「つながり感」を大切にしましょう
平成23年7月6日
南小国町自然休養村管理センター

 皆さん、今日は。
 ただいまご紹介いただきました中川でございます。「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。そのとき、皆さんの中に「えっ、ありとしと読むのか」というような反応がありました。
 私は、これまで「ありとし」と読まれたことはありません。ほとんど「ゆき」または「ゆうき」と読まれ、女性とよく間違われますがます。が、見ての通り男です。
 私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は女性の先生が来ると職員に紹介していたのに。男の先生な。ほんなこてあたは中川先生な」と私に念を押されました。校長先生も、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女性の先生と思い込まれたのだと思います。
 この会場で、私と同じ名前の方はいらっしゃいませんか?「有紀」という女性にお目にかかるときがあります。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味があります。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。父の願いに沿うようにと努力はしていますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。今はこの世にいませんが、こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 つい先日、68歳になりましたが、今でも小学校や中学校時代の幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。私は「ありちゃん」と呼ばれることを嬉しく思っています。それで、ご紹介がありましたように「ありちゃん」を頭に付けた「ありちゃんのホームページ」を開いています。「ありちゃんのホームページ」で検索すると、ヤフーではトップにでます。時間にゆとりがあるとき、のぞいてみて下さい。
 ところが、私は小さい頃、上級生などから、「おっ、アリの来よる。アリば踏みつぶそう」と足で踏みつぶす仕草をしてからかわれたりいじめられることがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。有紀」と体当たりでぶつかっていきました。
 本日は先生方がいらっしゃると聞いています。そこで、先生方にお願いです。
 先生方の学級の中で、名前のことでからかわれたり、意地悪されたりして悔しい思い、悲しい思いをしている子がいるかもしれません。そんなとき、みんなの前でその子の名前に込めた親御さんの思いを語って下さい。名前に込められた親御さんの願い、思いを知ったら、からかったり意地悪したりすることの愚かさにきっと気づくと思います。
 お子さんやお孫さんがいらっしゃる方、お子さん誕生の時の感動、名前に込めた親の思い、家族の思いを低学年のお子さんだったら膝の上に抱っこして、高学年のお子さんだったら手を取り、目を見つめて、話してやって下さい。きっと、お子さんは自分の名前をこれまで以上に好きになり、誇りを持つと思います。自分の名前を好きになり誇りに思うことは、自分自身を好きになり誇りを持つことにつながります。これが自尊感情を育み、自分も周りの人も好きになることができる人に育つと思います。私はこのことが人権教育の礎であり、スタートだと思っています。
 先生方が多くいらっしゃいますのでしばらくいじめ不登校問題について考えてみます。
 熊本県では6月を、「いじめ根絶月間」と定め、いじめ根絶に取り組みました。お手元に配付していますのは上益城郡の袴野小学校の校長室便りに掲載されていたものです。
 読んでみます。
 「みんなちがってみんないい」と詠ったのは、詩人金子みすゞさんでした。いじめはいじめられる側に問題があるのでしょうか?いいえ、そうではありません。いじめる側の心に原因があるのです。愛と思いやりのこもった言葉や行動は、心を豊かにし、誰もが暮らしやすい世の中にするために必要なことです。次のお話を読んで「いじめをなくす」ことについて考えてみましょう。


       いじめないで

 「ぶつかったら謝れよ!」『すみません』っていえよ!」転校してきて間もないブラジル人兄弟が、取り囲まれています。
 「§※#&*・・・・」弱々しい声が聞こえると、どっと笑い声。
 「なーに?わかんねー」「しゃべれねーの?」けんか?いや違う。いじめだ!僕の時と同じだ!
 3年前、僕、サンティアゴはペルーから来て、日本の小学校3年生になった。でも、いつも日本語教室で勉強していたから、クラスにいたのは給食とそうじのときだけ。もっと日本語を覚え、みんなと友だちになりたい!そんな頃、”事件”は起きた。
 給食のとき、クラスメートが「ゲンキか?」と声をかけてきたのだ。嬉しくなって大声で答えた。「ぼーくゲンキかでーす」とたんに、教室中がどっと笑った。「へーんな日本語」いじめが始まった。あれは、そうじのとき。
 3人組が僕の帽子をつかみ取った。取り戻そうにも、次々と逃げる。一人を捕まえて投げ倒したら、3人がかりで向かってきて、身体中を殴られ蹴られた。悔しさに全身が震えた。日本語ができないから先生には言いつけられない、とわかっていじめてくる!卑怯な奴ら!それから2年半。6年生に成り、身体も大きくなって日本語も不自由しなくなった。(もう、大丈夫、怖いものなんかない!)自信がついたと思っていた。
 ところが・・・・。今、目の前にいるのは、あの時の僕だ!なのに僕は何もできない!ただ拳を震わせ、足をすくませている!
 (どうすればいい?)
 「みんないじめないで!」「いじめをやめて!」僕は心の中でそうさけんだ。
                            (全国人権擁護委員連合会編集「一緒に読んで考えよう『人権って何だろう』」より)

