テレビの声より家族の声
上天草市立登立小学校
平成21年10月28日


 皆さん こんばんは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。
 私は、5時頃学校に着きました。学校を見てびっくりしました。緑いっぱい、花いっぱい、ちり一つ落ちていません。しっとりとして落ち着きのある学校ですね。時間がありましたので、校長先生に、校舎を案内してもらいました。子ども達の下足箱を見てまたびっくりしました。300名以上の子ども達の上履きが、きちんと下足箱に置いてあります。先生方が丁寧に、指導していらっしゃるのでしょう。でも、学校だけでは、あんなにきれいにできません。家庭できちんと躾けてあるからこそだと思います。先生方のトイレを使わせてもらいましたが、スリッパがきちんと並べてありました。おそらく子ども用トイレのスリッパもきれいに並んでいることと思います。トイレのスリッパがきちんと並んでいることは、思いやりがある証拠です。次に使う人が履きやすいようにきちんと並べておくのですから。巨人軍の監督だった川上さんの話を聞いたことがあります。2軍選手を見るとき、寮生活の態度を見ると言っておられました。野球の技術より、次の人のためにトイレのスリッパをきちんと並べることができるかで判断したそうです。チームプレーでは、相手が捕りやすい球を投げることが最も重要です。トイレのスリッパ並べがそれに通じると言っておられました。
 こんなすばらしい環境のもとで学習している子ども達は心優しく、落ち着きのある学習態度だろうと想像します。「子どもが学習しているときに来てみたい」と思います。
 今夜は、昼の仕事でお疲れのところたくさんの方がお出でです。「今夜は家庭教育について話がある。是非聴きたい」と思ってこられた方、校長先生やPTA会長さん、あるいは研修部長さんから「今夜はどうしても来て」と言われて渋々来られた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ここにいるということは家庭教育について、いろいろ考えていらっしゃるからですね。お子さんが、心豊かで、たくましく、独り立ちできるよう願いながら子育てに当たっておられるからですよね。そして、子育てにいろいろ悩み、苦しみ、楽しみながら当たっておられるからですよね。
 子どもの時にあれこれ遅れているようなことがあっても、人生とはよくしたもので、どこかで学習し、とりもどしていきます。成人した子とクラス会をやれば、みんな立派になっています。中には自分が持っている力をもっと発揮できそうなものにと思う子もいますがね。本校の教育目標に「自ら進んで」という言葉がありました。自ら進んでと言うのは誰にでもできるものではありません。学校を卒業した後も自ら進んで学習する子に育てて欲しいと思います。
 私は、子育てに必要なことは次の3つの力を子どもに身につけさせることだと思います。1つは、自分が好きだという感情、自尊感情と言います。自尊感情が高い人は、「できるようになりたい」「分かるようになりたい」という向上心が強い人です。この向上心が自ら進んで学習する源です。また、自分が好きという人は他の人も好きという人です。これが人権尊重の源です。この自尊感情を身につけさせること。2つは、恥ずかしい行いはしないこと。3つは、独り立ちできる力を身につけさせることです。この3つの力を持った子どもを育てることだと思っています。ところがこれがなかなか難しい。だから悩み、苦しみ、そして思いもしないような成長を遂げたことに気づいたときの喜びがあります。
 私も妻も悩みながら、苦しみながら、時には喜びを感じながら2人の息子を育ててきました。
 先日、長男の夢を見ました。もう35歳を過ぎている長男ですが。私が家路についていると、我が家の方から小学生の頃の長男の泣き声、それも嗚咽が聞こえてきます。どうしたのだろうと急いで帰ると、弟が母親に抱かれて泣いています。「兄弟げんかをして叱られて泣いているのだろう。かわいそうに」と長男を抱きしめました。長男は小学生の頃、弟をいじめるなど悪さをしていました。そのたびに私は思いっきりたたきました。清和村に住んでいたある冬の夜は、雪が積もっている庭に裸足で立たせたこともありました。「お父さん、もうしません」と泣きじゃくっている長男を私も「もう、せんね」と言い、涙を流しながらしっかりと抱きしめたこともありました。そんな昔のことが夢に現れたのでしょう。
