人権文化のまちづくり

平成23年3月22日
南関町役場

          
 みなさん今日は。中川でございます。よろしくお願いします。
 3月11日に発生しました東日本大震災では、東北・関東地方の人たちは未曾有の被害に見舞われています。マグニチュード9.0という巨大地震、15mとも20mともいわれる高さの巨大津波、そして原子力発電所の損壊による放射能汚染による避難。今朝(22日)の新聞報道に寄りますと、亡くなられた方が8649人、行方不明の方が18399人、非難されている方が324977人ということです。津波の報道を見るたびに胸がつぶれる思いです。みなさんもいろんな思いでこの震災を受け止めていらっしゃることと思います。
 朝日新聞3月16日付け「ザ・コラム」に海外メディアがとらえた震災に対する日本観が掲載されていました。各国の取材陣が驚きの視線で報じていたのが、甚大な被害を受けながらも日本の人々が節度を失わないことでした。多くの国では、天災の直後には略奪や強奪が起きているのに日本ではこういう事が起きない、海外の感覚からすると、暴徒を見ない日本の被災地の静粛さは賞賛に値すると報じていました。日本の市民社会のすばらしさを感じました。助け合い、励まし合う日本文化が脈々と受け継がれている証だと思います。
 連日震災報道があっていますが、苦しみを乗り越えて復興へ向けての取り組みが一歩一歩進められています。
 昨日のニュース番組を見ていますと、肉親を亡くされた方がこの悲しみを乗り越えて、「必ず町を復興させます」と言っておられました。新聞紙上でも投書や提言がなされています。人権の視点からも数多くの投書や提言があります。
 昨日、21日の熊日新聞では、「東日本大震災 今、私たちにできること」と題して関西学院大学の山中茂樹先生は、誰かが見守ってくれている、寄り添ってくれている、私たちのことを発信してくれているという「つながり感」が心のケアになると力説する同僚の言葉を紹介しています。この「つながり感」を大切にしていきたいという言葉が、ここ南関町の解放子ども会の閉級式でも出たと教育長がおっしゃいました。このつながり感こそが、助け合い・励まし合いの心ではないでしょうか。さらに、山中先生は、神戸市の東遊園地にある阪神・淡路大震災の祈念碑「希望の灯り」に「震災が奪ったもの 命 仕事 団らん 街並み 思い出」「震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間」が記されている。今私たちに何が出来るのか、このことを一生懸命考えようと訴えています。
 今朝、22日の朝日新聞の声には「思いやり忘れなかった人々」と題して水戸市の高校生が次のように投稿しています。


 東日本大震災で震度6強を観測した茨城県。私が住む町から電気が消えました。あの日泊まった学校の真っ暗な教室の窓から見たオリオン座はすごくきれいでした。
 いつもなら教室にいることが許されない夜に、同級生6人で膝掛けを分け合い、肩を寄せ合って暖を取りました。遠方で帰れない友人に寄り添いたくて、親には迎えに来ないでと電話しました。早く帰宅したいであろう先生方は文句も言わず、ランタン片手に私たちに付き添って下さいました。夜が明けて町へ出ると、給水所に携帯で娘の死を知らされ泣いている女性がいました。どこの店にも大行列。物は不足し、電気もお水もない状況でしたがふしぎに思いやりは溢れていました。お互いが気遣い食料を買うときには後に並んでいる人数を確認して商品をかごに入れました。いつもなら梅が香る通学路にも亀裂が入り、通行止めになりました。しかし、このような大災害の中でも我欲を捨て、思いやりを忘れず、懸命に生きる人々の姿がありました。

