正しく学び 正しく理解し 相手の立場に立って判断し 行動しましょう
甲佐町立乙女小学校
平成24年3月1日


 皆さんこんにちは。
 ただいまご紹介頂きました中川です。よろしくお願いします。
 乙女小学校には、数年前にも家庭教育講演会でおじゃましました。本日は人権問題について一緒に考えていきたいと思います。
 今日は3月1日。1年前の3月11日、1000年に1度と言われる大地震、想像を絶する大津波が東北地方を襲いました。そして、東京電力の原子力発電所が水素爆発を起こし、放射能被害が発生しました。
 私は、旅行中でした。津波が襲ってくる映像、カーラジオから流れる被害状況、枝野官房長官の記者会見から大変なことが起きたと思いました。大変なことが起きている中でも、救援物資を整然と並んで受け取る人々の姿を見て海外のメディアは、「何とすばらしい国なんだ」と絶賛しました。このような大惨事の時、他国では、暴動が起きたり、略奪が起きたりする光景がよく報道されていましたから。
 東北の人々はそのようなことは全くなく、必死で生きておられます。日本全国の人々も、自分にできることがあるならと、各地から復旧ボランティアに駆けつけたり、支援カンパをしたり、みんなで力を合わせ、復旧・復興を応援しました。このことから「絆」が生まれ強調されました。
 ところが、災害発生から1年も経とうとしている今、がれきの山です。がれき処理協力に手を上げる自治体が少なく、がれきは放置状態と言うことです。放射能汚染を怖れて住民が受け入れないからです。
 私はここに、「たて前と本音」があるように思えて仕方ありません。たてまえで語るとどうしても「他人ごと」になってしまいます。いろんな出来事を「我がこと」として捉えるには本音で語り合わないと物事は解決しないと思います。
 人権問題も全く同じです。たて前で人権問題を語るのではなく、本音で語り合いたいと思います。「踏まれた者の痛みは分からない」と言われます。しかし、私たちはその痛みに近づくことは出来ます。踏まれた人と話をしたり、本を読んだり、過去の自分の痛みと重ねることによって踏まれた人の痛みに近づくことが出来ます。本日の研修会もその一つですね。
 本日は、このような意味から人権問題を考えてみたいと思います。自分の心の内を見つめ直してみたいと思います。たて前ではなく本音で。

 いきなりですが、ワークシートの女性はいくつくらいでしょうか。
 隣の人と話し合ってみて下さい。
 (「若い人に見える」「お年寄りよ」などの話が聞こえる。)
 お尋ねします。「若い人に見える方?」(半数程度)
 「お年寄りに見える方?」(半数程度)
 (「両方に見える」という言葉が聞こえる。)
 両方に見える方、手を上げて下さい。(数人)
 (「両方見えるね?」「私には見えない」などという言葉が聞こえる。)
 どうしても両方には見えないという方?(数人挙手)