 夢のことを妻に話すと、「電話したがよかよ」と言います。息子に「何事もなかかい?」と電話すると「変わったことはなか。どぎゃんしたつね?」というものですから夢の話をすると大声で笑っていました。親というのはいつまで経っても子どものことが心配なのです。
 今年66歳の私も母親から、「仕事で他の人に迷惑はかけちゃおらんね」「恥ずかしいことはしよらんね」と今でも言われます。
 私はあまりテレビを視ません。妻はもっと視ません。視るのは、朝と夜のニュース番組、歌番組、世界の自然などに関する番組です。日曜日夜7時半から放映されるBS日本の歌はよく視ます。
 先週、BS日本の歌を見ていて車酔い状態になりました。カメラワークというのでしょう。歌手にズームで迫ったり、引いたり。アップにしたかと思うとすぐに引いてしまいます。しかもカメラが移動しながらズームしたり、引いたり、違うカメラに切り替えたりするので、常に画面が動き続けます。静止画面がないのです。気持ち悪くなって20分ばかりで視るのを止めました。
 ずっと以前にポケモンのワンシーンでピカピカ光が点滅する場面で、テレビを見ていた沢山の子どもがひきつけやてんかんの様な症状で病院に運ばれたニュースがあったでしょう。一生懸命視ているとそうなるんだろうなと思いました。
 以前私は、水谷豊さん主演の刑事ドラマ「相棒」という番組をよく視ていました。私には想像もできない奇想天外な推理が面白かったからです。あるとき妻が「こんなに叫び声やわめき声、人が殺される番組は気持ちが悪い。視なすな!」と言います。私は推理を楽しんでいたのですが、言われてみると殺人事件の犯人をひもとく推理です。真っ赤な血が流れています。それから視るのを止めました。刑事ドラマのほとんどが殺人事件の犯人捜しですよね。真っ赤な血が映し出されます。
話は、違いますが、日本の昔話にも人や動物を殺す場面がいっぱいあります。例えば、「かちかちやま」は狸がおばあさんを殺してしまうでしょう。しかし、殺すという表現はありますが、どのようにして殺したのかとか真っ赤な血が流れるとかいう表現はありません。花咲かじいさんでもそうでしょう。「ここ掘れワンワン」と言ったからそこを掘ってみると、宝物どころかがらくたしか出てこなかったので意地悪じいさんは犬を殺してしまったでしょう。この場面も犬が殺される様子などの表現はありません。日本の昔話は子ども達に生き方を教える話ですから、因果応報悪いことをしたら必ずその報いが来るということを教えるものですから、殺すことはあっても血など一切出てきませんね。ここが昔話のよさと思います。
 物事には、すべて表と裏、光と影がありますように、テレビにも光と影がありますよね。
 だから、テレビと上手に向き合う方法をみんなが考えているのです。ここ登立小では、「ノーテレビデー」運動をしていらっしゃると校長先生からお聞きしました。各家庭でこれからもずっと取り組んで欲しい運動ですよね。
 そこで、テレビの光と影について少し視てみたいと思います。
 まず光の部分は、「百聞は一見しかず」です。
 テレビは、リアルタイムで事件や事故など報道します。台風の様子や地震の被害の様子、すぐに分かるでしょう。まさに「百聞は一見しかず」です。それから、臨場感があるでしょう。先日、プロ野球ではクライマックスシリーズがありました。私は、今話題沸騰の野村監督率いる楽天の試合を視ました。第1戦では、9回表に楽天が加点しましたから楽天が勝つと思って視ていました。ところが、9回裏の日本ハム、スレッジ選手の逆転サヨナラ満塁ホームラン。テレビを視ていながら球場で観戦しているようでした。それから、色彩感。先日のニュースでは「秋限定、白山の絶景」と題して白山の紅葉を放映していました。それはきれいでした。このようにテレビの効用はたくさんありますね。
 しかし、陰の部分が子どもの心の成長に大きな悪影響を与えはしないかと危惧されているのはご承知の通りです。テレビの陰は、「百聞は一考にしかず」です。9月7日付け熊日「ハイこちら編集局」にあった記事を見てください。読んでみます。


