「ちょっと待ちなっせ、おかしうはなかな」と言える感性を |
平成19年3月 |
集会所 閉級式講話 |
私が新任である小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔をまじまじと見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は職員に今年は2人女性の先生が赴任してくると紹介していたのに。男の先生な。ほんなこて中川先生な」と私に念を押されました。校長先生は、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
私はレジュメにも示していますように「有紀」と書いて「ありとし」とよみます。63歳になった今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「年(紀)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこのようなすばらしい名前を付けてくれた父、そして、私が小中学生の頃、当時は農家の長男は跡取りをするのがあたりまえという時代に、お前の好きな道を歩めと応援してくれた父を尊敬しています。
その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
私が結婚を意識し始めた頃、昭和44年のある日のことです。私が結婚しようと思っていた人が、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。「生涯共に暮らす人」と私が決めた人と私の人権を侵された思いで、父に強く抗議しました。父は何も言いませんでしたが、下を向いたままのその姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
いまどき、身元調査なんてと思っていましたが、昨年、グランメッセで開催された全国解放研で、
「全国の被差別部落の所在地などを記載した「部落地名総鑑」のデータを電子化した「電子版・部落地名総鑑」を大阪市内の複数の調査業関係者から部落解放同盟大阪府連が回収した」との解放新聞が配られました。
日頃は、「俺は、差別もなんもしよらん。誰とでも付き合っている」と誰もが口にします。しかし、結婚や就職と言った人生の節目の時、差別意識が心の奥底から出てくるのです。
熊本県が作成した「人権教育研修テキスト」に、熊本県が平成16年度に調査した県民意識調査のデータが記してあります。
○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
@結婚問題で周囲が反対すること 54、4%
A身元調査をすること 41、8%
B就職・職場で不利な扱いをすること 29、8%
と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
@子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない 62、5%
A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30、0%
B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない 4、1%
C絶対に結婚を認めない 3、4%
6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、反対するがしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、結婚を認めないが7、5%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
@親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する 54、5%
A自分の意志を貫いて結婚する 26、7%
B家族や親戚の反対があれば、結婚しない 15、2%
C絶対に結婚しない 3、6%
5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。同和対策審議会答申のもと、同和教育が始まって、40年近く経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
ある会話です。よく聴いてください。
「背広どん着て、何ごつな」
「息子が結婚したかて言うので、相手はどぎゃん家のもんか調べに行きよっとたい」
「そらー、おおごつな」と言うか、
「ちょっと待ちなっせ。おかしゆうはなかな」と返すかが私たちに問われていると思います。
私は、「ちょっと、待ちなっせ」という人権感覚を持ち続けたいと思っています。
昨年1月、「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」が第2次とりまとめを発表しました。
人権感覚については「自分の大切さとともに他人の大切さを認める」こととしています。
「日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚」と説明しています。
人権意識についても、「自他の人権尊重の良さを肯定し、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする人権意識が生まれる」としています。
