育みましょう 人権感覚 ~キーワードは“恕”~

平成23年12月8日
長洲町


 ただいまご紹介頂きました中川でございます。よろしくお願いします。
 ただいま司会の浜田さんからも教育長からも「なかがわありとし」さんとご紹介頂きました。私の名前を「ありとし」と読む人はほとんどいらっしゃいません。「ありとし」さんとご紹介頂き、ありがとうございます。
 私は話をする時、演題の前で話すより、皆様になるべく近づいて話す方が性に合っています。気合いが入ります。前に出て話をさせて下さい。
 私は膝が悪うございます。月に1度、病院でヒアルロン酸を注射してもらっています。一昨日、病院に行きました。受付の看護師さんが「お待たせしました。中川ゆきさんどうぞ。」と言います。私は、「はい」と返事をして診察室に入ろうとしました。看護師さんは名前を見て、私を女性と思っていたのでしょうね。そこへ、男性が入室するので、カルテを見直して「失礼しました。中川ありとしさんでしたね。」と呼び直されたのだろうと思います。
 このように私は、「ゆき」または「ゆうき」さんと呼ばれます。女性とよく間違われます。私は「有紀」と書いて、「ありとし」と読みます。私はこの名前が大好きです。68歳になった今でも、小・中学校の同級生など幼なじみからは「ありちゃん」と呼ばれています。「ありちゃん」も大好きです。これは宣伝ですが、この大好きな「ありちゃん」という字をつかって「ありちゃんのホームページ」をインターネット上に公開しています。時間がおありの時、覗いてみて下さい。「ありちゃんのホームページ」で検索すると、トップに紹介してあります。旅行が大好きで、連れ合いとよく行く中国旅行記や日頃の生活の様子などを掲載しています。
 脱線しましたが、名前について話をします。長く教壇に立って、黒板に字を書いて教えていましたので、つい字を書いて話をしたくなります。ホワイトボードを使って説明しますね。
 この「有紀」という名前は父が付けてくれた名前です。「有」は上に「保」という漢字を付けると「保有する」という熟語ができますね。「有」には「保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀は人権の世紀」などというように「年」の意味があります。こういうことから父は、「年を重ねるにつれて年相応の人間になれよ」という願いを込めて付けたとよく話しをしていました。父の願いに応えるべく努力していますが、68歳になった今も父の願いに応えることはできません。年相応の人間になるよう努力する、これは私の生涯学習です。こんなすばらしい名前を付けてくれた親を尊敬し、敬愛しています。今はもうこの世にはいませんが、天空高いところから「今日はどんな話をするのか」と見つめていることだろうと思います。
 皆さん、人生の節目節目に、お子さんやお孫さんの名前に込めた親の願いや思いを語って下さい。小さいお子さんだったら膝の上に座らせ、背中を抱いて、目を見て、お子さん誕生時の感動を思い起こし、語って下さい。大きいお子さんは、手を取り互いの手のぬくもりを感じ合い、目を見つめて語って下さい。
 お子さんやお孫さんは親の期待や願いを受け止め、自分の名前に誇りを持ち、自分の名前を好きになると思います。名前を好きになることは自分自身を好きになることです。自分自身を価値ある人間と思うことにつながります。この自分自身を価値ある人間と思う感情を自尊感情と言います。この自尊感情は、人権尊重社会、生涯学習社会に生きる私たちには最も大切な感性であると思っています。
 私は紹介にもありましたように、いじめ不登校アドバイザーという仕事をしています。
 私がある小学校の校長時代にいじめ問題が起きました。冬はの時期は、明けの明星が東の空に輝いてまだ薄暗い時、つまり朝の6時40分頃、家を出なければ学校の始業時刻に間に合わない、学校まで5kmくらいの地区で起きました。しかも通学路は坂道です。そこを1年生から6年生まで一緒に歩いて登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、それがだんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびにおじいさんの話を聞き、学校で指導していることを丁寧に話した後で、1年生が勉強している教室に案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
 おじいさんは、「なんばしよっと。謝らんちゃよか。こんいじめは誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子どもたちを育てていこうじゃなかな」とおっしゃいました。
 この3つの力、「いじめをはね返す力」「弱いものをいじめることは愚かなことだと気づく力」「いじめを止めさせる力」は、人権教育を通して子どもたちに付けさせる力です。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思います。
 不登校問題について、学校では、「不登校はどの子にも起こりうる問題」としてとらえ、校長先生を中心に組織として、不登校を未然に防ぐ取り組みをしていらっしゃいます。しかし、現在、不登校状態になっている児童生徒がいます。不登校状態になっている児童生徒の家庭を、担任の先生、養護教諭の先生、学年主任や人権担当の先生、校長・教頭管理職の先生方がティームを組んで訪問したり、学習支援をしておられます。不登校状態が続くことはいいことではありません。不登校の子どもたちが学校とのつながり感を実感し、1日も早い学校復帰を望んでいます。また、地域の温かい支援をお願いします。
 先ほどの教育長のご挨拶の中にありましたように、12月4日から10日までは人権週間です。人権について考え、自分にできることを行動に移し、みんなが幸せに生きる社会づくりをしましょうという週間です。
 人権とは、教育長がお話しされましたように、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障される権利です。
 私は、人権とは、「差別してはいけない」ばかりでなく、「自分らしく豊かに生きること、自己実現を図ること」ととらえたいと思います。
 私たちの周りには、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別など様々な人権課題が存在しています。
 熊本県ではこの中でも特に、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を大きな人権課題ととらえ、教育・啓発に力を入れています。
 今政府は財政赤字解消を強く訴えています。財政赤字ばかりでなく、私たちの心の中に、人権課題に対する意識の赤字はないでしょうか。ワークシ-トを使いながら心の中を見つめていきたいと思います。
 ご挨拶の中で教育長は、「身近な問題の中にも人権にかかわる問題がありはしないでしょうか。おかしいと思うことを人権尊重の視点から考えてみましょう。」とおっしゃいました。
 身近な問題の中の人権課題について考えてみましょう。もう師走です。師走と言えば忘年会です。既にいくつか忘年会を済ませた方もいらっしゃるでしょう。今夜が忘年会という方もいらっしゃるかも知れませんね。
 ある学校に勤めていたときの話です。
 「校長先生、私はこの前のPTA役員会のあとの忘年会でPTA活動について話が盛り上がり、帰ったのは12時過ぎていました。私は結婚以来始めて午前様で帰ったのです。それを連れ合いも舅も私を責めるのです。『何時と思うとっとか?』と。連れ合いや舅は暮れになると毎晩とは言いませんが午前様ですよ。それなのにたった1度、12時過ぎて帰った私を帰りが遅いと責めるのはおかしいとは思いませんか?」と。
 皆さんはこの話を聞いてどう思われますか?これは、性による差別、つまり、人権課題の一つではないでしょうか。
 断っておきますが、私は女性の皆さんに午前様になりなさいと言っているわけではありません。理解違いなさらないようにお願いします。
 次の文を読んで下さい。