9月7日付け熊日夕刊「ハイこちら編集局」

         「弱者笑うテレビ番組 視ていて嫌な気分に」

 (9月)2日の夜、お笑い芸人が出演するテレビのバラエティー番組を視ていて、嫌な気分になりました。出演者の中でも地味で目立たない2人を候補者にしてどちらが不人気かを視聴者の投票で選ぶ内容です。これって学校でやれば、いじめそのものじゃないですか。制作現場や放送局の内部から「これはまずい」という意見は出なかったのでしょうか。弱い人を笑いものにする感覚が信じられません。小学6年生の娘と視ていましたが、すぐにテレビを切りました。「かわいそうね。お母さんは視ていられない」と伝えると、娘は複雑な表情を浮かべていました。


 視聴率を気にするあまり、安上がりで視聴率が上がるような番組が多いでしょう。
 平成15年7月31日の熊日新聞、「テレビ・ゲ−ム長時間視聴に警鐘」という記事を見てください。これは、NPO「子どもとメディア研究会」が調査したものです。全文は時間の都合で読みません。帰ってから読んでください。所々読んでみます。
 テレビ視聴が5時間以上の子は、3時間未満の子に比べてすぐ疲れることがある割合が高い。朝、気持ちよく起きられない割合も高い。テレビ視聴が長いほど、自分には良いところがあると思う自己肯定感が弱くなっている。受動的な関係にならされ、自分のことを見つめる力が育たないのでは。全くテレビを視ない週と視たい番組を3時間だけ視る週に挑戦してみた子ども達は、家族や友達との遊びを楽しみ、71%の家庭が家族の会話が増えたと答えた。と報道しています。
 平成19年10月に熊本県が調査した「子どもの遊びの実態」でも、テレビやコンピュータゲームで遊ぶことの多い子どもの方が、夜眠れないことがある、いらいらすることがある等と回答する割合が高い傾向にあります。また、子どもたちは室内での遊びが多く、人や自然と関わったり、身体を動かしたりすることが少なくなっているようです。地域での体験活動や様々な遊びの経験が多い子どもの方が、自尊感情や規範意識が高い傾向にあることも調査から読み取ることが出来ます。
 このようなことから、全国で、ノーテレビデーに挑戦する学校、家庭が増えていますね。本校もそうだろうと思います。

1999(平成11)年、アメリカ小児科学会は、次のように勧告しています。


1999(平成11)年、アメリカ小児科学会勧告

 「子どもの健全な発育のためには『2歳未満の子どもはテレビ画面への接触は避ける、6歳までは1時間、6歳以降は2時間までに制限することが必要』」

 まとめますと、
 ○テレビの暴力シーンが子どもの行動を粗暴にする傾向にある。
 ○性的シーンが子どもの性行動にゆがみをつくる。
 ○テレビゲームに熱中している子どもは、人格形成が阻害される。
 ということですよね。
 皆さんは、森昭雄さんが書いた「ゲーム脳の恐怖」と言う本を読みましたか?
 森さんは、「ゲームばかりしていると、人間らしさを表現する前頭前野が働かなくなってしまう。」「こんなことをしたら周囲はどう思うだろうということを考えられなくなってしまう。」とその恐怖を訴えています。ゲームばかりしていると、理性とか道徳心、羞恥心などが育たないと言っているのです。
 一頃、車内で化粧する人のことが話題になったでしょう。そんな人を見た人いますか?または自分もしていたという人いますか?
 化粧というのは、恋人や自分の知り合いに「きれいね」と思われるためにするのですか?外に一歩出るときの身だしなみとして行うものと思います。だから化粧は、自分の家の私的な空間で行うものと思います。電車やバスの中は公的な空間ですから、車内で化粧するのは恥ずかしい行為です。それを恥ずかしい行為だと思わないところに問題があると私は思います。先日、東京に用で出かけました。そのとき、山手線の中でコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べている人がいました。
 コンビニの前の路上に座って、飲食している若者もいます。「恥ずかしい」という気持ちが薄いからできるものと思います。
 人が人として生きていく上で重要な役割を果たしている前頭前野の機能が働かなくなるというのですから恐ろしいですよね。
 前頭前野の働きの例として
 ○腹が立ったときになぐりたくなっても、結果を予想して理性が働きがまんする。
 ○本能的な欲求や行動に対して、エチケットや羞恥心が働きそれを抑制する。
 ○学習能力が低下する。
などが挙げられます。
 この前頭前野の働きについて、東北大学の川島隆太教授は次のように述べています。