また、人権教育を通じて育てたい資質や能力として、知的理解、人権感覚としています。これが
「自分の人権を守り、他者の人権を守るために実践行動するこどもを育てる」と示しています。
学校では、この2つの面を育てる教育が進められています。この集会所事業でもそうです。社会啓発でもこの2つを主眼に啓発チラシを作成したり、町広報に人権啓発記事を掲載して啓発活動を進めています。
昨年は、いじめにより自ら自分の命を絶つという痛ましい事件が相次ぎました。いじめが大きな社会問題となっています。
私が勤めていた学校の登校班でいじめ問題が起きました。登校距離が5kmくらいの山道を通います。朝6時40分頃家を出ます。冬の朝は、まだ東の空に明けの明星がきらめいている頃です。そこを1年生から6年生までの子どもたちが登校グループを作って登校するのです。歩く速さに差があり、色々とトラブルが生じます。そのうち、いじめ問題が発生したのです。孫の沈んだ姿を見ておじいさんは心を痛めていました。そして、登校班の保護者と地区の人たちといじめ問題解決方策を話し合いました。そのとき、おじいさんがおっしゃった言葉を紹介します。
「今度の問題は、誰が悪いのでもない。いじめた子どもに力の弱い者をいじめることは愚かなことだ、ひきょうなことだと気づく力が無かったこと。いじめられた私の孫にいじめをはね返す力がなかったこと。まわりの者にいじめをやめさせる力がなかったこと。今後この地区でわしや孫のようにきつい思いをする者がでないように、みんなで子どもたちにこの3つの力を付けていこうではありませんか。」
私はこの3つの力を付けさせようということが人権感覚だと思います。そして、人権教育そのものを言い表していると思います。全職員でこの言葉を肝に銘じました。
私は、新任の頃、先輩教諭から「欠席した子どもがいたらその日の内に家庭訪問しなさい」と指導を受けました。私はそれを実践し、一緒に勤務している先生方にも勧めました。
今では保健衛生上できないことですが、当時、私は給食のデザートや果物を持って家庭訪問していました。
私が初めて担任するクラスでは4月の初めの頃は、欠席者のデザートや果物を食べようと、子たちがじゃんけんをしていました。それを「今日の帰りに欠席している○○君の家に行ってくる。そのときのおみやげに私がもらう」と言いました。1・2週間もすると、このことを子どもたちが理解して、「先生、○○君へのおみやげ」と言って私の机の上に置くようになりました。「先生は欠席している○○君のことを心配している。私が欠席すれば私のことを心配してくれる」さらに「○○君は今頃寝ているのかな。学級の様子を手紙で知らせよう」と欠席者を思いやる人権感覚が生まれてきます。これが一人ひとりを大切にする学級づくりだと私は思います。
公民館講座「人権問題講演会」の中で、講師が「魚の絵を描いてみてください」と言われました。皆さんも魚の絵を思い描いてみてください。
魚の頭が左向きの絵を描いた人、手を挙げてみてください。(ほとんどの人が挙手)
右向きの絵を描いた人は? 2人いらっしゃいますね。
ほとんどの方が左向きです。公民館講座生もほとんどが左向きの絵を描きました。
どうして、人は魚の絵を描くとき、頭が左を向いている絵を描くのでしょうか?
講師の先生が言われるには、私たちが日頃目にする図鑑や写真のほとんどが、頭が左にある絵だというのです。思い起こしてみるとそうですよね。先生は、これを「すりこみ」と表現されました。
ところで、皆さん、牛の絵を描いてみましょうか。色を付けてください。
赤牛を描いた人、手を挙げてみてください。(3分の1程度挙手)
黒牛を描いた人(3分の1程度挙手)
ホルスタイン、白黒の牛を描いた人(3分の1程度挙手)
実は、30年ほど前、熊本の子どもたちがどんな牛の絵を描くか調査した結果を見たことがあります。
阿蘇地方の子どもたちのほとんどが、赤牛を描いたたそうです。天草地方の子どものほとんどは黒牛だったそうです。熊本地方の子どもたちはホルスタインが多かったと言うことでした。
以前、天草地方では、農耕用に黒牛を飼っていました。阿蘇は今でも赤牛ですよね。これも刷り込みだと思います。この刷り込みが「予断や偏見」を生み出すことがあります。そこで、私たちはものごとを正しく知り、正しく理解することが大切だと思います。
「無知、物事を正しく知らないことは偏見を生み、偏見は差別につながる」といわれます。
さらに、「人権教育」を正しく理解し、態度や行動に移すことのできる力となる感受性や感性をはぐくむことが重要であると思っています。
このように話しをしている私が、昨日、子どもを落ち込ませました。
そろばん教室で、そろばん式暗算の学習をしました。私が数を読み上げ、子どもたちはそろばんの玉を頭に思い浮かべ、その玉を入れていくのです。読み上げている途中で、一人の子が「うわぁー、分からん」と大声を上げました。「わからんごとなっても、大声を出してはダメ、他の人が聞き取れなくなるから」と注意したのです。その子は注意され、落ち込みました。この子は、一生懸命計算をして、答を出したいという強い思いがあったから分からんと思わず声に出したのです。やる気がとてもあるのです。私がそこを十分認めた上で、注意すれば本人も納得できたであろうと反省しました。終わってから、「今日はとてもがんばったね」と頭をなで、ほめてやりました。喜んで帰ることができたのでよかったのですが、一つ間違えば、そろばん嫌いの子をつくるところでした。
