記されました。
 すべての企業の採用選考試験において、また、日頃の労働条件や環境において、自己の能力以外のことで差別を受けるようなことがない人権文化の花咲く労働行政を推進して欲しいと思います。
 時間配分がうまくできずに、ワークシートの一部、桑原律さんの詩「人情あたたかく」、同対審答申文、地対協意見具申文など、触れることができませんでした。後刻時間を作って是非目を通していただきたいと思います。
 働く人が笑顔あふれる暮らしができる労働行政が益々推し進められることを祈念しまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。