身近なことから考えてみませんか
〜人権感覚は、日々の生活の最も身近な家庭ではぐくまれます〜
平成19年11月
熊本農政事務所


 皆さん、今日は。ただいまご紹介いただきました中川と言います。よろしくお願いします。
 私は益城町教育委員会で社会教育指導員として、公民館講座のお世話をしたり、人権啓発活動のお世話をしたりしています。その中の一つ公民館講座で、大人と子どもたちにそろばんを教えています。大人のそろばん教室には、40代から70代までの人が20人います。
 9時半からの講座に9時頃には教室に来て、そろばんの練習をしていらっしゃるのです。
 私が来るのを待って、「ここがどうしても分かりません。教えてください」と言う人もいます。分かると、「あぁ、そうか。分かりました。ありがとうございました」とにっこりされます。胸に落ちるのです。
 「寝る前に見取り算の練習をすると、適当に頭が疲れてよく眠れますが、割り算の練習をすると頭がさえて眠れません」とか「練習すると体が熱くなり、着物1枚脱ぎます」、「4級の試験はぎりぎり合格で悔しかったので昨日自分で時間を計ってしてみました。時間は32分かかったけど満点でした。思わず万歳の言葉が出ました」などおっしゃいます。学習意欲旺盛な方たちです。
 子どものそろばん教室は、4年生以上の子どもたちが、木山は38人の子が練習に励んでいます。すべて進んで学習に参加している子どもたちです。
 しかし、習い始めのころは難関がいくつかあります。その一つが5珠が下りている足し算、引き算です。
 例えば、「6+8」や「17−8」です。これが難しいのです。
 2〜3日練習して「難しかぁー」と止めてしまう子。「分かりません。もう一度教えてください」と何度も何度も尋ねる子。分からない悔しさから涙を流しながら必死で習う子がいます。
 この子どもたちの差は能力差と思いますか?私はそうは思いません。自尊感情の差だと思います。
 自尊感情とは、自分自身を価値あるもの、自分自身を大切に思う感覚です。自尊感情は、その人自身に常に意識されているわけではないのですが、その人の言動や意識態度を方向付けます。自分自身の存在を価値あるものとして評価し信頼することによって、人は積極的に意欲的に経験を積み重ね、満足感を持ち、自己に対しても他者に対しても受容的です。豊かな人権感覚にも通じます。
 お子さんやお孫さんにこの自尊感情をはぐくんでください。
 そのために子どもを認め、良いときには褒め、良くないときには厳しく叱り、励ましてください。
 私はプロレスが好きで若い頃はよく見に行っていました。椅子席や立ち見席より高いお金を出してリングサイドで見ていました。リングサイドは迫力が違います。自分に興味のあるものは少し高いお金を出しても間近で見たいものです。本日のような研修会も皆さんのように前の席で学習する意欲を持ちたいものです。この意欲は自尊感情の現れです。
 私は農家の長男です。私が小さい頃、家に乳牛を飼っていました。1頭の子牛が結核にかかりました。育てることは出来ません。殺さねばならないのです。業者がトラックで子牛を引き取りに来ました。トラックに牛を乗せようとしますが、前足を突っ張って動こうとしません。牛にも分かるのでしょう。牛を父が引っ張り私がお尻を押します。子牛は涙をながしながら必死で前足を突っ張り動きません。父も母も私も兄弟もみんなが泣きながらやっとの思いで牛をトラックに乗せました。あの時の牛の悲しそうな顔、そしてトラックが動き出したときの「めー」という悲しそうな声は今でも忘れることは出来ません。小さいながら命の大切さを実感しました。
 今話しました牛の姿を描いてみましょうか。
 牛を描くというのは少し難しいですね。牛の姿を思い浮かべてください。それに色を付けてください。
 どんな色をつけたかを私が尋ねますので手を挙げてくださいね。
 「あか牛」を思い描いた人? かなりいらっしゃいますね。
 「くろ牛」を思い描いた人は? あまりいらっしゃいませんね。
 「白黒のホルスタイン牛」を思い描いた人? たくさんいらっしゃいます。
 思い描く牛の色は、所によって数が違います。
 阿蘇地方の人たちはほとんどが「あか牛」を思い描くそうです。放牧してある牛はほとんどが「あか牛」ですね。
 天草地方のある程度年を重ねた人は「くろ牛」を思い描くそうです。今は、農耕用に牛を飼っている家はほとんどありませんが、以前は「くろ牛」を飼っていました。私が牛深小学校に勤務していた頃、昭和40年代後半は「くろ牛」がいました。
 熊本市近郊の人は、ホルスタイン種、白黒の牛です。
 おわかりのように身の回りでいつも見聞きするものが、知らず知らずのうちに固定観念として自分の心に描かれてしまっているのです。
 次は、魚の絵を描いてみましょうか。(各自、魚の絵を描く)
 皆さんとてもすばらしい魚を描かれました。どなたかここ(ホワイトボード)に描かれた魚の絵を描いて皆さんに見せてみませんか。(1人手が上がる)
 どうぞ、描いてください。
 すばらしい魚を描いてくださいました。ここで問題にしたいのは、絵が上手かどうかではありません。ひれなどがきちんとあるかでもありません。頭の向きを問題にしたいと思います。
 描いていただいた魚と同じように頭が左を向いている魚を描いた人、手を挙げてください。(ほとんど全員が挙手)
 右向きの絵を描いた人は?(挙手なし)
 これまでいろんなところで魚の絵を描いてもらいました。結果はほとんど同じです。大多数の方が頭が左を向いている魚を描きます。どうしてと思いますか?
 「描きやすいから」という声が上がりました。どうして左向きが描きやすいのでしょうか?
 「魚料理では魚の頭は左向き」という声が上がりました。そうですね。尾頭付きを食べるときは魚の頭は左向きにしてあります。
 また、私たちが日頃目にする魚の図鑑や写真のほとんどが、頭が左にあります。つまり、私たちは左向きの魚を長年見続けてきているのです。牛の色と同じように知らず知らずのうちにイメージを創りあげているのです。ある人はこれを「すりこみ」と表現されました。この刷り込みが時として、思いこみとなり、偏見となり、偏見が差別を生むことにもなるのです。
 次の絵を見てください。女性はいくつぐらいに見えるでしょう?