 震災のニュースを見て、一つのコマーシャルが心に残っています。「心は見えないが心遣いは誰にも見える。思いは見えないが思いやりは見える」これは互いの人権を尊重する心につながります。人権尊重の眼差しで震災復興の取り組みがなされています。1日も早い復興を願います。
 少し自己紹介をします。私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は女性の先生が来ると職員に紹介していたのに。男の先生な。ほんなこてあたは中川先生な」と私に念を押されました。校長先生は、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
 私は、「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。67歳の今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。父は「有」で「たもつ」でした。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。父の願いに沿うようにと努力はしていますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯勉強だと思っています。今はこの世にいませんが、こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を尊敬し、敬愛しています。
 その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 私が結婚を意識し始めた頃のことです。私が結婚しようと思っていた女性、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。連れ合いの身元調査をしていたのです。
 「生涯共に暮らす女性」と私が決めた彼女と私の人権を侵された思いで、「俺はこの女性と結婚すると決めた。俺ば信用できんとな」と強く抗議しました。父は何も言いませんでした。下を向いたままでした。しかし、その姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 また、上級生や中学生から「ありとし」の「あり」をとって「あっ、蟻の来よる。蟻ば踏みつぶそう」と言って踏みつぶす真似をしてからかわれたり、意地悪されたことがありました。その度に、「俺は、蟻じゃなか。ありとし」と言って上級生にくってかかっていました。
 本日は、保育園の先生もおいでと聞いています。名前のことでいじめられたりからかわれたりしている子がいるかもしれません。名前に込めた親さんの思いを子どもたちに語って下さい。親の愛、家族の愛を感じることと思います。それが自分の名前を好きになり、他を思う心、思い合う心につながります。
 本日は行政職員研修ですから、いくつか資料を準備しました。既に何度も目を通していらっしゃる物ばかりですがもう一度あたため直していただくことと行政施策推進で人権尊重の眼差しから見直そうかと思われるときの指針にされたらと思い準備しました。世界人権宣言、同和対策審議会答申、地域改善対策協議会意見具申、人権擁護推進審議会答申、そして人権啓発推進法です。
 まず世界人権宣言を見て下さい。ここに宣言されていますことは、日本国憲法第3章国民の権利と義務にも記されています。基本的人権、法の下の平等、集会結社・表現の自由、婚姻の自由、勤労者の権利、教育を受ける権利等、人権についての基本的事項が述べられています。
 同和対策審議会答申は、昭和40年、時の佐藤栄作内閣総理大臣に答申されたもので半世紀も前の答申ですが今でもこの精神が人権・同和教育の推進の根底に座っています。
 前文に、「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務である」と述べています。同和問題の本質について、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である」と述べています。さらに、「同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。また、寝た子をおこすな式の考えで、同和問題はこのまま放置しておけば社会進化にともないいつとはなく解消すると主張することにも同意できない」と述べています。そして同和問題の解決に向けて国の施策の必要性を提言しています。この提言を受けて、同和対策事業が推し進められたことは皆さんご存じの通りです。
 地対協意見具申では、「人類は、平和のないところに人権は存在し得ない、人権のないところに平和は存在し得ないという大きな教訓を得た。今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。このような意味において、21世紀は人権の世紀と呼ぶことがで
きよう」と述べています。「21世紀は人権の世紀」に関して福岡県嘉穂町のある議員さんは、平成10年の上益城郡社会同和教育研究集会の講演で「21世紀は人権の世紀とも、環境の世紀とも、福祉の世紀ともいわれているが、ただ座して待つだけでは人権の世紀とはならない。一人ひとりが差別をなくしていく努力をしないことにはそういう時代はやってこない」と強く訴えられました。どこの自治体でも人権施策を推進して人権の世紀に相応しい世の中にする努力が行われています。同和問題解決への取り組みの経緯と現状について国が推進した施策が述べられています。目を通して下さい。さらに、同和問題についての自由な意見交換ができる環境づくりが提言されています。かって「たてじわ、たてまえ、他人ごと」で同和教育が語られていた時代がありました。これでは住民の理解を得る同和教育の推進はできないと、自由な意見交換ができる環境づくりがなされました。
 人権擁護推進審議会答申では、今日の人権課題を述べ、人権課題解決のために教育・啓発のあり方が提言されています。これを受けて、人権教育・啓発推進法が制定され、国では平成14年に人権啓発に関する基本計画が策定され、熊本県では平成16年3月に「熊本県人権教育・啓発基本計画」が策定されました。本町では行動計画を各課の人権施策を見直し、縦割り行政から人権尊重の視点からの人権施策として行動計画をまとめられたと教育長からお聞きしました。
 これまで、人権教育・啓発が推進されてきましたが今もなお、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在しています。これらの課題解決は、行政の責務であると同時に国民の課題です。
 第30回全国中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞を受賞した、佐賀市立東与賀中学校 3年江川麻理香さんの「身近で無意識な人権侵害」と読んでみます。


