体験が子どもを大きくします
平成20年12月7日
御船町立七滝中央小学校


 皆さん今日は。中川です。よろしくお願いします。
 私は、ここ七滝中央小学校には、はじめて来ました。明るくて、きれいで、すばらしい校舎ですね。こんなすばらしい校舎で学ぶ子どもたちは幸せですね。
 ただ今ご紹介いただきましたように、七滝小学校に2度、3年間お世話になりました。私には、七滝小学校での楽しい思い出がたくさんあります。その中の一つです。
 「もちょっと急がんな」
 「そぎゃんもだえさせなすな」
 「ほら、ぼやーっとしとらんで、覚えんな」
 「そぎゃん『覚えー』、『覚えー』て言いなすな。覚えよるじゃなかな」
 「お母さんはね、私にはまーだ『急げー、急げー』『勉強せー」『勉強せー』て言いよっとよ」
 これは、七滝小学校で親子百人一首大会を前にして練習しているときの母子の会話です。
 お母さんは、「娘から言われて分かりました。自分では気がつかなかったのですが『急げ、急げ』『勉強せ、勉強せ』と言い過ぎていたことが。たまにゃ、子どもの立場に立ってみらにゃんですね」と言われました。
 子どもたちは、百人一首をよく覚えていました。特に、5年生、6年生は作者まで覚えていました。
 天智天皇のうたは?と聞くと、即座に
   秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
 小野小町は?
   花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 
 順徳院は?
   百敷や 古き軒端の しのぶにも 猶あまりある むかしなりけり
 とすぐに出てくるのです。しかもその意味まで分かっていました。
 百人一首をしたことがある人は分かると思いますが、百人一首の6割近くは恋の歌です。
 私は、高校生の頃、国語の学習で覚えました。というより、覚えさせられました。必死で覚えたうたをラブレターに付け加えたことがありました。
 皆さんは、ラブレターは書かれましたか? 電話の時代かな? 今は携帯のメールらしいですね。
私の頃は手紙ですから返事が来るまで2〜3週間はかかっていました。今は、着信と同時に返信しないと仲がおかしくなるらしいですね。
 私が書いたラブレターに「私の気持ちです」と書いて、
   しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛)
 と添えました。
 一度は、「この前のうたはなんですか?」という返事が返ってきました。その人とはそれっきりでした。
 「私の気持ちは、次のうたと同じです」と書いて、次のようなうたが添えられた返事をもらったことがありました。
   逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり(権中納言敦忠)
この時のうれしさは今も忘れません。
 こんな話は面白いのですが、今日はこんな話をする場ではありませんね。
 このような話は、PTAの文化部の活動などで「百人一首を読む会」などを企画されたらいかがでしょう?面白いですよ。
 ところで、子どもたちが百人一首をよく覚えていたのは、カルタとりという体験をしたからです。体験は、子どもたちを大きくします。   
 豊かな体験が生きる力を育てます。独り立ちできる力が育ちます。知的好奇心が育ちます。心が育ちます。情緒が育ちます。コミュニケーション力が育ちます。生きる力が育ちます。
 ここに、「ちょんかけごま」を持ってきました。
 ちょんかけをしたことがある人いらっしゃいますか?
 回せる人いませんか?