 おばあさんに見える人? 
 少女に見える人?
 どちらにも見える人?
 最初におばあさんに見えた人にとっては、少女にはなかなか見えないでしょう。その逆もありますね。
 どうしても少女に見えない人は、「おばあさんの鼻」を「少女の顎」に、「おばあさんの唇」を「少女のネックレス」と見てください。どうですか?
 この絵を見て次の3つのことを皆さんに気づいて欲しいのです。
 一つは、見方を変えることの難しさです。最初に知ったこと、感じたことを変えるのはかなりの労力が要ります。そして、それが難しいです。だから私たちは出会いが大切なのです。
 二つは、見つめ直しの大切さです。違う角度から見つめ直してみると、これまでと違ったものが見えてくることがあります。「こうだ」と決めつけないで見つめ直すことを日頃の生活の中で取り入れて欲しいと思います。
 三つは、一つの見方に注目すると、他が見えにくくなります。人権問題も同じで、「差別は社会問題だ」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになります。逆のこともあります。
 人権問題は社会問題であると同時に人間個人の課題であることをきちんととらえておくことが大切です。
 下の図はどのように見えますか?

 円がたくさん書いてある中に四角形がありますね。この四角形の辺は直線でしょうか? 曲線でしょうか?
 用紙の直線部を辺にあてて判断しようとしている人がいます。すごいですね。物差し又はそれに代わるものできちんと図って判断する、科学的な見方ですね。そのような判断の仕方が大切だと思います。
 内側に曲がって見えませんか。帰ってから定規を当てて確かめてください。直線なのです。
 矢印で囲まれた2本の線はどちらが長いでしょう?