 ここ、小国郷でも、学校で、地域で、いじめ根絶に向けた取り組みがなされたこととと思います。
 私がある小学校の校長時代にいじめ問題が起きました。冬は明けの明星が東の空に輝いている頃、つまり朝の6時40分頃、家を出なければ学校の始業時刻に間に合わない地区で、学校まで5kmほどあります。しかも坂道です。そこで、1学期の終わり頃、いじめ問題が起きたのです。そこを1年生から6年生まで一緒に歩いて登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、それがだんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。しかし、解決を見ないうちにいじめられている1年生の子は、お母さんと校区内の他の地域転居したのです。おじいさんの落胆はとても大きいものでした。
 2学期、おじいさんは月に2・3回校長室に来て、「校長、わしぁ畑仕事で疲れて帰っても孫の顔を見ると疲れがいっぺんに吹っ飛びよった。たまには相撲も取りよった。孫がおらんようになってほんなこてさびしか。」と話されます。私はそのたびに話を聞いた後で、1年生が勉強している教室に案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となっていました。区長さんとも解決方法を相談しました。そして、2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
 おじいさんは、「なんばしよっと。謝らんじゃよか。こんいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子どもたちを見て、育てていこうじゃなかな」とおっしゃいました。
 私は、このことを全職員に話し、この3つの力は人権教育を通して子どもたちに付けさせる力だと説きました。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思っています。
 また、現在私は不登校問題とも関わっています。どこの学校でも、不登校はどの子にも起こりうる問題としてとらえ、校長先生を中心に組織として、不登校児童生徒を未然に防ぐ取り組みをしていらっしゃいます。しかし、現在、不登校状態になっている児童生徒がいます。不登校になった要因は、特定できるものではないのですが、先生や友だちとの人間関係、学習や部活動、学校のきまりなど学校生活に起因するものが6〜7割はあるとも指摘されています。児童生徒、一人ひとりに目を向けた取り組みが大切だと思います。
 現在、不登校状態になっている児童生徒の家庭を、担任の先生、養護教諭の先生、学年主任や人権担当の先生、校長・教頭管理職の先生方がティームを組んで訪問なさっています。子どもたちも家に遊びに行っています。私はこれらの取り組みが、不登校の子どもに学校との「つながり感」を持たせている大きな力となっている思っています。生涯学習時代に生きる子どもたちに独り立ちする力を付けさせるうえで、不登校状態が続くことはいいことではありません。不登校の子どもたちが学校とのつながり感を実感し、1日も早い学校復帰を望んでいます。
 この「つながり感」を学校ではとても大事にしていらっしゃいます。先日、久しぶりにある学校の授業を参観しました。先生の質問に一人の子が答えると、その答えに対して「私も○○君と同じ考えです」「僕は少し似ていますが□□と思います」「僕は反対です。△△と思います」などと発表し合っていました。一人の子の発言がクラス全員につながっていきます。
 私は学級担任している頃、子どもが欠席すると必ずその日の内に家に様子を見に行っていました。今ではできないことですが、給食のパンやデザートを持って。初めて担任するクラスでは、欠席の子がいると、給食の配膳が終わると同時にじゃんけんが始まっていました。欠席した子の牛乳や副食を食べる権利を得るためです。私が「今日の副食は○○君にお土産に持って行く」と言うと、はじめの頃はぶつぶつ言っていた子たちが1週間もすると、「はい、先生、これは○○君へのお土産」と私の机の上に置くようになりました。そして、欠席した子は、私の訪問を心待ちするようになりました。ある子のおばあさんの話です。「朝から頭の痛かて言うて、寝とったのに4時頃から、何度も玄関まで出るとですよ。『寝とらんね』と私が言うと、『先生がもう来なはるかもしれん』て言うて先生ば待っとりました。」
 体の弱い子の家には、かなり行きました。夕食をごちそうになったり、一杯飲んで私の家まで送ってもらったりしたこともありました。ある家では、お父さんが大きな鯛を料理しようとしておられるときでした。私を見て、「先生、今からこれを肴に一杯やろうと思っていたばってん、あたは魚が好きだろ?持っていきなっせ」と大きな鯛をもらって帰ったこともありました。
 教室でも、「先生。僕が欠席したら家に来るとだろ?」という言葉が子どもたちからかけられました。
 先生方も、いろんな方法でクラスの子どもたち、学校の子どもたちとつながっていらっしゃると思います。「私は一人ではない」というつながり感を一人ひとりの子が実感できる学級づくり・学校づくりをお願いします。
 ところで、現在、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在しています。
 ここ南小国町の温泉で、ハンセン病回復者の宿泊拒否事件が起きました。南小国町ではこのことを真摯に受け止め、住民の理解を得る人権教育・啓発が行われています。熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を大きな人権課題としてとらえ、教育・啓発をしています。
 この3つの人権課題について中学生が記した人権作文があります。
 毎年、全国中学生人権作文コンテストが催されています。熊本県の中学生もたくさん応募しています。その中で一昨年、第29回全国中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会長賞をもらった、栃木県大田原市立金田北中学校3年舩山泰一君の「一人でも多くの人に伝えたい」を一緒に読んでみましょう。
 読みます前にお断りしておきます。この人権作文は、法務局の許可をいただいています。「人権研修の場で使うことは結構ですが、ある部分だけ取り扱うのではなく全文を扱って下さい」と言われました。皆さんに配付していますものは、インターネットからダウンロードしたものです。