 「課長、先日の書類が仕上がりました。」と吉田係長が私に数枚の書類を差し出した。先週頼んでいた書類がきちんと整理されていた。
「よくできているね。」と声をかけると、「ありがとうございました。」と明るい返事が返ってきて、良い職場だなといつも思う。
 5時30分、帰り支度を始めたとき、緊急放送が入った。「重要な会議を行いますので、各課係長以上は会議室にお集まりください。」
 吉田係長が会議用の書類を揃え始めたので、「吉田係長、君はいいよ。帰っても。家が困るだろう。会議内容は明日話すから。」と私が言うと、彼女は少し迷って、「ありがとうございます。それでは失礼します。」と言って帰っていった。
 田中課長補佐が近づいてきて「吉田係長はいなくていいのですか?」と言ったので、「あの人は女性だから。」と言うと、「さすが課長、これが配慮なのですね。」と答えた。
 部下に配慮できる課だと評判はいいし、私自身もそう自負している。
                                               (自分のこととして考えよう 人権研修テキストⅢ 熊本県)

 吉田係長は、何故少し迷って帰ったのでしょうか?
 課長の行為は適切だったと思いますか?
 本当に部下に配慮ある課でしょうか?
 課長の意識の中には、「男性は仕事。女性は家庭。」という意識がなかったでしょうか。緊急に係長以上が集まって協議することが起きたのであれば、時間外とは言え男性も女性もなく係長以上は出席するのが当然だと私は思います。
 下の絵を見て下さい。