 これも自分で長さを写し取って比べている人がいます。
 皆さん、判断の根拠をきちんと持とうとしていらっしゃる。それが大事だと思います。左の方が長いように見えませんか。これも定規で確かめてください。実は同じ長さです。
 下の図でABとCDの直線はどちらが長いでしょうか?

 「ABの方が長かて思うバッテン、いらん情報に惑わされるなと言うから、同じ長さだろう」と思った人はいませんか?
 それこそ決めつけです。予断です。これも定規で確かめて、同じか、どちらが長いかを判断することです。
 これは、ABの方が1mm長いです。わずか1mmですよ。かなり長く見えるでしょう。
 この3つはどれも錯視絵です。
 四角形の周りに円があるために、直線の両端に矢印があるために、斜線があるために間違って見えるのです。直線かどうか、どちらが長いかを問題としているときには、周りの情報は不要なのです。不要な情報があるが為に間違えて理解してしまう。判断を間違えてしまう。このようなことが身の回りにはありませんか?
 うわさ話などこのようなことから生まれることがあるようです。
 必要な情報を正しく使って正しく判断することが大切です。
 物事を見るとき、話を聞くとき、決めつけや固定観念で見たり聞いたりすると、正しく判断できなくなることがあります。私たちはこれまでの生活の中で自分でも気づかないうちに心の中にすり込まれたものがあります。それが予断や偏見になることがあります。
 予断と偏見は一人ひとりの意識の問題でもあります。人を見下したり、遠ざけたりすることによって自己の優位性を保とうとする個人の弱さがそれを支えているのです。それが差別を助長したり温存します。その克服のためには人権・同和問題を正しく学び、「そうかな」と立ち止まって見つめ直す、考え直すことにより、予断と偏見を取り除いていくことが大切です。
 さらに、「人権問題」を正しく理解し、態度や行動に移すことのできる力となる感受性や感性をはぐくむことが重要であると思います。
 菊池恵楓園の由布先生はハンセン病啓発で「無知は偏見を生み、偏見は差別につながる」という言葉を使われていました。今は生涯学習の時代と言われています。
 学ぶことによってものごとを正しく理解しましょう。
 思いこみや偏見をなくしましょう。
 世間体にとらわれないようにしましょう。
 資料に載せています「息子よ、息子!」を一緒に読んで考えてみましょう。
 すでにこの学習をされた方は復習の意味でもう一度考えてください。
 読みますね。
     息子よ、息子!
   路上で、交通事故がありました。
   大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。
   父親は即死しました。
   息子は、病院に運ばれました。
   彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
   外科医は、「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげました。
 この話で何かおかしいところはありませんか?どうもストンと胸に落ちないという方いらっしゃいませんか?
 私も初めてこの話を聞いたとき、どうも理解できませんでした。死んだ父親がどうして「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげるのだろうかと不思議でしようがありませんでした。
 (「あぁ、外科医は母親だったのか」の声が上がる。)
 そうですね。外科医は息子の母親だったのです。私が初めてこの話を聞いたとき、外科医は男性という思いこみでいっぱいでした。だから、胸にストンと落ちなかったのです。
 知らず知らずのうちに、私たちの意識の中に、男性や女性の職業に対する固定観念や思いこみが自分にもあると気づかれた方もおいででしょう。自分では全く気づかずに、誤った思いこみや偏見を心に植え付けてしまうことがあるのです。
 たくさんの言葉を示していますが、それらが「差別的表現は含まれていない」「少し含んでいる」「かなり含んでいる」「非常に含んでいる」「わからない」の該当するところに印を付けてみてください。(5分程度各自で考える)
 「父兄」という言葉はどうでしょうか?
 ほとんどの方が、「含んでいる」と思っていますね。これは、戦前の家父長制の名残や男性社会を示す言葉ですね。学校では保護者と言っていますね。今、父兄という人はほとんどいないと思いますが、時々、テレビや新聞、雑誌などでこの言葉を聞いたり目にしたりすることがあります。まだまだ、啓発が必要です。
 「良妻賢母」はどうでしょう?
 「含まない」「分からない」に○を付けた方も多いようです。皆さんは「3従の教え」という言葉を聞いたことはありますか?「家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫死しては子に従う」というものです。あくまで男性を立てて、子育てをし、自分を犠牲にする生き方を言っています。女性蔑視と感じる人が多いですね。
 「片手落ち」はどうでしょうか。