       「一人でも多くの人に伝えたい」 
                                         栃木県大田原市立金田北中学校3年  舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 舩山君は、「今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 21世紀は、「人権の世紀」といわれています。人権の世紀はただ座して待っているだけでは人権の世紀とはなりません。一人ひとりが人権の世紀とするための行動に移すことです。このことを舩山君は私たちに呼びかけています。
 昨年の第30回コンテストで法務副大臣賞を受賞した井上由紀子さんの「私の大好きなふる里」で、水俣病問題、ハンセン病問題について考えてみたいと思います。


             私の大好きなふる里        
                                           熊本県・熊本県立八代中学校 1年 井上 由紀子

 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 井上さんは、「ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。」と述べています。つまり、「正しく学び、正しく理解し、判断・行動することの大切さ」を訴えています。
 小・中・高校生は、学校における人権学習によって豊かな人権感覚を育んでいます。地域社会では、市町村の人権同和教育推進協議会を中心として、人権啓発を進め人権意識が高まってきています。それでも、人権問題が解消したとは言えません。なぜ、差別や偏見がなくならないのでしょうか。
 これからそこを見てみたいと思います。
 いきなりですが、レジュメの空いているところに「コップ」の絵を描いてみましょう。
 (2人に描いて貰う 水を飲むコップ コーヒーカップ)

Aさんのコップ Bさんのコップ

 すばらしいコップの絵を描いていただきました。ありがとうございました。
 お尋ねします。
 Aさんと同じようなコップの絵を描かれた方手を挙げてみて下さい。(半数近く挙手)
 Bさんのようにコーヒーカップにちかい絵を描いた方、手を挙げてみて下さい。(半数近い)
 ビールのジョッキのようなコップを描いた方もいらっしゃるようでした。
 今私は「コップの絵を描いてみましょう」と言いました。しかし、受け止め方にこんなに違いが出ています。同じことを聞いてもみんなが同じ受け止めをするとは限りません。
 日常会話の中で、話がかみ合わないことがありませんか?
 自分は水飲み用コップの話をしているのに、相手はコーヒーカップの事を考えて聞いているなら話がかみ合わないはずです。受け止め方に違いがあることを前提に丁寧に話し合わねばなりません。
 人権啓発も同じです。ですから啓発は「これだけやったからもうよい」と言うことはないのです。
 しかし、皆さんが描いたコップに共通するものがあります。
 何でしょうか?
 そうです。ほとんどの方が上向きのコップです。このように心のコップもいつも上向きにしておきたいものです。