  第30回全国中学生人権作文コンテスト内閣総理大臣賞
                          「身近で無意識な人権侵害」
                                               佐賀市立東与賀中学校 3年江川麻理香

 私が入院した時、眼科や外科、内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった。仕事で足を骨折した人、胃を悪くして入院した人、目の手術を受けた人など、年齢や性別、職業も様々で、ふだんあまり接することのない人と話す機会に恵まれた。病気やケガの苦労話はもちろんのこと、世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった。「人権」について考える時、その中の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ。
 人権侵害とは、障害者やお年寄りなど、立場の弱い人たちに対する差別や、悪意のある偏見からくるものだとばかり思っていた。ところが、たとえ善意であっても思わぬところから人権の侵害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった。
 目の手術を受けたその人は、母と同年代ぐらいの女の人だった。目が不自由なことで、周りの人たちがとてもよくしてくれるのはいいが、そのために困ったり悲しい思いをすることもあるというのだった。私はこれまで、人に優しく親切にすることは、いわば常識であり、当然のことだと思っていただけに大きなショックを受けた。困った時に手を貸してくれるというのに、悲しい思いをするとはどういうことなのだろう。私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっているというのだろうか。お年寄りや障害者をいたわるのは当たり前であり、それは感謝されることはあっても、迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうか。ところが、その人の立場から見れば、好意のつもりでも、まるで小さな子どものように扱われたり、これは危険だからと勝手に予測されて遠ざけられてしまったりと、自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが悲しいのだそうだ。目は悪くとも、自分は子どもではないし、できなくはないことにまで、行き過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだという。また、相手がよかれと思ってくれていることだけに、それを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり、急に態度を変えられることもあったりで、かえって気を遣うのだそうだ。
 私ははっとした。今まで手を貸す側から見ることはあっても、逆の立場から考えたことはなかったので大きな衝撃を受けた。いつの間にか、相手より自分を少し高い所に置いて見ていないだろうか。無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろうか。私は今、中学生だがそれ以下の子ども扱いをされると腹が立つ。いちいち細かいことまで制限されたり禁止されたりすれば、確かにいい気持ちはしない。同じように、障害者や老人に対して、危険だ何だのと、その人ができることまでも禁止し、まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか。
 確かに、弱者をいたわり、手助けすることは、人として当然であり必要なことである。しかし、相手の気持ちや状況を考えず、ただ一方的に押しつけるだけの親切はただの自己満足でしかない。見えない人には見えない人なりのやり方や考え方があるのに、そこに寄り添うための理解がないとしたら、それは人権を侵害しているとはいえないだろうか。
 人は皆、平等である。けれど環境や年齢、身体能力などは同じではない。だからこそ、人としての尊敬の念や思いやり、いたわりの心を持って接することが大切なのだと思う。しばらく前の人権侵害とは、人を自分より見下したり、おとしめることで優越感を持つためのものだったように思う。そして今、生活や文化が豊かになった現代では、行き過ぎた親切やいたわりが人の心を傷つけ、それが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ。「善意、イコール、感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らない。また、当てはめようとしてはならない。その人にとっての「いちばん」は何か。ひとりひとりを尊重するためには、本当に助けが必要かどうか、出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと思う。
 「人権」について考えること。それはとても難しいことのように思えるが、意外と簡単なことではないだろうか。同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利。私たちが無意識のうちに作り出している優劣の壁を取り払うこと。自分の価値観を人に押しつけないこと。自分も相手も同じひとりの人間なのだと、その人の心に寄り添い、理解し合う努力こそ、人権を守る大きな力になると思う。