 どなたかお話して頂けませんか?
 (「見る角度を変えると若くも見え、お年寄りにも見える」「若く見える人は、顎を鼻と見るとお年寄りに見える」「横の線を唇と見るとお年寄りに見え、ネックレスと見ると若き人に見える」など話し合う)
 そうですよね。今話し合いをして頂いたように、若い人にも見え、お年寄りにも見えます。
 この絵は「だまし絵」といって、見方によって違うように見えるものです。
 この絵から3つ、考えて頂きたいことがあります。
 1つは、出会いを大切にと言うことです。若い人に見えた方は、お年寄りと見ることに少し戸惑いがあったでしょう。反対も言えます。同じように、私たちはいろんな人との出会いがあります。初めての出会いの時、プラスイメージで出会えた人とは長く良好な関係を続けることが出来ます。反対に、マイナスイメージで出会った方と良好な関係を続けるにはかなりの労力が要ります。ですから、出会いはいつもプラスイメージでと思います。
 2つ目は、表と裏の関係です。表から見るばかりでなく裏からも見ましょう。例えば、お子さんをマイナスイメージで捉えていることはありませんか。
 先日、益城町の小学校で1日体験入学がありました。その折、入学前の家庭教育について話しました。校長先生が、「子どもたちは私を見て誰もよか男とは言いません。足も長くはありませんし、お腹も出ていますが私は自分でよか男と思っています」とおっしゃいました。私が、校長先生に、「食事がおいしく、よく食べるからお腹が出ている。健康の証拠。健康はよか男と思っていらっしゃるのでしょう」と言うと、「その通りです」とおっしゃいました。
 お子さんのことを考えてみて下さい。うちの子は落ち着きがなく走り回ってばかりいる、困ったものだと思っている方いらっしゃいませんか?そうではなくて、元気が良く活発な子と捉えるとすばらしいお子さんですよね。このようにとらえ方次第で、プラスにもマイナスにも見えます。どうか、お子さんの特徴をプラスに捉えてください。引っ込み思案ではなく思慮深いと捉えましょう。プラスに捉えるとそこを伸ばすことができます。
 3つ目は、人権問題の解決は行政がすることで私には関係ないと言う人がいます。逆に人権問題は個人の心の問題だからあまり行政が前に出ない方がよいと捉える人がいます。このように一面だけ捉えては人権問題は解決しません。行政が人権問題解決の施策を推進すること、私たちが話を聞いたり、本を読んだり、互いに意見交換しあったりして人権問題について学び、できることから行動に移すこと、この二つが相まって人権問題は前進します。
 

そこに示しています2本の線はどちらが長いでしょうか。考えてみて下さい。
 (「上の線が長いようだが同じ長さだろう」との声が聞こえる。)
 (ペンで長さを比べている人もいる。)
 上の線が長いと思う人?(挙手無し)
 下の線が長いと思う人?(挙手なし)
 同じ長さと思う人?(ほぼ全員が挙手)
 確信を持って同じ長さと思った人?(ペンで長さを比べたら同じだった)
 上が長いと思ったが、同じ長さのようだからと思った人?(数人挙手)

 上が長いと思うが、どうもこれは同じ長さのようだからと思うのは本音とたて前の使い分けに似ていませんか。
 やはり、長さを比べるのは、ものさしがあれば物差しできちんと測り、ものさしがなければ長さを測る基準になるもので図り、判断するのが科学的な見方ですね。

 では、左の矢印はどちらが長いでしょう?
 上が長いと思う人?(半分以上挙手)
 下が長いと思う人?(挙手なし)
 同じ長さと思う人(約半数挙手)
 わからない人?(「今長さを比べている」の声有り)

