共に生きる
平成21年2月27日
合志市相生文化会館

 おはようございます。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。ただいま「なかがわありとし」さんと紹介していただきました。レジメに書いています字で「ありとし」と読みます。
 私が新任で牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔をまじまじと見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は職員に女性の先生が赴任してくると紹介していたのに。男の先生な。ほんなこて中川先生な」と私に念を押されました。校長先生は、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
 先ほど言いましたように「有紀」と書いて「ありとし」とよみます。65歳になった今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこのようなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。もうはこの世にいませんが、「先生になろごたる」と言う私を「お前の好きな道を歩め」と応援してくれました。そんな父を尊敬し、敬愛しています。その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 私が結婚を意識し始めた頃、昭和44年のことです。私が結婚しようと思っていた女性、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。私が
「生涯共に暮らす女性」と決めた彼女と私の人権を侵された思いで、「おるがこの女性と結婚したいと決めたのに、おるば信用できんとな」と強く抗議しました。父は何も言いませんでしたが、下を向いたままのその姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。弟たちの結婚話の時にはこのようなことはしませんでした。同和対策審議会答申は昭和40年に出されていたのですが当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 私は社会教育主事の頃、社会同和教育研究集会で基調提案をしていました。その中には「同和教育」とか「同和地区」などの言葉がありました。基調提案が終わってから、ある方から「中川さん、あたが行政職員として「同和教育」とか「同和地区」とか言うのは当然のことだろう。しかし、あたが「同和地区」「同和教育」と言うたびに私は大きな鉄槌で頭を殴られたような思いがする。こんな思いをせんでよかごつ、1日も早う部落差別がなくなるごつしてはいよ」と言われたことがありました。
 また、ある支部長さんが「俺が大声であたにいろいろ言うけん、俺があたばおごりよると思うちゃおらんな。子や孫の代まで部落差別を残さんごつあたたち行政の人に心から頼みよるとばい。部落差別ばなくしてはいよ」と両手で私の手を握りしめ、話されたことがありました。
 「同和教育は頭ではなく、心で考えること」を学びました。知識としての同和教育ではなく、自分の生き方としての同和教育であらねばならないことを学びました。
 自分の責任以外のこと、生まれ育った所によって差別を受ける部落差別はあってはならないことです。人権問題、とりわけ同和問題を自分のこととして受け止めていきたいと私は思っています。部落差別を始めあらゆる差別をなくす取り組みは、すべての人の願いです。
 啓発活動が進んで、日頃は、「俺は、差別もなんもしよらん。誰とでも付き合いよる」と人は口にします。しかし、結婚や就職と言った人生の節目の時、差別意識が心の奥底から出てくることがあります。
 熊本県が平成16年度に調査した県民意識調査のデータがあります。

○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
  @結婚問題で周囲が反対すること               54.4%
  A身元調査をすること                       41.8%
  B就職・職場で不利な扱いをすること             29.8%
 と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。

○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に
  @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない   62.5%
  A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30.0%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない           4.1%
  C絶対に結婚を認めない                         3.4%
 6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、反対するがしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、結婚を認めないが7、5%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。

○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に
  @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する  54.5%
  A自分の意志を貫いて結婚する                      26.7%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚しない               15.2%
  C絶対に結婚しない                               3.6%
 5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
 同和対策審議会答申のもと、同和教育が始まって、40年近く経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 次のデータを見てください。児童生徒、保護者の願いです。
 まず、児童生徒の回答です。

○「学校であなたにしてほしいことはどんなことですか?」で
@授業が分かるように工夫してほしい                46.1%
Aしかるとき、何が悪いのかわかるように教えてほしい     12.0%
B自分の考えや悩みをしっかりと聞いてほしい          10.7%
 学校では、全員がわかる授業を目指して授業は展開されていますが、子ども達が「わかりたい」という気持ちを強く持っていることが分かります。

○「部落差別についての学習でどのようなことがわかりましたか?」で
@理由もなく差別を受け、苦しんでいる人がいること       62.3%
A部落差別をなくすためには、思いこみや間違った見方などをしないで、自分自身で考え判断することが大切なこと                                                      29.0%
B差別を許さない、差別に負けない強い心をつくること     28.3%
 「ある地域に生まれたから」という自分の責任外のことで差別を受けることの不合理さを子ども達は理解しています。また、「思いこみ」「間違った見方」をせずに、自分自身で学び判断することの大切さに気付いています。