 江川さんは人権について「同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利。私たちが無意識のうちに作り出している優劣の壁を取り払うこと。自分の価値観を人に押しつけないこと。自分も相手も同じひとりの人間なのだと、その人の心に寄り添い、理解し合う努力こそ、人権を守る大きな力になる」と述べています。
 人権について正しく学び、正しく理解し、正しく判断・行動するために、ワークシートを使って自分自身の人権感覚を見直しあたため直したいと思います。
 まず、コップの絵を描いてみましょう。
 (3人にコップの絵を描いてもらう)

Aさん Bさん Cさん

 お尋ねします。Aさんに似たコップを描いた方?(約7割)
 Bさんに似ている方?(約2割)
 Cさんに似ている方?(1人)
 皆さん、私は「コップの絵を描いてみましょう」と言いました。ですが、大きく分けて3種類のコップが描かれています。「コップの絵」の受け止め方が違っているのです。窓口業務で住民の方との行き違いなどありませんでしたか?自分は水飲み用コップの話をしているのに相手はコーヒーカップの事を考えて聞いているなら話がかみ合わないはずです。自分が話していることをきちんと受け止めてもらっているかを確かめながら、丁寧に受け答えすることが大切です。人権啓発も同じです。ですから啓発はこれだけやったからもうよいと言うことはないのです。
 ここに違う形のコップが3つ描いてありますが共通することがあります。それは3つのコップが全て上向きであることです。心のコップもいつも上向きでありたいと思います。
 次は、女性の絵を見て下さい。

 女性はいくつくらいでしょう。

 若い女性に見える人?(数名挙手)

 (なに、「若い女性に見える?」の声が聞こえる。)

 お年寄りの女性に見える人?(数名挙手)

 両方見える人?(数名挙手)


実は、両方見えるのです。よく見て下さい。見えない方は隣同士で話 し合って下さい。(「あー、なるほど」などの声が聞こえる。)
 どうしても一人しか見えないという人、いらっしゃいますか?
 皆さん両方見えましたね。実は、この絵は「だまし絵」と言って錯覚を起こさせる絵です。
 絵を見てすぐに若い女性に見えた方は、お年寄りの女性にはすぐには見えなかったでしょう。お年寄りの女性と見るには労力が要ります。その逆もあります。ですから出逢いを大切にして欲しいということです。良い出逢いをした人と互いに理解し合うことは容易ですが、そうでない出逢いをした人を理解するにはかなりの労力を必要とします。特に窓口業務で住民の方と直接接していらっしゃる方は出会いを大切にして下さい。
 次の直線はどちらが長いでしょうか? 同じ長さでしょうか?

下の方が長く見える人?(大多数挙手)
上が長く見える人?(なし)
同じ長さに見える人(数名挙手)
実は、同じ長さです。  
なかなか同じ長さには見えないでしょう?
 下の方が長く見えます。矢印の向きが、内向きと外向きとで長さが違うように見えます。

上の方が長く見える人?(大多数挙手)
下が長く見える人?(なし)
同じ長さに見える人?(数名挙手)
これも同じ長さです。
 斜線がかぶっているだけで、長さが違って見えます。
 物事を考えるとき、こんな事はないでしょうか。矢印や斜線が長さを見誤るように先入観や偏見で物事を見ると、判断を誤ることがあります。予断と偏見の怖さはここにあると思います。
 今度は、じゃんけんゲームをしましょう。
 隣同士で、どちらが早く2勝するかやってみましょう。どうぞ。
 今度は、どちらが早く2敗するかやってみましょう。どうぞ。
 どちらが早く2勝するか、どちらが早く2敗するかを競うじゃんけんではどちらが気合いが入りますか?
 2勝するためのじゃんけんの方が気合いが入りませんか?
 私たちは、物心がついた頃からじゃんけんは勝ちを良しとしています。「じゃんけん=勝つ」、この気持ちが自然と身についているのです。
 次に魚の絵を描いてみましょう。
 一人に描いてもらう。(左を向いている魚を描く)