                  前頭前野の働き
                                           東北大学教授 川島隆太

 人間の脳と他の動物の脳とでは何が大きく違うのでしょうか?
 人間も動物です。しかし人間は教育(脳への刺激)によって大きく変化することができます。その刺激を受け入れ、受け入れた刺激を継続によって定着させ、定着させたものをうまく組み合わせて新しい技術を作り上げ、豊かな文明を築いてきました。前頭葉の発達こそが人間と他の動物の考え方・行動の差なのです。
 その中でも「前頭前野」といわれる場所が特に大切で、脳の司令塔だといわれています。
 前頭前野の大切な働きとして
@顔の表情や声の様子から、人の気持ちを推測する働きがあります。
Aものを覚えるという気持ちも、前頭前野から出てきます。
 「覚えるためには繰り返し練習しなきゃ!」と前頭前野が教えてくれるのです。
B「さあ、がんばるぞ!」という「やる気」、なにかをやってみようという「やる気」「挑戦する気持ち」も前頭前野から出てきます。
C反対に、やってはいけないことはしない、という気持ちも前頭前野から出てきます。
 人を傷つけてはいけない・盗んではいけない、これも前頭前野が教えてくれています。
D悲しいこと、くやしいしいことがあっても、人前では顔に出さずに我慢する気持ち、これも前頭前野の働きです。前頭前野がうまく働かないと、ちょっとしたことでも、すぐに怒ったり、めそめそしてしまいます。
E前頭前野は、いろいろなものを発明する力も発揮します。ノーベル賞をもらうような発明や発見をする人はとても上手に前頭前野を使えるのです。
 音楽や絵画など、素晴らしい芸術作品を作りだす力も前頭前野の仕事です。
F周りのことを気にしないで、一つのことに打ち込む集中力は、前頭前野の働きです。
 反対に、2つ3つのことを、同時にできる力も前頭前野の働きなのです。
G私たちは、前頭前野を使って、いろいろなことを考えています。人とは違ったアイデアがたくさん浮かんでくるような人は、前頭前野をうまく使える人です。

 どうですか?
 こんな大事な働きをする前頭前野が、長時間テレビを視たり、ゲームをしたりすることで働かなくなるとは本当に怖いことです。
 平成16年1月、日本小児科医会子どもとメディア対策委員会から「子どもとメディア」の問題に対する提言がありました。読んでみます。


平成16年1月 「子どもとメディア」の問題に対する提言
                                             日本小児科医会子どもとメディア対策委員会

 わが国でテレビ放送が開始されてから 50年が経過しました。メディアの各種機器とシステムは、急速な勢いで発達し普及しています。今や国民の6割がパソコンや携帯電話を使い、わが国も本格的なネット社会に突入しました。今後、デジタル技術の進歩はこのネット社会をますます複雑化し、人類はこの中で生活を営む時代に進みつつあります。
 これからもメディアは発達し多様化して、そのメディアとの長時間に及ぶ接触はいまだかつて人類が経験したことのないものとなり、心身の発達過程にある子どもへの影響が懸念されています。日本小児科医会の「子どもとメディア」対策委員会では、子どもに関係するすべての人々に、現代の子どもとメディアの問題を提起します。
 ここで述べるメディアとはテレビ、ビデオ、テレビゲーム、携帯用ゲーム、インターネット、携帯電話などを意味します。特に、乳児や幼児期ではテレビやビデオ、学童期ではそれに加えてテレビゲームや携帯用ゲーム、思春期以降ではインターネットや携帯電話が問題となります。