 身体の一部を使った言い表し方がたくさんあります。「手短に」や「舌足らず」もそうですね。「片手落ち」は身体の一部を使った言葉です。「不快」いや「差別的響き」を感じる場合が多いですよね。もう8年ほど前になりますかね。NHKの大河ドラマで「元禄繚乱」が放映されたことがありました。原作は舟橋聖一さんの「新忠臣蔵」です。江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷をはたらいたというので、内匠頭は切腹、吉良上野介はおとがめ無しという裁きがありました。これに対して原作では「片手落ち」とありましたが、ドラマでは「片落ち」という表現をしていました。
 6年生は長崎へ修学旅行へ行くでしょう。長崎では原子爆弾の投下でたくさんの犠牲が出ました。その中に爆風で、鳥居の片方が吹っ飛んで足が1本で立っている鳥居があります。これを以前は片足鳥居と表現してありましたが、今は「1本足鳥居」と呼び方が代わっています。これは、これまでの同和教育、人権教育の成果だと思います。
 「らい病」はどうでしょうか?
 かって「らい病」は公的な使われ方をしていましたが、現在では差別語です。「ハンセン病」といっていますね。
 「知的障害」はどうでしょうか?
 「精神薄弱」という言葉が不快感を与えるなどの議論があり、それに代わる言葉として「知的障害」が使われています。
 「同和」はどうでしょうか?
 「同和」の語源は、「同胞一和」とか「同胞融和」の略と言われています。「同和地区」、「同和行政」などと使われてきましたが、「同和の人」などと差別的に使われてきた経緯もあります。「同和」という言葉だけを使うことは差別性を含む表現として不適切です。先ほど言いましたように「同和行政」とか「同和教育」などのように複合語で使います。
 「文盲率」はどうでしょうか?
 字が読めない、書けないことを目が見えないことに例えています。目が見えなくとも様々な手段で読み書きが出来る人は多いですね。「非識字率」という言葉を使います。
 「痴呆症」の「痴呆」の意味や感じ方が不快であることから「認知症」という言葉を使っていますね。
 「と殺場」の「と殺」は差別語です。「殺す」という言葉から職業差別につながる響きがあります。「と場」とか「食肉処理場」という言葉が使われています。
 「バカチョンカメラ」はどうでしょうか?
 この「バカチョンカメラ」の言葉で次のような話を聞いたことがあります。
 韓国旅行をした人が、使い捨てカメラを取りだして、近くにいた韓国の人に「これで写真を撮ってください」と頼んだとき、韓国の人が「どうすればよいですか」と聞きました。「このカメラはバカチョンカメラですからこのシャッターを押すだけです」と言ってにこにこしながら写真を撮ってもらったそうです。ところが写真を撮った韓国の人は目にいっぱい涙をため、体が震えていたそうです。観光旅行に韓国に行った人はこの「バカチョンカメラ」が差別語、韓国や朝鮮の人を差別する言葉とは知らなかったのです。
 皆さんはご存じでしょう。「バカ」は「馬鹿」、「チョン」は「朝鮮半島の人々」を指し、それらの人々に対する蔑視的表現で差別語という意見があります。「使い捨てカメラ」また、「インスタントカメラ」と言った方がよいでしょう。
 「外人」は「害人」を思い起こさせると言うことから蔑視的響きを感じる外国人が多いそうです。ただ、「外人墓地」となると響きが違います。
 「表日本」「裏日本」、私は小学校の頃社会科でこのように習いました。しかし、「裏」という言葉にマイナスイメージを持つ人が多いのも事実です。今は、「太平洋側」「日本海側」と言う表現をしていますね。「後進国」という言葉もマイナスイメージがあるということで「途上国」という言葉を使っているでしょう。
 「でかした!男の子が生まれたぞ」個人の気持ちとして、「男の子が生まれた」は信条の自由ですが、これが広告となると女性差別を助長する表現ですね。以前、カレーだったかのコマーシャルで「あなた作る人、私食べる人」と男性が話す場面がありました。多くの人から強い抗議があって放映されなくなりました。もう、2〜30年前のことですかね。
 「歩くから人間」という広告には、多くの人から抗議があったそうです。特に障害がある人や関係者に対して極めて不快感を与えます。
 これまで見てきましたように、発言する方は差別しようと思わなくとも、その言葉を聞いた人が極めて不快を感じたり、差別感を持ったりすることがあることが分かったと思います。
 身の回りのことをもう一度見つめ直すことが大切です。
 当たり前だと思っていた考えや行動が、実は他人を傷つけていたことはありませんか?
 例えば、子どもさんに一生懸命勉強して欲しいと思って「勉強せんと、○○のような仕事しかできんよ。しっかり勉強しなさい」と言ったことはありませんか。あるいはこのような言葉を聞いたことはありませんか。「○○のような仕事しかできんよ」といわれた○○の仕事をしている人がこの言葉を聞いたらどんなに思うでしょうか。
 また、「あの子とは遊ばないようにしなさい」と言う言葉を聞いた方はいませんか。遊ばないようにしなさいと言われたあの子はどんな思いがするでしょう。
 「あの子と遊ばないようにしなさい」と言われた子がどれだけきつい思いをするか、それも部落差別が為にそういわれた孫が誕生会に招かれなかったときのことを詩に表したものがあります。
 一緒に読んでみましょう。
      招かれなかったお誕生会      江口 イト
   孫は小学四年生
   かわいい顔した女の子
   仲良しA子ちゃんの誕生会
   小さな胸にあれこれと
   選んで買ったプレゼント
   早く来てねと友の呼ぶ
   電話の声を待ちました