Dさん

 Dさんと同じように左向きの魚の絵を描いた方手を挙げてみてください。(全員挙手)
 全員の方が左向きの魚を描いていらっしゃいます。教育長が左向き、右向きの絵を描いていらっしゃいました。
 「魚の画を描いてみましょう」としか書いていません。「左向きの魚の絵を描きましょう」など書いていません。にもかかわらず全員の方が左向きの魚の絵を描きました。
 どういう事でしょうか?
 私たちの周りにある魚の絵、写真、そして料理に出る魚はそのほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見てください。9割近くは左向きの魚です。それを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 もう一つお尋ねします。牛の色をイメージして下さい。
 あか牛をイメージする方?(約4割)
 くろ牛?(数人)
 白黒のホルスタイン?(約半数)
 阿蘇地方で牛の色を尋ねると、ほぼ全員があか牛です。天草地方では、以前は農耕用にくろ牛を飼っていましたのでくろ牛が多いです。熊本市近郊ではほぼ3分の1ずつです。牛の色は、自分の周りにいる牛、小さい頃からよく見ていた牛の色をイメージします。
 このように無意識のうちに「○○は○○だ」と思ってしまうことを「刷り込み」と言います。この刷り込みが、「思いこみ」「決め込み」となり、決め込みにマイナスイメージが重なると偏見となります。その偏見が時として差別につながります。
 「魚の絵は左向き」や「牛の色はあか」などは差別につながりませんが、同和地区の人は怖いと聞くことがあります。「同和地区の人は怖い」は差別そのものです。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と言います。「私が知っている同和地区の方は心優しい人ばかりですよ」返します。自分で真実を確かめないで周りが言うからそうだと思い込んでしまう、これは社会が作り出した偏見であり、それにもとづく差別です。
 それによって、苦しみ、悲しみ、憤り、心を痛めている人がいることを忘れてはなりません。 
 次に、あなたが自分の長所と思うところを3点、短所だと思うところを3点書き出してみましょう。
 発表は求めませんのでご自由にお書き下さい。(3分程度)
 長所と短所、どちらがすぐに思い浮かびますか?短所の方が思い浮かぶでしょう。
 今書かれたご自分の長所と短所、ありのままの自分をそのまま受け容れ自分が好きだ、この自分を価値ある人間だと思う、この自分を光り輝かせようと思う感情を自尊感情と言います。私は人権感覚の根底にあるのがこの自尊感情だと思っています。自分を大切にすること、自分の人権を大切にすることはとりもなおさず、他の人権も大切にします。この自尊感情が向上心やチャレンジ精神の源でもあります。
 自分の責任でもない事柄で人から冷たい目で見られたり、排除されたりする、それが差別です。例えば部落の人々はそういうことを経験してきました。障がいを持つ人も同じような経験をしてきました。自ら選んで、自らの責任でそうなったわけでもないことがらを理由にして、社会が自分という存在を否定的に見る。そんな扱いを受けると、ありのままの自分をうけいれがたくなることがあるのではないでしょうか。一人の人間としての自尊感情、社会としての自尊感情がとても大切だと思います。
 次の会話は何か変だと思いませんか。
 「ねぇ、聴いた? Aさんは、大学卒業して5年目で司法試験に合格したそうよ。」
 「へ−っ。あの難関の。すごいわねー。」
 「Aさんのお母さん、とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって。」(えっ! 気づいていますか?人の心・・・ 熊本県)
 この文章の中の「人のやりたがらない仕事」の文言は、もとは「ビルの清掃作業」でした。そして、この話は美談として語られたのです。「とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって」を、「人のやりたがらない仕事って、なに? 私は自分の仕事に誇りを持っている」との同じような仕事をしている人の指摘で、「これは、おかしいんじゃない?」ということに気づいたのです。
 「人のやりたがらない仕事」の言葉には、この仕事を蔑視している心があります。どんな仕事にも不要なものはありません。職業に貴賎はありません。そんな事はわかっていると思いながらも「人のやりたがらない仕事」という言葉が出たのかもしれません。私たちは自分の心の中の差別心に気づかずに差別していることがあります。差別は見ようとしなければ見えません。自分自身の人権感覚を常に問い直すことが大切だと思います。
 女性問題、障がい者問題については時間の都合で割愛します。後で是非目を通して下さい。
 「マークの引っ越し」は外国人差別の問題です。教育長のお話によると、本町では中国人農業研修生をはじめ60名近くの外国人が住んでいるそうですね。夏祭りの盆踊りは国際交流の一つとして行われているとか。外国人との共生は、国際化時代みんなが考えねばならないことです。
 同和問題については、熊本県が平成16年に実施した県民意識調査のデータをもとに考えてみたいと思います。
 同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
  @結婚問題で周囲が反対すること                   54.4%
  A身元調査をすること                           41.8%
  B就職・職場で不利な扱いをすること                 29.8%
 と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
 結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
  @子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない    62.5%
  A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない  30.0%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない            4.1%
  C絶対に結婚を認めない                          3.4%
 6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これは、これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、親として反対するが子どもの意志が強ければしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、家族や親戚の反対があれば結婚を認めないが4、1%、絶対に認めないが3、4%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