 次に魚の絵を描いてみましょう。
 (左を向いている魚を描いた人に描いてもらう)

Cさんが描いた魚

 Cさんと同じように左向きの魚の絵を描いた方、手を挙げてみてください。(ほとんどが挙手)
 右向きの魚を描いた方、手を挙げてみて下さい。(数名挙手)
 この魚の絵も、私は「魚の絵を描いてみましょう。」としか言いませんでした。「左向きの魚の絵を描きましょう。」とは言っていません。にもかかわらずほとんどの方が左向きの魚の絵を描きました。
 こんな事が起きるのは一体、どういうことなのでしょうか?
(会場から、「料理の時の魚は左向き」という声が聞こえる。「右利きは左向きの魚が描きやすい」という声も聞こえる)
 そうですね。料理では魚は左向きにだしますね。ある研修会では、板前さんから、「魚は左向きと昔から決まっている」と言われたことがありました。料理に出る魚や図鑑で目にする魚の絵や写真のほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見てください。9割近くは左向きの魚です。それらを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 これを刷り込みと言います。
 5月の鯉幟の絵もほとんど頭は左を向いています。
 牛の姿を想像してみて下さい。色を付けて下さい。お尋ねします。挙手してみて下さい。
 あか牛の人(5割近く挙手)
 くろ牛の人(3割近く挙手)
 しろくろ牛(2割近くが挙手)
 以前、産山村で尋ねた時は、全員があか牛でした。天草では、くろ牛が大多数でした。天草では以前農耕用にくろ牛を飼っていたからだと思います。
 私たちは、どうしてこうも牛の姿のイメージが違うのでしょうか?それは、小さい頃から身近に見てきた牛の色が、刷り込まれているのです。
 この刷り込みが思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なると偏見となることがあります。
 「左向きの魚の絵」や「牛の色の違い」は直接差別につながりませんが、この刷り込みが時として偏見となり、差別につながることがあります。
 「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と返ってきます。「私が知っている地区の人たちは優しい人ばかりですよ」と返しますが、自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージを払拭することが求められているのです。
 皆さん、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手してみて下さい。(挙手無し)
 マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)
 私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たりカラスの鳴き声を聞くと、「今日は良かこつは無かバイ」などと言っていました。
 私たちはカラスの羽の色が黒いということでカラスは縁起が悪い鳥と決めつけているのではないでしょうか。本当にカラスって縁起が悪い鳥でしょうか。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。


             七つの子
                           野口雨情   

  烏 なぜ啼くの   烏は山に  
  可愛い七つの  子があるからよ  
  可愛 可愛と    烏は啼くの
  可愛 可愛と  啼くんだよ
  山の古巣に    行つて見て御覧
  丸い眼をした  いい子だよ