○「部落差別の問題を解決するために、今あなたにできることはどのようなことですか?」で
@部落差別を正しく理解する                     27.1%
A人ごとでなく自分の問題として差別をなくすよう努力する   21.4%
Bおかしいと思ったことは積極的に伝える             18.8%
 「部落差別を正しく理解すること」「自分の問題として差別をなくす努力をすること」を挙げています。
 次は保護者の回答です。

○「同和問題の解決に必要なことはどんなことだと思いますか?」に対して
@同和問題を解決するための教育・啓発広報活動を推進する             50.7%
A同和問題について、自由な意見交換ができる環境をつくる              40.5%
B行政が差別を受けておられる方々の自立しやすい生活環境をつくるよう努力する31.7%
 「教育・啓発」の必要性を強く感じています。

○「学校の人権問題の研修会などについて、どのようにお考えですか?」に対して
@講演会などで、いろいろな体験談などを聞きたい                   36.2%
A人権についての学習の大切さは理解できるが、人権問題以外の学習もしたい 13.1%
B講演会などで、いろいろな人権問題についてじっくり学習したい          13.1%
 21世紀は、人権の世紀とも生涯学習の世紀とも言われています。人権尊重の視点から生涯学習をすることを回答しています。

○「お子さんの人権学習について、どのようなお考えですか?」に対して
@自分の考えをはっきりと伝えたり、相手の気持ちをきちんと理解できるように育ててほしい                                                                            22.4%
A高齢者の方や障害者の方達との交流学習を通して、優しさや思いやりなどしっかり学んでほしい                                                                        20.7%
Bお互いを認め合い、励まし合いながら、育ち合う環境で学習させたい  19.2%
 これからの人権教育に望む児童生徒・保護者の考えが見えてきます。
 これまでの運動団体の解放運動、学校・行政による教育・啓発などによって同和問題に関する理解が進み、差別の解消が図られています。しかし、今見ましたように今なお、部落差別は現存しています。
 部落差別の完全解消をめざして教育・啓発活動を続けていることにたいして「そっとしておけば自然になくなる」と言う人がいます。しかし、本当にそっとしておけば差別は自然になくなるでしょうか?
 私の中学時代の同級生が、「ありちゃん。あんまり同和、同和て言わん方がよかばい。差別はなくなってきた。知らん者は知らんままがよか。あんまり言うと知らん者まで知ってしまう。そっとしといた方が差別はなくなるばい。たいぎゃでよかばい」と言います。私は、「あたの子や孫が被差別部落の人と結婚する話が出てきたとき、あたはどぎゃんするや?」と聞きました。同級生は返答に詰まりました。「そっとしておいた方がよい」という人に「あなたのことだったら」と問い返したときの反応には3つあるようです。
 1つは、私の同級生のように返答に詰まる人。
 2つは、真に同和問題を理解して、部落差別は昔のことと思っている人。
 3つは、「そっとこっとは違う。結婚となると話は違う」という人。
 返答に困る人は、同和問題を人ごととして考えている人だと思います。
 「よそごととして考えると、もうよかばいとなる。我がごととして考えると、そうはいかん。同和問題を理解違いしている人には、あすこんもんとおれとは違うという気持ちがある。それが差別。みんなが同和問題を正しく理解して、生まれ育った場所で差別することのおかしさにみんなが気づき、こんな差別をなくすように教育・啓発活動をしている」と答えました。正しく理解し、差別解消に行動する人になるようさらなる啓発を続けていくことです。
 同和問題を正しく理解して、部落差別は昔のことと思っている人には、部落差別は現存している。差別をなくす取り組みをしていこうと差別解消の実践家になってもらうことです。このことについては、昨年10月開かれた熊本県人権子ども集会で、高校生が次のような熱い思いを訴えました。「あそこって元部落よね」という友達の発言から、自分が差別とたたかう生き方をしていることを話すと、「あなたがどうだと言うことは関係なか。私たちは友達よ」と言う友達に、「関係なかではない。あなた達が部落差別をする側に立つのではなく差別をなくす側に立って欲しい」「共に差別をなくす仲間になってほしい」と、差別をなくす仲間を増やしていきたいと。
 「結婚となると話は別」と言う人は、ある程度理解した上で差別を温存させようとしている人ではないでしょうか。啓発のあり方を工夫しながらさらなる啓発を続けていかねばなりません。
 部落差別を始めあらゆる差別を他人事として受け止めるのではなく自分のこととして受け止め、みんなが幸せに暮らせる世の中になる努力を続けたいものです。
 昭和40年に出された同和対策審議会答申には次のような一文があります。