   夕陽が山に沈んでも
   電話の声はありません
   孫はポツリと言いました
   きっと近所のお友達
   おおぜい遊びに行ったので
   お茶わん足りずにAちゃんは
   困って呼んでくれないかも

   二、三日たった校庭で
   A子ちゃん家での誕生会
   楽しかったと友人に
   聞かされ孫はA子ちゃんに
   どうして呼んでくれないの
   私はとても待ったのよ

   A子ちやんとても悲しい顔をして
   私は誰より花織ちゃんを
   呼びたく呼びたく思ったの
   けれども私の母ちゃんは
   呼んではならぬと言ったのよ
   それで呼べずにごめんねと
   あやまる友のその顔を
   見つめた孫の心には
   どんな思いがあったでしょう

   私は孫に言いました
   お誕生会に招かれず
   さびしかっただろうねと

   孫はあのねおばあちゃん
   A子ちゃんとても優しいの
   私の大事なお友達
   A子ちゃん悪くはないのよ
   お母さんが悪いのよ
   大人ってみんな我ままよ

   寂しく言った孫の瞳に
   光る涙がありました
   どんなするどい刃物より
   私の胸を刺しました

 この「招かれなかった誕生会」には、孫に対する深い愛情と部落差別に対する心の叫びが凝縮されています。
 日頃は特別に意識をしていなくても何かがあるとき出てくるのが「今日は何の日?」です。資料に示しています「六曜」って何?・・・自分自身と向き合うことからは益城町広報の人権啓発文です。読んでみます。
 若いカップルがいよいよゴールイン。2人で式場さがしを始めました。相談に行った式場で「仏滅割引」を知った2人は、迷わずこの日を予約しました。浮いたお金を新婚旅行にあてようと思ったからです。
 ところが、2人とも親から
 「仏滅に結婚式なんてとんでもない」
 「世間の常識を知らない」
 「恥ずかしくて親戚に顔向けできない」
と猛反対を受けました。いつ結婚式を挙げようと関係ないと思っていた2人には、なぜ親がそこまで反対するのか納得いきませんでした。
 カレンダーや手帳に、いまだに「六曜」が記載されているものがあります。結婚式やおめでたい日は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、事故を起こすと「仏滅」だったなどと、日取りを決める基準にされることがあります。この六曜とは、いったいどのようなものでしょうか?
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものなのです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、毎月の1日(旧暦)を次のようにすると勝手に定めました。すなわち、正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引という具合です。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽(こっけい)なことだと私は思っています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、カレンダーに六曜を入れない運動を進めている自治体もあります。一人ひとりの意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 資料に平成19年度全国中学生人権作文コンテスト県大会最優秀賞「ありがとう」の響く家からを付けています。
 ご覧ください。少し長いですが読んでみます。一緒に目を通してください。
 「ありがとう」の響く家から 本渡中学校2年 森下真旺さん。
   「人権って何だろう」
 人権といえば、「差別をなくそう」とか、「友だちを大切に」などといった呼びかけの言葉がすぐにうかんでくる。
 でも、人権ってそれだけのことなのだろうか。辞書で「人権」という言葉を調べてみると、「人間が人間として生まれながらに持っている権利」と書いてある。言葉としてはわかるが具体的に考えてみると、結構難しい。
 私は人権という言葉についていろいろ考えてみた。すると、私が小学校2年生の頃のある出来事が頭に思い浮かんできた。
 私の両親は小学校の教師をしている。ある日の夜のことである。その日は父が夜の会議で遅くなるので、母が早く帰ってくる予定になっていた。しかし、学校で何かトラブルがあり、母は担任している子供の家に家庭訪問に行くことになった。母が家にたどり着いた時には、すでに10時を回っていたそうだ。
 その日、私と2歳年下の妹は、8時頃まで夕ご飯も食べずに母を待っていた。でも妹がおなかをすかせているのを見かねて、私は目玉焼きを2つずつ作り、妹と一緒に食べた。そして、二人で入浴し、いつもの約束通り9時半頃には床についた。
 妹は寝る前に、母にあてて広告紙の裏に手紙を書いて玄関の所に置いていた。
 母によると、その手紙にはこう書いてあったそうだ。
 「おしごとおつかれさまでした。おねえちゃんがめだまやきをふたつつくってくれたので、なっとうといっしょにたべました。めだまやきはふたつだったけど、わたしは4にんで1つずつのほうがいいです。おやすみなさい」
 母は翌朝、私と妹に「ありがとう」と言った。夜帰ってきて手紙を読んだとき、母は大泣きしたそうだ。