提言
 影響の一つめは、テレビ、ビデオ視聴を含むメディア接触の低年齢化、長時間化です。乳幼児期の子どもは、身近な人とのかかわりあい、そして遊びなどの実体験を重ねることによって、人間関係を築き、心と身体を成長させます。ところが乳児期からのメディア漬けの生活では、外遊びの機会を奪い、人とのかかわり体験の不足を招きます。実際、運動不足、睡眠不足そしてコミュニケーション能力の低下などを生じさせ、その結果、心身の発達の遅れや歪みが生じた事例が臨床の場から報告されています。このようなメディアの弊害は、ごく一部の影響を受けやすい個々の子どもの問題としてではなく、メディアが子ども全体に及ぼす影響の甚大さの警鐘と私たちはとらえています。特に象徴機能が未熟な2歳以下の子どもや、発達に問題のある子どものテレビ画面への早期接触や長時間化は、親子が顔をあわせ一緒に遊ぶ時間を奪い、言葉や心の発達を妨げます。
 影響の二つめはメディアの内容です。メディアで流される情報は成長期の子どもに直接的な影響をもたらします。幼児期からの暴力映像への長時間接触が、後年の暴力的行動や事件に関係していることは、すでに明らかにされている事実です。メディアによって与えられる情報の質、その影響を問う必要があります。その一方でメディアを活用し、批判的な見方を含めて読み解く力(メディアリテラシー)を育てることが重要です。
 私たち小児科医は、メディアによる子どもへの影響の重要性を認識し、メディア接触が日本の子どもたちの成長に及ぼす影響に配慮することの緊急性、必要性を強く社会にアピールします。そして子どもとメディアのより良い関係を作り出すために、子どもとメディアに関する以下の具体的提言を呈示します。

具体的提言
1 2歳までのテレビ・ビデオ視聴は控えましょう。
2 授乳中、食事中のテレビ・ビデオの視聴は止めましょう。
3 すべてのメディアへ接触する総時間を制限することが重要です。1日2時間までを目安と考え ます。テレビゲームは1日30分までを目安と考えます。
4 子ども部屋にはテレビ、ビデオ、パーソナルコンピューターを置かないようにしましょう。
5 保護者と子どもでメディアを上手に利用するルールをつくりましょう。