 戦後のわが国の社会状況はめざましい変化を遂げ、政治制度の民主化が前進したのみでなく、経済の高度成長を基底とする社会、経済、文化の近代化が進展したにもかかわらず、同和問題はいぜんとして未解決のままでとり残されているのである。しかるに、世間の一部の人々は、同和問題は過去の問題であって、今日の民主化、近代化が進んだわが国においてはもはや問題は存在しないと考えている。けれども、この問題の存在は、主観をこえた客観的事実に基づくものである。同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。また、「寝た子をおこすな」式の考えで、同和問題はこのまま放置しておけば社会進化にともないいつとはなく解消すると主張することにも同意できない。

 これは、「部落差別はなくならない」という考え方と「寝た子を起こすな」の考え方を否定したものです。この答申を受けて、対策事業が行われ、教育・啓発が続けられてきました。
  寝た子を起こすなの考え方の誤りをある本では次のように記してあります。
○すべての人がそっとしておくという前提があってはじめて成り立つ理論だが、その前提が成立しない現実がある。
 平成16年度「人権に関する県民意識調査」によると、同和問題を初めて知ったきっかけは、学校の授業で知ったが30.3%、家族から聞いたが18.6%です。学校の授業で正しく知るように家族から聞くことも正しく教えてもらうのならよいのですが、間違って教えられることが多いのです。
○自分自身のことになったら、大騒ぎすることが少なくない。
○明治4年の解放令から大正11年の水平社創立までの約50年間、そっとしておいて差別はなくならなかった。
○これまで、啓発活動を続けてきた結果、差別が減少してきた。
 今日でも部落差別がなくならないのは、同和問題について正しく学ばなかったことが大きな要因です。正しく理解していないと、事実に基づかないうわさやまちがった情報をそのまま信じて、予断や偏見が形成されることになります。「寝た子を起こすな」という考え方は、人権意識を眠らせ、差別を温存し、次の世代に残すことになります。差別は自然になくなってきているのとは違います。なくそうと解放運動や教育啓発してきたから、正しく理解する人が増え、なくなってきているのです。そっとしておけと言うのは、差別意識以外の何ものでもありません。そっとしておくことは、差別を放置することです。
 昭和50年代、勤務校の町役場で課長、係長、学校職員等で小組合単位の啓発活動をしました。啓発映画を見た後で、意見交換するのです。一人のおばあさんが、「あた達が言うことはよく分かります。でも、私は、長年こういうものだと思い、生きてきました。ですから、はいそうですかとはいきまっせん。私たち年寄りが死んだら差別はなくなるでしょう」と言われました。私は、「おばあさんが死んだらではなく、今分かると言われたことを家で話し合ってみてください」と言っていました。
 皆さんは日頃工夫しながら啓発活動に取り組んでおられます。これからもさらなる工夫を凝らして住民の啓発活動に取り組んでいただきたいと思います。そして、人権問題はすべての人の問題であるという認識を住民が持つよう支援していきましょう。
 皆さんにお尋ねします。手を挙げなくても結構ですが心の中で手を挙げてください。
 「女のくせになんだ」といわれた人はいませんか?「女は入れてあげない」と遊びにかててもらえなかった人はいませんか?
 「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などと言われたことはありませんか?あなたが言ったことはありませんか?
 「どこの学校へ行っているの?」と聞かれて、「○○学校」とこたえたら、「なんだ、○○学校か」と言われたことはありませんか?
 「子どものくせにだまっていなさい」と言われたことはありませんか?あなたがおじいさんやおばあさんに「としよりのくせに」と言ったことはありませんか?
 体の不自由な人をからかったり、笑ったりしたことはありませんか?
 同和地区に生まれた人たちの悪口を言ったり差別の目を向けている人はいませんか?
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。では、差別とはどのようなことでしょうか。差別についてきちんとした知識をもっていないと、あなたが誰かを差別しても差別していることに気づくことができません。また、誰かにあなたが差別されても差別されていることに気づくことができなくなるのです。
 差別とは、命と人権が傷付けられることです。差別とは、自分の力ではどうすることもできないことで不利益を被ることです。差別とは、みんなが同じではなくなることです。
 人をばかにしたり、仲間はずしをしたり、いじめることは差別です。逆に、人からばかにされたり、いじめられることは、差別されていることです。
 その差別をあなたがあずかり知らないことで受けたらどう思いますか?
 例えば、容貌のことで。体型のことで。生まれた所や育ったところで。今、言いました「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などは容貌や体型のことですよね。これは自分の力ではどうすることもできないものです。自分の責任ではないことで馬鹿にされたり、蔑まれたりしているのです。この自分の責任ではないこと、つまり生まれた場所や住んでいる場所で差別されるのが部落差別です。
 皆さんは島崎藤村の「破戒」を読まれたことがおありでしょう。明治39年に島崎藤村が発表した文学作品です。
 主人公の瀬川丑松が故郷の被差別部落を出るとき、父から戒めを受けます。「どんなことがあっても自分の出自を明かすな。隠し通せ」という厳しい戒めでした。小学校の教師となりました。父の戒めを守っていた丑松は自らの出自を公にして社会運動を行っている猪子連太郎の「人は自分の生まれを選べないこと。生まれながらにして平等であること」という考えに触れ、父の戒めとの間で葛藤します。そして、子どもたちの前で自らの出自を明らかにします。そして、学校をやめてしまいます。この後で丑松の友人である土屋銀之助が蓮花寺の志保にいろいろ問いかけます。その場面に次のような会話があります。読んでみます。