 母から「ありがとう」と言われたときは、得意満面に「どういたしまして」と言った私だったが、母が泣いた理由はわからなかった。でも、今考えてみると、母があの手紙を読んで涙を流した理由がわかる気がする。
 我が子を家に残して夕ご飯も作れなかったとき、子供達が助け合って、自分達が出来ることをしていたことに感謝したのだろう。そして、親のことを気遣い、大切に思っている妹の手紙に心がふるえたのだろう。
 私は人権について考えることで、忘れかけていた大切な思い出を思い出すことができた。
 私は人権というのは難しいことではなく、人に感謝する「ありがとう」という言葉から始まるのではないかと思う。「ありがとう」という言葉は自分の心を優しくしてくれる。「ありがとう」という言葉は、相手の心を温かくしてくれる。「ありがとう」という言葉は人と人とをつなぐ。そして、人と人とがつながれば、人はもっと元気になれる。
 「ありがとう」という言葉は「有り難し」という言葉からできている。当たり前のことを当たり前と思わず、有り難いと思える事にでも感謝の気持ちを表すことの大切さが込められているのではなかろうか。
 私の両親は生活の中でどんな小さなことでも「ありがとう」と言う。食器を運んでくれて「ありがとう」。テレビをつけてくれて「ありがとう」。
 それに私と妹の誕生日には、「生まれてきてくれてありがとう」。私には、なんでもないと思える事でも、「ありがとう」と言うのだ。
 両親が毎日のように「ありがとう」と言っているおかげで、私も「ありがとう」と言えるようになってきた。すぐにパッと言葉が出てくるわけではないが、例えばお弁当を作ってもらったら、「お弁当ありがとうございました。おいしかったよ」と弁当箱を洗って母に返している。
 これからも「ありがとう」という言葉が響く家をずっと続けていきたい。そして、もし私にできるのなら、世界中のみんなが「ありがとう」を素直に言える世界にしていきた。私はこの大きな目標に向かって、自分の目の前の人に「ありがとう」を伝えていきたいと思う。
 人権について考えているうちに「ありがとう」という言葉にたどり着いた。今生きている私たちは、数え切れないほどの偶然と無数の命のバトンを受け継いで生まれてきた。だとすれば、命を授かって生きていること自体が「有り難い」ことなのである。
 生きていることに感謝してしっかりと生きていくことが、人権そのものなのかもしれないと、私は考えている。
 読んでどう感じましたか?私はこの作文を読むたびに目頭が熱くなります。家族の濃やかな愛情と信頼が目に浮かびます。人権について中学生がこのように考えていることに驚きと同時に喜びを感じました。そして、人権意識とは家庭生活の中から生まれてくるのだというのを実感しました。
 私は、先月、胆石の手術で5日間入院しました。この5日間の入院生活の中で、大勢の人が病室から出てくるところを何度か見ました。誰かが亡くなられたのでしょう。今、ほとんどの人が病院で死を迎えます。
 柳田邦夫さんは、「壊れる日本人」〜ケータイネット依存症への告別〜という本の中で、死を目前にしている患者が入っている病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところが多い。病室に詰めている家族の目は、どうしてもモニターに向かう。患者の枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を誰もが忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになると書いています。
 最近では、モニターは看護師の詰め所などに置いてある病院が増えたそうです。
 私の父は、15年ほど前になくなりました。父は生前、「我が家で死を迎えたい」と言っていました。死を間近にした時、病院の先生から「入院すればもっと生きられる」と言われましたが、母や兄弟と相談して入院は断りました。
 家族や親族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、母は、両手で父の手をしっかりと握りしめ、無言で父を見つめていました。父の兄弟は名前を呼び続け、私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と、孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。私は、「父ちゃん、これまでありがとう。これからも俺たちを見守っていてはいよ」とこみ上げる悲しみを必死でこらえながら父に語りかけました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。
 私は家で死を迎えるのが良いというのではありません。人の誕生や死に立ち会いながらその中で「生きる」とはを考えたいと思います。心を揺り動かされる体験から人権感覚は生まれ、磨かれていくものと思います。そして、その人権感覚を行動に移して欲しいと思います。
 先ほどもいいましたが、互いに人権を尊重し合い、みんなが安心して楽しく過ごせるまちづくりに努めたいものです。
 おわりに、桑原律さんの「共に生きる道」を一緒に読みましょう。
      共に生きる道             桑原 律 
   わたしたちが
   この世に生をうけたとき
   だれにも選ぶことのできないこと