 私がある小学校に勤務していたときのことです。6年生の子数人が朝から、元気が感じられません。いつも眠そうにしています。担任に生活リズム、起床時刻、就寝時刻、テレビ視聴時間などを調査させました。驚いたことに、夜2時近くまで起きてテレビを視ていたのです。親は早く就寝していました。子どもは自分の部屋にあるテレビを遅くまで視ていたのです。担任を厳しく指導しました。そして、保護者に子ども部屋からテレビを取り除くよう伝えました。1週間ほどで改善しました。
 ある中学校の先生から聞いたことです。中学生で自分の部屋にパソコンがある子のほとんどがアダルト関係のインターネットにアクセス経験があるということです。中学生くらいの子は性に関して興味がありますからすぐに広まります。皆さんも中・高校生の頃、性に関して興味があったでしょう?私もありました。私の頃は、テレビもパソコンもありません。雑誌です。「明星」とか「平凡」とかいう雑誌がありました。誰かがこっそり学校に持ってくるのです。先生に見つからないように隠れて読んだものです。
 現在のパソコンでの性に関する情報は私や皆さんが若かりし頃とは比べものにはなりません。もし、子ども部屋にテレビやパソコンが置いてあったら、今夜すぐに取り除いた方が良いですよ。テレビやパソコンは家族みんなの共有物として使うことです。
 これから秋も深まります。秋の夜長、テレビ視聴を短めて、一家団欒、ぬくもりのある家庭、家族の会話を増やしましょう。家族読書も良いでしょう。
 ぬくもりのある家庭づくりのために、家族ゲームはどうでしょうか。
 話を聞くだけでは退屈ですから、ゲームをしてみましょうか。
 人の名前だけでのしりとり遊びですよ。
 私の名前は、「ありとし」です。私から始めましょう。ありとし、しんいち、・・・・・・
 人の名前だけのしりとりは楽しいですよ。人前では口に出すのがはばかられるような、例えば、初恋の人の名前、今好意を持っている人の名前なども堂々と大きな声で口にすることができますから。これは冗談です。
 「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」というゲームをしましょうか。
 ご存じの方いらっしゃいますか。したことありますか。
「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」とみんなで歌って当てられた人が自分が思い浮かぶ野菜の名前を一つあげるのです。そして、みんなでその野菜の名前を復唱して、「あーあ」と言うのです。これを繰り返します。2番目の人は、1番に言った人の野菜名を言って、自分が思い浮かべる野菜名を挙げます。みんなは、それぞれを復唱します。
 1番の人が「きゅーり」と言ったら、みんなで「きゅーり」と言います。2番目の人は「きゅーり」と言い、自分が思い浮かべる野菜例えば「とまと」と言います。それをまたみんなで「とまと」と言うのです。分かりましたか?知っている人もいらっしゃるようですね。
 ではみんなで遊びたいと思いますので、まず、歌を覚えましょう。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪(2〜3回練習)
 ではやってみましょうか。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
 「りんご」あーあ
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
 「りんご」「りんご」、「トマト」「トマト」あーあ
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
 「りんご」「りんご」、「トマト」「トマト」、「みかん」「みかん」あーあ
 良くできました。もっと続けたいのですが時間がありませんのでここらで終わりにします。家族みんなでやってみてください。楽しいですよ。
 私が小さい頃、私の家の暖房具は火鉢でした。こんな大きなものです。家族みんなが火鉢の周りに集まって手をかざして暖をとりました。そんなとき、祖母が、「いっぷくてんぷくばしようか」と言って、童歌を歌うのです。
 ちょっと、手を貸してください。指を丸めて穴をつくってください。そうです。
 私は祖母の歌声にあわせて、一人ひとりの指の輪の中に順番に人差し指を入れていきます。
 ♪♪「いっぷく てんぷく てんだいもんの おとひめが ゆうれにもまれて なくこえは ピヨピヨ モンガラ モンガラ オヒャリコヒャーリ ヒャイ」♪♪
 歌い終わったとき、私の指が入っている手を火鉢から引くのです。それを繰り返して、誰の手が最後まで残るかを楽しんだものでした。冬の夜長を祖母や母が歌う童歌で、家族みんなが童心になりました。火鉢に手をかざして暖くなりましたが、家族の温もりを感じたものでした。
 歌は、いっぷくてんぷくでなくても良いのです。どんぐりころころでも良いのです。家族みんなで遊んでみてください。きっと家族のぬくもりを感じますよ。この家族のぬくもりが、子どもに大きな影響を与えるはずです。
 子どもは、中学生か高校生の頃、少し道を外れそうになります。私もそうでした。私の息子2人もそうでした。そんなとき、「ほら、あんたが小さい頃みんなで遊んだね。あの頃のことを思い出してごらん」と言ってください。この一言でもとの道にかえるはずです。
 また、お子さんの名前に込めた親や家族の思いを語ってください。