 「さだめしあなたも驚いたでしょう。瀬川君の素性を初めてお聞きになったときは。」
 「いいえ」
 「ホウ」
 「してみると、あなたも瀬川君を気の毒だと思ってくださるんですかなあ。」
 「でも、そうじゃございませんか。新平民だってなんだってしっかりした方の方が、あんな口先ばかりの方よりはよっぽどいいじゃございませんか」
 「おとっさんやおっかさんの血統がどんなでございましょうと、それは瀬川さんの知ったことではございますまい。」
 「あの男の素性をお聞きになったら、さだめしあなたも今までの瀬川君とは考えてくださるまいかと」
 「なぜでしょう」
 「だって、それが普通ですもの」
 「人はそうかも知れませんが、私はそうは思いません」

 こんなやりとりの場面があるのです。藤村は、志保に「おとっさんやおっかさんの血統がどんなでございましょうと、それは瀬川さんの知ったことではございますまい。」と言わせています。つまり人のあずかり知らぬことで差別することのおかしさを指摘しています。
 丑松が出自を明かした後、解放運動に入るのではなくアメリカへ行ってしまうことから、この破戒に対する評価がなされなかったのですが、藤村は当時のありのままの姿を丑松の言動を通して描くことで社会に対して「これでいいのか」と問いかけたのではないかという評価がなされるようになりました。
 そして、昭和37年に市川崑監督、市川雷蔵主演、解放同盟委員長松本治一郎監修の映画「破戒」が発表されました。数年前にNHKのBS2で放映されました。
 映画のシーンで、丑松が宿を追いだされた部落の人を土屋銀之助に語るシーンがあります。
 「病院を追いだされ、宿を追いだされる。背中に塩がたたきつけられる。これじゃ隠さずにおれまい。隠していてもかぎつけられてこの始末だ。部落民は人間じゃないのか。部落民と普通の人間との間にどんな違いがあるんだ。知っているなら言ってみてくれ。土屋君。部落民というのはね、歴史的に為政者の都合でつくられた階級なのだ。その子孫が一定の地区にかたまって残り、世間より一歩遅れた生活をしているというだけのことだ。今は新しい時代だ。天皇陛下の赤子として現に戦争にも行っているじゃないか。」
 映画の解説書では、原作にないもの、「部落民というのはね、歴史的に為政者の都合でつくられた階級なのだ。その子孫が一定の地区にかたまって残り、世間より一歩遅れた生活をしているというだけのことだ」を丑松に語らせているところは、松本治一郎の考えが反映されているのだろうと述べています。
 余談ですが、志保の役を演じたのは藤村志保ですが、この芸名はこの映画出演で島崎藤村の「藤村」そして志保の「志保」をとって「藤村志保」としたそうです。
 レンタルビデオ店などから借りて視聴してみませんか。
 映画といえば「おくりびと」がアカデミー賞を受賞して、今日本中が喜びで沸き返っています。私はこの映画は見ていませんが、妻の母が昨年8月29日、脳内出血で急死しました。葬儀社の方に通夜や葬儀の段取りをお願いしました。葬儀社の方が母の亡骸をきれいに拭き上げ、薄化粧を施し、生前気に入りの服を着せてくれました。そして、葬儀の日取りなどを打ち合わせました。
 葬儀社の方が、「今夜は仮通夜、明日の晩が本通夜、31日葬儀が一般的と思いますが、31日は「友引」です。友引という考えは、浄土真宗とは全く関係のないことだとお寺さんから言われています。どうされますか」と話がありました。私も遺族もこの六曜の考えを気にしていませんので、31日に葬儀を済ませました。葬儀社の方が丁寧に説明してくださったのは、これまでの同和教育、人権教育の成果だと思います。
 しかし、よく考えてみると、私たちは日頃は「今日は何の日」かを意識して生活していないのに、結婚式だ、葬儀だ、棟上げだというときに「今日は何の日だろうか」となるのはおかしなことです。
結婚式場では、まだまだ、六曜の考えがあるようです。大安の日は大盛況でしょう。このように科学が進んでいる現在も、科学的に根拠のない考えに惑わされるのはおかしな話です。お亡くなりに故高千穂正史さんは「愛語問答」で、知性を持った現代の人間が日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なこと述べています。
 この六曜の考えは、個人レベルですので社会全体に何かを及ぼすと言うことはありませんが、迷信の一つに「三隣亡」があります。関東地方のある県で、「三隣亡の日に隣で棟上げがあった。自分の家まで災いがあってはたまったものではない」と棟上げしたばかりの家に放火するという事件があったと聞いたことがあります。こうなると、大きな社会問題ですね。
 三隣亡について調べてみました。三隣亡とは、この日に建築すると、後日火災に見舞われ、近隣3軒まで滅ぼすといって忌む日のことです。調べたことによりますと、三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかもはっきりしてはいないそうです。しかし、江戸時代に入ってから確立されたとされています。江戸時代の本には「三輪宝」と書かれて、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていたそうです。すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになるのです。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされているそうです。ただ、真偽のほどは分からないそうです。後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められたとありました。こんなことを信じて、放火事件が起きるというのはおそろしいことです。