   世界の どこの国で
   どのような人種・民族の一人として生まれるか
   どの地方の どの地域で生まれるか
   どの家で だれを親として生まれるか
   どんなからだで生まれるのか
   これらは
   だれも選ぶことのできない条件

   人種や民族が違うからといって
   なぜ 偏見を持つのでしょうか
   ある地域の出身だということだけで
   なぜ
   特別な目で見て
   さげすむのでしょうか

   女性か男性かという
   性の違いによって
   なぜ
   人間としてのねうちに
   差をつけようとするのでしょうか

   からだに障害があるからといって
   なぜ
   「やっかい者」扱いし否定的に見るのでしょうか

   一人ひとりは
   それぞれが 命ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれが 心ある存在です
   一人ひとりは
   それぞれ 個性的な違いがあって同じ人間なのです

   人と人とを分け隔て
   心の中にある壁を設けるのは
   やめましょう

   違いがあることを
   その人を否定する理由とせず
   違いがあることを
   おたがいに認めあうこと
   そうして おたがいを信じあい
   共に生きる道を踏み出しましょう

 本日話しましたことや配付しました資料などを元に今夜の夕食時に家族で人権について話し合ってみてください。そして人権を身近なものととらえ、毎日の生活で見つめ直してください。
 長時間のご静聴ありがとうございました。