 回してみますね。(ちょんかけごまを回すと、「うわー」という声があがる)
 私は子どもの頃は遊びの名人でした。冬はこま回しで遊びました。こまの撃ち合いやちょんかけごまです。上級生や友達は上手にちょんかけごまを回すことができるのに、私はなかなか回せません。私が回すと、このようにすぐにすとんと落ちるのです。何度しても落ちます。上手な人の回し方を見ては、練習しました。こまの向きやひもの張り具合などを観察して練習しました。私は、コマの面を下向きにして回そうとしていたのです。だからすぐに落ちます。上手な人はコマの面を自分のお腹に向けていました。
 また、私はひもを強く張っていました。だから落ちないときは、宙ぶらりんになっていたのです。上手な人はひもを軽く持っています。何度も何度も練習し、上手な人から教えてもらい何日も何日も練習しました。だから回ったときの喜びは忘れられません。「コマが回せるようになりたい」の一心から何度も何度も練習しました。この「できるようになりたい」「もっと上手になりたい」という気持ちが、向上心、チャレンジ精神などにつながります。
 このような遊びは直接体験です。私たちが毎日の生活の中で体験するのは、直接体験ばかりではありません。間接体験もあります。例えば、学習だとか、読書だとか、テレビ視聴などですね。すべて直接体験ばかりはできませんので、この間接体験もとても大切なのですが、最近は、直接体験より間接体験が多くなっているようです。
 こんな新聞記事がありました。
 田んぼのあぜ道で友達が捕まえたカエルを見て、男の子が耳慣れない学術名を口にし、みんなを驚かせた。だが、「触ってごらんよ」と言うと、男の子は後ずさりした。生物の名前や特徴は図鑑などで調べて詳しいのに、実物には拒否反応を示す子ども。「知識だけが先行して、実体験が伴っていない子が多い」という内容でした。
 ペットショップで買ってやったカブトムシが死んだとき、「お父さん、カブトムシの電池が切れた。電池を替えて」と言った我が子の言葉にがくぜんとした父親は、その子を連れて山へカブトムシの採集に行きました。苦労して採集したカブトムシが死んだとき、「お父さん、カブトムシが死んだ。お墓を作ろう」と言う我が子の目を見て安堵したという話を聞いたことがあります。
 「電池を替えて」「お墓を作ろう」と言ったのは同じ子どもですよ。
 ペットショップでカブトムシを買ったのは間接体験で、森でカブトムシを採集したのが直接体験ですね。ペットショップで買ったカブトムシには電池を替えてと言うのに、自分で採集したカブトムシにはお墓を作ろうと言う。
 直接体験も間接体験もそれぞれ知識や心をはぐくみますが、直接体験と間接体験とではこんなに違うのです。
 私が小さい頃、家に乳牛を飼っていました。1頭の子牛が結核にかかりました。育てることは出来ません。殺さねばならないのです。業者がトラックで子牛を引き取りに来ました。トラックに牛を乗せようとしますが、前足を突っ張って動こうとしません。これからどうなるのか牛にも分かるのでしょう。父が牛を引っ張り私がお尻を押します。子牛は涙をながしながら必死で前足を突っ張り動きません。父も母も私も弟たちもみんなが泣きながらやっとの思いで牛をトラックに乗せました。あの時の牛の悲しそうな顔、そしてトラックが動き出したとき、目から涙を流しながら、「めー」という悲しそうな声は今でも忘れることは出来ません。
 同じような経験をした人がここにもたくさんおられると思います。
 「命を大切にする」これは、言葉で言って聞かせるものではありません。このように心を揺り動かす体験、つまり「感動する」ことを重ねることで、成長の過程で心に刻み込まれた感性です。
朝日の出を見て厳かな気持ちになる、夕日を見てきれいと思う、自分が育てた生き物を見て喜ぶ、悲しむ、このような「心を揺り動かす体験」、これを情動体験と言います。数多くさせてください。それが豊かな感性を育てるのです。人権感覚豊かな人とは、豊かな感性を持った人です。
 子どもたちが命を現実のものと受け止める機会を数多く作ってやりたいと思います。人やペットの死や誕生を通して、「生きる」とはを考えたいと思うのです。子ども達が命の尊厳を受け止め、命を大事にして欲しいのです。