 吉田兼好は、徒然草九十一段で「赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり」で「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なりと言へり。吉凶は、人によりて、日によらず」と言っています。赤舌日は暦の上で6日に一度来る日で、この日は何もかもうまくいかないとされている日でした。しかし、この日は陰陽道ではなにも忌み日だなどとは言わないというのです。
 皆さん、魚の絵を描いてみましょう。(3分程度自由に描く)
 できるなら皆さんにここで描いてほしいところですが本日は時間がないので、私がここに描きます。(頭が左向きの魚と右向きの魚を描く)
 おたずねしますので、手を挙げてください。
 頭が左向きの魚を描いた人?(全員挙手)
 右向きの魚を描いた人?(挙手0)
 皆さん全員が左向きの魚を描きました。
 どこの研修会でも、本日のようにほとんどが左向きの魚を描かれます。どうしてそうなると思われますか?
 あるところでは、「料理に出す魚は左向きと決まっている」という話を聞いたこともあります。そうですよね。お皿にある魚は左向きです。今度図書館へ行かれたとき、魚の写真や図鑑を見てください。ほとんどが左向きです。私たちが毎日の生活の中で見る絵や写真、料理での魚の頭はほとんどが左を向いています。私たちは空気を吸うごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。だから、魚の絵を描くとつい左向きの魚を描くのです。
 では、次に牛の絵を描いてみましょうか。
 牛の姿をイメージしてください。色を付けてください。
 お尋ねします。
 あか牛をイメージした方?(およそ3分の1)
 くろ牛の方?(およそ3分の1) 
 白黒のホルスタインの方?(およそ3分の1)
 阿蘇郡産山村で聞いたときは、全員あか牛でした。
 天草で聞いたときは、くろ牛が多かったです。
 私は、白黒のホルスタインをイメージします。どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?
 それは、自分の身近にいる牛が直ぐに浮かぶからです。小さい頃から見続けてきた牛をもとに「牛とはこんなもの」とのイメージが出来上がっているのです。これを刷り込みといいます。この刷り込みが時として、思い込みとなり、そして偏見になることがあるのです。その偏見が差別を生むことがあるのです。牛や魚では偏見は生まれないかもしれませんが、自分がマイナスイメージを持っているものに対してそれが偏見となることが多くあります。
 人はだれひとりとして「偏見」を持って生まれてくるわけではありません。しかし、私たちは、子どものころから無意識のうちに作り上げた先入観でものを見たり、決めつけたりしています。
 長男が結婚式場を予約してきたとき、時刻を聞くと午後3時からと言います。私は即座に「昼からや。そらいかん。祝い事は午前中にせにゃん。すぐ時刻の変更をしてこい」と言いました。すると長男は「お父さんはなんば言いよると。いつも大安や仏滅は何の根拠もない迷信て言いよるとに、祝い事は午前中と決まっとるなんて。お父さんが言いよるのはおかしか。それこそ偏見たい。友達が遠くから祝いに来てくれる。昼からがみんなのために都合の良かけん3時からにしたとにお父さんはいっちょん分かっとらん」と厳しく言われました。私は小さい頃、祖父や父から「祝い事は昼前にする」といつも言われていました。その根拠も何も考えずに言われたことをそのまま信じてこれまで来ていたのです。私の心の中にあるおかしさを息子から厳しく指弾されました。
 「先入観は人を見る目を曇らせます」。「誤解や無知は、偏見を生み、間違って判断することがあり、差別を助長します」。「生きていくうえで欠かせないことは、ものごとを正しく知ることです」。「人生、やり直しはできませんが見つめ直しはできます」。「そうかな?」と立ち止まって、予断と偏見、差別心を取り除いていきましょう。
 昨年、人権教育の指導方法等に関する調査研究会議が「人権教育指導法に関する第3次とりまとめ」を発表しました。学校では、このまとめに沿った人権教育が進められています。人権教育の内容は、人権や人権擁護に関する基本的な知識を正しく学び理解すること、人権が持つ価値や重要性を直感的に、共感的に受け止めようとする感性や感覚を身につけること、そして、自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践行動力を養うこと、の3点です。以前から言われていますように知識止まりではなく、差別解消のために行動することを求めています。日頃の生活の中で人権感覚を育て、行動へ移しましょう。
 時間も迫って参りました。平成20年度中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した香川県土庄町立土庄中学校2年岡田真奈さんの「勇気の第一歩」を読みます。