 「ねぇ、聞いた。Aさんは、大学卒業して5年目で司法試験に合格したそうよ。」 「へーっ、あの難関の。すごいわねー。」 「Aさんのお母さん、とってもえらいのよ。人のやりたがらないような仕事までして息子さんを支えたんですって。」
 この会話を聞いてどう思いますか?
 「人のやりたがらないような仕事までして」をどう捉えますか?
 この話は、はじめ美談として語られていました。「人のやりたがらないような仕事」は「ビル清掃の仕事」でした。
 ビル清掃をしている人が「私もビル清掃の仕事をしている。ビル清掃の仕事をする人はそんなにえらいのですか?」の一言からこの話のおかしさにみんなが気付いたのです。
 以前、「3K」といって、「きつい」「汚い」「危険」な仕事が敬遠されました。私たちの周りにある仕事は、私たちが生活する上で必要だからその仕事があるのでしょう?仕事に上下はありません。
 私たちの心の中に職業差別の心があるならそれは取り除いていかねばなりません。

 数年前、菊池惠楓園入所者の宿泊拒否事件が南小国町の黒川温泉でありました。ハンセン病問題について教育・啓発に力を入れているときに起きた差別事件です。ご存じの通り、ハンセン病はらい菌による感染症です。今の日本の栄養状態ではまずうつることはないそうです。それを長い間の国の隔離政策やハンセン病についての正しい知識啓発がなされなかったがため、惠楓園近くの人は惠楓園の前を通るとき、鼻をつまんで走って通っていたと聞きます。昭和30年代、黒髪小学校事件というのが起きました。惠楓園入所者の子どもは龍田寮で生活していました。寮にいる子が黒髪小学校に入学するのをPTAが拒否するという事件です。ハンセン病患者の子と我が子が席を並べて勉強するならハンセン病がうつる、そんなことは決してさせてはならないという親の間違った理解から起きた事件です。熊本県では、このような悲しい事件を起こさず、みんなが楽しく生活できる社会づくりのため、教育・啓発を続けています。
 水俣病は、ご存じの通り窒素水俣工場の廃液に含まれた有機水銀が魚の体に蓄積され、それを食べた人が病気となった公害です。まだ、有機水銀による公害と判らないとき、水俣病患者はものすごい迫害を受けたと聞きます。もう亡くなられましたが、水俣病語り部の杉本栄子さんが次のように話をされたことを聞いたことがありました。「お母さんが突然けいれんを起こし、病院に運ばれたとき、当時は原因が分からずその病気はうつると誤解されたため、むらの人は誰も家に寄りつかなくなり、雨戸に石を投げつけられることもあり、挨拶しても無視され、道を歩くなと言われたこともあった」と。
 水俣病は、遺伝により発生する病気でも伝染病でもありません。しかし、水俣病は伝染するという誤解が、杉本さんの話のような差別を生じさせたのです。私たちは何事も正しく学び、正しく理解することが大切です。
 熊本県では、冒頭言いましたように水俣病問題を大きな人権問題ととらえ、学校でも地域社会でも啓発に力を入れています。そんな中、昨年、中学生がサッカーの練習試合中に、「触るな!うつる!」という言葉を発したのです。学校の人権学習で、水俣病問題について学習しているにもかかわらず、このような言葉が発せられたということは、人権課題が中途半端な知識として頭に入っているだけで正しく理解していなかったからだと思います。ですから、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することが大切です。
 このことを中学生が私たちに訴えています。
 毎年、法務省主催の中学生人権作文コンテストがあります。
 平成22年度全国中学生人権作文コンクール法務副大臣賞を受賞した熊本県立八代中学校1年 井上由紀子さんの「私の大好きなふる里」を読んでみます。一緒に読んでください。


         私の大好きなふる里
                                      熊本県・熊本県立八代中学校 1年 井上 由紀子

 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 井上さんは、「私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思う。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないか。」と訴えています。
 同和問題について考えてみましょう。

 同和問題で最も大きい課題は、「あの子と遊ぶな」という仲間外しの問題、結婚問題、そして就職問題です。多感な子ども時代に大人の誤った考えによって「あの子とは遊ぶな」と言われ育った子は人権問題をどうとらえるでしょうか。
 結婚、就職は人生の最も大きな節目です。その後の人生を左右する問題です。そんな大きな問題にもかかわらず、生まれたところで差別を受けるなんて事はあってはならないことです。
 資料に付けていますのは、中学生が、結婚差別のおかしさと差別をなくす取り組みをしようと訴えている作文です。
 一緒に読んでみましょう。