 そうですね。やはりきちんと基準になるもので長さを測って判断すべきですね。
 これが科学的ものの見方です。
 結論は、上と下の線の長さは同じです。でも、上の方が長く見えませんか?
 矢印が上は開いています。下は閉じています。ただ、これだけで私たちの目を迷わせるのです。
 矢印が無く、1本の直線だったら、ある程度客観的に判断できると思います。矢印がついているだけで判断を間違わせます。私たちの周りにはこのようなことはないでしょうか?
 あることに対しての先入観、予断や偏見、好き嫌いなどの感情、世間体、これらが判断を間違わせることがあります。
 ですから、科学的な見方考え方、合理的な見方考え方、本当かなと見つめ直すことが大事です。みんなが言うからと周りの考えをそのまま受け入れると間違う場合があります。
 次の言い伝え、迷信で考えてみましょうか。
 「朝、茶柱が立つと良いことがある」
この言葉はよく聞くでしょう。
 江戸時代、お茶屋さんが売れ行きのよくない二番茶の販売促進のために言ったことが始まりと言われています。この由来を知らずとも茶柱を見ると何となく嬉しい気持ちになります。日常、あまり起きないことがたまに起きると何か良いことがあるバイと思いますものね。
 「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」
 この言葉もよく聞くでしょう。
 昔は、爪には霊魂が宿っていると考えられていたそうです。明かりがない時代、危ないという理由から言い伝えられてきたもので、この表現にはそれなりの知恵が込められています。
 「3人で写真に写ると、真ん中にいる人が早く死ぬ」
 カメラは中央にピントが合うことから、中央にいた人が最も魂を吸い取られると考えられたことがあったそうです。これには科学根拠はありません。しかし、集合写真の場合、中央に立つのは年長者である場合が多いため、結果として中央の人が早く死ぬ確率が高いというと、さもありなんと思いますよね。
 「雛祭りが過ぎた後も雛壇を出し続けると晩婚になる」
 時期が過ぎたものはきちんと片付けることを教え諭すために言われたことでしょう。
 これまでの言い伝えと違って、次の言葉はどう思いますか?
 「丙午年まれの女は気性が激しく、男を食い殺す」
 この言葉を聞いたことのある人手を挙げてみてください。(数人)
 この迷信は、これまで見てきたものと違い、人の命に関わる出来事が数多く現れました。
 干支(えと)の表し方は、干支の組み合わせでできるものです。甲乙丙丁・・・・の「10干」、子丑寅卯辰巳・・・・の「12支」。これを組み合わせると60組の干支ができます。「丙」と「午」が組み合った文字を、「へいご」と読んだり「ひのえうま」と読んだりします。どうして「ひのえうま」と読むかは本日は時間がありませんので割愛します。
 陰陽道では、火性が重なることから、「この年は火災などの厄災が多い」などの迷信が生まれたのです。そして、その年に生まれた人の性質は激しいものとなるという迷信に転化されたのです。
 さらに、江戸時代前期に、井原西鶴の『好色五人女』で有名となった八百屋お七が丙午の生まれだといわれていたことから、江戸時代中期以降には、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める、男を食い殺すという迷信が信じられるようになりました。1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っています。
 明治以降もこの迷信は続いて、1906年(明治39年)の丙午では、前年より出生数がかなり少くなったそうです。また、生まれた女の出生届を後の年にずらして届け出ることもあったそうです。1906年生まれの女性が結婚適齢期となる1924年(大正13年)頃からは迷信を否定する談話や、縁談が破談となった女性の自殺の報道などが相次ぎ、丙午の迷信が女性の結婚に影響したことが伺われます。
 昭和になっても、1966年(昭和41年)の丙午では、妊娠を避けたり、中絶を行った夫婦が多く、出生数は他の年に比べて極端に少なくなりました。
 これまで、丙午に対して疑問がなかったわけではありません。1965年11月に、山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開されました。群馬県粕川村では、「迷信追放の村」を宣言して、追放運動が行われています。
 最近はこの迷信も薄まりつつありますが、こんな科学的根拠もない言い伝えをそのまま信じて人の命に関わるようなことまで起こしてしまうなんておかしなことです。
 科学的にものを見る、つまり、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断・行動する態度を身につけていくことが大切ですね。
 「差別しない」ということを知識ではなく意識として身に付けるために、私たちはどんなことに気をつけていけばよいでしょうか。
 レジュメの空いているところに、「魚の絵を描いてみましょう。」(各自魚の絵を描く)
 どなたかここに描いてもらえませんか?(指名する)
 ありがとうございました。
 もうお一人に描いてもらいたいと思います。とてもすばらしい魚の絵を描いておられます。
 これまでいろんなところで人権問題について話をしてきました。そのたびに、魚の絵を描いてもらいました。○○さんのように上を向いている魚を描かれた方は初めてです。ありがとうございました。
 ここで問題としたいのは、皆さんが描かれた魚が、鯛なのか、ヒラメなのか、サンマなのかではありません。今言いましたように魚の頭がどちらを向いているかを問題にしたいのです。
 おたずねします。△△さんと同じように左向きの魚を描かれた方、挙手してもらえますか?(大多数が挙手)
 ○○さんのように上向きの魚を描いた方?(1人挙手)
 では、私がここに描いた右向きの魚を描かれた方?(1名挙手)
 ありがとうございます。
 皆さん、私は「魚の絵を描いてみましょう。」と言いました。「左向きの魚を描きましょう。」とも「右向きの魚を描いてはダメです。」とも言いませんでした。にもかかわらず、皆さんほとんど左向きの魚を描かれました。なぜ、こんな事が起きるのでしょうか?(「料理では魚は左向きに出します」の声有り)
 そうですよね。甲佐のやなで出される鮎料理は左向きですね。
 近頃、図鑑で、魚の絵や写真を見たことがありますか?図鑑に載っている魚の絵や写真のほとんどは左向きです。5月の鯉のぼりの絵はどうでしょう?これも左向きが多いですね。後で、図書室で確かめてください。
 私たちは、料理での魚や図鑑での魚の絵のように、魚と言えば左向きと言うことを空気を吸うがごとく、知らず知らずのうちに学習しているのです。上向きの魚を描かれた方、そして右向きの魚を描かれた方は、ご自分の考えを持っておられることがすごいと思います。
 もう一つお尋ねしますよ。牛の色について。
 牛と言えば、あか牛を思い出す方?(0)
 くろ牛の方?(10人程度挙手)
 白黒のホルスタインという方?(大多数が挙手)
 ありがとうございます。私も白黒のホルスタインを思い出します。家で乳牛を飼っていて、乳も搾っていましたから。
 阿蘇で尋ねました。ほとんどがあか牛でした。天草ではくろ牛が多かったです。熊本市周辺ではほぼ3分の1ずつです。
 これも、いつもよく見る牛の色が頭に入っているでしょう。このように、空気を吸うがごとく知らず知らずのうちに「○○=○○」と思っていることがたくさんあります。これを刷り込みと言います。この刷り込みが思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なると偏見となります。
 「左向きの魚の絵」や「牛の色の違い」は直接差別につながりませんが、この刷り込みが時として偏見となり、差別につながることがあります。
 「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と返ってきます。「私が知っている地区の人たちは優しい人ばかりですよ」と返します。自分で真実を確かめもせずに「周りが言うからそうだと思い込んでしまう」これが偏見となり、差別につながるのです。
 「部落は怖い」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージ、赤字を払拭することが求められているのです。