 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 雨情の心情に思いをはせながら、全員で歌ってみましょうか。
♪♪ 烏 なぜ啼くの   烏は山に    可愛い七つの  子があるからよ
    可愛 可愛と    烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
    山の古巣に    行つて見て御覧 丸い眼をした  いい子だよ ♪♪
 ありがとうございました。
 ”理性や知性はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる”という言葉があります。
 私たちは、様々な人権課題に関心を持ち、学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動することが大切だと思います。
 「あの人は、自分とは合わない、ちがう」と決めつけ、つながりを絶つことでなく、自分の大切さとともに、他の人を大切にできるようになれば、世の中の差別はなくなっていくことでしょう。
 時間も残り少なくなってきました。
 皆さん、ありのままの自分が好きですか?「こんなところは好きだが、こんなところはあまり・・・」ではなく、自分で思う長所もそうでないところもすべて受け止めて好きだと言うことです。ありのままの自分を受け入れ、好きだと思う感情がとても大事だと思います。長所は、どんどん伸ばし、そうでないところには目をつぶるのではなく、改善する努力をすることだと思います。
 お子さんやお孫さんの長所とそうでないところとを思い浮かべてみて下さい。どちらがスイスイと思い浮かびますか。
 改めて欲しいことがすぐに思い浮かぶ方?(ほとんどが挙手)
 長所が思い浮かぶ方?(1名挙手)すごいですね。どんどん長所を伸ばしてやって下さい。
 学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」教育が行われています。これは学校だけのものではありません。家庭でも、地域でも、子どもをよく見て「認め、褒め、励まし、伸ばす」ことです。
しかし、「認める、褒める」ことはそう簡単ではありません。なかなか難しいのです。子どもの言動や考え方の成長を見つけて、それを認め、褒めることです。成長や変化は、子どもをいつも見ていなければ認めることはできません。子どもから「手は離して、目は離さない」ことが大切ですが、逆の場合が多いようです。また、私の子育てを振り返ると、こうしなさいという「命令」、してはいけませんという「禁止」、の言葉が多かったように思います。さらに子どもの言動を「否定」することもよくありました。
 子どもに対する声かけが「命令」「禁止」「否定」では子どもに自尊感情が育つはずはありません。
 目の前のありのままの子どもを受け入れ、伸ばしていきたいと思います。
 控え室で、武田教育長から名刺を頂きました。名刺の裏面に、日本の農山村の景観や文化を守る活動 “最も美しい村”連合を立ち上げ、活動していらっしゃることが記してあります。その中の一節に「小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのを手伝います」とありました。
 「小さくても輝くオンリーワン」これこそ、ありのままの自分を価値ある存在として大切にすることではないでしょうか。私たちが住んでいるどこの地域も、私たち一人ひとり誰もが、それぞれに存在している価値を持っていることを表している言葉だと思います。
 私たちが小さい頃歌った「チューリップ」の歌も同じようなことを表しています。
 歌詞を読んでみます。


       チューリップ
                      近藤宮子    
  さいた さいた 
  チューリップの 花が  
  ならんだ ならんだ  
  赤 白 黄色  
  どの花みても きれいだな

 この歌は、東京都世田谷区に住む近藤宮子さんという方が、昭和5年に作詞したものです。「どの花みても きれいだな」という歌詞について近藤さんは、「なにごとにも良いところがあるものです。とくに、弱いものには目をくばりたい、という自分の思いをこめました」と語っています。
 近藤さんの心情に思いをはせ、「どの花も、どの地域も、どの子も輝いているオンリーワン」という思いを込めて一緒に歌ってみましょう。
 ♪♪ さいた さいた  チューリップの 花が   ならんだ ならんだ  
    赤 白 黄色   どの花みても きれいだな ♪♪
 きれいな歌声、ありがとうございました。
 レジュメに示していますことのいくつかは、触れることができませんでした。本日私がお話ししましたこと、資料に記載していますことをもとに是非ご家庭で話し合いを持って下さい。
 誰かが見守ってくれている、誰かが寄り添ってくれているという肯定的な「つながり感」が実感できる学級づくり、学校づくり、まちづくりがさらに推し進められ、「ここに生まれ、ここに住んんでよかったと皆さんが実感される小国郷」になりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。


              小国郷人権教育講演会参加者感想

 お世話になりました。
 さすが中川先生は、大きな集団に伝えるスキルを豊富にお持ちだと聴き入っていました。
 いくつかの本質となる教訓を説くため、とても分かりやすい例を提供していただき、お話がスムーズに入っていくのを感じたところです。
 ただ一つ、気になるところが出てきました。それは、実は先生はもっと深い部分について語る内容をお持ちであるのだろうということです。
 「何故、なくならないのか?」というお話にもっと先があるのだなと聴かせていただいて、私は感じたところです。
 また、先生のお話を、この続きをおうかがいできる機会を楽しみにしています。
 ありがとうございました。


 「偏見」とは、差別問題に関しては、本当によく聞く言葉です。自分では分かっているつもりでしたが、今日のお話で、改めて、「スーッ」と理解することができました。
 身の回りにあるたくさんの「刷り込み」、そこに「○○だろうな」というマイナスイメージが重なっていること、本当にたくさんあると思います。
 教育の場にいる者として、地域に住む者として、すてきなプラスイメージを広められるような生き方をしていきたいと思いました。
 「心はいつも上向きで・・・」との言葉を心に留めておきます。
 雨の中、すてきなお話を聞けて良かったです。ありがとうございました。