         一人でも多くの人に伝えたい
                                          栃木県・大田原市立金田北中学校3年 舩山泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 舩山君は、「江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、目をそむけていいのか」、「今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならない」「何もしなければ、何も変わらない。正しい事を伝えなければならない。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 21世紀は人権の世紀と言われています。しかし、この人権の世紀というのは、ただ座しているだけで人権の世紀となるのではありません。舩山君が訴えているように、今自分にできることを私たち一人ひとりが実行に移して初めて人権の世紀になるのだと私は思います。
 「差別しない」ということを知識ではなく意識として身に付けるために、私たちはどんなことに気をつけていけばよいでしょうか、このことを見つめてみたいと思います。
 レジュメの空いているところに、「魚の絵を描いてみましょう。」(各自魚の絵を描く)
 どなたかここに描いてもらえませんか?(一人挙手)
 ではお願いします。

 ありがとうございました。
 ここで問題としたいのは、皆さんが描かれた魚が、鯛なのか、ヒラメなのか、サンマなのかではありません。魚の頭がどちらを向いているかを問題にしたいのです。
 ○○さんはこのように左向きの魚を描かれました。○○さんと同じように左向きの魚を描かれた方、挙手してもらえますか?(大多数が挙手)
 では、私がここに描いた右向きの魚を描かれた方?(3名挙手)
 ありがとうございます。すばらしいですね。すばらしいわけは後で話します。
 皆さん、私は「魚の絵を描いてみましょう。」と言いました。「左向きの魚を描きましょう。」とも「右向きの魚を描いてはダメです。」とも言いませんでした。にもかかわらず、皆さんほとんど左向きの魚を描かれました。なぜ、こんな事が起きるのでしょうか?(「料理では魚は左向きに出します」の声有り)
 そうですよね。益城町の料理人さんから、「魚は左向きに出すと昔から決まっている。」と言われたことがありました。近頃、魚の図鑑で、魚の絵や写真を見たことがありますか?図鑑に載っている魚の絵や写真のほとんどは左向きです。図書館で確かめてください。
 私たちは、料理での魚や図鑑での魚の絵のように、魚と言えば左向きと言うことを空気を吸うがごとく知らず知らずのうちに学習しているのです。右向きの魚を描かれた方は、ご自分の考えを持っておられることがすごいと思います。

 もう一つお尋ねしますよ。牛の色について。
 牛と言えば、あか牛を思い出す方?(10人程度挙手)
 くろ牛の方?(5人程度挙手)
 白黒のホルスタインという方?(大多数が挙手)
 ありがとうございます。私も白黒のホルスタインを思い出します。家で乳牛を飼っていて、乳も搾っていましたから。
 阿蘇で尋ねました。ほとんどがあか牛でした。天草ではくろ牛が多かったです。熊本市周辺ではほぼ3分の1ずつです。
 これも、いつもよく見る牛の色が頭に入っているでしょう。このように、空気を吸うがごとく知らず知らずのうちに「○○=○○」と思っていることがたくさんあります。これを刷り込みと言います。この刷り込みが思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なると偏見となります。
 「左向きの魚の絵」や「牛の色の違い」は直接差別につながりませんが、この刷り込みが時として偏見となり、差別につながることがあります。
 「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と返ってきます。「私が知っている地区の人たちは優しい人ばかりですよ」と返しますが、自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 「部落は怖い」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージ、赤字を払拭することが求められているのです。
 私は昨年6月、ウズベキスタンに行ってきました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。
 最後の日の車中で、マリカさんという日本語ガイドさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」 知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。問題ありませんという返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょうとのことでした。
私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を何の疑いもなく信じて「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行も楽しんだということでした。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人たちだと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。
 皆さん、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手してみて下さい。(挙手無し)
 マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)
 私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たり、カラスの鳴き声を聞くと、「今日は良かこつは無かバイ」などと言っていました。
 私たちはカラスの羽の色が黒いので、「黒=不吉」として「カラスは縁起が悪い鳥」と決めつけているのではないでしょうか。本当にカラスって縁起が悪い鳥でしょうか。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。
 歌詞を読んでみます。 


     七つの子
                野口雨情   

   烏 なぜ啼くの 烏は山に
   可愛い七つの 子があるからよ  
   可愛 可愛と 烏は啼くの  
   可愛 可愛と 啼くんだよ  
   山の古巣に 行つて見て御覧  
   丸い眼をした いい子だよ