                   「勇気の第一歩」
                                              香川県土庄町立土庄中学校2年 岡田真奈
 私は、差別をうけた事はありません。なのになぜ、差別を考えるかと言うと、私のお母さんが部落で生まれ育ち、さまざまな辛い思いを経験したことを聞いたからです。お母さんが、自分の住んでいる地域が部落だと意識したのは、中学の頃、初めて友人の家に遊びに行った時のことだそうです。
 「おじゃまします。」と友人の家に上がった時、友人のお父さんは心よく「どうぞ。」と言ってくれました。
 いろいろと楽しく話をしているうちに「あなたはどちらの子供さん?」と聞かれたので答えると「そう。」と笑顔で答えてくれたのですが、その場を立ち上がると奥へ行き、友人のお母さんに「あの子、大丈夫?」と言っているのが聞こえてきたそうです。
 家へ帰り、両親にその出来事を話すと、自分の立場と部落差別について聞かされ、すごくショックをうけたそうです。
 それからは、二度とそんな思いをしたくなくて、自然と自分に合う友人を探して遊ぶようになり、部落差別をする人たちに反発するかのようにだんだんと不良ぶっていったそうです。そうして、何かあるたびに「あの子は部落だから。」と言われてきたそうです。
 私から今のお母さんを見ると、私や家族のために一生懸命がんばっている、普通の優しいお母さんです。
 お母さんは言っていました。
 「部落を作っているのは差別するみんなの心だよ。部落を嫌がる人が部落を作っているんだ。」と。部落だからあの子と遊ばないとか、部落の人はこわいとか、そういうことを言っている人と部落の人との間には、必ず深い溝ができていて、あまり親しくないように思います。だから、人と人との輪がすごく小さな物にも見えます。そんなことを言わない人の輪はとても大きな輪ができています。
 「部落の人は悪い」と言うけれど、部落でない人だってまちがいや悪さはすることがあります。人の一部分だけ見て悪い悪いと決めつけたり、一部の人だけ見て部落の人はみんな悪いと決めつけたり、そんな偏った物の見方、考え方で人を不幸にすることは決して許されることではないのです。
 また、部落差別をしている人は、部落だけでなくいろいろな面で人を差別して、結局自分の友だちの輪を小さくしていっているように思います。それは、差別されている人を不幸にするだけでなく、自分自身を不幸にしていることになるのではないでしょうか。
 私も、この作文にお母さんが部落出身と書くのはとても抵抗がありました。正直な気持ち、みんなに知られたくないと最初は思いました。なぜ嫌なのか答えが見つかりません。
 ただ、部落だからです。
 ただそれだけのことで、私は大好きなお母さんを差別してしまうところでした。
「差別はいけない」とえらそうに思っていたけれど、そう言っている自分の心の中にも差別の心があることに今回初めて気がつきました。その私がお母さんに対して、今どうすればいいのかを考えたとき、勇気をだしてお母さんのことを書こうと決心しました。これが今の私にできる差別をなくす第一歩です。
 部落は何が違うのか。
 私は今でも部落がなんなのかわかりません。だって、胸をはって堂々と生きるお母さんは、私にとって世界一のお母さんだからです。