 もう一つお尋ねします。「今日は人権教育講演会がある。何の日だろう?」と思って暦で何の日か調べて来られた方?(挙手無し)
 そうですか。私は調べてきました。今日は「仏滅」です。
 日頃は「今日は何の日」など気にせずに生活しますよね。ところが、結婚式だとか葬式だとかになると気になります。
 結婚式は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、などと、日取りを決める基準にされることがあります六曜についてどう思いますか。
 この六曜、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口はどのようにして決めるかご存じですか。
 12月、熊本農政局の人権問題研修で講演しました。
 このとき、「仏滅」の日に結婚したという人がいました。「仏滅に結婚して何か不都合なことはありましたか?」と訊くと、「子どもにも恵まれ、家族全員大きな病気をすることもなく幸せに暮らしています。何の不都合もありません。私の友人は、大安の日に結婚しましたが、離婚しました」と言っていました。仏滅では、結婚生活がうまくいかず、大安では人もうらやむ結婚生活が約束されるなら、結婚式は大安となるでしょうが、どうもそうではないようです。
 私の義母が亡くなった時、葬儀一切を葬儀社の方にたのみました。そのとき、葬儀社の方は、ファイルをひろげて、「一般的には今夜が仮通夜、明日が本通夜、そして明後日が葬式です。明後日は友引ですがどうしましょうか?」と訊きます。 私の家族は六曜思想は信じていませんので、「一般的に行われているようにお願いします。」と言って葬儀を友引の日に行いました。家族に何の変化もありません。火葬場にも何組か来ておられました。これは、同和教育、人権教育が進められてきた成果だと思います。
 六曜は、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6つを1周として、旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引という具合に決めたのです。機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと高千穂正史さんは言っていました。
 このように科学的根拠のないものを「皆が言うから」「世間が言うから」と何の疑問も感じないまま信じることはおかしな事です。
 これまでいろんなことを考えてきましたが、中学生の人権作文から人権問題を考えてみましょう。
人権問題は、女性問題、障がい者問題、外国人問題等いろいろありますが、熊本県では、水俣病問題、ハンセン病問題、同和問題を大きな人権課題として啓発に力を入れています。
 水俣病問題について書いた熊本県の井上さんの作文は、時間の都合で割愛します。後でお読みください。井上さんは、「私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思う。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないか。」と訴えています。
 ハンセン病問題についての作文です。