 同和地区の人と結婚しようとするとき、何故周りは反対するのでしょうか?
 「同和地区出身者と結婚したら自分たちも地区出身者と見なされ、差別を受ける不幸に見舞われる。そうはさせたくない」という我が子への親の愛情が結婚差別となって表現されるのです。おそらく私の父もこの考えから連れ合いのことを調べたのだろうと思います。
 さらに、「同和地区の人と親戚になると、自分たちまで地区出身者と見なされる。結婚する当事者はそれでよいかもしれないが、私たちの子どもへの影響も考えてもらいたい」という親戚の思いとなるのです。これまでの結婚差別事件で、「相手を差別するつもりなど全くなかった」からも分かるように、いわゆる同和地区出身者を積極的に差別する意図がないなかで深刻な結婚差別の現実がつくりだされているのです。
 「相手を差別するつもりなど全くない。でも同和地区出身者との結婚は反対」というこの思いはどこから来るのでしょうか?
 それは、いわゆる同和地区や出身者に対するネガティブなイメージが私たちの心の中に刷り込まれているからです。
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識を聞き、それがネガティブなイメージとして刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、いわゆる同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むネガティブなイメージを払拭することが求められているのです。
 私は昨年6月、ウズベキスタンを旅行しました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。ところがこの旅行に参加する前にいろいろありました。
 旅行最後の日、マリカさんという日本語ガイドさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」 私は知人から「危ない国には行かない方がよかバイ」と言われたのです。知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」と言う連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。「問題ありません」という返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、「個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょう」とのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドは穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を鵜呑みにして「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行も楽しんだということでした。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。このようなことにもっと触れながら被差別部落に対するマイナスイメージを払拭していきたいと思います。
 結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
  @親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する  54.5%
  A自分の意志を貫いて結婚する                      26.7%
  B家族や親戚の反対があれば、結婚しない               15.2%
  C絶対に結婚しない                              3.6%
 5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
 学校で同和教育が始まって、40年以上も経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育、啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 六曜については、お一人お一人考えて下さい。
 先ほどから、人権の根底には自尊感情が座っていなければならないと言ってきました。人権文化の花咲くまつづくりには違いを認め、共存する心も大切だと思います。
 皆さんは、さまざまな人といい出会いを重ねてきましたか。
 例えば、皆さんが健常者であるとすると、障がいを持って生きている人たちとかかわっていますか。部落出身でないとしたら、部落出身の人たちと交わりがありますか。自営業の人、企業の人、専門職の人、そんな人たちとのかかわりを持っていますか。
 世の中には、自分とは質の異なる文化や価値観を持った人々がたくさんいます。年齢が違ったり、出身地が違ったり、健常者、障がい者、男性、女性、子ども、高齢者など多様な人がいます。そんな人たちと、いい形で出会えたり、いい関係を育むことができたりする社会ほど人権文化は豊かだと思います。
 また、「あなたがいてくれたおかげで、私も生きる勇気を持つことができた」など、皆さんは自分の存在が誰かにとって意味を持つ、誰からか感謝されるなどの経験をお持ちだと思います。
 今の子どもたちに不足している体験として、自然体験、勤労体験、社会体験などが挙げられています。私はこれに、感謝される体験、頼りにされる体験、つまり自分の存在を実感する体験を付け加えたいと思います。
 人は、自分が存在していることを誰かがきちんと認めてくれている、自分なりに努力してやったことが世の中の役に立っている、誰かに感謝されるようなことにつながっていると思えれば思えるほど、力を発揮するものです。
 このような意味から、本町で6年生が公民館で寝食を共にし、学校へ通う通学合宿を催されていることは、子どもたちが自己の存在を意味あるものと実感できる機会づくりでありとても素晴らしいことだと思います。
 人権が尊重されることが大事なのは、人権が尊重されることによって、誰もが、「この世に生きる値打ちを持っているんだ」と思えることが大事だからです。人は仕事や地域活動、ボランティア活動を通して自分がこの社会とつながっている、私がやっているこの仕事や取り組みが社会にプラスになっている、私が今一生懸命頑張っていることが次の時代に生きてはたらくと思いながら生きていると思うからです。
 南関町がますます「人権文化の花咲くまち」となりますよう縦割り行政ではなく、すべての課が人権尊重の視点から行政施策を進められることを願っています。
 おわりに、桑原律さんの「人権文化の華を」を皆さんで声に出して読みたいと思います。
 一緒にどうぞ。 