今、集会所では、料理教室や識字学級などが行われ、たくさんの人が学習しています。先ほどから話が出ているとおりです。
識字学級で毛筆習字を学習している方の言葉です。
「私は、鎌と鍬しか持ったことがありませんでした。筆を持って字を書くなんてこれまでしたことはなかったです。でも、先生が、優しく熱心に教えてくださるので、私も習字を学ぶ気持ちになりずっと続けています。おかげで、どうにか字が書けるようになりました。字を書く喜びを実感しています」と目を輝かせて話されました。見てください。壁に貼ってある習字のすばらしさを。
また、料理教室に来ている方のお話しです。
「私は、ここに来るまでは人権については余り考えたことはありませんでした。しかし、ここで先生達の話を聞いたり、皆さんと話しをするうちに人権について分かるようになりました。人権て特別なものではなく、私たち誰もが持っている権利なんですね。料理の作り方はもちろんですが、人権について学ぶことができる料理教室の日が楽しみです」と。
「学ぶ楽しさを実感している」「料理教室の日が楽しみ」お二人は、まさに自己存在感を実感していらっしゃいます。お二人の言葉を紹介しましたが、ここで学んでおられる人はどなたも学習意欲が旺盛で、高い自尊感情をお持ちです。
自尊感情は、いろんな生活の場面で養われます。これはここで、私が言うまでもありません。人は自分の行動を認められ、ほめられ、励まされ、伸ばすことによって自己実現を実感します。自己肯定観を持ちます。これらが自尊感情の醸成へとつながります。
中央小学校にいるときです。晩秋の寒い朝、きれいに黄葉した南京ハゼを輪ゴムで止めたものを持ってきて、「先生、きれいでしょう。プレゼントです」と1年生が持ってきてくれました。小さな手を冷たさで真っ赤にして、落ち葉を拾い集め、束にしたものです。「うわー、きれい。ありがとう」と何度も礼を言いました。子どもたちもとても喜びました。
「七滝小学校の夕焼けは日本一です。ほらきれいでしょう。」と竹山の間に沈む夕日を見て子どもたちが私に言います。真っ赤に染まった西空はそれはきれいです。「うわー、美しかー。」と子どもと一緒に声を出してその夕焼けを見ていました。まわりの者の感動がその子の感動を増幅させます。このような感動が感受性・感性を育てます。
今申しましたように、感受性や感性を育てることが人として生きる上でもっとも大事なことだと思っています。
私たちはよく「あの人は人権感覚が豊かである」とか「人権感覚がシャ−プである」などと表現することがあります。日常生活の中でおかしな出来事に接したとき、直感的にその出来事はおかしいと思う感性や態度が行動に現れるような人権感覚は、感受性や感性が豊かでないと育たないと思います。
人は自己有用感、自己存在感を数多く実感することで自尊感情は育ちます。生活のあらゆる場面で子どもたちを認め、褒めてください。子どもたちが自己実現を実感する機会をたくさん作ってやってください。
また、先生と子ども。指導者と学習者の間の信頼関係を作り上げてください。私は絵が好きで子どもたちと絵を描きました。1枚の画用紙の中でどの子も必ず一生懸命描いた箇所と少し手抜きをした箇所があります。子どもが一生懸命描いた箇所を見つけて子どもを褒めると、子どもはとても喜びます。少し手抜きしたところを指導すると子どもは先生を信頼します。この信頼関係が人権感覚を身につけさせる上で重要です。
子どもたちは、よくけんかをします。近頃ではけんかは周りの大人がすぐに止めますが、殴り合いやけがを負わせるようなけんかやものを壊すようなけんかは別ですが、ある程度けんかはさせた方がいいと思います。それは自己主張のぶつかり合いだからです。そして、けんかの後の仲直りの仕方も社会性を育てる上でとても大事なことだからです。
暴力に訴える自己主張は奨励できるものではありませんが、アサーティブな自己主張、そして「NO」と言える力を育てて欲しいと思います。
少子時代となって、社会性をいかに育てるか大きな社会問題となっています。コミュニケーション力は人が人として生きていく上で是非とも身につけておかねばならない生きる力です。家庭、学級、学校、地域、そして近隣の学校など交流の場を広げ、社会性を培う環境を整えて欲しいと思います。
差別のない明るい社会づくりのためには、啓発が重要な役割を果たしていることはいうまでもありません。先ずは、親・兄弟、子どもなど先生方のご家族に話をしていただきたいと思います。
桑原律さんの「人権スイッチ」という詩を皆さんと一緒に声に出して読み、終わりにしたいと思います。
人権スイッチ 桑原 律 世の中すべてのものに スイッチがあるように 人を見つめるまなざしにも 切り替えスイッチがある 偏見のスイッチから 励ましのスイッチへと切り替えよう 世の中すべてのものに スイッチがあるように 人としての生き方にも 切り替えスイッチがある 差別のスイッチから 差別解消スイッチへと切り替えよう 世の中すべてのものに スイッチがあるように 人と人との関係にも 切り替えスイッチがある 不信のスイッチから 相互信頼スイッチへと切り替えよう 生活すべての場面で問われる この切り替えスイッチ 人権侵害のスイッチか 人権尊重のスイッチか どちらのスイッチを選んで 自分は生きていこうとするのか |
冒頭述べましたような身の回りのできごとで、「ちょっと待ちなっせ、おかしうはなかな」と言える感性を、私は持ち続けたいと思っています。
ご静聴ありがとうございました。