 第31回全国中学生人権作文コンテスト 全国人権擁護委員連合会長賞

                   「考ハンセン病」

                                                 名護市立羽地中学校3年 宇良 樹希

 人権とは、人が生まれながらにもっている権利のことである。人間は、自由であり平等だ。その命や人格は決して侵されてはならない。
 ハンセン病――。僕が初めてこの言葉を聞いたのは、小学校六年の頃である。母と一緒に古宇利島にドライブに行った時に母から聞いた言葉だった。「ここに愛楽園があるよ。そこにはハンセン病患者がいるんだよ。」と軽く笑って説明してくれた。その時の僕は「ハンセン病ってどんな病気なんだろう。どんな人がこの病気にかかるのだろう。」とただ単純に思うだけだった。その疑問を口にして、母に問うこともなくその話を軽く受け流してしまった。
 しかし、その後再び僕はハンセン病について知ることのできる機会に恵まれた。それは、ハンセン病をテーマにした中学生や高校生、一般の人達が演じていた演劇会への誘いだった。内容はハンセン病にかかった一人の少女の物語だった。
 少女は、毎日を明るく元気に過ごしていた。ところがそんなある日、学校で身体検査があり、ハンセン病に感染していることがわかった。その日以来、その少女の家族は、友達や近所の人達から石や物を投げつけられ、家がまっ白になるまで殺菌され、あげくの果ては家まで燃やされてしまった。家族と引き離され一人で愛楽園に連れて行かれたその少女は、そこでもひどい仕打ちをうけた。愛楽園にある学校の先生に「近づくな。病気が移るだろ。」と、冷たい言葉をあびせられたり、家族と連絡が全くとれなかったりと本当に心が痛む物語だった。
 演劇会終了後、多くの観客が目に涙を浮かべていた。帰りの車の中で母は、「ハンセン病という病気は、今はすぐに治る病気だけど、昔の人はとても辛い思いをしていたんだよ。」と語ってくれた。その言葉は静かだがなぜか僕の心に残った。
 しかし、この時はまだハンセン病患者やその家族は、悲しい思いをしていたんだなと思うぐらいで、どこか他人ごとのようにとらえていた。
 僕がハンセン病について真剣に考えるようになったのは、中学二年の総合学習がきっかけだった。その学習では、元ハンセン病患者だったお年寄りの男性の講演を聞いたり、愛楽園の施設を見学したりした。講演会では、発症してすぐに強制的に愛楽園に連れて行かれたことや、脱走者は小さな小屋に入れられ食事は一日一食という罰があったこと、愛楽園に入口はあっても出口は無い、つまり死ぬまで外に出られなかったことなど、以前見た舞台劇以上の恐ろしさや、悲惨さを感じるものだった。施設見学では、愛楽園が建てられる以前に住む場所を追われた患者達がやっとの思いで辿り着いた岩だらけの砂浜や、一つの建物でありながら患者の利用する有菌室と職員達の利用する無菌室に仕切られている状況などを見て回った。
 その中で、僕が一番心に残ったのは男の人は子供を作ることを許されず、性器を切断されたこと、女の人は赤ちゃんができても産まれる前に子宮から取り上げられたり、仮に産まれてきても産声を上げる前に顔を水につけて殺されてしまったりという残酷な事実があったということだ。ハンセン病というだけで、周囲の人々の無知、誤解、偏見、差別、無慈悲の鎖に縛りつけられ人間としての存在を全て否定されてしまったのだ。そんなことは、決してあってはならないことだ。
 最近、その思いを強くする出来事があった。それは、僕がハンセン病のことを家で話題にしたときだ。「昔、私のおじいちゃん、あなたのひいおじいちゃんもハンセン病だった。」と母が静かに言ったのだ。僕は驚きのあまり言葉を失った。生まれてからこれまで一度も聞いたことがなかったからだ。「おじいちゃんは手の指がだんだん壊死して無くなっていった。そして、愛楽園に行ったきり二度と戻って来られなかった。」と母は怒りをにじませた声で続けた。僕の脳裏に、あの演劇会や総合学習のことが次々に浮かんできた。もしかしたら母の家族も同じような苦しみを受けてきたのではないか。母はなぜその事を黙っていたのか。子供の僕にも言えない程の辛さがあったのだろうか。僕は初めてハンセン病を自分のこととして受けとめることができた。ハンセン病に関する問題についてこれまでにない程の憤りと情けなさを感じた。
 ハンセン病という悲劇は決して消えることのない事実である。それを作り出したのは、僕達と同じ人間である。だから僕達が真実を受けとめ理解する必要がある。二度とこの悲劇を繰りかえさない為にも差別のない国を、優しさのあふれる助け合いの国を築きあげたい。未来を担う僕達には重い責任があるのだから。