 「コップを描いて下さい」「魚の絵を描いて下さい」という活動をしました。多数派をしめる思い込みで、少数派の意見をつぶしてしまってはいなかったかなと思いました。
 こういう活動を通して似たような形になったとしても人それぞれ違うんだ、それで良いんだという気持ちを育んでも行けるのかなと思いました。
 自分の中の偏見に気付ける自分、立ち止まって変わっていこうとする自分でありたいと思います。


 一言感謝!
 部落問題と水俣、そして迷信など身近な話題をつなげてお話しいただいたことに感謝致します。
 先生ご自身、出身の方との出会いもあるんだなと推測されるのですが、ここで聴いた私たちは、知識として入ったに過ぎません。
 今日得られた知識を小国郷での実践につなげ、しっかり成果に結びつけたいものです。
 ひとつだけ、中学生の作文に「部落出身という消したくても消せない事実」という文章が大変気になりました。そう思っていたのは事実なのか、もし事実であったら、その出身の子には同和教育はうまく届いていなかったのだなと感じました。「出身が問われる世の中を消したい」なら分かるのですが。


 私自身が日頃から大切にしている教育活動の中に、「子ども達に成功体験をたくさんさせる」と言うことを心がけている。特に、なかなか成果を出せない子どもには、手をかけ、言葉をかけ、リハーサルなど時間をかけて関わりを持つように心がけている。自分が今まで出来なかったことや、うまくいかなかったことが出来るようになった時の満足感や達成感はずっと心に残ると思う。自分自身でもうれしいし、さらに周りの人たちから賞賛を受けた時にはもっとうれしい。それが自信につながると思う。それが次へのステップにもつながるし、苦手意識も払拭されていくと思っている。
 周りの人たちからの賞賛が、本日先生から講演いただいた「つながり感」にも通じていくのかなと思った。成功体験は自尊感情を育み、自尊感情が高い子どもは自分も周りの人たち、物も大切に出来る。個々の高まりが出てくると、集団の高まりも出てくる。集団の高まりを構築していくことは簡単ではないが、最終的には個々を伸ばしていくことが集団の高まりにつながっていくと改めて実感した。先生の講演を聴き、自分自身の心のスタンスを考える良い機会となりました。
 ありがとうございました。


 すごくわかりやすくて参加して良かったです。
 正しく学び、正しく理解し、正しく判断して、正しく行動できるように努めたいと思います。
 「理性、知性はゆっくりと歩いてくる。偏見は群れをなして走ってやってくる」この言葉を忘れないように!
 自分の子育ては終わりました。叱ってばかりだったと思いながら聞いていました。否定したつもりではないのですが・・・・。
 今日のお話を娘達にしたいと思います。孫達のために。


 優しい語り口で、とてもわかりやすく、聞いていて疲れないのでもっといろいろな話を聞かせていただきたかったです。
 コップの絵では自分の伝えたいことが相手に正しく伝わっているか分からないと言うこと、魚の絵では刷り込みの恐ろしさなどちょっとしたことで大切なことが学べたと思います。
 また、牛の絵の話はどこかで誰かに試してみたいと思います。
 人権教育担当としてあまりにも力不足の私ですが、生徒に正しい知識を学ばせ、理解させ、相手の立場に立てるような人間に育てたいと思います。
 先ずは、私がしっかりと学ばなければいけません。


 中川先生の講演は、ご自身の体験や事例などを用いられ、とても聞きやすくわかりやすかったです。差別や偏見の原因や対応についても教えていただきました。
 また、肯定感については、時間がなく具体的にお話を聞くことが出来ず残念でした。しかし、ありのままの自分、社会の中での自分について、今一度、見つめ直す必要があることを感じました。
 先生のご講演を聴き、自分自身を見つめ、人を見つめてできることから取り組んでいこうと思います。
 本日はありがとうございました。


 自分のことが好きと言える自分であることを、家族や今まで私に関わって下さった方のおかげでだんだんと気付くことができました。
 途中、コンプレックスを抱えたこともありますが、それをひっくるめた私を認めてもらえたことに感謝したいと思います。
 有紀先生の言葉一つ一つがこれからの指針になります。「手を離して、目を離さずに」は教師として、母親としての姿勢をしっかりと示して下さった気がします。
 この会場で、「七つの子」や「チューリップ」の歌を皆様と合唱できたことにもつながりを感じました。
 本日はありがとうございました。