    人権文化の華を      桑原 律

  心ある人の言葉は
  他者を尊び 励まし
  人と人とを結んでくれる
  心ない人の言葉は
  他者をさげすみ 傷つけ
  人と人とを隔ててしまう

  人を尊ぶ文化は
  一人ひとりの心に光をあて
  個性の花を咲かせてくれる
  人をさげすむ文化は
  しきたりとしがらみに縛りつけ
  人間の尊厳をつぶしてしまう

  たがいの心と心を隔て
  上下をつくりだす文化でなく
  たがいの心と心を結びあい
  うちとけあいをもたらす文化を
  今 わたしたちは求める
  人権の時代を拓いていくために

  差別の文化でなく
  人権を尊ぶ文化を
  一人ひとりの心を押しつぶすのではなく
  一人ひとりの心を輝かせる文化を
  今 わたしたちは求める
  人権文化の華を咲かせるために

   (ヒューマンシンフォニー「光は風の中に」)

 ご静聴ありがとうございました。

                            ワークシート
1 コップの絵を描いてみましょう。


2 女性はいくつくらいでしょう。

3 どちらが長いでしょう。

4 じゃんけんゲームをしましょう。


5 魚の画を描いてみましょう。


6 自分の長所と思うところを3点、短所・嫌いだと思うところを3点書き出してみましょう。
                                         (自分らしく生きるために 人権研修テキストW 熊本県)


7 次の会話、何か変だと思いませんか。
 「ねぇ、聴いた? Aさんは、大学卒業して5年目で司法試験に合格したそうよ。」
 「へ−っ。あの難関の。すごいわねー。」
 「Aさんのお母さん、とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって。」
                                         (えっ! 気づいていますか?人の心・・・ 熊本県)


8 女性問題
 あの人は女性だから
 「課長、先日の書類が仕上がりました。」と吉田係長が私に数枚の書類を差し出した。先週頼んでいた書類がきちんと整理されていた。「よくできているね。」と声をかけると、「ありがとうございました。」と明るい返事が返ってきて、良い職場だなといつも思う。
 5時30分、帰り支度を始めたとき、緊急放送が入った。「重要な会議を行いますので、各課係長以上は会議室にお集まりください。」
 吉田係長が会議用の書類を揃え始めたので、「吉田係長、君はいいよ。帰っても。家が困るだろう。会議内容は明日話すから。」と私が言うと、彼女は少し迷って、「ありがとうございます。それでは失礼します。」と言って帰っていった。
 田中課長補佐が近づいてきて「吉田係長はいなくていいのですか?」と言ったので、「あの人は女性だから。」と言うと、「さすが課長、これが配慮なのですね。」と答えた。
 部下に配慮できる課だと評判はいいし、私自身もそう自負している。
                                        (自分のこととして考えよう 人権研修テキストV 熊本県)
○課長の行為は適切だったと思いますか。
                                   