 宇良君は、「男の人は子供を作ることを許されず、性器を切断されたこと、女の人は赤ちゃんができても産まれる前に子宮から取り上げられたり、仮に産まれてきても産声を上げる前に顔を水につけて殺されてしまったりという残酷な事実があったこと。ハンセン病というだけで、周囲の人々の無知、誤解、偏見、差別、無慈悲の鎖に縛りつけられ人間としての存在を全て否定されてしまったこと。こんなことは、決してあってはならない」「ハンセン病という悲劇は決して消えることのない事実だ。それを作り出したのは、僕達と同じ人間だ。僕達は真実を受けとめ、二度とこの悲劇を繰りかえさない為にも差別のない国を、優しさのあふれる助け合いの国を築きあげたい。それが未来を担う僕達の重い責任」と訴えています。
 同和問題についての作文です。


 第30回全国中学生人権作文コンテスト全国人権擁護委員連合会長賞

                     一人でも多くの人に伝えたい

                                             大田原市立金田北中学校3年 舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 舩山君は、「江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、目をそむけていいのか」、「今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならない」「何もしなければ、何も変わらない。正しい事を伝えなければならない。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 21世紀は人権の世紀と言われています。しかし、この人権の世紀というのは、ただ座しているだけで人権の世紀となるのではありません。舩山君が訴えているように、今自分にできることを私たち一人ひとりが実行に移して初めて人権の世紀になるのだと私は思います。
 終わりに、最近見直されています論語から人権問題を考えて終わりにしたいと思います。
  衞靈公第十五の二十四に
 子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
 子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
があります。
 子貢が「先生から教えられたたった一文字を大切に生きれば、人間として誤らずに生を全うできるという字があったらお教えください。」と孔子に問うのです。
 孔子は、「その文字は恕だ。そして、自分がして欲しくないことは他人にもしないことだ。」と教え諭したのです。
 「恕」と言う文字の意味は、「常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさ、思いやり」のことです。
 昨年の人権週間のテーマは、「みんなで築こう人権の世紀 〜考えよう相手の気持ち 育てよう思いやりの心〜」でした。まさに孔子が言う「恕」の精神そのものです。
 皆様が「恕」の精神を持ち、乙女小学校の保護者や子どもたちはもとより校区の皆様が人権感覚豊かで住みやすいまちづくりのためにお一人お一人が今自分にできることを実行に移されることを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。