 私は、「有紀」と書いて「ありとし」と言います。私が牛深小学校に赴任したときのことです。時の校長先生は私の顔をジーっと見つめながら、「うわぁー、あたは、本当に中川先生な。私は名前を見て『今度来る先生は美人の先生ばい。』と職員には紹介しとった。あたが男の先生とは思わんだった。ほんなこてあたは中川先生な」と本当に困ったという顔でおっしゃいました。校長先生は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのだろうと思います。このように、よく女性の名前と間違われるのですが、私は父がつけてくれたこの名前に誇りを持っています。父を尊敬しています。「紀」は「年」を意味します。「有」は「保有する」の意味です。「年を重ねて、年相応の成長を」という願いを込めて名前を付けたと父から聞きました。
 今、私は66歳です。自分なりに年相応の人になるよういろいろと努力はしているつもりですが今は亡き父の願になかなか届きません。生涯努力し続けるつもりです。
 皆さん方も、子どもさんやお孫さんが生まれたとき、家族全員で喜び合って、いろんな思いをこめて名前を付けられたことと思います。その名前に託した親や家族の思いを是非子どもさんに語ってください。
 そのときは、手を取り目を見つめ、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら語ってください。きっと、子どもさんは自分に対する家族の思いを知って更に自分の名前を誇らしく思うと思いますよ。
 子どもの生活リズムを確立させましょう。
 「早寝・早起き・朝ご飯」は担任の先生方から耳にたこができるように聞いておられるでしょう。
 なぜ、「早寝・早起き・朝ご飯」かを少し考えてみたいと思います。
「寝る子は育つ」と言われるように、子どもたちは夜寝ているときに成長ホルモンが出るのです。それも、夜の12時から2時頃がピークだそうです。この時間帯には熟睡していることです。と言うことは、10時頃までには眠りについておくことですよね。睡眠時間を8時間とっても、遅く寝ての8時間では子どもには良くないのです。
 私たち人間は昼行性の動物で、体内時計は25時制だそうです。自然は24時制です。この1時間のずれをうまく調整しなければ、常に頭がぼーっとした状態です。体を24時制に合わせるのが朝の太陽の光です。ですから、朝は少なくとも7時までには起きて朝陽を室内に入れることです。朝起きたら、カーテンを開けるでしょう。これは、体をリセットしていることなのです。
 人の体温は、朝方が一番低いそうです。体温が低い状態では、体も脳も活発に働きません。だから、朝ご飯を食べてエネルギーを吸収して体温を高めるのです。ですから、少なくとも始業時刻の2時間前には起き、朝食を食べて登校することが必要になってくるのです。
 強い心を育てることは、資料を後でお読みください。子どもには、優しさと厳しさを身につけさせて欲しいと思います。
 私は現在、放課後子ども教室で子どもたちにそろばんを教えています。子どもたちの中には、「できるようになりたい」と泣きながら、何度も何度も聞きに来る子がいます。2〜3日練習して、「自分にはできない。分からない」とやめてしまう子がいます。周りの雑音も気にせず、そろばん学習に集中する子がいます。周りの子がおしゃべりを始めるとすぐにそちらに流されてしまう子がいます。私はこれら子どもの違いは、能力差ではないと思います。先ほどから話しています「自尊感情」の差だと思います。子どもたちに自尊感情を育ててください。
 学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」視点から子どもたちを指導しておられます。この認め、褒め、励まし、伸ばすは、学校の専売特許ではありません。家庭でも、大いに認め、褒め、励ましてください。子どもたちは、単に褒められてもうれしがりません。子どもをしっかり見つめ、昨日まで出来なかったことが出来るようになったことや、分からなかったことが分かるようになったことなど、その伸びを見つけ、認め、褒めてください。それが自尊感情の醸成につながります。
 プロ野球楽天監督、野村克也さんは、「財を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのは上」と言っています。インターネットを見ていましたら「西野塾」を主催している西野博道さんは、「財を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのは上、感動を残すのは最上」と言っています。子どもたちに、多くの感動を味わわせたいものです。感動の中でも、心を揺り動かす感動、私はこのことを情動体験と言っています。これを味わわせて欲しいと思います。
 私の父は、16年前になくなりました。父は生前、「我が家で死を迎えたい」と言っていました。死を間近にした時、病院の先生から「入院すればもっと生きられる」と言われましたが、母や弟たちと相談して、自宅で死を迎えさせようと入院は断りました。父は家族や親族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、母は、両手で父の手をしっかりと握りしめ、無言で父を見つめていました。父の弟妹は名前を呼び続け、私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と、孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。私は、「父ちゃん、これまでありがとう。これからも俺たちを見守っていてはいよ」とこみ上げる悲しみを必死でこらえながら父に語りかけました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。
 人の誕生や死に立ち会わせながら心を揺り動かす体験を数多くさせたいものです。これが子どもたちのを心を豊かにさせると信じています。
 今日は、私が一方的に話をしましたが、登立小学校の子どもたちがますます心豊かに育ちますことを祈念致しまして話を終わります。
 長時間のご静聴ありがとうございました。