 「私は大好きなお母さんを差別してしまうところでした」と書いています。お母さんのことを語ることは作文の題でもあります「勇気」がいったことでしょう。でも岡田さんは周りが自分のことを受け入れてくれると思ったからこの作文を書いたのでしょう。互いの違いを認め、共に生きる感性、つまり人権感覚が育っていれば自分のことを素直に話すことができます。すべての人がありのままの自分が好き、家族が好きと素直にいえる豊かな人権感覚をはぐくんでいきたいと思います。「ありのままの自分を好きになる」には、「上見て暮らすなした見て暮らせ」の考えを捨てることです。子どもがテストで60点だったとき、他と比べられます。60点が一番上なら褒められます。しかし、下なら叱られます。だから子どもは自分より下がいないかを気にします。下がいると心が落ち着きます。言い換えれば下がいないと落ち着いて暮らせないのです。ここに、「バカにする」「蔑む」「差別する」の心が生まれてきます。人と比べるのではなくどれだけがんばったかを評価し、認める態度を持ちたいと思います。これが「共に生きる」ことにつながります。
 おわりに、ぎふ人権文化研究所の桑原律さんの「共に生きる道」をみんなで声に出して読んで終わりにしたいと思います。しばらく黙読してください。では、一緒に読みましょう。


   共に生きる道   桑原 律 

   わたしたちが
   この世に生をうけたとき
   だれにも選ぶことのできないこと

   世界の どこの国で
   どのような人種・民族の一人として生まれるか
   どの地方の どの地域で生まれるか
   どの家で だれを親として生まれるか
   どんなからだで生まれるのか
   これらは
   だれも選ぶことのできない条件

   人種や民族が違うからといって
   なぜ 偏見を持つのでしょうか
   ある地域の出身だということだけで
   なぜ
   特別な目で見て
   さげすむのでしょうか

   女性か男性かという
   性の違いによって
   なぜ
   人間としてのねうちに
   差をつけようとするのでしょうか

   からだに障害があるからといって
   なぜ
   「やっかい者」扱いし否定的に見るのでしょうか

   一人ひとりは
   それぞれが 命ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれが 心ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれ 個性的な違いがあって同じ人間なのです
 
   人と人とを分け隔て
   心の中にある壁を設けるのは
   やめましょう

   違いがあることを
   その人を否定する理由とせず
   違いがあることを
   おたがいに認めあうこと
   そうして おたがいを信じあい
   共に生きる道を踏み出しましょう
        (ヒューマンシンフォニー 光は風の中により)

 ご静聴ありがとうございました。