 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したのです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 雨情の心情に思いをはせながら、全員で歌ってみましょうか。
♪♪ 烏 なぜ啼くの   烏は山に    可愛い七つの  子があるからよ
    可愛 可愛と    烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
    山の古巣に    行つて見て御覧 丸い眼をした  いい子だよ ♪♪
 すばらしい歌声、ありがとうございました。
 もう一つお尋ねします。「今日は人権教育講演会がある。何の日だろう?」と思って暦で何の日か調べて来られた方?(挙手無し)
 そうですか。私は調べてきました。今日は「赤口」です。
 日頃は「今日は何の日」など気にせずに生活しますよね。ところが、結婚式だとか葬式だとかになると気になります。
 私の義母が亡くなった時、葬儀一切を葬儀社の方にたのみました。そのとき、葬儀社の方は、ファイルをひろげて、「一般的には今夜が仮通夜、明日が本通夜、そして明後日が葬式です。明後日は友引ですがどうしましょうか?」と訊きます。 私の家族は六曜思想は信じていませんので、「一般的に行われているようにお願いします。」と言って葬儀を友引の日に行いました。家族に何の変化もありません。火葬場にも何組か来ておられました。これは、同和教育、人権教育が進められてきた成果だと思います。
 じつは、「今日は何の日か」と気にすることのおかしさを鎌倉時代の吉田兼好が「徒然草」に表しているのです。
 「徒然なるままに、日暮らし硯に向かひて、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」は、高校生の頃勉強した徒然草序段の文です。
 陰陽道で、赤舌日は忌み日とされていたとき、吉田兼好は、「赤舌日に語ったことや行ったことは叶えられない、得た物は失って、企ては失敗するなどと言う者がいるが、昔の人はそんなことは言っていない。吉日と言われる日に始めても赤舌日に始めても成就しない数を数えてみると、きっと同じになる。吉日でも悪事を働けば凶となり、忌み日でも良いことをすると常に吉となる。吉凶は、人の考えによるもので、日によらない。」と言っています。
 「今日は何の日」という六曜は、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6つを1周として、旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引という具合に決めたのです。機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと高千穂正史さんが言っておられました。
 このように科学的根拠のないものを「皆が言うから」「世間が言うから」と何の疑問も感じないまま信じることはおかしな事です。
 最近、論語が見直されています。各種学校はもとより幼稚園保育園でも読まれています。意味は分からなくともその言葉の響きを覚えることで成人してから、論語の意味するところに親しんでもらおうとの考えと聞いたことがあります。
 論語は、孔子とその門弟との間で交わされた教えをまとめたものですね。
 皆さんも、次の文はよく聴かれたでしょう。
 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして搵みず、亦君子ならずや。
 子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
 子曰わく、学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し。
 子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以て師と為すべし。
 衞靈公第十五の二十四に
 子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
 子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
と言うのがあります。
 これは、孔子の門弟の一人 子貢が孔子に人生の生き方を問うているものです。
 「私は頭が悪くて孔子様がおっしゃることが良くわかりません。」
 弟子からそう言われても先生ですから「そうだな。お前は頭が悪いものな。」など言えません。そこで、孔子が尋ねたのです。「どうしてそんなことを言うのか?」と。
 子貢が「頭の悪い私が、先生から教えられたたった一文字を大切に生きれば、人間として誤らずに生を全うできるという字があったらお教えください。」と問うのです。
 そこで、孔子は、「その文字は恕だ。そして、自分がして欲しくないことは他人にもしないことだ。」と教え諭したのです。
 「恕」と言う文字の意味は、「常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさ、思いやり」のことです。
 先ほど教育長のご挨拶にもありましたが、今、人権週間中です。今年の人権週間のテーマは、「みんなで築こう人権の世紀 ~考えよう相手の気持ち 育てよう思いやりの心~」です。まさに孔子が言う「恕」の精神そのものです。
 長洲町民お一人お一人が「この恕の精神」を持って人権を尊重し合うまちづくりを進められることを願います。
 終わりに、桑原律さんの「人権感覚って何ですか」をみんなで声に出して読みたいと思います。桑原さんは、岐阜県の人権教育・啓発に深く関わっていらっしゃる方です。
 しばらく黙読してください。
 では、一緒に読みましょう。 


      「人権感覚」って何ですか
                     桑原 律

     「人権感覚」って何ですか
     それは ケガをして
     苦しんでいる人があれば
     そのまますどおりしないで
     「だいじょうぶですか」と
     助け励ます心のこと

     「人権感覚」って何ですか
     それは 悲しみに
     うち沈んでいる人があれば
     見て見ぬふりをしないで
     「いっしょに考えましょう」と
     共に語らう心のこと