 自分が生きていて幸せを感じる時、また、働いていて幸せな時とは、誰かとの「つながり感」を感じた時かもしれません。
 そんな「つながり感」を切ってしまう、偏見や差別は本当に恐ろしいものだと思います。しかし、この「つながり感」も「偏見・差別」もちょっとした言動でどちらにも転がります。 
 私は一教師として自分の全ての言動にアンテナを張らなくてはならないと思いました。そのために、正しく学び、理解すること、相手の立場で判断・行動することは欠かせないものだと感じました。また、常に、自分のあり方を問い続けると言うことも大切だと思います。
 本日はわかりやすいたとえを使いながら核心を突くお話をうかがえて大変有意義でした。
 本日うかがったことを活かし、誰かに寄り添い、誰かとつながり、そして、人と人とをつなぐような教師・人でありたいと思っています。
 本日はありがとうございました。


 今日はご講演ありがとうございました。
 先生のお名前のお話を最初に聞き、それが全ての話につながっていると思いました。先生が何事に対しても「感じ、考えることが大切」という視点がよく分かるお話でした。
 人権の話はどれも大切で当たり前だと頭では分かっていても、日頃の生活の中での「思い込み」が自分の目を曇らせしまうこともあるということを改めて考えさせられました。
 良くないことがすり込まれるのなら、良いこともすり込まれると思います。曇のない視点を持ち続けることは他人とのつながりの中でしか得ることはできないと思います。
 人とのつながりを大切にしながらこれからも学び続けたいと思います。


 今日は貴重なお話をいただきありがとうございました。
 「名前には親からもらった大切な願いが込められている。」すごく印象的な言葉でした。誰にでも両親が一生懸命考え、感動や思いを込めた名前があります。それを伝える、知ることが人権教育のスタートという言葉がすごく心に残りました。
 毎日の生活の中で知らないうちに刷り込まれているもの、偏見に気付き、判断行動することは難しいことかもしれませんが、教員として実践していきたいと思います。
 子ども達のために、地域や保護者、子ども同士、いろいろなつながりを大切にしたいと思います。
 

 中川先生のお話の中に出てきたおじいさんの言葉、「いじめをはね返す力」「人をいじめることの愚かさに気付く力」「いじめを止めさせる力」が地域の子になかったというお話は、人権問題解決の本質を言っておられ、この方の人権意識の高さを感じることが出来ました。
 やはり、確かな情報を得ること、相手の立場に立っての判断がとても重要であると再認識させていただきました。
 このような研修を通して、人権意識を少しでも磨いていけるよう今後も努力し、子ども達が「学校に来ることが楽しい」と感じる取り組みを続けたいと思います。
 「人権の世紀」改めて自分に何ができるか思い知らされました。この仕事をしているからこそ、できることはたくさんあります。
 まず、目の前の子ども達の心を豊かに耕していきたいと思います。そのために、たくさん、認め、褒め、励まし、伸ばしていくこと。
 今日も1日「早く、早く」「なんしよっと!!」「しゃべるな!!」怒ってばかりでした。 明日は・・・。明日こそは・・・。
 小国に久々に帰ってきました。小国でこそできる人権教育があります。一つずつできることからやっていきたいと思います。


 今日の演題を入室して直ぐに目にし、やはり「人と人とのつながり感は大切なのだ」と改めて思いました。人が、人として生きていくには一人では生きていけず、周囲の人々、様々な人たちとの関わりの中で生きています。それを実感することが自分を強くする、生き方が見えてくると言う経験を、私は休職中に実際しました。だからこそ、皆がよりよく生きていくためには、正しく学び、正しく理解し、正しく行動していくことが大切だということが胸にストンと落ちました。
 このことを忘れず、そして、子ども達に自己肯定感を持たせられるよう取り組んでいきます。
 本日はありがとうございました。