 このような体験の機会を数多く持たせて欲しいと思います。この体験が自尊感情を育むことに繋がります。
 自尊感情とは、「ありのままの自分が好き」という感情です。自分が好きということは他人も好きということです。自分が好きという感情が、自分を高めたいという感情になり、それが「もっと知りたい」、「もっとできるようになりたい」という気持ちに繋がるのです。
 自分が好きと言うことは、友達も好きということです。
 つまり、自尊感情は人権尊重と生涯学習の大本です。
 自尊感情を高めるために、この情動体験をいっぱいさせてください。
 もう一つは、子ども達が自己実現を実感する機会をたくさん作ることです。
 もうすぐ子どもは通知票をもらいます。通知票の評価は、「たいへんよい」「よい」「もう少し」ですかね。3段階の評価もですが、それより先生が書いてくださる通信欄を見てください。先生方は子ども一人ひとりをよく観察して、すばらしいところ、改めて欲しいところを丁寧に書いてあります。それをもとに子どもを認め、褒めて欲しいと思います。
 今学校では、「認め」「褒め」「励まし」「伸ばす」教育が展開されています。しかし、この「認め」「褒め」「励まし」「伸ばす」は学校の専売特許ではありません。家庭でも地域でもこの4つの視点をもって子育てに当たりたいものです。
 そのためには、子どもさんから目を離さないでください。目を離しては子どもが見えません。子どもの成長や変化は見ないで、ただ「良かった」「良かった」と言っても子どもは喜びません。
 先日の講演会である方が、「先生、今日の講演会はとても良かったですよ」と私を褒めてくださいました。私は、「どこが良かったですか?」と聞きました。すると、「何さま良かった。とつけむにゃー良かった」とおっしゃるばかりです。これでは褒めてもらってもあまりうれしくありません。褒めるときには、具体的にどこがどう良かったかを示して褒めるべきです。子どもに対してもそうです。子どもの成長やがんばり、変化を認め、褒めることです。だから、子どもから目を離してはいけないのです。
 21世紀は人権の世紀とも生涯学習の世紀ともいわれています。
 今から60年前の12月10日に、国連で人権宣言が採択されました。その1条に
 「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」
とうたってあります。
 そして、2年後に12月10日を「世界人権デー」と定めました。それでこの時期、あちこちで人権について考える催しが開かれます。
 生涯学習とは、生涯にわたって自ら進んで学ぶことです。今学校では、生涯学習の視点から学習指導が展開されています。私たちが学校で学んでいた頃は、「学校完結型」の教育でした。今は、「生涯にわたって自ら進んで学ぶ」教育へと転換されています。だから、学校では、その基礎となる基礎的基本的学力を身につけ、学ぶ意欲や方法を徹底して教えておられるのです。
 正しいしつけは子どもへの大切な贈りものです。
 生活リズムは子どもの健やかな成長のエネルギー源です。
 今、「早寝、早起き、朝ご飯」が提唱されていることはご存じの通りです。
 私が担任をしている頃、秋の運動会が9月下旬に行われていました。その全体練習のとき、ばたばたと子どもが倒れるのです。貧血の症状を起こして。保健室に連れて行き、休ませます。気分が回復してから「朝ご飯を食べてきたね?」と尋ねると殆どが食べていないのです。食べたという子どもの朝ご飯の様子を聞くと、食パン1枚にコーヒーと答えていました。朝ご飯は私たちの活力の源です。
 私はご飯とみそ汁、それにたくあんとか納豆などがあればよいと思います。
 早寝早起き、朝ご飯というと、これだけで規則正しい生活ができているのです。それは、毎日、決まった時刻に寝て、決まった時刻に起きて、家族そろって朝ご飯を食べるでしょう。朝ご飯を食べさせるために、お母さんはみんなより少し早く起きて愛情を込めて朝ご飯の準備をされるでしょう。これが家庭で学ぶ愛です。
 お子さんは毎日、何時頃起きますか?(「6時半」「6時頃」という声が聞こえる)
 早いですね。これはよい。朝起きて、脳が活発に働くのは起床後、2時間位経ってからだそうです。
 1時間目が始まるのは何時ですか?(8時40分)
 ちょうど良い起床時刻ですね。
 何時頃寝ますか?