9 障がい者問題
スーパーの駐車場で
 車イスを使うまちこさんは、自動車の運転免許を持っているおでかけ好きのお姉さんです。今日は手づくり料理をふるまってくれるというので、私も買い物を手伝うことにした。行き先は、私もよく行くスーパーマーケット。2台分ある障がい者用駐車場に止めようとすると、なんと両方とも駐車中!
 しばらく待っていると、一人の男性が走ってきた。「ごめん、ごめん。ちょっと急いでたもんで。」
 「よくあることなのよ。でも、これで駐車できるね。」とまちこさん。
                                        (自分のこととして考えよう 人権研修テキストV 熊本県)
○障がいの有無にかかわらず、みんなが住みやすい社会にするために、私たちはどんなことがでいるでしょう。


10 外国人差別
 マークの引っ越し
 私が友だちと買い物に出かけていると、ため息をついている、近所に住む外国人留学生のマークに会った。「はぁ・・・。引越ししたいんだけど、引っ越し先が見つからないんだよ。」「家賃が高いの?」とたずねると、「違うんだ。『外国の方は、大勢で騒ぐでしょ?』とか『ゴミの出し方が悪いから・・・』とか、よく分からない理由で断られてばっかり。これで4軒目・・・。ボクが外国人だからなんだ。」
 思わず友だちは声を荒げた。「マークは今でも、私たち周りの住人とうまくやってるじゃない。日本人だって、うちの上の階の人は、夜中まで大勢で騒いでいるわよ!」
 「そうよ。外国人というだけでうるさいなんて、決めつけられるのはおかしい。私も応援するから、一緒に探しましょ。」と私。マークは元気が出たようで、「もう少し自分で探してみる。」と笑っていた。
                                        (自分のこととして考えよう 人権研修テキストV 熊本県)
○日本人も外国人もともに地域で暮らす仲間として、仲良く暮らすにはどうしたらよいでしょう。


11 同和問題
就職活動
 「今年はいよいよ就職活動! お父さん、面接ではどんなことを聞かれるのかな?」子どもの頃からの夢だった報道の仕事をめざしている孝子さんは、落ち着かない様子。
「やりたい気持ちを伝えればいいよ。ところで本籍やお父さんの職業について聞かれても、答える必要がないことは知ってるよね?」「知ってるけど、どうしてだっけ?」「だって、孝子の能力や適性には、何の関係もないだろう? 孝子自身について判断してもらうことが必要なんだよね。」
さらにお父さん「それと会社が、『住んでいる所や家族の状況などについて調査をする』なんていうのはもってのほか! これは部落差別につながることで決して行ってはいけないんだ。」
 孝子さんは、みんなの夢が適性や能力などとは関係なく判断され、閉ざされてしまう差別は許せないと思った。そして、お父さんの話は、とても大切なことだと気づいた。
                                         (「くらしと人権」熊本県人権センター)
○同和問題の解決に向けて私たちが取り組むべき事はなんでしょうか。


12 同和問題の解決のために
 「六曜」って何?
 若いカップルがいよいよゴールイン。2人で式場さがしを始めました。相談に行った式場で「仏滅割引」を知った2人は、迷わずこの日を予約しました。浮いたお金を新婚旅行にあてようと思ったからです。
ところが、2人とも親から
「仏滅に結婚式なんてとんでもない」
「世間の常識を知らない」
「恥ずかしくて親戚に顔向けできない」
と猛反対を受けました。いつ結婚式を挙げようと関係ないと思っていた2人には、なぜ親がそこまで反対するのか納得いきませんでした。
                                            (益城町広報)
○ 結婚式は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、事故を起こすと「仏滅」だったなどと、日取りを決める基準にされることがあります。
  この六曜についてどう思いますか。
○ 六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)はどのようにして決めるかご存じですか。



13 人権文化の花咲くまちづくりのために
 ○あなたは、さまざまな人といい出会いを重ねてきましたか。


 ○あなたの働きや努力が正当に承認された、認められたという経験をどれくらいお持ちですか。