 先生のお話を聞きながら、クラスの子どもたちの顔が浮かんできました。居場所がある空間であるのか、一人ひとりがつながりの持てる学級づくりができているか、チューリップの歌を歌いながらどの子どもも良さを持っている。その良さを私は見ようとしていたか、振り返る良い時間となりました。
 また、思い込みが偏見につながること、分かっているようでしたが改めて正しい知識を持つこと、理解すること、の大切さを学ばせてもらいました。
 身近なところにたくさんの人権問題がありますが、いつも立ち止まってそのおかしさに気づける人間でいたいと思いました。


 私のクラスには2人の不登校生徒がいます。現在は適応指導教室に通っています。阿蘇の不登校アドバイザーの先生にもお世話になっています。今日が適応指導教室の日で、ここに来る前に養護教諭の先生とその子の話をしてきました。それが本日先生がお話し下さった事と一緒だったのでうれしかったです。先生の「生涯学び続けるために不登校状態であってはならない」はとても力強い言葉でした。これからも頑張ります。


 中川先生の心温まるお話。目から鱗のお話に心がゆさぶられました。
 先生の名前のこともそうですが、やはり無意識のうちに「偏見」が自分の中にもあったのだと気付かされました。
 生徒達に同和問題やハンセン病、水俣病に関する学習の時に、やはり「正しく理解する」ことの大切さを訴えます。私の中にも大きな実感としてあります。自分の体験をもとにより身近な出来事を通して、これからも生徒達と人権について学んでいきたいと思います。


 話を聞きながら中2の息子の顔が目に浮かびました。部活動を一生懸命がんばっている姿は自分の中で認めているのですが、試験の点数、順番にとらわれている自分がいます。親が子を認めることを忘れていました。息子の自尊感情は大丈夫かなぁと考えさせられました。
 帰ったらしっかり笑顔で会話をしたいと思います。


 民生委員として参加しました。
 これまで何回となく人権学習や研修を受けてきましたので知識としては理解していたつもりですが、中川先生の知識から実践・行動へとのご指摘はなるほどと共感を覚えました。
 また、子どもや孫達との関係について「認め、褒め、励まし、伸ばす」というお話は感銘を受けました。
 本当にすばらしい講演を聞けたことは幸運でした。


 「おわりに」の言葉につながる具体的な事例、わかりやすい事例で良く理解できました。
 東日本大震災で人と人とのつながりの大切さを学んでいます。全ての人が自尊心を持ち、一人ひとりを大切にする心を育成したいと思います。
 ご講演に感謝しております。


 最初の名前についての話では、話されたとおりだと思いました。私自身、我が子の誕生の感動と願いを込めて命名しました。しかし、子ども達を見ていると自分や友だちの名前を大切にしていない事象を目にして悲しく思い、指導したこともあります。一人ひとりの名前は大切にしていきたいと思います。
 いじめについての3つの力、はね返す力、愚かなことだと気付く力、止めさせる力は子ども達に付けていかねばならないと思いました。そのために、子ども達に「つながり感」を持たせたいと思います。とはいううものの、できないことも多いのでがんばっていきます。
 偏見が生まれるメカニズムを改めてコップや魚の絵のことから理解することができました。
 「つながり感」を持つには、ありのままの自分を受け入れていくことが大切だと思いました。
 全体を通して分かりやすい話であり、今日の話をいかに解放につないでいくかが大切だと感じました。


 私の姉は、小学校高学年の頃から学校に行けなくなりました。しかし、高校進学と同時に学校へ通い、今は仕事もし、元気に過ごしています。姉が独り立ちできたのは、友だちや家族とつながっていたからではないかと改めて感じました。そのつながり感を持ち続けていきたいと思います。
 以前関わっていたムラの子が昨日、子どもを出産しました。しかし、まだ若いということもあり、相手の親から結婚を反対されたままです。反対の理由として、ムラの子だからかもしれないという思いは消えません。生まれてきた子が大きくなって悲しい思いは絶対にさせたくありません。そのためにも、今できることから取り組んでいきたいと思います。


 中川先生は、娘が小学生時代の校長先生でありました。
 仕事上、入学式や卒業式にも参加できず、今日初めて先生の話を聞かせていただきました。きっと娘達も今日のような話を聞いていたんだと思うとうれしい限りです。
 高飛車でなく、同じ目線で講演下さる方はたくさんいらっしゃると聞いたことがあります。
 すばらしい研修会を開いていただきありがとうございました。