     「人権感覚」って何ですか
     それは 偏見と差別に
     思い悩んでいる人があれば
     わが事のように感じて
     「そんなことは許せない」と
     自ら進んで行動すること

     「人権感覚」って何ですか
     それは
     すどおりしない心
     見て見ぬふりをしない心
     他者の苦悩をわが苦悩として
     人権尊重のために行動する心のこと

    (ヒューマンシンフォニー「光は風の中に」より)

 ありがとうございました。
 町民お一人お一人が社会と関わって生きている意味を実感できる社会、すなわち人権尊重の精神がみなぎる長洲町となりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴、ありがとうございました。


                     長洲町人権教育講演会 参加者の感想

○刷り込み、思い込みからくる差別など未然に防げると思うので、日常生活に活かしていきたいと思います。(30代)

○本日学んだことを家庭、地域で活かしていきたいと思います。(70代)

○日常生活の中には、何気なく言った言葉や行動が相手を傷つけたり、悩ませたりしていることが多々あると思います。
 今日のキーワード“恕”を頭におき、人への思いやりと人を許す心を持つことを忘れず、子ども達へも伝えていきたいと思いました。
 (40代)

○自分自身での行動を省みて、少しはよいことをしているように思います。いろいろボランティアをしていて他に対しての行動は間違っていないと思いました。ありがとうございました。(70代)

○十分活かせます。本日の講話は小さな子どもも含め、家族みんなで人権意識の高揚につなげていけると思います。(70代)

○日常生活の中で無意識のうちに差別的言動で人を傷つけるようなことはなかったか、反省させられました。(70代)

○わかりやすいお話で勉強になりました。(60代)

○正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することの大切さを学びました。役に立てていきたいと思いました。(60代)

○自尊感情をいかに持つか、とても大切なことであることが分かりました。自分も含め、周囲の人みんなが顔を上げて生きていけるようにならねばならないことを学びました。(50代)

○日常、たくさん思っていることがあり、とても良かったです。人権感覚を心に刻んでいきたいと思います。(60代)

○実例をもとにしての話で、すばらしい講演でした。
 人権感覚をもっと見直して、学習を深めたいです。(70代)

○刷り込み、思い込み、偏見・・・・差別心の発生と成長がよく分かりました。
 しかし、自分のこととして考える時その実践には、なお時間を要するように思います。これからも勉強していきます。(60代)

○思い込みが多いことを痛切に感じました。日常生活に役立てたいと思います。(50代)

○偏見とは気付かずに過ごしている事に気をつけて日常生活を過ごしていきたいと思います。
 暦にしてもやはり今日は何の日?と見てしまいます。「恕」という語を知り、これからつかっていきます。(60代)

○今日のお話を聞いて今まで自分が使っていた言葉で人を傷つけていなかったか反省し、これからもまず自分の周りから傷つけることがないよう、気をつけたいと思います。本当にみんなが幸せな社会生活が送れるよう気をつけたいと思います。ありがとうございました。
(60代)

○「恕」を常に頭において心がけて生活していきたいと思います。若い世代の人たちにも是非聴いてほしい内容でした。子ども達にも伝えていきたいです。(60代)

○「恕」優しさと思いやり、自分が嫌なことは他人にしない。大変為になるお話でした。

○わかりやすく楽しく聴くことができました。中学生の作文を聴いて教えられました。本当に勉強になりました。ありがとうございました。
 (60代)

○先生の講演の熱意に感動しました。自分の学習不足を反省しています。優しさと思いやりを大切に生活していきたい。(70代)

○すばらしい研修会だったと思います。
 往々にして研修会は聴くだけ、学ぶだけの研修会が多いのですが、本日の研修会は参加者が自ら参加し、考え合う場面、例えば、魚の絵での頭の向きを考えたり、七つの子を一緒に歌ったり、論語の意味を考えたりと講師と学習者が一体となった研修会であったと思います。なぜ人権学習が大切なのか、みんなに理解できた研修会であったと思います。(70代)

○私の父母は70歳代です。同和問題が話題になった時、「自分は勉強しとらんけん」と言います。 偏見があります。今日のような研修会が地域の中であるといいなと思います。多くの方の参加があるといいなと思います。(魚の絵では、右向きと左向きの両方描いた人もいました)(40代)

○人権教育講演会講話として、とてもすばらしくわかりやすいものでした。日常生活の中で今日の話の局面に接した時、同じ気持ちで接し活かしていきたいと思います。(70代)