 小学3年生までだったら睡眠時間は9時間は欲しいものです。高学年は8時間くらいでしょう。
 ですから、七滝中央小の子どもたちはちょうど良い時刻に起きているのですね。朝6時半頃までに起きるなら、寝る時刻は低学年が9時から10時の間、高学年が10時半くらいまでということですね。
 どうですか? このくらいの生活スタイルですか?ちょうど夜の7時から2時間もののテレビ番組がありますからなかなかこの時刻には寝ることができませんか?テレビ視聴の時間の長いのもいろいろと問題があるのです。長時間テレビを見る子は、疲れやすかったり、自己肯定感が低下するといわれています。詳しくはお帰りになってから資料の新聞切り抜きを読んでください。
 9時から10時頃に寝ると、朝起きてお腹がすいています。すると朝ご飯がおいしく食べることができます。朝ご飯をおいしく食べると、脳が活性化します。物事を深く考えて脳を鍛えます。だから「早寝早起き朝ごはん」なのです。もう一つは、家族そろって朝食を食べる事です。家族に絆が深まります。
 私たち人間の子は、周りの大人が保護してやらねば自力で成長することができません。しかし、その保護に課題があるのです。保護しすぎるのが過保護でしょう。保護しないのが放任でしょう。
 そこで、「保護」するとは、どんなことをするのかを見てみます。
 「世話」があります。「指示」があります。「授与」があります。「受容」があります。先ほど言いましたようにどれもこれをしないと人は育ちません。しかし、それが過ぎるとどうなるでしょう。
 「世話」のし過ぎにより、子どもは自分のことが自分でできなくなってしまっています。子どもはいつも「世話」をされているので自分でする必要がないからです。できることは自分でさせることが大切です。
 「指示」のし過ぎにより、子どもは自己判断ができなくなっています。いつも「こうしなさい」「ああしなさい」と「指示」されるので、自分で判断して行動する必要がありません。そしていつのまにか、誰かの指示無くしては動けなくなります。これを指示待ち症候群と言うでしょう。
 大学の先生に聞いた話です。今の学生は、「先生、宿題を出してください。何をどう勉強して良いかわかりません」と言うそうです。先生の講義を聴き、それに関することを自分で調べたり、自分が興味のあるものを進んで研究したりするのが大学生です。それが、大学生にもなって「宿題を出してください」はあまりにも主体性がありません。
 「授与」、ものの与えすぎにより、子どもの心から「感謝の心」、「物を大切にする心」がなくなってしまっています。次から次にものを与えられるから、ものをもらうのがあたりまえとなります。なくしても直ぐに新しいものを買ってもらえます。ここには「感謝の心」も「ものを大切にする心」も育ちません。
 先生方、本校ではどうですか?教室には鉛筆の落とし物がいっぱいありませんか?(落とし物があるとの返事有り)
 自分の持ち物は大切に使わせたいですよね。それには、何をどのくらい与えるかその加減を考えなければなりません。それは、一人ひとりの子どもさんで違います。子どもさんと話し合ってください。
 私が小さい頃、家は「貧乏」でした。いつも買ってもらえないから物を大切にしました。我慢しました。一つのものを工夫して使いました。無くしたときは必死で探しました。たまに買ってもらえるから感謝したのです。
 「受容」、子どもの言い分を何でも聞き入れていては、「耐性」「自己規制」「節度」は生まれません。自分の考え、行いを受け容れてもらえるので我慢する必要がないからです。
 今申しました、世話、指示、授与、受容を目の前の子どもさんの成長を見つめながら加減してください。
 これが過ぎても、少なくても子どもさんの健全な成長にはなりません。
 資料の一つ一つには触れませんでしたが、家で読んでください。子そだての参考になると思います。
 自然に恵まれた七滝中央小学校の子ども達が、益々心豊かに成長しますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。